Silent Song
DiaryINDEXpastwill


2003年06月30日(月) 「雨」




雨のように
流れ落ちる涙

いつまでも

いつまでも


さめざめと・・・。



濡れたアスファルトは
まるで鏡のよう。

ぼんやりとした
私の形を映し出す。



私は
泣きながら立ち尽くす

思いっきり
濡れてしまえばいい。。

・・ううん、
濡れていたいの・・・。

びしょぬれに。

もう
何も考えたくないから・・


--------------------------------------
雨の雫と一緒に

私も大地に溶かしてください。
--------------------------------------


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月29日(日) 自然に弱っていって、静かに、穏やかに息を引き取りたい…



ダメだぁ…
今日は

体が重くて
だるくて…

なんか
しんどくて…

なんでこんな”弱って”るんだろう…。

母に

「頬がコケて顔が青白いよ、休みな。」

っていわれた。。。


今日は一日、
しんどくって、

  「ずっと自分の部屋で寝ていた。…」

こーんな
久々ないい天気だったのにね。。。
お日様ポカポカ…。

食事の時以外は
ほとんど横になって休んでる…。

なんでだろう。。

布団の上で一人ぼっち、
横たわりながら
顔だけ横を向いて、明るい窓の方を見る。



----------------------------

繊細な刺繍のカーテンレース。

そこから漏れて、差し込む穏やかな光。

落ち着かせてくれる観葉植物の自然の緑。

見上げると遠く上に見える空

----------------------------



それらを
眺めながら静かに思った・・・。

静かで落ち着いた場所・・
穏やかに流れる時間・・

そんな空間の中で…




*************************

このまま
自然に弱っていって、

はかなく優しく、

…そして穏やかに

いつの日か
自然に息を引き取れたら…いいのにな。

**************************



・・・なんて、思った・・・。


「あさきゆめみし」の
読みすぎかなぁ…(苦笑)
("大君"みたいな台詞だね…)


でも、

葉っぱが寿命がきて
自然と枯れて、
落ちていくように・・・

できるならば、

そんな風に
自然に穏やかに弱って
息を引き取りたい…。

・・・・・。


嗚呼・・・でも・・

たった一人で
布団でただ寝ているのは

とても心細くて寂しい・・・。



↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月27日(金) 「子猫達を殺した私達」





今日、海を見に行く前に
連れと入院中の猫の「みー」に
面会に行きました。

みーは思ったより全然元気で
ひと安心でした。

・・ただし


獣医さんに手術のこと、
お腹にいた赤ちゃんのことや
大きさを聞いて、


    唖然としました。


『そうですね。四匹いましたよ。
あと一週間か二週間で生まれてましたねぇ】

・・だそうです。。。。

ショックを受けました。

そこまで大きくなってたの……???
あんな短期間で…信じられない…。

・・・皮肉にも

みーの入ってるゲージの右下のゲージに
生まれたばかりの子猫(別の母親の猫)が
一匹入っていて「みぃ、みぃ」鳴いてました。

みーのゲージを開けたら、
みーはその子猫のところに行こうと
しました。

獣医さんはミーを制止しながら
微笑んで

”母性本能”を感じちゃったのかなぁ〜?」

…って明るく優しく言いました・・・。

それを聞いて…
見て…

  ------------------------- 
    辛かったです・・・
  -------------------------


獣医さんは、やはり仕事上割り切りをしなきゃ
やっていられない部分はあるんでしょうね…。
とても辛い作業だったと思います…。

獣医さん、、、ありがとう・・・。


・・そして、


ゴメン、ミー。
私と出会わなければ、
あとしばらくでキミの子供が生まれてた。

しかも
あと一週間か二週間で
生まれてた・・・・。



    「私たちが殺したも同然だね。」



ミーの「母親のキモチ」も、
子供たちの命、「生きる権利」も・・・。

私のエゴが……。
人間のルールとの折り合いが…。

本当は、
妊娠する前に、避妊するために
病院へつれていったはず
なのに

どうして???
なんで?

------------------------------

・・もちろん、

そのまま生まれてたら
間違いなく赤ん坊を4匹つれて
にゃーにゃー御飯を貰いにきて
困っただろうことは予測できるし、

エサをあげなかったら
飢えて死んでいくことになるだろう…。

その子猫達だって生きていくのは
かなり厳しい現状だろう・・・

・・でも・・
ミーのお腹の赤ちゃんを殺した・・。

母性本能…
ミー…悲しいんじゃないの?本当は…。
胸が痛むよお・・・・。

なんで殺さないと
共存できないのかな・・・。

確かに野良猫は人間に迷惑もかけるけど、
人間は【それ以上】に
他の動物に迷惑と被害を与えてるじゃない!


残飯を漁るのがイヤなら
残飯を漁れないようにすればいいだけ
じゃない。
(猫が開けられないような仕組みにして)

他の動物には
生きる権利はないっていの?


----------------------------------------

    帰りの車の中で泣いた・・・。

-----------------------------------------

私が生まれる代わりに
子猫の命が生まれれば良かったのに・・。


「生きたくない」なんて思ってる存在なんかより
別の命が生まれたほうがいい



・・・・・・・・・・・・・・。


「人間」はいつか
”しっぺ返し”を受けるよ。

絶対に。


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月26日(木) 「夕立」 〜 夏の到来 〜




すごい雨・・・。

なんて変わりやすい
天気なんだろう。

今朝は晴れていた。

昼間は丁度涼しいくらいの
曇り空だった。

。。。でも、

…まさか今日、
こんなに激しく「雨が降る」
なんて想像できなかった…。

その"変化"に驚くばかり。


・・・・・・・・・・。


"夕立"…か。」

・・・・。

"・・ああ、夏はもうきてるのだ"

と実感して、

私は
雨に叩きつけられる窓を見上げた。


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月24日(火) 人生の大きな選択"〜幸せへの欲求とリスク〜 <...迷い...>




私はある「恋愛相談メールマガジン」を
購読している。

読者がメールで相談を送って、
アドバイザーがアドバイスをする
みたいな形式。

時折、届いては、

色んなケースがあるんだなぁとか
思いながら、たまに開封して読んでる。
(あまり読むとメンタル面で悪い方へ
行くのわかってるから…)

・・・・。

今回届いたメールを
何気なく開いて読んでみた。

今回の相談の中で、
私が思ってるのとほとんど同じ
悩みの相談が載っていた。

アドバイザーによる
相談者へのアドバイスは

-------------------------------------
「自分(私)でわかりきってたけど、
勇気がなくて実行できなかったこと」
-------------------------------------

・・・だった。

幸せを掴むには
リスクが伴う。

でも弱すぎる私には
そのリスクと寂しさには
耐えられませんでした・・・・。

・・・・。

また再び色々思い巡らせた。

悩んできたことを。。

そして

また

悩み始めるのでしょうか・・・。

-------------------------------------

・・・でも今は

その問題や悩みは、一旦、
「保留」しておいて

とにかく

心の健康を
そして「自分の自立」を

取り戻すことが
一番最優先だと思ってる。

そうしないと
多分前者の悩みも解決できないと
痛いほど、
わかりきったことだから。。。

---------------------------------------


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月22日(日) 人生ってキビシイよね…





・・・人生には

「にっちもさっちもいかない現実の問題」って

何回か訪れるよね・・・。

昨日もそれで泣きました。


      「現実はシビアです。


---------------------
就職難
リストラ
病苦
経済苦
借金・・・
---------------------

最近、
借金苦による自殺も多いですね・・。

そういうニュース聞くたびに
なんだか
やりきれない思いになります。。。

..............................................................................................................

