無責任賛歌
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| 2004年11月19日(金) |
好きに焼けるから「お好み焼き」って言うんだよ。 |
今日もなんとか定時の退出。先週からずっと残業あれこれこなしてきてたんで、少しは早めに帰れる日もあるのである。
仕事関係で資料を探さにゃならなかったので、しげに頼んで博多駅の紀伊國屋に寄ってもらう。「駐車場代がかかるからなあ、ヨドバシに停めるんじゃダメ?」というので、先にヨドバシカメラで食事をすることに。 しげ、さんざん迷った末にようやく決めたのが、お好み焼きの店。入った途端、出会いがしらに目が合ったウェイトレスさんが、偶然、知り合いの女の子だった。お互いに「わあ」と声を上げたのがハモッてしまったのがおかしかった。数年ぶりの再会で、もちろんそこでウェイトレスをしていたことなど知りもしなかったのだが、若い女性というものはこういう久しぶりの邂逅なんてシチュエーションでは、たいてい見た目がかなり変わっているものである(要するにケバくなっている)。ところがこの子は見事なくらいに変わっていない。化粧っ気のカケラもないと言うか少しも色っぽくなっていないと言うか(^_^;)。もっとも、お好み焼き屋で化粧が濃いのも問題だろうけれど。いや、実際、お好み焼き屋のバイトが似合う感じの女の子なのよ。 どこのお好み焼き屋でもそうだが、席には目の前に鉄板があって、そこで頼んだお好み焼きを実際に焼いて食べる仕組みである。ウェイトレスさんが「店の者が全部焼きますから」と言うので、焼き上がるまでクイモノを目の前にしていながら「おあずけ」状態にさせられているのだが、これがせっかちなしげにはガマンしきれなかった模様。「ここにはもう二度と来ない!」とブンムクレだが、お好み焼き屋というものはどこでもこういうものなので、これはしげの言いがかりというものである。つかさー、店員さんが待ちきれないんだったら、どうして自分で焼こうとしなかったかね? 困ったやっちゃ。 ヨドバシは、レシートで2時間分、駐車場代がタダになるので、確かにオトクなようなのだが、考えてみればそこで時間を潰した分、紀伊國屋に寄っていられる時間が短縮されてしまうことになるので、結局は損をしてしまっていたのだった。ぼんやりしていたので、まんまとしげに騙されてしまった格好である。 そのまま出て行くのももったいないので、DVD−Rを買い込む。そのあとようやく紀伊國屋に回って資料集め。ついでに本を何冊か買って、予約しといたDVDも買う。
帰宅して、買ってきたDVDなど次々と鑑賞。 ついに手に入れたビリー・ワイルダーボックス、『シャーロック・ホームズの冒険 特別編』、てっきり「半分にカットされた」残りのフィルムが発見されたのだろうかと期待していたのだが、残念ながらそれはごく一部で、特典映像として一部が収録されていただけであった。フィルムのない部分はスチールとスクリプトを流してお茶を濁している(しかも英語だから読めねえよ)。これではとても「完全版」とは呼べないが、それでもこれが現存する最良の状態なのである。この映画を評価しようと思えば、やはりこの「失われた部分」を想定した上でなければ語りえないだろう。 この映画でマイクロフト・ホームズ(ホームズの兄)を演じたクリストファー・リーのインタビューが収録されているのがファンにとっては大サービス。「ホームズ兄弟両方を演じた経験があるのは私だけだ」と嘯き、「この映画で自分は転機を得た。未だに私を一つの役でしか評価しない人間はこの映画を見ろ。そして映画界から去れ」とまで言い切っている。でも、確かにドラキュラ伯爵よりもこのマイクロフト・ホームズやスカラマンガ、最近ではドゥークー伯の方がずっとクリストファー・リーの演技力は発揮されているとは思うのである。まあ、日本でも渥美清を「寅さん」でしか知らないエセ映画ファンは腐るほどいるけど、でも所詮、一般の観客にとって、映画はその程度の軽さでしか見られていないし、他の芸術に比べると価値の数段低いものだとバカにされているのだ。ああ、映画の地位向上はいったいいつの日か。
