-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 停止




















2001年3月にスタートしたこの【A day in the life】
ちょうど丸4年を迎えました。
トロントに来てからのオイラの活動を、
26〜30歳までという
人生において最も実り多い一時期を
克明に記録することが出来たという
自分自身への達成感でいっぱいです。

しかし、本日をもって日記を
公開停止することを決意いたしました。
これまで何度も考えた末のことです。
どうぞ止めないでやって下さい(誰もしねーよ)

先輩アーティストの方々が残した日記、
例えば【ウォーホル日記】やゴッホの往復書簡など
「よくぞ残しててくれた!」
と思えるような貴重な文献があります。

作品は日常生活と密接に関わっていて
両方を照らし合わせることによって
新たな解釈が浮かび上がることも多く
自分もいつかは名を残すようなアーティストに!
との願いを込めて
または、自分の死後に
誰かがトモレノンという人間を調べたときに
一番の手がかりとなるのがこの日記であるように
恐れ多いですが、死んで名を残すことを前提に
書き始めたものです。

どんな些細なものであれ
自分の断片を世の中に残していくのが
自分の役目であると考えていたし
作品だけが残れば、あとは何もいらないとは
決して思えない
そもそもオイラは
そういう類のアーティストではないのです。
自分の人生を切り売りしてナンボのアーティストなのですから。

ですから【公開停止】と書いたように
これからも日記を書くことは止めようとは思いません。
ただ、公開を止めるのです。

この日記によって

時には励ましのお便りをもらい、

時には叱責していただき、

時には日本に残された母とのコミュニケーションの役目を果たし、

時には愛する人を傷付けてきました。

克明に書き記すということは
それだけ周囲の人々を巻き添えにするということであって
アクセスが高くなるにつれて
その影響も大きくなっていきました。
それゆえに、停止を決意いたしました。

ただ分かっていることが一つだけあります。
この日記が公開されなくても、誰も困らないということです。
4年間、楽しみに読んでくださった皆様には
突然のことで申し訳ないですが
今後の活動を暖かく見守ってください。
そして、オイラの死後に
「日記がどこかにあるはずだ!」と
その中の誰かが言い出して
白い皮手帳の中に書き残された
膨大な書簡が発見される日を
今から心待ちにしております。

PEACE

2005年03月07日(月)



 キャロルの引越しパーティー


長いことアパート探しをしていたキャロルが
やっと腰を落ち着けた。
それを祝ってのハウス・ウォーミングパーティー。
本人曰く「TEAパーティー」だからお酒はいらないよ、との事。
Rafiが迎えにきて、一緒にストリートカーで東へ。

ちょうど家の前で、奥さんのMaiと子供のSakoと合流。
キャロルの部屋にはすでに5人の先客が。
名前・・・全然覚えてない。
いきなりゲイの男の子が「あなたの作品好きよぉ〜!」と
腰を必要以上にクネクネさせて寄ってきた。
おぉ〜!何だよぉ!
これは危ないと思い
それ以降はほとんどSakoの子守と
猫のソロモンの相手をして場をやり過ごす。

各種様々な紅茶を飲みつつ
ダラダラとおしゃべりをしていたところに
キャロルが
「さぁ、男性諸君!腕の見せ所よ!」
何だ何だ?
インテリアショップの紙袋が突如出現。

鏡や壁掛けハンガーなど
買ったばかりのアイテムを男共に手渡す。
そうか、しまった!
TEAパーティーという名の罠だったのだ。
キャロルが自分で出来ない(面倒くさい)インテリアの設置を
我々男性に押し付けようという企てだったのだ!

一人張り切ったオッサンが
Rafiを助手に壁に鏡を取り付けようとする。
しかし、ネジの位置を間違えること4回。
オッサンは見事なまでに壁をボコボコにしてしまった。
「あたしの方がマシね・・・」とキャロルが呟く。
不器用な男だっているのだよ。











ようやく取り付けた家具たちが
壁から落ちないうちに
そそくさと退散することにした。
ごめんねキャロル。
でも味が出て、いい部屋になったよ。


昼間、元居候のクミが帰国の挨拶にきた。
短くとも一ヶ月、寝食を共にした仲なので
それなりの親心というか(それは変だろ)
気持ち的なモノがあるわけだ。
でも、オイラは親しい人ほどあっさり別れるように
最近心がけている。
だって、ショーゴの時みたいに
人生には不思議なくらい突然に【再会】がやってくるんだから。


2005年03月06日(日)



 取材拒否!?


朝9時を廻り、予定より2日遅れだが新作がついに完成!
仕上がりに満足してるかどうかよりも
終わったことでホッとしている。
御褒美に3時間ほど寝て
次の作品、30 x 40に取り掛かる。

夕方、トロント・スターの記者から電話が入る。
「アーティスト・ステイトメントについて意見を聞きたい」
なんでオイラに!?

