| 2006年02月04日(土) |
「狭山事件」の新聞記事�� |
| ☆資料(差別事件としての部落差別3.冤罪) | 狭山事件 |
婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1971 年 6月 4日号より) 「差別」によって殺される 狭山事件と暗黒裁判 偏見と予断で捜査 | ・・・浦和地裁(内田武文裁判長)で行われた一審の裁判はわずか半年の審理で石川さんに死刑の判決を下す。検察は全国注視のまととなった事件だからということでスピード審理を裁判所に申し入れ、裁判所はこれをうけたわけだ。そして証人調べも、検察側請求の証人一四四人中、四十五人、弁護団側の証人十三人中の四人しかみとめていない。 この事件で部落差別の根深さをしめすのは、弁護団までが、裁判の過程で、警察のデッチ上げをかなり鋭くつきながら、石川さんの無罪を見通すことができず、・・・一審第八回公判で石川さんの精神鑑定を要求し、さらに控訴趣意書でも、 「I養豚屋での五ヵ月間は、それまでうちにひそんでいた被告人の性格の歪みや精神的偏奇を顕在化したのだろう」と述べており、部落即ち悪の温床とう予断につらぬかれてしまっている。
狭山事件は、ことしで八年目、石川さんや多くの部落の人たちの闘いによって、ようやく真実が知られ始めてきている。・・・
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婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1971 年 7月 23日号より) 司法、警察のなれあい 狭山裁判二審 証人、要点をぼかす | さる十五日、東京高等裁判所で狭山事件の二審判が行われた。・・・ 警察側証人として狭山署のヒシオダ元警部が証言に立った。・・・ 荒縄については忘れた、記憶がないなどの答弁、ひもの結び目(Yさんの死体のしばり方は“ひこつくし様”という特殊なしばり方がしてあり、石川さんはこのしばり方を知らなかったことは警察の調書でも明らか)、石(Yさんの死体と一緒に発見された玉石のことで、よそから運んできたものである)、万年筆(既に徹底的に家宅捜索された石川さん宅から、一人の巡査が訪れたあと、再度の捜査で発見された)についても同様、・・・ 午後も、脅迫状の指紋(警察はN家に届けられた脅迫状の指紋採取を怠っていた)、時計の発見状況(石川さんの「自白」によって発見されたというもので、Yさんの時計と側番号がちがっている)、重要な承認の自殺(この事件では、関係者、証人が四人も自殺している)、死体を埋めたあとの土の始末(埋めたあと、余った土はよそへ運ばれている)について、・・・証人は気がつかなかった、忘れたなど、午前中と同じように進められていった。・・・ 各地の解放同盟、支援団体が挨拶、高裁にむかって、糾弾のシュプレヒコールを行った。・・・
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婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1971 年 11月 19日号より) くずれる検察の論拠 新証言にろうばい 狭山差別裁判 結審は来春に | 十一月十一日高裁で狭山事件二審公判が行われた。・・・ 論争の焦点は、死体のしばり方と自殺した証人の関係、スコップ、時計の発見状況にしぼられた。・・・・この事件は石川さんの逮捕の前後を含めて四人の自殺者が出ており・・・そのうちの一人が野犬狩りをしており、野犬をつかまえるとき縛り方が“ヒコツクシ様”であることから、関係があるのではないかと弁護団は追及した。警察、裁判所はいずれも・・・終始一貫無視している。 また、犯行に使われたというスコップ(「I養豚屋のもの」となったために、部落へ捜査が向けられるようになった)について、I養豚屋の主人は、事件後だれかからもらったか、持ち込まれたものであると証言。検察の論拠の一つがくずれた。 時計の発見について、警察が「石川はうそばかり言っていたのでまさか、その通りの場所にあるとは思わなかった」と言っていることに対して、弁護側から「時計の発見の前に万年筆が石川さんの『自供』に基づいて自宅から発見されている。その『自供』が本物だったのなら、時計の『自供』も真実となるのが普通ではないか。またそのとき、指紋がつくといけないというので、ビニールの袋まで用意している。それをわざわざかくし場所の鴨居の穴から父親にとらせたのはおかしいではないか。あきらかにデッチ上げではないのか」と追及されて、検察側は激しく怒った。これはかなり追いつめられたことを示す。しかし、・・・上杉佐一郎解放同盟書記長も「井波(裁判長)が佐藤のカイライとなって、われわれにかけてきている弾圧をはねかえすものは、人民の団結以外にない。・・・」
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婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1972 年 8月 11日号より) 狭山差別裁判 デッチあげられた脅迫状 二千人余が支援に結集 | ・・・二十七日午後の公判では、死体の逆づり等についての五十嵐鑑定の正否を明らかにする鑑定、玉石、コン棒、残土、筆跡に関する鑑定申請とその理由説明が行われました。 残土の問題では、死体の埋められていた場所は手でなぜられたように平らであった(一審の橋本供述)といわれているが、穴の大きさからどんなにふみ固められても二百七十キロ以上の残土は残り、うめられた人体分を加えればさらにそれを上回る残土が自然になくなることはあり得ない(東大農工学部八畑博士)。真犯人があらかじめ大量の残土を処理したことは明白です。
