せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年03月29日(水) 近頃の問題その二

昨日の日記からの続きである。


ワタシは前夜に、ボスにメールの返事を送っておいた。

彼女は、以前ワタシたちの団体でフィルム上映のイベントを行う方向で準備をしていたのに、最終的に一方的な断りを入れて来た、例の気違い音楽家女史とその仲間たち(詳細は二千六年二月の日記殆ど全てを参照の事)から、そのイベントで上映予定だった、日本の女性問題活動家たちの「ドキュメンタリー・フィルム」というののコピーを購入する事にしたようである。

それ自体は好きにして貰って良いのだが、何を血迷ったのか、あれ程振り回された挙句に交渉決裂したにも関わらず、そのフィルムのコピーDVDを使って、うちの団体で「フィルム上映会」をやりたい、などと言いだしたのである。

更にワタシを憤らせたのには、ワタシが「蟹座のがみがみガール」と呼んでいる同僚が、そのボスの申し出に対して、安易にOKを出してしまった事である。

ワタシはこの前後左右を考えられない、浅はかな同僚の対応に大いに腹を立て、流石は「国語で成績が良かった例が無い」という彼女らしい洞察力の無さと呆れる。しかしそれを一寸抑えて、暫く動向を見守る事にする。

ボスは「がみがみガール」が間違えて指定した日程が、いつもワタシたちの団体でイベントをやる金曜日で無い事に直に気付いて、「それは金曜では無いけど、良いのね?」と念を押す。「がみがみガール」は漸く間違えに気付き、「ああ済みません、その日ではなくてこの日でした」と訂正する。

その後はどうやらそのまま話が進んでしまいそうな気配なので、ワタシは漸く返事を書く事にする。


「基本的な事柄について確認させていただきたいのですが、その『日本の女性問題を描いたフィルム』の上映、とおっしゃっているのは、例の***の事でしょうか?それとも別のフィルムでしょうか?もし別のものなら、タイトルをお知らせ下さい。***だと仮定して、既に諸問題によって先方から土壇場でキャンセルされ、それによってワタシたちは随分と迷惑を被りましたのはご承知の通りですので、ワタシ個人としては彼女たちのフィルムを宣伝してあげる云われは全く無いものと考えておりますが、それでもそのフィルムを上映して人々に見せたいとお考えなのですか?差し支えなければ、どうしてそうしたいのか、お知らせいただけますか?それからこのイベントをやる方向で話を進めると仮定して、彼女らに知らせずにフィルム上映を公に行う事、またそれに我々の通常のイベントと同様に入場料をチャージしない事について、著作権上の問題などが生じるように思いますが、うちでイベントを開催する予定について、先方に知らせないでも良いのでしょうか?また、彼女らは既に二月に、この街で二箇所においてフィルム上映会を開催しておりまして、我らの団体の常連出席者の中には既にそこでフィルムを観たという人々もいるようですが、それらの人々が再び観たいと思うかどうか疑問ですし、それにより動員数に影響があるようにも思います。以上の点につきまして、ご意見を伺いたいと思います。」


朝になって届いたメールによると、ボスは「このフィルムは多くの人に観て貰うのが良いと思うからやるのだ、嫌なら他所の団体へ持って行くから結構、貴方がやりたくないなら好きにして良い」などと言っている。

別にワタシ「個人」が所有する団体ではないので、「ワタシ」の一存で企画をやるかやらないかは決められないのだが、何故そんな意地悪を言うのだろう、とワタシは驚く。

更に、「それにあの一件に関しては、自分は全く関与しない『性格上の問題』によって反故になったのであって、自分には関係無い事である」などと続いている。

「性格上の問題」とは、一体誰の問題を仄めかしているのか。

ワタシと幹部らの間では、それはあくまであの「気違い音楽家女史」の勝手な妄想である。しかし彼女はそれを自分の同僚である「コーディネーター女史」とうちのボスにまで、まるでワタシが悪いかのような方向で言い訳をして、それを理由に交渉決裂せざるを得なかった、などという風に、どうやら裏では話が付いているようである。そして残念な事に、本来ワタシをサポートしてくれる筈の立場にいるボスは、他人が訴えるそれを鵜呑みにして、ワタシという人物を評価する事にしたようである。

ワタシは、これまでこの団体の利益の為にして来た自分の「プロフェッショナル」としての色々の働きが、ボスにとっては、こんな下らない事ですっかり帳消しにされ、恰も「性格上の問題」がある人物であるかのような印象を持たれているらしい、という事実に、朝っぱらから大いに驚き、傷ついた。

これは、睡眠不足の頭には、少々応えた。



ワタシはその日、朝から例の教師をしている同僚の誘いで、とあるイベントの手伝いをしに行く事になっていた。

子供相手の活動なので、尚更疲れた顔は見せられない、とワタシは気を張って一日過ごした。

いつも思う事だが、子供たちというのは、大抵明るく好奇心に満ちている。そして彼らは、どうやらワタシの事も「先生」だとでも思っているのだろう。すっかり安心し切って、ワタシのするに任せている。蓋を開けたら、只のぐうたらで出来損ないの大人なのに。

そして困った事に、ワタシの同僚である本当の「先生」までもが、ワタシがある企画を主導して子供たちと接しているのを眺めながら、中々良く出来ている、今すぐにでも「先生」になれる、などとお世辞を言ったりするのである。

勿論、それは買い被り過ぎである。実際ワタシは、冷や汗を掻きながらやっていたのであって、それは後で気付いたら、ワタシの着ていた徳利のセーターを通り越してその上のコットンのカーディガンにまで染みていたのだから、それを見たら直に分かる事である。

何しろ、ワタシはそうやって信用し切っている子供たちの期待を裏切らないように、精一杯頑張って、即席の「先生もどき」な事をやってみたのである。加えて裏方の仕事も手伝ったりしたので、大変疲労困憊した一日であった。


