せらび
c'est la vie
目次昨日翌日
みぃ


2005年11月30日(水) そろそろ冬眠期

何故だか知らないが、このところ矢鱈に眠い。冬眠期がやって来たのに違いない。

人間も冬眠するのが自然の理に適っていると思うのだが、どうだろう。

とは言え、生憎ワタシにはまだまだやる事が山積み状態なので、今のところ冬眠している場合で無いのが残念である。

ならばそのうち冬眠出来る日が来るのかと言うと、それも怪しい。


本来なら、ワタシは夏の間に「夏休み」を取る予定であった。

しかしあんな事やこんな事にかまけているうちまんまと機を逸して、結局秋の大忙し期に突入してしまった。その秋も途中までやって来た辺りで、ふむ、この調子では休暇の時期になっても休暇など取れそうに無いぞ、という事実に直面して俄かに蒼くなる。

一年のうち一度くらいは、どこかで休みを取るべきだと思う。どこか別の街へ出掛けて行って充電し直す時間というのは、誰にでも必要だと思う。ワタシにも必要。ワタシだって休暇を取るべき。そうそう。

だから来週末に、ほんの数日だけれど、旅行に出る事にしたのです。

でも他人の出張に便乗するのだから、あちらも遊びで来るのじゃないし、ワタシもヴァケーションという程のヴァケーション気分にはならない気がする。もう一寸きちんと休みたいものである。



それにしても「暦」というものは、ちっとも待ってくれやしない。無常なるかな。

気が付くと、知らぬ間に暦は先へ先へと進んでおり、何だか日にちを随分損したような気がするヮと呆けているうち、更に暦は過ぎて行く。「師」が走るというより、「暦」が走っているような気がする。

そういう忙しい盛りには、我々の頭の中はすっきりはっきりとしておらねばならない。誰もが大急ぎで仕事をやっつけようとしているのだから、こちらもそれぞれに対応すべく、臨機応変にやりたいところである。

ところがそういう肝心な時に持ってきて、ワタシの頭は何だか始終眠たくて仕様が無い。只のPMSだと良いのにと思う。


PMSと言えば、ワタシももっと若い頃は彼方此方痛かったりだるかったりと大騒ぎだったのだが、ここ数年は見違えて楽ちんな月のものを迎えている。「ホルモン」とは、偉大なり。ワタシも着実に年を取っているらしい。

折角神様だか何様だかが、ワタシにも自らのDNAを再生する機能を備えてくれたらしいのだが、「宝の持ち腐れ」で終わってしまいそうな気もして、なにやら寂しい気もする。

一応、折角の「宝」を何とかして次世代へ繋いで行こうという心積もりだけは、こんなワタシでも持っている。只、偶々それに見合った逞しいスパーム(sperm)の持ち主に巡り会えていないだけの事である。


昨日の日記でも一寸書いたけれども、価値観が同様な「好い人」というのが、今のところワタシの周辺にはひとりとして存在しないのは、残念な事である。

「親切なオトコノコ」とか「何故だか知らないがワタシの事を大変気に入っているらしいオトコノコ」とかいうのだったら、ちらほらと出くわす。または時折遊ぶのならまあ良かろうといった程度にお金や外見の持ち合わせ、また女の扱いの心得のあるオトコノコというのも、意外とそこいらに転がっている。

しかしワタシが望んでいるのは、「弱虫」ではなくて「逞しい」オトコノコだし、しかし「乱暴者」ではなくて「ヒューマニスト」なオトコノコであり、だからと言って「ナイーブ」だったり只の「ブックスマート」ではなくて「ストリートスマート」なオトコノコでなくては困るし、更に「物欲主義で見栄っ張りのお馬鹿さん」ではなくて「ものを見る目を備えた理性人」なオトコノコであって欲しいのである。

そんな事を言っているうち、前述のワタシの周りにいるオトコノコたちというのは、このうちどれかひとつかふたつしか備えていないし、またそれ以上のものをワタシの為に備えたいとは格別思っていないらしいという事が分かってくる。

ワタシの為に是非ともいい男になろうではないか、と思ってくれるオトコノコがいないというのは、女としても残念な事である。

しかしひょっとすると、そういうワタシが望んでいる性質をすっかり備えているか若しくは将来的にその素質があると思われるオトコノコを探しているより、ワタシ自身がそれを全て手に入れた方が手っ取り早いかも知れない、という気もして来る。

人に期待するより、自分でやっちゃった方が早い。

こういう元来の性質は、この場合少々痛い。


そう言いつつ、ワタシも一回くらいは嫁に行って、ひとりじゃ出来ない人生経験をしておくのも悪くは無かろうとは思ってはいるのだけれど、勿論「好い人」さえいたら早速明日にでも嫁に行ったって構わないという心積もりではいるのだけれど、しかしまぁ世の中そうはイカの金玉。



嗚呼、眠い。秋眠暁を覚えず。

日照時間の所為もあるかも知れない、とふと思う。

お天道様が照らなくなると、ワタシの体内時計も狂ってくるし「セロトニン」も少なくなってしまうのだろう。鬱の危機である。

これより高緯度の土地には住めないだろうなぁ。



欧州では異例の寒波で、家の無い人々が方々で多数凍え死んでいるという。

ワタシは最近になるまで、おフランスでは失業率が当の昔に十パーセントを超えているという事実を知らなかったので、出生率が一寸ばかし増えた程度では国の社会福祉の度合いは計り知れぬものだなぁと今更のように思う。



今週末には例の団体の今年最後のイベントの為に、大盤振る舞いして「鶏の唐揚げ」を作ると言ってしまったから、明日辺りから仕込んでおかねばならない。

この糞忙しい時節に、どうして「持ち寄りパーティー」などという面倒な事をやろうと言い出してしまったのだろう、ワタシ。しかも揚げ物なんて、面倒臭くてうちでは殆どやった事も無い癖に。

本当は鮭を塩焼きにしたのを散らした「ご飯もの」を作る心積もりでいたのである。しかしうちには「炊飯器」というものが無いので普段炊きなれない量の米を炊くのに一寸不安がある、と言ったら同僚がそれなら私が「ちらし寿司」を作って行く、と申し出てくれたので、ではワタシは何か別のものを、という話になったのである。

面倒臭い。

面倒だから、インスタントの唐揚げ粉を買って来てやる。

添加物が気になるが、自分は味見に留めるから良しとする。酷い話だな。



2005年11月29日(火) サボっていた分を取り戻すべく書き散らす

またしても日記からご無沙汰。ここ数日は水星が逆行中の所為か、特に大きな問題も無く、割合静かに暮らしている。

だのに何故、日記を書けずにいたのかと言うと、実はそういう訳で本業関係の作業が大幅に遅れてしまっているので、それを取り戻すべく日々勉励している所為である。

好い加減ボスから匙を投げられるのではないかと恐れつつ、また来週には友人が仕事で大陸の反対岸の街までやって来るので、それに合わせてワタシも一っ飛びしてヴァケーション!という心積もりで居るので、それまでに粗方の作業を終えてボス様に目を通して貰っておこうという算段なのである。

お陰で、大変慌しい今日この頃である。


あんまり日記とご無沙汰するから、折角色々な事があったのにすっかり忘れてしまいそうである。何の為の日記なのか、分かりゃしない。

ええと、先ず、ここ一二ヶ月の間ワタシを煩わせていた例の馬鹿女非常識な音楽家女性の件だが、ワタシがどうこうと言うまでも無く、他の同僚らも一様にこの女の非常識な言動に呆れ返っていた模様で、来る二月に大々的にやろうとしていたイベントについては大幅に「ダウンサイズ」して、我が団体でいつもやっている小ぢんまりした規模でやろうという事で、目出度く意見が一致した。

