ケイケイの映画日記
目次過去未来


2012年09月30日(日) 「わたしたちの宣戦布告」




日本公開が決まる前から心待ちにしていた作品。馳走感溢れるポップなこのポスター、素敵でしょ?しかし題材は難病の我が子を得た若いカップルのお話なんです。監督・脚本・主演の三役を務めるヴァレリー・ドンゼッリの実体験を元に作られた作品。相手役は当時のパートナーで、子供の父親でもあるジェレミー・エルカイム。脚本も共同なので、描き方が非常にリアルで感心しました。泣かせる作りではないのに、子育て経験のある者として、あちこちで泣きじゃくってしまいました。秀作です。

パリ。ロメオ(ジェレミー・エルカイム)とジュリエット(ヴェレリー・ドンゼッリ)は、一目で恋に落ちたカップルです。生い立ちも家庭環境も違う二人ですが、やがて同棲が始まり可愛い息子アダムを授かります。しかし発育の遅れるアダムを病院に連れていくと、脳腫瘍の疑いがあると言われます。

冒頭の二人の出会いからテンポ良く進む、既にポスターで感じた、カラフルで馳走感たっぷりのラブリーな様子が描かれます。そして出産。両方の実家かれ祝福され、援助も受けるなど順風満帆な中での子育ては、ずっと幸せが続くかのように、誰もが感じるはず。そんな中で始終泣き続ける息子に参ってしまい、若い両親が諍う様子もちゃんと挿入。私のように通り過ぎた者からしたら、とても微笑ましいです。

アダムの病気は手術は出来るものの、予断を許さない性質の病気です。私が感心したのは、その描き方。映画の中の難病もので、私は当事者以外できちんと親兄弟が描かれたのを観た記憶がないのです。この作品は、当然のように両方の実家に報告するカップルが描かれ、手伝いを乞い感謝もします。病気に立ち向かうには、とにかく人手が要るものです。孫・甥の病に対して一喜一憂する両家の人々の姿は、きっと観客にも、どこかで覚えがあるはず。これは監督自身、子供の病気を得て、家族の繋がりや親への感謝を身に沁みて実感したから、描いたのだと思いました。

そこそこ腕の良い医師を必ず紹介してもらえるマルセイユで手術するか、その道の「神の手」である医師に診てもらえる、僅かな可能性を求めて自宅のあるパリで手術するか?この場面の家族会議が秀逸。二人だけで煮詰まらないで、姑も交えて会議し、ジュリエットは自分の我を通しません。これは中々出来るものではないです。

ジュリエットが過敏になればロメオが諌め、ロメオが疲弊すればジュリエットが慰める。ベストな間柄です。時には子供を預けてパーティーへも出かける二人。しかしお互い見つめ合う目には涙が。息抜きはしても、片時もアダムを忘れられないのです。看病には体力だ!とばかり、二人で体力作りをする場面もいじらしく感じました。

ユーモアや若々しさ、時には幼さも含めて実生活を曝け出したように見えるふたり。しかしこのカップルは、映画でも実生活でも、のちに別れています。口論や激しい諍いは映していません。それは「何故僕たちにこのような事が起こったのだろう?」「それは私たちだったら、乗り越えられるからよ」。このセリフのために、この作品は作られたのじゃないかしら?二人はアダムの父と母として最善を尽くしたいため、意見の違いから人として絶交する前に、男女のパートナーは解消したのだと思いました。だから喧嘩の場面は描きたくなかったんじゃないかなぁ。

この作品は、子供の難病だけではなく、色んな苦境に苛まれた人々に対してのエールだと感じました。どんな壮絶な苦境にも、笑いと愛はあるものです。その瞬間を感謝して、前に進めばいいんですね。

余談ですが、ヴァレリーとジェレミーのカップルは、またくっついたんですと。もしかしたらこの作品が契機かも?映画を観た後だと、素直に良かったと思います。事実は映画より奇なり。


2012年09月27日(木) 「ロック・オブ・エイジズ」

キャ〜キャ〜、愛してるわトムちん!時代は1987年のLAが舞台のロックミュージカルです。ロックは大好きなれど、主に70年代中心に聞いていた私は、ギリギリ80年初頭くらいしか記憶にござらん。サントラの曲目を見ても、フォリナーとジャーニーと「アイラブ・ロックンロール」他、少ししかわからん。と言う事で、ノレるのかヲレ?と危惧しておりましたが、ノープロブレム!冒頭からノリノリ、トムちん登場くらいからは熱狂しまくり、以降スピードダウンすることなく、ラストまで突っ走りました。誰もいなかったら、きっとスタンディングしてたなぁ、いやしたかった!監督はアダム・シャンクマン。元はブロードウェー・ミュージカルです。