本当の「先生」たちと知り合い、一緒に企画運営や片付けをやって、それから打ち上げに誘って貰う。旨いビールとビルマ料理に舌鼓を打ち、楽しく談笑する。

ワタシは本当はその日は物凄く疲れていたのだけれど、そして深く驚き傷ついていたのだけれど、そしてそれを誰にもぶちまける事も出来ずただひとりで堪えていたのだけれど、しかし一日の終わりには何やら言い知れぬ充足感に満たされていた。

希望に満ちた子供たちと、その子供たちを楽しませようと、あちらこちらへ忙しく駆けずり回る先生たち。憂い立ち止まっている暇など、誰にも無いのである。

勿論、そんな慌しく苦しい一日が終わって、漸く予定の無いゆったりした翌日を迎えたら、ワタシは休息と回顧に費やす事が出来るたっぷりとしたその一日を、有り難く思う。自分の身に起こった色々の出来事をゆっくり噛み締め、消化する時間が、ワタシには必要だったのである。

そうして少しずつ混乱が溶け始め、ワタシは漸く冷静さを取り戻す。



他の幹部らに、ここ最近の「フィルム上映会」開催についてのボスとの連絡内容を転送して、意見を聞く。

ワタシとほぼ同様の反応を示す人が多かったのは、救いである。尤も、異常だと思わない方が可笑しいと思うのだが。

それから「がみがみガール」に、「ボスは自分の楽しみの為にフィルムのコピーを購入するのに、何故それに対して『有難う御座います』などと言ったのか」と聞いた。

すると、「フィルムのコピーを買ってワタシたちの為に提供してくれる事に対してのお礼の積りだったのだが、良く考えてみると貴方が指摘したような問題点が沢山あるので、拙かったと後で思った、済まない」と返事が返って来た。いつもの事ながら、文脈を読めない女である。



ところで、明日辺りにはシャワーを浴びたいと思っているのだが、不安である。


2006年03月28日(火) 近頃の問題その一

近頃ワタシの身の上に起こっている幾つかの腹立たしい出来事について、主に精神的自己防衛の一貫として、土曜日に水星が西洋占星術的に言うところの「逆行」から「順行」に転換した折の「波紋」、という風に解釈するようにしている。つまり、そう言い聞かせる事で、突然起こり始めた諸問題について「大慌てする必要は無い」と自分を納得させているのである。

まあ実際ワタシの周りでも、何やら慌しいここ数日を送っている人々がいるようなので、恐らく本当にそういう事なのだろうとも思う。

更に明日は牡羊座の新月プラス「日食」でもあるので、この他にも吃驚するような出来事がどばと起こるのではないか、と多少心配もしている。今回の日食はどちらかと言うと友好的だと聞いているので、通常の日食・月食と比べても過ごし易いのだろうとは思うが、何れにせよ何らかの動きがあるのには違いないので、一寸覚悟している。



幾つかある問題のうちのひとつの事件については、少し遡って説明する必要がある。


それは折りしも「水星の方向転換」当日である土曜日の事だが、ワタシは同僚が教師を勤めている学校の演劇部の芝居見物に呼ばれて、彼女と一緒に川向こうの町まで出掛けて来た。

ワタシはその町を訪れるのが初めてだったので、彼女の提案により、先ずはその町の繁華街にあるレストランで夕食を取って、序でにちょっぴりワインなど呑んで、ほろ酔い気分でショーに繰り出そう、という事になっていた。

ところがワタシときたら、待ち合わせの場所を間違えるという「へま」をして、約束より三十分程遅刻してしまったので、それからその町へ着いて町並みを眺めている間に随分時間が押してしまった。数ある食べ物屋の中から漸くイタリアンに決めて入るも、注文した料理が来るまでに随分時間が掛かり、ワタシたちは結局前菜とパスタを途中まで食べた後、残りは持ち帰り用に包んでくれと頼んで、小走りに学校の劇場へ向かった。

そこは演劇部が盛んな学校らしいのだが、今回の演目は事の他力が入っているとかで、大昔「劇団員」というのをしていた事のあるワタシは大いに楽しむ事が出来た。ただ裏のオーケストラでピアノを引いている人物がよく間違うのが難だと思ったのだが、「先生」に聞いたらそれは同僚の音楽教師だとの事なので、それ以上苦情を言うのは止す事にした。

芝居がはねた後、バアで一杯やりながら、あれやこれやとワタシたちの所属団体やワタシたち自身の今後などについて、話に花を咲かせた。

ところが問題なのは、その町はワタシたちが住んでいる街と違って「屋内喫煙」が許されていたので、暫くバアにいる間に、ワタシたちの衣類はすっかり煙草の煙臭くなってしまった事である。

「公共建造物内での喫煙が全面禁止」という街に暮らしていると、そうでない町で呑みに行った後にお決まりの、髪や衣類に付いたニコチン臭の事をすっかり忘れてしまうが、久し振りにそういう状況に出くわすと、不快さが大変気になる。


翌日、ワタシはバスタブに湯を張り、その上へ前日着ていた衣類を全てハンガーに掛けて吊るしておいた。

暫くして確認すると、幾つかの衣類はまだ煙草臭かったので、ワタシは一旦水を抜いてからまた湯を溜め直して、再度スチームで臭いを取る作戦を試みた。

ところが、水を抜いている間にメールのチェックをしていたら、何やらいつも以上に沢山のメールがインボックスに溢れていて、それらを読み始めたらえらく時間が掛かってしまった。湯を溜め直している間に再びコンピューターに戻ったら、それに熱中し過ぎてしまって、ワタシは湯船が一杯になっている事に暫く気付かなかった。


うちの風呂は、恐らく欧米諸国で使われている典型的なタイプのもののうちのひとつと思われるのだが、所謂浅い湯船の真ん中より少し上の辺りに小さな穴が開いていて、水位がその穴に達すると勝手に排水されるようになっている。だから湯船一杯一杯に水が溜まって上から溢れる、というような事は起こらない。

