Emiの日記
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母の日のプレゼント→→→2006年04月30日(日)
千葉へスーツケースを買いに行った。
今あるスーツケースが10日間用くらいの大きなもので、台湾3泊4日には、あまりにも大きすぎるため。

汚れるかナーと思いつつも、白地に薄緑色で地図の柄が描かれたものが可愛くて、それを買いました。
見た目重視さ。

スーツケースベルトも買ったよ。
今回はアメリカに行くわけでもないのに、TSA認証の鍵付きの3500円くらいするものを買ってしまった。
ほら、そのうち使うしね。


それから、そごうに寄って、母の日のプレゼントを買った。
祖母が亡くなったときに、仏事用のハンカチがなくて困ったので、仏事につかえるハンカチ二枚組。
白地にうっすら小さな花が飛び、縁を控えめな銀色の糸で飾ってあるものと、色違いのミントブルーのもの。
しかし、これが合わせて箱詰めすると、ものすごく寂しい取り合わせなんすよ。
一枚だけ派手な花柄にしてしまおうかなとも思ったけど、それだったらすでに母はいっぱい持ってるし……って悩んだあげく、結局さみしい色あわせのままにしちゃったさ。

ラッピングカウンターに持って行ったら、「は、母の日用ですか……?」と微妙な顔をされた。
まるで香典返しみたいな色合わせだからねえ。苦笑。
しかも、ラッピングだけは可愛らしくしたいやって、明るい色合いの花柄の包装紙を選んだら、店員は「うわあ、コイツ趣味どないなってん?」みたいな戸惑った様子だった。

ほっといて☆

ちょっと早いけど、母の日当日は台湾旅行に行ってしまってるし、来週も滋賀に行ってバタバタしてるだろうから、今日プレゼントを渡しました。
喜んでもらえたよ。
よかったあ。



そして今日、一年二ヶ月に渡って自宅内で頑なに圏外を保ち続けていたFOMAを見限る日がやってきた。
auに乗り換えっす!

auにしたら、自宅内でも電波入ったよ。ウレシイ。
これでベランダに出てメールしなくてもいいのね?
庭に出て電話しなくてもいいのね??

ああ、どうしてFOMAの電波は我が家に届いてくれなかったのでしょう。


2004年04月30日(金) そのとおりなんだけどね。


映画「RENT」→→→2006年04月29日(土)
映画「RENT」
公開初日にみにいってきた。

東銀座の東劇で10時20分の初回で!!
奈津子さんと二人、並んで、みたよん。

ミミとジョアンヌ以外はオリジナルキャストなので、いつも聞いているサントラの歌声と役者さんの顔が合わさって嬉しかったっす。
しかーし、RENT初演から10年たっているので、当然役者さんも歳をとっている。舞台ならいいけど、映像だと歳を感じてしまうよね。
とくに、物語が若者の葛藤だからさあ。

映画スタートでいきなりシーズンズオブラブが入ったのは、ちょっと頂けなかった。あれは、舞台では前半おわって休憩はさんで、後半のスタートで入る歌だし、それだからこそインパクトがあって、今までの話の流れからぐっとくるのにねえ。
オープニングで歌っちゃうとは!!
曲だけ流して歌は入れないのかと思いきや、ばっちり歌ってましたから……。


そして、しょっぱな、マークが歌いながらチャリこいでたシーンは、ものすごい微妙。
あー失敗かも、って思った。
終わってみれば、まあまあだったが、はたしてミュージカル見てない人に、すんなり受け入れられるのかしら。
「シカゴ」みたいにバッチリうまくいってないよなあ。
題材も題材だけに。

大学四年の卒業間際に見に行ったミュージカルのほうを思い出しつつ見ていたけれど、やっぱり舞台の方がいいよお。
もちろん、映画でなきゃできない演出があって、それはそれで良かったけど……でもね。
映画の演出で気に入ったのは、エンジェルとコリンズが地下鉄の中で踊るシーンとか、タンゴモリーンの衣装替えてのダンスだね。


