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2006年02月14日(火) 講座「部落差別とは何か」柴田道子さん(1973年)


婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/1973 年 9月 14日号より)
講座「部落差別とは何か」柴田道子
狭山差別裁判と私たち
無実で勾留11年

 昭和三八年五月一日、埼玉県狭山市でNさん(高校一年)が誘拐された。二日に家族に対して身代金が脅迫され、四日には死体となって発見された。
 この事件は吉展ちゃん事件から二ヵ月しか経ておらず、吉展ちゃん事件についで、身代金をとりにきた犯人を目の前にして取り逃がすという警察のあいつぐ失態となった。警察権力の大失態はマスコミによって大いにさわがれた。・・・そして五月二十三日に被差別部落出身の石川一雄青年(当時24歳)が、事件と無関係の別件で逮捕された。この別件はそれ自体で起訴することの不可能なものであった。・・・今日この部落差別を最も具体的にかつ最も象徴的に、私たちにつきつけているのが、無実の石川さんに死刑を宣告した、狭山差別裁判である。

 狭山事件は・・・権力犯罪による差別裁判である。捜査段階から 石川さんの別件逮捕、自白の強要、物証のでっち上げ、一審の内田裁判とその判決、二審の井波裁判の訴訟指揮にいたる、今日までのすべてが、部落差別でつらぬかれている。

 石川さんは部落差別のため小学校五年で中退して、農家の子守奉公に出された。在校中は家の手伝いで長欠児童であった。・・・逮捕された当時、石川さんは裁判とは何か、弁護士は誰のためにつけられるのか、さらには警察とはどのようなところかさえ自覚しなかった。・・・

 警察権力がさしむけたインチキ弁護士やニセ狭山市長があらわれ・・・警察は本当の弁護士の接見を妨害し・・・石川さんの真実に対する信念の固さを知った警察は、狭山から川越分室の特設調べ室に石川さんの身柄を移す。ここでも石川さんは一週間のハンストをもって犯行を否認しつづけたが・・・

 傍聴席にでっち上げの張本人である長谷部らが見守る中で、石川さんは一審の内田差別裁判中・・・イエスを繰り返していた。死刑をよぶこのような犯行をどうして容認できたのか。石川さんは(長谷部刑事課長の)「十年で出してやる」の甘言を信じきっていた。一審中、彼は警察だけが味方であると思っていたという。・・・当時の石川さんの社会認識の無自覚こそ、部落差別によるものである。

 二審の法廷の冒頭、「オレはYちゃんを殺していない」と、検察官、弁護士にはじめて石川さんは顔をしゃんとあげ、裁判長に宣告した。・・・「人間の血は枯れずにあった」・・・石川さんの偉大な飛躍は、部落三百万兄弟の運命を一身に担っているという自覚と認識であった。・・・

 権力の差別犯罪であることがつぎつぎと露呈されている。石川さんにはアリバイがある。
イ)殺害時刻(五月一日PM四時〜四時半)には荷小屋にいた。ロ)犯人がN家に脅迫文と自転車を届けた時刻(PM七時半〜七時四十分)には自宅にいた(増茂三郎さんの証言)。ハ)家についた時の石川さんはあまり濡れていない(犯行時間、雨が降り続いている)。二)一日に帰宅して(PM六時半〜七時、妹の証言)から翌日二日の一時まで自宅におり、その後友人と映画を観に行き六時に帰宅している(犯行の事後処理の時間がない)。ホ)三日のAM零時十分に犯人が佐野屋の前に現れた時には自宅で寝ている。

 「物証」はすべて権力のでっちあげであった。それは
イ)三大物証の時計・カバン・万年筆はYさんのものでなく、どの物証からも指紋ひとつ出ていない。時計は警察発表の品ぶれと違うものであり、二ヵ月もたった七月二日に七十八歳のO老人に発見された。発見現場は六月二九〜三十日に捜索した場所である。発見される前に時計は警察の手元にあり、石川さんは二八日に問題の時計を見せられ腕にはめてみた事実がある。警察がO老人を工作したことは、老人の義姉の証言で明らかにされた。・・・また万年筆も二度にわたって(十二人の捜査官が二時間かけた)古井戸さらいから屋根の瓦まではぎとって捜査したが、何も出てこなかったが、二度目の捜査(三人の捜査官十五分)で、勝手口のかもいから出てきた。このかもいは目で見える高さであり、前回の捜査でかもいの奥のねずみの穴につめたぼろ布まで引き出していたのである。・・・三度目の捜査の前々日、関巡査が工作しにきたことが判明している。
ロ)脅迫状は石川さんが書いたものではない(筆跡の一致性、文章力に大きなへだたりがある)。ハ)足跡の不一致(石川さんは十文半、足跡九文七分)二)教科書発見と「自白」のくい違いホ)五月十一日のスコップ発見の不自然さ。

 さらに犯行方法に関して・・・
ロ)死体の足首を細引きでしばり、いも穴に逆さ吊りにして近くの桑の木に結びつけた(死斑に逆さ吊りの症状は出ていない。犯行の残酷さを印象づけるためのもの)。ハ)死体の埋め方は、この地方の埋葬習俗を知っている者の犯行(石川家は火葬で、石川さんは玉石、こん棒の両墓制の習俗を知らない)。二)死体を埋めた後の多量の残土が無くなっている。お茶葉を一緒に埋めてある(一人では不可能、また犯人は農業を営む者の知識を持っていた)。ホ)Yさんの死体は全然濡れていない(自白は野外の犯行。天候PM三時〜四十分、四時二十分、雨が降り続いていた。事実は屋内犯行)。

 狭山事件が部落差別に貫かれていることは
イ)I養豚屋の『スコップ紛失届』を強制し、これをもって被差別部落に対して集中的に見込み捜査をしたこと。・・・ハ)一審の内田判決文は、石川さんの生い立ち環境、貧困、未就学、転職など部落差別によって強制された生活環境を強調し、犯行の必然性を述べたてている。

 警察・検察・裁判所の一貫した部落差別にさらに輪をかけて、控訴趣意書が差別性に満ちていることである。
イ)石川犯人説にたち、部落が生んだ犯罪であると展開している。ロ)部落を名ざしで差別する。ハ)石川氏は「精神異常」であり、強姦に夢中のあまりに殺害したとし「法令適用の誤り」(量刑不当)を主張している。・・・

 こうした何重もの差別の壁を突き破って石川さんは今十一月の再開公判にむけて不屈の闘いを日夜獄窓でつづけている。・・・
 石川さんの生命がかけられているこの狭山差別裁判闘争は、一人石川さんにとどまらず三百万の部落兄弟の運命が問われている。
 同時に、部落差別を許してきた一般民の責任が問われている。石川さんをこのように追いやったのは国家権力であるが、そうした権力の理不尽を許してきたのは私たち一人ひとりなのである。
 
 最後に、部落差別を許さないたたかいは、私たち個々の人間の問題として問われていることを記し、八回にわたる連続講座を終わる。
(児童文学者)


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