無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年10月06日(土) 新番……第何弾だよ/『星のカービィ』第1回/『ヒカルの碁』(ほったゆみ・小畑健)14巻ほか

 オタアミ当日まであと49日!

 朝のっつーか、夜中の3時すぎ、しげが誰かに電話をかけている。どうも口調からすると鴉丸嬢らしい。
 ちょうど連休の初日ってことで、こっちも夜更かししてたから、別に睡眠のジャマになってはいないが、最近、こういうことが多いのだ。
 かと言って、「夜中に掛けるな」とは言えない。しげと鴉丸嬢の都合が合うのが、今の時間帯しかないのだ。それに、私が寝てる時にはできるだけジャマにならないように気遣って、奥の部屋で喋るようにしてくれてるし。
 でも、この「奥の部屋で喋る」ってのが実は問題なのよ。
 本人は迷惑かけないように声を落としてるつもりなんだろうけど、おかげでくぐもった不気味な声がかえって寝てる私の耳に響いてくるのね。
 あのね、アナタ、「ふふふふふふふふふふ」って、楳図かずおのマンガからそのまま抜け出てきたような声が聞こえてきたと思ってごらんなさいな。いっぺんで目が覚めるどころか、ドアのスキマからヘビママがヌルって滑りこんでくるんじゃないかって、エライ恐怖に襲われちゃうんですよ。
 ……これだけヒトを怖がらせといて、本人は私が怪談話をしようとすると、悲鳴をあげて嫌がるんですよねえ。当人、別に幽霊信じてるわけでもなさそうなのに、理不尽だ。
 劇団の連中とか集めて、一度百物語やってみたいんだけど、そういうのってみんなもイヤがるのかなあ。


 朝もはよから新番アニメのチェック。
 7時半から『星のカービィ』と『ガイスターズ』の二本が重なっていたので、どっちかは録画にしておくしかない。
 迷って『ガイ』のほうを録画セットして、『カービィ』を見たのだけれど、これが意外にいい出来。
 主役のカービィと悪玉キャラのデデデ大王の二人だけデジタル作画の頻度が高くって、ほかのキャラは手描きってのに何の意図があるのかわからんという欠点はあるが、脚本、演出にはなかなかキレがある。
 謎の怪物に襲われ、飼っているヒツジが何十匹と犠牲になっている村。村人たちはその怪物がデデデ大王の居城からやってきていると訴えるが、大王はせせら笑って否定するばかり。仕方なく伝説の勇士「カービィ」が現われることを期待する村人たちだが、ある夜、村に落ちてきた星を見て、すわ勇士の降臨か? と浮き足立つ。
 ところが、星の中から出て来たのは、丸っこくってかわいらしいヘンな生き物。
 「これがカービィ?」
 主役が全く喋れず、意志疎通が出来ない、という設定は、ドラマを盛り上げる上ではネックになることも多いのだが、そこを逆手にとって、果たしてカービィは伝説の勇士なのか? と村人たちの不安が高まるようにしているのは悪くはない。
 やがて、怪物の正体が大王が通販で買った(笑)オクタコスというタコが巨大化したものだと判明。これからの展開が一気に大活劇、東映動画の名作、『長靴をはいた猫』を髣髴とさせる城の内外の破壊と追っかけが始まる。
 ようやくその力を発動させたカービィ、星に乗っての空中戦は、まるで『わんぱく王子の大蛇退治』!(若い人は『ナウシカ』の空中戦を想起されたい)
 いや、ホント、城の壁をなめるように飛んでいくカービィを、後ろからタコの足が追いかけてく構図は、『わんぱく』そのまんまなんだから。なんで敵がタコだったかって、「足が8本」あるからだったんだね(^^)。これは、まさしく「アメノハヤコマに乗ったスサノオとヤマタノオロチの対決」の再現なワケで、相当自信がなきゃやれない演出なのよ(実写の『ヤマトタケル』は見事にコケてたし)。その演出の要求に、作画陣が見事に答えてるのが立派だ。
 このレベルが来週以降も持続されるんだとしたら、オトナのお客様も充分期待していいと思うぞ。脚本・演出は『ルパン三世 ルパンvs複製人間』の吉川惣司監督。監修が『アルプスの少女ハイジ』の作画監督小田部羊一(『じゃりん子チエ』の、とか『ポケモン』の、と言ったほうが通りはいいか)。

