無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記




ホームページ |プロフィール |掲示板「トーキング・ヘッド」 |メール
|藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2002年11月26日(火) 再爆走�◆森�げなくても広がるリング/『低俗霊DAYDREAM』4巻(奥瀬サキ・目黒三吉)

 来日中のマライア・キャリーが昨日、渋谷のハチ公前広場でいきなりプロモーションビデオの撮影を始めて、一時、その場がパニック状態になっちゃったそうである。
 私はマライア・キャリーとリン・ホリー・ジョンソンの区別もつかない人間なので(似てると思うがどうか)、たとえその場にいてもキョトンとしてただけだと思うが、世間の人々というのは、ぱっきんのねーちゃんの顔とかよく覚えてるもんなんだねー。まあ、いきなりデカイカメラ使って外人のねーちゃんの撮影が始まったら「あれマライアよ!」って叫ぶ人間が現われるのも当然だろうけれど。
 何でもマライアは現場に通りかかった途端、いきなり「ここで撮影したい!」と言い出したそうである。そこで唯々諾々と撮影し始めるスタッフもスタッフだが、そんなワガママが通ると思ってしかも実際に通しちゃうマライアの人間性ってどんなもんなんだろうかね。「スターの威光をカサに着て」って、一昔前の少女マンガじゃあるまいし、ちょっと典型的すぎやしないか。
 それとも自分がいきなり街中に現われたらパニックになるという予測が外人さんにはピンと来ないものなのであろうか。あるいはパニックになる様子を見ながら「ハッ、アタシの魅力に黄色いサルどもが群がってるわ」とか鼻高々な気分でいたりするんだろうか。
 「ギブミーチョコレート」の時代はまだ終わってないんスかねえ。


 年末の紅白歌合戦に中島みゆきが初出演するそうである。
 20年遅いんじゃないかってゆーか、もう今さら出なくたって誰も文句は言わないだろうし、わざわざ今頃出るくらいならとっくの昔に出てりゃいいじゃんねえ。昔なぜ紅白に出ないかってことに対して「顔に自信がない」とか言ってたような気もするが、今は自信ができたとでも言うのだろうか。
 世の中には「この人はなぜこんな行動をとるのか」、その意味を捉えにくいことが往々にしてあるものだが、「奇を衒いたい」とか「注目を浴びたい」なんてことが今さら中島みゆきにあろうとも思えないし、ホントに意味が分らないのである。「ふざけてる」と怒るほどでもないし、ただ戸惑うばかりだ。
 だいたい今さら中島さんが何を歌うっての? 「地上の星」? で、誰がそれを望んでるの? なんつーかさ、『プロジェクトX』見ていっぱしの教養人ぶった気になってる中高年が中島みゆきを支持する姿って、ひたすら気持ち悪いだけなんだけど、これが21世紀の現象なんだと言われると、『オトナ帝国』じゃないが、もう一度20世紀からやりなおせよ、と言いたくもなるねえ。


 大雨に雷。
 迎えの車の中で、しげに三月に東京に行かないかと持ちかける。
 正月の東京行きの計画がポシャったので、それなら三月公演の『奇跡の人』を見に行かないか、と以前から話だけはしていたのだが、しげの反応がどうも今一つだったので、今日はちょっと強く押してみたのだ。
 しげはどちらかというと中村有志さんの『愛とバカ ユージ』の舞台が見たいのだと言う。時間の都合がつけば、両方見てもいいんじゃないかと話をする。
 「オフ会はどうする?」と恐る恐る聞いてみる。何しろ去年、某オフ会に出席したあと、しげは情緒不安定になってメソメソ泣きだしちゃったので、今年はどう対応したものかと悩んでいたのである(昨年のオフ会に参加された方でこの日記読んでらっしゃる方もおられましょうから念のため注をつけておきますが、しげが泣いたのは別に誰かのせいだというわけではありません。ただの人見知りです)。
 案の定、しげは「知らない人ばかりだし……」と言い出す。
 「知らない人じゃないじゃん。こうたろうくんと何度会ってる? お宅に泊めてもらっといて、そういう言い草はないやろ」
 「何度会っても、アンタの友達ってことで直接の知り合いじゃないもん」
 「それがオマエの傲慢なとこだって。それじゃ友達の友達は永遠に友達にはなれんの? 相手がオマエと友達になろうって言ってんのに、それを拒絶する方がよっぽど失礼じゃん」
 「そりゃそうだけど、アンタだってオレの友達と積極的に会おうとせんやん」
 「それは相手がこちらと特に会いたがってない場合だろ? オレはオマエの知り合いが『会ってみたい』って言ってるって知ったら、『じゃあ機会作ってお会いしようか』って言うやん。逆にオレが『知らない人になんか会いたくないもン!』なんて駄々こねたらどう思うよ?」
 「あはははははは!」
 「だから勝手にイメージ想像して笑うなっ!」
 一応、しげも自分がワガママ言ってるだけってことは理解したようである。えー、東京でお会いする予定のみなさん、相変わらずしげはコミュニケーションの取り方ヘタですが、去年よりはなんぼかマシになってると思いますので、多少の失礼はゴカンベン願いたいと思います。


 夕食はロイヤルホストで、スパゲティとチキンのセット。
 本屋で『ガンダムエース』を探すが見つからない。コンビニで「ガンダムフェア」をやってるのを思い出したので、セブンイレブンに寄ってみるが、そこにも『スペシャル』は置いてあっても本誌は見当たらない。諦めて帰宅するが、しげの話によると、別の場所に『エース』、置いてあったそうである。
 「なんで教えなかったんだよ!」
 「だって気付いてないと思ってなかったし」
 「買ってなきゃ気付いてないんだよ!」
 結構すぐ売り切れちゃうからなあ。明日まで残ってりゃいいが。


 コンビニで買った「ゴジラ名鑑」の食玩の新シリーズ、これがまた実にイイ出来である。4体ほどゲットしたが、特に秀逸なのが『ゴジラVSキングギドラ』で潜水艦を受け止めてるゴジラ、『モスラ対ゴジラ』で幼虫モスラがゴジラのシッポに噛みついてるフィギュア。……ここまでレベルが高いともうジオラマだよ(^_^;)。海洋堂、すご過ぎ。
 これだけの技術があって、どうして「タイムスリップグリコ」なんてくだらんものまで作るかなあ。誰も「学校給食」の食玩なんて欲しかないぞ。


 マンガ、奥瀬サキ原作・目黒三吉作画『低俗霊DAYDREAM』4巻(角川書店/カドカワコミックスA・567円)。
 今回、深小姫女王様は心を癒しに温泉に行かれているので、出番は少なめ。もっとも本編中もずっとヌードだし、口絵もクビから垂らしたヒモ一本でアソコを隠してるという凶悪なものなので、サービスは相変わらずマンテンなのだが。
 深小姫のキャラクターって、いつもイライラしてて自分の能力と職業とオトメ心の間で引き裂かれてて、どうにも痛々しいんだけど、そういった描写が実にリアルなんで、ついホントに生身の女王様の私生活を見てるような気にさせられるんである。ストーカーがいるのってわかるなあ(^o^)。
 そのストーカー野郎に惣一郎、深小姫の行方をリサーチして貰うのである。この、犯罪者が探偵役を務めるってパターン、『羊たちの沈黙』以来、やたら増えたけど、決してレクター博士が元祖ってわけじゃない。「アルセーヌ・ルパン」はもちろん、「隅の老人」や「墓掘りジョーンズと棺桶エド」ほか、ミステリーの世界ではザラにいるんである。マンガでも田島昭宇の『多重人格探偵サイコ』や細野不二彦の『S.O.S』で先行されてるから、もう少しキャラクターに深み持たせないとちょっと弱いと思うんだけど。

2001年11月26日(月) そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか
2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州