そのあと、『トップをねらえ!』ボックスに、横山光輝追悼記念再発売の『ジャイアント・ロボ 地球が静止する日』1・2巻。それぞれ以前のDVDよりも映像、音声ともに向上しての再発売。こうなると、DVD発売の初期の頃、LDをすぐにDVDに切り替えなくてよかったかなあ、と思う。いや、両方ともLDはしっかり買っちゃったからねえ。 『トップ』では若き日の日高のり子さん、佐久間レイさん、渕崎ゆり子さんのお姿も見られたし(みなさんアイドル離脱組だなあ(^_^;))、『ロボ』は山口勝平さん、島本須美さん、片山一良さん、山下明彦さんのコメンタリーが楽しくて、まあ買って満足なのである。……ああ、『ロボ』が千葉耕市さんの声優としての遺作だったのだなあ(>_<、)。
『デリカテッセン』の(つか『エイリアン4』の)ジャン=ピエール・ジュネ監督が、新作“A Very Long Engagement”に対して、フランス政府が「この映画はアメリカ資本の提供を受けている。従ってフランス映画とは認められない」として補助金の交付を拒絶した件を受けて、訴訟を起こすことにしたというニュース。 私は、フランスは映画に対して最も理解ある国で、文化的にも最先端にあると信じていた時期が長かったので、今回のこのいささか「せこい」処置に対しては落胆を覚えてしまった。それで行くなら、黒澤明の『乱』は監督もスタッフもキャストも全て日本人だが、資本だけはフランスである。あれはフランス映画ってことになるのか(実際当時はその点でモメて、いくつかの日本の映画賞では選考対象から外されもした)。映画がグローバル化している現在、こういう「合作」は数多く生まれているが、ある程度以上の率である国の人間が関わっていれば、その国の映画として見なしていいくらいの自由さがあってもいいんじゃなかろうか。『トラ!トラ!トラ!』のような映画なら、日本・海外の両方でダブル・ノミネートされたっていいと思うのである。 ジュネ監督は、反面、誰もが「アメリカ映画」だと思っている『アレキサンダー』について、フランス政府が自国の公的資金援助を受け取っているために「フランス映画」と主張していることを皮肉って、「オリヴァー・ストーンの『アレキサンダー』はフランス映画だ。監督の母親はフランス人だし、ポスト・プロダクションもフランスで行われた。何の問題も無い。しかし、フランスで撮影し、フランスの俳優が出演した僕の作品はフランス映画じゃないと言うんだ。信じられるかい?」と語ったとか。もっともな疑問だと思うけど、結局フランス至上主義の政府が、いささか「アメリカ寄り」したと見られるジュネ監督に対して「いやがらせ」をしたってのが本当のところじゃないのかねえ。政府のやることはやっぱりなんかセコイのである。
2002年11月19日(火) 爆走�─織凜.螢▲鵐函Ε魯譽襯筺�○(^-^)o♪/『スパイラル 推理の絆』4〜7巻(城平京・水野英多)ほか 2001年11月19日(月) 「“ブラック”ユーモア」って言葉も差別表現だってさ/LD『道場寺・火宅』/『Q.E.D. 証明終了』11巻(加藤元浩)ほか 2000年11月19日(日) 約束は果たしたよ、こうたろうくん/『キッド・ピストルズの慢心』(山口雅也)ほか
| 2004年11月18日(木) |
更新遅らせたくないのであっという間に書いた日記(^_^;)。 |
会議が2連チャンで、今日も残業。 そのうちひとつは、トンガリさんも出席した会議なのだが、こないだまでサボりまくっていたので、上からキツイ命令があって、一応出席はしていた。ところが椅子に座っているだけで一言も喋らない、身動きもしない、一時間の会議中、結局無言のまま通して、何もしなかったのである。要するに「あなたたちとは話はしたくありません」という意志表示なのだろうが、会議の内容が分かってなきゃ、今後の仕事にも支障を来すというのに、どうするつもりなのだろうか。いや、どうするつもりもなくて、またぞろミスだらけの仕事をしまくって、その尻拭いをこちらに押しつけるつもりなのか。単に何も考えてないだけの可能性も高いが。
もう一つの会議は、予定していた時間よりも短時間で終了。それほど残業せずに済んだので、しげに連絡を入れて待ち合わせ。食事をどうするか聞いたのだが、いつもの優柔不断でなかなか決められず、また口げんかになる。映画もついでに見ようかとダイヤモンドシティに行ったのだが、結局は食事をしただけで帰宅。気が合わない時はとことん気が合わないもんだ。
