せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年12月18日(日) 挙動不審な女再び

そういう訳でワタシは最近小旅行に出掛けていたのだけれども、帰ってみたらメールがどばと溜まっていたので、うわあと思いながらも一通り作業を進め、帰宅後二日間程を卓上での作業に追われて過ごした。


そのうちの、あるヴォランティア仲間の女性から来たやつは、ワタシを特に困惑させた。

それには、もう直ぐクリスマスなのでオリジナルのカードを作って送りたいから、住所を教えろ、とある。


ワタシの反応は、以下の様である。

1.郵便受けにまた余計な紙類が増えるのは、面倒である(旅行の直後なだけに、尚更そう思う)。

2.環境に悪いから、紙の無駄遣いは避けるが良いと、最近では請求書なども出来るだけメールにして貰っているのに、時代に逆行する。

3.そもそもワタシはクリスチャンでは無いので、クリスマスカードは必要無いし、気味が悪いから出来れば貰いたくない。

4.今の時代メールアドレスでなく自宅の住所を教えろというのは、一寸プライバシーに立ち入り過ぎである。

5.しかも彼女は家族や友達では無く、時折会う只の「ヴォランティア仲間」に過ぎないので、そういうプライバシーに踏み込んだ個人的なものを貰う謂れも無いので、尚更気味が悪い。

6.更に、家族関係に恵まれなかったワタシは、そういう親しい家族や親戚間でやる事になっている習慣・風習的イベントには、出来れば関わり合いたくない。


ワタシはそれに付いての返事を、敢えて書かないでおいた。

しかし彼女は別件でもメールを寄こしていたので、仕方なくそれには返事を打ったのだが、そうしたらまたそれに返事を寄こして、「そうそう、貴方は私に住所を知らせるのを忘れているわよ」などと言って来やがったので、ワタシは更に気分を害した。

忘れてなんかいませんよ。アンタに住所を教えたくないから、無視しているのです。

はっきり言ってやろうかと思ったのだが、こんな事で角が立って後のヴォランティア活動に支障があっては宜しくない、と思い止まる。



昨日は毎月恒例の、エイズ患者の皆さんの施設での映画鑑賞会のお世話をしに行った。

彼女は別の施設の常連ヴォランティアなのだが、ある日ワタシに他にはどんな活動をしているのかと聞くので、ワタシも深く考えずにあれとかこれとか、と教えてしまった。

すると、貴方が常連になるくらいに楽しい活動なのなら、是非やってみたいわ、と言っていよいよこの映画のにも来る事にしてしまったそうで、それを先々週辺りに会った際知らされて、ワタシは「嗚呼、しまった」と思った。


彼女はワタシの事が好きなのだと思う。

「レズビアン」という意味ではない(と思う)けれども、ワタシの気を引きたい様子なのはいつも明らかである。黙って好きなようにさせておいたら良いのは分かっているのだけれども、残念ながらそこまでの度量の広さがワタシには無い。何やら気味が悪くてならないのである。

例えば、会う度に服のセンスやアクセサリーを褒めたりだとかいう、非常に「女女」した事を良くやる。ワタシはそういうのが余り好きでない。

仕方が無いから、ワタシも気付いた時には出来るだけ彼女の持ち物を褒めるようにしているのだけれども、それはワタシの本来でないから、居心地が悪い。

それから彼女は「皆で」何かを一緒にやりたがるので、例えば作業が終わったらワタシたちはさっさと帰っても良い訳だが、彼女は常連仲間を集めて帰りに珈琲でもとか何処かへ寄って帰ろうなどというように、良く人々を誘う。

ワタシも最初にまんまとそれに乗ってしまって、それが何時の間にやら常態化してしまっているのはワタシの弱いところでもあるのだが、何しろその施設にヴォランティア活動に行く度にそんなのがあるので、偶にはワタシもひとりで買い物をしたり雑用をして帰りたかったりするのだが、そういった「ひとり行動」が遣り難いので、少々面倒である。

