初日/ご紹介 最新 目次 MAIL


ぱるたの仕事場日記
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MAIL

2003年11月28日(金)
人事確認

見知らぬ会社から人事ご担当者宛、ということで電話が入った。Mさんが取ったのだが、「人事の相互確認だと仰ってるんですが・・・」といぶかしげだ。

最初は人材広告の営業かな、と思いつつ電話に出ると、先方はきちんと名乗り、「人事の相互確認ということで同じ人事同士、差し支えのない範囲で教えて欲しいのですが。」と前置きし、「S○K子さんという方がですね、うちの会社の採用面談に来ていただいたのですが、平成13年8月から15年8月まで間違いなく御社に在籍していたかどうか、教えて欲しいのです。」と仰る。

S○K子さんと言えば、この日記でも書いた、C社のリストラにあって離職した女性だ!

思わず、彼女の再就職を応援したくて、彼女の勤務態度に全く問題が無かったこと、このご時世なので、会社の都合も半分はあり、あとは本人と十分話し合った上で退社したのだ、ということを伝える。「お電話をいただいた私が申し上げるのも何ですが、彼女には是非頑張って欲しいので、どうかよろしくお願いします」とつい余計なことまでしゃべってしまった私。

採用するかどうか、最終判断の一歩手前だったような雰囲気の先方も、確認すべきことをすべて確認できて安心したようで、もう一度自分の会社名と名前、そして連絡先ということで電話番号まで仰ってくださった。
私も名前を告げ、もう一度、Sさんのことをお願いして電話を切ったのだった。

どうか再就職がうまくいきますように。がんばれSさん!



2003年11月27日(木)
暇に任せて

今日は暇に任せてお仕事ジャンルの他の方の日記を熟読してしまった(^^ゞ

ちなみに、昨日からスタートして、読破してしまったのは、オミズの花道。2002年から書き始められた日記ですからかなりの量です。でも、読んでしまった。(八木澤さんの日記で知りました。)

たまには他人様の日記をじっくりと読むのもよいものです。

深〜くうなずきながら読んでしまいました。

オミズのプロにはなれそうにないけど、私が自分のボスに対して配る心遣いに相通ずるものを感じたりして・・・。

でも、私ももっと修行を積まなければ。こんなもんじゃまだまだですよね。



2003年11月26日(水)
暇すぎる( ̄_ ̄;)

堤商店における私の師匠H氏の教え。会社員の一番大切な仕事は「会社にいること」
会社にいるだけでお給料をもらえるなんて、幸せかも知れないけど、今日はホントに暇だ〜。

社長が出張で不在ということもあって、やることが、ない( ̄_ ̄;)。

はぁ(ため息)

先ほど、H社に入社したいという大学4年生からの問い合わせに対してお返事の原稿を修正したところ。部長のチェックを受けて、メール送信。
問い合わせは昨日H社のホームページのメールフォームで送られてきた。社長に報告したところ、H社の製品を使っているからH社で働きたいと願うのはあまりにも安易なのでは、と言いたげな顔だった。お客様に内情を知られるのは、ホントはいやなんだろなぁと思いつつ、返信メールを口述筆記をした昨日。今日の仕事はそれを手紙らしく仕立てて送ることだった。
でも、そんな仕事は一瞬で終わってしまう。

趣味と実益を兼ねて参加しているMLをチェック。有名なインターネットプロデューサーの女性がまた新しくサイトを立ち上げたニュースを目にして、さっそくサイトを訪問、見学。何が違うのか、彼女が仕掛けるサイトはすべてヒットする。彼女の名前を知らなくても、All About Japanというサイトなら誰でも知っているだろう。

それにしてもC社サイトにはお客が来ない(トホホ)新人(そろそろ新人という枕詞も卒業か?)のMさんにメルマガの原稿を書かせているジュニア。「ぱるたさん、ちょっと見てください」と私を呼ぶ。「結構上手で、自分としては、もうどうこういうことはないんですが・・・」と言っている。Mさん、若い女性らしくなかなかかわいくまとめている。器用な人だ。私もOKを出した。大切なのはこれで一人でも多くの人が買ってくれることなのだが。まずはメルマガを継続すること、ですね>ジュニア&Mさん

