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中詞5題

特別ではないある晴れた午後の日  ギンと乱菊 051121
あなたなしでは空も飛べなくなった私を許して  乱菊とやちる 051201
君のその笑顔を守るために、  ギンと乱菊 051212
くだらぬ嘘のための犠牲  ギン 051216<注:人によっては不快な内容かもしれません(グロ?)
僕を動かす世界でただ一つの存在  ギン 060106NEW



配布元 キョウダイ





『特別ではないある晴れた午後の日』


 三番隊の執務室に通されてみると、そこには誰の姿もなかった。首を傾げている乱菊の後ろで、乱菊を案内した席官が慌てふためく。
「あっ、す、すみません……っ」
「ああいいのよいいのよ。市丸隊長のことだもの。天気が良いし、昼休み後で満腹だし、どこかへ昼寝でもしに行かれたんでしょ。あたしだってコレがなければそうしたいくらいよ」
 振り返って乱菊はそう笑いかけるが、気の毒なくらいに眉を八の字の形にした席官が項垂れる。
「ですが、その書類はすぐに確認印が必要なのですよね」
「うーん。吉良がいればいいんだけどねえ」
「申し訳ありません」
 二人で向かい合って考え込む。そのとき窓の外からのんびりとした調子でギンの声がした。
「十番隊副隊長さんやないの。どうしはったん」
 席官が跳ねるように窓に飛びつき、身を乗り出して上を見上げた。
「隊長っ、こちらにいらして下さいよっ」
「えー、こんな天気ええ日に部屋にこもるの、もったいないわあ」
「でしたら後で屋外演習でも訓練でもしますからっ」
「それはいやや」
 叫ぶ席官の背中を眺めて苦笑いをすると、乱菊は彼の後ろから身を乗り出して上を見上げた。
 青い空を背景に、こちらに目を向けている屋根の上のギンと眼があう。その眼は普段の薄っぺらい笑みよりも少しだけ深くなり、それを見て乱菊も笑みを返した。
「市丸隊長。とりあえず確認して頂きたい書類があるのですが」
「印鑑なら持ってきとるし、こっち来てくれはるかなあ」
 ギンの言葉に席官が何か言おうと口を開けるが、乱菊は彼の背を軽く叩いて微笑むと、窓枠に脚をかけた。
「了解しました」
 僅かな取っ掛かりを頼りに、乱菊は軽々と屋根まで飛び上がる。屋根の上には柔らかな午後の日差しが降りそそぎ、ギンはそよ風に吹かれてそこにいた。
「こちらの書類をお願い致します」
 一礼して、乱菊は書類を手渡した。ギンはそれを眺めてにやりと笑い、懐から紙包みを取り出して乱菊に渡す。中身は金平糖だ。
「ちょお時間かかりそうやし、ここでひなたぼっこでもしといてな」
「では、お言葉に甘えまして」
 二人は見つめ合うと、穏やかに微笑んだ。乱菊はギンから近くはない場所に腰を下ろし、空を見上げる。空は淡く青く高かった。





『あなたなしでは空も飛べなくなった私を許して』


 羽をもがれたようだと思うときがある。
 遠い昔はよく一人だけ取り残されていたのに。大人になってからはお互いに関わり合いのない生活をしていたのに。一人には慣れたと思っていた。もう、それが常態で、だから奴がいなくなっても何の問題もないと思っていたのに。
 どうしてこんなに体が重いのだろう。
 どうしてこんなに空が遠いのだろう。