また彼女は人の顔色を伺いながら話をしている節があるので、明らかに自分に自信が無さそうで頂けない。更に、此方の発言がそんなに気になるのか、と却ってワタシの方が話題や言葉に気を使ってしまって、正直とても付き合い辛い。


以前にも確か、どうでも良いような事で一寸ばかし険悪になった事があるので、ワタシとしてはそういう面倒臭い人とは出来るだけ関わり合いになりたくないのだが、どうやら向こうさんがワタシと関わりたいみたいなので困ったなと思っている、という次第である。


と此処まで書いて、その「以前」の日記を読み返したら、そういえばその際にも「挙動不審な女性」だと書いているではないか、ワタシ。


話を元に戻すが、そういう訳で昨日はその映画鑑賞の際彼女に会って、更に追い討ちを掛けるように「住所を教えろ攻撃」に遭う。

しかし結局、「うーん、いや、止めとく。そういうのくれようとしてるなんて、嬉しいけど。」と断ったら、意外と素直に引き下がってくれたので良かった。


でもこれがもし、宗教上の理由だとか「家族との楽しい時代を思い起こして悲しくなる」とかなんかでワタシがもっと傷ついたり怒ったりしたら、どうする気なのだろう。

自分は良い事をしているつもりでも、相手に取ったら全然良くない事だって、世の中には沢山有る。「悪気は無かった」と主張するだろうけれど、それで何でも済まされるとしたら、誰も傷つきやしない。お節介も大概にしないと。



そういう訳でワタシの住処は彼女には知られないで済んだ訳だが、しかし彼女の様子を普段の施設とは違う場所でなんとなく客観的に見ながら、何故彼女が他の施設の人々から疎まれ干され、あの場所でしか仲間に入れて貰えずに今に至るのかが、漸く見えたような気がした。

彼女は、大変気前良く「与える」人である。しかしそれは、少し「個人的」過ぎる。立ち入り過ぎて人々には反感を買うし、ワタシなどには却って気味が悪いのである。

昨日のように、彼女にとって初めてやって来た活動の場であっても、彼女は自分のやり方で強引に侵入する。相手(ゲスト、今回の場合はエイズ患者、他の施設ではホームレスや老人)とより「個人的」な関わりを持とうとする。そうする事は、自分が相手の立場に立っているからだと信じて疑わない。

しかし傍で見ている方は、特にそれがその場所で長らく活動して来た常連ヴォランティアだったら、それはきっと厚かましく映るだろう。本来そういう縄張り的な事に無関心なワタシでも、これは人によっては相当鬱陶しいだろう、と昨日初めて気が付いた。

そして彼女個人対ゲストとの関係、という事で言えば、それはつまり、相手が「お気の毒」な立場に居る、と断定している事にもなるから、問題である。

相手が「お気の毒」で、自分は「与える立場」と、はっきり境界線を引いている訳である。自分でも気付かぬうちに相手を貶め、逆に自らをより良く見せようという作用が働いてしまう訳である。


ワタシはそういう、見てみて!ワタシってとっても良い人でしょ?お気の毒な貴方の為に、こんなに色々して上げてるんだから!というような、「これ見よがしの偽善者」が大嫌いである。心理的問題の匂いがぷんぷんして、出来るだけ離れていたいと思う。


良く考えたら、例のスープキッチンでも彼女を疎ましく思っている人が多いという話は、割合良く聞く。

彼女自身もそれは知っていて、しかしそれが何故起こるのか分かっていないし、だから態度を改める必要性を感じていないようなので、彼女はそのまま「自分らしさ」としてそれを維持して行くのだろう。



今回限りで、その映画鑑賞の活動には来ないでくれると良いと思う。

ほら、電車だって幾つも乗り継がなくちゃいけないし、都合が悪いでしょう?止めといた方が良いよ。うん。夜も遅くなるから、夜道が心配でしょう?大変大変。さっさと帰った方が良いよ。

次回までにもし会う事があったら、きっとそんな風に言ってしまいそうである。



昨日翌日
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