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雲の向こうの遠雷が呟きさえも掻き消すから 1-1

「朽木隊長の妹さん、現世で行方不明になっているらしいですよ」
 檜佐木の言葉に、乱菊は顔を上げた。
「なんでまた」
「それがわからないから行方不明なんじゃないすか」
 もっともなことを言って、檜佐木は手酌しようとお銚子を持ち上げる。そして、空だと呟くとくるりと振り返り、おねーさーんもう一本、とそれを振った。その隣で阿散井も振り返り、更にもう一本、と追加注文している。絣の着物に前掛けをした店員が駆け寄って、空のお銚子を持っていった。
「朽木って、今も十三番隊よね」
 乱菊が隣の雛森を振り返ると、雛森が小さく頷く。
「そうです。私は清音さんから聞いたんですけど……行方不明っていうほどではないらしいですよ。ただ、戻るっていう連絡がそろそろあっていいはずなのに、ないとかで少し心配そうにしていました」
「ああ、俺は小椿から聞きましたね」
 雛森の対角線の位置にいる檜佐木が耳聡く答える。
「騒ぎにはしたくないからまだ十三番隊の一部と、朽木隊長にしか報せてないらしいですけどね」
「それを更にここで話していいの? 修兵」
 乱菊が苦笑すると、檜佐木はしれっと、
「この店は大前田さんの贔屓だから店から漏れるってことはないし、他の客から離れてるから聞こえませんよ」
と言った。大前田はそれを聞いてにやりと笑う。
「店からは平気だろうけどよ、俺らに話していいのかよ。俺も知らなかったぜ」
「いえ、何か問題に……って、朽木さんが根も葉もない噂をされていたりすることですけどね、そんなのに発展した場合の根回しのためにも副隊長の面々には報せておくことは浮竹隊長も暗黙の了解なので、とのことです。でも、浮竹隊長から話があるまでは部下にはもちろん、隊長に話さないで下さい」
 俺も東仙隊長に話してないんで、と檜佐木は小さく付け加えた。雛森もそれに頷く。
「清音さんからそう聞いていたんで、あたしも藍染隊長に話してないです」
「あら、あんたが藍染隊長に隠し事なんて珍しいわね」
 乱菊がからかうように言うと、雛森がぱっと頬を染めた。
「珍しくなんかないですよー。あたしだって、言ったらまずいことは黙ってますってば」
 雛森の慌てた様子に皆が笑った。
 乱菊の隣では吉良が寝ぼけ眼をこすりながら話を聞いていたが、ひょいと阿散井を見て少し眉を寄せて笑った。注文を終えて向き直った阿散井がその笑みを見て顔をしかめる。
「何だよ、吉良」
「いや、ね、心配だろうなって」
 阿散井はさらに顔をしかめる。どこからが自前の眉なのかわからない眉がことさらに歪んだ。
「別に。俺ぁ、心配なんかしてねえよ」
「でも、早く報せたいじゃないか。せっかく、正式な日に報せようとして帰りを待っているのに。あと数日で任官式だよ」
 吉良は優しく言った。そこに檜佐木が割って入り、
「しかも朽木隊長の下だもんなあ。驚くぜ」
 阿散井の脇腹を肘で突く。阿散井はますます不機嫌な顔になった。
 その会話を少しきょとんとして聞いていた乱菊の肩を雛森がちょいと叩く。
「阿散井君、副隊長就任が決まったのに、朽木さんが帰ってくるまで報せないで待っているんです。驚かせようって。……阿散井君と朽木さん、幼なじみなんですよ。朽木さんの入隊が早かったので卒業年次は違うんですけど、最初はあたし達と同学年でしたし」
 雛森はそう説明すると、ご存じじゃなかったんですね、と首を傾げる。乱菊と、雛森の前に座っていた大前田が頷いた。
「あれ、あんたも知らなかったの」
 ひょいと乱菊が大前田に尋ねると、大前田は頷いてちらりと横の阿散井を見やる。
「まあ、人の事情はどうでもいいっすしね、俺」
「そういう奴よねえ、あんたって」