…話は代わって・・


あ〜、
明日は母連れて
名古屋まで診察だぁ…。
(父の車の運転で)

父は今仕事がすごく忙しくて
月曜日休みとれないっていってたのに
なんとか頑張って取ったらしい。

(そんな無理してとらんでも、
余裕あるときでいいのに・・。)

母が足が不自由で、かつ、
私が車で連れていけないのが
ネックです・・・。
(名古屋の繁華街なんてとてもじゃないけど
怖くて走れません(>_<))

・・・・。

昨日の日記「ゲンジツ日記」でも書いたけど、
父は父なりに、私に気を使って
なるべく接しようと努力してるのがわかる。

…でも無理だと思う・・。
気遣いは嬉しいけど……。
(こっちもすごく気を使ってるし)



--------------------------------------------
    「あなたのお父さんって、
      どんな人ですか?」

--------------------------------------------




↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月21日(土) 「思い残し症候群」 〜"オトウサン"を探すワタシ〜


〜 おいてけぼりのくまさん 〜



「私」と「父」は
よそよそしい。

”他人”みたいに
よそよそしい。

ある意味では
”他人”よりもよそよそしい。

お互いに
視線を合わせられない。

お互いに
接し方がわからない・・。

微妙な距離感。


.................................................................................

私は・・・・
父が「すき」みたい。

「他人」な父を自覚してるのに、
ココロは父を慕ってるみたい。

・・・・。

今日、
明日行くお医者さんの位置を教えるため
地図に印をうつために
シャープペンシルを手渡されたとき、

手が触れた。

暖かかった。


     ”どきっ”

とした。

まるで恋する異性に触れた
緊張と心をくすぐられるような感覚。

私は…

    父が「すき」なのだ。

.................................................................................


「大好きだよ」
って抱きしめてほしい。

頭を"いい子いい子"してほしい。

ワガママ聞いてほしい。

甘えたい。
甘えさせてほしい。

可愛がってもらいたい。

・・・・。

「アイシテホシイ」

------------------------------

性的なことは求めてない。
(当たり前、求められたら気持ち悪い)

ただ、

    愛してほしい・・・・。


・・・これは、

     連れに対して感じた時の
      気持ちと一緒だ。

******************************************

甘えたい。
守ってほしい。
抱きしめてほしい。
いい子、いい子してほしい。
ワガママ聞いてほしい。

******************************************

お兄さんみたいな・・
お父さんみたいな・・

憧れ・・・・。
   すごく慕う気持ち・・。


だから、
連れと付き合うことになって、
”性的”なことも求められた時、

すごく怖かった。
違和感感じた。

私はそんなの求めてなかったから。

「なんで?」って。
なんでただ慕うだけじゃ
スキなだけじゃ
ダメなの?

って、

そう思う私は
連れのこと「スキ」じゃないの?
異常なの?って

・・・って。。。
狂うくらい悩んだ。。。。

   辛かったぁ・・・・・・。


ワタシにとっては
それが

「レンアイカンジョウ」だったから。

・・・・・。

でも、他人には
理解されなかったなぁ・・。

このキモチ。
葛藤。
悩み。
…感覚。

孤独になったなぁ。
”ワタシ、変なの?”
まるで地球にワタシ一人
違う種類の
人間になってしまったみたいに。

誰にも理解してもらえない・・。
共感してもらえない・・。

ズレてるの。
他の人と、
大きな大きな感覚のズレが…。

-----------------------------------

今思えば
私のレンアイ感情は
父親に愛してもらいたい気持ちと

すごく繋がってる気がする。

結局、
『ファーザー・コンプレックス』
なんだと思う。

連れもそう言っていた。

・・・・・。

連れに、すごく惹かれた。
感覚が、否応ナシに「恋」をした。
慕った。。


・・・でもそれは
元を辿れば

  「父親を慕い求める気持ち」

なのかもしれない。

----------------------------------
ワタシの中の
欠けた”子供の心”が、

「抱きしめてほしいよ。」
「愛してほしいよ」
「甘えさせてほしいよ」
「可愛がってほしいよ」

って
強く強く求めている。
-----------------------------------

…でもいくら「父」の背中を眺めても
そんな想い(欲求)は一生

叶わないことも知っている。

ワタシは「父」を
ある意味「他人」だと想ってる。

「”娘”を愛する」
ことのできない人だから。

そこから降りてしまってる
やり方すらしらない人だから。。。


・・・でも、
その気持ちは「他の人」に
代償してもらったってダメなんだ。。

悲しいけど
「父親」という特別な人じゃなきゃ
満たされない、悲しい思い・・。

”やりきれない”けど、
”割り切る”しかない。

----------------------------------------

女の子として
お父さんに可愛がってもらいたかったなぁ

----------------------------------------

岩月健司さんの
「思い残し症候群」(本)を読んだ時、
すごく当たってるかもって想った。

連れはそれを読んで
「静花は”思い残し症候群”だと思う」
とはっきりといった。

父親から得られなかった愛情を、
異性に求めてしまう気持ち。

自分でもどうにもできない感覚・・。

ワタシは年上の包容力のある男性に惹かれ、
不倫相手に「父親」を求める女の子の
気持ち、良くわかる。。。
(でも不倫相手はそういう風な対象として
彼女たちを見てないだろうけど)

ただ、
ギュッって抱きしめてほしい。
甘えさせてほしいんだよね?

・・ワタシも…そうだよ。
不倫はしてないケド…。

どうしても、
年上で包容力があって
甘えさせてくれるような

いい子いい子してくれるような
そんな人に惹かれちゃうヨ・・・


コドモのココロが得られない
心の隙間を

必死で他の対象で
「愛」を求めて埋めようとしてるんだ。

それは意識よりももっと下の

    無条件の感覚・・・

抗えない無意識のキモチ。


    「思い残し症候群」


悲しい、悲しい、
心の中の鎖。
禍根。
抗えない感覚。ショウドウ。
不幸なレンアイの原因。


-------------------------
これ(↑の文章)を書いてたら
心の奥から
とても辛い感情が湧き出てきて、
とても辛く、泣きたくなった。

ムネが。。。イタイ。。。

胸が苦しい・・

   「・・・泣きたい・・ヨ・・?」





↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月19日(木) 「散りかけた花は、海を待つ」




・・・・・・。


花の時は過ぎ去って


しかも

二度と戻ることはない。



・・もう散るだけの花ならば



いっそ

もう散ってしまえばいいのに。



   --------------------------------------------
      少女の刻(とき)は過ぎ去った。
   --------------------------------------------