「らんちゃん」
 宵の空を見上げていた乱菊は、背後からの高い声に振り返った。乱菊が座っているせいで同じ目線になったやちるが乱菊を見つめている。桃色の髪が揺れた。
 乱菊はいつも通りに艶やかな笑みを浮かべる。
「どうしたの、やちる。こんなところに」
 そういう乱菊の髪も風に揺れる。腰まである山吹色の髪は東の空にようやく顔を出した月の光を反射して、屋根瓦に光が零れる。瓦は日中の日差しに熱せられていたが、それも夕暮れの風に冷やされて心地よい熱にまで冷めていた。
 やちるはひょこひょこと乱菊の横に立つと、顔をのぞき込んで笑う。
「らんちゃんこそ、どうしたの。こんな屋根の上で」
「あたしは仕事のさぼり中よ。隊長には内緒よ」
「ひっつん、額に青筋浮かんでた」
「いつものことよ。血管ぶち切れないか、心配よねえ」
 日番谷が聞いたらそれこそ血管のかわりに堪忍袋の緒をぶっちぎりそうな言葉を悪びれずに言い、乱菊は明るく笑った。やちるも一緒に笑い、そして乱菊の頭を抱えるようにして抱きついてくる。子供特有の甘い匂いと高い体温に急に包まれて、乱菊は目をしばたたかせた。
「やちる?」
 乱菊の顔の横で、柔らかい頬がやわやわと動く。
「らんちゃん、明後日、現世に行くんでしょ」
「ええそうよ」
「だからおせんべつに元気のおすそ分けー」
 ぎゅうと小さな腕に抱きしめられて、乱菊は思わずくすくすと笑った。そして乱菊もやちるの体に腕を伸ばし、ぎゅうと抱きしめる。
「やあね、やちるったら。あたし、元気よう」
 そうは言ってみたが、それでも乱菊はやちるの肩に埋めるように顔を押しつけた。自分よりも高い体温に溶けるように感じて、乱菊は目を閉じる。尻の下の太陽の残熱とやちるの体温に包まれて、乱菊はほうっと息をついた。やちるは無言で、乱菊の頭をぽんぽんと軽く叩く。
 なんとなく照れくさく、乱菊は顔を離すと、やちるの両肩に手を置いたまま向かい合って大きく笑う。
「おすそ分けされたわ」
「はい、おすそ分け終わり!」
 やちるもまた顔全体で大きく笑い、小さな手で乱菊の腕をぽんぽんと撫でるようにした。そして小首を傾げて、今度は柔らかに笑って言う。
「向こうに行ったら、ぎんちゃんに会えるといいね」
 一瞬、何を知っているのかと乱菊は驚いた。自分は何も話していないし、ギンが話していたとも思えない。しかし、乱菊をのぞき込むやちるの目は静かでただ柔らかで、だから乱菊は何も誤魔化さずに、
「そうね」
と呟いた。
「とりあえず一発殴らないといけないしね」
「ぎんちゃん強いから、頑張ってね。らんちゃん」
 その言葉に、乱菊は一度ゆっくりと瞬きをし、そして頷いた。
「ええ、何が何でも殴るわよ」
 風に誘われるように空を見上げると、星が瞬いていた。
「何が何でも、絶対に」


 体が重いなら地を這えばいい。
 空が遠いなら高いところへ登ればいい。
 まだ世界は終わっていない。与えられた世界はいまだ美しいままで、だから何も諦めることはできないから。





『君のその笑顔を守るために、』


 ギンはこちらを見てとても嬉しそうに笑う。
 その顔を眺めていると、いくらふくれっ面をしていても乱菊はつられて笑ってしまう。普段のギンはどこか大人びていて、常にどこか緊張させた油断のない顔をしている。行き違う他人に向ける顔は笑っているが、薄く軽く、とってつけたようなものだ。だから、乱菊の方を見て笑うときのその子供らしい表情がとても痛々しくもあり、またそれを見られることを乱菊は素直に喜んでいた。少なくともギンが年相応に笑うことが出来るときがある、ということに安心していた。
「ほら、もう、笑って誤魔化さないの」
 笑うギンの頬を軽くつねり、乱菊は口元が緩むのをこらえてしかめ面をしてみせる。何も言わずに二日間も家を空けたギンは傷だらけになって帰ってきたから、乱菊は先程からずっと泣いたり怒ったり叱ったり笑ったりの繰り返しだ。荒ら屋の入口に座り込み、傷を丁寧に洗い、保管してある薬草を貼り付けたりしながら乱菊の口は動くのを止めない。その様子をギンはただ笑って眺めている。ただ、柔らかい溶けそうな顔でギンは乱菊を眺めている。
「ちゃんと聞いてる? あたしが見ていないところでこんな傷こさえて来るんじゃないわよ。あんたは傷を放っておくから、どんどん悪くなっちゃうんだから」
「うん。よう聞いとる」
「きちんと傷を手当てしないとだめよ。あたし、怒ってんのよ。分かってる?」
「うん。よう分かっとる」
 へらへら笑ってギンは答える。乱菊はこらえきれなくなって、苦笑した。
「あんた、返事だけはいいんだから」
 ギンは小首を傾げて満面の笑みを浮かべる。
「うん」
「ああもう、開き直ってる」
 乱菊は薬草を貼り付けた腕にぐるぐると乱暴に布を巻き付けた。そうしてぎゅっとほどけないように固く結ぶ。痛ぁ、とギンは呻くが、それでも笑みは消えない。嬉しそうに笑ったまま、ギンは乱菊の額に自分のそれをつけてくる。ギンの細く柔らかい銀髪が目の前で揺れて、乱菊はくすぐったそうに首をすくめて笑う。
「手当て、ありがとなあ」
「そう言うなら怪我しないでちょうだい」
「今度から気ぃ付けるわ」
 そう言ってギンは細い目を更に細めた。そうすると、普段からかすかにしか見えない瞳がほとんど見えなくなる。乱菊はその瞳の色を覗き込んで、色を確認するとふうっと笑う。
 ギンの瞳は普段は秘色に見えるが、光が当たると薄い薄い、瓶覗の色に見える。こんな地平のすぐ上にある空のような瞳が、どうしてときどき血の色を帯びるのか乱菊には分からない。分からないけれど、それでも乱菊はギンに紅の瞳で笑わせてはならないと思う。あの殺気を帯びた笑みを浮かべるギンは、それは美しいけれど同時にとてもかなしく見えた。
 この怪我を負ったときも、この瞳は血の色をして笑っていたのだろうか。そう考えると、乱菊はどこか苦しくなって、額をギンの額にぐりぐりと押しつける。
「痛ぁ。痛い痛いわ。乱菊、乱菊、ボクちゃぁんと次から気ぃ付けるから、そない怒らんといて」
 勘違いしたのか、ギンが謝りながら乱菊の頬に手を伸ばしてきた。その手の導くままに額を離し、乱菊は困った顔をしたギンを見つめると、ふうと笑った。そうするとギンはほっとしたように、柔らかに笑う。
 ほら、ギンはこうして笑う方がずうっといい。
 乱菊は淡いあわい空の色の目で笑うギンを見てそう思う。そして、せめて自分の傍にいる間はこうして笑えたらいいと思うけれど、ギンがいつも乱菊の思うその先へ行ってしまうことを乱菊は知っているから、乱菊はただ精一杯ギンに微笑みかけることしかできない。ただ手を伸ばして白く光る銀髪にふれ、優しく頭を撫でることしかできない。
「怒ってないわよ」
 そう言うと乱菊は、自分の頬に添えられている手を握って笑う。ギンがくしゃりと顔を崩して笑った。