立場上どうしてもワタシが口を出す機会が多くなってしまうので、それを「ワタシ」がこう言ったからとか「ワタシ」が駄目だと言ったから(厳密には「駄目だ」とは言っていないのだけれども、彼女は「例えばこういうやり方もありますよ」と言ったのを自分のやり方では「駄目だ」と言われたと勝手に勘違いしてしまうから厄介である)、などの様に個人的に捉えられてしまうのは、代表者として全体の利益を最優先に考えて決断しているワタシの意に反するのだが、しかし彼女のそうした精神・性格上の諸問題についても既に他の人々の知るところであったので、ワタシがあれやこれやと気を回さないでも良い事が分かって、ほっと一安心である。

しかし、元々ボスがこの女性と「友人関係」にある所為で(と言っても、双方共に相手の母国語が殆ど出来ないので、どうやって「友人関係」を維持するに値するコミュニケーションを取っているのかは不明だが)、まるで今回の件ではワタシが彼女の友人と喧嘩でもしたかのように捕えられている伏しがあって、ワタシとしては多少遣り難い事には違いない。

それきりボスが直接ワタシに連絡を寄こさなくなってしまった点については、気の所為だと良いと思う。

明日辺り、ご機嫌伺いに一寸彼女のオフィスを訪ねてみようかとも思っている。しかし彼女から直接金を貰って働いている訳でも無いのに、こういった人間関係上の不都合などは理不尽極まりないと思う。



さて、そんな陰気な話はさて置いて、もう二晩も寝ると、待ちに待った新月である。そして四晩もすると、逆行中の水星が順行に戻るのである。

本当は今直ぐにでも来週の渡航に備えて飛行機と宿の手配をしてしまいたいところなのだが、そういう訳でここ二三日はじっと我慢の子である。

特に今日辺りは、昼飯を買いに行った先で散々待たされ続けたので、危うく店の売り子に怒鳴りつけそうになってしまったくらいである。

別の売り子がやって来て、不機嫌そうなワタシの顔を見ながら平謝りするので、漸くワタシは我に却ってこの星回りの事情に思い至ったから良かった。しかしあれは「ファストフード屋」の癖に全然「ファスト」で無かったのだから、あのままワタシが怒鳴っていたとしても可笑しい事なんかちっとも無かっただろう。

大体急いでいるから「ファストフード屋」に行ったのに、あれじゃ何の為の不味い飯屋だか知れやしない。

その後も何だったか、えらい待たされたような記憶がある。何だったっけか。

おお、そういえば久し振りに通常の歯医者の予約に行ったのにまんまと「ダブルブッキング」されていて、担当の「学生ドクター」嬢は年内空きが無いとの事で、結局来年早々まで予約が伸ばされてしまったのだった。あれは飛んだ無駄足であった。

歯列矯正中で歯が動きつつあって、段々と隙間が広がって来たのだが、そうしたらそこにあった虫歯が良く見えるようになって来たのである。窮屈に詰まっていた頃と比べたら治療もし易いから、今がチャンスである。

それに「インヴィザライン」というやつを使っていると普段唾液が歯に行き渡らないので、普通のブレイスや何も器具を付けていない状態と比べると、数倍虫歯が進行し易いのである。見つけたら早い所治療しないと、みるみる成長してしまう。

しかしまぁそういう訳なので、とりあえずはフロライド入りの歯磨き粉でもってせっせと歯磨きをして、フロスもきちんと隅から隅までやって、食べ残しを徹底的に取り除いた上にフロライドで歯をコートするという以外に遣り様は無いだろう。

フロライドだって、矯正中だからこそ仕方が無いと腹を括って使っているけれども、本来のワタシなら出来るだけ近寄りたくない化学物質ではある。



ところで今回の旅行は、この国ではふたつの大型休暇の合間にあって、何処も彼処も料金が「高め設定」である。

先週半ばには所謂「秋の収穫を与えてくださって神様仏様イエス様に母なる大地様有難う」という休暇があった。

これは恒例で毎年木曜日という事に決まっているので、その週は「大型連休」となり、家族団らんの「七面鳥料理」の為の「民族大移動」が行われる。これは宗教とは直接関係の無い祭りなので、国民的祝日として恐らく殆どの人々がこの行事に参加したと思われる。

ワタシは例によって街のスープキッチンで食事を提供するヴォランティア活動に出掛けたので、いつもの週末と大差無いものだったが、しかしワタシたちは「おこぼれ」に与れなかったので、その点は一寸残念であった。来るクリスマスには、是非ともヴォランティアにも「おこぼれ」を出すというスープキッチンや教会などを探して出掛けて行こうと思う。


しかし土曜にいつものスープキッチンにヴォランティアしに行ったら、その日のスープはワタシの好きな麦と椎茸の入った具沢山のスープで、しかも沢山作ったらしく余りが出てしまったので、漸くワタシは「おこぼれ」に与る事が出来た。

あんまり美味しいから、幾つかのカップに入れて貰って持って帰って来たのだが、家へ帰った頃に既に出来上がった食べ物がある、というのは、何と心躍る感覚だろう。

勿論そんな調子だから、そのスープは二日程で綺麗に食べ尽くされてしまった訳だが、しかしこうして寒い季節に早足で帰宅の途に着きながら、しかし帰れば美味しいご飯が待っている!と心密かに思うのは、素晴らしいインセンティブである。

思わず「スロークッカー」と呼ばれている「電気釜」の購入を検討する。

タイマー付きのこの調理器具は、スープだとかシチューだとかをじっくり煮込むのに最適で、朝材料を仕掛けてスイッチを入れて出掛けると、帰宅する頃には美味しいのが出来上がっているという仕組みで、忙しい職業婦人などに重宝されている。

出来るだけ余計な電化製品は持たない事にしようと決めた筈なのだが、やはり手軽さにそそられる。



先日漸く初雪が舞い降りたこの界隈だが、ここ数日は暖かさが戻って来て「小春日和」である。今日などは袖無しの下着の上に薄手のセーターを着て、更にキルトジャケットで出たら、暑いくらいであった。

休暇の季節だという事が中々信じられないのは、この異様な暖かさの所為でもあろう。お陰で作業が滞っていた事もすっかり忘れていて、「休暇」の声を聞いて俄かに焦り始めるワタシである。きっと巷の人々も皆そうなのだろう。


ワタシはクリスマスを祝う人間では無いので、だからその為のショッピングに行く必要が無いから良いようなものの、そうでない人々は連日大きな袋を幾つも抱えて街中走り回っている。

これはその民にとってはもう「義務」のようなもので、ワタシなどはそんな下らない物をあげる位ならそういう儀礼的な「プレゼント交換」は一切止めにして、本当にあげたい物が見つかった時に何やらの言い訳を作り上げて差し上げたら良いのに、などと思って見ている。

人の家に招かれたりなどしてその様子を見ていると明らかなのだが、意外と貰った方は喜んでいない場合も多い。あげる方も心得ていて、ひとつの品物で気に入らなかったら不都合だからと、幾つか用意している事も多く、しかしその「数打ちゃ当たる」が当たらなかった場合は、双方共に気の毒である。

ワタシなどのような「飛び入り参加者」の為に急遽用意されたものなどは、明らかに有り合わせを見繕って包んだような物ばかりなので、当然大した代物では無いから、特別喜ばしい事は無い。だったらくれなくても良いのに、と喉元まで出掛かるが、ひとりだけ何も貰えなかったら居心地が悪かろうという配慮なので、そこはぐっと堪える。

何時だったかに頂いたワイングラスとチーズやクラッカーなどが木箱に詰め合わされたセットというやつは、如何にもちゃちな絵柄の付いた縁がざらざらの悪質なグラスに、大変不味い「つまみ」で閉口した。

そんなだから、休暇後には早速それらの「余り有難く無い贈物」を返品・交換する人で、街はまた賑う。再び街は「モノ」で埋もれる。この何という悪習。


更にこの国の人々は、高々「他人の誕生日」を祝う位の事で、毎年毎に木を切り倒して来ては飾りを括り付けるのだから、何とも勿体無い話である。

勿論市当局が回収して、それらの使い終わった「もみの木」をチップ状態にして、コンポストなどの「足し」にするのだが、ワタシなどはそんな事をして更にエネルギィの無駄遣いをするのは馬鹿げていると憤慨する。