田舎町からシンガーを目指してLAにやってきたシェリー(ジュリアン・ハフ)。ひょんな事からバンドデビューを夢見るドリュー(ディエゴ・ボネータ)と知り合います。ドリューは伝説のライブハウス「バーボン・ルーム」でアルバイト中。経営者のデニス(アレック・ボールドウィン)にシェリーをウェイトレスにどうか?と紹介し、彼女も「バーボンハウス」で働く事に。お互いに意識するようになった二人はやがて恋仲に。しかしロック界の頂点に立つステイシーが「バーボンハウス」に出演した頃から、二人に亀裂が入ります。

はっきり言って内容はペラい。しかしチャラくはないのだよ!古臭い青春ものなれど、描き方は本格的かつゴージャスなんですよ。主演の二人は若くて可愛いけれど、適度に芋っぽいところに田舎から出てきた感がよく出ています。しかしこの素朴な若い子たちが歌い出すと雰囲気が一変、めちゃくちゃカッコよく見えるのだわ。とても好感を持ちました。二人ともシンガーとしての実績ありらしく、その点でもキャスティングされたのでしょう。

知名度の低い主役に対して、脇は狡猾なステイシーのマネージャーにポール・ジアマッティ、ロック撲滅運動に執念を燃やす議員婦人にキャサリン・ゼッタ・ジョーンズ、一生不良のロックンロール親父デニスにアレック・ボールドウィン、デニスの相棒ロニーにラッセル・ブランドなどなど、芸達者を集めて、気合の入った歌と踊りを見せてくれます。特にアレック&ラッセルのパートは抱腹絶倒で見もの。でもアレック・ボールドウィンがあんなに歌えるなんて、知らなかったわ。後述のトムを含めて、脇がしっかり支えたのが勝因ですね。




低音の魅力を生かしたキャサリン姐さんも、オスカー受賞の「シカゴ」で実証済みのキレのいい歌と踊りを見せてくれます。ビッチでゴージャスな彼女が、保守派の猛烈主婦なんて似合わないと思っていましたが、やっぱそうか〜と、ラストはお堅いスーツもお着替えしています。ところで彼女、夫のマイケル・ダグラスが癌の折り、懸命に看病して回復に至ったと聞いています。その代償のように妻が欝になり、それから双極性感情障害になって、入院経験もありのはず。この常にハイテンションの役はしんどくなかったかな?と、観ていて少々心配になるほど。しかし見事なコメディエンヌぶりで、すごく楽しそうに演じていたのは、さすがプロだと感心しました。

そして!トム〜!歌はアクセル・ローズだかジョン・ボンジョビだか、まぁどっちでもいいわ。直接指導を受けたそうで、堂々のロックンローラーぶり。いやホント、マジでライブシーンなんか嬌声上げたくなっちゃった。歌は上手かったけど、ハイトーンの声は綺麗なんだけど、若干細い。なのでシャウト系の歌では少々粗を感じますが、ちょっとスローなラストのジャーニーの「Don’t Stop Believin」では聞き惚れました。

でね、フェロモン出しまくりで、横を通るだけでどんな女性も失神するほどの破壊力を持ちながら、孤独を背負った裸の王様がトムの役。癒すためのアルコールとグルーピーのお姉ちゃんとの酒池肉林に溺れ、ショービズの汚濁の中で傷ついた心もわからなくなっているステイシー。落日は遠からずの現在です。この役ね、きっとブラピでもジョニデでも、好漢ヒュー・ジャックマンでもソツなくこなすと思う。ヒューなんか歌上手いしなぁ。でもね、ステイシーのゴージャスさと痛ましさを見事に共存させられるのは、トムしかいないと思いません?奇行と三度の結婚と離婚を繰り返し、それでも最後のハリウッドスターと呼ばれ、白い歯を見せながら演じ続けるトム。スキャンダル上等だよ、それがハリウッドやロックの大スターってもんですよ。この作品でも、半ケツ姿や、ロッカーお約束の上半身裸のため、しっかり体も作ってます。見よ、上の画像!今年50と思えば、本当に立派だと思うわ。あんなに舌だして素敵なのは、トムちんの他にはジーン・シモンズだけだよ

名声が欲しければ、愛は得られないと言うのが、マネージャーの言葉。そんなこたァない!と言わんばかりのラストのハッピーエンドが超嬉しいです。「パイレーツ・オブ・ロック」は60年代、今作は80年代と、70年代後半に聴きまくっていた私でも、両方すごく楽しめたのは、ロックは永遠不滅だと言う事だね。