ロジャー役のアダムさんが、どこかユアンに似てました。
ずーっと、気になりました。
そして彼は、回想シーンでのツンツン頭の方が格好いいです!全編あっちにしてくれ(笑)。なーんか、あのくるくるヘアーがイヤ。

ミミはスタイル抜群。かわいかった。

ジョアンヌはタンゴシーンでスタイルが良いのがわかりました。
あたりませだけど、歌がうまいー。

モリーンは、自由奔放なキャラが憎めない。
声がかわいいっす。

エンジェルは、見せ場の死ぬシーンの歌が全カットされていて不満が残りましたが、最初の女装して踊る場面とか、コリンズと一緒に歩く幸せそうなシーンとか、素敵でした。

コリンズ。いーね、この人。瞳の輝きが優しくてスキ。
深みのある歌声もステキ。

2005年04月29日(金) くそう。
2004年04月29日(木) おかしい


また値上げかよ→→→2006年04月26日(水)
いきなりミーティング。
なにかと思えば、また値上げの話。

「しばらくしたら落ち着くから」
そんな言葉は聞き飽きたよ。
ずっと同じことの繰り返し。

あー、くだらね。

2005年04月26日(火) 職場会


ビリケツ☆→→→2006年04月25日(火)
事務Gの中で、最後まで仕事してました。
ビリケツ☆


今日は支社長のワケわからん労働基準法に違反した古くさい話をされたおかげで、すべての業務が押したぜ。

ああ、くだらねーな。

2004年04月25日(日) ホースト


母が戻ってきました→→→2006年04月24日(月)
偶然、お母さんと帰りの電車が一緒になった。

帰り道、おじいちゃんの様子やすぐるのワガママっぷりを聞いた。
うわー、おじいいちゃん、すぐるに振り回されてくたびれないか心配。
それにしても、すぐる……思いやりが足らん!!
忙しくて余裕ないからって、言ってはならんことがあるよ。


今の仕事やめたら、三ヶ月くらい、ぽーんと大津へ行くのもいいなあ、と思った。
京都でバイトでもしつつ、小説書くの。

2004年04月24日(土) 映画「APPLE SEED」


衣類の入れ替え→→→2006年04月23日(日)
衣類の入れ替えをした。
作業中は体を動かしてるから、なんだかだんだん暖かいような気がしてきて、えいやっと一気に夏服と入れ替えてしまったけど……まだ、寒いわ!!

四月下旬なのに、なんでこないに寒いのさー。


最近読んだ本
『THE MANZAI』
『THE MANZAI 2』

大笑いはしないけど、くすって笑っちゃった。
臆病だけど芯が強くて、本人はちっとも気づいてないけど、キミっておもしろいよ、歩くん。
みんなを笑わせてハッピーにしたいっていう秋本もスキ。
二人のお母さんも素敵だし、アイドル的存在の(といっても気が強くて、可愛いばっかりじゃないトコがイイよね)メグも魅力的。



今日の晩ご飯は、お父さんと二人で外食。
イタリアンだった。
腹八分目の分量で満足しとけば良かったのに、ケーキを追加したのが余計だった。
ケーキ……重っ!!


おじいちゃんに手紙を書いた。
小学生みたいな文章になっちった。
これで物書き目指してるなんて恥ずかしいぜ、くらいのレベルよー。
手紙って苦手だわ。
んでもって、字も下手だから、もう笑うしかない。