             ・


             ・


             ・



どうか私を連れていって。


"あなた"の元へ・・。


深い


深い


・・・  海よ ・・・・








↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月18日(水) 「【生】は山、【死】は海・・・」




**********************************

「生」は・・・"山"

「死」は・・・"海"

・・そして

  「夢」は・・・"幻"・・・

**********************************


・・・私は待っていた。


・・・少女の頃、
良く海へ行ったっけ・・・。


「悲しみ」と「淡い想い」を
胸に抱いて


    海を見つめた。


遠くの水平線を見つめた。


おぼろげな水平線の向こうには

こことは違う世界があるような感じがした…。


「連れて行ってほしい」
と願った。

・・・。

今はもう


それが意味のない
想いだと知っていても


・・・それでも

今でもふと

海に出会ったときは
必ず、


    あの"想い"を思い出す・・。


「連れていって」と。
願ってた日々を・・・。


・・・今でも密かに待っている。


たとえ

どんなに年老いても…。


たとえ

どんなに叶わぬ幻想だと
わかっていても…。


  --------------------------------------------------------------
   あの頃の【少女の心】は
  心の片隅にでもいいから残しておいておきたいの。
  --------------------------------------------------------------


そして・・・

深い

深い

海の中へ・・・・・。




         「 夢の中へ・・・・・。 」














↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月17日(火) 「焦らずにいこうよ」




焦らないでいこう・・・・

焦らないでいこう・・・

今すぐ結論を出しては
ダメだよ

今すぐ何かを
投げ捨ててはダメだよ

私たちの時間はまだ長い。

今現在の「私」が

未来の「私」と同じ考え方だとは
限らない。

そして「時(とき)」は
自分自身と

そして自分をとりまく環境をも
大きく変えていく。

・・・だから


----------------------------
 今は「保留」しよう
----------------------------


「待つ」ことは
とても辛いし不安なことだけど、

必ず

いつか答えが見えるから。

いつか道が開けるから。


迷ってるときは
「決断」するときじゃないよ。


焦らずにいこう

焦らずに・・・。

       「自分の心のペースで、歩いていこうよ。」


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月16日(月) 旧・「父の日」




…あ、そっか。

昨日は「父の日」だったんだ。

母の日には感謝のメッセージカード
送ったけど、

父の日にはカードも送ってないや…(汗)
(密かに期待してたかもしれないのに、
ゴメンね>父)

…でもね、

…だって
恨んでるんだよ?

多分、私。
心の奥底であなたのコト。
自分でも気づかないくらい。

仕事ばっかで、家族の愛情を教えて
くれなかったアナタに。
暖かい楽しいコミュニケーションなんて
全然皆無なあなたに。

おかげで
うちは冷たくて
よそよそしい家庭。

あなたは悪い人じゃない。
生真面目だし誠実だし…。
多分本当は優しさももってる。

でも

【子供を愛すること】
【愛情表現や暖かい思いやり優しさを
 人に与えること】

・・・ができない、
いや、多分「やり方」を知らない
とってもとっても不器用な人。

…だからって
家庭をもったら
子供作ったら(子供は自然発生するんじゃないんだから)

”ほったらかし”じゃダメでしょ?

あなたは「父親」なんだから。
いつまでも逃げてちゃダメでしょ?

なぜ「向き合わ」ない?
なぜ体当たりで子供に「ぶつから」ない?

子供はお金さえ与えてれば
体は育つけど、

愛情や優しさや暖かさを親から感じなければ
心は病んじゃうんだよ。


カナシイ
カナシイ


父の愛に飢えた自分の心が
泣いている。

もう頭では

「あの人はそういう人だから」とか
「やり方を知らない人だから無理だから」

・・って
諦めてるにも関わらず、

心の奥底に欠けて空いている
愛や甘えに渇望した穴は自分ではどうにも
できなくて。。

生きることが虚しいの。。。
サミシイの。。。



↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月15日(日) 「"レンアイ"と呼ぶにはもっと深い気持ち」(超長文・現時点での回顧録)




私は結局あの人のことを,
めちゃめちゃ好きじゃないのかもしれないかもしれない。

…とたまに思う。

特に恋愛ドラマとか、漫画とか、
結婚する人の気持ちとか聞いてると。。。

「好き」だけど

--------------------------------------------------------------------

「自分を受け止めてくれるから」
「一緒にいて楽しいから」
「価値観や波長が合って居心地がいいから」
「自分のことメンタルのとまで全て含め受け入れ愛してくれるから」

--------------------------------------------------------------------

「好き」なのかもしれない。

だから自分の気持ちにちょっと無理をして
「もっと好き」になりたいと思ってる部分があると思う。

…本当は自然にこの人のこと「本当に」好きだって
気持ちが湧きあがるように思えたらいいけど…
(意外に相手から冷たくされたら、そういうの
湧くかもしれないけど(苦笑)
いや、多分湧く(苦笑))

まぁ、気持ちも関係もどんどん変化していくものだから
焦っちゃダメだって思うけど、


・・・ただ、

愛されて、大切にしてもらって、感謝してる。
受け止めてもらえる、愛されるから「好き」

・・・っていうのも一つの恋愛関係の形だとは思う。

---------------------------------------------------------

「深く愛し理解し守る側」



「相手ほど好きじゃなかったのに、
尽くして愛して貰ってるうちに、好きになった。」
---------------------------------------------------------

…っていうパターンも世の中には
沢山あるしと思う。


・・・・
でも私、人を本気で愛してみたい…。

人を本気で愛してる人を見ると
(一時の感情の盛り上がりや錯覚とかじゃなくて)

   正直、「羨ましいなぁ」って思っちゃう。



そういう相手…

『「本当に好き」になれるくらい好きになれる人は
一生にめぐり合えるか合えないかぐらい』

・・って人は言うけど。

確かにそうだと思う。。
「恋愛」って完全に”縁”だと思うから。


・・・・・。
私の中でくすぶるものがある。

「この人が私を愛すほどに、私はこの人を愛せないことに」
罪悪感みたいな自責間や迷いを感じる。

お互いの気持ちの大きさが温度が一緒ってことはなかなか難しいし、

はじめはどちらかが引っ張って
相手の気持ちも段々と相手を好きになるってパターンもあるけど…。

・・・でもそうやって、「相手が尽くしてくれるから」、とか
「理解して受けとめて理解してくれるから好きになった」って、
本当にその人の存在(人間性)を好きになった
わけじゃないんじゃないかって…

そういうケースに疑問を感じてしまう自分がいる。。。



そういう場合、結婚したとしても、
もしその後

「本当にその人の人間性にほれ込む尊敬する」人に
めぐり合ったら

…どうなるんだろう?

