無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年10月08日(土) あれもこれも/『ウルトラマンマックス』第15話「第三番惑星の奇跡」/『BLOOD+』第一話「ファーストキス」

 ブログ日記を書くようになって、こちらの日記とあちらの日記と、ネタが被ることもよくある。別々のことを書けばいいじゃないか、と言われそうだが、基本的にあっちとこっちとでは書いてる人格が違うので、同じ題材を扱っていても感想は微妙に違うのだ。
 そのへん、両方を読んでくださっている方は、見比べて楽しんで頂ければよいと思うのだが、しげはブログ日記のほうには「オタクネタは書くな」と言う。
 もちろんそれでも全然構わないのであるが、そうなるとあちらの日記には「今日も寝ているしげの鼻の穴にティッシュを詰めて遊んだ。寝ながらしげは『フン!』と力んで、途端にティッシュの栓はポーンと飛んでった」とか、そんなことばかり書くことになる。
 どんどんしげのアホ晒し日記になっていくのだけれど、それでいいのだろうか。


 『ウルトラマンマックス』第15話「第三番惑星の奇跡」(完全生命体イフ登場)。
 サブタイトルを聞くと、どうしても『ウルトラセブン』の「第四惑星の悪夢」を想起してしまう。あれは存在しない第四惑星(火星ではない)における機械化都市を描いた「寓話」であったが、今回はちゃんと地球を舞台にした、しかしやはり一つの「譬え」を描いた「寓話」として、旧作にも劣らぬ傑作として屹立することになった。
 脚本は『たどんとちくわ』『大怪獣東京に現る』『ドラゴンヘッド』のNAKA雅MURA(中村雅)、特技監督と監督を兼任するのは、『漂流街』『ゼブラーマン』『妖怪大戦争』ほかもうなんでも撮るぞの三池崇史。二人はこれまでにも『中国の鳥人』『アンドロメディア』『DEAD OR ALIVE 2 逃亡者』などでコンビを組んでいる。

 絵を描くことが大好きな少女アッコ(佐々木麻緒)。
 彼女は視力を失っていたが、その逆境にもめげずに音楽家になろうとフルートを吹き鳴らしている。そんな彼女をミズキ(長谷部瞳)は暖かく見守っていた。
 そんな時、宇宙から未知の物体「イフ」が飛来する。イフは、攻撃を加えるとその攻撃力を吸収、し、そのままの力を敵に反撃するという究極の生命体だった(寺沢武一の『コブラ』にそんなの出てきてたね)。「最強」の敵に対し、ダッシュは何の手も打ちようがない。
 ミズキはアッコが出演するフルートの発表会場だけは守ろうと、自ら囮となって、イフを公会堂から遠ざけようとする。イフの攻撃に絶体絶命に陥ったミズキの前に、ウルトラマンマックスが現れ、窮地を救う。しかしマックスのマクシウムカノンもまた、いったんはイフを破壊したものの、復活し完全体となったイフに取り込まれた。マックスに向かって放たれるマクシウムカノン。
 やむなく撤退するマックスにダッシュ。公会堂は破壊された。あれだけ健気だったアッコは、ミズキの呼び声にも反応できないくらいに心を失っていた。「ウルトラマンマックスにも何もできなかったのに、ダッシュに何ができるの?」。 イフの無差別攻撃に街は焦土と化し、その炎の中にアッコは泣きながらふらふらとさまよい出ていた……。

 「イフ」は言うまでもなく「戦争」のメタファーである。『ウルトラ』シリーズにはこれまでにも戦争を題材にしたエピソードは散見していたが、それは物語上の設定であるとは言え、「軍隊の放棄」を憲法に明記している日本に常に「防衛軍」が存在している矛盾について、過去のスタッフたちが忸怩たるものを感じていたことの現れでもあったろう。ただ、子供番組という制約もあってか、直接的な形でウルトラシリーズが戦争を描いたことはまだない。過去の戦争が語られるか、背景として提示されるか、隠喩として使われるか。今回はその最後のパターンであるが、ものが「武器」であるだけに、描写としては最もリアルに戦争のイメージを喚起することに成功している。
 特技監督も兼ねた三池監督は、イフに蹂躙された東京の街をまさに東京大空襲の再現として描いた。ご丁寧にも、その街をさまようアッコは防空頭巾を被っている。言葉で「兵器の過当競争は人類を滅亡に導く」と強く主張しても、それはあまりにも繰り返し語られすぎてきたために、人の心に届かせるだけの波及力を失ってしまっている。しかし、映像にはまだその力が残っているのではないか。親が子にこのエピソードについて語るとき、「昔、これと同じことがあったんだよ」と語れるだけのビジュアルが、そこには展開されていた。そのリアリティが、このドラマを基礎からしっかりと支えている。
 アッコは、小休止しているイフの前で、「怪獣さんも音楽は好き?」と言ってフルートを吹き鳴らす。奏でられるのはショパンの「別れの曲」だ。アッコは別に怪獣に対して何かをなし得ると考えて笛を吹いたわけではない。それはどちらかというと自暴自棄というよりは狂気にかられての行動と言った方が妥当だ(このときのアッコ役の佐々木真緒ちゃんの演技、これがまさに何かが憑依したような名演)。しかしそれが奇跡を生む。
 イフはその体内に「音楽」を取り込んだ。そして、アッコとともに「別れの曲」を合奏する。焦土に鳴り響く交響曲。全身、巨大な楽器となったイフは、ウルトラマンマックスにいざなわれて、宇宙に帰るのだ。
 いくつか、今回のエピソードについての感想をネットから拾ってみたが、中には「きれいごとだ」とか「偽善的だ」と非難していた意見が見受けられた。しかし、地球がイフから守られたのは、全くの偶然からである。誰かの尽力が実ったわけでもなんでもない。「一人の少女が地球を救った」と言っても、アッコはナウシカのように信念も思想も持っていたわけではない。危難に際しては誰かが立ち上がるだろうという希望すらもこの物語にはないのだ。
 だからこの結末は「夢」でしかない。戦争という現実の前では、我々は「夢」を見ることしかできないという、極めて冷徹な現実認識を前提として、この物語は成立しているのだ。そこんとこを見抜けないと、この話の結末がどこか「ヌルく」感じられてしまうだろう。
 あるいは絶対平和主義的サヨク思想に基づいて描かれていると勘違いして見えてしまうようである。でもそれって、脊髄反射でありきたりかつシニカルっぽい言質を弄してるだけじゃないかって思うんだけどね。通ぶってるだけのキモオタの意見によくあるタイプよ。
 子供向け番組だからということで三池監督は決して手を抜いちゃいないのだよ。
 これは一つの寓話であり、「理想」を描いた物語ではあるが、決してキレイゴトでもなければ絵空事でもない。戦争という現実が回避されるとしたら、それは「奇跡」でしかないのではないか、という悲しい問い掛けなのである。
 事前に情報チェックはしてなかったので、「素」で見て(オープニングのクレジットを見損なっていた)「何だ、この出来の良さは!」と驚いて慌てて公式サイトを見てみたら三池監督の作品だったと知った次第。だから「名前や経歴」の先入観で誉めているわけではない。来週の『わたしはだあれ?』でも三池監督は続投するらしいが、次はナンセンス・ギャグ編になりそうである。今週の感動編を期待して見ると当てが外れるだろうから、気持ちを切り替えて「これもウルトラ」という気分で見ることにしましょうかね。