つくづく、無駄遣いの多い国である。



そういう訳で、今年は暖房用の油が高騰している。自業自得ではあるのだが、だからテレビなどでも暖房費節約についての特集を組んだりしていて、一寸ばかり切羽詰った感がある。

その関連なのか、このあいだは「ちっさな家」の事がテレビに出ていた。所謂「モーターホーム」として車の後ろに牽引して運べるようになっているのだが、作りはパイン材などの立派な「ログ・ハウス」である。

元々ワタシは「四畳半一間」だとかちっさなログ・ハウスだとかの小ぢんまりとした住処でちんまり暮らしたいと夢見ていたので、これには食い入るように見入ってしまった。放送ではほんの数分間でしか無かったが、これは正にワタシが求めている「夢の住まい」である。

(特に「XS」という小さいやつが、お気に入り。)

大きな住処に住むとなったら、何でも好きなものをどかどかと置いて、有り余るスペースを何の知恵も無く只無為に使っていれば良いから、芸は要らない。

しかし小さな住処では、そうはイカの金玉である。

限られたスペースに必要最低限のものだけを収めなければならないのだから、知恵が要る。また置く場所が無ければ、無駄なものを更に持ち込もうという気も起こらないだろうから、物欲に囚われる事無く、心穏やかな暮らしが出来る筈である。

この間泊めて貰った船でもそうだが、例えば昼間リビング・ダイニングとして使っている部屋のカウチは、夜になると簡単にベッドに早変わりする。そして、あの小ぢんまりとまとまった「ギャレー(簡易台所)」の、何と機能的な事だろう。余計な物やスペースなど、船の中には一切無いのである。

あんな風に陸でも暮らせたら良いのに。

この木で出来たちっさな家なら、ワタシひとりは勿論、上手い具合に話がまとまって好い人が出来た暁にも、充分暮らしていけるだろう。

尤も、相手の方もワタシと同様の価値観でいてくれなくては困るけれども。

しかしワタシの事だったら、例え将来どれ程に金を稼ぐような身分になろうとも、そんなのには関わり無くこういう家に住み続けているだろうから、充分元は取れそうなものである。


こういった家の良い所は、家具というものが殆ど要らない点である。

何しろそんなものを置くスペースは元々無いからなのだが、しかし備え付けのもので充分用が足りる。それくらい機能的な住まいなのである。

「モバイル」という点についてはワタシはそれ程関心は無いのだが、その「狭さ」や「機能性」に「禅」的ストイシズムを垣間見て、心惹かれる。考えているうちによだれが出てきそうである。


こういうのを「現実逃避」と言うのだろう。



取り止めも無く彼是書き散らかしてしまったので、今日はこれまで。


2005年11月15日(火) 人間関係が問題な訳じゃない

本来「自信家」ではない筈なのだけれど、最近のワタシは割りと「自信」を見せる場が増えている。とりあえず「自信」のある風を見せなければならない機会が増えているのである。

他人を信用して弱みを見せたりするのも、以前は沢山やった。弱みを見せ過ぎて、却ってそれを利用されたりもした。

最近はふと気付くと、どの人に弱みを見せたら良いのやら、と少し警戒している自分が居る。相手は男だったり、女だったり。

男ならまだ良いかも知れない。女は却って性質が悪い。ワタシは女とは「恋愛」をしないので、それはつまり基本的には純粋な「友情」なのだが、相手を間違うと、その友情は途端に痛いものになる。どこで誰がそれを悪用するのか分からない所為もあって、自分を中々曝け出さない人種に対してはワタシは少し距離を置いて「友情」を育む。

男が相手だと、それは残念ながら直に「恋愛」に結びついてしまう事が多い。昔はそんな事は無かったのに、ワタシ自身がお年頃になると途端に相手もそういう扱いをする事が増えた。

だから相手が妻帯者だと、却って安心して「友情」を築く事が出来そうだと、気兼ねなく本来の自分を見せたりする。しかしそれが時折「友情」以外のものを当てにしている場合もあって、ワタシはそういう男に出会うと、その「裏切り行為」に腹が立つ。


もう何年も知っている友人に、実は「離婚暦」があったらしい、という事を、最近人伝に聞いた。彼はその事を、何故かワタシには一度も言わなかった。彼はもうこの街には住んでいないのだが、発つ時もそんな事は勿論言わなかった。

それを教えてくれた人は、きっと彼は貴方の事が好きだったのだろう、と言ったけれども、しかしワタシたちは時々口論をした。議論が高じて口論になり、そしてどちらも頑固で譲らなかったのである。更にワタシより彼の方が年上でもあったので、ワタシはそういう頭の固い男に尚更魅力を感じなくなっていた。年上の男が子供なのが、ワタシには許せなかった。

しかし同様に、年上の女が子供なのも、ワタシには許せない。要するに、年齢相応の分をわきまえているとか思慮深いとか他人の事情も慮るとか、そういった要素を持ち合わせない年上の人々を、ワタシは尊敬出来ない。年下の人間に「子守」をさせる年上の人間を、ワタシは蔑む。

人にはそれぞれの歩みがあり、人生の進度や過程も個人様々であるのは重々承知である。しかし年齢相応の「何か」を持たない人々を、基本的にワタシは余り好ましく思わない。それは恐らく、ワタシの両親がそうで無かったから、そのしわ寄せを受けながら育った子供であるワタシの、ささやかな抵抗なのだろう。



例の彼女は、蓋を開けてみたら、ワタシより一回り以上も年上だった。

しかしその割りに、ワタシや他の同僚らの報告や意見の提供や質問などには、一切答えなかった。それらを一切踏まえずに、自分の言い分だけを繰り返し、要求した。ワタシはそれを認めなかった。

彼女はまるで、自分の心理的問題に捕われたままで人生をやり過ごしている、ワタシの母に酷似していたのである。

自分の成すべき義務を果たさずに、主張だけ繰り返す。自分を気の毒な人がる。「セルフ・ヴィクティマイゼーション(Self-victimization)」である。いつも自分が世の中で一番お気の毒な人だと主張し、いつまでも可哀想がる。周りの苦労など、目に入らない。あんたは自分勝手な人だと指摘されると、躍起になって詰る。だってその通りなんだから、否定の仕様が無いのだ。しかし自分が自分のあれやこれやの精神上の諸問題によって頭が一杯で、自分の不始末に気付かなかった事を指摘されると、では私にどうしろと!?とぶち切れる。「出来ない」というのが、彼女の「スタンダード」なのだ。出来ない状態が、彼女にとっては「普通」なのだ。だって、あれやこれやの色んな事が私を取り巻いていて、どうにもならないじゃないの!これ以上私にどうしろと言うの?

いや、ワタシは只、少なくとも最低限の人間らしい事だけで良いからやってくれ、と言っているのである。それ以上頑張らなくて良い。「最低限」だけで良いのである。あれもこれもやらなくて良いから、少なくとも聞かれた事にだけ答えてくれれば良い。一度にあれもこれもやらなくて良い。一つずつやってくれれば良い。誰も不条理に多くの事を要求している訳では無いのである。

しかし彼女は、ワタシが余りに多くの事を要求する、と思い込んでいる。出来ない自分に対して、ワタシは何とも酷い事を要求する、と思い込んでいる。

ならば、無理に出来ない事まで「出来る」などと言わない方が良い。無闇に出来ない事まで引き受けない方が良い。そういう人間に限って、許容範囲を大幅に超える事を「安請け合い」しがちである。そうして自分の首を絞める。自分で締めておきながら、他人を責める。あんたは酷い!と言って、他人を詰り、傷つける。そこまでの間、既に他人の時間や労力を散々無駄にしておきながら、更にそれをする権利を奪われそうになったので、それについて文句を言うのである。


