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雲の向こうの遠雷が呟きさえも掻き消すから 6-1

 朽木ルキアが行方不明になっていることは、先日行われた緊急の隊首会で報告され、各隊の上位席官まで知ることとなった。技術局で現世の監視を行っている課には空座町を重点的に監視するよう通達がなされ、空座町付近を担当している隊には駐在している死神に一日に二回、情報を送るようにそれぞれ連絡された。
 そうして送られてきた夕刻の報告書を確認し、乱菊は思わず溜息をつく。日番谷が顔を上げ、物言いたげな表情をした。乱菊は苦笑して首を傾げてみせる。
「いえ、単に面倒なことになってきたなあって」
 日番谷は不機嫌そうに頷く。
「人数集めてさっさと探しに行きゃ済む話なんだよな。ったく、どいつもこいつも面倒くせぇ」
「色々としがらみがあるんですよ。人手が有り余っているわけでもないですしね」
 報告書をまとめてファイルに放り込み、乱菊は苦笑いでそう言う。実際、現世に派遣できるレベルの人員は余っておらず、世界の安定を崩しかねない隊長格の死神ならともかく、ただの平である死神の捜索に割く労力を惜しむのは当然だった。見つかれば罪になるが、見つからなければそのまま放置されることになるだろう。そういうことを乱菊はぽつりぽつりと日番谷に話す。日番谷は大きく息をつき、面倒だよな、と吐き捨てた。
「捜すならきっちり捜す、放置するなら最初から放置する。その方がすっきりするじゃねえか。浮竹だってその方が気が楽なんじゃねえの? 放置してくれた方が勝手に捜索できるだろ。浮竹は見つけ出したいだろうしな」
「そうですねえ。なんか確かに、中途半端ですよね」
 考え込むように二人とも黙り込むと、西日の射し込む執務室はしんと静まりかえった。廊下や、窓下のざわめきが静寂の底を這うようにして耳に届く。乱菊は窓に目をやった。赤く染まった空が切り取られて絵のようにそこにあった。どことなく不確かな感覚に乱菊は眉を寄せる。普段なら暖かく感じる空の赤が、何かを掻き立てているような気がした。
 そのとき、窓枠の中にひらひらと舞う黒い影が見えた。
「あら、隊長。地獄蝶ですよ。何でしょうか」
 乱菊はそう言って窓に歩み寄ると開かれていた窓から手を伸ばした。地獄蝶が指先に留まる。その現実味のない軽さに乱菊は無意識に微笑んだ。地獄蝶はひらりひらりとその黒い羽を揺らしながら伝言を乱菊に示した。
 乱菊は一瞬だけ息を止め、大きく吐き出した。
「…………隊長」
 硬い声で乱菊は日番谷を呼んだ。その声の硬さに日番谷は顔を引き締める。
「何だ」
 逆光の中、乱菊は厳しい顔を日番谷に向けた。
「二つ、あります。一つは、つい先程、現世の空座町で大量の虚が出現し、続けて大虚が出現しました。それは正体不明の死神に退治されたそうです」
 正体不明。日番谷は低い声で繰り返した。乱菊は頷く。
「続けろ」
「もう一つは……その死神のそばで、行方不明だった朽木ルキアが義骸に入った状態で発見されました。これの対応について中央四十六室がこれから会議を始めるそうです。よって、現世駐在の死神には先日の命令を取り消すよう伝えろ、とのことです」
 日番谷が眉間の皺を深めた。
 乱菊の指の先から黒い蝶が音もなく離れていく。乱菊はひらりひらりと飛んでいく蝶を見送って赤い空を見た。夕暮れの空に黒い蝶がくっきりと切り取られた闇の色で舞っている。乱菊は眉をひそめ、そして日番谷を振り返った。
「……朽木ルキアからは義骸要請はなかったはずだったな」
 日番谷が低い声で言う。乱菊は無言で頷いた。
「まず、その正体不明の死神ってのは誰なのか。そして、朽木ルキアが発見された状況がどうなのか……まあ」
 自分で確認するように呟いて、そこで日番谷は口を引き結んで黙り、溜息をついた。
「俺らが首を突っ込める問題でもねえけどな」
「そうですね」
 窓枠に軽く腰掛けるようにして寄りかかり、乱菊が口元を歪める。
「あたし達が関わることでもないんでしょうけど、でも……気になりますね」
「そうなんだよな」
 日番谷と顔を見合わせて、お互いに頷く。遠くから、終業の時刻を報せる鐘が響き始める。その音に導かれるように乱菊は再び窓の外に顔を向けた。空は先程より赤く暗くなり、遠く向こうの雲はやけに紅く染まっていた。
 執務室の扉を叩く硬い音がした。
 乱菊が振り返ると、日番谷と眼があった。日番谷が、
「おう、入れ」
と応える。
「失礼致します……」
 開く扉から勇音が顔を覗かせた。背の高い体を縮めるようにして、困った表情で静かな執務室に入ってくる。乱菊は笑って、
「あら、勇音、どうしたの」
と迎え入れた。勇音がほっとしたような顔になった。