ところが、この家へ越して来て直ぐの頃に気付くのだが、その小さな「排水穴」はこの家では本来のように機能していないのである。つまり、どういう訳だかその穴は排水溝に繋がっておらず、そこへ入った水は外へ漏れるようになっているようである。

そしてそれは、いずれ階下に水漏れを起す。

初めにそれが起こった時、ワタシは湯が排水穴より上に来ている頃にさぶんと湯船に浸かって、ちょろちょろと湯が流れるのを聞きながら、さて本でも読もうかしらなどと呑気にしていた。そこへとんとんと階下から人が掛け上がって来るのが聞こえたかと思うと、どんどんとドアを叩く音がする。

慌ててタオルを羽織って答えると、「下では水漏れがしているけれども、一体どうしたのか」と大家の奥さんが苦情を言っている。

着替えて出て行ってみると、うちの風呂場の真下である、裏口玄関を入った直ぐの辺りの天井から、ざあざあと湯が降っているではないか。

なんという事をしてしまったのだ。ワタシは忽ち驚いて、「申し訳ありません」と何度も詫びるのだけれども、しかしまさか、それがあの排水穴から出た湯の所為でこういう事態になったとは思いもよらず、不思議でならなかった。

そのうち大家が出て来て、無残に剥がれ落ちた天井のプラスターを眺めながら「気にするな」と言ってくれた。

翌日ワタシは、「排水穴から流れる水は排水溝へ合流して適切に流れる事になっている筈なので、その辺りの問題を直して貰えないか」と頼んだのだが、すっきりした返事が返って来ないまま、「とりあえず排水穴より上まで湯を張らないでくれ」と繰り返される。納得が行かないが、仕方が無いので、とりあえず引き下がる。

それ以来、水位には極力気をつけていた。



ところが今回は、その束のメールの処理に神経が行っていて、湯を張っていた事をすっかり忘れていたのである。

はたと気付いて慌てて湯を止めに行ったが、その頃既に階下でざあざあと湯が降っている音が聞こえていた。

ああ、やってしまった。

ワタシはすぐさま下へ降りてその惨状を確認すると、また階上の部屋へ戻ってバケツと大鍋と古バスタオルを手に再び階下へ降り、それらをあてがった。そして直ぐ脇のドアをどんどんと叩いて、大家一家の人を呼んだ。

暫くして、眠そうに目を擦りながら大家の奥さんが出て来た。ワタシが事情を説明し詫びるのと同時にその惨状に目をやった彼女は、ああと声を上げ、「地下まで水が行ってやしないかしら」と言った。それから、そこに敷いてあったマットなどを外へ出してフェンスに掛けておくように言いつけ、「気にしなくて良い」と言ってくれた。

ワタシは「湯は止めてあるので、一頻り降ったらいずれ止まるだろうから」と言って、再び謝り、階上へ戻った。


その惨事に少なからずショックを受けたワタシは、風呂場をとりあえずそのまま放置しておく事にして、メールの処理に戻った。


それから暫くして一通り用事を済ませると、明日は早いので、いつものように朝にシャワーを浴びるのではなく、夜のうちに風呂に入っておこう、と思い立つ。

風呂場は先程と変わらず、水位が排水穴すれすれである。

ワタシはこれを少し抜いて、水位が充分穴より下にある事を確認してから、湯を足して温度調節をしながら風呂に入る事にする。

湯船の下にある排水溝の栓を抜く。それから衣類を脱ぎ、髪をほどいたりしながら片足を湯船に入れ、温度を診る。元々熱い湯を張っていたので、思った程温んでいないから水の無駄が少なくて良かった、などと思う。

水位が下がって来たので、今度は両足を入れてそろそろと身体を沈め込もうとしていると、階下から人が駆け上がって来るような音が聞こえる。そして間も無く、どんどんとドアを叩く音がする。

まさか。ワタシは急いで風呂から出ると、そこに掛けておいた布切れをまとって、答える。大家の奥さんが、「また水漏れがしているのは、どういう事なの?」と言っている。

「お湯を流す為に栓を抜いただけなんですけど」と言いながらドアを開けると、布一枚まとって出て来たワタシを見るなり、奥さんは忽ちヒステリックに怒鳴り始める。


「何時だと思ってるの!?一体何時まで風呂入ってるのよ!?地下まで水が漏れて来てるじゃないの!御免なさい?一回目は御免なさいで済んでも、これで二回目じゃないの!御免なさい、御免なさいって、冗談じゃないわよ!謝れば済むって問題じゃないのよ!何時間風呂入れば気が済むのよ!既に問題が起こってるんだから、今日はちゃちゃっとシャワーで済ませればいいじゃないの?何でまた風呂入ってんのよ!?冗談じゃないわよ!」


彼女の怒りは尤もではある。早朝から仕事に出掛ける旦那に合わせて、彼女も早寝である。それを一回目の水漏れで起された上、それから三時間程してぐっすりと寝入った辺りで、又しても水漏れで起こされているのである。

ワタシは「起してしまって申し訳ありませんが、でもずっと風呂に入っていたのではなくて、今から入ろうかと思って、少し水を抜いていたんです」と弁解するのだが、それは殆ど聞こえていない様子である。

そうして怒鳴りながら階下へ降り、先程のワタシの古バスタオルで床を拭くと、彼女は大きな音を立てながらばたん!とドアを閉めて行ってしまった。


その様子を見ながら、ワタシはみるみる不安になる。

風呂の栓を抜いただけでも水漏れがするというのは、どう考えても異常なのではないか。それに、その事で何故ワタシがまた怒られなければならないのだ。

シャワーだけを使っているのなら然程問題無いのかも知れないが、ひとたび湯を溜めて、ある一定以上の水が流れ始めると、許容出来ない程に問題があるパイプ、という事なのだろう。そうなると、「風呂」として湯を溜めて使うのは今後避けなければならないのか。でもそれならば、「フル・バスルーム」として、湯船を備えたバスルーム付きの部屋を借りている意味が無い。

