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雲の向こうの遠雷が呟きさえも掻き消すから 1-2

 ギンは慈乃の庭園にいた。
 ここは街の中にあるわりに夜中は人がいない。この小さな庭園は以前は中流貴族の屋敷の庭だった。瀞霊廷にはそのような庭園が数多くある。中流から下流の貴族は、死神を輩出できずにいるとゆるやかに没落していくことが多い。何か別に生活の糧を得られる職に就くか、財産を食いつぶして血を途絶えさせるか。彼らの財産は縁のある別の貴族に譲られ、その貴族もまた消えていく。管理されなくなったそれらの庭は公的機関が管理して利用することが殆どだったが、まれに譲り受けて守る力のある貴族がその庭園を一般に公開することがあった。
 この慈乃という貴族も数十年前に血が途絶えた。屋敷は壊され、調度品は売られたが、小さいながらもよく手入れされていた庭は最期の主の希望通りに一般に公開され、憩いの場となった。ギンはその貴族を知らない。だが以前、交流があったという大前田に庭が公開される経緯を聞いたことがある。最期の年老いた主を世話していた大前田家が彼の死後、大前田家が彼に貸した金の半分にも満たない全ての財産を譲り受けて、彼の望み通りに庭を公開し、管理しているとのことだった。時折、大前田が主催して花見や月見を行ったり、誰かが大前田から借りて宴会を催している。

「大前田家も親切なことしはるんやねえ」
 あれはもう十年以上前の花見だった。庭園の由来を聞いていたギンは大前田にそう軽く笑いかけた。大前田はにやりと笑みを返した。
「そりゃあ俺ん家は、極悪非道の成り上がりなんすけどね。まあそれでも、大昔に世話になった爺の最期の頼みくらい聞いてやらねえと」
「そんなもんやろか」
「屋敷にあったもんは全て売り払いましたがね。俺ん家の趣味でもなかったですし。ただ、あの爺さんの趣味だった庭くらいは残してやっておいてもバチはあたらねえでしょう」
「いやいや、良い物を残しているじゃないか」
 背後の声にギンと大前田は振り返った。藍染が桜の木の下で微笑んでいた。
「見事な桜だと思うよ。この庵は桜のために建てられたのだね」
 藍染がゆったりと歩み寄ってきた。
「そうらしいっすよ。この桜も、爺さんが植えた頃は貧相だったんすけどね。まあ立派になりましたが、それでも藍染隊長よりは若いっすよ」
「それを言わないでくれないか。年老いたように感じてしまうよ」
 大前田の軽口に藍染は苦笑した。
「まあでも長いこと生きたものだよ。それでも、美しいものを眺めるのは飽きないものさ……この桜の散る様のようにね」
 風が吹いて、藍染の背後で淡い桜の花が散った。