「あの、こちらが先日の健康診断で再検査になった人達の結果です。こちらの隊には深刻な状態の人はいなかったので私共から申し上げることはありません。日番谷隊長が目を通されたらご本人達にお渡し下さい」
 手渡された封筒を、乱菊はひらひらと日番谷に振ってみせる。日番谷は勇音を見上げると、
「判った。ご苦労だった」
と言った。勇音が一礼する。乱菊は茶菓子の入った箱の中を確認し、勇音に笑みを向けた。
「もう終業時だし、もう配り終えたならお茶でも飲んでいかない?」
 乱菊の言葉に勇音は眉を寄せて首を傾げた。
「ごめんなさい。まだ最後に十一番隊を残してあるんです。再々検査の人が多いから、一人一人に説明していかないといけなくて」
「大変ねえ……副隊長自ら」
「だって、伊江村さんが言っても聞いてくれないらしいから」
 困ったように笑う勇音の肩を乱菊は労うように軽く叩く。そしてひょいと顔を上げ、
「そういえば、勇音は聞いた? 朽木が見つかったって」
と尋ねた。その途端、勇音の表情が曇る。日番谷がちらりと視線を向けた。
「……十三番隊で聞きました。あちらには他の隊より少し早めにその報告が届いたはずですから」
「そう……迎えに行くのは十三番隊かしら」
 乱菊は俯く勇音を覗き込むように見上げて訊いた。勇音は眼を伏せて、逡巡するように視線を泳がせる。分厚い封筒を胸の前で抱える両手が、強く握られた。
「いいえ……まだ決まっていないそうです。浮竹隊長も、小椿君や清音も自分達で迎えにいくつもりでいるようですが、中央四十六室が決めることですから、まだどうにも」
 勇音の言葉に乱菊は首を傾げる。
「だって……十三番隊が行くのが普通なんじゃないの? 確かに、無断で滞在期限延長したことになるから罪は問われるでしょうけど、でもそんな重い罪じゃないでしょ」
「いいえ。話はそれだけではないそうなんです」
 勇音ははっきりと言い、目を上げて乱菊を真っ直ぐに見た。そして日番谷の方に振り向く。日番谷は促すように小さく頷く。
「いずれ知れ渡ることなので申し上げますが……朽木さんが義骸に入った状態で発見されたことは伝えられていると思います。そして技術局の保管庫の方に義骸要請はなかったこともご存じでしょうか」
「ええ、知ってるわ」
 乱菊は低く相づちを打った。
「朽木さんが入っていた義骸は、一目では義骸とは判別できないくらいに精巧なものだそうです。映像で見た限り、ではあるそうですが、義骸を見慣れている技術局の方々ですら最初は判らなかったくらいに。その義骸を直接調べなければ詳細は判らないでしょうが、少なくとも映像で判別しがたいほどの出来のものを製作できる技術を持つ人は数少ないそうです」
 勇音はそこで言葉を切った。日番谷がゆっくりと瞬きをする。
「つまり、朽木ルキアは製作者不明の義骸に入っていたってことでいいのか」
 日番谷に、勇音は慎重に頷いた。そして再び口を開く。
「そして、朽木さんの傍にいた正体不明の死神は、ここ近年で行方不明になったどの死神にも当てはまらないそうです……と言っても、容姿の特徴と斬魄刀の形状で検索した限りだそうですが。…………更に」
 言い淀むように勇音は口籠もり、わずかに戸惑いを見せた。乱菊も日番谷も、勇音から視線を外さない。少しだけ沈黙が降り、勇音は眼を伏せて、そして上げる。
「更に、朽木さんから死神としての力が失われているようです」
 その言葉に乱菊は驚愕した。日番谷に目を向けると、彼もまた驚いたようにわずかに目を見開いている。勇音は二人を見回して、話を続ける。
「映像で見ただけとはいえ、それを技術局員が見間違うことはないと思われます。朽木さんからは死神としての霊圧が見受けられず、そして霊圧も相当低くなっているようです。死神は、傷ついて弱っていたとしても死神としての力そのものを失うことはありません。ですから、予想される中で最悪のことは」
「その、正体不明の死神への、力の譲渡、か?」
 日番谷がこれまで以上に低く押さえた声で確かめた。勇音は小さく、
「はい」
と答えた。乱菊は腰に手を当てて溜息をつく。
「譲渡なんて……そりゃあ方法としてはあるけれど、やってしまったら重罪じゃないの……」
 勇音が乱菊の方に切なげに眼を向ける。乱菊はその眼を見て、自身も眉をひそめていることに気づいた。乱菊は自分の頬に手を当てて軽く叩く。
 日番谷が考え込むように片手で頬杖をついていたが、勇音を見上げて、
「だから誰が迎えに……捕らえに行くか、即決していないんだな」
と言った。
「そうです。重い罪になるかもしれない以上、同じ隊に属する死神が迎えに行けるのかどうか……四十六室の判断待ちのようです」
 勇音は重い口調でそう答え、そして俯いた。
 部屋は薄暗くなっていた。乱菊はそれに気づいて窓の外に目をやる。太陽は沈んだのか、西の空も暗くなり、宵闇が覆い始めていた。





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