夜は、DVDをいくつか見返しながら、日記など更新しようとがんばって書く。 『天空の城ラピュタ』を英語版で見返すが、外国を舞台にしているにもかかわらず英語のセリフがどうも画面に合っていない印象。主役のパズーの声が日本人が聞いても「からっぺた」で、しかも少年の声に全く聞こえないのが一番痛い。 シータやドーラ、ムスカとか脇はすごくいいのになあ、と思っていたのだが、この3人、それぞれ演じているのはアンナ・パキン、クロリス・リーチマン、マーク・ハミルである。そりゃ上手いのは当たり前だわ(^_^;)。パズーだけ『最終絶叫計画』のジェームズ・ヴァン・ダー・ビークと、役者の格が下がっちゃってるのだが、その差がはっきり現れてる感じ。なんでこんなイビツなキャスティングしたのかなあ。
そのあと『シティボーイズライブ ウルトラシオシオハイミナール』を見る。 今思えばこれはシティボーイズと脚本演出の三木聡さんが組んだ最後の作品だった。このあと、シティボーイズのライブは、この次の『ラ・ハッスルきのこショー』まではなんとか“持った”のだが、脚本家の若返ったにもかかわらず、かつてのギャグの拡大再生産のような気の抜けたギャグと、メンバーの老化が相俟って、徐々に失速していくのである。 初期の頃の思いきりトンガってたギャグをかましてくれていた時代が懐かしい。
2002年11月18日(月) 爆走�А人獣量瓦�も……(-_-;)/『エンジェル・ハート』5巻(北条司) 2001年11月18日(日) 休日満喫テレビ三昧/『パワーパフガールズ』第46回/『サイボーグ009』第6話ほか 2000年11月18日(土) 今年はコンサートで眠らなかったぞ/福岡シンフォニック合唱団コンサート
| 2004年11月17日(水) |
Everybody "moe"Somebody |
日記の更新が遅れると、どうしても読んだ本やマンガの感想を書くのをカットせざるを得なくなってしまうのだが、ニュース関連についても、なかなか触れられなくなってしまう。朝方、ニュースで、横田めぐみさんの生前の写真三葉が公開されているのを見たのだが、アタマの中に四百字詰め原稿用紙にして五十枚分くらいの思いがドッと流れていったが、とてもそんなのを文章化する気力も体力もない。 ただ、めぐみさんの最終的な消息に関して、もし本当に亡くなっているのならその死因は何なのか、ご家族の気持ちを考えればなかなか口にはできないが、多分これこれこういうことだろうなと大半の日本人が想像していることがあると思う。言い返ればそれを語れない事態がいつまで経っても解消されないから、日本人のイライラは募っているわけだ。そして、北朝鮮にしてみれば、自らの立場を危うくする予想が容易につく以上、真実が広報を通して語られることもないであろう、と我々は感じている。 だから、これもまた公言はしにくいのだが、やはり大半の日本人は問題を解決するためには経済制裁とかヤワなこと言ってんじゃなくて、結局アレしかなかんべよ、と感じていると思うのである(2ちゃんねるあたりではしょっちゅう書かれてるだろうけど)。 ニュースは金正日総書記の肖像画があちこちで外された、とかいう報道も流していたが、さてこれで日本人がずっと「待ち望んでいた」事態が加速化するのかどうか、いろいろと憶測はするけれども、やっぱりそれも原稿用紙100枚ほどになりそうなので、ちょっと書けないのである(^_^;)。
今日は定時に仕事を終えられたので、間に合うか心配だったテレビドラマが見られた。メシも今日は外食せずに、コンビニで弁当を買って済ませる。 ドラマというのは石原慎太郎原作の『弟』の5夜連続放映の第一夜で、実は原作小説はまだ読んでいないのだが、ちょうど関川夏央の『昭和が明るかったころ』(文春文庫)を読んだところで、弟・石原裕次郎に対する見方を変えなきゃならないかな、とちょっと思い始めたところだったので、見てみることにしたのである(多少ヒドイ言い方にはなるが、私は「石原裕次郎がデブになった」ことが日本映画の衰退にかなり悪影響を与えていると思っているのである)。あと、欽ちゃんの久しぶりの役者演技が気になって(^o^)。 こういう「半生ドラマ」というのはどうしてもダイジェスト的になってしまって、つまらなくなるのが常であるが、それを回避するために、まず絶対やっちやいけないことがある。