また筆跡については、石川氏の筆跡が脅迫状と一致するとした高村鑑定人は今日も出廷せず、民間鑑定人である学習院大学大野ススム教授は・・・。京都大学のアノ教授も・・・。 さらにおどろくべきことには、石川氏は脅迫状に合わせ、字を書く練習を五百回以上も強制された事実がばくろされました。
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婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1973 年 9月 14日号より) 講座「部落差別とは何か」柴田道子 狭山差別裁判と私たち 無実で勾留11年 | 講座「部落差別とは何か」柴田道子さん http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=18156&pg=20060214
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婦人民主新聞縮刷版第六巻(婦人民主クラブ発行/1977 年 9月 9日号より) 狭山に賭けた柴田道子さん 二周忌をむかえて | ・・・道子さんの処女作『谷間の底から』の読者の中に、部落の少女がいたことから彼女の暖かいまなざしは、被差別部落へと焦点がしぼられていった。彼女が二十五歳の時であった。三歳の時からアレルギー性気管支炎にとりつかれながら、道子さんは考え、話し、歩き、調べ、書き、行動する作家になった。一九七五年の春、夫横田弁護士と共に狭山市に移住した。・・・監視されながらのもどかしい面会の日、金網の向こう側であきらかに糖尿病におかされている一雄さんの不安は、道子さんの注射と投薬の副作用に悩みつつ病む苦しさに直接ひびいてくる辛さであったろうと思う。咳き込みながら、夫横田弁護士にしかられつつ、高熱で倒れ入院しては退院し、かすれる声を整理しながら家人の目の外側で電話し、面会し、連絡しつづけた道子さんを支えていたのは、真実の愛であり、ウソへの激しい怒りであったにちがいない。・・・一九七五年八月十四日、一雄さんもまた獄舎で泣くことしかできなかった。・・・一人でも多くの方に真実を凝視し、道子さんの果たされなかった愛と怒りを持って欲しいと思い、祈り続けている私である。(山下修子)
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婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1973 年 10月 12日号より) 狭山現地調査に参加
| ・・・「出合い地点」とされている場所は、見通しがよく、畑仕事をしていた人が、誰も通らなかったと証言しています。・・・ 「二審では一審の判決文と控訴趣意書を読めば、事実審理はしなくても判決は下せる」という寺尾裁判長に対して、まわりの人々に石川さんの無実と真実を訴え、でっち上げ裁判の差別性を訴え、石川さんに十一年目の冬を獄中で迎えさせないよう運動を広げていかなければならないと思います。
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婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1974 年 10月 11日号より) 狭山裁判 結審公判闘争 石川青年の無罪釈放を | 九月二十六日、狭山裁判公判廷で、石川一雄さんの意見陳述が行われた。・・・午前中は、弁護団から、・・・「物的証拠」である地図が筆圧痕の鑑定によって、下書きであることが判明した。午後、一時間以上におよんで石川氏の最終意見陳述が行われた。・・・検察側は三日に予定されていた論告求刑をこの日に移し、わずか十分で石川氏に、再度有罪論告と、死刑求刑を行った。・・・「戦前の高松差別裁判闘争は、治安維持法下という厳しい中で、全国水平社の孤立した闘いが強いられた。しかし今日の狭山闘争にこれだけの労働者人民の結集をみたことは、部落解放と全人民の解放に大きな前進をもたらすものであります」と解放同盟の基調報告があり・・・十月三十一日が判決。その日までの「今日を上回る大結集を」と誓い合って全国各地へ散った。