2002年11月25日(月) 再爆走� 真深造録燭鹵罅拭悒優海硫Α截慨�(小野敏洋)/『獣星記ギルステイン』4巻(完結/酒井直行・田巻久雄)ほか

 さて、またまた爆走して何とか追いつこう。

 会議がまたまた長引いてしげを駐車場で待たせてケンカになる。
 もういい加減、毎回なので私もすっかり飽きてるんだが、どうしてしげもこう毎回飽きもせずに文句をつけるかなあ。やりとりの内容も毎回同じで、結局しげがワガママ言ってるのを詫びることになるのだからホントにムダなエネルギー使ってるだけなんだが。
 しげ、仕事まで時間が迫ってると言うので、「じゃあ、晩メシはカレー屋で食うからそこで落として」と言ったら、「時間がかかるからヤだ」と言われる。ウチから100メートルも離れちゃいないのに、なんでそれくらいの寄り道ができないか。
 「ちょっと寄るくらい1分もかからんだろう」
 「アンタ道を知らんね。5分はかかるとよ」
 「5分もかかるか。1分だよ」
 「5分」
 「1分」
 「5分!」
 「1分! どっちでもいいから落とせ!」
 実際には3分かかったそうである。なんでしげがそんなに反発したのか後になって気付いたが、自分のことを放っぽいといて、一人だけカレーを食うってのが気に入らなかったのだな。
 だからそれがワガママだろうに。
 

 DVD『あずまんが大王【2年生】』、続き。
 おーさかとちよちゃんが記憶だけでヘンなパンダの絵を描くエピソードが好きである。
 おお、今気付いたが、私、パンダの実物ってまだ見たことないや。
 大学時代、東京に住んでたころ、もちろん上野動物園にパンダはいたのだが(初代のカンカンとランランじゃなかったと思うが、なんて名前だったか覚えてない)、男一人で上野に行くというのも情けないし、男友達みんなで見に行くというのはもっと情けなかったので、結局、見に行かずじまいであった。
 今はしげ連れだから見に行ったっていいと思うが、どうせしげのことだから「パンダ怖い」とか言って見たがりゃしないのだ。
 ゆかり先生やともが「ジンギスカンを知らない」というネタがあったけど、東京じゃ焼肉はあまりポピュラーじゃないのかな。福岡だと韓国風焼肉を中心にどんな小さな路地裏にも必ず焼肉屋があるってくらいに焼肉屋だらけなんだが。ジンギスカンも結構あるぞ。


 マンガ、小野敏洋『ネコの王』3巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 ふと思ったがタイトルの「ネコの王」って「蝿の王」からの連想だろうか。蝿の王はベールゼブブだけど、ネコの悪魔ってなんかいたっけ?
 本編は「VS西海龍王編」がメイン。五岳家の御先祖様の話なんか出てきて、随分物語に深みが出てきている。この御先祖様がなかなか豪快で味のあるキャラなんで(妖怪退治を趣味にしてるくらいだからねー。ネコの宝貰っても全然動じてないし)、多分そのうちタイムスリップかなんかして、修と協力して「最大の敵」とかに当たったりするのだろう。ありがちな展開ではあるがキャラが生きてるのでヨシ。
 本誌の方では猫女神様、もう仮面を脱いでるそうであるが今巻はまだ。猫の宝が五岳家に渡った経緯も知らないくらいのボケキャラぶりが楽しい。
 こういう「女神=ボケ」というか「マドンナ=鈍感」ってパターン、少年マンガじゃすっかり定着しちゃってるけど、やっぱり元祖は夏目漱石の『三四郎』の美禰子なのかな。あ、『吾輩は猫である』の雪江の方が早いか。
 マンガだとルーツはどのあたりになるのかねえ。パターンとして完全に定着させちゃったのは高橋留美子『めぞん一刻』の響子さんとか『らんま1/2』のかすみお姉さんだと思うけど、意外とそれ以前は意図的にキャラ設計したものって少ない気がするんだよね。基本的に少女マンガだとヒロイン自体がドジッ子ってことが多いから。
 ハッキリしてるのは漱石の時代は「女のボケ=罪悪」という認識が明確なのに、現代は女が愚かであればあるほど逆に許容されちゃってるってとこだな。これって「バカには勝てねえ」ってことか? ……実感できるなあ(^_^;)。


 マンガ、酒井直行原作・田巻久雄漫画『獣星記ギルステイン』4巻(完結/小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 あっさり終わっちゃいましたね。アニメの方もヒットしたって話も聞かないし、メディアミックスのプロジェクトとしては失敗だったんじゃないかなあ。やっぱさあ、韮沢靖デザインがグロなだけで波及力に欠けてたのが原因の一つちゃうかな?

2001年11月25日(日) オタアミ承前/『すごいけど変な人×13』(唐沢俊一・ソルボンヌK子)/DVD『金田一耕助の冒険』ほか
2000年11月25日(土) 希ウィッチィズ/安藤希トーク&サイン会


2002年11月24日(日) サベツとの長き闘い……はまだまだ続くよ(-_-;)/DVD『アクション仮面VSハイグレ魔王』/DVD『あずまんが大王【2年生】ほか

 23日分の続き。っても、DVDとかの感想だけだけど。

 『オトナ帝国』と同時発売の『アクション仮面VSハイグレ魔王』。
 記念すべき映画化第1作である。
 思い返せばこの映画をテレビで初めて見たときははっきりと「どんなにつまんないか、実際に見てみて貶してやろう」と思ってたんだよね。その先入観が見事に覆されたんだから、やっぱり食わず嫌いってのはいいこっちゃないよ。しげも「なんで『しんちゃん』とか録りよるん!」と言ってたのが、今や私が先に映画見たら悔しがるくらいになっちゃったからなあ。「買うのは映画だけでいいよ」って言っときながら、「ほかのは買ってないん?」って聞いてくるし。
 今から『しんちゃん』のファンになる人ってある意味では不幸だなあ、と思うのだ。私たちが『しんちゃん』のファンになったころはホントに世間での評判が悪くて、有害アニメ扱いだった。それを「そんなことはない、あれは素晴らしい傑作アニメだ!」と主張したときの相手の蔑みの目。悲しいのは、一般人ならいざ知らず、アニメファンの中でもそういうヤカラが少なくなかったことだ。「映画はまず見てから判断」という当たり前の基本事項を認識してないスットコドッコイがどれだけ多いかってこと、認識させられたこの十年だったんだからよ。
 偏見に晒された分、私たちは「クレしん映画のどこがすごいか」は、シロウトなりに「先達」としていっぱしの口が利けるようになったのである。他人の評判を聞いて後追いでファンになった人に対して、「まだまだだね」なんて言っちゃえるのである(^o^)。いや、そんな態度取るつもりはないんだけど、自然とそんなふうになっちゃうものなんだよ。
 「バカにしないでともかく見てみなよ、話はそれから」
 この程度の言葉でも「後追いくん」にはすごく高飛車に聞こえてしまうものなんだよね。時をもとに戻せぬ以上、先輩後輩の逆転は不可能なんで、これは如何ともしがたい。こういう先輩風吹かすやつが前にいると、新しいファンはかえって鼻白んじゃって、またまた映画を素直に鑑賞できなくなる。事実、映画を見た人でも「そんなに激賞するほどのもんか?」って反応しちゃうことがあるけど、それってたいてい「後追い」のバイアスがかかっちゃって、映画の価値を見逃しちゃってるせいなんだよねえ。
 でもそのせいで、「子供向けアニメ」とバカにしてるものの中にどれだけ宝石が混じってるか、気がつかずに過ごしちゃうのはやっぱり不幸じゃないのかな?
 『しんちゃん』だけでなく、『デジモン』だって『どれみ』だって、傑作エピソードが目白押しなのは「見て」りゃわかる。それが『ワンピース』や『コナン』のような雑な脚本や演出の作品といっしょくたにされちゃうことが多いってのは、やはり「子供アニメ」なんてククリでモノを斜め見してるからなんじゃないか。
 やっぱ、アニメファンって受身な人が多いんだよ。誰かから「あれはスゴイよ!」って言われないと気付かないし、そう言われても、どれ、じゃあいっちょ見てやろうか、って時には、その作品には先輩たちの手垢がベタベタ付いちゃった後で、素直に評価しにくい雰囲気ができあがっている。
 日頃から自分で面白いものを発見していこうって姿勢がありゃ、ホントに面白いものを見逃すこともそうはないんだけれども、そんなにしょっちゅうテレビに齧りついてもいられないしねえ。
 でも、少なくとも見ないうちから勝手に出来不出気を決めつけるような発言だけはやめてほしいよね。

