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■ 誕生日
12月10日をもちまして28歳の仲間入りです。ということは30代へ秒読み段階で、人生の流れの速さを実感してしまう。
本当、歳を追うごとに1年が短くなる気がする。特に去年と今年。振り返るのは嫌いだけど、せっかくだからちょっと振り返ってみようか。
トロントに住み始めたのが2年前の1999年。出発前の日本では渡加が決まってたので、ごく親しい方々を招いての結婚式を挙げた。司会は篠田恭子さんにやってもらったり、打ち上げでリッキーさんのRevolverと共演したり、Handysにも祝ってもらったな。
その後一ヶ月でトロントへ。本当に貧乏で、金なくて極寒のセントローレンス・マーケット前で路上で絵を売ったり、地下鉄の通路で絵を売って捕まりそうになったりした(笑)
ホステル時代に知り合ったキョーコちゃん(何故か俺の周りには゛キョーコ”さんが多い)にユキさんをはじめて紹介されたのもこの頃。そこからはユキさんと二人三脚で「Annex Patio Show」や「Humber Bay Art Biennale」に出展。ここから俺のトロントでのアート・キャリアがスタートした。
その出展がきっかけで、雑誌ArtfocusのPatから推薦がきた。11月の同雑誌主催エキシビションで初のアワードをもらった。年末にはアワード・ショウという形でスターバックス・コーヒーでの展示。それを見に来たCasa Cafeのオーナーから個展の依頼があったり、数珠つなぎにキャリアが転がっていった。オノ・ヨーコさんに手紙を出し始めたのもこの時期。
同じ頃、One of a kindのディレクターからも声が掛かり出展の打診があったが、資金面から一度は辞退。しかし、潮見台応援団のおかげで出展することが出来た。この時は嫁さんも一時帰国してて、大変な時期だった。作品制作のために何日も寝なかったり、当然ご飯とかも三の次、四の次だったからボロボロになった。 このHPを立ち上げたのもこの時。ショウに間に合わせる為に必死に作ったなぁ。
4月には初のソロをCasa Cafeでやった。8点中5点が売れて大成功だった。何よりもここのオーナー家族との交流が生まれてよかった。レイチェルとアレックス夫妻に、アイザックとジョンという2人の息子。よくタダ飯くわせてくれたし(笑) その後、ユキさんを紹介して彼のオープニングで演奏もした。
この時の経験から、ギャラリーでの展示よりもカフェやレストランでのショウに拘りが生まれ、「My Favorite Oasis in Toronto」というイベントに発展。その第一弾としてBrown Stoneでの展示が決まった。
このBrown Stoneのオーナーも非常に可愛がってくれた。初めて店に行った時、ただ話を聞いてもらうだけのつもりが「今からこの絵を持ってきてくれ!」と言われ、タクシーで取りに戻って、その日からショウがスタートという驚く展開になった。一ヶ月の展示のあと、「君の絵をずっと飾っておきたい」と作品常設を依頼された。今でもここには5〜6点の作品を展示してる。
次の会場、Peter Panが9月に決まった時は嬉しかった。ここは立地も良く、客層も品が良いので難しいと思っていた。案の定ここは専属のギャラリストが作品を提供していたので俺みたいな飛び込みは受け付けていなかった。訪問したときはオーナー不在で帰ろうとしたら、店員の子が俺の作品をどこかで見たことあると言ってきた。それでその子が仲介役になってオーナーに作品を見せる機会を作ってもらったんだ。やっぱ、人との縁はどこにあるか分かんないね。
10月に入ってオノ・ヨーコさんから返事がきた。俺の発案したプロジェクトに許可が下りた!そこからは他のものは全部後回しにしてこれだけに力を注いだ。今でもそう。11月末にはNYへ出向き、ヨーコさんの自宅であるダコタへも行った。新聞社や坂本龍一さんとのコンタクトも取れた。
そして今、誕生日を迎え数週間後には2002年が迫ってきた。まだまだ頑張らなきゃいけないな。それを後押しするかのように今日、アントニオ猪木さんの事務所からあった!!
順調そうに見えるトロントでの活動も裏を返せば、それだけ私生活も犠牲にしてきたと言うこと。その代償はあまりにも大きいが、もう進んで行くしかないんだね。もとの世界へ戻る橋が掛けてあったはずなのに、ふと振り返るとその橋が取り外されていた。それが現実だった。
俺が選んだ、進んで行こうとしてる道は間違いなのか自問自答する夜もある。そういう時思い浮かぶのは猪木の「道」という詩。これがいつも心の支えだった。
この道をゆけば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となる 迷わずゆけよ ゆけばわかるさ By 猪木
2001年12月10日(月)
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