ところで、会社員の最も大切な仕事は「会社にいること」っていうのは、半分は真実だけど、半分は仕事ができないヤツに対する皮肉だったのだろうなぁ。
若い頃は結構真に受けていたけど(笑)



2003年11月25日(火)
戻ってきた荷物

台湾に向けて発送した荷物が、関税で引っかかって戻ってくることになってしまった。国際郵便で個人輸出(?)レベルの出し方をしたのだが、中に納品書が入っていたのがいけなかった、と社長が言っていた(ホントか?)

そこで、台湾話の発端となった特約店のS氏が急遽、その荷物を背負って台湾に渡ることになった。人間宅配便だ〜!

「おみやげ」としての製品。ホントにこれでいいのか。

バレるまで人間宅配便を続けるとS氏は言っていた。

ホントにホントにそれでいいの??

貿易実務を少しかじってみようかと思った今日であった。



2003年11月21日(金)
ダメの撤回

ここのところ秘書な毎日だ。
毎月、全国各地で主要な特約店を集めてビジネスフォーラムと称する会議を開いて、特約店教育に余念がない社長。今月は、来週半ばから、大阪、神戸、福岡と3カ所回って来る予定だ。

大抵は、各地に世話役の上級特約店がおり、会議の場所を探してくれたり何かとセッティングをしてくれるのだが、育成途中の特約店の場合はまだ何から何までこちらが世話をしてやらなければならない。今一番力を入れて育てているのは福岡の特約店で、今回は、経費までH社の方で面倒を見ることになった。

さて、市内某ホテルの会議室を借りて午前11時から午後1時まで会議、1時からは1階のカフェ・レストランに場所を移してランチを取る段取りである。ランチの予約は本日入れた。
しかし、このカフェ・レストラン「申し訳ないのですが、うちは昼はランチタイムがスタートする11時半からのお客様しか予約を受けてないんですよ〜ですから1時からというのはちょっとお受けできないんですよ〜。」と仰る。
たまにランチで並ぶことがあるが、並んでいるお客を尻目に予約客が悠々と入っていくのを見て並んでいるお客からクレームが入った。以来、予約は11時半以外は入れなくなったと言う。

しかし、そこで引き下がる私ではない。

「そうですか。困りましたね。・・・・実は、ホテル内の別の場所をお借りして11時から1時まで会議をしているのです。会議が終わって、場所を改めてランチという段取りなので・・・ですから席があいているかどうか、当日その場で確かめるわけにも行きませんし・・・。」
とこちらの窮状を訴える。
先方は、「はぁ、そうなんですか。どうしましょうか。う〜ん困ったなぁ・・・」と言いつつ、ただの飛び込み客ではないとわかり、少しずつ態度を軟化させる。何往復かの問答があって
「どうしてもうちでなければダメですかねぇ」と聞いてくるので、私もダメ押しの一言。
「ええ、そうですねぇ。社長がそちらのレストランがとても雰囲気が良いと申しておりますし、会議の後ですから、あんまり堅苦しいのも何ですから。。。。」

そして、少し黙っていると、

「分かりました。何とかしましょう。その時間の予約、入れておきますよ!」

やった〜!

「ありがとうございます。助かります。」ときちんとお礼を言って「H社の社長で○○の名前でお願いします」と予約名を告げる。最後にまた「無理を言って申し訳ありませんでした。でも助かりました。どうぞよろしくお願いします。」と頭を下げて電話を切った。

だめなものをだめでなくすること、しかも相手から、気持ちよく、だめを撤回してもらうこと。
かなり得意かも(笑)