-----------------------------------

私は連れに「感謝」してる。

本当に他の人ではなかなかできないくらい私を受け止めてくれた。
それに少なくとも、この人は他の人にはない特別なものをもった人、
(自分を理解し、私の中の生まれながらもったものの良さを見出し、
好きになってくれた人)であるとも思ってる。

 だからあれだけ「この人じゃなきゃダメなの」って思った。
(だから簡単に誰かと取り替えられなくて苦しんだ)

あの人は頑張ってきてくれた。
・・・私も頑張ったけど。
(いや、本当に筆舌にしがたいくらい色々大変だったのよ…)


あの人の私への感情は、正直
「恋愛感情」と表現して、
括(くく)っていいんだろうか?と思う。

(ちなみに本人も”恋愛感情”か今はわからなくなってる。
親子感、兄弟感、夫婦感、親友感、守りたい愛…etc
色んな感情が混ざってるから、
どう表現していいかわからないといっていたが・・・)

ただ、あの人の私への愛情は、
「恋愛感情」という枠に当てはめるにはちょっと違和感や、
人に私たちの関係を説明する時に誤解を感じさせるような気がする。

******************************************************************

私は、
あの人の私への愛情は、巷で一般に「恋愛感情」と
定義されるものより 【深い】し、少し違うところがあると思うからだ。

*******************************************************************

”恋愛感情”でもあるかもしれないけど
親が子供を愛する愛、家族愛、飼ってるペットを愛する愛
「"静花"は自分を救ってくれた特別な人だから恩を返したい」

…そういう感じで、
愛情や感情に近いような気がする。
(あえていうなら丁度あてはまる「形」がない)

「恋愛感情」はどちらかというと利己的な面
(例えば相手には幸せになってもらいたいけど、
自分が振られたらいやだし、自分のこと好きでいて欲しい…みたいな。
自分の欲求)が強いけど、

そうじゃなく・・・
なんていんだろう・・・

もっともっと【深い】んだ。
海のように。

そう、【親から子への無条件の愛情】に
限りなく近い感じがする。

「自分の幸せよりも相手の幸せを望む」
「相手の幸せが何よりもの喜び」
そういう深さの愛なんだ。あの人の場合…。

だから「形」なんてどうでもいいんだ。

---------------------------------------

私の気持ちは…なんだろう?


初めは確かに「恋」だった。

いや…
「憧れ」と…、
そして「ファザーコンプレックス」が無意識で強く働いてたと思う。

それがゆえにものすごい錯覚に呑まれ、
「あの人自身(等身大の連れ)」が見えなくなった。
わからなくなって混乱した。

緊張して萎縮して、あの人が
本当に強くて師匠のようなすごい人のように思えて…
(精神的に強い人なのは今も事実だけど)
すごく萎縮して緊張したり、ギャップに悩んだり…。



・・・でも今は大分そういう錯覚が抜けて(恋や憧れ)、
とても「いい」関係になってると思う。

時に「情けないなぁ」っていうボロも見え初めてきたけどね(苦笑)
まぁそれはご愛嬌。

そうだな…今はなんだろう、「家族愛」に近いかもしれない。

相手自身をちゃんと「恋や憧れ」という”恋眼鏡”抜きで
見つめられるようになった。

「親友」や「家族」に近い感じかな。

前より自然な自分状態で一緒にいられるように
なってきた。

「ありのままの自分」を見せ、接せられるようになった。

「絆」というものが作られるようになった。

*************************************************

この関係や形がいつまで続くかはわからない。

未来なんて予測つかないでしょ?

そもそも私今、
”引きこもり””対人恐怖症”だし”神経症”だしねぇ…。
それゆえ、他の異性と日常で普段接してないから
もっと好きになれる人がいるのに
チャンスを逃してるのかも…ね。ふー・・>遠い目


でもね。
今は”レンアイ”よりも”自分”を
確立することが大事だと思ってる…。

***************************************************

・・・・そして、

人と人として…
「あの人」と「私」としての…
より良い形を求めて・・。

私とあの人は「付き合って」はいない。(契約という意味で)
でも実質ハタからみたら「付き合ってる」んだろうね。

私たち自身もそう思ってる。

…でも感情の付き合いに「ルール」はいらない。
「定義」だってない。

感情は理性とは違うから…
今後どうなるかなんて予測だって不可能。

・・でも、
たとえどんな未来や選択であっても、

お互いが幸せになれる道、

将来どんな形になっても

あの人も
そして私も

幸せになれたら、いいと思う。


       迷いながら、悩みながらも・・・。
           ・・・ゆっくりと・・・

************************************************************

こんな長い文を
ここまで読んでくれてありがとうm(_ _)m


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月14日(土) 「ありがとう」という言葉



...................................................

    「 ありがとう 」
...................................................



・・・っていい言葉。

「申し訳ないね…」
「ごめんね」も、

相手を思いやって、
気遣って使う、
優しい言葉だけど

どうせ言うなら

「ありがとう」って

別の方向に気持ち変換して
感謝の気持ちを伝えたほうが、

相手にとっては
そっちの方が嬉しいのかも。。


気遣いすぎは良くないよね。
その「負い目」が返って
悪い方へいっちゃうこともある。


「相手」は「相手」
相手は相手の欲求や意思でやってることなのに。

相手の気持ちまで
こっちの尺度で推測して
「悪いなぁ」って気をもんだり
遠慮しすぎたりすることって、

過剰過ぎると余りメリットないよね…。

お互いの「優しさ」や「思いやり」が返って
相手のことを考えすぎた余り
すれ違っちゃう・・・。(皮肉なことに)

---------------------------------------------

自分は、
『自分の気持ち』が一番大事。


お互いに
「自分の気持ちを一番大事にすること」
が一番大事。


・・・だから、
自分の気持ちには「正直」に、

・・でも、
相手がしてくれたことに
感謝を感じたら、
伝えたかったら、


************************************
「ありがとう」
できるだけ伝えよう・・・。
************************************

・・・そう思った、ある日の午後。


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月13日(金) いつか飛び立つ日がきても、足元の「幸せ」を忘れないように…。



