Emiの日記 | old day days list new day |
英語をしゃべるおじいちゃん→→→2008年10月28日(火) 昨夜の深夜にまで及ぶ家族会議の結果、おじいちゃんには「がん」という直接的な単語はつかわずに、やんわり告知という結論になりました。 原田先生にもその方向でお願いしました。 緩和ケア病棟をみせてもらいましたが、とてもステキなところでした。病室を説明してくれた看護師さんも、優しい感じで良かったです。 琵琶湖のみえる部屋なんか、いいなあと思いました。まあ、部屋が空き次第の移動になるので、うまくその部屋に入れるかどうかはわかりません。 有料の個室は、家族もとまれるようにソファベッドつき。 おじいちゃんのところへ行ったら、ちょうどお昼ご飯の時間でした。 看護師さんが食べさせようとしてましたが、おじいちゃん無視。 お母さんが声をかけたら、ぱっと目をあけました。 看護師さん、すねてましたよ……なんで、わたしのときは目をあけてくれないのに……って。おじいちゃん〜〜!! おじいちゃんは、「ニューヨークのマンハッタンの病院に行きたい」と言い出したり、「Where is tissue?」や「No teeth」「Thank you so much」と言ったり、英語感覚満載です。 いきなり英語をはなしたり、「ダンケシェーン」と言ったりするもんだから、看護師さんたちは大変ですよね。 ご飯を食べ終わったら、眠たくなったようなので、時間もちょうどいいし、そこで帰ることになりました。 「また来るね」 と声をかけてから、病室を出ました。 遅めのお昼ご飯をイノダで食べて、新幹線に乗りました。 二人とも大爆睡で、チケット拝見を無視したまま、東京につきました……。 夜は、下鴨茶寮のお弁当。 お父さんは「二週間くらい一人暮らしはへっちゃら」と言っていましたが、家族が帰ってきて、とても嬉しそうでした。 |
手→→→2008年10月27日(月) 病院から家に帰ってきたら、三時くらいになってた。 それから順番にお風呂に入って寝た。 九時四十分に栄子おばちゃんが車で迎えに来てくれた。お母さんと二人、千葉に送る荷物の段ボールと一緒に乗り込んだ。 途中で荷物を出して、それから病院に向かった。 救急病棟の場所は、昨日(日付でいえば、同日なのだが)着たばかりなのに、さっぱりわからなかった。栄子おばちゃんがいなかったら、だとりつけなかっただろう。 おじいちゃんは、ベッドに横になっていた。 酸素のチューブをしていたけれど、顔色は昨夜に比べてだいぶ良かった。 「調子がいい」と言った。 おかしを食べたいと言って、手で小さな丸をつくっていた。たぶん、十円まんじゅうが食べたいのだと思う。救急の病棟ではそれは無理なので、また後日。 おじいちゃんの和歌集のタイトルは何がいいかをきいたところ、 「いしやま」とつぶやいた。 お母さんが「いしやま?」ときくと、つづけて、 「たぬき」といった。 石山狸……。 そんなんでいいんですか!? ちなみにお母さん提案の「グレイトじい」というタイトルは気に入らなかったようで、顔をしかめていた。 救急の病室なので、あまり家族が長居できる雰囲気ではなかった。呼吸器担当の原田先生が外来で午後三時までいないため、いったん家に帰ってでなおすことになった。 「また来るね」と声をかけると、手をのばしてきた。 その手を握った。 すっかり痩せてしまった手だけれど、大好き。 お昼は昨日ののこり。 ひらてんとちくわの入った五目ずし。 お母さんと二人、居間で食べた。 思えば、今回大津にきてから、居間で昼ごはん・夜ごはんを食べることなどなかった。朝ごはんは、わたしが起きるのがおそいので、おじいちゃんとは別に食べていたけれど。 三時にもう一度病院へ行った。 おじいちゃんはちょうど起きていた。ベッドの上半分を起こして、元気そうな顔をみせてくれた。 「帰りたい」と言っていた。 