 また本編の内容に触れてないな(^_^;)。てなわけで、あわてて解説。
 冒頭に展開されるテレビ『アクション仮面』の撮影風景。この作画の密度、演出の上手さにまず度肝抜かれちゃったからねえ。荒野で鎖につながれてるミミ子ちゃんを仰角で捉える大胆な作画。そのミミ子ちゃんの顎をしゃくるスケルトン教授ゾンビリビーのいかにも悪辣な演技、そして夕日をバックに岩の上でゆっくりと立ちあがるアクション仮面の勇士。何に魅せられたかって、その「映画」としての演出だったんだよね。
 最初見たときには特に泣きもしなかったけど、駄菓子屋のシーンでなんか涙ぐんじゃったよ。これからしんちゃんが「選ばれし子供」……じゃない、「アクション戦士」としてパラレルワールドに旅立つんだと思うと思わず「がんばれ!」と応援したくなっちゃってね。
 しかしこのころはみさえも若くてしんちゃんとすごく友達感覚でじゃれあってたんだなあ。いや、タンクトップのみさえって結構イロっぽいぞ。そしてしんちゃんが「ケツデカみさえ」ってやたら言うの、これちゃんとしんちゃんの低い視点から見るとホントにデカく見えるんだってことに気付いた。この第1作はアオリのカットが特に多くて、それがよくわかるんである。ムネなんて遠すぎてデカさなんて実感しない。ホントに小さいのかもしれないけど(^o^)。いやあ、こんな最初期からちゃんとリアルな感覚で作られてたんだなあ。
 せっかく『オトナ』や『青空侍』で『しんちゃん』にハマったオタクのみなさん、『オトナ帝国』だけでなくて『アクション仮面』もよかったら買ってみてね。


 DVD『サイボーグ009 バトルアライブ8〜神々の来襲〜』。
 いよいよミュートス編、これをたった4話で終わらせるのはもったいないよなあ、と放映当時から思っちゃいたが、22話、23話でお話を壮大に広げたのに、それが後半生きてこないのが見返すとちょっと残念に思える。アポロンなんか実は19話『英雄の条件』からジェットを見張ってたんだからなあ。もう少しナマなところでサイボーグたちと関わらせてほしかったねえ。
 だいたいミュートス・サイボーグたち、22話で全世界を恐怖に落としいれときながら、その後、世界の反応が全くなくてサイボーグたちに全て闘いを任しちゃうってどういうことよ。原作のまんまやってるんだからしょうがないんだけど、もちょっと大きな展開、タメがほしいところだったね。
 作画の書き足しがあるかな、と思ったら、23話、岡崎洋美・安彦英二両氏に加えて丸山泰英氏がクレジット。そう言えば放映当時は絵が雑だったかな。

 今巻とは関係ない話題だけど、『009』のホームページで002・ジェット・リンクの出自が問題になっている。『ウェスト・サイド物語』がモトネタだからイタリア系かプエルトリコ系か? とか悩んでるけど、「ジェット・リンク」の元ネタは『ウェストサイド』じゃなくて『ジャイアンツ』だってことも今時のファンは知らないんだな。だからあれはジェームス・ディーンなんである。


 マンガ、矢立肇・富野由悠季原案・安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』3巻(初回限定特装版/角川書店・798円)。
 特装版はいいのだけれど、表紙のどこにも「3巻」の文字がない。買う時すっげー迷った。これ単純なレイアウトミスなんだろうね。設定資料集がついて通常版578円より200円も高いってのはちょっと割高過ぎないかな。
 今巻はガルマ編の前半、マチルダさん初登場までを収録。カラーページも一部収録されてるけど、全てではない。『ガンダムエース』本誌も買って、さらに単行本も買ってるんだから、巻末に後書きくらい書いてほしいなあ。



 で、ここから本日。

 日曜の朝、アニメ特撮三昧復活、ということで『ハリケンジャー』から『ギャラクシーエンジェル』までぶっ通しで見る。でも感想はめんどくさくなるから書かない(^_^;)。最終回が近いものばかりでみんないろいろくふうしてるねってひとで。


 DVD『あずまんが大王【2年生】。
 初回特典は「あずまきよひこイラストレーションズ」。世の中「こんなオマケ付けてどうすんじゃ」ってものも多い(例えば「ハクの……」)中、これはなかなかの「買い」だね。やっぱお客さんが何を付けてもらったら喜ぶかってこと、少しはリサーチした方がいいと思うんである。
 あずまさんのホームページを見ると、彩色は全部パソコンでやってるそうだけど、ここまで手描き風に出来るもんなんだなあと感心。滲んでるようにすら見えるんだもの。……っつーか、塗りがヘタに見えてしまうのはどうかって気もするけど(^_^;)。

 本編の方も出来はいいと思うけどなあ。山本弘さんが「似て非なるもの」と憤慨してるってのはどういうところなんだろう。山本さんのホームページに質問を書き込む勇気はとてもないんで、ずっと謎のままなんだけど。
 4コマを30分一本のマンガにするんだから、脚色はどうしたって必要になる。単純なこと言っちゃえば原作には背景が描きこまれてないことだってやたらあるんだから、アニメのスタッフはそこから創作しなきゃならない。シチュエーションのイメージが違っちゃうことを回避することなんてまず不可能な話なのに、限界に挑戦、とまではいかないまでも、4コマのワクに固定化されたものをアニメとしていかに「動かす」かって工夫はいろいろやってると思うがなあ。
 それともオリジナルな展開がお気に召さなかったかな? 榊さんと神楽をライバルとして見せるためにあちこちからエピソードを寄せ集めただけでなく、もともと神楽が登場してなかった話にまで出演シーンを付け足したところとかあるけれど、原作に対する冒涜だって感じられたのかなあ。私なんか「うまくまとめたなあ」と感心した口なんだけど。
 ただちょっと気になった「変更」はあって、「夏休み」の巻でのゆかり先生とにゃも先生の会話が完全入れ替え。原作では沖に流されちゃったおーさかを見ながら、ゆかり先生が自分の責任問題を心配してるのをにゃも先生が「私の生徒じゃないし」と付き離す、という極道なネタだったのだが、それが「生ハムメロンって抱き合わせ商法だよね?」「酢豚のパイナップルよりはましじゃない?」と差し障りのない(でも意味不明)なやりとりに変更。やっぱり生徒を見殺しにするような先生の発言は不謹慎すぎて放送禁止ってことなのかな。全くギャグ一つに神経過敏になりすぎだよな。言い替えればそれだけ原作のギャグが真実を突いてあるってことなんじゃないの〜?
 「夏休み」のギャグで一番楽しかったのはにゃも先生が「エロエロな話」してる最中に流れる挿入映像。風鈴やら雷門やら忠吉さんと戯れるちよちゃんとか。全くどれくらいエロな話してたんだ、にゃも先生。当たり前だけどみんな免疫ないんだなあ。ちよちゃんに免疫あったら怖いけど。
 1巻に10話も入ってるので今日見たのは前半の5話のみ。


 マンガ、あだち充『KATSU!』5巻(小学館/サンデーコミックス・410円)。
 おお、5巻を越したな。前回の『いつも美空』の反省もあってか、いかにもあだち充調なスポーツラブコメ、一応今度は人気が出たようだね。一作置きに実験漫画描いてポシャっちゃってまた原点に帰るって繰り返しか。サンデーの読者って保守的だよなあ。
 実際、ドラマはようやく序盤戦終了、という感じだから、ここで打ちきられたら作者もイタかろうが、読者だってイタイ。『美空』だって消化不良だったんんだよ。ちょっとくらい面白くないからって、長い目で見る忍耐力くらい持ってほしいもんだ。
 香月が完全にボクサーからリタイアして、活樹と紀本のライバル関係が明確化され始める。香月が言ってる通り、活樹は「1年後には高校チャンピオンよ」だそうだから、少なくともあと5巻は続く計算になる。でも実時間とは微妙にマンガの進み具合が違ってて緩やかな感じがするから、このペースで行くのなら、短くても20巻はかけないとバランスが悪そうだ。あだちさん自身、4、5年の連載を考えてるんじゃないのかな。
 ラビット坂口にリング上で殺された赤松隆介の存在がどの程度伏線として生きてくるのか、これだけでも5巻分は引けるな。内田がいかにも関係ありそうなんだけど、そこははずしてもちっと引いてみるとか、手はいろいろあろう。もちろん連載は続いてほしいんだけれど、つまんないままダラダラ続けられても困るからね。
 個人的にはもう一回くらい香月をリングに立たせてほしいんたけどね。せっかくボクシングする女の子なんて、今まであだちさんが描いてこなかったヒロインを登場させたんだから、このままリタイアさせたままなのは何と言っても惜しいよ。
 