2003年11月20日(木)
採用見送り

先日熱烈なお手紙攻撃をしてきた応募者に関してさんざん悩んだ結果は「採用見送り」。

実は、業務部のEさんが非常に優秀なせいで、今まで二人でやっていた仕事を彼女ひとりで楽々こなしているので、途中から社長は新規採用する気が失せてしまったのだ。しかし、採用活動(というか面談?)が大好きな社長、せっかく応募してきてくれた人たちに一度も会わずにそのまま不採用にするのは忍びない。それに、もしかしたらとってもいい人がいるかもしれないから一応は会ってみよう、というスタンス。
でも結局全員不採用となり、今回ハローワークには引き続き求人は「希望しない」ということになった。

その旨Eさんに伝えると、「ときどき(社長が)ふらっときて、“大丈夫?”って聞くんですよね。大丈夫です、って答えてたんですけど、そう言ってちゃいけなかったんですね〜」と言って笑っていた。仕事が好きな人は量が増えてもそれほど苦にしない。彼女もそのタイプの人のようだ。若くて身軽ということもあるのだろうが、少々の残業も気にしていない様子。逆に妙にだれかに手伝ってもらって仕事が分散するよりも、自分で処理してしまった方がすべてを把握できるし気が楽、と考えているようでもあった。今の分量ならそれも良いだろうと、実は私も思う。

そうそう、私が電話で一次テストするよう指示された人は、面談の日程がだいぶ先になってしまうと聞くや、自分から応募を辞退してしまった。

ちなみに、訛はほとんど感じられませんでした(笑)

さて、今日は社長が突然思いついた『顧問の先生方に原稿を書いてもらおうプロジェクト』がいきなりスタート。年頭に全国の特約店に出す会報誌に、3人の顧問の先生方それぞれにテーマを与えて一筆書いてもらうというのだ。 その事務局は当然私だ。早速それぞれの先生方にお手紙を作り、FAXで送ったり郵送したり。人によっては原稿用紙も作って同送する。 でも、テーマと言いつつストーリーまで社長が口を出すのは、先生方にちと失礼じゃないか?お陰で社長の意向を汲みつつ先生方に失礼の無いような依頼文を書くのに苦労してしまった(^_^;。

さて、〆切は2週間後。ちゃんと先生方書いてくださるかな?



2003年11月19日(水)
英文レター

台湾出張でお世話になった方々へ写真を送ったことは先日書いたが、お一人だけ現地のお医者様がいらして、その方については日本語が通じない。英文レターを送るしかないねぇ、と社長が指示とも希望ともつかないことを言って写真と名刺を私に渡す。
どうせ私が書く英文など拙いを通り越してカッコ悪いに違いない。
早々と白旗をかかげて米国留学2年の経験者ジュニアに相談。
ジュニア、少し考えさせてください、と写真と名刺を引き取った。その後、どうするのかなぁと見ていると、何か書いたものを部長に見せている。部長はいわゆる帰国子女だ。ハワイ生まれのハワイ育ちの日系2世。来日したのは大学卒業してから、というから、日本語より英語の方が得意なくらいだ。
どうやら部長が全面的に書き直してくださったらしい。
私は部長に頼むのはさすがに気が引けたからジュニアに相談したのに、ジュニアったら・・・

しかし、さすがにネイティブ部長。ジャパニーズドメスティック(?)な私が読んでもすごくステキな文章だ〜

Dear XXXX

I'm very grateful to you for the hospitalities extended to us.

It is my pleasure to have an opportunity to know new world which impressed me very much giving unlimited hope to all the patients who are suffering from cancer.
I'm enclosing pictures and hope everyone of this member will be able to join the ladders end to end with each one's own field.

Sincerely yours,

社長に最後はサインをしてもらって、写真を入れて封をした。あとは郵便局に行って出すだけ。

さて、特に急ぎの仕事もない本日。そろそろ重い腰上げてシステム開発第2フェイズの指示書づくりでもしましょうか。ああ、気が重い。



2003年11月18日(火)
訛は困ります?