だからと言って、ワタシは何も毎日「風呂」に入らせてくれ、と言っているのでは無い。

そういう訳でワタシは、多くのこの国の人々同様に、通常は朝にシャワーを浴びて簡単に済ませているのである。それも、ここで暴露してしまうが、冬場は必ずしも毎日の事では無い。「風呂」に浸かるのは、主に冬場、二三ヶ月に一度、という割合である。本来ならもっと頻繁に風呂に浸かりたいところだが、そういう「曰く付き」の風呂だから気になってしまって、そうそう落着いて風呂にも入れないでいるのである。


ワタシはそれから、排水溝の栓は抜かずに、風呂の水を鍋でもって汲み出すとそれをトイレに捨てる、という作業を暫く繰り返す。もう恐ろしくて、とりあえず今晩のところは、排水溝から水を流す事など出来無いのである。

一通り水を汲み出すと少し安心して、ワタシは寝床に入る。

しかし、本来その不適切な配管工事に問題がある筈なのに、それを言っても直しもしないで、何故ワタシがあれ程までに怒鳴られなければならないのか、と憤り始める。忽ち眠れなくなる。

そもそも、彼らが「パーティー」はしないでくれ、というルールを契約に課しているから、ワタシはここへ越して来て以来、友人を招いた事が殆ど無い。その癖彼らは、家族や知人を招いて四六時中「パーティー」をやっているから、正直言って非常に五月蠅い人々である。

また孫たちを預かっている事も多いので、朝っぱらから子供の泣き叫ぶ声やどたばたと走り回る音がひっきりなしの日も多いし、また大家が週末の午前から自国語ラジオ放送を大音量で聞いているので、ガレージ付近からのその音でワタシは毎週末起されている。

しかしワタシは、そんな事に文句など付けずにやり過ごしている。

これまで大家や同居人などの問題であちらこちらを転々とする羽目になった経験から、ここでは出来るだけ「良い店子」として、家賃を期日前にきちんと納めるとか、一々文句を付けないとかいったように、こちらから問題になるような事は出来るだけしないで済まそうと、ワタシなりに努力して来たのである。

出来るだけ目立たぬよう、問題にならぬよう心がけて来たというのに、何故そのワタシが彼らの怠慢による問題の所為で怒鳴られ、「冗談じゃないわよ」とまで言われなければならないのか。ワタシが「ふざけている」とでも思っているのか。



そんな憤りでまんまと睡眠時間を削り、ワタシはぼんやりしながら、早朝から出掛ける仕度をする。

昨夜風呂に入りそびれてしまったから、今日こそはシャワーを浴びたいところである。しかし階下の人々が「昨夜何時間も風呂に入った癖にまたシャワーを浴びているのか」と怒鳴り込んで来そうな気がするので、台所の水道でもって髪を洗い、身体全体は清拭して済ませる。


慌しく準備をしながらメールのチェックをすると、昨夜ボスに送っておいたメールの返事が来ていた。

ところが、予期せぬ事が書いてあって、ワタシは暫く放心する。



長くなったので、明日の日記へ続く。



2006年03月27日(月) ムカつく事が色々と起こっているが、それでも日はまた昇る。

昨日、予期せぬ問題が立て続けに起こったので、ちょっと落ち込んでいる。

睡眠時間を削った割にさしたる解決策は未だ見つかっていないけれども、それでも日はまた昇る。傷跡も生々しいそれらの問題を押しのけて、今日は早朝から出掛けて、子供たち及び新しく知り合う人々向けに「さわやかさん」を演出しなければならなかった。ジャバ(珈琲)抜きでよくあれだけ出来たものだ、と今日一日の自分のパフォーマー振りを振り返って、ちょっと褒めてみる。

内部の諸々の個人的感情的事情を無関係な他人にぶちまけるには、ワタシは少々年を食い過ぎている。他人に対してフェアでありたいし、また特に初対面の人に陰気な人間だと思われたくない。不幸せそうな人に、幸せな人は寄り付かないものである。

しかし人生というのは良くしたもので、そういう時でも何かしら偶然に良い出会いを与えてくれたりするので、そうかそうか、まだくたばるなというのか、では今日はこのまま良い気分を持ち帰ってゆっくり休んで、明日改めて解決策を練る事にするよ、と少し元気を出す事にする。

出来れば明日起きる頃には、問題がとろけて無くなっていれば良いのに、と思う。





寝る前に思いついたのは、どの問題もワタシはそれぞれの当事者に対して、「ワタシの方が寧ろ折れてやっているのに、何故ワタシが今頃非難などされねばならないのだ」、「黙っていれば良い気になりやがって」と思っている、という事である。

今日は疲れているので、頭を整理して、詳細は明日記す事にする。


2006年03月18日(土) 「島国根性」だって

ワタシときたら、本当にここ数日ちっともやる気が無くて、懸案事項は吐く程あるのに、作業が全く進まないでいる。

しかも昼夜が逆転してしまった日が一回あったと思ったら、以来生活を元に戻すのに大変難儀している。ついつい日中の能率が上がらないので、困っている。

しかし流石に来週には幾つかの会議が詰まった「今月最も忙しい週」を迎えるので、この日記を書き終えたら早速取り掛かる事にする。


今日気になったのは、偶々某所で目にした議論である。

人々は、どこそこの航空会社の方が「サービス」が良いからお勧めなどと言って、幾つかの航空会社の名前を挙げて、彼是と語っていた。

しかしその「サービスの善し悪し」というのは、当然ながら「二ホンジンであるその当人」の基準をもってしての判断だから、別の人「二ホンジンその二」や、更に別の国の人、例えば「亜米利加人その一」や「中国人その一」からしたら、「二ホンジンその一」がサービスがなっとらん!と判断した航空会社であっても、いや特に悪いとは思わないけど?という場合も当然有る筈である。