ワタシはこの頃のこの「デジャヴ的人間関係」に巻き込まれるのが、本当に苦痛である。ワタシは貴方とは関わり合いたくない。自分から此処へ寄って来たつもりもないのに、何処でどう道を誤ってしまったのだろう。此処で悩んだりしたら、それこそ思う壺である。放置しなくては。これをワタシの問題にしてはならない。これはあくまで彼女の問題なのである。ここで巻き込まれたりしては、ワタシのこれまで積み上げて来た実績が崩れてしまう。これまで何年も掛かって積み上げて来たワタシの自信が、こんな下らない事で地割れを起してしまう。この悲劇的な結末。何故ワタシに降り掛かってくるのだ。何故それをワタシが引き受けなければならないのだ。一体これ以上の馬鹿げた苦労はあるだろうか。赤の他人の精神の世話などに貴重な労力を費やして、しかも相手は感謝もしないのだ。


2005年11月09日(水) 先週の今頃のワタシの事

先週の今頃日記の下書きを書いたまま、すっかり慌しくなってしまって、それきりになっていた。この話は先週の今頃の話と思って、読んでくだされ。


星占いでは、ここ数日のワタシは割合運が良い事になっているのだが、実際は意外とそうでも無い。


今日は例の特別企画を持ち込んだ某音楽家件現地コーディネーター馬鹿女と怒鳴り合いの喧嘩になってしまった。


先日突発的会議を提案した彼女だが、ワタシはその会議の時間には同じビルの上階にあるオフィスで作業をしながら、ボスや数人の同僚らとメールのやり取りをしていた。

この企画は空中分解寸前である。何しろ肝心の詳細を書いた「企画書」が一向に出来上がって来ないのだから、これ以上ワタシたちに出来る事は無い。そもそもこちらが散々手を尽くして企画を成功させようとしているのに、話を持ち込んだ張本人やその関係者がやる気を見せないのは、どういう了見だろうか。このままでは、この調子でこちらがいつも報酬以上の仕事をさせられて、向こうさんは高見の見物と来るのだろう。先が思い遣られる。この辺りで「最後通牒」を突き付けて、実際何処まで本気なのか、はっきりさせて貰おうではないか。

などというような具合に、皆の意見が一致する。

ワタシは、前日までに会議には何とか都合が付けられそうだと表明していた人々の報告を待つ。

そのうちあるひとりが、連絡して来る。ワタシが行かないと言ったので、ならば日にちを改めた方が良い、と例の音楽家に提案したのだが音沙汰が無いので、結局行かなかった。また、日本の関係者の皆さんは何故何の挨拶も寄こさないのか、やる気はあるのか、とも聞いたが、それに付いても返事は無かった。

もうひとりの同僚にメールを打ってみると、彼女も急用が入ったのと、面子が揃わないので建設的な話し合いは成り立たないだろうと考え、出席出来ないと連絡をした、と言う。何か懸念があるなら、ワタシかもうひとりの幹部をしている同僚に直接話を持って行くのが効果的だ、と勧めたのだが、彼女が何を考えているのか分からない、とも言う。


それらの報告を聞き届けると、ワタシはいよいよ腹を決め、「最後通牒」的メールを送る事にする。

スペースの予約担当部署の担当者と話が出来たのだが、と先ずは必要な手続きを一通り丁寧に説明する。その為には、この通り、規定にあるような詳細を記した申請書が必要なので、この規定に沿って作成して、今週金曜の現地時間午後二時までに送付していただきたい。期日までに届かない場合は、今回の企画は私共では取り扱い不可能という事で、ご了承いただきたい。

そのメールを企画担当者らのメールリストに送って暫くすると、別の同僚から同情のメールが届く。ワタシが折角骨を折ってこれまで進めて来たのに、こんな次第になってしまって残念だが、しかしあちらさんが悪いのだから致し方あるまい。これでやる気を見せないなら、どうにもならぬだろう、と言う。

ワタシはこれでこの訳の分からない無駄仕事から解放されるだろうと、久し振りにぐっすり眠る。



ところが翌日夜遅くになって、ボスからメールが届く。

なんだか不可解だけれども、例の音楽家からこのようなメールが来たので、近いうちにどうにかしないとならないだろう。そう始まったメールを読んでいくと、どうやら彼女がいよいよ「企画書のようなもの」を完成させて、ワタシたちをすっ飛ばしてボスのところへ送り付けたという事が判明する。

「不可解」というのは、その「企画書のようなもの」が文法やら綴りの間違いやら行の不揃いやら意味不明な文章やらに満たされた、ビジネスに使う文書としては全く中途半端なものだったからである。彼女はこの国の永住権を持っているとの事だったが、そしてこの国の大学と名の付くところで音楽を勉強して何らかの学位を収めた筈なのだが、しかし現地語会話のみならず文章の方も大変拙かったのである。

不可解な文章を読みながらくらくらしていると、その他の企画担当者メールリストの方にも同じ文章が送られて来る。カバーレターは日本語だが、それすらも不可解な内容である。

そしてそれとは別に、ワタシ個人充てにも彼女からメールが来る。どうしても直接会って話しておきたい事があるから、時間を作ってくれと言う。

嫌な予感がする。まるで、例の「蟹座の気違い男」ワタシと怒鳴りあいの喧嘩をする為に仕事をサボって早く帰宅した時のようである。

彼女はボスにも同様に面会を希望する旨をメールしていた。ボスも嫌な予感がしていたのか、二人の会合にワタシも参加するようにと言う。

ボスから緊急招集が掛かってしまったので、ワタシは仕方なくボスと音楽家との翌日の三者会議を手配する。双方にこの時間にこの場所で良いか、と確認をすると、その音楽家は序でに、以前ワタシがそのドキュメンタリィ・フィルムの概要を送って共催の打診をした他団体の長とその秘書にも、この「企画書のようなもの」を送っておきました、と言って来る。

何だって?

この、まるで小学生か分裂病患者の作かと思われるような出来損ないの文章を、これまでワタシがゆっくり信頼関係を築きながら打診して来たあの団体の偉いさんたちに、ワタシたちの目を通さないうちから、その過程をすっ飛ばして送り付けてしまっただと?

本当に頭痛がして来た。

やってくれたものだ。

ワタシは一応ボスと他の同僚らに、その旨報告する。どうやら彼女は、あちらの団体さんにも同じ文書を既に送ったようです。その前に修正しようと思っていたのですが。

ボスは、ワタシたちの許可無くそんな事をするのは、気に入らない、と返事を寄こす。

ワタシは、これではまるで折角のワタシのこれまでの苦労が、この糞のような文章一本ですっかり水の泡ではないか、と憤慨しています。あってはならない事です。そう返事をする。



ボスとワタシの意見は一致していると思われたのだが、しかし翌日私が少し遅れてボスのオフィスに入って行くと、何やら様子が違った。


先に少し話を始めていたところなのだけれど、では本格的に会議に取り掛かりましょう。この書類が届いた訳だけれども、我々が話し合っておかねばならない懸案事項というのは一体何でしょう。


と話を振られたので、ワタシは切り出す。


ええと、先ずその、余所の団体に既に同じ書類を送ってしまったそうですけれども、それはワタシたちの団体をすっ飛ばしてその上の機関と直接話を進めようという思惑なのですか。それでは話が違います。こちらがこの企画の主催という事で話を進めて来たのですし、こちらの団体を通すからこそ、あちらの団体も共催に同意して下さっている訳ですから、そのワタシたちを差し置いて話を進めてしまうのでは企画は通りませんよ。


するとボスは何と、いやその辺りは多分問題ないだろうと思う、などと言う。


いやしかし、場所の確保にしたって、うちが関与するからこそ此処を無料で押さえられるのであって・・・

ああ、それは確かにそうだけれども、まあそこは置いておいて。兎に角彼女は一応書類を送って来た訳だから。


なんだか問題を横ちょへ置き去りにしてしまいたがっているのは、一体どうした事だろう。



結局のところ、ボスは自分が関与するとはいえ実際の細々した「汚い仕事」を賄うのはワタシなので、面倒は全て曖昧にして、とりあえず美味しいところだけ先に話を詰めようという魂胆のようであった。

自分はこの企画を取り仕切るのでは無いから、細かいところはちゃんと担当者であるこの人(ワタシ)に連絡を寄こさないといけない、と注意は述べてくれるけれど、実際ボスの前では極端に口数の少ないこの外国人に対して、効果的な説教は垂れてくれない。