A嬢退職後の欠員補充のためハローワークで募集をかけたら5名の応募があった。先週の金曜日に面談。4名が来社。しかし、面接終了後、社長曰く「今日の人たちはみんな訛があるから、ダメだね。まぁ、すぐ必要ってものじゃないし。」
「はぁ?訛、ですか?」と私。
「そう。客と電話で応対しなくちゃいけないから、言葉ははっきりしてないとね。」
なるほど、そうですか。

20日までに不採用の旨連絡を入れるようにとの指示。今日その処理をしようと思っていた矢先、先日の面談にきた一人から社長宛に手紙が届いた。直接会社のポストに投函したのか、切手が張られていない封書。ちょと恐いよ、そういうの・・・

ところが、それを読んだ社長、気持ちがぐらぐらっときたらしい。

もう一度その人の書類を戻すようにと声がかかった。私が持っていくと、う〜ん、とうなりながら履歴書を見直し、私に「これ、どう思う?・・・手紙をもらってしまった。」と悩ましげである。

どう、といわれてもなぁ・・・おとなしい感じのまじめそうな印象だったが、私がどうこう言えるものでもない。はぁ・・・と言って、言葉を濁していたら、ま、もうちょっと考えてみるから、と書類をデスクの横に置いた。

午後になって、遅れてもう一通応募書類が届いてしまった。一次面談に入ったので、ハローワークの方はいったん求人を止めていたのが、どうやら行き違いで送られてきたらしい。秋田で9年ほど働き、結婚と同時に上京、東京で就職活動をしている人らしい。
その書類をもってまた社長室に行くと「秋田から来たばかりねぇ。訛があると困るんだよね。東北訛で電話出ると会社全体が東北の会社のように思われる。」とまた訛話だ。
そして再度、朝の人の書類を取り出し、「この子もねぇ、よく考えたら言葉がはっきりしなかったんだよねぇ・・・う〜〜ん」

じゃ不採用決定か?と思いきや、また書類を自分のデスクの横に置く。

社長をここまで悩ませる、お手紙攻撃の効果抜群である。

さて、遅れてきた履歴書の主には、結局、私が電話して少し話をしてみて訛が気にならなかったら面談する、ということになってしまった。やだよ〜〜、そんな役回り〜〜



2003年11月17日(月)
マメなだけじゃ勿論ない

社長はマメである。外部の人と一緒の出張などは、必ずカメラ持参で出かける。そして至る所で記念写真を撮ってきては、人数分焼き増しして、みなに挨拶をかねて郵送する。
写真ができてくると、しばらくそれを眺めて楽しむ。そして、最近はプリントインデックスという便利なものもあるので自分で枚数を書き入れ、自分でDPEに行って焼き増しを頼んでくる。できあがるとそれを渡す人別にきちんを分類してデスクの上にキレイに並べ、それぞれの写真の山の上に該当する人の名刺をおき、そして、おもむろに私を呼ぶのだ。

今日の写真の主たちは、先日の台湾出張で一緒だった人々。もともとH社の特約店開発とは別に、K大医学部のS教授からビジネスのお誘いがあり、関連する人々が台湾に集まって、病院の視察や製薬会社などを回るという案件があったのだ。医者あり、コンサルタントあり、医療法人の副理事ありとバリエーションに富んだメンバー。一人一人、お手紙をつけて写真を送るよう指示を受けた。

今回は、ビジネスでこれから関係を持てそうな方からもう二度とお会いすることもないだろう大学の先生まで、7人の方々に4パターンの文面を用意した。珍しく私の文案に赤が入ったので、今回の台湾案件に関して社長もかなり力が入っているのだということが分かってきた。マメなだけじゃ勿論ないのだ。
一人の方にはH社の全製品を送るという念の入れよう。

将来的には自社製品を使った病院経営という壮大な夢に向かって、もしかしたらこれが小さな第一歩になるのかもしれないんだもの。
粗相のないよう、私も丁寧に準備を整えた。(何て良い秘書なんでしょ!(^_^;)