 アニメの新番、福岡には殆ど来ないので(『アカギ』も『蟲師』もやらねえぞ。くそ)、多分にふてくされているのであるが、もうケーブルで再放送を見るか、自分でDVDを買うかしかないのである。
 そんな悲惨な状況の中で、『BLOOD+』だけは夕方六時台をゲットできたのは、まあ次の『ガンダム』までの場つなぎだとしても(苦笑)、ありがたいことである。
 映画版『BLOOD THE LAST VAMPIRE』は、押井塾の企画作品として、劇場公開されているが、そんなにヒットしたようにも思えなかったので、こうしてテレビシリーズが作られることになったのは正直驚きである。
 『イノセンス』のProductionI.G制作ということで、つい過剰に期待してしまいたくなるが、映画版がそもそも「日本刀を振り回すセーラー服美少女」というビジュアルがウリになっているくらいで、あとの設定やストーリーは従来のアニメをそんなに一歩も二歩も出たものではない。寺田克也のキャラクターデザインがどれほどアニメに寄与していたかは疑問があるし(頑張ってはいたけど、結局は作画監督のクセがデザインを凌駕している)、横田の米軍基地を舞台にしている設定は目新しいけれども、短い上映時間の中では、その設定を充分に生かして物語が展開したとは言いがたい。
 テレビシリーズになっても、キャラクターデザインの一新、舞台も沖縄に移す、などの変更点はあるが、物語のコンセプト自体は映画版とさほど違いはなさそうである。主人公の音無小夜(おとなし・さや/声・喜多村英梨)が記憶喪失で自分の宿命を知らないとか、「翼手」に襲われ、謎の男・ハジ(声・小西克幸)の導きで「覚醒」する(キスで目覚めるって、イマドキ『白雪姫』の王子様かよ)ってのも、なんだか既視感を覚えてしまう。つか、これってまんま『サルでも書けるマンガ教室』の「イヤッ・ボーンの法則」なんだけど。
 セリフも声優の演技もアニメアニメしてい大仰で、ちょっと辛いものがある。若手はもう人材不足だから仕方がないとしても、小夜を娘として育てている宮城ジョージの声優が大塚芳忠ってのはミスキャストじゃないのか。これなんか、もっと重厚でリアルな雰囲気を出せる声質の人で、津嘉山正種とか屋良勇作とかの役どころじゃないかって思うけれど。
 そんな風にありきたりというか古くさくはあっても、つまんないというほどではなく、結構、「見られてしまう」のは、やはりI.Gならではの作画の美しさに寄与している面が大きいと思う(中身はないけど、「絵」でってアニメは最近多い。『エウレカセブン』とかもね)。しかし絵の面で言っても、オープニングの戦闘シーンこそ、ざらついた画面のデジタル処理と短いカット割りが効果的で、血まみれな小夜の冷ややかな立ち姿が彼女の暗い運命を象徴しているようでゾクゾクするような魅力に溢れていたのだが、本編に入った途端に、目立つほどの絵もなくなって、話がただ流れているだけの印象になってしまう。もっと構図に凝ってみればいいのに、どうしてそれをしないのかなあ。
 それでも背景組織との関連を掘り下げて描いて行くとか、面白くできる要素もないわけではないので、これから先の展開に期待したい。本当に面白くなるかどうかは、まだまだ未知数だろう。


 相変わらずアテにならないオタク分析をやらかしている野村総合研究所(NRI)であるが、以前の分析が一面的に過ぎると思い直したのだろう、再び同オタク市場予測チームが、オタクの特性を分析して再定義して、10月6日に発表した。
 けれどこれがまた細かくなったわりにはやはりピンと来ないのである。
 「オタクはいわゆる「アキバ系」だけではないとし、行動や消費の特性を抽出。アニメやコミックに加えて旅行、自動車マニアなどもオタクに含め、主要12分野のオタク人口を172万人、市場規模を4110億円と推計した」と言うのだが、分野を増やしていけば、規模だって拡大するのは当たり前である。
 昨年の「アニメ」「アイドル」「コミック」「ゲーム」「自作PC」オタクのほかに、新たに「AV機器」「携帯型IT機器」「クルマ」「旅行」「ファッション」「カメラ」「鉄道」(「アイドル」は「芸能人」に変更)を加えた12分野というのだが、ここまで来ると、日本人でオタクでないやつはいないってことになりゃしないか。
 つか、「オタク」って概念はもう一般化しちゃってるので、市場調査のためのキーワードとしては機能してないと判断した方がいいように思うけどね。
 「オタクの定義は時代とともに変化してきた」という同社の指摘は、一応、納得できはするのである。しかしそこで「オタクはすべての趣味分野に存在する」と言ったんじゃあ、まさしくこの分析が無意味だということを自分たちで肯定しているようなものだ。結局、「何が当たるか分からない」不安定な市場である点ではどの分野も変わりはしない。
 更に、同社の解説する「オタクの再定義」も、当たっているようで微妙にズレがあるように思えてならない。
 (1)こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」
 (2)「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク」
 この2種類の特性を兼ね持つ人をオタクと定義する、というのだが、ガンダムが好きだと言ってるくせに、ファーストシリーズは見たことなくて、レンタルして見るのも面倒くさいなんて言ってたやつを私は何人も知っている。いや、総体的に、好きなものに対してすら金を出し渋るオタクは腐るほどいるのだ。同人活動やってるくせに、「自分の趣味を人に知られたくない」「オリジナルは描けない、パロだけ」なんてオタクはオタクの一典型だと思うが、これも野村総研の定義からは外れてしまう。
 アンケート調査の結果を分析して得られたオタク層に共通する行動特性というのも部分的な指摘でしかないと思う。
 (1)他人に良さを理解してほしいと思う「共感欲求」
 (2)何でもそろえたいと感じる「収集欲求」
 (3)自分の意見を広めたいという「顕示欲求」
 (4)自分なりの考えを持ちたいという「自律欲求」
 (5)オリジナル作品を作ったり、改造したりする「創作欲求」
 (6)気の合った仲間にだけ分かってもらえばいいと考える「帰属欲求」
 孤独なヒキコモリオタクはこのどれにも当てはまらなかったりするな(笑)。
 ちなみに、私の場合も(1)〜(6)のいずれも希薄だ。こんな日記を書いているから、よく誤解されるのだが、私は自分の意見を他人に強制したいがために日記を書いているわけではない。私は自分の「仮説」を元に、内的シミュレーションを試みているに過ぎないのである。
 (1)については論外である。視点を変えれば作品のよさなんてものはどうにでも変わる。世評に対して異議を唱えることを私はよくやるが、理解してほしいと思ってやってるのではない。
 (2)はほとんど「作品」のみに限られ。グッズ類は殆ど買わない。マグカップやTシャツを買うのは、それが「使える」からである。
 (3)なんて面倒くさくてやりたくない。それをやりたいなら、私はもっとあっちこっちのサイトや掲示板に顔を出して益体もないことを喋っていたろう。
 (4)は人なら誰でも持ってる程度のものである。それに、闇雲に他人と差別化を図ろうと思っているわけではない。「常識」はこういうもんだろう、と私としてはフツーの意見をいってるつもりなのである。
 (5)は戯曲や小説を書いたり、たまにマンガも描いたりするので確かにあるのだが、さてこれは「欲求」なのかどうか。想像力と創造力は生きる力に等しい。これがない人間はそもそも人間として生きていくこと自体が苦しいと思うが。これをオタクの定義とするなら、私は幼稚園児のころからオタクだったことになる。
 (6)も何だか寂しい定義である。誰かに分かってもらいたいと思った時点で、自分の意見は価値がなくなると思っているので、これも私には当てはまらない。
 ここまで来ると、これはオタク分析というよりはあてずっぽうの占いみたいなもんだと言うしかなくなる。欲求の度合いによって、結果的にオタクは次の5パターンに分類できると言うのだが、さてそこの自分が「オタク」だと思っているみなさん、あなたはどのタイプだと思いますかね。私はどれにも当てはまりませんから、オタクではないのでしょう(笑)。まあ、人からどう見られてるかは分からないけどね。

 (1)「家庭持ち仮面オタク」
組立PCやAV機器などを中心に幅広く分布し、小遣いをやりくりしながら家庭内でこっそりと趣味に没頭。オタク趣味をカミングアウトしない傾向にある。旅行分野にも多く、趣味を兼ねて子どもをあちことに連れ回すお父さんが典型例。
 (2)「我が道を行くレガシーオタク」
独自の価値観を持ち、情報収集と批評を展開。20〜30代の男性に多く、PCやAV機器、ITガジェット、クルマ、カメラなどメカ系と、芸能人分野を中心に分布している。
 (3)「情報高感度マルチオタク」
自分のこだわりに対して屈託がなく、カミングアウト率も高い。流行に流されやすく、他人を気にする傾向にある。女性が多く、複数の分野にまたがっているのが特徴。コミュニティーサイトやネットオークションが大好きで、2ちゃんねるのライトユーザーという人物像があてはまる。
 (4)「社交派強がりオタク」
独自の価値観を強く持ち、それをみんなに知ってもらいたいと考えて他人を巻き込もうとするタイプ。ガンダムやドラクエの世界観を引きずり、それに気づかずに30代になってしまった大人が典型例。
 (5)「同人女子系オタク」
コミックやアニメに登場するキャラクターへの愛着が強く、同人誌など創作活動への参加率が高い層。友達に隠れてひそかに持っていた趣味を大人になっても続けている同人誌フリークの女性が典型例。男性でも「アキバ系」「萌え系」がこの層に含まれる。