本当はボスに、こんな風にいい加減な事では、この企画はうちでは面倒見切れない、と断って貰いたかったのだが、どうやら話は元通り進めていく事になってしまったようである。


主だった内容について一通り詰めたところで、音楽家女史を外へ出して、ワタシとボスとで別件の簡単な申し合わせを済ませる。

オフィスを出て来ると、彼女はワタシを待っていた。一寸話をしたいのだが、良いかと聞く。

ああ、来た来た。

ワタシのオフィスへ案内する。

勿論ワタシはすっかり不機嫌である。

何しろもうとっくにやる気は削がれているのに、企画はこのまま続行する事が決まってしまった訳だから、そして立場上ワタシがその詳細を詰め、彼女が書いた間抜けな文章を修正して使い物になるような書類に仕立て上げなければならないのだから、どうにも納得が行かない。

しかも早く書類を作らないと、肝心のスペースが確保出来ない可能性が高くなるので、いきなり時間との戦いである。これでもしスペースが確保出来ないとなると、当然彼女は折角「企画書のようなもの」を用意しろと五月蠅いからやってやったのに無駄骨かよとワタシを責めるのだろうから、プレッシャーは全てワタシの身に降りかかる。

オフィスに入るなり、ワタシは先ず、今日はわざわざお越しいただいて恐縮なんですが、他団体にこの拙い文章の書類と呼ぶに呼べないような代物を送ってしまったという事で、全く困った事をして下さいました、と不快感を顕わにする。

赤で彼方此方修正を入れたその書類を手にしながら、ワタシは一体何処から始めたら良いのか、というようにぱらぱらとページを捲って見るのだが、しかしあんまり頭に来ているのでどこからどう説教を食らわしてやるべきか、途方に暮れる。

彼女は、そういう仕組みになっているとは知らなかったので、差し出た真似をしてしまった、と言うのだが、普通何処の業界でも何処の機関でも、物事には「順序」というものがあるだろう。それに初めにこの話を持って来た際にも、またメールでも再三に渡ってそういったこちらの仕組みについては説明したのだから、知らないでは済まされないだろう。

そう言うと、

あのメールでは物凄く傷ついたんですよ!何で私があんな事言われなけりゃならないんですか!?


彼女は突然怒鳴り出した。

結論から先に言うと、それから一時間強の会合の間、彼女はワタシに怒鳴りっぱなしであった。

ワタシは他人から理不尽に怒鳴りつけられたら、大概それと同程度の勢いで怒鳴り返す種類の人間である。

以下、書き言葉の便宜上表現は控えめだが、声の調子はその限りでない。


貴方以外の、あのメールリストに載っている人々は、皆理解していますよ。寧ろ貴方があんまり分からない事を言ってばかりなので、皆呆れているくらいです。ワタシたちは逐一報告やら意見の提案などしているのに、貴方の発言はそれらを一切踏まえていないし、その癖自分の主張ばかり強引に押し進めようとしているじゃありませんか。人の話も聞かないで、自分の話だけ通そうなんて、虫が良すぎます。だから、どうやらワタシの説明が足りなかったのかと思って、一つひとつ丁寧に説明して上げたのです。


でもあれじゃあ、まるで私が何も分かっていない馬鹿かと言っているようなもんじゃないですか!何で私があんな事言われなくちゃならないんですか!



(実際その通りなのだけれど。)

無能な人に対して、「貴方は無能だから別の使える人間を寄こせ」と言ったら、それは失礼だしお気の毒だとは思う。しかし、これはあくまで「ビジネスディール」なのである。彼女とは友達でも何でも無いのだから、だらだらと仲良しこよしのお遊びで何時までも時間を取られている訳には行かない。さっさと必要な仕事を片付けて、次の仕事に移らねば、此方は時間が幾らあっても足りないのである。

彼女はその辺りのワタシの言葉にしない部分を良く察知して、それで怒っているのである。さもあらん。でも、それなら初めの段階で此方が質問したり報告したりしている時に、それらにちゃんと対応しておれば良かったのである。「梨の礫」なのだから、此方としてはさては先方はやる気が無いか馬鹿のどちらかだ、と判断せざるを得ない。自業自得である。


とは言え、この怒鳴りあいの喧嘩は、ワタシのエネルギィを大いに消耗した。ワタシはそういう感情的な人を相手にする時、大概「理屈」で攻めるので、当然ながら話は噛み合わないし却って拗れがちである。しかし黙って言われっ放しでは此方も立つ瀬が無いので、言い分はちゃんと言わせて貰う。どちらも引かないので、そんな事を長らく繰り返す事になる。

しかもこの人は、恐らく何らかの精神上の問題の所為で、人の話をそのままその通りに理解する事が出来ないらしい。ワタシが同じ事を繰り返し説明してもまだ分からないで、また怒鳴りながら文句を言う。

だから先程から同じ事を言っているんですけれども、と説明しても、でも私も傷つくんです!だの、怒りをコントロールするのに時間が掛かるんです!だのと彼女の「感情問題」に終始して、平行線である。

でもワタシたちの意見も聞いて頂けない事には、一緒に企画は進められませんので、そちらにも例えばフォローアップの連絡やら経過報告を随時入れるなりして、対応して貰わないと困ります、と言うと、そんな事をしろと言われても思いつかなかったのだから仕方が無いでしょう!とヒステリーを起す。いや、「しろ」とは言ってませんよ。例えばの話です。何らかの対応があれば、こちらも誤解せずに済んだのです。

でもその話は分かりましたから、話を先へ進めましょう。そう言っても、でも私、物凄く傷ついたんです!とまた話を戻す。



結局彼女は、自分が如何に「犠牲者」であるかという事を、ただひたすらに訴えたいのだろう。

そして、彼女にとってはワタシが絶対的に「悪者」であり、こちらがどれだけ説明しようが、彼女が「傷ついた」という事実は永遠に変わらないし、それ故ワタシは彼女から永遠に恨まれる存在なのだろう。


疲れる。そういう他人の「ドラマ」には、出来る限り関わり合いたく無い。

気になるのは、彼女もまた、普段は大人しそうなのに爆発するまで不満を溜め込む、所謂「パッシブ・アグレッシブ(passive-aggressive)」な人だという事である。


ワタシは、企画書の手直しを終える前にとりあえずスペースの確保をするよう、ボスに依頼する。そうでなけりゃ、もしスペースが取れなかった日にゃ、藁人形に五寸釘を打ち込まれて一生祟られるに違いない。

それに、もう二度と再びこの「自分の感情問題を克服出来ないでいる中年女性」と二人きりで会議などするのは、御免である。密室で首でも絞められた日にゃ、浮かばれない。



この人と今後数ヶ月も関わっていかねばならないのかと思うと、甚だ憂鬱である。



2005年11月06日(日) 優先順位

この週末は大忙しであった。

翌朝早くからヴォランティア活動が控えていたので、前日に隣の島まで出掛けるのを躊躇したのだが、やはり船をじっくり見せて貰うなどという機会は又と無いのだから是非行っておこうではないかと考え直し、結局出掛けて行った。

行けば行ったで、それなりに思う存分楽しもうと腹を決めるワタシの事だから、どちらに転んでも良かったのである。ならば精々行って新たな経験と人々との楽しいひとときを過ごす方が良かろう、という訳である。


友人の恋人が、クルーのひとりであった。先日の日記では「ヨット」と書いたが、よくよく見てみたらヨットどころの騒ぎでは無かった。「スクーナー」と呼ばれる種類の、わりかし大きな帆船である。

この帆船はワタシから見れば大変大きなもので、まるで去年だったかに行った北方の町の海洋博物館に展示されていた、昔ながらの造り方の途中経過を見せたやつのような、体育館(のような広い館内)一杯サイズの木造で、目も艶やかな立派な船である。