 あ、『ガイスターズ』はクソでした。
 世界的規模の破壊ののち、宇宙に避難していた人々が戻ってきた地球は、怪物たちの跳梁する世界と変わっていた。まあ、なんでそうなったのかってのはおいおい説明されていくんだろうから突っ込まないけどさ、怪物のCG、GONZO以上に浮きまくってるぞ。
 で、あとは頭の悪そうな戦闘員どもと怪物との争いが延々と盛り上がりもなく続くだけ。
 ……ああ、つまり『スターシップ・トルーパーズ』がやりたいだけなのだね。エイリアンもどきの怪物が人殺すシーンを見るのが好きな人は見てもいいんじゃないですか。
 私は少なくとも、もう録画はしません。つーか、もう見ません。


 さて、しげが「車を見にいくからつきあって」と言うので、近所のマツダ展示場まで、散歩がてら出かける。
 我が家はずっと家訓で「クルマ買うべからず」ということになっていたので、私には車に関する知識が殆どない。多分、「常識を逸している」と言われても仕方がないくらいないであろう。
 何しろ以前、同僚の車に乗せてもらう時、“自動ドアが開くのを待っていた”というヤツなのだから(タクシーしか乗ったことがないから、全ての車は自動ドアだと思っていたのだ)。
 今回、しげは自分の貯金と給料でローンを組むことにしているのだが、それだと相当長期間に渡ってオカネを払い続けねばならないようなのである。
 いや、そんな高い車買うのかって誤解しないように。しげの給料が安いだけなのだ。
 私の冬のボーナスまで待ってくれれば一括で払える程度の金額なのだが、しげは一刻も早く車がほしいらしい。
 「なんで?」
 と聞くと、
 「免許取って間が空くと、運転忘れるから」
 ……だから運転すること自体が間違いだ、とは思わんのか。
 少しは手出ししてやらなきゃならんのかなあ、と思いながら、「でも私は免許持ってないからお金出せないし」と言ったら、しげとマツダの人に怪訝な顔をされる。
 ……なんか、バカなことを言ったらしい。
 「あの、車って、免許持ってなくても買えますよ」
 ……え? そうなの?
 「だって、おカネもちが車だけ持ってるってことあるでしょう」
 「運転は運転手にさせればいいんだし」
 そういうものなの?
 でもそれじゃ無免許運転を予め認めちゃうことになるんじゃないの?
 何となく納得がいかないが、世の中そういうものなのであろう。
 クルマ音痴ってのはこんなものなのである。
 しげ、結局即決で契約をすまして、なんたらいうクルマを買う。こういう時、しげの思いきりは早い(だったら日頃の優柔不断もなんとかしろよ)。
 どんなクルマか、詳しく紹介したいが、クルマ音痴なのでどう形容したらいいのかわからんのよ。
 スズキの軽自動車で、ドアが4つの中古車で、7年前の型だけど3万キロしか走ってなくて、高さがある程度あって、後部座席をフラットにできて、後ろのドアがパカッと上に大きく開いて、まあまあ荷物が置けそうなことはわかった。
 さあ、おトクなブツなのかどうか?