 マンガ、金成陽三郎原作・山口譲司漫画『ミステリー 民俗学者八雲樹�� 山姥の里殺人事件』(集英社/ヤングジャンプコミックス・580円)。
 えー、あの有名なトリックと、あの超有名なトリックの組み合わせです。これで「重厚推理マンガ」(←オビ)とは片腹痛いわ。絵ももちょっと練習しようよ(-_-;)。こっちは感想、こんなもんだ。

2001年11月24日(土) オタクアミーゴス in 九州 2001
2000年11月24日(金) ハートブレイク/舞台『人間風車』


2002年11月23日(土) 江川卓>○○○/CD『ちょんまげ天国』/DVD『ハレのちグゥ』4巻/『ほしのこえ』/『オトナ帝国の逆襲』

 ごくごくたまにしか更新しない西原理恵子様のサイト『鳥頭の城』。
 いや、新刊案内とかはアシスタントの愛ちゃんがコマメにされているのだが、御大のご登場がヘタすりゃ1年に1回とかだったりするのである。
 それが珍しくも「ボツマンガ」ということで、『毎日かあさん』(タイトル通り毎日新聞』の日曜版に連載してるそうだ。読売の『あたしンち』を狙ったのかねえ。毎日新聞おおバカ(^o^))の1回分をウェブだけで公開。
 サイバラさんの二歳になるムスメさんがイタズラばかりするのに全く非を認めないのを「北朝鮮」と煽ったらボツ食らったんだと。そうか『毎日』は北朝鮮寄りだったか(^o^)。
 ということでなくて、日曜生活版なところにあまり政治の話題を持ちこんでほしくないってことなんだろうけれど、だったらサイバラさん呼ぶなよ(^_^;)。あの人にとっちゃ、政治も今晩のメシもインドもスカトロも脱税もみんな同レベルなんだから(考えてみたらすげえ作家だ)。
 っつーか、サイバラさんでなくとも世間では恐らく、自分の非を認めないやつを「おまえ北朝鮮か」とか「コイツ北朝鮮や」とか呼ぶのは既に日本中で一般化してると思われるのである。
 確かになんの非もない在日の北朝鮮の人がそれを聞いたら気を悪くするのはわかるんだが、今の情勢を考えた場合、サベツを甘んじて受け入れろとまでは言えないにしても、そう言ってふざけてる日本人をあえて責められはしないんじゃないかな? 日本の過去の罪については何の関係もない戦後世代の人間に対してまで「民族として反省せよ」なんて難癖つけてたんだからさ。そういうトバッチリを民衆が受けないためにも国ってのはシャンとしておいてくれないと困るんである。在日の人が怒るんなら日本人に対してじゃなくて未だに拉致ってる本国の方にでしょ? 矛先間違えてんじゃないよ。
 ずっと昔、似たような意味で「エガワる」って言葉もあったが、江川卓が怒ったって話は聞かんよな。北朝鮮、江川以下か(^o^)。

 しげ、このマンガを読んで、どうしてボツられたかってのを「これ読んで怒った北朝鮮の人間が攻めて来るから」と思ったそうである。どこにや(-_-;)。でもそれくらい北朝鮮の人間が「危険」だと思われちゃったってことなんだよねえ。
 サイバラさんのマンガは単行本化の際にはちゃんと掲載されるそうであるが、多分まだ国内にゴマンといる北朝鮮の工作員の人たち、サイバラさんを脅迫したり拉致ったりしたら、全国五千万人のサイバラファンが即座に戦争放棄宣言を放棄して北朝鮮本国を5分で殲滅しかねないから気をつけようね♪


 なんだかよくわからないが、ウチの劇団で忘年会が計画されている。
 具体的には12月14日に某焼鳥屋で食いまくったあと、朝までカラオケ、とか言ってたような気もするが、なんか2次会をウチでやる方向になったとか。
 ……ウチのどこで。
 冗談ではなく今現在のウチの中は腐海と化している。ふかわりょうに来てもらって、片付けてほしいくらいのものである。
 「どうすんだよ、おまえ片づけられるのかよ」
 「うん、だから鴉丸呼んだ」
 ……だからどうしてそうやって他人に頼ろうとするかな。日頃から散らかしたものは片付ける癖つけてりゃどうってことないはずなんだがなあ。心を改めない限り私ゃ手伝わないと宣言してるので、ここまで放置状態になっちゃったのだが、改める方向に進まずに誤魔化す方向に行ったか。人間落ちだすと底はないな。
 朝10時、しげ、鴉丸嬢を連れて来る。
 ドアを開けるなり鴉丸嬢、「あんたら夫婦はねー!」と叫ぶ。いや、叫ばれても。いかほどの惨状であったかはご推察いただきたい。

 手伝わないやつはジャマだ、ということで家を追い出される。
 「5時まで帰ってくるな」と言われたので 天神まで出かけて買い物する。
 帰宅してみると、ほとんど片付いた様子がない。どうしたのかと思って鴉丸嬢に聞いてみると、「台所だけで一んちかかっちゃったんだよ!」とまた叫ばれる。鴉丸嬢、今日はそうとうノドを痛めてしまったようだ。
 こうなるとホントに申し訳ないから私も日ごろから掃除をしようかという気にもなるが、それでもしげが一切手伝わないのはわかりきってるのである。実際そうだったし。寝腐ってるしげを横目で見ながら黙々と片付けてると、なんかホントに寄生虫飼ってる気になって腹立ってくるし。でもだからって、自分が寄生虫になり返してちゃしょうがないってのもわかっちゃいるんである。
 でも既にこの家は自分一人でどうにかできるレベルを越えてしまっている。こうなったら誰かに手助けしてもらって……って、発想、しげと同じじゃん。


 買ってきたCD『ちょんまげ天国』をかける。
 ペリー荻野さん選曲のテレビ時代劇音楽集なのだが、ペリーさんが私と全く同い年なので、一曲一曲聞くたびに「ああ、これこれ!」という感じで実にこちらのキモを突いてくれるのである。
 『水戸黄門』や『銭形平次』なんかは入れとかなきゃってもので、まあどうだっていいんだけど、やっぱ『子連れ狼』は「しとしとぴっちゃん」の方じゃなくて『ててご橋』だよな、というのは実際にリアルタイムでテレビシリーズを見てた身には納得の選曲なのだ。アンタ、あのオープニング演出、実相寺昭雄だからね。オタクならあの白黒赤のコントラストの利いたオープニングに感動してこそってものであろう。
 『木枯し紋次郎』がかかってるの聞いて、鴉丸嬢、「オッサンがトラクターに乗って出てきそうな」とか言う。小林旭かっ! 無知は罪ではないが腹立つな。

 ラインナップ全部について感想書くとまたそれだけで今日の日記が終わっちゃうので、一部をかいつまんで。
 『浮遊雲』は当然、山城新伍のアニメ版でもましてやビートたけしのクソバージョンでもなく、渡哲也版の『GIVE UP』。古いモノ好きのしげにもこれは記憶に残ってない。そんなに昔だったかなあ。
 藤田まこと歌う『てなもんや三度笠』はただひたすら懐かしい。
 加藤剛歌う『風と雲と虹と』は今聞くともう「歌の常識」というものを根底からひっくり返してくれるくらいキョーレツ。当時は聞き流してたけどなあ。サビの部分の全く意味不明な「オーラオラオラオーラ」って「雄叫び」をいったいどう受けとめたらいいのか。作詞は劇作家の福田善之、作曲は山本直純である。こういう名曲も山本さん作ってたんだよなあ。
 全26曲のシメは『暗闇仕留人』から西崎みどりの歌う『旅愁』。小学校の修学旅行のバスで歌って顰蹙買った思い出があるな(^_^;)。名曲なのに。