ジャーニーの曲が二曲かかり、そうだ、スティーブ・ペリーが休養したとこまで覚えているけど、どうなったのかな?とウィキで検索したら、色々彼も苦労したんだなぁと感慨深かったです。私が子育てで大変な時、ふと観た夜中のMTVで流れていたのが、ジューダス・プリーストの「ジョニー・B・グッド」でした。アレンジし過ぎて原曲がわからなくなった代物は、私より年上の彼らがまだロックンロールしている、シャウトしてるんだ、老け込んじゃダメ!と目が覚める思いでした。KISSだって、まだお化粧してロンドンブーツ履いてるじゃないか。私も頑張らなきゃ。次は70年代のロックショー映画が絶対観たいよ。その前にこの作品もう一度観て、ラストは拍手してきます。


2012年09月23日(日) 「籠の中の乙女」

 2009年度カンヌ映画祭「ある視点」部門受賞作品。アカデミー外国映画賞にも、ノミネートされたギリシャの映画です。清楚かつクラシックな題名と反語するようなR18指定に食指が動き、観てきました。全編ブラックな笑いに包囲されつつ、謎がいっぱいの作り。はっきりとは描いていないのですね。普通に観てたら、ただのマジ〇チ家族のホームドラマです。それだけでは余りに勿体ない面白さだったので、今回全編ネタバレで検証したく思います。監督はヨルゴス・ランティス。

プールや森のような庭のある大邸宅に住む富豪家族。構成は両親と長男・長女・次女。しかし家を出られるのは父親だけ。両親は家の外は汚らわしく恐ろしいものだらけと子供たちに教え、学校にも行かせず、一歩も外に出さずに育てていました。従順に育った子供たちは親の言いつけを守っていましたが、年頃になった長男の性処理のため、クリスティーナと言う女性を父が連れて来た事から、子供たちに変化が起こります。

「高速道路」は「強い風」、「お電話」は「塩」など、全くめちゃくちゃな単語の意味を学ぶ兄弟の姿が冒頭で映されます。奇妙さ全開。俗世間の物は存在を教えたくないのでしょう。その後の子供たちが遊ぶ様子も、熱湯に指を入れて誰が最後まで持ちこたえるか、クロロフィルムを嗅いで、どちらが先に目覚めるかと言った類の、身体痛めつけ系。人形の手足をハサミで切りながら、「キャー!」と自ら絶叫する次女には笑いが止まらず(注;私がです)。親には従順でも、心はまともに育ってねーよ感が満載です。

クリスティーナは娼婦ではなく、父の会社のセキュリティ担当員。アルバイトで連れてきています。長男と引き合わせるも、全裸になりいきなり挿入でびっくり。エロスもお楽しみ感も全くなく、まるで「健康のため」のエクソサイズみたい。下界の風を吹き込むクリスティーナに、姉妹は興味津々。お洒落や外の生活のことを、彼女から聞き出そうとします。

クリスティーヌは「エクソサイズ」を重ねて姉妹と打ち解けてくると、自分の持ち物と交換を条件に、何と長女にクンニを要求。従う長女。あんな排泄行為みたいなセックスじゃ、火がついた体を持て余したのでしょう。だからってアンタも変態だよ、クリスティーナ。それにも増して、素直に応じる長女にも愕然。これも無菌室子育ての弊害か?

セックスなのですが、結構いい年の両親、60歳前後くらいでしょうか?この人たちも、イヤホンで音楽を聴きながらセックスしています(年が年なので、映されるとエロではなくグロ)。またまた挿入だけ。同じ年頃なのに、姉妹の性には無頓着で、長男のみ特別扱いなど、ギリシャではまだ男尊女卑的思考があるのかと感じます。

「妊娠したいわ。それも双子。犬も欲しい」と母。えぇぇ!あんた閉経まだだったの?そして妻の願いを「喜んで」聞き入れる夫は、「お母さんはもうじき双子と犬を産む」と子供たちに宣言します。えぇぇぇ!お父さん!えぇぇぇぇ!犬を「産む」って・・・(茫然)。

壁の外を意識してぶつぶつ喋る長男、おやつをくすねて、壁の外に投げる長女。下界へ意識が向きだした子供たちに、外に出るとこんなに怖い目に合うぞ〜と、狂言で血だらけの怪我を装う父。「外に行った親戚も・・・」みたいな台詞。「兄弟」だっけ?もしかしたら、この子たちは誘拐されて来た子なんじゃないか?と推測しました。その時の長女の台詞は、「きっと生きてくれると信じていたのに!」みたいな言葉。だから外の人のため、食べ物を投げたんですね。これは逃げ出した人の事を意味する思いました。だから60くらいでも「産める」のでしょう。無菌室子育ては、実は拉致監禁じゃないのかな?