秘色(ひそく)…明るい灰青のこと。いわゆる青磁の色。
瓶覗(かめのぞき)…淡い藍色。染色の藍の瓶にちょっとだけ浸けただけのような色。甕に水をはってそれに空の色が映った時の色との説も。覗色(のぞきいろ)ともいう。






『くだらぬ嘘のための犠牲』


 乱菊に出会うずっと前、ギンは一つの嘘をついた。
 一人でいた夜、近寄ってきた男があまりにしつこくて、殺すのも面倒だったギンは男を放っておいた。男は、ギンの無反応無表情に妙な興奮を示し、ギンから離れようとはしなかった。面倒やなあ。適当にかわしながらギンは小さく呟いた。この面倒が殺す面倒より大きくなったら殺そうと決めた。
「なあ、お前、普段はどこに住んでるんだ」
 遠くまで来てしまって野宿していたというギンの言葉を簡単に信じた男は、荒い息を吐いて何度もそう尋ねた。うっとし。ギンは、数日前に通りかかった場所を口にした。そして男が微睡んだ隙に逃げた。すぐに忘れた。
 その夜を思い出したのは数ヶ月後のことだ。
 通りかかった集落に見覚えがあった。そう思ってすぐに、あの夜を思い出してギンは顔をしかめた。そして妙に静かな集落に足を踏み入れた。
 そこかしこに死体が転がっていた。
 集落の中央にある小屋の前で、あの夜の男が座り込んでいた。何かをぶつぶつと呟いていたが、ギンの姿を見るとふらつきながら立ち上がった。
「遅かったじゃないか」
 男は粘りつくような声で言い、焦点の合わない目をにたりと細めて笑った。
「あんまり遅いもんだから、もう誰もいなくなっちまったよ」
 じわりと苦いものが広がった。苦虫を噛み潰したように、眉間にも鼻筋にも皺を寄せてギンはその苦さを飲み込んだ。
 適当でくだらない嘘はつくものではない。
 右手に力を瞬時に集め、それを解き放った。男の笑いが空中に散らばって消えた。


 ギンは乱菊に嘘をついたことはない。もし、つくことがあるとしたら、それは自分の存在をかけて真剣につくだろうとギンは思う。
「乱菊」
 振り返ると、後ろを歩いていた乱菊が慌てて呻き声をあげた。頬がふくらんでいて、腕の中の果物が一つ減っている。
「……食べたやろ」
「う、ううんっ。ううん」
 ギンの問いに乱菊は懸命に首を横に振っているが、口の中にまだ果物が残っているのか、何も言えないでいる。
「ええんよ。嘘つかんでも。食べたんやろ」
 柔らかに微笑んでギンが覗き込むと、乱菊はうかがうような眼をして、小さく頷いた。
 にやりとギンが笑う。
「乱菊、あの繕い物やってぇな」
「んっ、うう……っ、ええっ。あんたの番じゃないっ」
 ようやく飲み込んで乱菊が声を上げた。
「でもボクつまみ食いなんてしぃひんもん」
「う」
「やってぇな?」
 しぶしぶ乱菊が頷く。ギンはその表情を眺めてじんわりと笑った。これくらい可愛らしい嘘ですら、その嘘が引き金となって何かが起きてしまうことを恐れてギンは乱菊につけない。でもそれでいいとギンは思う。嘘をつくことが下手な自分はその方がいいとギンは思っている。






ようやく終了です。あとがきは後に。

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