 もちろん「あの曲はどうした」という思いが残るのはこういうセレクションものの常である。『ぶらり信兵衛道場破り』がないぞとか『素浪人月影兵庫』『素浪人花山大吉』がないぞとか。NHK少年ドラマシリーズ版の『快傑黒頭巾』は音源残ってないのかとか。

 戦後の映画の歴史において「時代劇」こそがエンタテインメントの中心であった時代があったことは断言できるが、テレビにおいてはどうであったかというとこれはちょっと微妙である。昭和四十年代前半くらいまで、往年の時代劇スターは『半七捕物帳』などに主演していた長谷川一夫を除けば、あまりテレビ出演をしたがらなかったからだ。それは結果的に「テレビにおける時代劇スター」を生み出したが、大部屋俳優に主演のきっかけを与えた効果がありはしても、作品自体が時代劇の深みを感じさせてくれるほどの出来にはならなかったことは『隠密剣士』を見返して見てもわかる。
 大物スターが節を屈してテレビ出演するようになった頃には、残念ながら彼らの「旬」はとうに過ぎていて、それらは黄金時代の輝きを持った作品ではなくなってしまっている。片岡千恵蔵の『世直し奉行』しかり、三船敏郎の『荒野の素浪人』しかり、萬屋錦之介の『子連れ狼』『破れ傘刀舟』しかり、勝新太郎の『座頭市』しかり。
 そんな中でまさしくテレビならではの時代劇の魅力を体現していた代表的な役者が杉良太郎だったというのが、良くも悪くもテレビ時代劇の質を決めてしまったのだ。このCDの中でも杉良の出演作が『水戸黄門』『遠山の金さん』『新五捕物帳』『大江戸捜査網』『文五捕物絵図』と五つも入っていることが象徴的だ。最初の主演作である『文五』こそ、松本清張原作(『張込み』の時代劇化もあり!)・倉本聰脚本・和田勉演出と重厚だったが、すぐに「軽み」だけの役者になって行く。テレビにはじっくり目を離さずに齧りつくように見なければならないドラマより、斜め見のできる軽さの方が求められていたのだ。

 それでも我々は「時代劇」に拘った。
 水戸黄門が、遠山金四郎が、銭形平次がいかに代変わりしようが、石坂浩二黄門にも橋幸夫金さんにも風間杜夫平次にも付いて行ったのだ。月形龍之介や片岡千恵蔵や長谷川一夫に比べれば見る影もない彼らに、込み上げる思いを抑えながらエールを送っていたのだ。そんな過去の自分を思い返すと、なんて健気だったんだと感心するほどである。
 だから私はたとえ役者としては里見浩太郎のほうが杉良太郎より上だと思いつつも主題歌となると「水戸黄門は杉良バージョンでなきゃ」、と思うのである。それは私が最初に「嫌いだけど好き」になった時代劇ソングにほかならないからだ。……あおい輝彦になるともうどうでもいいんだけどね。
 ペリーさんにはぜひとも第2弾を出してほしい。そのためにはまずこの一枚目が売れねばならんのである。時代劇ファンは買おうね。


 肩を落として帰って行った鴉丸嬢に同情しつつ、他のCDやDVDを片っ端からかけまくる。
 CD『クレヨンしんちゃん どうよう「きけばぁ〜」』。
 CD屋を3軒回ってやっと見つけたやつだけど、評判は聞き知ってたのでほしくてたまらなかったのだ。
 しんのすけ(矢島晶子)の歌う『せんろはつづくよどこまでも』『いぬのおまわりさん』『おなかのへるうた』『やぎさんゆうびん』『ふしぎなポケット』『おもちゃのチャチャチャ』。
 みさえ(ならはしみき)の歌う『バナナのおやこ』『おはなしゆびさん』。
 ひろし(藤原啓治)の歌う『おうまはみんな』『ごひきのこぶたとチャールストン』。
 園長先生(納谷六朗)の歌う『おおきなふるどけい』。
 アクション仮面(玄田哲章)の歌う『てのひらをたいように』。
 このラインナップを見て心を動かされないオタクがこの世にあろうか。ちゃんとそのキャラクターになりきって歌ってくれてるんだよねえ、役者のみなさんの底力を感じさせてくれる名演揃い、特に納谷さんの『ふるどけい』はマジで涙もん。この衒いのない歌いっぷりを肌で感じてしまうと某カバー曲は聞けなくなってくるね。
 それでも文句をつけさせてもらえれば、参加声優さんが5人って少なすぎるよね。『てのひら』、アクション仮面でも悪くないけど、普通に考えればこりゃ当然「春日部防衛隊」でのコーラスでしょう。園長先生以外の先生たちの歌もほしいし、絶対納得いかないのはどうしてぶりぶりざえもんにこの時歌わせなかったかってことだ。塩沢兼人さん亡き今、この夢は永遠に叶えられない。
 こういう企画モノを嫌う人もいるけれど、私はちゃんとキャラクターを大事にしてくれるなら全然オッケーなんである。若い声優ファンと意見が合わんな、と思うことが多いのは、その声優さんが歌ってりゃキャラクターイメージに合ってなくても平気って人が結構いるからなんだよね。
 このCDと一緒に、これまでのテレビ・映画の主題曲ばかりを集めたCD『ザ・ミレニアム・オブ・クレヨンしんちゃんベスト・ヒット・シングル・ヒストリー』も探したんだけどどこにも置いてなかった。新バージョンが出るの待つしかないかなあ。


 DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』4巻。
 何はともあれ、以前から気になってたことで、でも別にたいしたことじゃないから気にすることもないんだけど、やっぱり何だか気になってて、結局どーでもいーんだかよくないんだかよくわかんないことが気にかかっててずっとずーっと考え続けてたんだけれど、それが何かとゆーとグゥの体形のことなんである。あの子の足って白土三平の『サスケ』に似てませんか。

 それはさておき、『ハレグゥ』OVAももう4巻目。前回の予告編で「最終回」と言ってたくせにまだ続くみたいである。けれど今回の予告編の作画、間に合ってなくて殆ど静止画。まるで『エヴァ』みたいだぞ。水島努監督、例の映画と平行しながら今のこのクォリティ、維持できるのか?

 それはそうと、今回初めて気づいたこと。オープニングでハレがモノに憑かれたように早口で妖しいセリフを呟くシーン、これ毎回セリフが違ってたのね(おせーよ気付くの)。
 1巻「消した携帯のメモリーだけど心のメモリーまだ消せない悩んだ末のEメール最後の♯が押せないの不要になった合鍵を私はなんで持ってるの? 世界は Love フィーバーでも私は One Side Love Love フィーバー Love フィーバー」
 2巻「外れ馬券を握り締め裏路地の居酒屋の暖簾をくぐる呑んで呑まれて呑まれて呑んで俺は冬の荒海の波間に揺れる旅鴉着てはもらえぬセーター持って北へ帰ろう故郷へ」
 3巻「世界は腐っている世界は病んでいる世界は÷>@%いる Rise in arms the Baby すべてを〒※£☆せよもう箱の中は空っぽだ§#^/なんてないついでに俺は疲れている」
 4巻「風に乗りどこへゆこうか夕暮れの人だらけの街を飛び出して若かったあの頃四畳半で二人何も怖くなかったただあなたを失うことだけが怖かったただ怖かった」
 ……なんかスゲーな吉元由美。いろんなアーティストに詞を提供してるらしいけど、この人絶対何か割り切ってるな(^o^)。私の好みは2巻である。

 さなきだに毎回本編にたいして触れずに関係ないことばかり書いてるのである。てなわけでちょっとは触れよう(^^)。 
 illusion�察屮肇�メキぴよ2マイエンジェル」。ウェダとクライブがちびっこになる話だな。ギャグは当然原作より過激化。クライブが読んでるエロ本、緊迫画集だし。「FUJIYAMA DREAM」ってタイトル、いかにもだけどモトネタがあるのかなあ。ボク子供だからよくわかんないや♪
 こういうのって絶対テレビじゃやれねえネタだよなあ。かと言ってOVAだからやっていいと言うもんでもなかろうが。
 illusion�次峩嗣啾舂Α廖�ちょっと見方によってはすっげーヤバいネタ。発禁になるんじゃねーか、これ。胸毛をなくして昏睡状態から戻れなくなった長老の夢の中にサイコダイブするハレとグゥ。そこは長老の理想の国、胸毛大陸であった(~_~;)。……おええ。マリィなんてハミ出して下まで行ってるよ。……それって陰毛って言わんか(-_-;)。凄いなあ、18禁でもないのにアニメに陰毛が描かれた最初の作品ではなかろうか。最初だからって、全然エラクないところが『ハレグゥ』の素晴らしさであろう。