ここ三日ほどで一番しっかり話していて、頭もスッキリしているようだった。その姿をみると、家に連れて帰れそうだと思った。 原田先生のお話を、お母さん、栄子おばちゃんと三人できいた。 緩和ケア病棟へうつるか、家でみとるか。 昨夜のおじいちゃんの状態を思うと、在宅看護はかなり無理がある。 しかし、さきほどのおじいちゃんは頭もすっきりしていて、十分家で暮らせそうな印象だ。 お母さんも悩んでいるようだった。 直樹おじちゃんと幹雄おじちゃんとに相談しなければならないので、明日また先生と話すことになった。 お母さんと栄子おばちゃんが電話で話にいっている間、おじいちゃんのそばにいた。 和歌集のタイトルは本当に石山狸でいいのか聞いたところ、ちょっと笑って、そのまま寝てしまった。 そのあとベッドを倒して、たんをとってもらったり、おむつをかえてもらったりしていたのをのぞけば、おじいちゃんはほとんど寝ていた。 横向きに寝て、片手を頬の下において。 まるで居間で寝ているときと同じスタイル。 ときおり、足がぴくぴくっと動くのも同じ。 夜は、幹雄おじちゃん一家とお母さん、わたしで、鍋。 ほんとはおじいちゃんも一緒にやる予定だったけど。 食後は、おじいちゃんの今後の看護をどうしていくかという家族会議が十二時くらいまで続いた。 |
おじいちゃん→→→2008年10月26日(日) 今日も昨日に続き、ほとんど寝ている。 朝五時に鈴をならしてお母さんが起きていったときは、ゴルフに行く話をしていたそう。 ゴルフにいかないといけないのに風邪をひいたからいけない、とか。 昼御飯は昨日の松茸ごはんの残りとにゅう麺。 寝ながら食べているので、こぼしまくりだった。 まず、最初にお箸をもつときから、うつらうつら。一本目を口にくわえ、日本目をとろうとしていて危険だったので、声をかけた。 にゅうめんは半分くらい食べていた。 途中でお椀をかたむけて、テーブルの上に汁が広がってしまったけど。 マツタケご飯はほとんど食べていなかったので、お母さんが声をかけたら、一気にかきこみはじめ、そのあとむせた。 昨日から食べ物をつめる程度がひどい。 ご飯を食べ終わってから、酸素量をはかったら、84しかなかった。 酸素1リットル×90分やった。 でも、87。 一時間半もやったのに、ほとんど酸素量があがらない。 脈拍が110を超えているのも心配。 夕方、幹雄おじちゃんと栄子おばちゃんが来た。 大丸での用事と、介護用スプーンなどの買い出しをすませて。 二人は七時すぎまでいたけれど、その間、おじいちゃんは寝ている時間がほとんど。 夜ごはんは、八時すぎ。 おじいちゃんがリクエストした、ひいおばあちゃんの作ってくれたというお寿司の再現。 お母さんが「どうかな?」と言うと、おじいちゃんは「どうじゃろう」と言いながら食べにかかった。とてもうれしそうだった。 おじいちゃんはぼろぼろこぼしながらも、自分でスプーンを手に、ゆっくり時間をかけて食べていた。 しかし、またむせた(九時くらい) 本当に、食べ物をよくつめる。 ここから、たんと咳とで、ほんとうに死にそうなくらい苦しんでいるのを、お母さんと二人でなんとか助けてあげようと頑張った。 おじいちゃんは自ら「具合が悪い」と訴えた。 見ている側も、もう限界だと思った。 それほどに、ひどかった。たんはとめどもなく出てくるし、つまっているらしい食べ物はどこまで吐けばスッキリするのかわからない。 沖林先生にきてもらって、診てもらった。 酸素量は76。脈拍も依然として110を超えている。 酸素を1.5リットルしてみたが、あがらない。2リットルにするも、ほとんど変わらず。 右肺が機能している音が聞こえないらしい。 状態がひどいので、市民病院に診てもらうほうがいいと診断される。 お母さんが直樹おじちゃん、幹雄おじちゃんと相談し、今夜入院することに。 おじいちゃんも具合が悪い自覚があるので、お母さんの説明に納得しているようだった。 