2005年04月23日(土) PRIDE ミドル級 GP 開幕戦
2004年04月23日(金) 一週間終了


一気に書いちゃった→→→2006年04月22日(土)
原稿用紙二十枚分。
久しぶりに一気に書いたよ。

三零ともRED INKとも関係のない短編。

今のわたしの、いろんな想いを叩きつけた……いや、つめこんだっていうのかな、そんな感じ。


『背中を押して』

最初にタイトルつけたけど、別に深く考えていたわけじゃない。
書いていくうちに、このタイトルでOKって思えてきたから、変更はしない。

2005年04月22日(金) マロンさんと食事会


ぼんやり→→→2006年04月21日(金)
今週は疲れたな。
前半はお葬式とかでバタバタして、後半は職場に戻って。

普通に仕事してるつもりだったけど、やっぱりどっかぼーっとしてしまって、仕事に集中できなかったよ。

鶴の里の桜がとても綺麗だったのを思い出す。
鎌取の桜が満開のときは、別に桜なんてって思って見ないうちに散ってしまったのにね。

おじいいちゃんとおばあちゃんが長年暮らしてきた家とセレモニーホールとを往復するたびに、車の中から窓ガラス越しに満開の桜が見えて、もう少しでおばあちゃんもこの桜を見られたのにな、って思った。

2005年04月21日(木) 他にも道はある


千葉へ→→→2006年04月19日(水)
ひとり、千葉へ帰りました。
帰り際、おじいちゃんが泣いていた。
また連休には来るからねって言ったら。
「来なかったら迎えにいくからな」って涙声で言われた。

2004年04月19日(月) ケンさん


お葬式→→→2006年04月18日(火)
告別式と初七日を一日でやった。

告別式の終わりにセレマのひとが読み上げたお別れの言葉に、泣かずにはいられなかった。
「来年はもう見られないかも知れない。どんな気持ちで車の中から桜を見つめていたのか……」
今、鶴の里の桜は満開。
おばあちゃん、見たかっただろうな。

告別式のしめくくりのおじいちゃんの挨拶は、とてもしっかりした挨拶で、余計に悲しくなった。

最後に棺にお花を入れてあげるとき、涙でおばあちゃんの顔がぼやけて、よく見えなかったよ。



焼き場に行って、おばあちゃんが骨になって出てくると、「ああ、本当にもう、死んでしまったんだ」と思った。
お骨拾いを終えた後、おじいちゃんがじっとおばあちゃんの骨を見つめている横顔が悲しかった。


初七日は、みんなの疲れもピークに。
うとうとしちゃう人続出で、おばあちゃんも「コレコレッ」って思ってたことでしょう。



夜、お母さんと一緒にゴミ出しをしに、ゴミ捨て場に行った。
ゴミ置き場の後ろには、大きな桜の木があって、街灯に照らされた満開の桜は、とても綺麗な夜桜で見とれてしまった。
桜のむこうには、もう山が広がっている。
鶴の里は、本当に山の上だね。
暮らすには不便だよ。
けど、緑がいっぱいで、好きだな。

本当に、桜が綺麗だった。

2004年04月18日(日) おい!


お通夜→→→2006年04月17日(月)
久しぶりにおじちゃんおばちゃん、いとこたちが集まった。
たくさんの人でにぎやかに楽しむのが好きだったおばあちゃんは、きっと喜んでいると思う。

おばあちゃんの横で泣いていたら、いとこの飼っているゴールデンレトリバーのトムが側にかけよってきた。
一暴れして、まるでわたしを元気づけようとして、そのままおとなしくよこに寝そべった。

「可愛がってもらうばかりで、なにもお返しできなかったよ」
言うと、母は
「いいのよ。おばあちゃんは、孫を可愛がるのが楽しみやったんやから」
と言った。

ゆりちゃんもあやちゃんも泣いていた。
すぐるは、たった一週間前にみんなで楽しくご飯をたべたばかりなのに信じられない様子で、男だから泣かないのかもしれないけれど、かなり辛そうだった。
「泣けない自分が嫌だ」
と言った。

セレマのひとがきて、おばあちゃんを担架に乗せて車に運んだ。
入院するたびに家に帰りたいと言っていたおばあちゃんが、セレモニーホールへ運ばれてしまう。
次に帰ってくるときは、もう骨になってしまっている。
そんなこと、考えたくない。
頭ではおばあちゃんは死んでしまったってわかっていても、心は信じたくない気持ちでいっぱい。