病気で辛い時は、
日常生活さえ苦しい時は

「当たり前のことさえ
苦しくてできない」時は

ただもう、

その辛さが消え
「健康」を取り戻して、

「当たり前のことが当たり前にできる」
ような健康な状態に戻りたい。

苦しみのない状態になりたい。



「元気になりたい」
と一番に願う。



「健康」という基盤すら揺るがされ

とにかく辛くて苦しくて
仕方のないときは

神にも
わらにもすがる思いで


そのこと

(「人並みに健康な身体になれること」
だけを痛切に望む・・・・


------------------------------------------

・・・ところが


少し調子が良くなって
少し元気になって

徐々に歩き出せるようになると

「現実」
「健康な人たちのレベル」の世界の中に

一歩一歩踏み入れるたびに

今度はまた
「違う壁」「苦悩」にぶつかることになる・・・


今度は違う種類の
新たな「辛さ」が待っている


比較

悲しみ…

後悔

失望

迷い


・・・まだまだ
完全に回復したわけではないのに

「一般」を「一般の健康な人」と
同じレベル
を当然のように求められること。

・・・・

それはとても感情的に
辛いこと。。

悲しいこと。。

悔しいこと。。

自分は本当に、一生懸命
・・本当に、精一杯
やってるのにね・・

周りには
傍目からは健康な状態にしか
見えない
から
辛さなんて理解してもらえないからね…。



***************************
「戦い」は
次の段階を迎える。

***************************



今までは『自分自身や己の中の「病気」』と。

…そして、今度は

『「社会」や「世間」という”基準”と』
その中に身を投じて、闘うことになる。

・・・・・。

その辛さ、感情に
押し潰されて

悲しみに捕らわれしまいそうになるよね。



・・・でも絶対
周りに流されないで。


周りに流されて・・迷って・・
自分の中の「大切なもの」を壊してしまわないように・・。

それが壊されそうになったら
一時「逃げ」たり「後退」することも大切だと思う。


******************************************
「前進することは、今までとは
別の新たな辛さに出会うこと」

******************************************


私はそう思ってる…。

心の問題で苦しんでる人にとって
元気になりつつあっても、

「元気」になったから終わりじゃなくて、
それからも「戦い」は続くのだ。


…そして、
新たな壁にぶつかったら

--------------------------------------------------

「それは紛れもなく、
あなたが新たな段階、前に進んでる証拠。」


---------------------------------------------------


・・・・・・・・・・・・・。


でも、どうかその時がきても、
忘れてはならないで…。


かつて足元の
「幸せ」を忘れないこと。


「健康な身体(心)」でいられる。
辛くなく日々を送れる。

そのことだけでも
どれだけ「幸せ」なことか・・。


…辛さ・現実に・失ったものに
負けそうになるたびに

絶望に飲まれそうになるたびに

そのことは
忘れないでいかないといけないと思う。


----------------------------------------------------------
 当たり前にあると思っていることは
  「空気」じゃなくて、
 本当はとても「大切な幸せ」なんだと・・。

-----------------------------------------------------------




       ・・・私たちは"幸運"にも
     【そのこと】に気づけたんだよ?(^^)・・・






↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月12日(木) ボロボロになった小鳥の模型


〜以前の姿〜

--------------------------------------------------


あんな場所においてあった私が
うかつだった。。。

私の目の届かない時に、

噛んだりじゃれたりして遊んでボロボロにした、
連れの飼い猫には罪はない。

・・でも、その身体はボロボロになり
翼は片方なくなった、
無残なインコの模型の姿を発見した時は・・・

私にはショックだった。

その手作りのインコの模型は
ちょっと遠出した時にお店で気に入って
買ってきたものだった。

手作りだから、
一つ一つが違うのだ。

仕草も表情も…
どれも同じものはない。

”実際”に
同じ鳥が…
その鳥は世界でただ一つしか
存在しないのと同じように。

------------------------------------------

それを家に持ち帰って
お母さんに見せたとき、

「この仕草、チャッピーにそっくりだねぇ」

・・・って笑って言ってた。
私も、

「ほんと、そうやって言われてみれば、そうだね〜」
なんて言ってた。。。

------------------------------------------

・・・無残な姿が、(もしもの)チャッピーに重なった。

涙が湧き出た。

  「実際にこんな姿になっているのかもしれない…。」

・・・胸が、痛かった・・。

どうしても、そのインコの無残な姿が
チャッピーの最悪の姿を連想され、・・・泣いた。

イヤだよ。。。。。
そんなのイヤだ。。。



↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月11日(水) 「蛍(ほたる)」




・・・今晩は連れと、


市内の中学校の有志が、
ボランティアで「蛍」を保護(養成)している区域に
(田舎にある中学校付近の川なんですが)


    「蛍」を見に行きました。


「本当に見られるかなぁ?」って,
正直、半信半疑に思ってたけど、

橋の上から下の方を眺めると
川と緑の間に・・


ふわり
ふわり


と光る

小さな光りが
遠くの方だけど、

あっちに、
こっちにと
十数個、漂ってました。

消えて・・・
そしてまたほのかに光って・・

・・そしてまた消えて…。


     静かで幻想的な光景でした。



あれは、

・・彼らの生涯の命の
最後の光



そして、

彼らの次の世代へと
彼らの種を残し、繋げていく為の光」


・・・・。


その光景を見ながら
いろんな思いにふけながら・・
私は、


「・・・私も、最後の時くらいは
思いっきり、光りたいな…」



・・と、呟きました。



隣で蛍を見ていて、
それを聞いた連れに

「そんなこと言っちゃダメ。」と
たしなめられましたが・・・



蛍の光は

『木々や森の中にある”星”』
みたいだなぁ…って、

そんな風に感じました。

・・・・。


*****************************************************************
   「・・・”星”は、夜空にしかないわけじゃないんだね・・・」
*****************************************************************



↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月08日(日) 「優しい涙」〜4年前の私の心の傷と苦痛のメッセージをここに残して…〜



*********************************************************************

 --- 1999年08月01日 ---
 
心がとっても痛いんだ
痛くて痛くて悲しくて、とっても淋しくて
救いを求めて、勇気を振り絞ってドアを叩いたんだ
誰か助けて欲しいよ…って
・・・でもね
そこもとても冷たい海だったんだ
やっぱり自分は一人ぼっちなのかな・・・・。
人なんて所詮信じられないのかな・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

心が傷ついて、疲れ果てた人を
苦しんでいる人を
優しく暖かく迎えるような、癒しの場にしたい。
心が傷ついて、だからこそ、他の人の痛みを思いやれる…
殺伐とした世の中に
そういう場所もあっていいと思うんだ

**********************************************************************


・・・これは「1999.08.01」日に
今作ってあるホームページとは違うけど
昔に、心系のサイトを作ろうとした時に、
トップページの額縁に載せられていた私の心のコトバ・・・。


-----------------------------------
悲しい、悲しい、
傷だらけの、心の嘆き。
-----------------------------------



・・・本当に久しぶりに、偶然に
このページを再び見て、
胸が痛くてしょうがなくなった。。

このページを作ったことすら
私の中からすっかり忘れ去っていたことだけど、
このまま、この叫びを埋もれさせたくなかったんだ・・・。



・・・・。



これを書いた日付は、1999年8月・・・。

私、今年は2003年の夏を迎える


     「・・・もう4年も経ってしまうんだね・・・」


なんだかもう、

その当時の「現実」を見るだけで

そしてそれから経った時間の空白や犠牲やを
再び胸に刻まれるだけで・・

「事実」を目の前に突きつけられるだけで、

時の流れが痛すぎて、



心が潰れそうで

気が遠くなりそうで・・



      ****************************************     
        絶望に呑まれそうだよ・・・!!
      ****************************************


「・・・ここまで傷ついて、傷つけられて、
人を信じられると思う…!?
人や未来に希望なんてもてると思う?!