ドラマをちょっとでも書いた経験がある人ならすぐにピンと来るだろうと思うが、それは「ナレーションを入れない」ということだ。シーンとシーンとの時間が飛ぶことが多いから、シロウトの脚本家はその間の断絶を埋めようとしてナレーションを入れたがるのだが、そのことで映像がセリフに従属する形になり、ドラマがドラマとして機能せず、ただの「説明」になってしまう。たとえ時間が飛ぼうと、映像の演出で「見せる」ことを考えるのが本当の脚本家であるべきなのだが、そんな脚本家などテレビ界ではごく少数である。どうせ失敗してるだろうなと思って見てみたら、やっぱりその通り。役者の演技もまるで演出で生かされてはおらず、実につまらない出来だった。けれど、一応、今日の第一夜を録画しとしまったので、次回も録ってみようかとは思う。 あ、欽ちゃんはやっぱり欽ちゃんでしたね(^_^;)。
「2004ユーキャン流行語大賞」にノミネートされた60語の中に、いくつかオタク関係の用語が混じっていたという話題。 ここんとこ「流行語大賞」に選ばれる語って、そんなのいつ流行ったんだって印象の言葉が多かった。「価値観の多様化」と言えば聞こえはいいけれど、要するに世代、生活環境、男女、思想など、個人差が激しくなっているもんで、時代そのものを象徴するような言葉を絞れなくなってるってことだろう。オタク用語が中に入ったっていうのも、オタクが認知されたと言うよりも、オタク的な要素が一般に広く薄く拡散したただけって気がする。 候補に上がったのが「メイド・コスプレ」「アキバ系」「萌え」ってことだけれども、「なんで今更これが」って印象と同時に「これで今年の流行語を代表させるっていうのはどうか」という両方の疑念が生じてしまう。 まず「メイド・コスプレ」ってセットの仕方、記事にも書いてあったけど、「メイドのコスプレ」のことなのか、「メイドとコスプレ」のことなのか、よく分からない。オタクならこんな使い方しないだろうから、選定した人間もあやふやな情報で何となく選んだんじゃないかっていう感じだ。「アキバ系」だって東京中心で、全国規模な用語じゃないし、これを流行語と言っていいものなのかどうか。 唯一「萌え」ってのがかなり男女、年齢差をある程度は越えて、広範囲に渡って使用されるようになっているから、これなら「流行語」と称してもいいように思えるが、実は「萌え」の概念も数年前と比べると全く変質してきている。ナンシー関あたりが気持ち悪がってたころのようなオタク特有の感情移入の仕方と違っていて、「好き」と置換可能なくらいに薄く使われるようになっているのが実体である。だからこそ、10代の、特にオタクではない男の子女の子が普通に抵抗感なく「○○○○萌え」と使えるようになっているのだ。私などは未だに椎名へきるあたりに「萌え萌え〜!」とか言ってた気色悪い風景の印象が強いから、聞くたびに「引いて」しまうのだが、もう若い子はこんな「重ね語」は使わず語尾も上げず、「萌え」と簡単に使っている。こうなるとこれはもう「オタク用語」とは言えず、今後かなり長く生き残っていく可能性も否定はできない。いや、もしかしたらそのうちこれがもともとオタク用語であったことすら忘れられ、10年後くらいの広辞苑には「萌え」の項が立てられているかもしれないのだ。でもそれは「コトバ」自体に浸透力があるかどうかの問題なのであって、痛いオタクまでが「自分の存在と力が社会的に認知されつつある」と判断するのは大いなる勘違いだと言えよう。『トリビアの泉』が受ける現代、今や一般人はみな「ウスいオタク」なのであって、「濃い(と自称するだけで、もうそんな存在はあり得ない)オタク」との溝は、実はかえって深く広くなっていると言えるのである。 大賞の発表は12月1日だそうだけれど、どんな結果が出ても多分、?マークが頭上を飛び交うことは間違いないところだろう。