 しかし、どれにも当てはまらないとなると、私ってただの「研究者」なんだろうか。

2002年10月08日(火) 妬み絡みがせからしか/『キャラ者2』(江口寿史)ほか
2001年10月08日(月) これは戦争ではない。……まだ。/映画『クイーンコング』/『カムナガラ』3巻(やまむらはじめ)ほか
2000年10月08日(日) V2余燼/映画『X‐MEN』ほか


2005年10月07日(金) だから女にモテねえんだ/ドラマ『慶次郎縁側日記2』第1回「雪の夜のあと」

 正直、触れるのも面倒くさいことだが、まあ、こないだから引き続いている件なので、「結末」は書かないわけにはいくまい。
 劇団メンバーのカトウ君が、ブログ日記を削除したようである。
 それはもちろん当人の自由なのだが、リンクを貼っていた私や劇団ホームページに対しては「日記辞めます」など一切の連絡がない。口も利きたくないということなのかもしれないが、日ごろ偉そうに人の道を説くような発言を繰り返しておきながら、ケジメの付け方も知らないというのは平仄が合わない話である。
 他人の粗探しはしても、自分は傲慢な態度を取っていいって言うの? それとも単にヘタレだから何も言わずにこっそり逃げることしかできないってわけ? 他人には厳しいのに自分のこととなるとこういう根性なしと言うか、ヘタレな態度しか取れないというのは、言行不一致とというか、卑怯者の烙印を押されたって仕方がなかろうと思うがね。
 フタコト目には「自分の気持ちを分かってもらえない」なんて泣き言を連ねるのだが、他人に甘えたりすがったりするくせに虚勢だけは張るような態度を取っていれば、誰もその気持ちを忖度してやろうなんて気にはならなくなるものである。まず自分が他人の気持ちを思いやれたことがあったのかどうか、少しは考えてみたらいいと思うのに、自分の中の規律が常に一番だから、自分では「思いやれてる気になっている」だけなのである。相手にしてみればただの「余計な御世話」でしかない。
 ズレた発言を繰り返してみんなを当惑させていながら自分だけがその現実に気付いていないということもどれだけあったか。こちらからの問い掛けにはマトモに返事を返さないくせに、自分が相手にされないと拗ねるという自己矛盾をやらかしていながらそれに気が付かないと言うのは、根が「駄々っ子」だからである。
 何が情けないって、終わってしまったことをいつまでもウジウジと根に持ち続けるあのネクラぶりなんだよね。以前、カトウ君の具合が悪かった時に、しげや下村嬢がカラオケに誘ったことを未だに「自分の気持ちを分かってくれなかった」と恨みに思っているらしい。しげたちだって、来れると思っちゃいないが、寂しそうな返事をカトウ君が返してくるからあえて誘いのメールを送っていたのだ。そんな人の心の機微も分からんやつが逆恨みするとは、人間の器が小さいと言うか、幼稚と言うか、結局はただの馬鹿である。
 自分の馬鹿っぷりににいい加減で気が付けよと指摘もしてきたのだが、最後まで何も理解できないままにケツを割ってしまったようだ。仲間だと思えばこそキツイことも言ってきたのだが、これはもう処置なしだと判断するしかあるまい。
 なあおい、カトウ君よ、もう読んでないかもしれないが、メール送ってもマトモな返事が返らないからここで言っとく。そんな負け犬根性しか持てねえから、ろくでもない女に振り回されてばかりいるんだよ。女見る目もねえやつが人を語ってんじゃねえや、おこがましい。でもどうせ馬鹿晒すことしかできないんだろうから、勝手にやってなさい、わしゃもう知らん。


 劇団「改・FREE’ズ+」の冨田さんがお引越し。
 テレビがまだないと言うので、うちの使わなくなったテレビをご進呈することにしたのだが、それを仕事帰りに冨田さんのアパートまで運び込むことになった。何しろかなりデカくて重いので、さすがにしげと冨田さんの二人では運びきれないという話だったのである。
 「エレベーターがないんだって、引っ越し先のマンション」
 「今どき? バリアフリーはどうなってんだよ」
 「知らないの? 三階建て以下ならエレベーター付ける義務ないんだよ」
 「そこ、三階建てなのかよ」
 「さあ、知らん。五階だったら死ぬね」
 実際に行ってみたら、六階建てで、冨田さんの部屋は五階だった。言っちゃなんだが、築二十年を越していて、耐震建築も怪しい感じなので、バリアフリーも糞もないのである。
 腰がちょっと死んだが、とりあえずテレビは点くようだった。しげが車に運ぶ時、一度落としたとかで、壊れていないかどうかちょっと心配だったのである。

 そのあと、階下のカレー屋で食事。
 富田さんが客演する劇団ぎゃ。の公演『裏庭』の話などを伺う。
 前回の公演を見た時に、「不具者、奇形、片輪者ばかりの娼館」という、度胸のある舞台設定が面白かったので、どこから発想したのか聞いてみると、やはりトッド・ブラウニングの映画『フリークス(怪物団)』を原作者の野田和佳菜さんがごらんになっていたということである。映画やテレビではとてもできない題材なので、うまく仕上がればこれはなかなか面白い舞台になるだろう。しげの分と二枚チケットを購入する。
 11月13日(日)、若松市民会館で、北九州演劇祭に関連しての公演である。ご興味のある方はぜひどうぞ。

 楽しい会話のあとは、「カトウ君は何やってんだろうねえ」という暗い会話(笑)。「芝居やりたい気持ちはあるみたいなんだけどねえ、『自分には芝居をやる資格はない』とか言い出すし」「芝居って資格でやるもんかね」「そういうことを言い出すやつは芝居に向いてないよ」とか散々である。
 結局、カトウ君は「自分で自分の首を締めているだけ」という寂しい結論を出して冨田さんとお別れ。


 NHK金曜時代劇『慶次郎縁側日記2』第1回「雪の夜のあと」。
 北原亞以子原作の時代小説シリーズのドラマ化第2弾。
 前シリーズはチェックし損なってたんだけれど、この第2シリーズ第1話を見てみると、なかなか骨太で見応えのある佳作だったので、見損なってたのは残念だった。高橋英樹は、時代劇役者としては、私の中では『桃太郎侍』よりも『ぶらり新兵衛道場破り』や『おらんだ左近事件帳』の人だったんだけれども、森口慶次郎のような、これだけ深みのあるキャラクターを演じきれる人だとは思っていなかった。文句なしに高橋英樹の代表作と言っていいと思う。
 前シリーズで、登場人物たちの背景は既に描かれているわけだけれども、「おさらい」的な語りや回想シーンが挿入されているので、この第2シリーズから見始めてもさほど支障はない作りになっている。おかげで多少説明的になっている欠点はあるのだけれど、今回初めて見た私のような視聴者にはありがたい心配りである。

 元南町奉行所同心の森口慶次郎(高橋英樹)は、家督を養子の晃之助(比留間由哲)に譲って、江戸・根岸の里で商家の寮番(別荘の管理人)を務める隠居暮らし。晃之助の妻の皐月(安達祐実)は出産を間近に控えて、森口家は至極平穏無事に見えていた。
 ところがそんな慶次郎の前に、かつて彼の娘・八千代(岡本綾)を乱暴し、自害に追いやった男・常蔵(若松武史)が現れる。彼と娘のおぶん(邑野みあ)は、手先の辰吉(遠藤賢一)の手によって、慶次郎から身を匿われていたのだ。しかし、常蔵の女出入りは変わらず、大工見習いの母親(工藤時子)と大店の娘(稲田みづ紀)が常蔵を奪い合っていた。慶次郎の心の中に、常蔵への憎しみが再び沸々と湧きあがってくる……。 

