| 2006年02月15日(水) |
『石川君と脅迫状』 国分一太郎さん(1976年) |
婦人民主新聞縮刷版第六巻(婦人民主クラブ発行/1976 年 5月 14日号より) 石川君と脅迫状 国分一太郎
| 「吉展ちゃん事件」というのは「中○善枝さん事件」の二ヵ月前くらいだっただろうか。そのとき電話で脅迫した犯人の声紋が問題になった。方言学者の柴田武氏が山形県中部から以北のものといい、国語学者の金田一晴彦氏が福島県以南の者と想定した。私は山形県のその辺の出なので、・・・金田一氏の方に分があると思った。そのとおりであった。・・・「吉展ちゃん事件」が言語学的に取りざたされたということで、その後に起こった「狭山事件」に関しても私はある種の関心を持った。十三年前の今頃のことである。 私は何も知らなかった。・・・学習院大学の大野晋氏が、七二年一一月号の「世界」に、石川君の学力ではあの脅迫状は書けないとの意見を書いた。続いて死刑を言い渡されたあとの第二審では、その旨をハッキリと示した鑑定書を弁護団の依頼を受けて提出した。・・・ それによると石川君は、小学六年間を通じて欠席が多く、国語の成績は・・・「マイナス2」(いまの五段階評価の1)であることがわかった。大野晋氏の鑑定では、漢字を使いこなす能力は小学校二年生程度というのだった。そこからカナで書くのが自然なところに、作為的な技巧による漢字使いはできるはずがなく、また「で」をわざと「出」、「き」をわざと「気」のように画数の多いものにしたり、「え」を「江」と教育用漢字にない古風なものにしたり、こういう能力はないはずというものだった。そのほか、句読点のつけ方も、脅迫状では全くよくできていて、石川君の学力ではとうてい書けず、むしろこの脅迫状は誰か別のものが書いたものであることを、くわしく示唆したものだった。
私はこれらを読んで、自分がうかつだったことにおどろき、こういうしごとは、私たちのような国語教育の研究にあたるものなどがしなければならないことだったと恥じ入った。そしてこの大野鑑定書一つをとっても、石川一雄君には無罪の判決がくだるだろうと考えたりした。脅迫状では「警察」を「刑札」などと書いているのにも異様な感じをもった。 ところが、第二審の寺尾判決では無罪とはならず、逆に無期懲役になってしまった。それに問題の脅迫状がむしろ有力な証拠とさえ断定されているというのである。
さて、今年に入って二月六日号の「朝日ジャーナル」を見ると、いまいった大野晋氏が「脅迫状は被告人が書いたものではない」との題で、またまた委曲をつくした所信の公表をしているではないか。そのなかで裁判所は「誤まった判断によって人を罪に陥れてはならないと私は思うのである」とハッキリ明言しているではないか。私はその学者的良心につよい感動をもった。 こんなことをいってよいのかどうかわからないが、もともと大野晋氏は、いわゆる「進歩的」といわれるような学者ではない。古代日本語の音韻や語源などの研究に勤しむ言語学者であって、ある場合は、近頃の「日本語ブーム」をつくりだした人のひとりなどともいわれている。そして、いま評判の悪い国語審議会のなかでは、むしろ保守派と目されているようなひとである。・・・そのひとが国語学と国語教育の観点から、石川一雄君は「中○善枝さん殺し事件」の真犯人ではないといいきるのである。・・・私は、この大野氏の所説の前に頭をさげているのである。
それにしても、いま私たちが石川一雄君のかつての「低学力」を根拠にして、その無実を証明しなければならないとはなんと悲しいことであろう。もし彼が部落差別も受けず、その家が生活にも困らず、学校にも普通に行けたのであれば、このような事件の被疑者としては引きずり込まれなかったかもしれない。現在、その後の獄中の独学で、りっぱな文章も書けるようになり、周囲の部落民と共に自己の位置を冷静に見つめて闘う姿勢をかためていることを思えば、なおさらのことである。人間としての可能性はりっぱに存在していたのだから。 しかし事実は事実である。幼い日から事件発生ごろまでのかれの「低学力」を冷静に見つめつつ、その事実のうえに立って、その無実を、私たちは主張しなければならない。この五月二十三日は、石川一雄君逮捕の記念日で、部落の同胞たちは同盟休校の抗議をするという。(新日本文学会会員)
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