一週間前に母がおばあちゃんと二人散歩したときに、おばあちゃんが「ええ香りやね」と言った沈丁花を、母とゆりちゃんとあやちゃんと一緒に見にいった。
家を出て右手の角を曲がり、二、三十メートルくらい歩いたところにあるオキバヤシ先生の家の前にある、大きな沈丁花。
おばあちゃんは、その沈丁花の下で押し車の椅子に腰掛けて、少し休憩したそう。
そこからすぐ近くに見える桜は、そのときはまだ満開ではなくて、
「桜はまだ、六分咲きやね」
と言っていたとか。
今はもう、満開だよ、おばあちゃん。

寛君が亡くなったときに沈丁花がいい香りで、そのとき以来、お母さんは沈丁花があまり好きではない。
沈丁花にまた一つ、悲しみが増えたわ。
そう、ぽつりと言った。

三時前に、セレモニーホールへ向かい、湯灌に立ち会いました。
「さかさ水」(水にお湯をたしてつくったぬるま湯)の桶を右手に、ひしゃくを左手にもって、おばあちゃんの足先から胸元へお湯をかけてあげる儀式をひとりひとり順番にしたあと、母とゆりちゃん、あやちゃんとわたしだけがその場に残った。
死後硬直していても、お湯で体があたたまると筋肉がほぐれて柔らかくなるんだって。
まるで生きているみたい。
いい香りのするお風呂に入れてもらって、体中を丁寧にあらってもらって、気持ちよさそうだった。
顔の産毛も綺麗に剃ってもらった。
おばあちゃんが仲人をしていたときに良く着ていたお気に入りの波の模様の留め袖を着せてもらって、棺に横たえられた。
愛用していた化粧ポーチ(マリクワの黒地ベースでピンクの花柄の。母がプレゼントしたもの)に、化粧品(普通のファンデとかは鏡がついているので、燃やしたときにそれが溶け出してしまうため、セレマのひとが用意してくれた鏡のないファンデのパクトを入れた)、愛用していたアイブロウペンシルなんかを入れて、こっそり煙草とマッチも入れて。
お化粧してもらったおばあちゃんは、おでかけのときの綺麗なおばあちゃんになってた。
最近は背中が曲がってしまって小さくなっていたのに、骨もすっきり伸びて、元通り背がすっと高くなっていた。


お通夜は、沢山の人が来てくれていた。
ナオキおじちゃんの会社関係の人は誰もきていないから(会社が東京だし)、ほとんどがおばあちゃんの友人ばかり。
おばあちゃんがどんなに友達が多かったかってことだよね。


直樹おじちゃん、幹男おじちゃん、りょうくん、すぐる、ゆうとくんは灯の番をするため、セレモニーホールへ残り、ほかのひとは鶴の里へ戻った。

2005年04月17日(日) 毎日書かなくてもいいじゃん
2004年04月17日(土) 足が痛い2


始発電車→→→2006年04月16日(日)
母と二人、始発の電車に乗って東京へ向かった。
一応喪服も荷物に入れてあるので、荷物はトランクにつめた。
母の留め袖が型くずれしないように、ターコイズブルーのトランクに。
端から見れば、親子で海外旅行にでも出かけるように見えるだろう。
鎌取のホームで電車が来るのを待っていると、四月なのに風がまだ冷たくて、高校受験で都内の私立女子校を受けたときに朝早く母と二人で電車を乗り継いで行ったのを思いだした。

七時過ぎの新幹線のぞみに乗りこんだところで、おじちゃんから母に電話があった。
おばあちゃんがいよいよ危ないらしい。
それでもわたしは、五月の朝日レガッタは一緒に行くんだ、だから頑張って、なんて思ってた。
けれど、新幹線が京都に着く前に、おばあちゃんが亡くなったと連絡があった。

いとこのゆりちゃんとあやちゃんと合流して、四人で鶴の里に向かった。
おばあちゃんは、座敷(むかし、ひいおばあちゃんの部屋で、今は客間になっている)に布団を敷いて、そこに本当に眠るように横たわっていた。
布団の頭の上に置かれた小さな祭壇や、ドライアイスで顔のサイドを覆った白い布などがなければ、寝ているとしか思えない。