先日、アーティスト友達のクリスに
「ギャラリーにアプライするのに
絶対アーティスト・ステイトメントを要求されるじゃん?
それが馬鹿馬鹿しくて仕様が無い!
自分の作品をさ、立派な文章で表現するなんて
そもそも、それは評論家の仕事だろ?」
てな愚痴を垂れていたのを思い出した。

それをクリスが誰かに言って
その誰かから記者まで繋がったらしい。
おぉ、スモールタウン・トロント。
たまたま記者が、その件について記事を書いていて
正にドンピシャな意見をオイラが言っていたのか。

インタビュー、いいですよ・・・と言おうと思ったけど
「今日は忙しいので、また後日にして下さい」と断った。
これ、名前入りで出ちゃったら
ギャラリーに対してごっつネガティブな意見だから
あんまり印象よろしくないな、と思って。
ちょっとRafiに相談してみよう。

そんな中断があって作業がストップ。
あまり気分が乗らず、読書でもしてみる。
読んでいるのは三島由紀夫【複雑な夜】と
今更ながら太宰、【斜陽】だ。
斜陽なんて、昔読んだ時は「つまんねぇ」だったが
20年経った今、読み返すと
ヤバイぞ、これ。
17ページくらいで一回、二回は泣いていた。
たった17ページなのに!
しかも全然泣けるエピソードじゃないのに!
恐るべし、太宰!

三島のは、いわずと知れた安部譲二の半生を描いた
コミカルタッチの小説。
こっちは息抜きにちょうどいい。

さて、リフレッシュしたところで
再び筆を持つ。
やはり今回もザ・風景画でいく。


2005年03月05日(土)



 エチオピア料理


Bits編集部のAさん帰国パーティー。
指定された場所は、とあるエチオピアレストラン。
え、エチオピア料理って何?
全く知識が無い。
レストランに着くとAさんが待ってる二階に通される。
怪しげなネオンが灯る、妙に暗いダイニングがあって
秘密部屋みたいな雰囲気が漂う。
壁に掛けられた写真には
顔中ペイントを派した原住民が写ってて
それを見てやっと「手で食うやつね!」と理解したのだった。

料理はワン・プレートに様々な具が載ってて
それをパイのような、クレープのような、お好み焼きのような
皮に包んで食べるのだ。
手で。
宴も酣になる頃、店は超満員。
この店はベスト・エチオピアン・レストランなのだそうだ。











食ってる最中、思ったけど
この料理って、こうしてテーブルにかしこまって
座って食べるのじゃなく
きっと、床に寝そべって
ダラダラと摘むのが本流のような気がした。

食後には一杯$10のトラディショナル・コーヒーとやらに挑戦。
メニューには「所要時間30分」と書かれてる。
怪しい。
お香を焚いて、豆の臭いを嗅ぎ
密教の儀式さながらにコーヒーを淹れる。
味はモカに似た、粉っぽいコーヒーだった。

初エチオピア料理を満喫したあと
二次会、どこへ行こうか?というので
知り合いの店【Just Dessert】へ連れて行く。
去年はやらなかったが
年に一度くらい、ここで絵を展示させてもらってる
Yonge x Wellesleyにあるバー・カフェだ。
今夜もゲイ率が高い。
オーナーのリチャードから
「ニューヨーク行ってたんだって!?」と開口一番聞かれる。
なんで知ってんの!?
春頃に、絵を展示してくれと頼まれる。

ここのお勧めは、何と言ってもショートケーキ。
カナダでそれが食べれること自体、貴重なのだが
味も日本のに近くて、甘さ控えめ。

深夜12時に退散。
Mitsでビデオを借りてから徒歩で帰宅。
【松紳】と【情熱大陸】を借りた。

ビデオを観る余裕なんて無いんだけど
絵を描く合間に、ちょっとした気分転換は必要。
ただでさえ、ここ数日は引き篭もってるからさ。

2005年03月04日(金)



 振り返るな!