おじいちゃんは「お便所」と言い出したので、お母さんと二人でトイレに連れていった。 うんこはきれい。 幹雄おじちゃんと栄子おばちゃんがやってきて、間もなく、沖林先生もやってきた。 もう一度、血圧や脈拍、酸素量などをはかる。 なんと、酸素量96! トイレに行った際に、お母さんがちょっと荒くガンってやったところ、つまっていたものがぬけたらしい……叩けばなおるテレビみたい。 右肺も機能をとりもどした模様。 しかし、一度あんな状態になっているので、病院へは行くことに。 ただ救急車ではなく、幹雄おじちゃんの車で行けた。 おじいちゃんは「GO DRIVING」と英語で言っていたよ。 緊急あつかいで、夜中に入院。 おじいちゃんは、ほっとしたようだった。 「いま何時?」ときかれたので、栄子おばちゃんと一緒に「二時半」だと答えると、「はよ寝なさい」と言われた(笑) 2007年10月26日(金) ミッドナイト・ゲーム |
サイゼリヤのリゾット→→→2008年10月25日(土) おじいちゃんは寝てばかり。 定かではない時間が増えた。 わたしのことを「ともちゃん」、お母さんを「きみちゃん」と呼んだり、わたしを「みほちゃん」お母さんを「一番怖いひと」と呼んだり。 昼はサイゼリヤのリゾットをテイクアウト。 おじいちゃんのリクエスト。 トマトのリゾットです。 おじいちゃん、幹雄おじちゃん一家と、お母さん、すぐると食べた。 夕方、お母さんがお昼寝しているときに、おじいちゃんがおしっこをするためにトイレに行きたいと言い出した。 おしっこはおむつにしていいって、お母さんが言ってたよ、と答えたけど、どうしてもトイレに行きたいらしい。 すぐるに手伝ってもらって、トイレに連れていった。 行きはよかったんだけど、帰りはわたしの力不足で、おじいちゃんを車いすに戻すことができなかった。すぐるがいなかったら、おじいちゃんもろとも転んでたわ。 ベッドにもどったおじいちゃんは、両手をあわせてた。 ありがとう、って意味だったと思う。 夜は松茸ごはん。 秋澤さんから届いたお米で炊いたもの。 とってもおいしかった。 おじいちゃんもたくさん食べていた。 おじいちゃんが寝てばかりなのが気になる。 |
草津へ→→→2008年10月24日(金) ヘルパーさんが来てくれる十時を待って、外出。 バスと電車を乗り継いで、草津へ行きました。 下鴨茶寮の弁当を持って、おばあちゃんの家へ。 おばあちゃんは、鬱病だったときからすると、かなり元気になりました。 お母さんは大津のおじいちゃんの介護疲れで、ちょっと寝させてください、と言って、横になりました。それきり、一時間くらい寝てました。 その間、あばあちゃんとわたしは、主にカナダのことなどを話していました。 おばあちゃん、わりと海外のこと知ってて、びっくりしたよ。 興味なさそうな感じなのに、知ってる〜。 帰りがけに、夜ご飯にと、タイとか鳥南蛮とかを買いました。 大津へ帰ると、栄子おばちゃんが待ってました。 昼間に「えみちゃん」と何回も呼んでいたらしい。 おじいちゃんに「あんた、昨日おらんかったやないか」と言われました。 いや、昨日はいたんだよ!今日の昼間にいなかっただけだよ! どうやら、時間の感覚が狂っているようです。 「ぬっと出てきたのは、栄子さん」 と、おじいちゃんが言ったので、笑ってしまいました。 つまり、えみちゃんを呼んだのに、栄子おばちゃんがやってきたということらしい。 夜ご飯、たいは思ったよりもポサポサしていて、のどにひっかかる感じでした。なので、おじいちゃんはあんまり食べられず。残念。 |