今にも目をあけて、「寝てたわ」と言い出しそうな穏やかな顔なのに、どんなにみんなが呼びかけても、もう目をあけてはくれない。

泣きました。

泣いてもしかたないのだけれど、泣かずにはいられませんでした。

とても可愛がってもらったのに、全然おかえしできなかった。


この数年は、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、わたしの四人で旅行をしたりもしたけど、もっとこれからいろんなところへ行こうねって言ってたのに。

2005年04月16日(土) 一年ぶりに友人と
2004年04月16日(金) 足いたい


おばあちゃん→→→2006年04月15日(土)
昼12:19の日記

起きたら、お母さんが電話している声がきこえた。

おばあちゃんの昨日の透析がうまくいかなかったらしい。
血圧が低すぎて、一時間ほどで打ち切ったそうだ。

今日、一日かけてゆっくり透析して、それでもうまくいかなかったら、延命措置として人工呼吸器になるって言っていた。

うまくいっても、元気に復活するわけではなく、先細っていく命ではあるのだけれど……うまくいってほしい。


五月の連休には、おばあちゃんの楽しみにしている朝日レガッタがあって、傑はもちろん、平山君にも会えるって喜んでいた。

頑張って……。
祈ることしかできないけれど。



夜25時の日記

透析はうまくいって、一旦は少し持ち直した。
けど、夜になって容態が急変した。
心肺停止。
蘇生したけれど、もう意識が戻ることはないそう。

今日一日家にいてソワソワしていただけだし、だったら、朝から大津へ行っていれば、おばあちゃんと会話できたのかな、とか思ってしまう。

糖尿病で透析してて、心臓も弱くなってて、いつこうなってもおかしくなかったとはいえ、急すぎて頭が追いつかないよ。
だって、つい先日まで、おじいちゃんとおばあちゃんだけで鶴の里でできるかぎり暮らしたいとか、家をリフォームするとかそんな話してたんだよ?
先週お母さんが大津に帰ったときは、押し車押しながらトコトコ歩いてお花みたりしてたっていうのに。お母さんがつくった料理をおいしいおいしいって沢山食べてたっていうのに。

おばあちゃんがわたしに最後にくれたメッセージ。
「えみちゃんは物書きみたいな人になったらええわ。会社勤めはあわへんかもしれへんよ」
って、母の携帯からのメールを通じてもらったの。
仕事がどうにもならなくて泣いていた先週。
たった一週間前のことなのに。

急すぎるよ。


五月もきたらええわ。祇園祭りもお盆もきたらええ。いくらでもきなさい。

電話のむこうで優しくいってくれた声が、もう聞けないなんて。

2005年04月15日(金) 健康診断
2004年04月15日(木) なんでだー


仕事のことなんかすっとんだ→→→2006年04月14日(金)
仕事から帰ったら、母から祖母の具合が悪いことを聞かされました。

血液の循環がうまくいっていないんだって。
もう良くなることはないんだって。


仕事のことでイライラしていたのがふっとんだ。
そんなイライラ、どうてもいいことだ。



結婚しようかな、なんて思った。
相手がいないからムリだけどね。

おばあちゃん、わたしの花嫁姿を見たいって、昔からずっと言ってるから。



神様。まだ祖母を連れていかないでください。
そう願っても、やっぱりそのときは来るんだよね。


まだ今日明日の話ではないのだけれど、涙がとまらない。




連休、大津に行くことにした。
少しでも元気な間に、会いたい。

祇園祭も、大文字も、一緒に過ごしたい。

2005年04月14日(木) 帰ろうと思ってました


鳴りやまない電話→→→2006年04月13日(木)
今日は隣の人が休みました。
最近ずっと体調が悪いので心配です。

そして、休んだ一人分を三人くらいで割り振ってなんとかやりましたが、たぶん「この人限界なんじゃね??」って電話のむこうの方々にバレていたんじゃないでしょうか。

現在の担当仕事量は全員が三月までよりも増えています。
ただでさえ増えたところへ、休んだ人の分までフォローするだけの余力は誰にもない。

やばい状況です。


関東にある営業所が一つ本社に統合されたため、本社にかかってくる電話の本数も増えました。

ずーっとずーっと電話が鳴り続けています。
全員が電話に出ているのに、まだ鳴っている。
ということは、「なんだよ、つながらねーな」と怒り出すお客さんがいるわけで、こちらはこちらで「ああ……鳴りっぱなしだ……(焦り・疲労)」となるわけ。