その一連の議論を読みながら、ワタシはこれは果たして有用な情報と成り得るのだろうか、と暫し悩む。

その後、そういえばこの議論の読者の殆どは「日本在住の二ホンジン」だったのだという点に思い至り、彼らに取っては特に問題無しと判断して、一応この一件は良しとする。

しかし何だか後味が悪い。

つまり、「我ら二ホンジンは一定の常識とか判断基準を備えているもの」という思い込みは、「自分が良しと思うものは他人も良しと思う筈」という押し付けとなり、天邪鬼なワタシなどには到底受け入れ難いという話である。



ワタシは日本の人々が良く口にする「島国根性」という言い訳が、嫌いである。

つまり、我らは島国の民だから、独特の国家観念や文化を持ち合わせているので、他の(大陸の)皆さんにとって奇妙な言動があっても、その辺りは見逃して貰いたい、といった様な言い分である。

そんな事を言い出したら、英吉利も島国だけれど、だからと言って国際関係・外交上「俺様は特別扱いされるべきだ」などとは言わない。尤も、帝国的・過去の栄光を追い求める的観念が彼らに皆無とは、勿論言わない。しかし、国際社会にある一定のルールだとかスタンダードに沿って他国の皆さんと関わって行く心積もりは、一応有るように見受けられる。

そこへ行くと、二ホンジンの「島国根性」というやつは、自らを卑下しているように見せ掛けておきながら、同時に特別扱いを所望しているようにも聞こえる。それはまるで、国際社会の一員としてそれなりに妥協・強調などする気は実は無いので、寧ろ相手に曲げて貰いたい、と言っているようにも聞こえる。

色々な場面で目にするこの「日本文化特別説」を打つ人々、「にわか日本文化評論家」、「似非国際親善者」の類の人々が、実は単に甘えているだけのように思われる、今日この頃である。



2006年03月14日(火) 満月の夜に若気の至りを思う

何やら妙にでかいまん丸の、満月の夜である。


実はmixiで持っているもうひとつの日記に、書かずにいられずについ書いてしまった一件がある。

そこの日記はオープンにしていて、書かれている当人が見に来てしまう可能性があるので、更にそこでは面が割れているので、ひとまず英語で書いておいた(余り足しになっていない気もするが)。

しかしここは知られていないので、堂々と日本語で書く事にする。いひひ。



昔々、「花も恥じらう、うら若き乙女」であるワタシが正真正銘にもっと若かった頃、ある一定期間「お付き合い」していたオトコノコがいた。

とは言っても、なにしろ中学生のやる事なので「お付き合い」と言う程大層な事はしていないのだが、兎も角ワタシとそのひとつ年上のオトコノコとは一応「恋人同士」という事で周知の関係にあった、の意である。

(しかし彼については特に「惚れた・腫れた」というより、どちらかというとひとつ上の先輩らからそれ以上シメられない為の「保身的要素」が計算にあった事は否めない。何だか物騒な時代でしたね。うふふ。)

笑いを堪えて話を進める。

彼是二十年以上音信を経っていたので、彼が一体どのような大人の男になったのかを知る由も無く、ワタシは異国の地で平和に暮らしていた。

ところがある日、当時のクラブ活動時代の友人を通じて、その部活のOB会(というとまるで男しかいなかったみたいで嫌な言い方だけれど)のウェブサイトが出来たという知らせを受けて、ワタシはそこへ覗きに行ってみる事にする。そこでワタシは、そのOB会の「同窓会」という名の、要するに「多世代飲み会」が執り行われたらしい、という事実を知る。

そのサイトは「関係者以外立ち入り禁止」という事になっているので、その中での会話に参加するとか「同窓会」時の写真やビデオを閲覧するなどの為には、管理人であるその「かつてのボオイフレンド氏」の許可を得なければならなかった。

許可を得る為「お願いメール」を打つと、暫くしてパスワードなどの情報が送られて来て、入場する事が出来た。

お陰でワタシはそこで公開されている写真やビデオなどを目にしたのだが、寄る年波の所為か、面識がある筈の多くの人々について、「一体これは誰?」というように、当時の面影の全く無い人々もいて、大変驚いた。

しかしもっと驚いたのは、そこでビデオカメラを回していると思われる人物(つまり「かつてのボオイフレンド氏」の事だが)の口の利き方だとか奴が付けたと思われる「ビデオ・アルバム」編集時のコメントに対してであった。

それは一寸失礼な物言いが多かった。

またビデオ撮影時にコメントを求められている相手(これは多くが彼の先輩たちなのだが)が、困惑したり気を悪くしたりしている様子が手に取るように分かるのである。あんまり非常識なので、聞いている此方も恥ずかしくなるような有様である。

人々の心理状況をあからさまに露呈するこの「ビデオ」というものについて、ワタシは感心すると同時に、一寸背筋が寒くなったものである。


また昔の男というものは、同窓会などで数年後に会った折、「むむ、やはりあの時別れないでおれば今頃…!」だとか、そこまで行かなくとも、「まぁいい年の取り方をしていて、良かったこと」などと気分良くおれるので、出来れば「いい男」に成長しておいて貰いたいものである。

しかし逆に「男を下げている」場合では、向こうさんがお気の毒なのは勿論だが、此方も見る目の無い女だったという事実に打ちひしがれる羽目になるので、互いに不幸である。

若かったとは言え、これは痛い。



ところでその「入場許可」の序でに、彼から個人的なメールが送られて来た。

そこには、近況報告と思われるものが何故か「箇条書き」で、長々と書かれていた。

ワタシは一応昔のよしみで、簡単に返事を書いてやる事にした。


しかし実際問題として、二十年以上連絡を取り合っていない人とのメールは、ワタシにとっては真っ赤な他人に対するそれとほぼ同様である。

何しろ相手がどういう人物になっているのか皆目見当が付かないのだから、ある程度他人行儀な挨拶のようなものも必要だろうし、また余り個人的に突っ込んだ内容には触れない方が賢明かも知れない、などと思う。