 DVD『ほしのこえ The voices of a distant star』。
 前に買ったCDブックバージョンでなく、声優バージョンと短編『彼女と彼女の猫』を収録したインディーズ版。
 声優は武藤寿美・鈴木千尋の二人だが、誇張された声優喋りを抑えて、オリジナル版とイメージが違わないように努力している点、好感が持てる。でもだったら声優で吹き替える必要もなかった気がするが。
 短編の『彼女〜』はわずか五分の習作なのでアラも目立つのだが、新海誠監督がアニメを通じて何を表現しようとしているのかが見えるのが面白い。背景もリアル、人間のキャラクターもはっきり出さず、殆ど実写感覚で映像を作っているのだが、主人公の猫だけがキティちゃんのように単純化されたマンガキャラである。ここはもっとリアルなネコキャラでやった方がよかったのでないか、という意見は当然あろうと思われるが、さてそうなるとアニメにする意味自体、なくなってしまうのである。月並みな説明で恐縮だが、アニメキャラというのはまさしく「キャラクター」のシンボライズされた姿なのであって、実写キャラの持つ様々な夾雑物をできるだけ殺ぎ落とした形として出来あがっている。普通のネコが持っている表情、雰囲気、匂い、そういったものはこの猫にはない。あるのは飼い主の「彼女」への「思い」だけである。それをできるだけ純化して表現することこそが新海監督の目指したものだと判断してまず間違いはあるまい。
 となると、声をアテている新海監督の声とキャラとの違和感が気になるのだが、全編字幕と音楽のみ、無声映画にしてもよかったんじゃないかな、とも思うのである。インディーズ映画で無声映画ってのは国境も越えやすいしね。


 DVD『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』。
 ついに出ちゃいましたね! もはや「オタク」と名乗るならこれをバイブルとせずして何がオタクかという域にまで喧伝され尽くした、日本アニメ史上に燦然と輝く傑作、第1回日本オタク大賞受賞作『オトナ帝国』!(T∇T)
 何かこれについて語りだしたらまたそれだけで日記を三日分は使いかねないからなあ。何しろDVDで細かいところまで見返してたら、また新しい発見が山のように出てきたのである。で、また泣いてるし。なんか心のスイッチが必ず押されちゃう感じだね、大丈夫かオレ。
 発見の中には、劇場で見たときには気づかなかった「ミス」も結構あった。
 例えばマサオくんがオトナたちの誘いに乗って飛び出そうとしたとき、カザマくんたちから口を塞がれるのだが、画面ではその手はすぐに離されるのだが、声の方はまだくぐもったままなのである。作画が間に合わなくて、シロミだけだったんでズレちゃったんだろうなあ。
 ドラマ的に「あれ?」と思ったのは、しんちゃんたちを捕まえに行くひろしとみさえが、最初はそれが自分の息子だという記憶は持ってたのが、出会ったときにはもう完全に忘れてしまってるあたりか。でもこれは矛盾というより匂いによる洗脳が進んだと考えるべきかもね。
 もちろんそういう細かい破綻を越えた「何か」があるからこそたくさんのオタクたちの指示を受けたのだが、映画に大満足したあと、それで終わらずにどこかツッコムとこはないかと鵜の目鷹の目で探したくなるのも、それがより深く作品を味わいたいという欲求の現われなのである。
 DVD仕様は日本語字幕つきなので、劇場では聞き取れなかったセリフや歌詞もちゃんと見られる。コンパニオンさんに絡んでるしんちゃんを連れてくみさえ、最後に「ファイン・サンキュー」って挨拶してたんだね。初めて気付いた。セリフのカットなんてのは全くなかったけれど、唯一、字幕で、コサキンのギャグ、「お尻をギュッ!」「ケレル!」が「カモン!」に変更されていた。字幕担当者が一般客には意味不明と判断して変更したのかもしれないが実際のところ、よくわからない。変更は私の見たところその一点だけだった。


 枚数超過したので続きは明日の日記にて。

2001年11月23日(金) 純情エロさん/オタクアミーゴス前夜祭
2000年11月23日(木) 勤労感謝の日スペシャル/『超オタク』(岡田斗司夫)ほか


2002年11月22日(金) 最上の味と最低の映画/映画『恋に唄えば』/『ブラックジャックによろしく』3巻(佐藤秀峰)

 予定では今日は職場に居残って残業しなければならないはずだったのである。
 ところが突然予定が変わって、仕事にポコン、と穴が空いてしまった。いきなり仕事が入ることはあっても、仕事がなくなるなんてことは滅多にないのに、これは珍しいことである。でもおかげでしげを駐車場に待たさずにすんだ。ありがたい。

 ところでしげもいいトシである。
 この日記では、ヤレ、精神年齢が未だに小学生レベルだの、頭でっかちの六頭身だの、オシャレに無頓着でまんま『あしたのジョー』の冒頭シーンに出演できるだの、童顔でしょっちゅう浮浪児と間違えられるだの、適当なことを言っているが(今まで言ってないのもあるが)、そんなしげも今や野原みさえと同い年なのである。
 酸いも甘いも噛み分けて、とまでは行かないにしても、ちったあオトナらしくなってるところもあるかと思えばそうでもなかったようなのだ。
 しげの職場での出来事なんだけど、昨日、同僚の男性の人と偶然手が触れちゃったらしいのね、何かを取ろうとした拍子に。途端にしげ、ドキドキしてしまったらしい。
 しげが何に驚いたかって、自分がまだそんなことでドキドキしてしまうんだってことにビックリしちゃったと言うのだな。もっともこの「ドキドキ」ってのは、オトメ心何色、とか、だって純情どうしよう、とかいう類のものではなくて、未だに自分の人見知りが治ってないってことらしいんだが。
 治ってないでしょ、そりゃ。何を今更だよなあ、それでこっちは散々苦労させられてるってのに(^_^;)。
 しげの対人恐怖症、以前から見たらだいぶマシにはなっているが、一般レベルで考えればまだかなりヒドイのである。とりあえず客商売ができてたり、演劇仲間と会話できたりしてるのは、頭の中でシミュレーションができているから何とか凌げてるだけなんで、初対面の相手とは未だに無言で過ごすことも珍しくない。何を話せばいいのか全く思いつかないのだね。もう何度となく「差し障りのないこと話せばいいじゃないの、天気の話でもいいからさ」とか具体例をいろいろと出して「こうしたらいいよ」と言っちゃいるんだが、記憶力がないから結局とっさの時の役には立たないのである。いくら言っても忘れられるんなら、私だっていい加減相手をするのがイヤになる。もう十年言い続けてるのに治そうともしないんだものな。
 その同僚とは「手が触れる」というシチュエーションを全く想定してなかったらしい。まあいちいち想定するものでもないが、オトナならそれでドキドキするのは「ちょっと情けない」と思って然るべきものだ。
 「そんなことないよー、女の子なんだからいつまでもドキドキしてたっていいじゃんよ〜」という意見をお持ちの方は、こう考えたらどうか。例えば、私が職場の若い女の子の手にウッカリ触れてしまって、ドキドキしてしまったらどう思うかと。「あっ、うっかり触れちゃってゴメン、でもワザとじゃないんだよ、……あれ? ワザとじゃないのに、このムネの奥から湧き上がってくるドキがムネムネする気持ちは何? これって、ボクにまだ若さがあるってことなのかな? うふ、ウレピイ♪」……「死ねよオマエ」って気がしないかね(-_-;)。
 男と女とでその見方に差をつけちゃイカンよね。しげの「ドキドキ」も実年齢を考えればそうとうキモイものだ。これって結局、痴漢の自己弁護なんだよ。
 しげがそう感じちゃったのは、やっぱりあいつの精神年齢が小学生から一歩も進んでないってことなんで、それはどうしようもないことなんだけれど、せめて「オレってバカ?」くらいは思ってほしかったな。オトナになろう、という気持ちがないから、そのドキドキを肯定的に見てしまうのである。なんかしげのやつ、ホントに人の苦労を無にしてくれる言動ばかりしてんだよな、ここんとこ特に。
 言っときますが、私が若い女の子の手に偶然触れちゃうなんてこと、職場じゃしょっちゅうあることなんですが、全然ドキドキなんてしません。ラッキーとも思いません。ホントよ。