だいたいこの子たち、名前がないのです。年齢もだいぶいってそうなのに、似つかわしくないティーンのような服装で、年齢の順番もわかりにくい。「お母さんは?」と言う問いに、また「部屋で独り言を言っている」と言う姉妹の会話がありました。多分精神疾患があるのでしょう。子供を亡くしていて、そこから妻の妄想が始まり、夫は愛する妻の願いを叶えるべく、偽装の家庭を築いてきたのかと思いました。

クリスティーナのせいで、下界への興味が止まらない長女。クンニを要求した事を父にばらすと脅し、ビデオテープをゲット。スクリーンには画面は全く映りません。何度も繰り返し見たのでしょう、長女が口真似で言うセリフから、映画は「ロッキー」「ジョーズ」だとわかります。この辺は私のような中高年しかわからんか。テープは三本あり、両親の結婚記念日に珍妙なダンスを踊る長女の様子から、もしかしたら「フラッシュ・ダンス」か?と思いましたが、これも当たっているようです。

映画(それもハリウッド大娯楽作)が決定打で、外へ出る決心をする長女。その様子がまた壮絶で。親が犬歯が抜けたら親から自立だと言うので、自分で折っちゃう。石で(ひえぇぇぇ!)。この子はどうも暴力的なところがあって、自分の欲望には例え血をみても突き進もうとするきらいがあります。

そして映画の原題の意味は「犬歯」。犬の鳴き真似を防犯訓練だと称して家族に強いる父や、訓練に出されている本当の犬がいて、如何に訓練が大事がを描いているので、「犬」はキーワードなのでしょう。父の家族を愛する気持ちは、大層歪ですが、これだけ労力掛けて手を掛けているところを観ると、彼なりに真実なのでしょう。だから犬と人間を混同して、犬のように愛しているって事か?クリスティーナに後背位を要求する長男は、「お父さんには言わないで」と懇願します。これはただのユーモアなのか?ジョン・ヒューストンの「天地創造」で、人類が人間として確立するまでは、性の営みは後背位ばかりだったのが、人間として成熟してくると、正常位となったシーンがありました。犬のような愛情で育てたから、犬みたいな恰好が好きだって事?でもそののち、長女とのセックスのシーンではまた正常位。二人は一応姉弟で、これも「犬並み」って事か?この辺は一応咀嚼出来ても、自信なし。

家を飛び出す長女は、外に出るのに父の車のトランクに入ります。家族が邸宅銃を探しまわるも見つからず。長女の代わりか、明日「犬」を連れてくると言う父。父の会社の前で車は停車し、その車を映して映画はエンド。BGMもなく、それだけ。へっ?「出して〜!」と長女はアクションも起こさない。監督、どうしたらいいんですか?勝手に想像してね、と言う事ですか?

という事で、ない頭をしぼる。例えばこの家族が本当に血がつながっているとしても、このような子育ては自我の目覚めを潰し、無菌状態は返って菌に対しての抵抗力を弱くする。幼稚園くらいから社会性を身に着けさせれば、あの子たちのような歪な性格にはならない。子供とペットと同じにしたら、あかんよ。だから長女は飛び出しても、どうリアクションしたらいいかわからんと言う、反抗だけして生命力に欠ける子になったのよ。このマジ○チ家族の崩壊は、案外普通の家庭でもやってることじゃなかろうか?

と言う結論に至りました(全然自信なし)。私のレビューじゃわかりにくいですが、とにかく笑えました。でも笑えない人も確実にいる作品。なので我こそはブラックユーモアを愛する者、と自認する方だけにお勧めします。カンヌが如何にも好きそうな作品です。




2012年09月17日(月) 「鍵泥棒のメソッド」

「運命じゃない人」「アフタースクール」の、内田けんじ監督作品。前二作も騙されて爽快の作品でしたが、今回は時空をいじって本当はこうでした、系ではありません。騙すのではなく、小見出しに出して行き、あぁそうだったのか!と、大いに納得させられる作品。脚本も監督自身。今回もストーリーは伏線バッチリ、綿密で全く隙がありません。観た後、心がほのぼのして、監督の作品では私がこれが一番好きです。

35歳の売れない役者桜井(堺雅人)。安アパートで自殺を図ったものの、死にきれず。銭湯のチケットがあったため、気を取り直して出かけて行きます。しかしそこの現れたのが伝説の殺し屋コンドウ(香川照之)。入浴しに来ただけですが、運悪く転んでしまい気を失います。コンドウの羽振りの良さを目にしていた桜井は、咄嗟に自分の鍵とを入れ替えます。記憶をなくしたコンドウは、自分を桜井だと思い込み、桜井はコンドウの素性を知り仰天。そこへ婚活中の雑誌編集長の佳苗(広末涼子)が絡んで行きます。