しかし彼のメールは、此方が聞かぬうちから相当に個人的な話を暴露してくれていた。それはつまり、ワタシも同様の内容を暴露する事を求められている、と解釈すべきかしら。でもワタシ、貴方の事は良く知らないのに。


暫し葛藤が続くも、ワタシは意を決して、当たり障りの無い点に付いてのみ大雑把に伝える事にした。

すると忽ち返事がやって来た。

ワタシを驚かせたのには、彼の返事の内容はすっかり「大きな勘違い」に満ち満ちていた点である。

つまり、ワタシの返答から拡大解釈して、勝手に「自分ワールド」の基準でワタシの今の暮らし振りなどを彼是と語っているのである。

想像力が逞しいと言ってしまえばそれまでなのだが、例えばその言葉遣いなどが非常に横柄で、如何にも昔からの知り合いでしかもあちらの方がひとつ年上であるから許されるとでも思っているかのような、人を小馬鹿にしたところもあったので、ワタシはその「暴走振り」に驚かされた。

(ちなみに彼は、車両を用いて「集団で暴走する人々」とは、一切無関係である。)

更にワタシが吃驚したのは、いい年をして彼は「ボウイ」というその昔はやったロックバンドの「コピーバンド」を(今更)やっているという点である。確かに「それ」が大昔流行っていた事はワタシも承知しているが、未だに日本で大人気かどうかという点については、不明である。

しかも当時間も無く生まれる予定だった(後妻との間の)長男には、そのバンドのヴォーカリストの名前を頂いて「京介」と名付ける予定、との事であった。明らかに「それ」には相当入れ込んでいるらしいところが、また気味が悪い。

こんな親の元に生まれる子供を少々気の毒に思うと同時に、こんなのが自分のダンナじゃなくて本当に良かった、と若かりし頃に少なくとも「取り返しの付かない間違い」は犯さなかった自分に、安堵する。

そして更にもっと驚いた事には、その「OB会サイト」や彼自身のウェブサイトにある彼の写真を見ると、どれも真っ黒なサングラスをして前髪を長く垂れ流し、斜(はす)に構えて、集合写真でひとりポーズを取る不気味な彼の姿が映っているのである。

間も無く四十になるというのに、一体何をしているのだ。

これでも彼は一応音楽一家に生まれ、音楽大学付属高校から大学への一貫した英才教育を受けた筈の「お坊ちゃま」なのである。

それが何時の間にやら、折角入れて貰った音大を中途退学するという親不孝をして、何故か「コンピューター・エンジニア」の道に入り、彼曰く「色々な偉いさんとも付き合った」のち起業に至る。前妻は「お前(←ワタシの事)みたいに」非日本文化に慣れてしまっていたから、「ガイジンとも沢山交友した」のだが、そうした非日本性が「最終的には離婚の原因になった」のだそうである。

と八つ当たり的に当時の様子を語られるワタシには罪は無い筈なのだが。不可解である。


それらの写真を眺めながら、つくづく、ワタシはこの人物とは知り合いだとすら思われたくない、と思うのであった。


その後、その「勘違いメール」の勘違いを解くべく、ワタシは解説を加えるなどの努力を試みるが、しかし彼は更なる勘違いを重ねる。

そのうち、ワタシが「新たな職探しを始めるところだ」と言ったのを「昔より綺麗になっていたら俺の会社で使ってやってもいいぜ 笑」などと、ビジネスの話の最中に突然「男尊女卑的冗談」をかまして平気でいるという、セクシャル・ハラスメントの自覚が無い人に有りがちな無神経振りを発揮する。

それは忽ちワタシの不信感を煽り、そこへ彼が長々と言い訳を延べ立てて却って墓穴を掘り、更に面倒な拗れ方をする。

最終的には「もうメールは結構ですので、お元気で」と言って以降、ワタシは返事をしないまま、それきりになってしまうのである。


という長い前振りの後、話は最近になって同僚の紹介でmixiというのに仲間入りしたというところへ戻る。

奴は既にそこでサイトを持っており、嫌な予感がすると間も無くメッセージが飛んで来たのだが、ワタシは当たり障りの無い返事と共に、例のOB会の「コミュニティ」というのに入れて貰う事務作業のみ頼んで、それきり関わりを持たない事にする。

mixiには偶々みっつ上の先輩がいて、そこにはワタシも「友人の輪」に混ぜて貰っているのだが、最近旅から帰ったばかりの彼女の日記が追加されているのに気付いて、読みに行ってみる。すると序でに、同様に彼女の「友人の輪」に加わっている例の「勘違い君」のトップの写真が変わっているのにも気付く。

(ご存じない方の為に書くと、mixiというところでは自分の写真をアイコンとして載せる事が出来るのである。しかし勿論厳密に自分の顔写真を載せる必要は無くて、例えば飼い犬の写真やら好きなヒーローの写真など、全く別のものでも良いのである。)

自分の顔写真を載せているという時点で既に相当ナルシスト的と思われるのだが、今度の写真はもっと度が進んでいて、上半身はなんと裸で、得意の斜めに構えたポーズで長い前髪から覗き見しながらこんにちは!という感じの、ワタシ的には相当恥ずかしい様子である。もっと言うと、うぎゃー、吐きそう!といった感じである。

そして当の本人は、それが如何に気味が悪いかという事に気付いていない模様で、尚更不気味である。



…という様な事をまともに書いたら拙いと思ったので、それを英語で書いておいた、という話である。


ちなみに彼は中学時代英語が五段階評価で「1」だったらしいので、万が一ワタシの日記を読みに来たとしても、流石に英文だったら読めないだろう、若しくは、きっと面倒で読む気がしないだろう、という希望的観測である。甘いだろうか。