 夕食は久しぶりに豪華に「エスポワール」でコース料理。一番安いやつでもン千円だよ。エンゲル係数高いってまたぴんでんさんに言われちゃうな(^_^;)。
 フランス料理、親にだって滅多に連れて行ってもらわなかったからねえ。昔に比べて贅沢になってるのは否めない。
 オードブルはエスカルゴに小エビ。多分、エスカルゴを食うのって、私ゃ生まれて二回目くらいだ(^o^)。いや、プリプリしてて美味かったっスよ。やっぱ特別なカタツムリなんだろうねえ。しげは全く手をつけなかったけれど、気持ち悪いからかな。だったらフランス料理食おうなんて思わなきゃいいのに。もったいない話である。
 紫芋のスープ、芋の味である(当たり前だ)。
 メインディッシュは牛肉ステーキ・骨付き豚肉のソテー。どちらも肉汁はたっぷり、けれど二口三口と食べつづけても舌にもたれることのない極上の味付けで、甲乙つけがたい。けれどしげはやはり牛肉のほうが好み。調理以前に肉の種類でしげのランクは決まってるんだから、シェフも腕の振るい甲斐がないよな。
 デザートは梨のアイスクリーム・ケーキに紅茶。なんかいかにも「食事」したって感じで大満足。
 

 コース料理の唯一の欠点は、チビチビ食うのですぐに腹が減ることである。
 1時間半ほどエスポワールにいて、それから映画を見にワーナーマイカル福岡東に向かったのだが、到着したころにはしげも私もすっかり腹減りくんであった。
 道すがら、空に光るものがあったので「あ、UFO」と言ったら「飛行機やん!」としげから怒られた。この程度の冗談でも怖いか。
 ロッテリアで新発売のハンバーガー定食を食べる。でも気がついたら私の分が半分に減っていた。いくら腹が減ってるからって、断りもなく勝手に人の皿から取るなと言ってるのになあ。そう言えばしげの好きな映画『鬼畜』でも冒頭、長男が長女のラーメンを勝手に盗んでたが、やっぱしげの精神年齢って5歳なんだな。

 ワーナーでトイレに入ったら、出会い頭に知り合いに会う。
 本来こんなところで遊んでちゃいけない人のはずなんだがなんでいるかな。
 そのへん問い詰めたら、すっげー威張ったイケすかないことを言われた。世の中、自信家っているんだなあ。

 映画『恋に唄えば』。
 おお、久しぶりにしげと二人で貸し切り。
 ヒットする要素なんて何もないから客入らねえだろうなあ、と思ってたがやっぱり予想は的中したな。
 錯覚してる人は未だに多いと思うけど、何度もこの日記でも書いてる通り、金子修介監督、最大ヒットが『ガメラ』なんで、はっきり「映画が作れねえやつ」と断定していいと思うんだけどね。
 いや、ヒットするしないでその監督の資質を問うべきではない、という意見を否定してるわけじゃないんだよ。私が言いたいのは、金子監督は明らかに「ヒットを狙ってる」、にもかかわらず「ヒット作がない」、すなわち、「映画をヒットさせるために何をすればいいかがわかってない」ということを指して「アホか?」と思ってるわけ。金子監督の大学のセンパイである押井守が、「自分の好きな映画を作りたいだけで、別にヒットを狙ってない」、だから「ヒットしない」のは当たり前で、これは別に批判の対象にはならないの。

 設定はいつも面白そうなんだよ。だからアイデアがある人ではある。原作者としてなら、評価もできるけど、脚本と演出は他人にまかせたほうがいいよな。優香を使うんなら、歌を歌わせるだけってアホだと誰でも思わん? 水着にするとかシャワーシーン入れるとかイロっぺーデザインか素っ頓狂なデザインの衣装着せて躍らせてチチ揺らせる、それしなくてどうして客が来るかよ。それとも事務所がバカで「もう優香は水着にはしません」とかシバリかけてきたんかね?
 だったら蹴ろよ、そんな企画。どんなクズ企画でも引き受けていいのは日本じゃ三池崇史だけだ。

 冒頭、春の浜辺で、桜井ユミ(優香)と恋人サトル(玉山鉄二)が仲良く歩いている。
 いかにもありがちなシーンで鼻白んじゃうけど、このときのユミの顔がいかにもバカっぽくて「幸せ〜」なんてナレーションも入ってるから、これはまあ、ワザとなんだなと許せはする。でもこのユミを「バカ」に見せたいのか「可憐な女の子」に見せたいのか、どうも演出が甘いのだ。「金子修介は女の子を描くのがうまい」という評価も一部にはあるようだが、それも錯覚だと思うな。ありきたりなイメージの中身のないスカスカな女の子しか描いたことないよ。『ガメラ』の長峰が魅力的に見えるのは、演じた中山忍本人がよかったから。
 いや、女の子の描き方だけじゃない、幸せ絶頂のユミにサトルは突然別れを切りだすんだけど、次のカットは横っ面に水をぶっ掛けられ大雨の中、ずぶ濡れになってるユミ(このときも下着が透けてない!)。
 あの、サトルは「別れてくれ」と言ったあと、どうしたの? そのまま逃げたの? それはユミが雨に濡れる前、後、どっち?
 あとの展開から、サトルは決してユミを嫌って別れたわけではなかったということがわかるから、当然、濡れる前なんだろうけれど、ここは「別れたくて別れたいわけじゃない」というサトルを描写しないと、観客はこの恋を実らせていいのかいけないのかそれすらわかんないんだよ。だいたいついさっきまでユミ、ただのバカにしか見えてないんだし。ロマコメつくりたいんでしょ? だったらヒロインに向かって「頑張れユミ!」って客が応援したくなるような演出しないでどうするよ。
 この段階でユミやサトルに感情移入できる人がいたら、その人は相当思いこみが激しいタイプだね。近寄らない方が無難である。
 ここだけじゃなくて、徹頭徹尾、金子監督には映画を見るための指針を観客に与えるという、初歩的な演出すらできていないのだ。

 失恋のショックから、勤め先のデパートでも失敗ばかり重ねてしまうユミだけれど、「大アラビア展」の催事場で、“願いごとをかなえる壺”を発見して、思わず「願いごとをかなえてよ」とつぶやく。煙とともに壺の中から現われるアラビア衣裳(でも顔はどう見ても日本人)の中年男(竹中直人)!
 ……竹中直人についてはどうにもミスキャストなんだけれど、どこがどうかって言い出したら「全部」ってことになっちゃうから、あとで部分的に詳述しよう。まず登場シーンでユミからも「どう見てもただの日本のオッサンじゃないの!」と突っ込まれるギャグが自虐ギャグ・楽屋オチとしても全然利いていない。
 壺男(「壷次郎」と名乗るシーンがあるが、ラストのテロップは「壷男」)は、ユミの願いごとを一つだけかなえると言う。信用しないユミは「今すぐラーメンが出せる?」と聞くが、壷男は本当にラーメンを壷から出してしまう。慌てたユミは、「願い事を変えて!? やっぱりエルメスのバッグをちょうだい……ううん、別れた恋人を取り戻したいの!」と本音を。ここで先の指針が見えていないことがもうひどいマイナス要因になってしまう。ユミのこのワガママに全く感情移入ができないのだな。
 壺男は安請け合いをするけれど、どうも様子がおかしい。実は「人の心を変える」願い事だけはしちゃいけないことになってるのが後で判明するのだが、それも「まずはサトル君に会おう!」と慌てる壷男の様子から見てる客には歴然。ユミにだけそのことが分らないのはやはりご都合主義で、彼女がますますバカにしか見えてこない。だからヒロインの描き方間違ってるってば。
 サトルの家に着いたものの、家政婦さん(石野真子!)は「サトル様はオーストラリアへ旅立ちましたよ、まるで何かから逃げるように」と伝える。このときの石野真子の演技は臭すぎず真実味があって、さりげないけど名演。けれど、「ホントは別にサトルは逃げてるわけじゃない」という描写が事前にないからホントにサトルがユミから逃げたように見えるんだよね。これも演出の失敗。