おじいちゃん→→→2008年10月23日(木) 昨日三時まで起きていたせいで、起きたら十時すぎでした。 しかし、わたしが寝ている間に、大変なことが起こっていたようです。 すぐるが六時すぎのバスに乗るために家を出ようとしたとき、おじいちゃんがベッドから完全にずりおちていることが発覚。 どうやら、下に落ちていたリモコンをとりにベッドをおり、自力ではいあがろうとしていたようです。 「おじいちゃんが完全にぼけてしまった」 と、母がいいました。 朝の一件をふくめ、朝ごはんをたべたこと、ヘルパーさんが来たこと、さらには昼御飯をたべたことも忘れていました。 昔、志村けんが「ようこさん、ごはんはまだかい?」というお爺さんのコントをやっていましたが、まさしくあれです。 ごはんを食べてるのに、ごはんはまだかと問う。 昨日アマゾンで注文した「神田古書街09」がもう届いたので、おじいちゃんに渡しましたが、しばらく読んでいたものの、やめてしまいました。 結局、わたしに「本屋を探してくれ」と言って、寝てしまいました。 自分で「あたまがはたらかない」と嘆いてもいました。 あれだけ賢くて、頭のしっかりしていたおじいちゃんが、次第におかしくなっていくのが、悲しいです。 睡眠薬のせいなのか、がんが脳に転移したせいなのか、どちらかはわかりません。ただ、この一週間で、どんどんおかしくなっていってるという印象は否めません。 去年の今頃は、まだ一緒に京都へ行ったりしていたのに。 夜ごはんはカニ雑炊でしたが、おじいちゃんはカニのすじをのどにつまらせたようで、ひどくせき込んでいました。 寝るといってすぐあとの,ちりんちりんで呼ばれていったら、 「はやくねなさいよ」 「長風呂はするなよ」 と言われました。 おじいちゃんのスモーキングタイムで洋間につれていこうとしたときに、腰をちょっと痛めてしまったので、きょうは湿布をして寝ようと思います。 |
本とか平山くんとか→→→2008年10月22日(水) おじいちゃんが新聞の広告欄をみせて、 「この本が欲しい」と言いました。 神田の古書街を紹介する本でした。 西武の本屋に行けばあると思う、とおじいちゃんは言いましたが、そこに買いに行くのが手間なので、アマゾンで注文しちゃうことにしました。 その本だけで1500円こえてるんだけど、ついでにオトメンも新刊二冊を買ってしまいました。 いけないねー。 アマゾンのいけないところです。 夜は平山くんが来て、毎年恒例の傑&平山くんの誕生会パーティをしました。 おじいちゃんが座敷から動けないので、今年は座敷にて開催。 いちぜんやのケーキでお祝い。 おじいちゃんもケーキを食べました。 この日は半分残したけど、翌日のお昼前に食べてました。 「おじいちゃん、来年もまた誕生会できるか?」 お母さんがきくと、 「出来るに決まっとる」 と、おじいちゃんは天井をみながら答えました。 平山君が帰るときには、 「また来月アップルパイを食べに来なさい」 と言っていました。 いちぜんやの秋限定のアップルパイがおいしいんだって。 わたしは今年は食べられないので、来年かな?? 「あんたが頑張っとるんやから、頑張らなあかん」 おじいちゃんは、お母さんにそう言いました。 お医者さんは余命一ヶ月だと言ったけれど、どうなのだろう? このまま普通に年を越せそうな気もするんだけどね。 「カナダに行っても英語が伸びないんやったら、もう帰ってきて、花嫁修業したほうがいい」 とか 「英語の勉強より、結婚!」 とか おじいちゃんは、そんなことばかり言うよ。 ほんとにそうかもしれないね。 なんて。 2007年10月22日(月) リヒャルト |
よしみと→→→2008年10月21日(火) 10時14分のバスに乗るため、家を出る。 外出前におじいちゃんに「出かけてくる」と声をかけた。 おじいちゃんは、はっきりと返事をしてくれた。 京都でよしみと待ち合わせ。 ランチを一緒に食べた。 いろいろ話をして、写真をみせあいっこしたり。 帰りに京都の伊勢丹で夜ごはんを買出し。 ひさごの押し寿司。 サバ(バッテラ)、雀寿司(タイ)、巻き寿司など。 大津駅の平和堂でお母さんのために栄養ドリンクを買出し。 |