まぁ英語なんてものは、二ホンジンなら一応学校で習ったのだから、読もうと思ったら読めてしまうかも知れないので、こういう時は仏蘭西語とか独逸語とかはたまたスワヒリ語などといった、馴染みの薄い言語の方が適しているだろう。


言語は道具である、とつくづく思う。

幾つも取り揃えておいたら、きっと役に立つ。



それにしても、意地悪だったかしら、ワタシ。



2006年03月13日(月) 眠り病

眠り病に陥る。

生理が終わったら眠たくなくなると思っていたのに、誤算である。

作業は勿論進まず、ひたすら眠り続けている。

明日は乙女座の「月食」である。

一寸ばかし楽しみでもある。



2006年03月04日(土) 至極当たり前の事共

星回りの所為もあるのだろうとは思うのだが、ここ数日日々の暮らしがなんだか詰まらない。近頃では、ヴォランティア活動に対する意欲も薄れて来ている。

これについては、「ネタが切れて来た」という問題もあるだろう。

夏場だったら戸外で公園の植木の手入れだとかペンキ塗りだとか、またはキャンプサイトの整備や川下りなどの子供たちの課外活動のお供など、愉しみなものが沢山あるのだが、冬場はどうしても屋内の活動が多くなってしまうのでいけない。暖かいのは良いのだが、やはり屋内活動は詰まらない。これにはワタシの性格に因るところが大きいのだろうと思う。

家の無い人々や老人らを対象にした食事提供活動は寧ろ冬の方が多いくらいだが、例の「挙動不審な女」絡みの一件が発展して以来ある馴染みのスープキッチンには当分行かぬ事にしたので、他所のスープキッチンを開拓中である。しかし中々「此れ」というものに出くわさないのも、問題である。

というのも、彼女が再び映画鑑賞の活動にやって来て我が物顔であれやこれやと取り仕切ったりなどしたので、長らくその活動の連絡担当をしている女性とワタシの不審感を大いに募らせる結果になったのである。彼女の余りの厚かましさに呆れたワタシは、その日を最後に当分その映画鑑賞の活動への参加を見合わせる事にして、更に彼女がほぼ毎週出没する某スープキッチンでの食事提供活動の登録も外して、兎に角彼女とは顔を合わせないで済むようにしたのである。

少々大人気無いかとも思ったのだが、しかしこれはあくまで「ヴォランティア活動」であり金を貰わずに自ら進んで他人の為に働いてやっているのだから、せめて自分が嫌な思いをしながら無理強いするような活動はしたく無い、また気に入らない人間に無理に付き合ってやる事も無い、という辺りに思い至り、漸くワタシは納得したのである。


この一件を機に、ワタシはこれまでのヴォランティア活動に対する取り組み方を見直してみる事にした。

ここ暫くは、気が付いたらまるで義務か何かのように、毎週何かしらやらねばならないような気がしていた。何かスケジュールを入れなくてはと駆られているようでもあった。

以前なら活動内容の好みで決めていたのが、最近は特に好みのものが無いのにそれでも何か探し出してとりあえず埋めるというようなところがあって、それは最終的にはその作業に対する取り組み方にはっきりと反映されてしまうという事に気付く。

大してやる気が無いのに、しかし行かねばならないと自分を縛り付けた結果、予定の時間に遅れて行ったり、はたまた見事に当日すっぽかす羽目になったり。幾ら無償とは言え、ドタキャンは他のヴォランティアや連絡担当者に対して失礼である。

それでワタシは、もし特にやりたい活動内容がリストに無いのだったら、無理に週末の貴重な一日をヴォランティア活動に充てる必要は無い、その分家でのんびり過ごせば良いのだ、と決めた。

好きな活動内容がリストに登場したらそれに登録すれば良いし、無ければ無いで空けておけば良い。毎週欠かさずボランティア活動をする程「良い人」で無くても、全く構わない。だって他にもやる事はあるのだから。

やりたかったらやる、やりたくなかったらやらない。

至極当たり前の事だけれども。



今日は、ワタシの気に入っている活動のひとつ、街の学校図書館の整備をする活動をしに出掛けて来た。

これは実は希望者が多くて既に締め切られていたのだが、その活動の担当者と偶々別の活動の際出くわしたので、もし欠員が出たら是非共ワタシを混ぜてくれろと頼んでおいたら、数日後実際そのように取り計らってくれたので、大変助かった。

この図書館整備の活動はほぼ一日掛りで、更に殆ど立ちづくめなので大変疲れるのだが、それでも毎回大いに充実した活動が出来る。他のヴォランティアの人々もてきぱきめりめりと作業をこなして行くので、ワタシも参加していて非常に楽しいのである。


いつものように、現場に到着すると、珈琲とドーナツの朝ご飯が待っている。

今時珍しい、天井の高い作りの古めかしい図書館の内装を眺めながらそれらをつまんで、じわじわと目を覚ます。

作業に取り掛かって暫くすると、図書館司書女史がピザパイをオーダーしてくれたのが到着する。

あつあつを頬張りながら暫し休憩して、他の人々が何時の間にか成し遂げた成果に目を見張りながら、また作業再開である。


この高校の図書館では、倉庫一杯の古い本を大量に捨てなければならないから、もし欲しいのがあったら遠慮無くお持ち帰りを、と言われたので、ワタシも気になった幾つかを頂いて帰って来た。

中でもバルコニーのようになっている中二階の、しかし残念ながら同様に倉庫と化している区域で偶然発見した某専門雑誌の1975年版には、その昔運悪く兄弟続けて暗殺されてしまった政治家のうちの弟の方が寄せた、対ペルシャ湾岸地域政策に関する画期的な記事が載っていて、ワタシは作業を放置して思わず見入ってしまった。