 「モスバーガー」で昼食。
 エビかつバーガーが250円で割引だけれど、マクドナルドのチーズバーガー80円に比べれば、割高感は否めない。
 もちろん、材料費をケチってるマックとモスとが比較になるはずもないのだが、実際に出て行く金は少ないほうがいいに決まってる。
 モス、今は苦しいんじゃないかなあ、と思うが、私みたいに、たとえ安売りしてても、マックで何食えってえの? みたいな感覚の人間がいる限り、モスの火は消えないであろう。
 焼肉ライスバーガー(既にバーガーではないという批判は置いといて)をぱくつきながら、ウワサ話などに花が咲く。
 ここしばらくすっかりお見限りの藤田君、なんだか大変なことになっているようだ。
 「藤田君の親がね、『育て方間違えたかなあ』って言ってるんだって」
 「なんだよそりゃ。一体何やったの?」
 「今ね、○○○○○○○○○○○だって」
 「なんでそんなに? 何に○○○○○?」
 「だって○○○○○○○○○○○ってよ」
 「いくら何でもそこまではいかんだろう。やっぱり○○○○○○○じゃないのか?」
 「さあ……?」
 端から見てると面白いヤツなんだけど、ご家族にしてみれば気苦労のタネだろうなあ。何しろ忠告したら忠告されただけ、「オレはダメなヤツなんだ〜!」って言って、ますます落ちていくヤツだし。っつーか、「落ちていくのがカッコイイ」って思いこんでるマゾだし。
 フジタく〜ん。もうこの日記読んでないかもしれないけれど、ある程度のところから引き返したほうがいいよ〜。別に家族に迷惑かけるなってことじゃなくてさ、周りのみんなが笑って見ることができなくなるところまで落ちちゃうってのも、娯楽の一つがなくなっちゃうわけで淋しいからさ。


 『ザ! 鉄腕! DASH!!  爆笑! 秋の大収穫祭! おにふすべスペシャル』再放送見る。
 実はこの番組、ときどきしか見てないが結構好きなのだ。何しろテレビのコメディ番組がバラエティに押されてほぼ全滅状態にある中、体を張って見せてくれるもののほうが何倍も面白いことは事実なのだもの。『ガチンコ』みたいにヤラセっぽいのはどうも好きになれんけど、こういうのはゴマカシ効かないからね。
 自転車3000コギで鎌倉の海まで行けるか、ってネタ、ちゃんと一人脱落したのがいいねえ(笑)。
 「DASH村を作る」ってネタ、偶然撮れた「おにふすべ」の成長過程ビデオ、実に勉強になる。たった五日で人間の頭大にまでデカくなるのだ、あれは。こういうのはヤラセでっつーか、そんなんなるなんて誰も思っちゃいないから面白いのだ。


 CS時代劇チャンネル『天下の御意見番罷り通る 彦左衛門外記』。
 原作は山本周五郎の『彦左衛門外記』。
 大久保彦左衛門が本当に天下のご意見番だったかどうかはちょっと、どころか大分疑わしい。所詮はただの旗本であるわけだし、家康の側近だったことは確かだが、親しいつきあいがあったわけでもなさそうだ。『三河物語』を書いていなければ、巷間、話題に上ることもなかっただろうし、あの話にしたところで、感じとしては、「有名人とちょっとお近づきになったことがある」ファンがやたらそのことを自慢話にしてるようなものじゃないかって思う。
 『三河』のほうは安彦良和さんが漫画化してるので、そちらのご一読をお薦めします。
 山本周五郎の原作はその虚々実々の狭間を縫うようなウマイ脚色がなされていて、果たして「ご意見番のお墨付きはあるのかないのか?」という話になっている。何しろほぼ架空の人物とされている一心太助を登場させないことで、より現実感、信憑性が増す仕掛けになっているのだ。
 良くも悪くも山本周五郎は菊池寛に連なる主題主義の作家なワケで、結末がお定まりのところに落ちついちゃうのは仕方ないかな、という気はするけれど、彦左衛門を演じるのが晩年の三船敏郎であること、ワキを藤村俊二、田中美佐子、田村亮といった芸達者で固めていることで、充分見応えのあるドラマになっていた。
 個人的には三船さんにボケ老人みたいな役を演じてほしくはなかったけど。


 広島の友達から電話がある。
 この友人とは盆と正月に必ず会うことにしてたのだが、今年は私の入院で会えずじまいであった。
 会えば必ずオタクばなしに花が咲くのだが、あちらも既に二人の子持ちであるし、なかなか自分の時間も取れないのであろう。休憩がてらウチに来ないかと(汚い部屋であることは無視して)誘う。
 しかし、シンクロニシティというものはあるものだよなあ。
 今日マツダで車買ったと思ったら(まあ買ったのはしげだが)、マツダに勤めてる友人から電話があるとはねえ。