 「仏の慶次郎」も、相手が自分の娘を死に追いやった張本人ともなれば、自らの心をどうにも律しきれない。そんな慶次郎の心を弄ぶように、常蔵は何一つ反省の色を見せずに女を犠牲にして行く。しかしそんな常蔵を「悪党」として断罪するのならこれまでの「勧善懲悪」ものと何の変わりもない。
 常蔵は自らの過去に縛られたまま、そこから抜け切れない業を背負った存在として描かれる。常蔵は慶次郎から憎まれることでしか自分の罪を責められなくなってしまっている。だから慶次郎に向かってせせら笑い、「殺してやると言ってみろ」と挑発する。そして慶次郎が「殺してやる」と言えば「生きてやる」と言い返すのだ。常蔵はだらしない男だ。人の情けを食いものにするダメな男だ。人間のクズだと言ってもいい。けれど、そのようにしか生きられない不器用な男でもある。そしてそんな彼にもまた、人間としての矜持がある。だからこそ、慶次郎に憎まれようとするのである。
 慶次郎もまた、そんな常蔵を憎もうとして憎みきれない。そして自分もまた「仏の慶次郎」などと呼ばれるほどの人間ではないことを自覚し、当惑する。常蔵と慶次郎との間に、人間的な差異などない事実を認識してしまうがゆえに、困惑するのだ。
 若松武史と高橋英樹。この二人の役者が、その複雑カツ深い心理の応酬を見事な演技で魅せる。いやホント、前シリーズから見ていなかったのがつくづく惜しまれる。スタッフは時代劇であることよりも現代劇を意識してこのドラマを作ったということであるが、これ即ち普遍的な人間ドラマを作ろうとしたということでもある。
 慶次郎の傷つき憎しみに苛まれた心を慰めようと、皐月が生まれた子に「八千代」と名づけるラストシーンも清々しい。あの年も、この年も、雪が降っていた。しかしその雪は、陽射しとともに溶ける雪なのである。

2004年10月07日(木) がんばったけどこの程度しか書けなかった日記
2002年10月07日(月) ○まみれ観音様(^_^;)/『ヒカルの碁』19巻(ほったゆみ・小畑健)
2001年10月07日(日) 新番紹介お休み・有朋自遠方来/映画『陰陽師』ほか
2000年10月07日(土) V2/ムック『本多猪四郎全仕事』ほか


2005年10月06日(木) どういう風の吹流し(笑)/ドラマ『赤い運命』最終回

 イッセー尾形さんのホームページに、小倉ワークショップの三日目のレポートがアップ。
 大半は私が見ていない昼の部の説明だったので、参加できなかった悔しさが募ることは前二日のレポートを見た時と同じ。
 内容は主に年長者のKさんについてのことであるが、「目の前にあるものを言え」との森田さんの指示に、素直に「空が青いなあ」と言って、みんなに大受けした様子が報告されている。その素直さぶりをほかの人たちはなかなかマネできない。
多分、他のワークショップ参加者も気が付いていないことなのではないかと思うが、Kさんのあの「味」は、「天然ではない」のだ。
 公演初日だったか、Kさんの舞台でのお父さん役が実に堂に入ったものだったので、私は楽屋で、Kさんに、「このワークショップには去年も参加されたんですか?」と伺ったことがある。するとKさんは、「森田さんのは初めてですが、演劇活動はもう二十年もやっております」と、厳としておっしゃったのだ。
 Kさんのあの「味」は、長年の鍛錬で培った、天然のように見せかけている「演技」だったのである。それが証拠に、Kさんの「天然演技」は、三日間とも、相手役のセリフが多少変わっても、即座に絶妙のタイミングで返されて、観客に受けていた。「こう言えば受ける」という計算がちゃんとなされているのである。
 何と言えばよいものやら、つくづく、凄い方たちと舞台を作ってきたものである。昼の部から参加していたら、きっとKさんとも一緒に組んでみたいと思っただろうが、いかんせん、悲しきはハタラキバチのこの身である。こういうときはしげのような主婦が羨ましいと心底、思う。
 レポートには練習中の写真もアップされているのであるが、殆どが昼の部の写真なので、私は映っていない。東京のグータロウ君が、レポートを見て、何を勘違いしたのか、「映ってたねえ」とメールを送ってきた。どうやら、映画館のシーンでしげと組んだTさんを私と勘違いしたようなのである。
 まあねー、Tさんも私も、同じようにメガネかけてて太ってるからさー、似てるっちゃ似てるんだけどさー、ぶっちゃけ(笑)グータロウ君はムニの親友だと思ってたのに、まさか他人と間違えられるとは思ってなかったんだよねー。どーせその程度のヤツだとしか思われてなかったんだなーって思うとさー、なんかショックっつーかさー、超ブルー?って感じー。フンだ。
 というのは冗談だが、一応、このウラミツラミは一生忘れないので(笑)、そのうち何か代償を求めてやろう。まあ、娘さんが大きくなったら人身御供に差し出して、メイドカフェで働かせて貢がせるから覚悟しろとまでは言わないので安心するように。


 紀宮さまのご結婚がいよいよ近づいているせいだろう、「車の仮免を取られた紀宮さま」とか、ニュースもあれこれと喧しくなって来た。正直、そんなんまでニュースにしようってマスコミの姿勢が私にはよく分からない。国民はそこまで皇室のプライベートを知りたいと思ってるわけじゃないと思うんだがねえ。「紀宮さまは車の免許を持っている」なんて、トリビアにすらならんだろう。
 紀宮さまに対して、国が支給する「持参金」(正式には「一時金」というそうな。どうして「持参金」と言わないかは何か意図がありそうだが、これもよく分からない)が、限度額の1億5250万円とすることが決まったとか。
 テレビニュースでは、「そんなに貰えるんですか!」とビックリして羨ましがるサラリーマンの姿が映し出されたりしていた。確かに、庶民にはそもそも「持参金なんてない」状態でヨメに行く人も多かろうから(うちのしげがまさにそうだな。全くの無一文で転がり込んで来たぞ、あいつは)、そういう反応が出てもおかしかない。けれど、この金額、皇室関係者の持参金としては決して高いとは言えないと思うのである。だって、税金から払われるったって、国民一人あたりの負担は一円程度なんだよ? 我々は一円すら、出し渋らなきゃあならんのかね。
 審議会では、「東京で一戸建ても買えない額は少ないのではないか」という意見も出たそうだが、貯金したとしても、一億五千万程度の額では利子生活は無理である。皇族を離れた方の老後までを保障した額だとはとても言えないだろう。
 それよりも、皇室典範の見直しが進む中、紀宮さまが結婚で皇族の身分を離れることについて、「時代にそぐわないのではないか」などの意見が出たということの方がより重要な問題だよなあと思うのである。
 正直、私は、現在の皇室があのような形で「持っている」ことは奇跡に近いと思っているのだ。皇室に生まれたという「宿命」を背負ってなお、殆どスキャンダルらしいスキャンダルも起こさずに来ているという現状、たまに不穏当な言動が新聞や雑誌を賑わすことはあっても、外国の王族のように浮気がどうの不倫がどうのなんてことはまるでない(実際にはあっているのに緘口令が敷かれているという仮定は考えにくい)。あんな窮屈な立場に置かれたら、私だったら気が狂う。よくぞ堪え難きを堪えてきたかと感心するしかないのだ。
 その意味で、私は、天皇家が「日本人の象徴」であることについては、いささかも反対の意を表明するものではない。あれが日本人の典型だと言われれば、実際にはそんなことはあり得ないだけに、逆に嬉しくてありがたく感じるのである。
 だから紀宮さまが結婚しても皇族から離れないような措置が取られればいいなと思う。名目上は庶民の立場になっても、「元皇族」である以上は、その肩書きが消えることはないのだから、実質、皇族であり続けた方がマシに決まっているのだ。法改正が間に合わないと言うのであれば、せめて一生、生活が困らないような措置は、取られてしかるべきだと思うのである。
 一円どころか、十円出したっていいよ。だから幸せになってほしい。