電話をとるばかりで仕事がすすまず、そうこうするうちに「あれどうなりました?」と確認がきたりして、まだやれていないなんてことも。申しなくて仕方がない。
焦ったり、イライラしたり、本当に押しつぶされそうになります。

きっとこのイライラは、相手にも伝わってしまうと思う。
お互いに気持ちのいい応対をしたくても、余裕がなさすぎて出来なくなりつつあるのは、問題だわ。

とかいいつつ、忙しい癖に時々雑談しちゃったりしてる。仕事しろよって感じですが、ちょっと息抜きになるので雑談は欠かせないよ(笑)


わたしは本来ぼーっとしている性格なので、ものすごい勢いでさばききれない仕事がたまってくると、もう焦りゲージ満タン!!

なんとかならないかなー。
ねえ、神様……(もはや、神頼み)

2005年04月13日(水) 映画「エターナルサンシャイン」


ノー残業?→→→2006年04月12日(水)
仕事を放り出して強制的に帰らされるノー残業デーが、久方ぶりに復活した。
前よりも仕事量が増加しているせいか、いっそうアホらしく感じた。
ろくに片づいていない状況で帰宅して、翌日に響きまくり。
せめてキリのいいところまで整理させてくれたっていいじゃないか。

マジ、うるさい。
うるせーこのやろう。


2004年04月12日(月) やっぱりね


海のマウスパッド→→→2006年04月10日(月)
昨日ヨドバシカメラで買ったマウスパッドを会社へ持っていった。
碧い海の写真のマウスパッド。
リラクゼーションシリーズと銘打ったマウスパッドの一つなんだが、まあ気休めっちゃあ気休めだよね。
それでもないよりマシ。

昨日マウスパッドのコーナーをうろついていたときに、手のひらよりも小さなマウスパッドを発見した。
「これで十分」と書かれていた。
横スクロール機能のついたマウスなどが普及してきたので、マウス自体をそんなに動かさなくても操作できるから、こんなに小さくても十分なんだよ、と説明されていたさ。

いやー残念。
マイパソコンは2002年秋にセットで購入したときについていたレーザータイプのマウスなんで、そんな多機能じゃないのよん。

会社のは、ボールタイプだしね。

何より、わたしはマウスを大げさに動かしたい人間なので、「これで十分」サイズだとはみ出すわ(笑)


今日は元気に行こうと思ってメイクはピンク系にしてみた(が、お腹を壊して体調不良。全然元気じゃねえじゃん)。
ラヴーシュカのピンク色のアイカラーに、マジョの紫っぽいやつを重ねて、マスカラも入れたよ。
口紅はケイトのルージュトランスのRD。


仕事は頑張りすぎないことにしよう。
マジメに考えすぎないようにしよう。
だって、ここは別にずっといる場所じゃないんだから。

2004年04月10日(土) 四月歌舞伎 白波五人


パソコン売り場→→→2006年04月09日(日)
旅行計画の話をするのでシムタと津田沼で待ち合わせ。
その前にちょっと千葉によった。

ヨドバシカメラに行って、パソコン売り場をうろついてきた。

モニタだけって、ちゃんと売ってたよ。
モニタだけを眺めて欲しそうにしてる人もいたよ。
モニタだけ買う人、いるんじゃねーの??