2003年11月15日(土)
私の実態

いざとなったら何でもできる、何でもこなしてしまう器用貧乏な私、と昨日書いた。

が、実態は『何でもできるけど、何にもできない』が正しい。

最初につとめた会社、堤商店(仮名)における私の師匠H氏の教えの一つ。

会社員は言われたことは何でもできなければいけない。でも、その道のプロじゃないからそれでできた、それができる、と思ってはいけない。実は会社の外に出たら何もできない同然なのだ。それを忘れるな、というようなことだったと思う。

この教えが正しいかどうかはわからないが、会社というところにつとめているかぎり、少なくとも私には良く当てはまっていると思う。

だから私は専門職で仕事をしている人を尊敬する。その道でずっと働き続ける人を心の底から尊敬し、憧れる。

今更自分が何ができる、というわけではないけれど、今日は休日だから、自分がやってみたかった職業や憧れる職業を書いてみましょ〜。

子供の頃は断然お医者さんだった。(でも私って完全文系だったのよね(T.T))
堤商店に勤めている頃は、セラピスト。産業カウンセラー。(ちょっとマジになりましたけど、私にはムリとわかりました)
憧れるのは、看護師。(医者と並んで世のため人のためになる良い職業だと思う)
最も尊敬するのは、自分でつくり出す人。料理人。芸術家。一部の学者・・・。

さてお遊びはこの辺でおしまい(^^)



2003年11月14日(金)
仕事を人に渡すとき

リニューアル作業が終わり、利益責任の無い私の出番は終わってしまった。あとはジュニアほかC社プロパー社員の仕事。

というわけで、C社のサイトデータをいつまでも私が持っているのもいかがなものかと思い始めている。
ここらで、全部新人のMさんに渡してしまおう、と。

ウェブソフトを使ってリアルタイムにサイトを管理していく仕事は、私は結構好きだ。しかし、インターネット担当ということで、これからヤフーショッピングの研修を受けに行くMさんが、C社のデータを持っていないというのも不自然だろう。ジュニアは相変わらず、文書のhtml化を私に頼んでくるが、それも徐々にMさんの方に行くようにしてもらわないと・・・。

C社の立ち上げが完了したとき、『これで次は現場のマネージャー!初挑戦だ〜』と思った矢先に、現場からはずされてH社の秘書に戻ったとき同様、今もまた利益責任を負う部門の人間としては求められていないのだということを痛感する。

遊軍。それが私のこの会社での位置づけだと最近しみじみ思う。

いざとなったら何でもできる、何でもこなしてしまう器用貧乏な私。社長にとっては本当に便利な存在だろう。便利に使ってくれて結構ですよ、という気持ちと、一つの仕事に最後までべったりと泥臭くつきあっていけない寂しさとが混じり合う、ちょっと感傷的な今日の私であった。(らしくないって?(笑))



2003年11月13日(木)
社長説教する

ジュニアとエージェント(委託営業マン)のM氏を前に社長が熱弁をふるっている。
H社の商品はいずれも有る意味マニアックで、能書きの多い難しい商品だ。そのせいで、つい、営業マンまで、エセ蘊蓄を傾け始める。でも相手の営業マンが理解できるわけがない。エセ蘊蓄など傾けるな、説明するな、講義するな、と説教する社長。いつになく厳しい口調だ。

社長自身全国の特約店を相手にどれだけ教育してきたか、どれだけ蘊蓄を傾けてきたか。なのに、イロハのイの字も未だに分かってない、そういう人たちを相手にしてるんだよ、と私にため息混じりで言ったっけ。

もう詳しく説明するのはやめてストレートに良いところだけ分かりやすい言葉で説明する方針に切り替えたのかな。特に全くの外部、一般流通ルートを相手にする場合は・・・。

しかし、なかなか身に付いた癖は直らない。営業トークも難しい。

さて、本日の私は秘書な一日だ。出張の手配や、社長自ら主催しているビジネス研修のセッティングなど。




2003年11月12日(水)
社長帰国

出発時にすったもんだあった台湾から、社長、無事帰国。あんなにバタバタさせてしまったというのに台湾翡翠の携帯ストラップのおみやげをもらってしまった。同じようなストラップをいくつか買ってきたらしく、国立歴史博物館の袋を女子社員に渡しては、その場で「開けてみて」。経理のSさんは木の葉みたいなストラップだった。私は、観音様の手。小さな玉を握った御手、御利益がありそう!すごく運が良かったみたいで、嬉しかった〜(^_^;
 ・・・・しかしiShotじゃ解像度粗くて何が何だかわからないわね・・・・