 さて、何度かこの日記でも紹介してきた福岡の「メイドカフェ」事情であるが、いつの間にやらあっちに一店舗、こっちに一店舗と、徐々にその数を増やしつつあるようである。時代はメイドカフェ。ホントか?
 こういう「現象」自体は面白いので、いろいろと知る限りのことを紹介して来ているのだが、そもそも私はメイドカフェの宣伝をすることが目的ではないし、キーワード検索で通りすがりさんに来られたって有益な情報はないのである。だから店名は紹介しないが、諒とせられたい。
で、天神に出現した2件のメイドカフェ、互いに競合し差別化を図りながら人気は上々の模様だ。
 新しくできた方のメイドカフェは、今度の連休に「体育祭イベント」と称して、「体操着に鉢巻にハーフパンツ」のウェイトレスさんが、おにぎり弁当にお好みのソースをかけてくれるそうである。確かに妄想を逞しくして、自分が高校の体育祭でリレーの選手か何かになって、彼女から「頑張れ。君ならやれるよ」とか何とか激励されてる気分になれでもしたら、それはちょっと嬉しいシチュエーションかもしれない。もっとも、それなら客の方も体操服に短パンじゃなきゃ感じが出ないと思うが、私がそんなコスプレをして店に入ったらどこぞに通報されてしまうだろう(笑)。いや、誤解しないでほしいが、私はメイドカフェに行きたいわけではない。あくまで一つの、現代を象徴する現象を観察し考証する意味で(後略)。だから行きたい人は行きなさいね。
 更には祇園や中洲にもメイドカフェは出来ちゃったようであるが、中洲のは繁華街なだけに必ずしもオタク仕様ではないようである。やっぱり福岡のオタクな町は天神なんだねえ。


 さて、今日もまたスパムメールが届いたのだが、どうも先日、ワケワカランとこから来てたのとどうやら同じ差出人らしいのである。けれどもその文面は、似ているようでいて、ちょっとまた工夫が凝らされていたので、また話のタネに掲載させていただく。

> 貴方の掲示板メールボックスに新着メールが届いておりますので、早急に確認をお願い致します。アドレスと写真が添付されているのですが、プライバシー情報保護の為、一応簡単な完全無料な手続きを行った上でご確認下さい。迷惑でしたら、お詫びをさせて頂きます。
> http://www.lovegal×××
> 【メール 6985】
> 配信元:佐藤 あゆみ (34歳)
> *添付ファイル:システム削除
> 本文:『結婚して11年、月日の経つのは早いですね。毎日、今まで私は何の為に頑張ってきたんだろう??なんて色々と考えています。日常に僅かな刺激を求めているのかもしれません。年齢的には遅いかもしれません。。。でももう一度女性として過す時間があってもと最近思えて仕方ありません。普段の自分を捨てて新しい自分に変化したいです。こんな私でも気に掛けてくれる人ならお返事を待っていますね。あっ、私からの指定なので、私が費用負担するというのが当然ですよね、相場はいくら位かなぁ〜』
===========================================================
> ※必読み:当グループの規約により、女性会員に指定された方は全て登録無料となっております。その他、一万円分お得(無料ポイント1,000点)も用意しておりますので、必要であれば、気軽にご利用下さい。
> http://www.lovegal××× 円
> このメールで不快でしたら、お手数ですが下記アドレス迄お送り下さいますようお願い申し上げます。Please inform the following address if this mail is unnecessary.
> nomore@lovegal×××

 普通のメールが来たかのように装ってるけれど、「簡単な完全無料な手続き」ってところでもう馬脚を表してしまっている。もっとも、文面がマジメなんで、うっかりクリックしちゃう人も出るだろうと思われる。でも「lovegal」なんてアドレスなんて怪しいぞ、と気が付いてもらいたいところだよねえ。
 「佐藤あゆみ」さんはどうやら第二の青春を謳歌したいもののようだが、世の中には早いとこ若隠居したいような男もいるのである。相手を間違えたとしか言いようがないので、そのへんでサカってる犬でも見つけて寂しさを紛らせていただきたいと思う。
 この手のスパムメールが出回ると、たいてい日記などで晒しものにされるところだろうが、これはまだあまり見かけないようだ。万が一、引っかかったりしないようにご注意を促すものである。


 しげがまた何だかヘンである。
 いや、しげがヘンなのはいつものことなのだが、日記にやたらダウナーなことを書いているくせに、気分はやたらハイなのだ。 
帰りの電車がダイヤ改正で早めに駅に着くようになったので、迎えに来たしげも何だか嬉しそうである。
 「今日はオレ、『何があったん?』ってくらい偉いよ」と言うので、いったい何が堂偉いんだ、と聞いてみたら、「洗濯もしたし、食事も作ったし、ゴミまで片付けて、しかも風呂にも入れるかもっていう」と言うのである。
 「そりゃ偉いなあ。どうしていきなりそんな気に」
 「なんか急にやりたくなったと」
 「じゃあ、昼間は働き尽くめか」
 「暇な時はテレビで『ラーメン刑事』見てたよ。それから『はぐれ刑事』も三本続けて見た」
 そんなの見てたら軽く5時間は掛かるんじゃないか。何かやたら家事をしたってのも眉唾だなあと思ったのだが、帰宅してみたら、見違えるほどにというほどではないが、確かにゴミなどを片付けた様子はあった。もっとも、風呂場はまるで掃除してなくて排水溝も詰まったままだったので、採点するなら50点というところだろう。それでもいつもは13点とかマイナス20点なんてのが相場だから、これでも進歩したといえば言えるようである。これが持続していけば問題はないのだが、たいてい、三日坊主で終わるので、あまり喜んでもいられないのである。


 ドラマ『赤い運命』最終回。
 これでオチをつけなきゃならないので、CMごとに急展開と言うか、もう物語は大爆走である。

 綾瀬はるかを引き取ろうとする榎木孝明だけれども、船越英一郎は当然、反発する。玉木宏と綾瀬はるかを結婚させる気なのだと邪推した佐藤千亜妃は非行に走る。紺野美沙子を榎木孝明に取られるのではないかと嫉妬した渡辺いっけいは、自暴自棄になって路上に飛び出し、車に撥ねられて死ぬ。突然現れた岡まゆみは、佐藤千亜妃に自分が本当の母親だと真実を告げて、彼女を自殺未遂に追い込む。船越英一郎は戦時中の恨みを晴らすため、筒井康隆暗殺を目論むが、突き出された短刀の前に飛び出したのは綾瀬はるかだった……。

 あえて役名ではなく役者名で筋を書いてみたが、役者同志の絡み合いがいかにものすごかったかを、役者の顔を思い浮かべてもらって想像していただきたかったからである。
 船越英一郎がどうして筒井康隆を暗殺しようとしていたかは、「シベリア抑留」が背景にあったことが理由として語られる。彼が少年義勇軍として戦地に取られた後、軍を立ち上げた張本人でありながら、敗色濃厚となると少年兵たちを見捨てて日本に逃げ帰ったのが筒井康隆であったのだ。抑留中に死んで行った仲間のためにも、船越英一郎は復讐を誓っていたのである。
 実際に抑留を行ったソ連に対してよりも、一切責任を取ろうとしない同胞の指導者たちの方にウラミが向くのは、原案の佐々木守が典型的なサヨクであるせいだろうが、おかげで物語が後半になればなるほど説教臭くなって行くのには閉口した。船越英一郎を「国家の犠牲者」として描く視点は、必ずしも間違いではないが一面的である。
 思想を語ることがいけないとは言わない。しかし、それがドラマとしての工夫を経ることなくストレートにメッセージとして語られた場合、視聴者はたいてい「俺は別に説教を聞きたいわけじゃない」「裏切られた」と感じてしまうものだ。もう少し脚本を練り直す余裕がなかったわけではなかろうと思いたいが、そういうわけでもなさそうなのが残念である。