---------------------------------------------------------------
ちなみに、その結局完成されず、
表にでなかった未完成で終った、
この辛らつなメッセージの載っていたサイトの「タイトル」は…


       『 優 し い 涙 』



          ・・・だった・・・。

----------------------------------------------------------------


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月07日(土) 「・・"幸せ"について・・」




------------------------------------------------------------

健康に日常が送れて、

台風や雨が降っても、壊れない住処がもてて

ほかほかな暖かいお布団で安心して休められて、

明日の食べ物の心配なく、
おいしいものが毎日食べられて、

生命の危険も常に感じないで過ごせられて、

万が一、病気になった時でも、
医学のおかげで大抵の病気からは治る・・

-----------------------------------------------------------



・・・そんな、

”生き物”にとって、
”動物”として、



『十分過ぎる「幸せ」』



いつの間に、

「”ヒト”にとって”幸せ”」
ではなくなってしまったんだろう…。




***************************************************
『自然な動物であれば、
それだけで、どんなに恵まれてることか・・。』
***************************************************


明日の食べ物に飢えることもなく
身の危険を常に感じ脅えることもなく、
安心して眠れる場所があり・・・

生にとって【基本的な部分】はすごく
私たち”文明社会”や”先進国”とよばれる国の
人間の多くは
もう得られたはずなのに…。

もう
十分に満ち足りているはずなのに

それでも
「”進歩”した人間社会」の人間タチは



**************************************

「もっと幸せになりたい」
「もっと豊かになりたい」
「”人並み”以上の幸せな身分になりたい」
「これじゃあ、足りない」
「もっと、もっと…」

**************************************


・・・・・・・・。


・・・・・。
まるで


『歯止めの利かない壊れた欲望』

のように求め続け、


・・・”「果て」”がない。”・・・


足元にある幸せを
「空気」のように当然に思い、

   その”存在”すら忘れてる。

・・・・
・・・・・・。

”自然”であることが、
「許されない」
文明社会/人間社会・・・・。



--------------------------------------------------------
   なんて息苦しい世の中だろう。
--------------------------------------------------------



・・・・・・・。

*********************************************

私がココロの「病気」になったのは
本当に、本当に基本的な

【生き物の「幸せ」の恵み】を忘れ、

傲慢になっていたからかもしれない。。。

神様が罰を与えたのかもしれないね…。

気づかせるために・・・。

***********************************************




壊れた「欲望」をもたない、
自然のままの動物は
どんどん追いやられ、
無駄に殺されて

壊れた「欲望」をもつ
文明社会の「人」という動物が
どんどん「己の欲」で支配していく・・。







↑エンピツ投票ボタン(押すと文字が変わります)





*******************************
・・・でもね、神様・・

私にもひとつだけ言わせて欲しいのです。

「人間社会」に産み落とされた以上
その環境に合わせて生きて
いくしか

私たちには方法がないんです。。

一部の人は、皆、
ここ(人間社会の中)に適応して
”生きるだけ”で必死なんです・・・・。
苦しんでるんです・・・・。


ココでは

『あるがまま』の自分

『あるがまま』の気持ち

自然に生きることが、許されないから・・・。
そうしたら生きてゆけないから・・。

*******************************




↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月06日(金) 「感謝」や「思いやり」って強制されるものではないと思うのです。



本当の
優しさとか思いやりって

無理したり、
”いい人でいたくて”そう接したり、
「気遣う」優しさじゃないって

私は思う・・

「本当の優しさ」は、
思いやりは

『己の心から
湧き出てくる自然な気持ち。』


あくまで
自然に湧き出る気持ち。
(でもそれが自分本位じゃダメだけど。
たくまで相手の気持ち本位じゃないと…単なる押し付け

「気遣い」や「無理した」優しさが
悪いとは思ってはないよ。
(”偽善”な優しさではあるかもしれないけれどね…)

それも
「優しさ」ではあると思うから・・・。

たとえ”偽善”でも
人や動物に優しく、思いやる気持ちが
もてる人は、悪い人じゃない。

それができることだって「能力」だもの。
その人は優しい人だよ。

でも

・・・。

--------------------------------

例えば

良く言うよね

「親に感謝の気持ちをもつことは大切だ」って

それが
本当に親の愛に感謝していて
親のことを愛していて
愛を返したいという

自然な感謝や親孝行の気持ちなら
その気持ちから自然に「してあげたい」と
湧いた親孝行なら、

それは「本当の親への優しさ」


・・・でも


親に対して、
感謝してないのに、
生まれたことに感謝できないのに、

『世間では親に感謝しなきゃいけないから』

みたいな強制的な
価値観の刷り込みで

または、
本当は感謝してないのに「気遣って」…

送る「感謝」や「親孝行」は

本当の「感謝」ではないんだ・・・。

・・・・その違いは
見かけは同じでも、

    中身は全然違う。



**************************************
「思いやりや、感謝の気持ちって、
人に強制されて持つものではない。」
**************************************


  私が一番いいたいのはそれだけ。



感じることのできない人に
優しさもて、
だの、
思いやりをもてだの

言われたら、


「その人にとっては、
すごく酷なんじゃないかな」っていうこと…。




私はそう思うんだ。。


人によっては
過酷な環境で生き抜いてきて、
その気持ちを自然にな気持ちをもてない人
だっている。

それは無理のないことだと
私は思うんだよ・・・・。

・・・人は

経験によっても
周りで接してきた人や環境によって
「優しさ」も「思いやり」も
学んでいく面がある。

…だから、
犯罪等で、
「他人の痛みのわからない」と
彼らは本当にそう思ってるのだけど、

彼らの全てを悪くは思えないんだ…。

愛情も
優しさも
人の心の痛みも

自分が愛情や優しさを受けたことがなければ、
自分が子供の頃から傷つけられて、
裏切られて育ったのならば、

「優しく」なんて
なれるはずがないから・・・。

だからって
他人を傷つけていいとは絶対、思わない。
それとこれとは話が別だから。

たとえいくら苦しくたって…ね。
人を故意に陥れたらダメだよ。

…でも、

「愛や暖かさを知らない子」に
「思いやりをもて」って

言葉・正論で説教しても

押し付けても

何の意味もないことだと思う。

…ますます、
その人は荒んで、孤立していくだろうね…。


【「頭」で理解するものではないもの。】


***********************************************
     「感覚(心)」だけが
    それを学ぶのだから・・・・。

************************************************



・・・。
だから「優しさ」や「思いやり」や「感謝の気持ち」を
自然に誰かにもててる人は、感じられる人は

「自分は恵まれてるんだなぁ」って
「感謝」してもいいと思うんだよ。


自分がその感情を人に思えるだけ、
自分が誰かに
愛された、やさしくされたことのある、
”与えられたことのある、証拠”だから・・・。


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月05日(木) 「人間社会のルール」って何だろう…猫に罪はないのにね。




   「キミはあの猫だったんだね。」


ここに引越してきたときの
三階のお隣のベランダで

良くベランダの手すりの上で外を眺め
「にゃぁ、にゃぁ」鳴き続けてた猫がいた。

それを見て私は
「あー、猫飼ってる人いるんだなぁ」って
思ったったんだよね。
(詳しくは『ゲンジツ日記』のその当時の日記、

『2003年05月03日(土)  隣の棟の三階の人が猫飼ってる…けど・・』

に書かれてるんだけど…)