さて、今日は早速台湾から発注があり、台湾出張の成果は上々といったところ。今回は某団体の大幹部にあたる方々を主に相手にビジネスの話を進めてきたそうで、お年頃から、ほとんどの方が日本語がぺらぺら。今日入った発注も全員日本語が読める方ばかりなので、それぞれの人にお手紙をつけるようにと指示。
私も日本語で書いてよろしいということなので、気が楽だ。

会社からの手紙と思って書いたら、代表取締役○○○○と名前をいれるようにとのこと。
大変失礼しました。ちょっと文面直しました〜>社長



2003年11月11日(火)
見て見ぬ振りの仕事再開?

数日前から、社内業務ルールの変更がありそうな雰囲気。
そうなると、現行システムではどう考えても対応しきれない。業務部責任者のEさんは、出来る範囲で手計算でやるしかない、と悲壮な覚悟?を決めているようだが、そろそろ、ソフトハウスM社のY社長にお越し願わなければならないんじゃないだろうか。

開発費の支払も先月末ですべて払い終えた。その点でもうM社に文句は無いだろう。耳をそろえて払ったのだから。残る問題は保守契約(M社の言葉では「業務支援サポート契約」)に入らないでいることなのだ。社長はもうY氏に世話になりたくないというのが本音。しかし、そういう個人的な感情でどうこうできる中身じゃないだろう・・・・( ̄_ ̄;)

今日、保守契約の提案書、見積書をコピーしてジュニアに渡した。現在発生しているC社のネットシステムの不具合も、たとえば、リモート管理というメニューでカバーできるなど、具体的に中身を説明する。事前に内容を把握しておいてもらって、社長の機嫌の良い時にでもジュニアから話してもらい、何とか契約にこぎ着けたい!

そうでなければ、第2フェイズはおろか、第1フェイズの修正、追加もままならないのだから。

それにしても保守で月々、H社16万円、C社8万円。それだけのことをちゃんとしてくれるんでしょうね>Yさん!

今日は、開発業務の再開に備えて、関連資料の整理、もう一度読み直すなどして、何とか勘を取り戻そうとしているところ。それにしても量が多い!



2003年11月10日(月)
去る人の姿

一度ネガティブになってしまった人の気持ちを立て直すのは容易ではない。
今日で退社するA嬢を見ていると、会社に悪感情すら抱いているようで、全身で他人とのコミュニケーションを拒否しているように見える。
この会社に入社を希望して送られてきた履歴書には「私が接する全ての人に好感を持っていただけるよう努力します」「感謝されるよりも、逆に感謝する日々を送りたいと願っています」と書いてきたA嬢である。
今となってはその言葉がむなしい。

彼女は、この夏、ちょっとしたコミュニケーションエラーをきっかけとして、回りとの意志の疎通が図れなくなってしまった。本人自身の態度も時に最悪になった。客観的に見て、常軌を逸した行動や言動もあった。そんなことがあると、勢い、他の社員は近づきがたくなり、特に必要が無い限りは話しかけることもなくなってしまう。こうなると悪循環だ。
しかし、彼女はそれをこのように表現する。
「自分が会社にもの申しても、取り合ってもらえないどころか、無視されるなどの嫌がらせを受けた。」

具体的に何をもの申したのかは知らない。おそらく誤解を受けるような対応をした会社も悪いのだろう。確かに小さなオーナー会社。閉鎖的、といえば閉鎖的だし、社員が何を言っても社長の気分次第でまじめに取り合わない部分も無きにしもあらずだ。
しかし、本人の認識も偏っているような気がしてならない。