冒頭、生真面目で融通が利かなさそう香苗の描写が出てきます。いわく12月に結婚する事に決めた、でも相手がまだいない。色々婚活中だが、良い相手がいれば紹介してくれと、部下に頭を下げる始末。えぇぇぇ!何なんだこの人、ちょっと変わり者なのか?と仰天していたら、部下たちは拍手で応援を約束。会社ごと変わっているんだ・・・と、ただのユーモラスな描写だと思っていたら、後で二重三重の仕掛けが待っていましてよ。これが泣かせるのだなぁ。

ただ、以前の監督なら、これ全てオチに向けての仕掛けでした。ところが今回の仕掛けは、ヘタレに見えたり非情な切れ者に思えた人たちの、別の姿を描写する前振りだったんですね。人間とは多面性の生き物、視点をずらしたり変えたりすると、違う姿が見えると言う次第。今回は小見出しに彼らの善き姿を出していくので、知らぬ間に三人に好感を抱いてしまいます。今回はそういった人物描写に割く部分が多く、いつもながらのパズルの組み合わせだけではなく、面白い筋だけではなく、監督は人を描こうとしていると感じます。

人を描けば、結局は人生になるのよね。好いた惚れた、愛だ家庭だ結婚だの、平凡な人並みの生活には、人生の喜怒哀楽がいっぱい詰まっています。そして潤いも。クスクス、時にはゲラゲラ笑いながら、しっかりそれを実感します。

前二作は、後から後から情報が溢れ出して、あっという間にパズルが埋まってい感じでしたが、上手いかわし方だ、えぇ〜、ダメなの?ああそうくるのか、ひえぇぇ〜!と、今回は順序よくドンデン返ししてくれるので、伏線発見もとっても早いです。ユーモアとスリルの共存が、とても良い配分です。

広末涼子は、スキャンダラスな私生活がよく取りざたされて、離婚経験もある二時のママですが、それなりの年齢になっても、透明感とお嬢さんっぽさを持ち合わせている人です。それがとても生かされていて、ベストキャスティング。堺雅人と香川照之も、相変わらず手堅いです。特に香川照之は、今回渋いを通り越して、苦味のある表情がすごーく素敵でした。森口瑤子は今回老けてたんだよなー。だから安心していたけど、最後はやっぱ若返ってました(以下自粛)。

内田監督は、こんな丹念で綿密な作品を撮れる人だから、賢いに決まってるんですが、それを全然ひけらかさない、誰もが楽しめる敷居が低く、かつ優秀な娯楽作を作る人です。今回は監督のそういう人柄までまで感じさせる作品でした。これからも大いに期待しています。死ぬまで追いかけるよ!


2012年09月15日(土) 「夢売るふたり」




う〜ん・・・。感想書く前に、ちょっとお友達各位とネットお話してしまったのでね、少し上向く感想になってきましたが、秀作なれど、基本的には好きではない作品。監督は西川美和。今回全編ネタバレ、すごく長くなるかも?

東京の片隅で居酒屋を営む貫也(阿部サダヲ)里子(松たか子)夫妻。順調にいっていた店は、失火から火事となり廃業へ。一瞬の事でした。ふとした情事で、店の常連客玲子(鈴木砂羽)から大金を受け取った貫也は、大金の言い訳が通じず、里子に浮気がバレてしまいます。しかし里子は、その事から、夫婦で結婚詐欺をして、新しい店の準備金にすることを思いつきます。

相変わらず監督は人物描写が際立って上手い。餌食にされるのは、嫁き遅れのOL咲月(田中麗奈)、容姿に恵まれない重量挙げ選手ひとみ(江原由夏)、男運のないデリヘル嬢紀代(安藤玉恵)、シングルマザーの滝子(木村多江)など。そのどれもがくっきり内面まで浮かんできます。

しかしこの四人が描かれるのは良いのですが、その他にも騙した女はがたっくさん。ちょっとちょっと、これはないでしょう。いくら事実は小説より奇なりと言っても、夜は料亭や居酒屋で働き、同時進行でこれだけたぶらかすのは、時間的に無理ではないですか?結婚詐欺師は容姿端麗より、安心させる容貌の方が上手く行くと言ったってなぁ。ほとんどの女が、逃げられても騙された事も気づかずという高等技術。いくら現在の苦境を膨らませて取り入るったって、ど素人ですよ?まずここで疑問その1。四人だけで良かったと思います。

前半の里子は、甲斐甲斐しく夫の店を切り盛りし、廃業後はラーメン店で働き家計を支えています。対する夫はと言うと、失意から立ち直れず飲んだくれています。あげくは落ち度のない妻に難癖付けて管を巻く始末。それでも健気に夫を支える里子。愛しているのですね。だから夫が家の洗剤と違う香りの服を着て帰るだけで、浮気がわかるのでしょう。でも玲子からもらったお札燃やすか?あれは300万は下りません。