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婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1974 年 11月 8日号より) 無期懲役 狭山差別裁判判決公判 | 十月三十一日、狭山第二審の判決公判が行われた。東京高裁寺尾裁判長は、事実審理を一切せずに、・・・石川一雄さんに対し「無期懲役」という判決を下した。無実を明らかにする証拠を無視し、デッチ上げの「自白」と「物的証拠」のくいちがいを「自白の信ぴょう性を示すもの」と片付けてしまった。別件逮捕を「合法であった」と認め、この判決は国家権力のなりふりかまわない人民への挑戦である。・・・日本共産党は、寺尾裁判長について「民主的な、ものわかりのいい裁判長だ。公正な裁判が期待できる」として、石川一雄さんや部落解放同盟を先頭とする万余の大衆的な公判闘争に敵対してきた。このように寺尾裁判長を美化する動きのあることは、有罪判決を出そうとする側に有利に働いた。 今回の裁判が司法の権威を絶対化するために、差別による偏見を利用してデッチ上げられたものである・・・。だとすれば、一般民の中に巣くう差別意識を助長し、たたかう部分に敵対し分断していく日本共産党のやり方も、同じく予断と偏見にみちた利敵行為といえるだろう。 ・・・石川さんを一日も早くとりもどさなければならない。
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婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1975 年 11月 14日号より) 石川さんの即時釈放を 有罪判決から一年 糾弾の集会開かれる | 昨年、十月三十一日、狭山差別裁判第二審で、東京高裁寺尾裁判長は部落青年石川一雄さんに対し「有罪=無期懲役」という差別判決を下した。これは一審浦和地裁の「死刑」判決と本質は何も変わらない。・・・ 一年前、判決を聞くやいなや、「そんな事は聞きたくない」と叫んだ石川さん、「裁判長、それはペテンだ」と立ち上がった山上弁護士。・・・「われわれがここに集ったのは屈辱を思い出すためではない。ひとり獄中でたたかう石川君をはげまし、たたかいの決意を固めるためだ。石川君を取り戻すまで広く大衆を結集してたたかい続けよう」この日の集会宣言の結びである。最高裁の密室審理を許さず、口頭弁論、全証拠の開示を求め、石川さんの無実を絶対にかちとろう。
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婦人民主新聞縮刷版第六巻(婦人民主クラブ発行/1975 年 11月 7日号より) 長期拘束が健康奪う 本も読めない石川さん |
昨年十月、東京高裁寺尾裁判長による「無期懲役」という不当判決から一年、石川一雄さんはいま、十二年にもわたる長期拘禁のためこわした体の状態が悪化・・・狭山弁護団や医療連(大阪府同和地区医療施設連絡協議会)はただちに石川さんを拘禁状態から解放し、総合病院での加療を東京拘置所に要求。・・・その病状経過は 一九七三年<口内炎>・・・ 七三年八月<動機、立ちくらみ、周期性四肢麻痺>・・・ 七四年五月<異常口渇、多尿、息切れ>・・・ 七四年七月<腰痛>・・・ 七四年九月<倦怠感、息切れつよくなる>・・・ 七五年一月<体重減少>糖尿病のため、体重が著しく減少。夜間排尿十回、口渇ひどく夜間に水をヤカン一杯分も飲む。・・・ 七五年二月<四肢麻痺発作、息切れ増強、口渇増強>松本弁護士との接見後、廊下で三、四回転倒。 七五年七月<低血糖症状、排尿障害、尿失禁>・・・ このほか・・・本を読んでいると五〜十分で字がぼやけて見えなくなる。・・・
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婦人民主新聞縮刷版第六巻(婦人民主クラブ発行/1976 年 5月 14日号より) 石川君と脅迫状 国分一太郎
| 『石川君と脅迫状』 国分一太郎さん http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=18156&pg=20060215
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婦人民主新聞縮刷版第六巻(婦人民主クラブ発行/1976 年 5月 21日号より) 石川さん別件逮捕から13年 無罪判決めざし 最高裁へ口頭弁論の要求 |
五月二十三日は十三年前狭山事件で石川一雄さんが不当逮捕された日にあたる。狭山事件はその後「狭山差別事件」とよばれ、その裁判は「狭山差別裁判」としてあり方を問われることになった。・・・もう一度「事件」をふりかえってみたい。
犬は風邪をひいていた
・・・三日朝、警察犬を使ったところ、石川さんは畑のアゼ道を右に逃げたことになっているのに、警察犬はみな左に曲がって反対の方向に向った。公判ではこのときのことを「犬が風邪をひいて鼻がバカになっていた」と証言したという話は、権力に握られている裁判というものがどんあものであるかを如実に語っている。
四十人も張りこんでいたのに金をとりにきた犯人を逃してしまったという佐野屋の前は、県道で車がひんぱんに通っていたが、あたりは家は少なく、見渡す限りの畑で、お茶、葉っぱ、ネギぼうずが風に吹かれていた。当夜は雲一つない月夜の十二時。石川さんが家から佐野屋まで金をとりに歩いたという道順も、はじめの“自白”からまったく違った道に変更されて、石川さんが警察のいいなりに“自白”を変えさせられていることがわかるが、これは警察官が立っているところは通らなかった、つまり警察は張り込みをトッパされたのではないことの証明にほかならない。・・・
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| つづく |  |
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