 乱菊は大前田と目を見合わせて苦笑した。そのあたりの事情は知らないかわりに、二人は朽木ルキアの入隊当時に影で囁かれた噂などを知っている。朽木ルキアが兄の手で十三番隊の隊員となるより少し前に入隊した檜佐木は平隊員としてそれを聞いていただろうし、後から入った阿散井達も耳にしたことくらいはあるだろう。しかし、当時すでに高い地位にいた二人は、多種多様の、根も葉もない噂を耳にしていた。その真偽はどうでもいいことだし、上の立場にいた乱菊から見ればありえないと一笑に付すものばかりだったが、ただその品のない噂を阿散井が知ったら酷く憤るだろうなと乱菊は思う。大前田も同じことを思い出していたらしく、普段はこういう話題にツッコミを入れるのに、今はただ笑って阿散井を見ていた。
「だから、俺は別に、ルキアのことなんて気にしてないんだって」
 二人の視線に気付かずに、阿散井は必死に弁明している。
「どうせ現世で道に迷っているとか動物園でウサギに見惚れてるとか雑貨屋で人形に囲まれているとかそんなもんっすよもうぜんっっぜん気にしてないし心配してないし気に病んでもいないんだって。行方不明なんて大袈裟なもんじゃないっすよ」
「ほらあ、吉良君も檜佐木先輩も、もうからかっちゃだめですよ。今夜は阿散井君の昇進のお祝いなんですから」
 雛森が生暖かい笑みを浮かべて阿散井に助け船を出した。檜佐木も吉良も、苦笑して顔を見合わせる。
「さすがにそろそろ気の毒になってきましたね」
 悪びれもせずにさらっと言う吉良に、檜佐木もまた同じ表情で返す。
「いい性格してるよなあ、お前も」
「えっ、なに、俺、からかわれていたのかよ?」
 酔いも手伝って慌ててきょろきょろと二人を見る阿散井の横に、店員がお銚子を二本、とんと置いていった。
「まあ気にするな。いいから呑め。お前のお祝いなんだし、俺様の奢りだからよ」
 大前田が後ろを振り返ると手を挙げて、更にお銚子を追加した。そんなに呑めませんよと吉良が笑い、ごちそうさまっすと檜佐木が焼き鳥を追加する。乱菊は手を伸ばしてお銚子を手に取ると、阿散井に向かってそれを持ち上げてにやりと笑って見せた。
「あ、すみません」
 阿散井が自分のお猪口を手に取る。乱菊はそっと酒をついだ。
「お財布係が気にせず呑めと言ったんだから、呑んでおきなさい。改めて、おめでと」
「ありがとうございます」
 そう言って軽く頭を下げると、阿散井は一気に酒をあおった。そしてぷはあと息を吐く。その顔を見て、乱菊は苦笑して首を傾げてみせた。
「心配?」
「は? ああ、まあ…………そこそこ」
 阿散井もまた苦笑して、そして目を伏せた。
「でも、俺が心配してもしょうがないんで」
「どうして?」
 阿散井は小さく苦笑して、眉を寄せてどこかを見やり、そして眼を伏せる。躊躇うような仕草に、乱菊は柔らかく促すように首を傾げた。それを見て阿散井は再び苦笑する。
「……俺が探しに行けるわけでもないし、もう、ここ最近、ルキアとそんなしょっちゅう話したりもしてないんで……俺、今のアイツの事情も知らないし」
 再び乱菊にお銚子を向けられて、お猪口を差し出して阿散井は俯いたまま呟くように言う。乱菊はわずかに眉を寄せた。乱菊はそのもどかしさを良く知っている。そのもどかしさが呼び起こすのは今はもう遠い銀色の姿だ。かつて近しかった人が遠くなっているそのやり切れなさを、乱菊はもう長いこと味わっている。眉を寄せたまま、乱菊は小さく小さく、そして柔らかく、
「そうね」
と呟くように言う。
 吉良は自分の手の中のお猪口からちびちびと舐めるように酒を呑んでいたが、目の前で俯いた阿散井の頭に手を伸ばすと、えいと軽く叩いた。
「大丈夫だよ、阿散井君。朽木女史は朽木家のご息女なんだから、ちゃんと探し出されるよ。無事だって」
 それは阿散井が目を伏せた理由とはおそらく少しばかりずれていて、しかし確かに阿散井を気遣っていたから、阿散井はくすぐったそうに笑った。そして阿散井は吉良に向かって顔を上げて、
「おう。そうだな」
と快活に言ってみせる。
「そうだよ。朽木隊長は君の新しい上司じゃないか。もしかしたら探しに行けって命令が下されるかもしれないしさ」
「あの人が公私混同するか?」
 二人の会話を黙って聞いていた檜佐木がそう言って笑う。吉良も乱菊も笑った。
「ありえないわね」
「そうですねー」