A嬢と同じ年頃の経理担当者が私に言った。「(彼女がここにいることを)我慢するのもあと数時間だから。」と。
きっとA嬢も同じように思っているに違いない。
何と残念な結果になってしまったことか。



2003年11月07日(金)
暗雲たちこめる?台湾行き

社長がマイレージで台湾行きのチケットを取ったことは昨日書いた。
しかし、先ほど当の社長から電話。時間が14時だとばかり思っていたので、乗り遅れてしまった、とのこと。晴天の霹靂!ぎょえ〜〜〜〜!!実際に予約を入れていた便は10時45分発。なんでだ〜〜!?

そういえば、昨日「明日2時の便で行ってきます」と社長は言っていて変だな〜とは思ったが確かめなかった私がバカだった。言い間違いなんかじゃなくホントに2時だと思いこんでいたのだ。あああああああ∫(TOT)∫

仕方がないので、社長本人と私と両方でANAの特典予約デスクに電話すること約10分。(電話がいっぱいで全然つながらないのだ)社長の方が先に電話がつながり、結果は、変更することはできたが、マイレージではもういっぱいで片道10万円くらいかかると言われたとのこと。がるるるるる〜〜〜!!!

予約は取れているので、こうなった上は格安チケットが買えればそれを買うしかない!社長の現在地から近いチケットショップの電話番号を探しだし伝えたのだが、果たして買えたのだろうか。それにしても何だかケチがついてしまった台湾行き。
私がもっと注意深くしていれば、こんなことにはならなかったのに。あああ。本当に悔やまれる。。。。。。ぐぐぐぐぐぐ。

それにしても。
こういうときにも怒らず騒がず最善の方法をみつけようとする社長。いつもながら申し訳なく頭が下がる思い。至らない秘書で本当に本当に、本当に申し訳ない。



2003年11月06日(木)
台湾進出?

午前中は、暇暇暇〜〜!!と思っていたら、午後から意外な展開に。
明日から社長が台湾に出張。台湾絡みの会議になぜか私も出るように、と。

事の発端は日本でH社の特約店を長くされているS氏。彼はとある団体に属していて、その国際的な関わりの中から今回の台湾進出話があったと聞く。しかも、もう数年前から話だけはあって、このほどやっと実現の運びとなったとか。
何しろ基盤はもうある大きな団体だ。 国際的に有力な特約店が生まれるかも知れない。今は何とでも言える“捕らぬ狸の皮算用”の時期。社長もニコニコだ。夢が膨らむこういうときが一番幸せなのよね(笑)最初は個人輸入、並行輸入レベルだろうけれど、規模が大きくなってきたら、場合によっては現地法人を設立し、台湾仕様の製品を作って安く売る努力をする、と壮大な夢を描く。
台湾行きに社長はANAのマイレージで飛行機を取ったが、S氏は格安チケット、中華航空の往復29000円だそうだ!沖縄に行くより安い!それを聞いて、今後発注があったときに、Sさんが荷物運びした方が安いんじゃないの?と冗談が飛び出すほど、社長は上機嫌だった。

某団体の有力者に会ってつなぎをつけてくる今回の台湾出張。あれだけ海外を飛び回っている社長も台湾は今度が初めてだそうだ。少しは観光もしてくるのかな。

それにしても、なぜ私が会議に呼ばれたのかやっぱり分からなかった(^◇^;)



2003年11月05日(水)
法務関係の仕事

社長が持っている会社は、D・H・Cの3社である(どこかの健康食品の会社ではない(^_^;))。私はH社の社長秘書だが、同時にD社とC社の社長秘書も兼ねるというのが暗黙の了解。結局3社に関わる業務で、どこにも引き取り手のないお仕事・・・人事、法務、総務などなどが私の仕事としてやってくる。