その猫は一日中
「にゃー、にゃー」鳴き続けてた。

きっと外へ出たかったんだろう。

お母さんが「あれじゃあ近所迷惑
にならないかねぇ…」と心配していた。

…ところがある日を境にそのベランダから
ぱったりと猫の気配が消えた。
鳴き声も消えた。

それからほぼ同時期にして、
私は「ミーちゃん」に出会った。

ミーちゃんは、がりがりに痩せていた。

ミーちゃんは私の庭やお隣の一階の庭、
このマンションのあたりを頻繁にウロウロ
してるみたいだった。

私はてっきり、
野良猫か捨て猫かと思った。

可愛そうに思った私は、
このまま、その痩せた猫を見捨てることができず、
父が動物嫌いなのと、
ここがペット不可だから
部屋には入れないようしつけるようにして、

だけど避妊はちゃんとして、
それで御飯はあげて
最低限、ミーちゃんが生きていける
よう折り合いをつけて飼うことを親と相談した。

・・・でも、
展開は「一つの事実の判明」とともに
大きく変わった。

・・・。

その以前猫がベランダで鳴いていた
部屋は「サミット」とかいう
会社が借りてる部屋らしく、
そこで働いてる(男性)が3人で一部屋
に住んでいるらしい。

このマンションには、
「サミット」の部屋がいくつもある。
(普通の家庭ももちろんあるけど)

…もちろん近所付き合いなんてない。

だって、彼らにとってココは
所詮一時の住まいで
また、すぐ出てったり、違う人が
入居したりしてるみたいだもの。

「サミット」ってどんな会社なのか
私は全然知らない。

「ミーちゃん」は数日後、
なぜか数日こなくなった。

お腹すいたらくると思うのに、
「不思議だね」ってお母さんと
首をかしげてた。

…ある日、
信じられない光景を目撃した。

あの部屋と同じベランダで
ベランダの住民がミーちゃんにすごく似た猫を
外にブラーンって
「外を見せるように」抱えていた。

鳴き声も…ミーちゃんそっくりだった。。。

   「どういうこと・・・?」

あの猫…
「あの猫」は「ミーちゃん」だったんだ!
多分、8割くらいの確立でピンときた。

うるさかったから、
放し飼いにすることにしたのかしら?

でも、一体どういうつもりなのかな。

…でも、世話するなら、遊ぶなら、
ちゃんと責任もって飼って欲しい。

放し飼いするのも
うちの庭で糞するのも構わないよ。

・・だけど、

  『 ミーちゃんはメスなんだよ。』

自分たちが引っ越したとき、
ううん、絶対またいつか単身で引っ越すこと
わかってるのに、
ちゃんと連れていくの?

いつも昼間、ほったらかしで。

ちゃんと、「避妊」もするの?
そこまで責任追う覚悟で飼ってる?
(本人は”飼ってる”なんて意識ないかも)
可愛そうって気持ちだけで「世話」してるの?

都合がいい時だけ可愛がって、
あんたが転勤したら、あの子はどうするの?

捨ててくの?

今のまま、情のまま可愛がって
あの子が成長して妊娠したら
その子供のこと考えてるの?

動物の命や将来の「責任」……。

・・・・・・。

だからキミ(ミーちゃん)は
うちに来たり来なかったりしたんだね。

すっごい人懐っこいし、
網戸の開け方も知ってたから
連れが「飼い猫か、「元」飼い猫っぽい」って
言っていたけど・・
・・・やっぱりそうだったんだね。

あの子、
すごい人懐っこいもん。

今現在、世話をしてる人間がいるなら、
私はもう、えさはあげない。
相手もしない。

・・・だって、

私の立場で、
責任を追うことはできないから…。

もし、
そういう立場の人間がいると知らないままなら
責任を負って、もちろん避妊もした。

何も知らず「世話しよう」と
覚悟を決めたあの時、

ミーちゃんのために、寒くないよう、
簡単な猫のクッション家とかも飼っちゃったり…
ホームセンターめぐりしたり、
本当、一生懸命考えてたんだよ。。。

でも、「真実」を知りかけた今は、

無責任な人間のために
なんでうちが負担や責任を背負わないと
いけないの?って

怒りの方がおさまらなくて…。

あの時、

あんだけ悩んで苦しんだ
私の苦悩はなんだったの?



*********************************************************************
ちなみに、そのときのメンタル面の葛藤と、
その件をきっかけにすごく悩んで、
どれだけ酷い精神状態に陥ったかは
私のもう一つの日常の「ゲンジツ日記」の
-------------------------------------------------------------
2003年05月18日(日)   頬がこけた。
2003年05月17日(土)  「17歳のカルテ」見ました。(そのほか色々)
-------------------------------------------------------------
に実は大きく繋がって、影響してたりするんですが。
(そこでは詳しくこのことについて書かなかったんだけど。
 だって書くの辛すぎてかけなかった・・・。)
**********************************************************************


ミーちゃんのこと真剣に深刻に考えて、
本当にメンタル的にも
酷い状態になったんだよ?あれから…。

・・・もちろん
ミーちゃん(猫)には罪はない。

今でもミーちゃんは
うちのお庭に糞していくし
(私たちが引っ越してくる前からしてたみたい)

網戸にしてると、
入れてくれと「にゃぁ、にゃぁ」訴える。
(入れないようしてたのに)

でも、もうなるべく
接しないようにしている・・・。

冷たいと思われるかもしれないけど、

「人間社会のルール」と
「責任」と

…そして自分の「感情」と…。

本当に折り合いが難しい。

いい加減な気持ちじゃ………

------------------------

今さっきも、網戸にしてたら
私の部屋の前にきて、開けようとした。

…まだキミのご主人は仕事から
帰ってこないの?

私は願ってるよ・・・。

私のこの憤りは
「大きな勘違い」であることを。

勝手な「被害妄想」であることを。

本当は
キミの飼い主は「本当の猫好きな」人
であることを。

本当に、
キミのことやキミがこのままだと
将来生まれる子供たちのことも
ちゃんと考えられる

優しい人、
責任をもった人だということを・・・

そういう可能性だって、
あるんだもんね・・・・・・・。

ちょっと頭に血が昇りすぎて
大きな勘違いしてる可能性あるもんね・・・・。

もう、わけわかんない・・・。


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月04日(水) 表紙に飾ってた「蘭の写真」を変えました。




「†silent song†」・・・

この日記が生まれてから

この日記の表紙は
何年もの間ずっと

「蘭の花」の同じ写真だった。

・・私にとって、

『思い入れ』の深い
懐かしい、暖かい記憶の花だから…

私にとって
蘭の花は『特別』な花だったから…



ずっと表紙に載せていた写真。
ずっと変えなかった「蘭の花」の写真。



今日、初めて、
新しい花に変えてみました。



日記の基本色、
パステルピンクはまだ気に入っていて、
変えたくなかったから

その色に合わせた花の絵を飾りました。


ピンクのガーベラ…。
綺麗だけど…

爽やかで優しい「癒し系」の雰囲気の絵だから

この日記には明るすぎて…

少し、イメージがそぐわないかも…。
とても癒される、いい絵なんだけどね。


・・また、いいと思えるものが見つかったら
それに変えようと思う。

------------------------------------

・・変えたくなかったから
ずっとそれにしていた蘭・・・

ずっと特別な花だった蘭。

懐かしい、
暖かい思い出の花だから・・

でも、

その花に繋がる”思い出”は…
もう古き良き「思い出」であって、

今は、「悪い印象」になりました。

・・・だから
「蘭」も特別に好きな花では
なくなりました・・・。


写真を変えました。


         『あの日の「思い出」も捨てました。』






↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月03日(火) 「薄暗い外界から隔絶された部屋の窓から・・」