Bitsにてカズさんとミーティング。
絵の制作に追われ
しばらく引き篭もっていたので
話すことが幾つも溜まっていた。
夏に、ちょっとしたイベントの企画が持ち上がって
そのプロデュースを引き受けることになった。
MLB、大リーグですよ、大リーグ。

予定より大幅にミーティングが長引いたので
慌ててスタジオにとんぼ帰り。

久々に強敵だわ〜。
新作の絵のことだけどさ。
産みの苦しみを味わっている。










せっかく5割くらい仕上がったところなのに
木の位置が納得いかず
大幅に修正することにした。
この半日が水の泡。

根本的なことだけど
パソコンみたいにクリックひとつで戻せないので
一旦消したらもう後戻りは出来ない。
だから、消すまでに相当悩みまくる。
このイイ色の調子も
偶然が重なって生まれたイイ質感も
みなゼロに帰するわけだ。

この判断が間違ってないことを
神に祈りつつ
エイっ!と大胆に消す。
後はもう振り返らずに
ひたすら筆を進めるのみだ。
早く、早くこの悪夢から抜け出すのだ!と
言わんばかりに先を急ぐ。

今夜中に元の進行スケジュールに追いつかせなければ。
本当だったら、今週中に完成の見通しなのだが
そうは問屋が卸さないらしい。
最悪でも一日二日の遅れに留めたい。



2005年03月03日(木)



 居心地の良い空間











【Gladstoneホテル】にてミーティング。
修正したデザイン案を提出して
現場監督らの最終OKをもらう。

前回も散々書いたが、
アーティストにホテルの部屋をデザインさせると
言っておきながら
四方八方制限だらけで
もうオリジナルのコンセプトすら
蜃気楼の彼方へ飛んでいってしまったような気になる。

これがオイラの名前で出ると思うと
おっそろしいですよ。
暫くホテルの部屋で一人にさせてもらい
何も無い工事中の空間を見つめながら
自分のデザインを想像してみる。

それまで居心地の良い空間とは何か?
という部分には、敢えて拘らずに
アート重視で、デザイン優先で考えてきていた。
それがホテル側から求められている事だし
オイラもそれでいいと思っていた。
しかし、やはり居心地って一番重要なファクターじゃないか。
そこを押さえた上で、自由に遊ぶことができれば一番いい。
OKは出たものの
まだまだ考えるべき事があるな。


2005年03月01日(火)



 エージェントのつもり


昼過ぎにRafiと待ち合わせ。
毎年夏に行なわれる市庁舎前の
アウトドア・アートショーの申込みにいく。
何でRafiと?と思うけど
まぁ最近アイツがエージェント代わりに
色々と動いてくれてて
今回のアプリケーションも手直しから申請まで
すべて準備を整えてくれたのです。

「オイラのこと、金づるだと思ってるだろ!?」と聞くと
「Yes, ハイ!」臆することなく日本語で答える。

だってさ、この夏のショーだって
本当は出るつもりなかったし。
予算もないし、締め切りも近かったし。
ところがRafiが「出ろ、出ろ!」と
申請書まで用意して、連日電話を掛けてくるんだから
しょうがない。
よっぽどオイラの売り上げを当てにしてるんだろう。

事務局は、アートビル【401Richmond】の中にある。
ここはアート関係のオフィスや出版社、ギャラリーばかりの
集合雑居ビルなのだが
つい最近、友達のデザイナーTerryとシャンドラが
共同でスタジオを借りることになった。
引越しが終わった頃だろうと思って訪ねてみるが
あいにく不在のよう。
Rafiいわく、「一度も居たためしがない」そうだ。
ここ入居するの難しいんだぜ。
2〜3年のウェイティング・リストだし
審査も厳しいって言うし。
Terryとシャンドラには勿体無い物件だ。

近くのR-Shopでランチを食べる。
偶然、Yuukoもランチを食べていた。
昨日電話したら「今、ニューヨークなんですよ」と言っていたのに
もうトロントに帰ってる。
例のクリストとジャンヌクロードの【The Gate】を観たらしい。
すごーーーーく羨ましいぜ。










画材店に寄ってスタジオに帰る途中
かなり久々にSLOANのJayと出遭う。
ベースのChrisも一緒だった。
彼とは初対面。
「今度、少年ナイフ来るんだぜ〜」とか
またクリストとジャンヌクロードの話になった。
一応、ダメ元で17日からのArt Expoに来てよと言ってみる。
SLOANは今、アメリカツアーのリハ中だというから
トロントに居ることは居るし。



2005年02月28日(月)



 印象派の構図













昼頃目覚め、R子と美術館の近所にある
ドーナツ屋にて朝食を食べる。
スープにドーナツ。
よく考えると有り得ない組み合わせだが。

スタジオに一人戻って
昨日失敗に終わった新作に再チャレンジする。
念のため、電話線を引っこ抜く。
同じ轍は踏まないぜ。

この新作でのチャレンジは
ザ・風景画。
人物は描かないことにしたの。
カナダでは風景画が売れ筋だからって
そういう理由じゃなくて
オイラの人物画の完成度が上がるにつれ
それまで描いてきたような都市の風景画(っていうの?)
【Rhapsody in blue】とか
【Yesterday is here】みたいなのの完成度が低いなって
漠然と思っていたんだよね。
そこからまた一歩前進しようというのが、今回の試み。

