| 2006年02月03日(金) |
「差別事件としての部落差別」冤罪事件 |
冤罪事件
「五番町事件」京都新聞(1956年4月8日) 真犯人、地検に自首。検察庁黒星。公判中の少年は無事 刑事が暴行、自白を強要。苦痛のあまりウソ |
「五番町事件」事件は、�〃抻,料楮困�被差別者に集中した、��一般の人びとも「被差別部落のものは、殺人ぐらい平気でやってのける」、「在日朝鮮人は乱暴だ」と警察の捜査を後押しした、五〇年前の象徴的な差別事件(冤罪事件)です。 警察は、被差別部落出身のY君と、在日朝鮮人のS君を含む少年四人を犯人としましたが、一九五六年四月四日に真犯人のAが自首し、四人の少年たちは無罪になりました。
「あそこで、真犯人が名乗り出てこなかったら、わたしたちは調書を信じて、少年を有罪にしていたでしょう」(佐古田大阪弁護士会会長、1983年3月28日付け毎日新聞夕刊「そのとき私は」より)という背筋の寒くなる記事も残されています。
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「村田巡査事件」朝日新聞(1966年8月30日) 警官射殺される。京都 ピストルを奪われて、夜間パトロール中。残り四発?疎水の中に死体 三千人の警官動員
| 京都市左京区若王子の「哲学の道」に村田巡査の「殉職の碑」が立っていますが、いまは「村田巡査事件」を語る人はほとんどいないと思います。
この事件では、ある被差別部落の十六歳から三十歳までの青年ほぼ全員がアリバイを調べられましたが、事件現場に最も近い町内の青年はほとんど捜査を受けていませんでした。
「村田巡査事件」を京都府警は一九六六年十月二十一日に「殉職」と認定し、事件そのものは迷宮入りしています。
「被差別部落の人間が犯人にちがいない」という人びとの悪意が後押ししたこの捜査で、四〇年前の被差別部落の青年ら数十名が心に傷を受けていたということを、事件と共に忘れたくないと思います。
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2006年2月1日の大阪での新たな「部落地名総鑑」発覚を契機に、これまでに起こった「差別事件としての部落差別」(1.結婚差別事件 2.部落地名総鑑事件 3.冤罪事件)を、過去の新聞記事から掲載させていただきました。
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