2004年10月06日(水) 読みとばしてもいいけど、ちょっとだけがんばって書いた日記
2003年10月06日(月) 追加日記5/『名探偵コナン スーパーイヤー2時間スペシャル/集められた名探偵! 工藤新一vs怪盗キッド』ほか
2002年10月06日(日) 再見、東京/『ガンダムSEED』第1話ほか
2001年10月06日(土) 新番……第何弾だよ/『星のカービィ』第1回/『ヒカルの碁』(ほったゆみ・小畑健)14巻ほか
2000年10月06日(金) 詳しくはコメディフォーラムを見てね


2005年10月05日(水) 災厄の日/ドラマ『赤い運命』第二話

 朝、起きたら、異様に寝汗を掻いている。
 下着がべとついて気持ちが悪いので、脱ごうと思うのだが、手足が痺れていて起きられない。時計は7時を回っているから、もうそろそろ仕事に出かける身支度をしなければならないのだが、頭痛が激しくて、とてもそんな段ではなさそうだ。
 風邪とはちょっと症状が違う感じだが、原因がなんだかよく分からない。最近、夜中によくしげに起こされているから寝不足は多少影響しているかもしれない。手先の痺れは、糖尿病のせいだろう。どうやら、血液がまたべたつき始めたようだ。
血行を良くしようと風呂に入る。少し気分はよくなってくるが、すぐに出勤というわけにはいかなそうだ。しげに頼んで、職場に遅刻の電話を入れてもらう。一日休んでいたいところだが、仕事が立て込んでいるのでそうもいかないのである。

 2時間ほどして、何とか痺れも取れた。頭痛は残っているが、この程度なら我慢できないほどではない。ちょっとイライラする程度である。出掛けにテレビで血液型占いが、「今日のB型は最悪」とか言ってやがる。言われなくても、現状を見ればその通りである。
 フラフラしていたので、しげに貰った昼の弁当を、玄関先に置き忘れてしまった。仕方がないので今日は昼飯抜きである。最悪はちゃんと始まっている。
 しげに車で最寄の駅まで送ってもらうが、駅の階段を昇り降りするのも億劫だったので、「職場まで直接送ってもらえないか」としげに頼んでみた。即答で「道が怖いからイヤ」と拒絶された。こちらが苦しい時でも、気遣ってくれる気持ちはこいつにはないのである。まあ分かっちゃいたことだから今更恨みはしないが、しげへの愛情も自然に目減りするのである。
 這う這うの体で職場までたどり着いたが、もちろん仕事はわやくちゃである。体調が戻ったら、何とかフォローしなきゃなるまい。

 ひと仕事終えて、休憩していると、飯塚コスモスコモンから電話。
 「公演のチケット代を振り込んでほしいんですけど」とのこと。
 実は昨日、飯塚までタンゴの公演を見に行く予定だったのだが、案の定、しげが愚図って、出かけるのを中止してキャンセルしていたのである。事前にキャンセルしても代金は払わなきゃならないとか聞いていなかったので、ほったらかしといたのだが、どうやらあちらの連絡ミスだったらしい。連絡ミスでも払わなきゃならないものは払うしかないので、一両日中に、と返事をする。
 ああ、やっぱり今日は厄日だ(涙)。外は小雨がぱらついている。

 
 福岡市が本気でオリンピックの招致に動き出したそうである。
 東京の石原都知事が「敵ではない」「治安の問題がね」とか言い出したんで、福岡の山崎広太郎市長が怒り心頭に発している様子であるが、確かに犯罪都市東京に福岡の治安のことを言われたくないなとは思うものの、かと言ってオリンピック招致なんて別に市民は望んじゃいないぞというのも大半の市民の本音だろうと思う。
 だいたい、福岡のどこにマトモに世界の選手を呼べるだけの競技施設があるってんだ。これから作るのか。そのカネ、誰が出すんだよ。
 博覧会とかオリンピックとか、要するに客寄せである。市政も県政もそれなりに文化振興とか体育振興とか、考えちゃいるんだろうけれども、モノには分相応ということがある。花火打ち上げたはいいものの、人家に落ちて大火事なんてことになりそうな気配が濃厚じゃないか。やめとこうよ、ねえ。


 アドレス変更してから、スパムメールはほぼ全くと言っていいほど来なくなっていたのですが、久しぶりにこんなのがきました。

> お忙しいところ申し訳有りませんが、< http://www.livedear××× > の地域異性紹介を担当している早坂友子と申しますが、今回地域紹介対象募集の件についてご連絡させて頂きました。
> 今回のご招待にあたって、当社は以下の約束を守ります。
> ■当社からのご招待ですので、配信されたアドレスでの登録料及び招待料など一切無料と設定させて頂きました。それだけではなく、≪1,000円分≫のサービスポイントも登録直後に自動追加と致します。更に�箜稜�(不正請求などの悪用は一切ございませんので、ご安心下さい)を行った直後、大量(12,000円分)の無料ポイントも24時間対応で追加致します。
> □貴方の登録情報を同地域異性へ随時通達致しますので、異性からのメールが直接貴方の方に届きます。当番組では異性全ての情報を確認可能となっております。
> ■男性の方なら、毎日希望地域から最低1名の逆×助希望女性を無料でご紹介致します。(当番組にご紹介された場合は最低金額5万になっております。)
> 権利開始→ < http://www.livedear1.××× >
> ※人数限定のご招待ですので、自動廃棄と認めた場合は権利回収となりますので、なるべくメール開封して24時間以内にご登録を完成するようお願い致します。
> 拒否は此方(Please inform the following address if this mail is unnecessary.)
cancel×××

 文面が硬くて事務的なんで、一瞬、何かのマジメな通知書なのかな、と錯覚させるのがミソだね。昔の「知り合いのフリする間違いメール」よりも進化はしてるけれども、女性は別に紹介してもらわなくていいので、申し訳ないけど無視させていただきます。拒否メールも送りません。
 スパムメールも手を変え品を変えであるが、普通の常識を持っていれば、引っかかることはまずない。逆に言えば、こういうのに引っかかる人というのは、やっぱり心の中にどこか隙間風が吹いているのを感じているからなんじゃないかと思う。
 「異性」というキーワードを見てついクリックしちゃうのは、よっぽどツライ目にあって、冷静な判断力をなくしちゃったんじゃないかと思うが、そこの引っかかったことがある人、その時どういう心理だったか教えちゃくれないかね。いや実際、どうしてこんな簡単なトリックにコロリと騙されちゃうのか、ワケがわからんのだ。


 読売新聞に以下の記事。

> 福岡県飯塚市の芝居小屋・嘉穂劇場を舞台にしたNHK福岡放送局制作のドラマ「いつか逢う町」(仮題)の撮影が4日、始まった。同劇場で行われた顔合わせで、主人公の畳職人を演じる永島敏行さんは「中年の迷いを演じ、人々の記憶に残る作品にしたい」とあいさつした。
> 転職で古里を離れることを考えていた畳職人が、大衆演劇が好きだった父の幽霊と出会い、古里の良さを再認識するストーリー。幽霊役をイッセー尾形さん、主人公の妻を藤吉久美子さんが演じる。
> 同放送局は2002年から毎年、「福岡発地域ドラマ」を作っており、今回はその4作目。ロケは同劇場や周辺市町などで26日まで。放送は12月の予定。