ちなみに、17インチではシャープので三万二千円くらいのがあったけど、我が家はシャープとなぜか相性が悪いんで、もし昨日千葉に買いに来ていたとしても、買わなかっただろう。

キーボードで丸っこいデザインのがあって、かわいーなと思った。
うーん、マウスも欲しい。


夜は父と二人、デニーズへ行きました。
父はロースカツ定食を、わたしは海老とアスパラのドリアを食べました。

いやー、あのデニーズ、ガラガラだったなあ。
そして、一年近く前にミヨッチさんとネイビーさんと行ったデニーズのような気がするんですが、いかんせん地理が頭に入らない人間なので、記憶が定かではありません。

2005年04月09日(土) 「ヤマトタケル」(段治郎さん)
2004年04月09日(金) 笑顔がいいね


モニタ買った→→→2006年04月08日(土)
自宅のパソコンのモニタ(ブラウン管。今時もう電気屋で見かけないようなドカーンと大きいヤツです)のスイッチが壊れたので、モニタだけ買いに行きました。
金曜日にヒロヨシさんに「パソコンごと買い換えようよ〜」と言われましたが、やっぱり金欠なのでモニタだけ(笑)

地元の家電屋さんに買いにいったのですが、店員に「モニタだけ買うんですか?めずらしい…」と言われました。
しかし、今本体も新しいのを買うのはイヤだ!!
あの子はまだ元気なんですもん。

かくして、DINNERの液晶17インチを三万円ちょっとで買いました。

ところが……

ブラウン管くん、生きてました☆



二階の自室から一階の玄関までヒーハーいいながら父がブラウン管をはこび、その後十数分してから復活。おい、はやすぎるぜ。
なんかしらんが、本体を横に傾けたらスイッチが復活したらしい。

あ、あわわ。

わたし、早まってしまいました(泣)
でもいいです。またスイッチがおかしくならんとは限らんし。

ブラウン管くんは、とりあえず弟の部屋に押しこんでおこうという話になりました。捨てるのはしのびないんで。



月曜日、やっぱり会社へ行こうと思います。
メソメソしてないで、笑顔で!!

このまま逃げたとしても、会社の人は「やっぱりな」って思うだけで、きっとすぐにわたしのことなんか忘れてしまって、職場には次の人がやってくるだけ。
でも、逃げたわたしのほうは、すぐに忘れることができなくて、ひきずってしまいそうだと思った。
だって、メソメソ逃げ出すなんて、人生の汚点じゃないか。

わたしは要領がよくないし、あれだけの仕事量をこなすのは無理だと思う。
それでも、できないならできないで、ちゃんとケリをつけてから、自分でも気持ちの整理つけてから、さわやかに去っていきたい。


せめて、夏までは頑張ろう。
嘘でもいいから、笑顔で。

周りの士気まで下げてしまわないよう、笑顔で。


いっぱいいっぱい→→→2006年04月07日(金)
ただいまあーちくしょおおお!!
帰ってきたら11時ですよ。
やだやだ。

四月第一週目がなんとか終わりましたが、どんどん気分が不安定になってきました。
そして肌がかゆい。
イライラする。

月曜日、休もうかな。
起きたときの気分で決めよう。



がんばれないよー。
むりだよう。

2004年04月07日(水) 負けません


あほくさい→→→2006年04月06日(木)
目標あがり時間を書いて、時間オーバーしたら、オーバーした理由を書く。あほくさ。
担当仕事量が多いって以外に理由なんてないわ。もっと仕事を手早くできる人をやとえば〜? わたしには無理。
ベスティさんから、先月までの担当してた客先よりヨロシクっていわれたよってききましたが、冷めてる自分がいた。
やっぱ担当かわるときは一つのピリオドだと思ってたけど、まじでピリオドだわ!
あーイライラ。
慣れてないだけなのかな。そうとは思えないんですが。

オユミノさんがお菓子をくれた。ちょっとした心遣いがいーよね。忙しくて頭パーになりそうなときに、ほんのすこし安らぐよ。
ヒロヨシさんは大変そうです。ひたすら。笑顔の素敵な方なんですが、笑顔も陰りがち…



やっぱさあー、営業も営業アシも両方、人手不足じゃん?

2005年04月06日(水) ミヨっちさんとネイビーさんとファミレスで
2004年04月06日(火) 面接


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