 その桜も今は青々とした葉を茂らせている。月光だけが照らす新緑は輪郭だけが鮮やかな緑で、それに縁取られて黒々と闇の中で揺れている。ギンは目を細めた。葉の陰から藍染が現れる。月の光に冴え冴えと感情のない笑みが照らされる。
「おや、まだ他の人達は来ていないんだね、市丸隊長」
 そう呼ばれてギンはへらりと笑ってみせる。周囲に人の気配も霊圧もないから、藍染が戯れにそう呼んでいることは確かだった。
「いややなあ、五番隊長さん。約束の時刻より先にボクを呼び出しはったんは隊長さんやないの。しかもそないな呼び方されたらボク戸惑うわ」
「君と二人きりではあまりに密談といった風情になってしまうからね。意識的に気を付けていないと人が来たときに怪しまれるかもしれないから」
 そう言って藍染は笑い、庵の縁側に腰を掛けた。ギンは桜の前から動かずに彼の軌跡を目で追った。お互いの白い羽織が月光で青白く闇の中に浮かんでいる。
「人は来ぃひんやろ。大前田君から貸し切りにしとるくせに」
 ギンは肩を竦めた。庭園の門は固く閉じられていて、ギンは瞬歩で跳び上がって入ってきたのだ。
「それに意識的も何も、藍染隊長の化けの皮、剥がれるわけないやないの。何千年それ着けてはるんや」
「何千年とは失礼だなあ。山本総隊長じゃないんだから。僕はまだちょっとしか生きていないよ。ああ、まあ、今生きている死神の中では長生きの方であることは間違いないけどね」
 柔らかな口調で藍染はギンの言葉に反論する。その口調は普段通りで、だからギンは寒気を覚える。藍染の笑みは口調に違和感を覚えるほどに冷ややかだ。
「僕と同年代の死神も殆どが死んでしまった。隊長にまでなった者も退任してしまったしね。肉体の方はまだまだだと思うが、そう考えると年をとったように感じるなあ」
 ギンは小さく笑った。
「ボクからすれば十分に年寄りや」
 藍染が苦笑する。
「言っておくけど、ギン、それを卯ノ花隊長の前で言ってはいけないよ。彼女は僕と同年代なんだから」
「言うわけあらへん。そな、怖ろしい」
「……卯ノ花を怒らせると怖いからなあ」
 何かを思い出すように藍染は夜空を見上げ、そして苦笑いを浮かべる。そういうときの藍染からは冷ややかさが消え、穏やかな、『普段通り』の彼に見えた。藍染にもそんな穏やかな思い出があるということをこういうときに気づかされ、ギンは僅かに違和感を感じずにはいられない。
 蒼い闇の中、藍染はゆったりとくつろいでいる。
「そういえば」
 ギンが声を出すと藍染はちらりと目線を向けた。
「東仙さんはどないしはったん。密談せぇへんの」
「うん、要は狛村君との先約があると言っていた」
 藍染はそう言って、縁側に深く座り直す。
「この後の酒盛りには遅れるが来られるかもしれない、ともね。まあ、あまり三人でつるんでいるのを見られると良くないから。要が恐縮するのでそう言っておいたけど、本当に僕はそう考えているよ。君と要は意見が合うようにも仲が良いようにも見えないから、一緒にいる君らを眺めていて、いつも妙だなあと思うんだよね」
「用心深いことやねえ」
 ギンは呆れたように言い、ふらふらと月光から逃れるように桜の葉の陰に入った。藍染は縁側で月明かりに晒されている。
「要にはまた別の日に伝えておくつもりだよ。さて、他の人が来る前に話しておくが……崩玉の件、絞り込めてきている。少し僕が直接出向かなければならないだろうが、それで判明するかもしれないよ」
「直接て、どこに」
 ギンは藍染に顔を向けた。藍染の顔は月光でよけいに白く見えた。
「戌吊」
 きぃんと耳の奥で金属音がしたように感じた。
 遠い昔、自分が訪れたときの光景をギンは思い出した。戌吊。そこまで藍染が辿り着いていたことにギンは気付いていなかった。藍染は殆どのことを一人で行う。報されるのは多くが全て終えた後だ。
 内心の揺れを悟られぬようにギンは葉陰でうっすらと笑う。溜息が胸の中に溢れて、ギンは鼻でゆっくりと吐き出した。そして藍染の眼を真っ直ぐに見る。
「……そらまた遠いところに。さすがの藍染隊長でも数日はかかりますやろ。どないしはるんです?」
「そろそろ、五番隊に尸魂界内での虚討伐が廻ってくるんだ。時期が合うように僕の造り出した虚を戌吊付近に放す予定だ。さすがに隊長・副隊長格でないと相手にならないだろうから、僕一人が行くことにしようと思ってね。これならば誰にも変に思われないだろう」
 藍染は事も無げに説明する。ギンは呆れたように首を傾げた。
「策士ですなあ、相変わらず。雛森ちゃんが心配しはるやろ」
 藍染はふっと頬を緩めた。
「どうせ彼女を一人でやるわけにはいかないしね。僕が一人で行った方が隊としても効率的だとでも説明するさ。彼女は僕の言うことに逆らえやしないんだから」
「おお怖ぁ。よう手懐けはって」
 ギンはわざとらしく首を横に振る。それを見て藍染はくつくつと笑い、
「使えそうだからね、気に入っているだけさ…………市丸隊長」
と言った。ギンは木立の向こうに目をやり、そして片手を上げた。
「八番隊長さん、お早い起こしで」
 少し大きめな声でそう呼びかけると、木々の影の中から鮮やかな女物の着物を羽織った姿が現れる。京楽は片手の徳利を持ち上げて、笑った。
「君の方こそ早いじゃないの。市丸、どうしたの」
「仕事が山のようにあるよって、丁度イヅルも阿散井君のお祝いでおらへんし、こっそり早めに抜けてきたんですわ」
 ギンの返答に京楽は笑う。
「ああ、そういえば七緒ちゃんもそんなことを言っていたな。遅れて行くって言うから一緒に出てきたけど。あーあ、そりゃあ吉良君は明日も大変だ」
「いつも伊勢ちゃんを怒らせてはる八番隊長さんに言われとうないですわ」
「まあ、そうだねえ」
 京楽は悪びれもせずに笑い、そして藍染に顔を向けた。藍染は縁側から立ち上がると、片手を上げて挨拶をする。
「や、京楽。浮竹はどうした」
「ちょっと咳き込んでいたがね、調子はいいらしいから小椿君達の目を盗んで来ると言っていたよ」
 京楽がそう答えて、徳利を藍染に手渡す。藍染は書かれている酒の銘柄を見て嬉しげに微笑んだ。
「この酒は全てなくなってしまうな。浮竹も気の毒に」
 藍染の呟きに京楽が苦笑した。
「まだ来ないと決まったわけじゃないよ。それにしても面子ってどうなっているんだい? 隊長達で飲むんだろう? 副隊長達と合流するわけじゃないよね」
「野郎だらけですわ。砕蜂ちゃんも卯ノ花さんも来ぃひんのやて。ホンマ、華やぎあらへん」
 藍染に代わって答えるギンに、京楽が情けない顔をした。
「本当?」
「ホンマです」
「うわ、それはいかんなあ」
 京楽は手で額を抑え、空を仰いで大袈裟に嘆いてみせる。それを藍染は笑って無視し、
「よし、先にちょっと味見してみようか」
と珍しく浮き立った声で言った。





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