リゾットで喧嘩→→→2008年10月20日(月) おじいちゃんが私を呼んだ。 おじいちゃん「きのこのリゾットを昼飯に食べたい」 えみ「きのこのリゾット?」 おじいちゃん「そう。お母さんにきいてみて」 きのこなんて買ってきてないし、急に言っても駄目だよな…。 思いながらも、お母さんに伝えたら、案の定無理。 母「えみちゃんに言ったら、なんとかなると思ったんか?」 おじいちゃんのせいで寝不足の母はきれた。 おじいちゃん「もうええ!」 喧嘩。 親子喧嘩。 結局、栄子おばちゃんがまだ買い物に行ってなかったので、追加依頼で、きのこを買ってきてもらった。 夜ごはんはきのこリゾット。 おじいちゃんは市販されてるリゾットとかでいいと言ったけれど、お母さんはおじいちゃんのことを思って、手作りした。 おじいちゃんはおいしそうに食べていた。 よくよくきけば、おじいちゃんはサイゼリヤで食べたトマトのリゾットがおいしかったのでもう一度食べたいそうで、テイクアウトできるのか聞いてみようという話になった。 おじいちゃんはみんなでサイゼに行こうか、なんて言ったりもしていた。 行けたらいいんだけどねえ。 |
直樹おじちゃん帰る→→→2008年10月19日(日) 今日は、直樹おじちゃんが東京へ戻る日。 おじちゃんが、昼ご飯にオムレツを作ってあげようと言いだしました。 二人で生協へ行って、マッシュルームなどを買いだし。 おいしそうな鯖寿司が安くてあったので、それもゲット。 鯖寿司は、値段のわりにおいしかったです。 わたしとおじちゃんは一個ずつ、おじいちゃんは四つくらい食べたかな? さてオムレツ作り。 わたしはオムレツ作りの手伝い。 玉ねぎやにんじんを切りました。 包丁が切りにくいので、やりづらかったです。 おじちゃんは卵をまくのがうまく、おいしそうに出来ました。 しかし、わたしのケチャップが最悪で、おじちゃんの避難をあびました……。 「みほちゃんと直樹の料理を比べてどうのとは言いたくないけれど、これは食べられない」 おじいちゃんは、オムレツの中の牛挽肉がのどにひっかかるようで、半分くらいしか食べられませんでした。 おじちゃんはそのあと、幹雄おじちゃんの車に乗って、山をおりていきました。 「えみちゃん、ちょっと見てごらん」 言われたので、おじいちゃんのテーブルの上を見たら…… オムレツを半分残した皿の上に、入れ歯がON!! 汚な〜〜っ!! おじちゃんがそれを見なくて良かったあ! オムレツと入れ歯の盛り合わせですよ……。 2007年10月19日(金) ゲオルグ |
歌を歌って寝かせない作戦→→→2008年10月18日(土) 夜、直樹おじちゃんが昔の歌の歌集を手に、おじいちゃんの横でひたすら歌い続けました。 おじいちゃんを寝かせない作戦! なぜって、おじいちゃんは昼間にたくさん寝てしまうから夜にちりんちりんを何回も鳴らすに違いない、という考えのもとですよ。 おじいちゃんは手だけで踊ったり(しかも、即興のふりつけ)とご機嫌かと思えば、歌いたくないと首を振ったり、いろいろでしたが、10時すぎまで起きていました。 動画&音声をとりました。 座敷に直樹おじちゃん、お母さん、わたし、もちろん、おじいちゃん。 四人でいて、楽しいひとときでした。 2005年10月18日(火) 映画「チャーリーとチョコレート工場」 |
鶴の里→→→2008年10月14日(火) イノダ経由で、おじいちゃん家に到着。 おじいちゃんは、座敷に搬入されたベッドの上に座っていました。 ちょうど、かおりおばちゃんも座敷に居て、出迎えてくれました。 おじいちゃんは、聞いていたよりも元気そうでした。 はきはき話していたし、声も力強さがありました。 でも、あとから聞いたら、わたしが帰ってくる時間を見計らって、酸素吸入していたらしい。 これから二週間、おじいちゃんと一緒に過ごしますわ〜。 2006年10月14日(土) お寺参り |