 この後、居酒屋でユミがヤケ酒をあおるシーンや、壷男がテレビに登場してユミをオーストラリアに行くように誘うシーンなどは全部ムダで逆効果。このシーンのあとでどうしてユミがサトルを追いかけて行くことを決意するのか、全然つながらない。ここはスパッと間を置かずに猪突猛進させた方がずっと自然だし、テンポも出る。ここまで脚本も演出も基礎的なことがわかってないと、殆どシロウトだよ。
 それにここで登場した長老(古田新太)、壷男に「また女に惚れたな?」と言うんだけれど、これホントに竹中直人がイヤらしい中年にしか見えないからシャレにならんのだ。ユミのことが好きだけど、縁の下の力持ちに徹するしかない純情男って風に演出したいんなら、竹中直人だけは使っちゃダメでしょ(-_-;)。これ、まだ本物のアラビア人使った方がマシだよ。チャダ呼んで来い、チャダ。 
。意志に反して、なぜか壺男を道連れに・・・。

 辿り着いたのはオーストラリアのブリスベン。俯瞰のシーンがないからどこがどうオーストラリアなんだかよくわかんないが。日本ロケで熱海でもよかったんじゃないか。どうせビンボ臭い日本映画なんだからとことんビンボ臭く作ってみたほうがかえって笑えるものができたかもよ。
 ユミと壷男がカフェで食事をしていたときに、インチキ手品師に財布を盗まれて、二人は一文無しになってしまう。仕方なく厨房でのバイトを始めておカネを稼ぐ始末に。ユミに悪態をつかれながらも、壺男は「大丈夫〜♪」と脳天気な歌を口ずさんで、カフェや通りの人々を巻きこんで陽気にミュージカル!
 ……ってここまで全くミュージカルシーンがなかったのはどういうわけ? しかも厨房のシーンはともかく、通りに出てからワンブロックも動かないでどこがミュージカルかね。で、なにがヒドイって、まず第一に竹中直人のダンスがいつもの竹中直人踊りで、全然ミュージカルになってないこと。バックと絡んでないんだよ。更に優香がこのミュージカルシーンに全く参加しない!(っつーか最後まで殆ど躍らない)スケジュールの関係なのか、本人が躍れないのかどうか知らないけど、ヒロインが踊らないミュージカルってあんまりじゃない?
 もうこの時点で私はこの映画、完璧に見限った。

 後のストーリーは書くのもめんどくさいので簡単に。
 壺男が強盗犯から強奪してきたオープンカーで二人はメルボルンへ。強盗一味に追いかけられるシークエンス、ここもタルイ。ここにもミュージカルシーン入れなきゃウソだろ。
 途中で寄った美術館で壺男が『千一夜物語』の干二夜目の登場人物だということが判明。人間のお姫様に恋するあまり、魔界の掟を破ってその愛を魔法でゲットしようとしたために、罰として壺に閉じこめられたのだった。
 ようやくとある病院でサトルに会った二人。サトルは実は死にかけた幼馴染のエリコ(梅宮万紗子)のためにユミと別れたのだった。事情を察して帰国することにしたユミだが、最後に壷男に願い事を変えてもらう。「エリコさんの命を助けて!」。
 人の命を助けることも御法度の魔界の掟、あわれ壷男は再び壷の中に。そしてユミは壷男の記憶をなくす。けれど壷男は諦めなかった。ユミの本当の願いを自分は叶えていない。そして壷男は姿を変え、再びユミのもとに……。

 このどうしょうもなくつまんない映画で、ラストだけは少なくとも「救い」だなあ、と思ったのは、変身後の壷男を篠原ともえが演じているから。いや、これが竹中直人に見えるのがスゴイんだよ(^_^;)。しかもちゃんと歌って躍るんだけれど、本来、そんな演出は予定されてなかったらしい。篠原ともえ自身が「ここは私にも踊らせて!」と自分で振り付けて踊ったんだそうな。……篠原ともえの方が金子修介よりよっぽど映画がわかってるよ。『GMK』での篠原ともえもよかったしなあ、彼女に監督させてた方が出来がよくなったんじゃないか。

 しげに請われて見に来た映画だったけれど、今年見た映画の中でも最低ランク。いやまあ、最初から期待はしてなかったから傷は受けてないけどね。
 とは言え、しげもそんなに期待してたってわけでもなかったらしい。和製ミュージカルはともかく押さえとかなきゃって義務感に近い感じで見たかったもののようだ。エリコの父役で石田太郎さんが出てたんで「やっと名前と顔が一致した」ってのが唯一の収穫だったとか。
 あー、読者のみなさん、石野真子と篠原ともえのファンでない限り、これ全然楽しめないと思いますので、ムリに映画館まで行く必要ないです。どうしても見たい人はレンタルDVDが出るまで待ちましょう。私は100円なら買います(^o^)。

 
 マンガ、佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』3巻(講談社/モーニングKC・560円)。
 こういう医者ものだとどうしてもマンガとしてどうこうというより、その中身、テーマとなってる医療問題に目が行きがちだけれど、ここはあえてマンガとしてどうかってことを言っときたい。小林よしのりの『ゴーマニズム』と同じで演出がシツコイんだわ、これ。
 医療の問題は単純な善悪二分論で語れるものじゃなかろう。少なくとも藤井教授の「臨床能力はなくても研究成果で数百万人の患者を救った」という言葉には説得力がある。そのことを踏まえてなお医者に臨床経験がないのはいかがなものか、と提言するならともかく、ここで作者の追求は止まって、話は別エピソードに行っちゃうのだ。ツメが甘いっつーか、ガクセイの小論文みたいに「こんな問題点については、今後の課題であろう」って実は結論出すの逃げてるのに、エラソウにまとめてんだよな。この手の演出はマンガとしては三流である。
 ツメが甘いにもかかわらず、テーマだけはどんどこハードなのをぶちこんできて、今巻から「ベビーER編� 廚世修Δ福�
 作者は高砂先生に「リスクを追う覚悟がないのなら子供なんて作っちゃいけないのさ。理屈じゃそうだろ……? 要は理屈じゃ子供は産めねえんだよ」って言わせてるけど、その結論出しちゃったら、その後、ドラマは作れないんだけどね。本来。だってリスクがあるってわかってて子供作るバカはいないんだから、子供作ってる親は、みんな甘い夢見てるか、何も考えずに子供作ってるって言いたいんでしょ? つまり、「人間の命なんてテキトーに作られてるだけで、もともと何の価値もない」という結論を出しちゃってるのだ。で、そんなこと言った後で、どんなに人間の尊厳だとか命の尊さとか言ったところで、キレイゴトにしかならんやん(^_^;)。
 で、よしゃいいのに「障害児を持つ親の問題」をテーマにしてくるし。こんなの個々の問題で普遍的な答えなんか出せやしない。本家手塚治虫の『ブラック・ジャック』がうまかったのは、「医者はなんのためにあるんだ!」と叫びながら個々の病気については、それはそれ、あれはあれ、と割り切って描いてた点にあるんで、このマンガのように妙に普遍性を持たせようとすると、まず間違いなく失敗するんである。
 あるとき、ブラックジャックは無頭症の赤ん坊を、母親にそれと知らせず殺した。育つ見こみのない子供を親に抱かせるわけにはいかなかったからだ。ドクターキリコだけでなく、ブラック・ジャック自身も「黒い医者」であることを示すエピソードだった。医者は時として悪魔になるしかない。そこまで踏みこむ勇気がこの作者にあるのかな?
 どうもこの作者、そこまで踏みこもうってリスクを回避しそうな気がして仕方がないんだけどね。「研究か臨床か」の問題に結論出さなかったとこ見てもね。

2001年11月22日(木) 親の死にメよりアニメ/アニメ『ナジカ電撃作戦』MISSION 007/『MISTERジパング』7巻(椎名高志)ほか
2000年11月22日(水) 今日は眠かった……イツモのことだけど/『ルパン三世カルト2001』ほか



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)