フィリップ・K・ディックの映画化がまた一本。短編『ゴールデン・マン』を『トータル・リコール』のゲイリー・ゴールドマンが脚色、『007/ダイ・アナザー・デイ』のリー・タマホリが監督する予定の『ネクスト』で、主演はニコラス・ケイジ。ハリウッド映画ファンならばまあ期待とかしちゃうのかもしれないけれど、ディックファン、SFファンからは見事に総スカンくらいそうな布陣である。実際、見たいと思うかよ、そこのSFファン。 ディックがこれほど人気原作者になるとは、とても20年前には考えられなかった事態だけれど、SFファンの目から見れば最初の『ブレードランナー』を除いて駄作凡作を積み重ねてきた20年でもあったわけで、それにまた一本が加わっても、ファンは「もうやめてよ」か、もっと白けた顔で「どうにでもしな」で終わってしまうような気がしてならない。いやもう前回の『ペイ・チェック』が既にそんな扱い受けてたし。 これも前項の「オタク」の話と重なるが、「SFファン」というものもとうに絶滅しているのであって、“センス・オブ・ワンダー”なんて、若い「自称SFファン」に語っても、もう何のことやら分からない。客は別に映画にSFを求めちゃいないのである。 ディックがたびたび映像化されるのも、別に製作者がSFとしての面白さを狙っているわけではなくて、CGを使った架空の世界を描くほうが、今や製作費の面でも集客力の面でも有利だし、ちょっとばかし「文明風刺」だの「科学批判」だの、映画をちょっとばかし“高尚”に見せかけられる味付けもできてオトクだ、って考えてるだけのことじゃなかろうか。『マトリックス』シリーズと言い、アシモフ原作と呼称する『アイ、ロボット』と言い、それらの映画が割りに「見られる」作品に仕上がっている分だけ、かえってそういうスノッブな「臭さ」がプンプンと匂って来るのである。本来ディックはまさにそういう社会をこそ批判をしていたのだから、観客から見ると何をお手盛りで映画作ってやがるんだ、と嘆息するしかないのである。
私はもう最近はウタダの帯に乗せられた若い連中が、「『アルジャーノンに花束を』ってSFなんですか?」とか言ってるの聞くたびに「もうSFファンは増えなくていい」と痛感してしまっていて、だから「SFとはなんぞや」なんて語る気も全く起こらなくなっている。語ったところで、共通するフィールドがあまりに違いすぎるので、会話が成立しないのだ。 「確かに『ゴジラ』や『ガンダム』は狭義のSFとは言えないね」なんて言おうものなら、「でもSFだろうとSFでなかろうと、おもしろけりゃいいんじゃないですか?」とかいうトンチンカンな答えを返されてしまうこともしばしばだ。だから今はよう、そういう「虚構の本質」について語ってたわけじゃないだろうが。なんで話の次元をズラしたことにお前は気付かないのか? 日本人のディベート下手というのはこういうところにも現れているんだけど、何が始末に悪いって、デタラメな論理を組みたててる本人に「それはデタラメなんですよ」と説明しても、何がデタラメなのか理解する修養を積んでないから、そのデタラメさに全く気がつかないのである。これも日本の国語教育が幼稚極まりないせいであろうが、高校段階で論理学を取り込むくらいのことは本来やらなきゃならないことじゃないのか。 「SFとは分野のことではなくて要素である」というのはSF論を語る上での前提である。これが理解できていないと、たとえば、「『ゴジラ』は『200万年前に海棲爬虫類から陸上獣類に移行する過程の生物』という設定がSFではないが、そこに人類文明の誕生を寓意として盛りこんでいる点でSFである」と説明しても、コンニャク問答にしか聞こえない。「全ての小説・映画はSFであり、また同時にSFではない」というのも事実なのだが、そこで表面的なパラドックスに引っかかってしまって、「じゃあ、SFを語ることに意味なんかないんじゃん」と誇らしげに嘯くヤカラには永久にSFが何かなど理解できるはずもない。最初からSFをバカにしてる連中に、どうしていちいち「SFとは」なんて語ってやらなきゃならないのか。 で、そういう連中が堂々と「SF映画」を撮ったりしてやがるから情けないのである。
2002年11月17日(日) 爆走�Α秦管堯崗錙弩従櫃世辰�(^_^;)/『柳生十兵衛死す』4・5巻(山田風太郎・石川賢)/『巨人獣』1・2巻(石川球太)ほか 2001年11月17日(土) 多分愛してるんだろう/『料理少年Kタロー』第7話/『カスミン』第7話 2000年11月17日(金) 一日一ドジ女房/東野英心死す。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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