      今朝、夢をみた・・・


     「高校時代」の夢だった。


…頭ではもう自分は「高校生じゃない今の自分」
知ってるのに、

なぜか夢では「高校生」という立場で
やらされていた。

修学旅行に行った。

周りの同級生に溶け込めなくて
とても大変だった。
淋しかった。
悲しかった。

今までの人生の中で2番目か3番目くらいに
恋して好きになった数学の先生が出てきた。

その先生と会話したり、
その先生の授業受けてると
その時みたいに緊張してときめいた。


・・・そうしているうちに、



・・・・・・・・夢から目覚めた。


・・・・目が覚めた後、


強い強大な
「絶望感」「失望感」と悲しさと悔しさを
ミキサーにかけたような

なんともいえない嫌な、
辛いすごく『鬱』な気持ちに襲われた。




    胸をえぐられるような・・・。




「社会」に溶け込めない自分を
今の不幸を嫌がおうに見せ付けられた気持ち。



普通に社会生活したり
人と触れ合って
友人たちと普通の楽しい会話をしてる・・・
そういう「普通」の立場の人たちと・・・


***************************************************
・・自分を守るため、
薄暗い建物の中に閉じこもって、
時折、窓越しにその社会を眺めながら
外界とは関わりを絶ってる。

***************************************************

       ”そんな今の自分”


「外界」の世界から隔離され、
「外界」の普通の”基準”からも”刺激”からも”比較”からも守られ・・


おかげで


その刺激からくる「絶望」や「失望」や「悲しみ」
からは守られてる
けど・・







↑エンピツ投票ボタン(押すと文字が変わります)

そういう生活を贈っていれば
得られただろう「青春」も「楽しさ」も「恋」

ワタシが
【自分を守る閉じこもった生活の代わりに
失ってきた「シアワセ」】
を嫌がおうに感じることになり、

眩しすぎて・・・痛すぎて・・・



     ・・・きっと耐えられないね。。。

・・・・。

--------------------------------------------------------------
大抵、こういう気持ちを揺り動かすときは

「学生時代」の夢を見た後だ。
---------------------------------------------------------------



ワタシの中の無意識が、

『現実と未来の「絶望」と「失望」の現状』


・・・そして
普段意識しない生活をし、

”そこから目をそらし、逃げている”今の自分に
気づかせようとしているのだろうか・・・?」




・・・でも、


社会にでれば、
嫌が追うに「現実」や「普通」の比較を
見せ付けられる。


     ・・自分の不幸さも・・。
         劣等感も・・・




もしその「失望と絶望」が余りにも大きかったら・・
その方が、”私のココロの耐性”を上回ったら・・



     **********************************************

       ・・ワタシ、多分、死んじゃうかもね・・・

     **********************************************


耐え切れない、
比較と現実と絶望に潰されて・・・・。




↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月02日(月) 文章を書く(入力する)のさえ辛い・・・





「 文章を書く(打つ)のが辛い・・。 」


メールのやり取りでも
考えながら文章を打ってると
辛くなってきたりする・・。

辛くなってくる。
不安と動悸と緊張で…辛くなってくる

以前はそんなことなかったのに・・。

・・・胸が

【ドキン、ドキン】って

段々と、早く脈打っていくのがわかる・・。

しんどいから、辛くて・・

キーを打つ手がかすかに震える・・・。

・・・だから、
一生懸命気をつけて書いてるつもりでも、
誤字脱字がどうしても多くなって、
何度か読み返しては習性する…。

・・かすかに震える手で・・・。

一生懸命、
丁寧に書けば書こうと意識を使うほど
しんどくなっていく・・・。

----------------------

また・・・

しんどい時は、
文章を読むのも辛い・・・。

「作業」も辛い・・・。


・・・・・。




・・・いつか・・・



     **********************************************
         ・・この日記も、書けなくなる日が
             くるのだろか・・・・。

     **********************************************







↑エンピツ投票ボタン(押すと文字が変わります)




------------------------------------------------
↓通常設置の投票ボタン。
 先日に引き続き文章の構成の都合上、重なっちゃって、
 クドクなっちゃってゴメンなさい
(意図的じゃないです…無視してください・・)


↑エンピツ投票ボタン
My追加

2003年06月01日(日) 自分の本来のペースで歩けない・・・苦しい・・





「自分が歩きたい・歩ける」

・・・・と思う速度を

病気のせいで

3割にゆっくりペースを落とすように
意識して歩かないと、辛くなる
・・もどかしさ」

私は几帳面だし、
どっちかっていうとセカセカ物事を処理する性格。

それに自分では良くわからないけど、
「完璧主義」らしい。。

…でも思うままに行動しようとすると
…思うままに意識すると、

「あれもやらなきゃ」
「あっ、あれも忘れてた」

…とか、思い、

なぜか・・

--------------------------------------
どんどん神経が辛くなって
緊張と不安、胸が苦しくなり
動悸が始まる・・・。

苦しい・・・

息が苦しい・・・。

まるで呪縛のようだ。

----------------------------------------



【"自分のペース"で進めない】

本当に些細な
日常の生活のことでも

「”これやらなきゃ”
”自分はこれだけできる”という量や、
思う気持ちやペースを、
あえて自分で努力して意識して抑えて落として…

【三割くらいでしよう】って意識して
…そうすると多少辛さが楽になる…。
緊張が解ける・・・」

・・・ような気がする。

----------------------------------
でも、
すっごくもどかしい!
悔しい・・・・

------------------------------------

【以前は100%の自分で、無理なくできたこと】
が今はできない。
辛くてできない。。。

30%に落とした自分の動作の
情けないこと・・。
もどかしさ・・。
ペースの遅さ・・。
要領の悪さ・・。
「穴」の多さ・・・。

…でも、ソレを外(社会や仕事)でやってたら
ハタから見たら、見かけは「普通の健康なヒト」なのに、
「なんてダラダラした要領の悪いヒトなの」って
知らないヒトには思われちゃうだろうね…。

【無理しない】って・・・

以前はそんな当たり前のこと
全然【無理して】じゃなかったのに…。

「身体」はこんなに健康なのに、
どうして「状態」がついていかないの?!


・・どうすれば治る?

・・どうすれば薬無しでも日常生活くらい
辛くなく送れるようになる?

【焦ったら良くない】って分かってる。

・・・でも

「焦らずにはいられない」のは当たり前だよ・・・・。

時間はどんどん、社会はどんどん巡っていくんだよ?
・・・私独りを置いて。



       **********************************
        ・・・これを読んでるあなたなら、
          わかるでしょう?この気持ち。
       **********************************


・・・そもそも

「どこからが自分にとって、無理をしている状態」で、

「どこまでが自分にとって、無理をしてない状態」かの

【線引き】すら自分でも、ワカラナイヨ。。







↑エンピツ投票ボタン(押すと文字が変わります)


-------------------------------------
↓通常設置の投票ボタン。
 今日の文章の構成の都合上、重なっちゃって、
 クドクなっちゃってゴメンなさい
(意図的じゃないです…)


↑エンピツ投票ボタン
My追加

静花 |HomePage