みわちんの結婚式→→→2008年10月13日(月) 今日は、みわちんの結婚式。 わたしは、挙式は出席せず、披露宴だけ出席してきました。 みわちん、とってもかわいかったです。 もともと美人だから、ほんとに綺麗だった〜。 だんなさんとのこれまでの恋話はほとんど知らないんだけど、大恋愛して結婚ってステキだなあと思ったわ〜。 二次会にも参加しないで帰ってきてしまったのが、残念だけど、みわちんの花嫁姿がみられたので、もう幸せです。 そう思うと、今月末のみれいちゃんの結婚式、来月下旬のよしみの結婚式に出席できないことが、ほんとに残念。 なんでみんな今年に結婚するんですか!! そんなこと言ってもしかたないんだが……。 明日は、おじいちゃんちに移動です。 でぶでぶエミですが……大津でおじいちゃんと一緒に野菜中心の食事すれば、痩せるかな? おじいちゃんに、まんまるになったって言われそうだ。 2007年10月13日(土) ペンション |
帰ってきました→→→2008年10月12日(日) 日本に帰ってきました。 あーフライト時間なげー。 映画は、 「ドラゴンキングダム」 「GET SMART」 「ハンコック」 「インディ〜クリスタルスカル」 をみました。 みましたっつっても、英語わかんないからね、楽しさ満喫できないけどね。 お父さんとお母さんが空港まで迎えにきてくれてたので、新車ティーダくんと初対面でした☆感動〜……ってほどでもなかった。むしろ、もうセレナちゃんはいないんだなあ、と思うと寂しかったよ。 空港から千葉へ向かう途中で、おじいちゃんに電話しました。 「えみちゃんが帰ってくるのを待ってたんよ」 と、おじいちゃん。 そのあと、英語でなんか話されましたが、わたしのリスニングが悪いために、何かわかりませんでした……がーん。 おじいちゃん、ごめん。 ひとから頼まれたものをいろいろ、買いました。 しかし、私は一文無しなので、全部借金です。 あーどんどん借金がかさむ!! そして、日本は就職難らしいです。 帰国後、仕事が見つかるのか、さきゆき不安ですわ。 体重計にのったら、ヘビーウエイトになってました。 体重計のない生活(体重計はあるが、壊れてたからな)は、人をこうも太らすものなのね(涙) 明日は、でぶでぶですが、ドレス来て、みわの結婚式に参加です。 久々の、デスクのキーボード叩き、気分爽快。 やっぱ、キーボードは立体でなくちゃ!ラップトップのフラットなキーは駄目です。 おじいちゃんの具合は相当わるいみたいで、話をきいていると悲しくなりました……。 お母さんのポジティブシンキングに脱帽です。 大変な介護を、そういうふうに前向きにやっていけるって、本当にすごい。 |
Kaku's Birthday→→→2008年10月05日(日) かくくんの誕生日でした。 ダンダス×ヤングのまりこにてパーティ。 知らない人が多かったなあ。 カナダにきて、はじめて同じ名前のひとに出会いました。 もうひとりのエミさん。 でも、気があわなさそうです。 トシを認めろよ。 わたしら、27歳の学年なんですよ。 21歳のトモミちゃん相手に、気持ちは若いとか言うなよ。相手が困るだろが。 くだらねえ。 かくくんとあかねさんとで、映画の話題で盛り上がったのが楽しかったな。 その日は、結局二時間くらいしか寝ないで、荷造り。 明日はいよいよバンフへ出発です。 帰ってきたら、翌日」日本へ出発のためのパッキングをしないといけにあのが大変だわね。 とりあえず、できるとこまでの荷造りはしてありますが……。 2007年10月05日(金) おじいちゃんちへ |