思わず、以前途中まで独習し掛けた「ロープワーク」を、帰ったらもう一度おさらいしておこう、と思い立つ。

ところがその持ち主氏曰く、以前亜米利加はキーウェストへ航海に出掛けた折、隣に停泊していた某「アメリカ号」(豪華客船)を見ながら、ふむ、こんなやつと比べたのでは、俺の船はちっさなちっさな小船ちゃんだな、と思ったそうである。

ワタシが会議を消化した後、大急ぎで普段乗り付けない郊外電車に二時間も揺られて、更にタクシーをとっ捕まえて、やっとその帆船が停泊しているマリーナに辿り着いた頃には、クルーの皆さんはすっかり出来上がっていた。この持ち主氏の本業はワイナリーの持ち主でもあるそうで、帆船の絵が描かれたラベルの付いたワインが沢山持ち込まれていた。それに「海の男たち」お得意の南国特産のラム酒の回し呑みなどもあり、それはそれは「愉快な海賊たち」といった趣である。

ワタシの友人はこの「海賊」のひとりと遠距離恋愛をしているので、久し振りに再開した恋人たちはひとときも傍らを離れない。しかし好い加減、幾ら粋な「海の男たち」でも見飽きてくるのではないかと思われる程、いちゃいちゃとそれはいつまでも楽しげである。

飽きっぽいワタシには遠距離恋愛というのは到底維持出来ないだろうから、ワタシはこの仲睦まじい恋人たちの様子を見ながら、この関係が末永く続く事を祈ってみたりした。


ところで、ワタシの到着は本当に夜遅かったので、ワタシが矯正器具を取り外して漸く持参した夕飯を平らげる頃には、「海賊たち」はぼちぼち床に付き始めてしまった。山男の朝も早いが、海賊の朝も早い。

結局その恋人たちともうひとりの海賊君とワタシの四人して、デッキでもってあれやこれやと馬鹿な話をして笑っていたのだけれども、それまでいちゃいちゃしていたその恋人たちが寒くなって来たからそろそろ床へ引き上げると言うので、それはつまり上手い具合に言えないでいるけれども要するに「セックスしに行きましょう」という事だねと、ワタシともうひとりの海賊くんは理解し、大変分かり易かったねと笑って、彼らを見送った。

それでワタシと海賊君も同様に引き上げる事にして、ざっと後片付けをして、ワタシは寝る前の歯磨きとフロスを忘れずにしてからまた矯正器具を嵌め込んで、漸く床に就いた。

以下自粛。



そういう訳で、ワタシは殆ど眠れないまま早朝を向かえたのだけれども、ボケボケしながら友人らが寝ている奥の蚕棚の襖を開けて彼らを起しお別れを言って、そして船のリビング部のカウチをベッドに仕立てたところで寝ている例の海賊君にもお別れを言って、帆船を後にした。彼があんまり若かったのは、一寸計算外だった。

電車の駅まで、結局四十五分程歩いたが、途中上り坂があった事を、すっかり忘れていた。

例えばマラソン大会に出場するとか、または日頃「トレッドミル」に日に三十分乗るとか、そういう人で無い限り、あの坂を朝っぱらからてくてくやるのは、勧めない。

四十五分のうち、結局半分は急勾配の上り坂だったのである。

しかも今日はこれから「肉体派」のヴォランティア活動が待っているという事が分かっていたのだから、ワタシはマリーナで見張り番をしていたお兄ちゃんに潔くタクシーを呼んで貰えば良かった、と後悔した。


苦労の甲斐あって、電車の時間の十分前には駅に到着したが、しかし電車は動いていなかった。

ひなびた最終駅で同じく電車待ちをしていると思われる人に聞くと、代わりのバスが来ると言う。まさしくそう言われた直後、駅前のこじんまりとしたターミナルには「急行」と書かれたバスが到着した。これで街へ戻れますかね、と聞くと、途中のなんちゃら言う駅までバスで行って、後は電車が出ているから、と言う。

バスは急行と言う名の通り、一般道と高速道路を代わる代わる走り続け、電車の定刻より幾分早めに、そのなんちゃら言う駅に到着した。がたがたと揺れるから、折角寝て行こうと思ったのにちっとも眠れなかったけれども、時間に正確に着いたという事に関しては、褒めておく。

その後暫くして街行きの電車がやって来たが、今度は週末にも拘らず朝っぱらから若い学生たちが乗り込んで来てああでも無いこうでも無いと引っ切り無しに話をするので、又しても眠れずに終点の街に到着した。

こうなったら朝飯を喰うしか、重労働に対抗する手立ては無い。

ワタシは朝っぱらから「ケンタッキー・フライドチキン」を所望する。そもそも睡眠不足で機嫌の悪いワタシは、余りにもトロくてぞんざいな移民の売り子に頭に来て一寸怒鳴ってしまったが、揺れ動く矯正中の歯でゆっくりゆっくり噛み締めるようにして食べた鶏の唐揚げは、相変わらず旨かった。


最初のヴォランティア活動の場所である公園は、どの駅からも離れているので、歩くと結局随分掛かってしまうのが難である。鶏と珈琲で無理矢理起した身体には、少々辛いところである。

このプロジェクトのリーダー氏とは既に顔馴染みなので、お早うと言った後歯切れの悪いワタシの様子を見て、一体どうしたのだ、今朝は悪い夢でも見たか、と彼は問う。赫々然々と次第を軽く説明すると、ふむふむ、しかしそれでも君はちゃんとやって来た、良し良し、と褒めてくれる。そうか、来ない奴も意外といるからな。所謂「ばっくれ」も、このヴォランティア活動というものには実は結構いるのである。隣の島から二時間と四十五分掛けて朝っぱらから帰って来た自分を褒めてやりたい。

この日の作業は新しい球根を植えるものだったのだが、大きなショベルで土を掘り起すのは、力が全く入らないワタシには絶対的に向いていない仕事だったので、他人が掘った穴に球根を運び入れて、その際掘り起こした別の球根や雑草などを取り上げて持ち帰る、という比較的へなちょこな作業に終始した。

その後もうひとつのヴォランティア活動が控えていたのだが、前のが少し遅れたのでこれにはすっかり遅刻してしまった。しかし行ってみたら、準備は済んでいるから一時間程皆に暇を出したというので、一安心した。

そこはワタシが良く行く「スープキッチン」なのだが、今回は食事提供ではなくて同時開催の冬に備えて衣類を提供する活動の予定だったので、そこの食事提供で顔見知りになっている数人とお喋りなどしながら、昼飯のピザを食べて時間を潰した。なんだかいつもと違ってのんびりした、心地良い昼下がりであった。しかも外は小春日和で、暑いくらいの日でもあった。


衣類提供活動をしながら、階上の食事提供場を行ったり来たりして、常連のヴォランティア仲間やゲストらと挨拶などして、割合ゆったりと活動して過ごす。人の入りは、少なめであった。暑い所為で、きっとスープなど飲む気になれなかったのだろう。

常連のゲストのうち、日頃良くワタシに水星の逆行などを警告してくれたりする、ある西洋占星術に通じていると思われる人が、こんな事ばかりしていないで、本業もしっかりやらねばいかんぞ、と声を掛ける。この頃サボってたの、どこでバレたんだろう、と一瞬蒼くなる。あの人、粗末な身なりをしているけれど、侮れない。恐るべし。


そんな事があったので、帰宅してとりあえず喰うものを喰ってからさっさと床に着いて夜の九時頃から翌朝十時頃まで、すっかり寝こけたけれど、翌日曜には懸案の掃除を一斉にやる。今週一週間分の作業予定を作り、溜まっていた新聞に一通り目を通す。おふらんすの暴動が一週間以上続いていた事に気付く。亜米利加州首脳サミットが行われる先々で、反ブッシュのデモンストレーションだけでは収まらず、暴動も起こっている事を知る。知らぬ間に世の中ヤバい事になっている。逃亡者フジモリが日本を出国して、メキシコからチリへ向かっているという。反ブッシュ・反米ムードに便乗したのだろうか、上手くやったなと思う。