玲子が燃やすならわかるのです。仕事を持ちキャリアもあり、お金にも困っていそうにない。年齢も行き格の上がった自分に見合う男は、周りを見渡せば、仕事の出来る妻子持ちの上司しかいなかったのでしょうね。こんな手切れ金紛いの形で、終わりが来るとは思っていなかったでしょう。しかし彼女はそのお金を燃やさず、店の再興に役立てて欲しいと、貫也に渡します。「奥さん大事にしてね」の一言を添えて。厄払いだけではなく、上司との思い出でもあるお金を、彼女なりに有意義に使いたいという、真心もあったと思います。

このシーンの前にね、貫也が満面の笑みで里子の元に帰るシーンが良かった。その前はネチネチ妻に管巻いて、いっそ俺と別れた方がいいのだとか言いながら、お金が出来たらころっと豹変。夫とはこんな風に、いつも自分の甲斐性を気にしているのですね。それは妻がいればこそですよ。よその女と寝てきたのに、早く妻に会いたくて仕様がない様子で、妻への愛がわかるのです。浮気で妻への愛を表現出来るのかと、唸りました。


里子は火事の時自分たちを助けてくれた知人が、そのため入院。保険金はほとんどそちらに回っているようです。このお金は、短絡的に夫が女と寝ただけの代償ではないと、彼女はわかるはず。燃やし始めて、はたとここから結婚詐欺を思いつきますが、思いつかなかったら、あれ全部燃やしてたのかな?彼女が直情型の人間であると表しているのだと思いますが、やっぱり腑に落ちません。疑問その2。

里子が先導で詐欺を働くふたり。このお金は寂しさを託つ女性たちを喜ばしたお礼に、ひと時だけ借りただけ。借用書も書いてあるし、後で返済する気もあるので、ふたりには全く罪悪感がありません。本当はとんでもない事をしでかしているのはわかっているのですが、その真意には蓋をしているのですね。この辺の少しコミカルな演出は面白いです。

しかし歪な生活は心も歪にするもの。夫婦の心はすれ違い始めます。里子が捕まえてきた「獲物」のひとみは、かなりのおデブ。兄と称して貫也に会わせます。ひたむきで純粋なひとみとの会話が弾む貫也。妻として嫉妬する里子。そこで出た言葉は、「今回は止めよう。いい子だけど、私が男ならあれじゃあ・・・」でした。ひとみには、それしか欠点はないからです。ひとみの容姿を蔑む妻を、今度は夫が非難する。本当の気持ちが言えず、悪意のある言葉でしか表現出来ない里子。女って素直じゃないと損なのよ。素直なふりでもいい。男は気前よく騙されてくれるはずだから。この時の不器用な里子の心を、松たか子はとても上手く表現していたと思います。

ここから以降、里子の援護射撃なしに、ひとりで「獲物」を捕獲していく貫也。まるで天性の詐欺師のよう。意図しない夫の行動に、里子は徐々に狼狽し始めます。家で自分で自分の体を慰める里子は、「仕事」のため、夫とセックスはなかったのでしょう。う〜ん。でも妻とも出来ると思うけどな?それとも二人の共通の夢である新しい店を出店させるまで、願掛けしているとか?私が里子なら、一番愛されているのはやっぱり自分だと確認して確信したいです。なのでここは疑問ではなく違和感。

二人が喧嘩する場面で、貫也が里子に「お前は今まで好きな事もせず我慢していた。自由きままに暮らす女が憎くて、俺にこんなことをさせているのだろう。だから今のお前は一番いい顔している」と言うのも、私はあまり咀嚼出来ませんでした。だっていい顔なんか、してなかったもん。素直に自分の気持ちが出せず、夫は他の女と寝て自分は自慰をし、子供もまだ作れず、どん底の精神状態を乖離して、目標のため虎視眈々と作り笑顔で朝から晩まで働いて。そんな「しょうもないこと」で、いい顔なんか出来るかな?

そして貫也の方も、ひとみの窮状に悲嘆したり、紀代に感情移入したりと、そんなんじゃ心が持たないと思うけどなぁ。素人なら素人なりの苦悩があっていいはずですから、これはこれでいいのですけど、どんどん詐欺師っぷりに磨きがかかる様子と、ちぐはぐな気が。詐欺を重ねると、もっと神経も感受性も鈍麻するはずです。

で、最大の疑問は滝子。あんな短時間で、身元のはっきりしている親と同居のシングルマザーが、実の父親ともども陥落するか?どこの馬の骨かわからない男を、出会って間もなく家に泊めたり、家業を継がす事を匂わすような事しますかね?確かに「シングルマザーは寂しさより時間が欲しいんだよ。だからそこを狙うんだ」と、料理を運ぶ貫也は正しいんでしょう。でもこれはないわ。いくら子供がなついていると言ったって、これはないわ。実家に泊まると言う事は親公認ですよ。時間が短すぎる。滝子と短時間で出来ちゃって、親は知らないと言うなら、わかるんですが。最大の疑問3。

