ケイケイの映画日記
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2010年04月19日(月) 「第9地区」




面白ーい!フェイクドキュメンタリー風の出だしから数分、後は余計な説明なしに、ノンストップで最後まで突っ走ります。ハラハラドキドキ涙あり笑いありの、社会派SFアクション。B級の傑作だと思います。監督は舞台である南アフリカ出身のニール・ブロンカンプ。

南アフリカのヨハネスブルグ。巨大の宇宙船が上空に停滞、探索してみると、栄養失調で難民と化したエイリアン<エビ>たちが多数乗船していました。国は取りあえず”第9地区”と名付けた地域に、エイリアンたちを保護します。それから28年後、第9地区はスラムと化し、周辺住民からは苦情の嵐が、そこで国はもっと僻地にエイリアンたちを強制移住させるべく、プロジェクトを立てます。その最高責任者になったヴィカス(シャールト・コブリー)は、早速第9地区に出向き、エイリアンたちに立ち退きの通達に行きます。しかし不注意から謎の液体を浴びてしまい、体が徐々にエイリアン化して行きます。

とにかく展開がスピーディー。予告編でこんなに見せていいのか?と思っていましたが、あんなの序の口で、飛ばす飛ばす。エイリアンというのは、「エイリアン」系の地球への侵略者型が多数で、たま〜に「ET」系の仲良しになりたいの!系が、映画で今まで描かれてきた世界感です。しかしこの作品のエイリアンたちは、難民という保護されるべき立場。まずはココが目新しいです。

難民エイリアンたちが劣悪な環境で段々暴徒化していくのも、まるで人間世界といっしょ。舞台は南アフリカなので、いやでもこの政策でアパルトヘイトを思い起こします。しかし現実は置いておいて、アパルトヘイトは建前上は現在はなくなっています。となると、次の標的がエイリアンというわけ。「AI」を観た時も、人間がオーガニックと名乗り、古い使いものにならなくなったロボットを晒しものにして壊すのをショーとして見せる場面がありました。ロボットをなぶり者して歓声をあげる人間たち。この作品の中でも同様のシーンがありました。例え地球上から人種差別がなくなっても、こうやって人間は次のターゲットを作り、差別していくのかと薄ら寒くなるのです。

「差別って何故起こるか知っているか?自分より弱い者を作り、あの人たちより自分はまだましだと、優越感を持ちたい人間の弱い心がさせることさ」。これは「ミシシッピー・バーニング」の中で、叩き上げ刑事のジーン・ハックマンが、相棒のキャリア組のウィレム・デフォーに語る言葉です。エイリアンたちに人間の名前を付けているのも残酷です。「ルーツ」のクンタ・キンテは、アフリカから拉致され奴隷として売られた時、トビーと言う名のアメリカ式の名前を付けられています。

エイリアンたちを相手に闇商売をするギャングたちが、ナイジェリア系黒人たちと言うのも象徴的だし、エイリアンたちを保護した国の本当の理由、残虐にエイリアンを殺すのを楽しむ軍人など、胸くそ悪くなる人間たちを、これでもかこれでもかと大量投下して、半エイリアンとなっていくヴィカスに、たっぷりその屈辱と怖さを味わってもらう仕掛けです。

最初はどこにでもいる、小市民なヴィカス。エイリアン移住担当のボスとなり、多くの人々と同じように彼らをなぶり者にしていたヴィカス。ほんと、途中まで自分の事しか考えない男で、よっぽど成り行きで同行者となったエイリアンのクリストファーの方が、心豊かで人間らしいんだよなぁ。しかし仲間である人間から命を狙われ、エイリアンと同じく猫缶や生肉を食い漁る、人ではあらずになってからの彼は、本当にカッコ良かった!人間堕ちて堕ちて堕ちまくって、初めて悟ることもあるんだなぁと、卑小な小者であるヴィカスの「化けっぷり」に納得します。

銃撃戦やと「トランスフォーマー」もどき、飛行船内部やエイリアンVS人間の素手の格闘など、アクション場面やSF場面をふんだんに見せつつ、エイリアン親子の情愛や友情、ヴィカスの妻恋しの部分も情感たっぷりに描いています。みんな無名の役者なのが功を奏して、先が全く読めず、展開も最後まで二転三転し、最後まで楽しめます。

上映時間111分、ヴィカスといっしょに全力疾走した感じ。こちらは追いかけられている訳じゃないので、心地よい疲労感と快感が残ります。ラストはホロッと来ますよ。殺戮場面などちょっとグロイですが、中学生くらいの子供さんがいらっしゃる方は、親子で観て、南アフリカの歴史から紐解いて、この映画が意図するところを、親子で語り合ってもいいかも?是非お勧めします。




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