今日は法務関連の仕事、役員の任期満了時期を迎えて役員変更登記である。

役員の任期は2年と定められているので、下手をすると毎年3社のうちどれかに役員変更登記が発生する。
そこで、来年、C社の役員をいったん全員辞任させて新たに就任させることで、他の2社と任期を合わせることを計画した。もっと早くやっていれば良かったのだが、私も勉強しながらやっとこさ書類を作るのに慣れたところ。本当は司法書士事務所に頼むべき内容なのだろうが、その経費を節約する社長(__;)

というのも、少し前のこと、○月○日に○百万円、○月○日に更に○百万円、H社の増資をするから、書類用意しておいて、といきなり指示されたことがあった。何を言われても「はい。かしこまりました。」と涼しい顔をして受けるのが身上の私。でも、本当のところあのときは困った!通常の役員変更ならまだしも、増資だって?!商業登記の参考書を買い込んでにわか勉強。でも結局全部一人で準備して、増資が無事に終了したぞ。

それですっかり社長は気をよくしてしまい、以来、法務局に出す書類は全部社内でできると思ってしまった(ちょっと失敗だったかな(笑))。そんなわけで、社名変更だの改印届けだの、次から次へと色々あったが、みんなここ社長室で処理してきた。

手間がかかったのは、D社の役員変更登記だ。過去にさかのぼること十数年、役員変更登記を全くやっていなかったのだ。私がこの会社に採用される前数年間秘書無し状態だったそうだからD社も放っておかれたのだ。幸いS区にある法務局の方が親切で、ていねいにご指導くださり、何とか登記することができた。
その話を知り合いの司法書士さんに話したら、あとの追徴金が恐いですね〜といわれたが、実際、ものすごい額の請求書(?)が届いたらしい。
以後、忘れず登記しよう、というのが社長の気持ちの中で大きくなった。なのに、この5月にC社の登記を忘れた私。ごめんなさい!>社長。これから忘れないために、向こう10年間の登記スケジュールを作って壁に貼りました。

さて、C社である。一昨年大幅に役員変更をしたので(ジュニアも役員!)、今回は全員重任だ。このほど監査役の任期が4年に延長されたのも嬉しい。これで、監査役の記述は2回に1回で済む!社長は、「小さい会社は役員なんてそうそう変わるものじゃないのだから変わったときだけ届け出るようにすればいいのに」といつもと同じ不満を口にする。何か理由があって毎回登録を義務づけているのだろうけど、その理由ってどんなものなんだろう。勉強して社長に教えなくちゃ(笑)



2003年11月04日(火)
やっと出店決まる

前回却下されたヤフーショッピングの出店。C社のサイトリニューアル後すぐリターンマッチ。そして連休明けの今日、ヤフー担当者から、やっと(!)出店が確定したとメールが届く!
長かったこれまでの道のり!

先週、ヤフーショッピングの審査担当者から、この表現がなければOKですが、と内々に連絡が入った。即、該当表現をサイトから削除したりして(ものすごく素早い対応!)、こちらとしても最大限努力している姿を見せて勝ち取った出店だ。いくつかのアフィリエイトプログラムにも登録し、複数の女性ポータルサイトと提携するなど、ネット上での認知度を上げていくべく、徐々にだが、着実に進んでいる。

さて、C社、H社ともに大手のショッピングサイトへの出店は初めてだ。担当者はもちろんMさんである。これから研修などがあるようだが、それらもすべて彼女に行ってもらうことになる。
さて次なる段階はヤフー本体への登録だ。

業務部受注担当のAさんが退社するにあたり、ハローワークを通じて募集をかけた。一般事務という職種に関しては反応は早い。もうすでに6件ほど応募があった。社長は今週後半から来週前半にかけて海外出張が入っているため、面談は来週後半以降になった。

さて、今日は午前中半休を取って先日の病院に検査の結果を聞きにいった。幸い大事にはならず、これからも1年に一度は精密検査を受けるよう勧められて帰ってきた。私事とはいえ、少なからず心に引っかかっていた心配事が一つなくなりほっとした。やはり何をするにも健康が第一だものね。