例の特別企画を持ち込んだ某音楽家件現地コーディネーター女史が、金曜にメールを送って来ていた。日曜の午後に一回ミーティングしませんかと言う。どうしてそういう事をいきなり言うのだ。明日明後日というような急な申し出で、こちらの都合が付くと思っているのか。しかも具体的な書類が出来上がって来ないうちから、一体どういう目的で集まろうと言うのか。そもそもどうして日曜にまでタダ働きのワタシたちを働かせるのだ。

他の人々も日曜は都合が付かないと、メールを打っている。すると、では月曜ならどうかと食い下がる。どうやら近日中に帰日予定があるらしい。

やんわりと、しかしかなりはっきりと、ワタシは言いたい事を述べる。序でに、月曜は既に塞がっているので、何か決めたら連絡を請う、と突き放す。

結局ワタシは、突然仕事を押し付けられたりするのが、嫌いである。「ディスオーガナイズド」な人々と一緒に仕事をするのが、大嫌いである。彼らは決まって、ワタシの時間を無駄にする。

本当のところは、月曜には昼過ぎにひとつ会議が入っているだけで、後は本来業務を進めるのが急務という状況なので、その気になればその突発的な夜の会議には時間をやり繰りして参加出来るだろうけれども、しかし結局はワタシのやる気が無いという事なのである。


このあいだ、金曜にも同様に会議があったのだけれども、あれは全く行くんじゃなかったと大後悔した程、無意味な会議であった。別の用事で少し遅れて行ったのだけれども、その頃には人々はだらだらと世間話に毛が生えたようなお喋りをしていて、実際具体的な話はひとつも出て来なかった。

そのうちひとりふたりと途中退席する人が出て来て、その人々が別れを惜しんでいるのか、更に個人的などうでも良い話で引き止め合ったりしている様子を見ながら、ワタシは段々苛々して来た。遅れて来ておいて難ですが、ワタシもそろそろ退散しなければならないので、ワタシたちが今後どうするつもりなのか、また今後何が起こるのか、具体的に教えていただけますか、と聞く。

すると彼らは、ある委員会に代表者をひとり選出して座らせる為に、請願書を出す、という事で皆賛成した、と言う。二時間近く掛けて結局決めたのは、その一点のみなのである。しかもそんなのは誰だって反対などしそうにない話なので、請願書など単なるお役所的事務取引に過ぎない。

それだけかと聞く。ああ、皆不満はないだろう?とこの会議の提案者である某新人君は言う。


ワタシはこの会議でもって漸く、嗚呼ワタシは時間の使い方をもっと上手くしなけりゃならないと、改めて反省したのである。優先順位をしっかり付けて物事を処理しなければ、ワタシはいつまで経っても今のままのちっぽけな「歯車」でしかない。

世の中には馬鹿物事を余り考えないでぽいと喋る人が何と多い事だろう。そんなのに振り回されていたら、駄目だ。ワタシの予定まで滅茶苦茶にされてしまうではないか。こんな馬鹿げた時間喰いの会議なんかに一々出ていたら、お陰でほら、ワタシの折角の週末の小旅行の為の郊外電車に乗り遅れてしまうではないか。今頃久し振りに会う友人と一緒に、電車であれやこれやと積もる話も出来たかも知れないのに、彼女をひとりで先に発たせて、ワタシも会議が済み次第後を追うからと、ひとりでまた長い道のりを電車に乗る羽目になるではないか。

こんな事ではいけない。自分の人生の優先順位をしっかり付けなけりゃ、いつまでたっても他人から使われっぱなしではないか。



だからワタシは、今回のこの突発的会議の提案についても、どういう内容でそもそも会議が必要なのかと問うた。

怒らせたかも知れない。それについての返事は無かった。

ただ、集まれる人だけ、月曜の夜集まってくれ、とメールが回って来た。彼是と煩いワタシの事は放っておいて、こっちだけでやるさ、と言っているのかも知れない。

それはまたそれで、好都合な事ではある。ワタシもこの件に付いては、一切タダ働きである。報酬も貰わないのに、こちらの貴重な時間すら尊重しないようでは、堪らない。



気が付くと、日がどんどん経って行く。

仕事を選り好みして、やるべきものだけやる、という方針で暫くやって見る事にする。



2005年11月04日(金) 細々とした近況

予てから苛々していた語学の授業を、最後の二回程すっぽかして結局ばっくれてしまった。

ワタシは「マゾヒスト」では無いので、他人からねちねちと意地悪を言われ続ける三時間を毎週過ごす、という事について、特別魅力を感じなかった所為である。あの講師は酷かった。

お陰でばっくれて以降のワタシの精神生活は、格段と向上した。作業もすいすい進んで、良い事である。


気の進まない事を無理矢理やるのは、時間と労力の無駄でもある。

いや、とは言え、ワタシはその該当言語の習得については、未だ諦めた訳では無い。来学期が近づいたら早速近隣大学の語学学部などを訪ねて、外部の人間でも聴講出来るかという事に付いて相談してみる予定である。大概駄目だとは言わないから、ワタシはその頃までにはそれ以外の作業をあらかた仕上げて、語学学習の為の時間の工面がし易いようにして置く心積もりである。


ところで欧州がえらい事になっている。

どどいつが選挙後の組閣作業で手こずっていると思ったら、おフランスでは暴動である。さっさと水鉄砲か何かで、取り敢えずの収拾を付けろと思う。


世の中分からない事が続いている。

先日の日記で、馬鹿な会社がオーダーを取り消した筈の物品をどういう訳だか送りつけて来やがった後、返金の手続きを取ったと連絡を寄こした、と書いた。

ところが、その取引の際使用したワタシのクレジットカードが去る十月で期限切れになってしまったので、先日新たなカードが届いたのだが、その新たなカードの番号が以前のと少し違っていた。

それで新しいカード番号をその会社のサイト上にあるワタシのアカウント情報のところに登録しておいた。期限が切れたカードへ返金されても、ワタシの手元に金は届かないのだから、両方登録しておけばあちらさんもその別のカード番号へ返金出来るだろうと踏んだのである。

ところがところが、馬鹿はいつ何時でも馬鹿である。

ワタシの銀行口座にいつまで経っても入金されないから、さてはとその馬鹿会社の顧客担当へメールを送る。ひょっとしてご存じ無かったかも知れませんけど、ワタシのカードは期限切れで使えなくなってますので、新たに登録した方のカードへ返金して下さいな。

すると、顧客担当者は、貴方が取引に使用したカード番号に既に支払手続きはなされたので、いずれ口座に入金されるでしょう、と言って来た。


・・・だからそのカードは使えなくなってるんだって言ってるんだよ、馬鹿たれが。存在しないカードに送っても、手続きは成立しないんだっつーの。

まぁそういう訳なので、ワタシの手元にその馬鹿会社からもぎ取られた分の金は返金されていない。

この国では多分その一社しか取り扱っていないだろうと思われる例の小さなMP3プレイヤーというのは、たったの1ギガバイトという許容量ではあるものの、FMラジオが聞けたりヴォイスレコーダー機能も付いていたりと、小さい割りに使い様は良いかも知れないので、こんな事なら返却せずに取っておけば良かったかも知れないと思う。

ただ紹介されているような「ネックレス型ホールダー&イヤフォーン」というのは、一寸こっ恥ずかしくて持ち歩きたいとは思わないが。


そんな事をやっているうち、PDAの4ギガバイトというのが出た。

ワタシがここ五年程愛用しているPDAは、可愛らしくもたったの8メガバイトしか容量が無いので、既にもうすっかりパンパンに情報が入っている。これ以上入らないから、過去一か月分の予定表を残した後は消却しないと、他の情報が入れられなくなってしまう。

ワタシはこのPDA以外に更に携帯電話を携帯しているので、更にこれ以外の電気機器まで持ち歩くというのが嫌である。だから例えばMP3プレイヤーだとかヴォイスレコーダーだとかは、出来ればPDAに付属であってくれると、大変都合が良い。