 NHKの地方放送局がドラマ制作を行っているのは、これまでは東京・名古屋・大阪だけだったのだが、記事にある通り、三年前から福岡も地元を舞台に、役者も地元出身の役者さんを主に使って良質のドラマを送り出している。
 過去の作品は、『うきは -少年たちの夏-』『玄海 〜わたしの海へ〜』『我こそサムライ!』の三本で、このうち、『玄海』は私も見た。中村有志さんが出演していたので、そちら目当てで見たのだが、原田大二郎の方が骨っぽい男を演じていてインパクトがあった。
 地方発の物語となると、郷土愛のあまり、どうしても「都会対田舎」みたいに図式的な、『青春の門』か『おもひでぽろぽろ』か、みたいなステロタイプに陥りがちである。下手をすると、故郷を無条件に賛美しただけの、底の浅いものになりかねない。
 この「福岡発地域ドラマ」シリーズ(思いっきりストレートなタイトルである)も、その傾向はないわけではないのだが、主に若手の新人俳優を主役に据えて青春ドラマとして仕立てていたことで、その新鮮さが物語の陳腐さをかなりカバーしていたように思う。
 しかし次回作は完全に「大人」の物語になりそうである。水害から立ち直って再建なった(私も些少ながら寄付はさせていただいた)嘉穂劇場を舞台に、というのは実にいいアイデアだと思うのだが、「古里の良さを再認識するストーリー」といういかにもありきたりな解説がちょっと気になるところだ。しかも「幽霊」が登場するというのは、良い方向に傾くかどうか、微妙なところである。即ち、超自然的な存在は、得てしてデウス・エクス・マキナとして機能してしまうからだ。物語のカタをうまいことつけるための便利屋みたいに「幽霊」を使われたんじゃ困るよなあ……なんて思いはするのだが、これは全てまだ見ぬ段階でのただの憶測。
 作品はともかく見てからでないと感想も批評もできるものではない。とりあえずはイッセーさんがどんな「演劇好きの幽霊」を演じてくれるのか、それを楽しみに放送を待ちたいと思う。


 ドラマ『赤い運命』第二話。
 一年分のストーリーを三話に圧縮するのだから、ヒロインがもう自分の取り違えの事実を知ってしまう。綾瀬はるかのデクノボー面は何とかならんかと思いながらも、まあデクノボーだから船越栄一郎がどんなに横暴でも娘として耐えていられるのかなあとか変な納得の仕方をする。
 設定上で文句を付けるとするならここで、そこまで実の父親でもない人間に入れ込むのなら、やっぱり子供の取り違えは幼児のころとして、船越栄一郎をハッキリと「育ての親」としておいてもよかったのではないかと思うのだが。でないと、ヒロインがいい子ちゃんになりすぎて、かえって感情移入を拒んでしまうのである。 今回は渡辺いっけいの狂いっぷりが第一話以上に目だっていて楽しい。記憶喪失で自分の妻になった紺野美沙子が、元夫の榎木孝明のもとに戻るのではないかと嫉妬に駆られ、榎木の父親の神山繁に、子供取り違えの一切合財をぶちまける。ショックを受けた神山繁は病床に就いてしまうのだが、渡辺いっけいがいなけりゃこの物語、なかなか転がって行かないんだよね。小心者の憎まれ者はドラマには必須である。
 ラスト近く、陸と海、防波堤と船上に分かれて対峙する榎木孝明と船越栄一郎のシーンは、今回の白眉。本来、憎み合う必要もなかったこの二人がこうして対立しなければならなかったというのも、タイトルどおり、「運命のいたずら」なのである。さらにその運命が、赤く、血に染まるのは次回、最終回。

2004年10月05日(火) 読み飛ばしていい日記その3
2003年10月05日(日) 追加日記4/『映画に毛が3本!』(黒田硫黄)ほか
2002年10月05日(土) 東京曼陀羅/「ミステリー文学資料館」ほか
2001年10月05日(金) 新番第4弾/『クレヨンしんちゃんスペシャル』/『化粧した男の冒険』(麻耶雄嵩・風祭壮太)ほか
2000年10月05日(木) ちょっと浮気(?!)とSFJAPANと/『荒野のコーマス屋敷』(シルヴィア・ウォー)ほか


2005年10月04日(火) 一般の認知度は「モナー」より「のまネコ」の方が上なんだよね/ドラマ『赤い運命』第一話

 例の「のまのまいぇー」の「のまネコ」問題であるが、エイベックスと2ちゃんねるでのゴタゴタ、まだまだややこしい事態が続きそうな気配である。
 「のまネコ」キャラの著作権を持つ「ゼン」が、昨10月3日、エイベックス・グループ・ホールディングスの要請を受けて、出願していた図形商標について取り下げの手続きをしたとか。けれども、同時に出願した文字商標「のまネコ」については取り下げる意向を示していないという、何だかみょうちくりんな姿勢である。エイベックスはこの件について、既に製造販売している分のグッズについては従来通り「(c)のまネコ製作委員会」の表記をつけたまま、回収等の措置は行わないもののようだ。
 要するに「のまネコ」はあくまで「モナー」とは関係がない、ただ、誤解を招きはしたので、「図形商標」の登録だけは取り下げる、ということのようである。何だか中途半端な身の引き方だねえ。
 そもそも「モナー」は、著作権が誰に帰属するかも判然としないただの「落書き」である。落書きであるから、誰がどのように利用しようが、咎められる筋合いのものではない。「のまネコ」アニメに関してもグッズ販売に関しても、問題はないと言っていい。「へのへのもへじ」のキャラクター人形を作って売ったとして、誰がどう損を被るというのだろうか、と言えばリクツはご理解いただけるだろうか。
 しかし、これを「商標登録」することになると、話は変わってくる。即ち、「へのへのもへじ」や「ヘマムショ入道」を商標登録しようとしたようなものである。誤解も糞もありゃしないだろう、単に「あほ」なだけやないか、とエイベックスに対して文句を言ってやることは全くもって当然のことなのである。
 しかし、だからと言って、私が2ちゃんねらーたちに組する気にもなれないのは、やっぱりあそこに集まってる連中の中には、少なくない数の既知外どもがいるからである。
 この騒動でエイベックスに対してなら「何を書いてもいい」と考えたのか、松浦勝人社長の殺人予告を書き込むやつが何人も表れた。「モナー」はもちろんエイベックスのものなどではないが、同時に2ちゃんねらーたちのものでもない。たとえ発生が2ちゃんねるからだったとしても、「落書きに著作権はない」し、それが不特定多数に利用されている現状がある以上は、仮に何らかの権利があったとしてもそれは既に雲散霧消してしまっているのである。だから当然、2ちゃんねる掲示板の管理人にも権利はないのだ。
 2ちゃんねらーたちが何を思いあがってるのかは知らないが、「殺人予告」までするようであれば、これはやはり彼らの言い分に賛同を示すわけにはいかない。たとえ本人たちがただのイタズラのつもりであろうと、心理的圧迫をエイベックス社員たちに与えている以上は立派な脅迫行為である。ここいらで、2ちゃんねらーたちも一部の犯罪者の後押しをするような言動は控えたらどうか……ってそれができるような連中なら巨大掲示板に匿名で書き込みするようなことはハナからしてないわな。
 2ちゃんねるがらみの事件については、下手をしたら既知外どもを相手に丁々発止なんて面倒くさいことにもなりかねないので、あまり触れては来なかったのであるが、何だか2ちゃんねらーたちの言い分が全面的に正しいと思い込んでいるおかしなヤカラも巷には散見しているようなので、ちょっとだけ触れておくことにした。全く、落書き一つのことで喧しいことである。


 TBSテレビ放送50周年、ホリプロ創立45周年の特別企画として、往年の山口百恵主演の『赤い』シリーズのうち、最高傑作との評判も高い『赤い運命』のリメイク版の放送第一話。ファーストシーンで、墓標の前で墓参りするヒロイン二人を出しちゃうのは結末を予想させちゃってどうかなとは思ったが、全体的にはあまりダイジェスト版という印象がしないのがよろしい。

 1959年9月26日、多大な被害をもたらした伊勢湾台風のさなかに別れ別れになった夫婦が、17年後に、養護施設での子供の取り違えをきっかけに再会する。検察官の娘と殺人犯の娘、お互いが取り違えられたとも知らず、それぞれの家族の運命の糸はさらに複雑に絡んでいく……。