 直後に父から電話。
 こう、あちこちから電話がかかるのもシンクロか? ってただ単に休日に入ったからってことなんだろうけど。
 21日の母の七回忌についての打ち合わせである。
 親戚に強欲の俗物の高慢ちきの人でなしの、そのあまりの性格の悪さゆえ、縁を切ってた人がいるのだが、もう大分時間が経ったことでもあるし、招くことにしたい、ということであった。
 内心、またこのお人好しが、香典泥棒されたこと忘れてるのか、とは思うが、母のことに関しては父に一任すべきだと考えているので、口出しはしない。
 葬式だの法事などが下らないと思うのは、生きている人間たちの思惑がまるでまとまらないというアホらしい事態に落ち入ってしまうことがしばしばなので(映画の『お葬式』以上のトラブルが現実に起こりまくる)、そこに私がまた何か言い出せば、ますます混乱を呼ぶばかりだ。
 けど、一番苦労させられるのは、母のあとを継いで店を切り盛りしている姉なのである。父の話によると、今度の法事、参席を一番いやがったのは姉だそうだ。
 そりゃそうだろう。面倒臭いのでいちいち書いてないが、姉と呼んではいても私と血のつながりはないのだ。血縁でもない者が母の跡継ぎだということで白眼視するクサレ外道がウチの親戚にはゴマンといるのだ。父も私も納得している(どころかぜひ跡を継いでほしいと頼んでいる)ことだというのに。
 父は「十三回忌はお前に任せた」と言ってるが、私ゃ客は一切呼ぶ気はない。「宗教は嫌いだ」と私がしょっちゅう言ってるのを、どこまで本気で聞いてるのか。こっちがいくら言ったって、暖簾に腕押しなのだ。
 いい加減マジで打ち合わせしてもらわないと、困るんだけどな。だいたい、親父の葬式だって、こっちは出す気がないんだから。


 マンガ、西岸良平『ヒッパルコスの海』(双葉社・300円)。
 月の土地を買った男のところに(そういうジョーク企画が、昔本当にあった)、宇宙人が売買契約にやってくる、というネタは、藤子・F・不二雄のマンガにもあったネタだけど、もしかして、ほかにも思いついた人がいるかもしれないなあ。いちばん最初に書いたのはだれだろう? 小説にもあるかもしれないから、そういうのを全部比較対象してみると面白いかもしれない。
 藤子マンガでは首尾よく大金を手にした主人公だが、西岸さんのこのマンガでは、主人公はやはり貧乏生活に舞い戻ってしまう。
 昭和30年代に強い郷愁を覚える西岸さんと、過去を冷ややかに見つめる藤子さんの資質の違いであろうが、どちらが上かってのは決められるものではない。ただ、どちらも背景にある「貧乏」のリアリティは相当なもので、イマドキの批評家が西岸さんの作品を「ほのぼのマンガ」でくくっちゃうのはやはり見る眼がないってことになると思うのである。
 

 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健作画『ヒカルの碁』14巻(集英社・410円)。
 佐為と塔矢名人の対決、完結編。
 連載中に読んでいた『ヒカルの碁』白眉のシーンが連続するが、ラストで消え行こうとする佐為が「神のさだめたこの運命にはあらがえないのか!?」
 と語っているのを見逃していた。
 これを「佐為復活」の伏線と見るのは穿ち過ぎかなあ、とも思うが、一回完全に消えちゃった以上、そのままの復活は絶対に無理だと思うのである。
 ありえるのは「転生」ってヤツだけど、そうなると以前、ネットにニセモノの「SAI」がいたのが気になる。アレが実は時空を越えて転生していたホンモノの佐為だったりして(過去の記憶をなくしていたので、囲碁はまだ弱かったのである)。
 ……マンガと関係ないがオマケマンガ「ネームの日々」36、ジャンプの編集部は「非通知」で電話していることが判明。
 あそこの編集者に社会的常識がないってのが如実にわかるエピソードですねえ。「ジャンプの編集部員です」ってウソ電話をかけるイタズラ者が出たら、どうやって区別つけるのよ。こういうバカどもにせっかくのマンガ連載が引っ掻き回されてるってこと、読者はもっと怒っていいと思うんだが。

2000年10月06日(金) 詳しくはコメディフォーラムを見てね



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