 阿散井はただ笑っている。そこに追加したお銚子と焼き鳥が運ばれてきた。大前田がその皿を受け取ると阿散井の前に置いた。
「いいから食え。副隊長は格段に忙しくなるぜ。忙しさに目を回している間にその件もなんとかなってるだろうよ。気にするな」
 雛森もお銚子を手にとって阿散井に微笑んだ。
「そうだよ、阿散井君。それに、これまでだって数週間くらい連絡してこなかった人もいたもの。大丈夫だよ」
 二人に立て続けにそう言われ、阿散井は慌てて顔の前で手を振る。
「いやだから、俺は、全く全然これっぽっちも心配もしてないって言ってんじゃねえか」
「はいはいはいはい全く全然これっぽっちも心配してないわよね」
 目の前の乱菊はそう笑って阿散井の空の猪口を指さした。そこへ雛森がなみなみと酒をつぐ。
「ほら、飲みなさい」
「うっわ、俺、そろそろマジで副隊長の仕事覚えないとまずいんすけど」
「なら飲まないと。飲まないとやってられないよ」
 零れそうな酒に慌てて猪口に口をつける阿散井に、雛森が楽しげに言う。
「先輩風吹かせてるな。雛森」
 一気に酒をあおった阿散井がそう言うと、雛森はふふふと小さく笑った。
「だって先に副隊長になってるもの」
 その雛森を横から乱菊は肘で突いた。
「でもあんたはお酒をあおらないとやってられない、なんてことないでしょ? あの優しい藍染隊長の下で働いてるんだから」
 肘で突かれて雛森は笑いながら照れを隠すように身体を捩る。そうしていてもその顔はふにゃりと崩れた。
「そうだよなあ。雛森は何も言うことねえよな」
 相好を崩した雛森を眺めていた大前田が呟く。
「酒でも飲まねえとやってられねえのは、俺と吉良の方だよなあ」
「あー…………大変そうっすね」
 阿散井と檜佐木が引きつった笑いを浮かべた。吉良はただ酔って赤くなった目を細めて小さく笑う。
「まあ、僕はまあまあ言いたいことは色々とそりゃあ色々とあるんですけど、別にいいんです。僕、市丸隊長を尊敬してますから。まあ、言いたいことはありますけどねあるんですけどね本当に色々とあるんですけどね」
「俺もまあ、慣れたからいいんだけどよ。阿散井、朽木隊長だったら少なくとも、隊長の捜索に一日費やしたり書類を溜め込まれて徹夜で印を押したり、日々蹴られたり殴られたり踵を落とされたりはねえからな。喜べよ」
「はあ……」
 異様な迫力の吉良と大前田の言葉に阿散井は小さく曖昧に頷いた。その様子を乱菊は笑って眺めている。檜佐木は感じ入るように頷いて、
「そうだよなあ。俺、三番隊や二番隊を見てると、九番隊で本当に良かったと思うぜ」
と呟く。そしてひょいと雛森を見て、
「そういや、同じく苦労してそうな伊勢さんとかはどうしたんだ?」
と聞いた。雛森はただ笑っていたが、その言葉に店の掛け時計を振り仰ぐ。
「そろそろいらっしゃると思うんですけど……やちるちゃんは寝ちゃったかもしれないですね」
「あー、そうしたら更木隊長も欠席だね」
 吉良がくすくすと小さく笑う。乱菊は吉良に、
「更木隊長が何に欠席するの?」
と尋ねる。それに大前田が答える。
「隊長達で飲み会するんだとさ。俺ん家が管理してる慈乃の庭園を貸し切りにしてるはずなんすよ。うちの隊長は仕事で欠席っすけどね」
 吉良も頷いた。
「今夜、隊長達もこちらに対抗して飲むらしいですよ。どうも年長男性組の面々だけらしいですけどね。日番谷隊長は速攻でお断りされたそうですから、それで松本さんに何もおっしゃらなかったんでしょう」
 吉良の説明に乱菊は苦笑する。
「だと思うわ。こちらに来たがっている雰囲気だったもの。やっぱり何もおっしゃらなかったけどね」
「日番谷君ってば、意地はらないで来ればいいのに」
 雛森がそう言って軽く口を尖らせる。阿散井が即座に、
「いや、隊長に来られたら呑気に酒飲んでられねえだろ。隊長なんだぞ、忘れるなよ雛森」
と言った。吉良が吹き出して笑う。大前田も檜佐木も、乱菊もそれにつられて笑いだし、皆が笑い出した。
 その笑い声が店内の喧噪に負けずに明るく響いていた。





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