表紙や頁はすっかり茶ばんで無残だが、ワタシは何やら「お宝」を発掘したかのような気分で、ひとりにんまりとしながら、暫し眺める。

実際、古い蔵書を抱える図書館というのは、正に「宝箱」なのである。

今時の高校生にはかび臭くて目もくれたくない、只のゴミにしか見えない代物かも知れないが、あの図書館には恐らく他にも沢山の「お宝」が埋まっていたのに違いない。

いつもの図書館プロジェクトとは一寸違って、今回は自分自身の知的好奇心を満たす出来事があったのに少々驚きながら、ワタシはまた大いに満足して帰途に着く。

しかし、昨夜は税金関係の書類作成の為に殆ど徹夜に近い状態になってしまったので、帰りの電車の中では流石にどっと疲れが出る。

当たり前だが、やはり夜は寝るべきである。



帰宅後、奇妙な議論を発見する。

先日新聞で、ブッシュ大統領がアフガニスタンへ「電撃訪問」を成した後印度へ移動した丁度その頃、後日訪れる予定のパキスタンのカラチの在パ米総領事館周辺にて爆発事件があった、と知った。

その際は、一連の「電撃訪問」計画は安全の為に極々内密に進められていたからこそ「電撃」の筈なのに、「なんだ、テロリストにはすっかりバレバレじゃないの」と思わず笑いこけた。

それに少々関連して、今日はインターネットの某コミュニティにて、ブッシュの対印度核兵器関連政策は対イランのそれと全く異なり、「ダブル・スタンダード」である、などと日本の同業者と思われる人々が書いているのを発見して、驚いた。

ちなみにこの件については、新聞などの報道を日々追っていれば明らかなのだが、亜米利加は欧州各国が既に印度政府に接触し、こちらに取り込みつつ西側基準を徐々に受け入れて貰うよう働きかける、という作戦に呼応しているのに過ぎない。当該地域情勢の現状から言っても、印度に「核兵器を諦めろ」と言うのは甚だ現実的で無いので、これ以外に西洋諸国としては打つ手が無い、というのが実際である。

その二ホンジンの「専門家」の筈の人々は、一体何を勘違いしたのだろうか。在りがちな「矢鱈滅法な亜米利加批判」だが、まるでそれは根拠の無い「コンスピラシー・セオリー」をプロ自ら煽っているかのように聞こえて、ワタシは甚だ不愉快になる。

プロが専門分野で口を開く場合には、ちゃんと自分の説を証明出来なければならない。そうでなければ、それは業界全体に対する「冒涜」であり、真面目にやっている本当の「専門家」に対する侮辱である。無闇に「専門家」であるなどと騙(かた)ってはいけない。一般人は騙せても、本当の専門家にはお見通しである。

この業界の人間なら直に「裏」に気付くような事なのに、これはその某コミュニティのレベルが低いという意味なのだろうか。読むだけ時間の無駄なのだろうか。

自問自答する。



きっと疲れているのだろう、ワタシ。

さっさと飯を喰って寝るが良いと思う。



2006年03月02日(木) 脂肪問題に悩む

雪模様につき、うちで作業に励む。

うちにいても、所属機関の業務連絡用メイルリストから日々様々なメイルが送られて来るので、一応用は足りる。しかし業務毎のメイルリストに掛け持ち参加していたりすると、一日の総合的メイル量は馬鹿にならない。

今日はこうした束のメイルをさばいているうち、ある間抜けなメイルによって、ワタシの思考は暫し固まった。

それには、「誰々氏を招いた催しが開催されます。詳細は僕のブログにて。」とある。

…仕事中に手前のブログなんか一々チェックしている暇があると思ってんのか、この馬鹿たれ。一回のメイルで用事が足りるようにしやがれ。

と、ワタシはちょっぴり切れそうになってしまう。そりゃあ、自分のブログには多くの人に訪れて欲しいという製作者の心情は理解するが、それを業務用のメイルリストでやるからには、人々のワークロードにもう少し配慮するものじゃないのか。誰か文句を言わないものかと思うのだが、特に反応も無いので、暫し脱力する。


今日は、水星が逆行に入ったところである。

お約束のサーバーダウンがあり、ここ数日はオフィスで用が足せず、ワタシは結局行くの自体諦めて家に居るのだが、平行して意欲も落ちて来てしまって、中々作業が進まない。

そこで今日はすっかり計画を変更して、本来業務を無理強いせず、税金関係の書類作成を済ませてしまう事にする。まだ期限までは少々あるが、いずれやらねばならない作業でもあるので、先にこの面倒を片付けてしまう。達成感を味わったら、それをそのまま本来業務に向けて一気に完成させてしまう心積もりである。


ところで、ここのところコンピューターに張り付いて作業をする事が多いので、気付いたら特に下半身の「むちむち振り」が露になっているのに、大変驚いている。

ワタシはもう若く無いのだ、とこういう時思い知る。特に運動などしないでも着実に代謝していた若い頃が懐かしい。

実は下半身用の「サウナスーツ」というのを持っているので、それをつけてみる。しかも、本来は「就寝時には使用してはならぬ」とあるのに、背に腹は変えられぬとばかり、禁を破って着用のまま寝てみる。

すると案の定、ワタシの柔な皮膚は見事に汗疹にかぶれ、掻き毟るにつれ忽ち真っ赤になる。無茶は禁物である。

しかしワタシの今の暮らし振りでは、この一仕事が終わるまでは、どうにも運動の時間が取れない。

先日は思い余って「ルームランナー」とかいう運動器具の購入も考えたのだが、しかしそれが恐らく重たいものであるという事と、いずれ引越しの際に邪魔になるかも知れないという点を考え、思い止まる。何とかして定期的な運動の機会を見出さねばならないと焦る。


来月になったら、ワタシは友人の結婚式の為に南国へ出掛けて、水着姿でビーチを徘徊する気でいるのである。巷には既にそうしたヴァケーション用に水着やリゾートドレスの類の物が売られ始めている。何とかしなくては。


そういう訳で、今日は心持ち「炭水化物」を少なめにしてみる事にする。


昨日翌日
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