バスツアー☆→→→2008年10月04日(土) さちこさんとニューマーケットにいき、さらにその北へ行く予定でしたが、北へむかうバスがストライキのため、むりでした……。 まあ、もともと、わたしが遅刻しちゃったので、どっちにしても無理だったかもしれないんだけどね。 というわけで、今日は、Don Millsのショッピングセンターに行きました。 うお。初めて紫ラインに乗ったよ。 お客さんががらがら。 ここぞとばかりに写真をとりました。地下鉄の……(笑) そのあとは、Don Millsから85番のバスに乗り、トロントズーのあたりまで行き、86番にのって、ケネディ駅へ。 なんかもう、ただバスに乗ってるだけです。 地下鉄でWardenまで行き、そこからフィンチアベニューまでバス。 で、さちこさんと別れ、フィンチ駅までバス。 もう、バスだらけじゃ。 そのあと、イートンに行って、hedleyのCD買ってきました。 PCに入れて、CDじたいは日本に持ち帰ります。 |
意味わからん→→→2008年10月03日(金) やすおさんとお茶しました。 セントジョージのティムホにて、二時間くらい。 なんかいきなり、彼女ができたとか報告されましたよ。 彼女できたんなら、ほかの女と二人でお茶してたりしたら、いかんだろ。 とりあえず、「まあ、お茶くらいならありですかね」とか言っちゃったけど、よっぽどの相談事でもない限り、ナシですね。 彼女さんに悪い。 「奈津子さんは、俺のことどう思ってるんやろ?」にはビックリしました。 なんかメールでは、奈津子さんはやすおさんを頼ってるような話をしているらしいです。 奈津子さんがやすおさんを頼るかな〜? ようわからん。 でゆーか、わたしに訊いてくれるな。 わたしが奈津子さんの気持ちを全部把握してるとでも思ってるんですか。 そんなにべったりではないですよ。 そして、やすお氏は彼女に腹巻きをプレゼントしたいようです。 腹巻き……。 なぜに? わたし、腹巻きもらったらヘコむよ。 ありきたりだけど、マフラーとかもらったほうがいいわ……。 やすおさんの元職場では、女性が普通に腹巻きをつかってたらしい。 どんな職場やねん。 わたしの元職場は、みんな膝掛けでしたからねえ。 その話をして、彼女に腹巻きか膝掛けか訊いてみたほうがいいよってアドバイスしたんだが……答えは、腹巻きだったそうだ。 彼女、23歳ですよ。 23歳で腹巻きですよ。 マジですか? おまけに、やすおさんのリクエストは、モノトーンの腹巻き。 わたくし、日本で地味な腹巻きをゲットすることになりました……。 意味わからん。 腹巻きって……。 2007年10月03日(水) 映画「パーフェクト・ストレンジャー」 |
半笑い→→→2008年10月02日(木) 昨日の時点で予約少なそうってきいてたから、まあ、休みだろうとは思ってたけど。 おとうさんから三時四十分くらいに電話がかかってきました。 「はい、えみです」 「たかしです。フフッ。今日、休みです。フフッ」 ……なんで、半笑い?? というわけで、ラストの待機は休みに終わり、わたしの加地でのバイトは先週土曜がラストとなりました。 いやー、あのときに写真とっておいて良かったス。 『三零』 登場人物リストをいまさら細かくつくってます。 トロントで出会ったひとも、キャラに入れようとしてます……しかし、もう、悪役とか犯人役とかしか残っていない(笑) 主要メンバーは大学時代までに出会った友人の名前で満員です。 それですら、「あれ、このひとワキ役!?」みたいな事態が発生してますからね……ごめんね。 『緋色の欠片』 祐一先輩、七章まできたよ。 拓磨より、祐一のほうが好きだ!! プレイしてて、楽しいもん。いや、切ないんだがね。 慎司と美鶴のくだりや、アリアとフィーアたちの話も、きけるしね。 そのぶん、拓磨と真弘はあまり出番ないけどね……。ちらっとしか拓磨が出てこなくても、出てきたときにほっとするのは、拓磨編をさきにやってたからよね。 真弘先輩は、祐一編なのにおいしいとこ持ってくわ。 祐一先輩おわったら、卓やる予定。 真弘先輩はそのあとかなあ〜? 一番人気ときいたら、逆に先にプレイできないわって思ってしまうのね。 |
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