まぁこれは子供が鶴瓶を刺すために用意されたプロットなのでしょうけど。でも私はやっぱり子供、それも年端の行かない幼稚園くらいの子を、作品のオチをつけるため、包丁で人を刺すような演出は嫌です。そしてラストに笑顔で自転車に乗る母と息子。これを映画友達の方に嫌だと言うと、「そう言う時もあるはずだから、そこを切り取った」と教えてもらいました。でもそれは私は違うと思う。このくらいの子が人を刺す、それは奈落の底に落ちてしまう程のショックのはずです。事と次第では小児精神科にかかるかも知れない。なので当分あの母子には、呑気な笑顔なんてないんですよ。だから、罪は貫也が被っても、子供の様子で真実は露見してしまうと思うんだけどなぁ。滝子パートは疑問とともに、すごく嫌悪感もあります。

獲物で一番好感を持ったのは、紀代です。DVの夫(伊勢谷友介)から逃れ、都会で年をサバ読みデリヘル稼業。しかし田舎の父親の誕生日には電話をします。「取りあえず、生きてるって事で」と言う親への思いやりを込めた台詞が、私はこの作品の中で一番好きでした。そして「私は男に幸せにしてもらおうなんて思っていない。こんなザマだけど、ちゃんと生きている」と言う台詞も好きです。カナダに留学なんて言ってるけど、貫也の言うように、男が出来ると貢いでいるのでしょう。ホストクラブへ行くようなもんかな?でもそれを意に介さず、また稼げばいいさ的な風情が、逞しくてとても素敵でした。多情の責任は、ちゃんと取ってるもんね。

出演者はみんなが素晴らしかったですが、私が好きだったのは鈴木砂羽と安藤玉恵。特に鈴木砂羽の艶やかさと対比する本音のやさぐれっぷり、そして気風の良さと男前の包容力など、短時間の出演ながら、その女っぷりに魅せられました。西川監督、彼女主演で撮ってくれないかしら?

とこのように、いっぱい感情が触発されると言うのは、すごい作品であると言う証明なんでしょうね。また掘り下げれば感想が変わるかも?でも滝子パートの感想は譲れないな。


2012年09月13日(木) 「最強のふたり」




実話が元の身障者と介護者の作品と聞くと、愛と感動の物語と思うでしょ?ところがところがこの作品は、とにかく最初から最後まで爆笑の渦。場内笑いに包まれたままなのに、エンディングでは笑いながら涙が流れていました。愛すべき作品と言う点では、私の今年一番の作品です。監督はエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ。

大富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、パラグライダーの事故で、首から下の四肢が麻痺状態に。日常の介護をしてもらう介護人を面接していたら、「不採用にしてくれ」と頼み込んできたのは黒人のドリス(オマール・シー)。三箇所から不採用になれば失業保険が出るのだと言うのです。ドリスに興味を持ったフィリップは、彼を採用することにします。以降下流と上流、二人の交歓が始まります。

描き方によっては、重厚にも描けるでしょうが、このお話、良い意味でとてもライトなのです。何人も逃げ出す重労働の介護者にドリスを選んだのは、フィリップにはほんの気まぐれだったのでしょう。フィリップの周りの女執事や秘書、看護師たちは、みんな善良な人たちです。恭しく粛々とした毎日は、返って彼に無聊の日々を送らせたのでしょう。それは自分が障害者だと、フィリップに思い知らせたはず。そんな日々に風欠を開けるべく、いたずら心が動いたのかもしれません。

案の定、ろくすっぽ介護を知らないドリスは、へまばかり。仕事に一生懸命でもなく、始めて見る重度障害の雇い主の体を、子供がするような人体実験までする始末。しかし刺激のなかった毎日に飽き飽きしていたフィリップには、どれも新鮮に映るのです。やがて教養と礼節(フィリップ)マリファナに夜遊び、そしてEW&F(ドリス)と、お互い手持ちの駒を交換しだします。

教養が邪魔をして理屈が先走るフィリップは本音を語りだし、身も蓋もなく自分をさらけ出していたドリスは、やがて礼儀と人の役に立つ喜びを学びます。フィリップの友人はドリスが前科者である事を忠告しますが、その時の答えは、「以前の彼は関係ない。今の彼が大切なのだ」と。それは事故の前と今とでは、違う人間になってしまった彼にとって、意味の深い言葉だったと思います。

割れ鍋に綴じ蓋のような、おもろい夫婦みたいなふたり。もう一度因縁のパラグライダーに、嫌がるドリスを連れて挑戦するフィリップは、「最強のふたり」で、もう一度生まれ変わった自分を確認したかったのかも知れません。