 という「ありえねー」設定なのだが、大映ドラマが新派悲劇の流れを汲んで、大時代的なロマンを描いてきたのは周知の事実。取り違えの真実を知った検察官の榎木孝明が、「今ここで真実を告げれば、娘たちも傷つくし、人間らしい心を取り戻そうとしている殺人犯も、更生の道を断たれる」と判断して、真実を告げることをあきらめる、というのも、よく考えれば「事態が悪化するだけじゃないか」と突っ込めるところだが、それを突っ込んじゃあいけないのがお約束である。
 オリジナル版の宇津井健も、「自分一人だけが苦しい」みたいな大仰な演技を披露して(この人の演技は『新幹線大爆破』もそうだが、常に眉間に皺が寄っている)、当時の視聴者を爆笑……いや、感動させていたものだったが、榎木孝明もそのあたりがよく「分かって」いて、タメのあとに搾り出すような発するセリフが素晴らしい。
 しかしやはり最高なのは「悪役初挑戦」という触れ込みの(ウソつけ)船越栄一郎である。オリジナル版の三国錬太郎もかなりアクは強かったが、船越栄一郎のもう頭の先からケツっぺたまで「おりゃあ所詮極道よ」って匂いをプンプン漂わせている臭い演技は、下手だか上手いんだか分からない。いや、もちろんそういう演技こそがこういうドラマには合っているのである。
 肝心のヒロインの綾瀬はるかであるが、『戦国自衛隊1549』の時にも思ったが、「誰がやっても構わない」ような演技ばかりさせるのは損なんじゃないのか。ともかく「濃い」キャストの中に埋もれてしまって、セリフが殆ど生きていないのである。それを考えると、宇津井健や三国連太郎に決して負けてなかった山口百恵は偉大だったんだよなあ、とつくづく思う。
 参考までに、オリジナル版とのキャストの比較。当時の「濃さ」がご理解いた他だけようか。

 キャスト(役名:平成版:オリジナル版)
 •島崎直子:綾瀬はるか:山口百恵
 •島崎栄次:船越英一郎:三国連太郎
 •吉野信人:榎木孝明:宇津井健
 •吉野いづみ:佐藤千亜妃:秋野暢子
 •吉野俊介:玉木宏:南条豊
 •吉野剛造:神山繁:志村喬
 •大竹由美子:紺野美沙子:岸田今日子
 •大竹修三:渡辺いっけい:前田吟
 •山村美矢子:麻生祐未:有馬稲子
 •下条秋子:伊藤かずえ:?


 地方の深夜番組というのはいったいどんなものか、他県の人からはなかなかうかがいしれないものであろうが、まあ、だいたいにおいて『タモリ倶楽部』並にまったりとしていて、しょーもないものである。今日から始まった新番組、『ポジTV』(「ポジティブ」と読むのである)、いきなり「リアル電車男を捜せ!」というイタイ企画。
 パーソナリティーのスザンヌちゃん(これがいかにもスザンヌって感じの風貌)というタレントさんが、例の天神の「メイドカフェ」に入り込んでメイドコス。そこのお客さんでいかにも「電車男」風な男の子を見つけて、「君には好きな子はいないの? 告白する気はない?」と余計なお世話を焼く。また、ここに集まってるやつらが見事なくらいに「アキバ系」なものだから、誰に声をかけても「彼女いない暦=実年齢」だったりするのだ。で、そのうちの一人、やせっぽちのメガネ君をゲットするや、天神近辺のオシャレな店を連れ回し、ン10万円の服を仕立てて、立派に「変身」させることに成功?する。ビフォー&アフターは確かにガラリと違う。つか、ビフォーがユニクロかなんかで買ったTシャツにくたびれたズボンだから、オタクは確かにファッションセンスはゼロに等しいのだよな。「美容院に生まれてこの方、行ったことがない」彼を、何とか「見られる」スタイルにして、いよいよ好きな女の子に告白させちゃおうという直前で「次回に続く」となるのだが、来週また見るかどうかは分かりません(笑)。
 本人には嬉しいのかなあ、始終ニコニコ(つか、ニタニタ)笑ってただけなんだけれども、ハタ迷惑なだけじゃないのか。まあ、よくわかんないね。


 マンガ、細野不二彦『ダブル・フェイス』8巻(小学館)。
 ストーリーについての話はちょっと置いといて、焼き鳥屋の奥さんで、カラオケ・バーのマスターとデキちゃって、旦那さん捨てて街金の借金も踏み倒して駆け落ちしようとするオバチャンの名前が「細木カズヨ」で、どう見てもその風貌があのヒトってのは、作者の細野さん、細木某に何か恨みでもあるのだろうか(笑)。
 小泉じゅんが「月影ファイナンス」に入社して一年ちょっと、という設定が語られるが、ということは、一応、物語の中の時間経過と現実の時間とはちゃんとリンクしているということのようである。けれどもそれだと、長期連載になった場合、キャラクターがどんどん年取っちゃって、絵柄との間にギャップが生まれることになりかねないけど、大丈夫なのかな。『ギャラリーフェイク』では結局フジタがサラを30過ぎまで手出しせずにほったらかすというヒドい状態にまでなっちゃったんだし。
 ともかく小泉じゅんはまだまだ新米で若い。天然ボケのドジ娘のようでいて、実はDr.WHOOの秘密に一番近いところにいる彼女が活躍してくれないことにはやはりこのシリーズは締まらない。彼女が初めて「対面与信(客が融資できる相手かどうか、値踏みすること)」に挑戦するのが巻頭の「小泉じゅん与信する!」であるが、要するに「与信」の面白さと言うのは、シャーロック・ホームズがワトスン博士に初対面で「あなたはアフガニスタンに行っておられましたね?」と推理する、あの醍醐味である。
 じゅんは結局、巣鴨店長や春居を出し抜くように、しかも本人はそんな自覚も全くなく、あっけらかんと「与信」を成功させてしまうのだが、こういうエピソードがDr,WHOOの「仕置もの」よりも面白いのは、シリーズとしてはちょっと困ることかもしれない。いやね、私ゃこのマンガはじゅんちゃんと巣鴨店長が好きで読んでるようなものだから。
 それにしても巣鴨店長、てっきり春居の正体も全部知っていると思ってたんだけど、Dr.WHOOとしての活動は知らされてなかったんだなあ。超真面目人間の店長が、「晴らせぬ恨みを晴らす」ためとは言え、「闇の取立人」としての春居の正体を知ったら、どんな態度を取ることになるのだろうかとか、そういうところも気になるんだけれど、そういう展開は今後あるのかな。巣鴨やじゅんがいつまで経っても春居の正体に気が付かないままというのも不自然なのだけれど。


 マンガ、城平京作・水野英多画『スパイラル 推理の絆』14巻(スクウェア・エニックス)。
 いよいよ次巻で完結、ミステリマンガだった昔が懐かしい本作だけれども、他の似たようなマンガとの差別化を計ろうとすると、どうしてもこんな風になっちゃうのかな。SFになりそうでなりきれなかったという印象もあるし、何より絵がヘタなのが最後までストーリーの足を引っ張ってたと思う。心理劇にアニメ絵は向かないよ。『デスノート』の小畑健くらいのリアルさがないとねえ。
 13巻で、清隆と歩のDNAが一致したということは既に語られていたから、この二人に残されていた「謎」に気付いた読者はたくさんいたと思われる。原作者自身があとがきで告白している通り、そのありふれた「真実」は、読者の興味を殺ぐには充分だ。仮にそのアイデアを一応は認めてやったとしても、今巻中の説明だけでは、あらゆる点が不明確で、とても「ああ、そうだったんですか」と頷けるものではないのである。
 けれども作者が覚悟の上であえてそのアイデアを志向したというのなら、さらにその先に「意外な結末」が待っていることを信じてみたいと思う。だいたいその「真実」が分かったからと言って、火澄がカノン・ヒルベルトをなぜ殺さなければならなかったのか、納得はできないし、歩が清隆に対峙しなければならない理由も未だに明確ではないのである。
 何となく説明不足のまま終わってしまいそうな気もするが、「必ずハッピーエンドになります」と作者は豪語しているのだから、ちゃんと「オチ」をつけてほしいと思う。

2004年10月04日(月) 読み飛ばしていい日記その2
2003年10月04日(土) 追加日記3/『少年名探偵 虹北恭助の冒険 高校編』(はやみねかおる・やまさきもへじ)
2002年10月04日(金) 前日の嵐/DVD『あずまんが大王【1年生】』/『HUNTER×HUNTER』15巻(冨樫義博)
2001年10月04日(木) 新番第3弾……いつまで続くのよ/『おとぎストーリー 天使のしっぽ』第1話ほか
2000年10月04日(水) 止まる息とふらつく自転車とドロドロと/『本気のしるし』1巻(星里もちる)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)