本当は携帯電話もここにくっ付いていると良いと思ったのだが、しかし例えば電話が掛かって来た折に来週の予定表も見たいと思った時、それらが一緒になっていると一寸面倒である。コードでイヤフォーンとマイクロフォンが繋がったやつでも取り付けなければ、スケジュールの調整や書き込みなどがし辛いのでは、手間である。だから、携帯電話はそれ一体で良いと思う。

そういうワタシのニーズにすっかり当てはまる機器がいよいよ登場したのであるから、ワタシの目は俄かに輝き出す。この新しく出たPDAには、ヴォイスレコーダー機能は標準装備であるし、容量も4ギガもあるから、必要な情報以外に楽曲も好きなだけ入れられるだろう。これだ。正にワタシが手に入れるべき電子機器は、これしかない。

勿論値段が少し張るので、検討中である。


今日は友人のまた友人のヨットが隣の島に停泊しているのを見学に誘われているのだが、明日は早くからヴォランティア活動の予定が入っているので、一寸躊躇している。


秋深まる。


2005年11月02日(水) 秋晴れ続きで洗濯日和。なのに洗濯に行かぬ怠け者のワタシ

日記ともすっかりご無沙汰してしまった。

ここのところ溜まっていた作業を一つひとつ片付けつつある。良い傾向である。待たせておいた翻訳の仕事も仕上げて月末に漸く小切手を貰ったので、一安心である。

また詰まらない手違いで、オーダーを取り消した筈のMP3プレイヤーというやつが、何故か取り消しになっていないでその二日後に届いてしまったので、それを早急に送り返したところ、最近になってその返金返金をこれからするという通知も届いたので、更に一安心である。

先日には税金屋が手紙を寄こしたので、今度は何だ、とぎょっとしたが、一通りワタシの提出した書類は受領したらしく、しかし足りないものをひとつ送ってくれろというだけの事だったので、胸を撫で下ろしながら再送付した。

どうやら最近は金関係ではらはらとする事が多いようだが、相変わらずワタシの人生にはもっとどうでも良い、馬鹿げた話も多い。せ・ら(ま)・び(ヴィ)。嗚呼無常。



頭に来る事があったので、一先ずそれを書く。

二週程前の金曜日の事である。(皆様本当にご無沙汰しています。)ワタシが関わっている某団体で、月例講演会が開かれた。

ワタシの担当ではなかったのでアレだが、総責任者である同僚が一週間前に堂々とヴァケーションを取るなどして仕事をすっかり怠けてくれたお陰で、動員数は十にも満たなかった。

ええ、客が十人も入らなかったのです。

通常この団体の月例会では、二十から三十とワタシは他人には言っているのだが、元々大した人数は稼げない団体ではある。講演内容にもよるが、平均してまあ二十前後といったところだろう。

ワタシの担当ではなかったのでアレだが、この閑古鳥が無く状態は、折角音楽家を呼んで演奏とそれから彼女の政治活動についてのお話をやって貰うにしては、一寸居たたまれない光景であった。今時ジャズバアに行ったって、もう少し入るだろう。

この宣伝活動を大幅にサボった同僚は早々にこの企画の仕事を終わらせてしまいたかったと見え、イベント終了後直ちに金勘定の後始末に掛かる。

しかし金勘定担当オフィスに提出した書類には、異なる二つの数字がはじき出されているがこれは一体どういう事か、と週明けに早速クレームが入る。単純な計算ミスである。

もうひとつ質問が付いて来たので、そちらはワタシがメールで返答してすぐさま解決を見る。しかし肝心の金勘定の方の問題は、立替分の払い戻し期限の二週間目が近づいた頃漸く彼女から返答があったというので、ワタシは驚いた。

そういえば別件で連絡をしている最中彼女が「仕事が遅くて済まぬ」と謝るので一体何の事かと思ったら、例の金の件でまだ返事を書いていないという意味だったのか。

彼女が自らのポケットマネーで立て替えたのの払い戻しが貰えなくなろうともワタシには痛くも痒くも無いのだが、しかしそういうルーズな仕事をしていると、ワタシたちの団体全体がルーズな管理システムだと思われそうで、困る。それにその団体を指揮しているワタシまでルーズだと思われたら、困る。

ワタシは自分の所為ではないのに怒られたり誤解されたりするのは、大嫌いである。誰でもそうかも知れない。きっとそうでしょう。ワタシはこんなに頑張っているのに誰かひとりがへまをする所為で、そいつのへまをワタシが詫びてやらねばならないとかいう事も、大嫌いである。手前のケツは手前で拭え。


しかしこの同僚などはまだ良い方だ、という事が後に分かる。

この時のイベントで呼んだ某音楽家が、終了後別の企画を持ち込んで来た。

日本の女性問題に関心のある人々がドキュメンタリィ・フィルムというのを撮ったので、来年の二月にワタシの住む国において主に大学などでもって上映会の「ツアー」をする手筈になっているそうである。しかし偶々この街ではまだ場所やその他の手配が済んでいないので、それを是非こちらの団体でやって貰えないか、と言うのである。また製作者や出演者の女性たちの中には大学教授や女性団体の役員なども含まれており、出来れば上映会に留まらずパネル・ディスカッションなども出来たら好都合という。

話は中々面白そうではある。しかし来年にはワタシはこの団体の企画運営などから綺麗さっぱり足を洗っている予定だったので、一寸間が悪い。

とは言えこれを手掛ければ、ワタシとしてはこの団体初主催の大きな会議の執行部代表として名が売れる事には違いないので、今後の職探しその他に大いに役立つ事は見込まれる。

ただこの規模のイベントは、この団体だけでは手に余る企画である。余所の団体との「共催」という形を取らない限りは、予算・人的に賄い切れない。

そこで、先ずはそのフィルムの概要と、パンフレットなど既に出版されているものがあればそれも送ってくれと頼む。

それらは比較的早く転送されて来た。

しかしその殆どは日本語で書かれていた。

こちらでイベントとして成立させるには、先ず現地語に翻訳してから書類作成をする必要がある。一通り要所に打診したところで、やはりここいらで詳細を網羅した「企画書」を出さない事には、「口約束」では埒が開かないと悟る。

しかし肝心の企画の詳細は、一向に送られて来ない。

こちらからあれはどうなっているのか、これはどうか、と細かい点を聞いても、先方から具体的な答えは出て来ない。日本に確認すると言って、暫く返事が途絶える。

つまり彼女はここ以外の場所での「ツアー」の企画に携わっていないので、事務的な詳細について全く理解していないのである。そういう要領を得ない人物が間に入って居ては、却って話がややこしくなるので、問題である。

しかもこの無能女は、イベントの全体像を網羅した書類を寄こす前から、「とりあえず場所だけでも押さえちゃって貰えますかね」などと呑気に言って来る。

何処の世界で、書類を出さずにヒトやカネが動くと言うのだ。「ガキの使い」じゃねぇんだ。

どういう非常識な女だろう、とワタシは憤慨しながら、しかしまた例によって三遍ほど書き直してトーンダウンした返信を送る。


何処の業界でも、恐らく日本でも、何かやろうと思ったら書類を提出するのが順序ですよ。


恐らくワタシより一回り以上は年上と思われる女性を相手に、ワタシはやんわりと説教を垂れる。こんな事は一々説明しなくても普通は分かっているものだと思ったが、案外人は一から十まで言わないと分からないものらしい。

このやり取りは数人の同僚を交えた「企画チーム」内でのメールで執り行われているのだが、ワタシがぶち切れながら書いたメールを出した後人々と話をしてみると、案外皆ちゃんと道理が分かっていた。


やる気あんのかあの女。

失礼にも程がある。


一様に憤慨した様子だったので、ワタシは一先ず安心する。皆揃って馬鹿ばっかりだったらどうしようと心配したのは、徒労であった。


無能な人間というのは、意外と彼方此方に散らばっている。


そういう訳で、ここのところのワタシは何やら疲れ気味である。

…と言い訳を述べた後、日記もきちんと続けようと心に決める。



昨日翌日
←エンピツ投票ボタン

みぃ |メールを送ってみる?表紙へ戻る?