彼らには相性の良さを感じずにはいられません。それは「親のない子と、子のない親」であった事にも起因していると思いました。親や子と呼べる人もいますが、複雑な事情です。心の拠り所や居場所のない寂しさを、お互いに知らず知らずに感じ取っていたのかも。そこには富豪も貧乏人もない、根源的な人の寂寥を感じます。

冒頭のシーンは、夜の街を猛スピードで繰り出すふたりが映されます。その繰り返しがラスト近くに描かれれますが、まるで違った印象を観る者に与えます。そしてドリスが出した答えは、寂寥を埋める事でした。

ラストに実際の二人の映像が流れます。二人の関係がどうなったかは、お楽しみに。とにかく観ていてこんなに楽しかったのは、最近覚えがありません。そしてとにかく気持ちがいい。画像の二人の笑顔が、雄弁に物語っています。これはパラグライダー級かも?終わるまでにもう一度観たいです。


2012年09月02日(日) 「プロメテウス」(3D字幕)




何故か「エイリアン」前日譜である事は秘されて、「人類は どこから 来たのか。人類最大の謎、それは《人類の起源》」と言うキャッチコピーで宣伝されています。後者なら疑問がいっぱい残りますが、前者なら納得。でも映像は大層見ごたえがあったけど、内容は平凡であんまり面白くなかったです。監督はリドリー・スコット。

2089年、科学者のエリザベス(ノオミ・ラパス)は、古代遺跡から地球外生命体の存在を確信し、探索するため、恋人のホロウェイ(ローガン・マーシャル・グリーン)と共に、巨大企業ウェイランド社が出資する宇宙船プロメテウス号に乗り込みます。2093年、人工冬眠から目覚めたクルーのメンバーは、ウェイランド社のメレディス(シャーリーズ・セロン)、世話係のアンドロイド、デビッド(マイケル・ファスベンダー)の他、十数人。彼らの目指す惑星に到着。しかし探索中に惨劇が起こります。

もうなんか、丸っきり「エイリアン」ですね。「エイリアン」も30年ほど前の作品なので、あまり覚えちゃいませんが、シンプルなプロットながら、とにかく今作と同じリドリー・スコットが撮った「1」とキャメロンが撮った「2」は、抜群に面白かったです。それ以降の「3」「4」は、私的にはあんまり面白くなかったですが、この作品は残念ながら「3」「4」レベル。

宇宙船の内部、地球外生命体の発見までの様子、ウェイランド社の秘密、エリザベスの奮闘、エイリアンとの戦い、男気あるクルーの行動など、見所は全部「それなり」。これまでのこの手のパニック映画の既視感バリバリの様子が面前に続き、途中寝落ちしそうになりました(ごめん)。

じゃ、見所はなかったのか?と言うと、さにあらず。とにかく映像が美しかったです。「エイリアン」の時も、グロいはずの画面からでさえ、監督の美意識の高さを感じましたが、今回もそれは健在。特に気に入ったのは、デビッドが地球外生命体の文明に触れるシーン。崇高な輝きと感激に溢れていたと思います。3Dもここが一番良かったです。

と言うか、それ以外3Dの必要はあまり感じなかったなぁ。本当は2D字幕で観たかったのですが、2Dは吹き替えしかなく、仕方なく300円アップでこちらをチョイスしましたが、上映回数を少なくしても、もっと選択を増やして欲しいと思います。

俳優はファスベンダーが出色。「2」のビショップは、アンドロイドと言うことで、クルーから蔑まれていた記憶があるんですが(違うかな?)、今回もそれがあって、アンドロイドの悲哀を感じさせます。クルーが眠る中、一人映画(「アラビアのロレンス」)で人間の様子を習得する姿に、ユーモアと共に哀愁を感じました。ファスベンダーは、感情がないはずのデビッドの心模様を感じさせる匙加減が抜群で、一番存在感がありました。この人、本当にどんな作品でもいいです。すごいアベレージで感嘆します。

ビリングトップのノオミですが、演技の出来云々の前に、華が無さ過ぎ。この役はナタリー・ポートマン降板で彼女に回ってきた役だそうですが、大作を背負うには、荷が重かった模様。セロンも冷血な役柄を好演していましたが。如何せん彼女を活かす脚本ではなく、今回は損な役回りでした。

私はSFは好きではなく、上記二作の他は、「スピーシーズ」や「第9地区」みたいな「俗っぽいSF作品」が好きなので、リメイクの「トータル・リコール」観た方が良かったかな?と、微かに思ってしまいました(またごめんよ〜)。リドスコだから安心さ!、と言う訳ではないんだと、良い教訓になりました。


ケイケイ |MAILHomePage