言うなれば、オイラにしか描けない風景画を極める
ということになるか。
風景画といえば、印象派のモネやセザンヌを
連想する人が多いと思うが
オイラも例に漏れず、この辺の作家には影響を受けている。
影響といっても、色や画風って意味じゃなくて
究極には【構図】の取り方だが。
何を題材として描くかじゃなくて、
それを画面の上で、どう配置するかって部分では
ゴッホも加えたこの辺の巨匠たちがチャレンジし、
後世に残した功績は未だに大きい。

黄金分割を配したキャンバスに
モネの【ポプラ並木】からヒントを得た
「ちょっと中心からズレてますよ」風なバランスで
Markham Stの夜景を描いてみる。

大きいので、何度も遠ざかっては
全体のバランスを確かめる。
今夜は眠れなさそうだ。

2005年02月27日(日)



 朝のヤル気が・・・

今朝方、作品を完成させたばかりだが
一刻も早く、次の巨大(48インチ四方)な作品に着手しようと
数時間の睡眠で目覚める。
さらに珍しいことに、めったに食べない朝食を
と言っても、ベーグルにチーズを塗るだけだが
ササッとかき込み準備万端。
こんなにヤル気を漲らせたのはNY行き以来のことだ。

そこへ一本の電話が鳴る。
「これからスタジオに絵を観に伺いたいんですが?」

マジかよぉ〜。
言わずもかな財政難のオイラは
金とヤル気を天秤に掛けるまでもなく
「お昼頃ならOKですよ」と
その来訪者を迎え入れることにした。


こっちも生活が掛かってる。
珍しくヤル気を出していた自分には申し訳ないが
昼間の一時間くらい、どうって事無いよな、と
自分に言い聞かせ
筆を持つはずだった手に掃除機を握らせる。
少しでも綺麗な部屋にしなければ。

予定の時間だったお昼が過ぎ
一時になり、やがて二時になっても訪問者は現れなかった。
えぇー、うっそ〜。
スッポカシの匂いが強まる。
・・・。
白い目で見つめるオイラの画家魂。
描き始めてから邪魔入ると嫌なので
訪問者が来るまでは決して筆を入れたくない。
しかし、もう三時だ。
しょうがない、もう絵を描き始めよう。

朝のヤル気とはうって変わって
非常に落ち着かない、そわそわした気分でキャンバスに向かう。
もしも100m走のランナーだったら
調整不足を理由に出場キャンセルするところだ。
それは大げさな例えだとしても
少なくとも何かを生み出す時には
それなりの段階を経て、集中できるように
自分自身をもっていく作業が必要な気がする。
特に、
この新作のように
下絵を描かず、頭ん中のイメージをブァ〜ッと
即興で描こうと思ってる時には。

そうは言っても、訪問をOKしたのは自分だし
誰に不満をぶつける訳にもいかないので
ポツポツとキャンバスに当たりをつけ始める。
絵の具をパレットに大量に出す。
アクリルは乾きが早いので
速攻で塗ってしまおう・・・。

ピンポ〜ン!

嘘だろ!?
吉本新喜劇のようにコケそうになった。
5時間遅れの来訪者だ。
出したばかりの絵の具はカピカピになる運命のようだ。

その来訪者は若いカナディアンの夫婦だった。
そして1歳になる赤ちゃんも一緒。
遅れた理由は、子供を預かってもらうはずだった両親が
急に無理になって色々とゴタゴタしてしまったらしい。
まぁ、しょーがないか。

ダウンタウンにコンドミニアムを買い、
二週間後に引っ越す予定らしい。
そこにオイラの絵を三点・・・まじですか?
オリジナルじゃなく、プリントだった(凹む)
それにしても奥さん、綺麗だ。
ユマ・サーマンそっくり。
【パルプ・フィクション】の時のオカッパ頭の頃に。

旦那は大手ブックチェーン【Indigo】の取締役で
「本なら安く手に入りますよ」と気を遣ってくれるのだが
オイラの目は奥さんに釘付け。
夫婦というよりは、女優とマネージャーに見える。

あいにく希望した作品が手元に無いので
引越し日頃までにこちらで用意することになった。

そして、朝のヤル気が戻ってくることは無く一日を終えた。



2005年02月26日(土)



 救いの神


3月17日に迫った【Toronto Art Expo】ですが
実は、危機だったんです。
出展の。

去年の夏に申し込んだ祭、デポジットで数百ドル払ったあと、
先日まですっかり全額振り込むのを忘れてて
オーガナイザーから「すぐ振り込まないとキャンセル」と脅された。
そうは言っても、現在わたくし
カナダに来て最大の財政難に見舞われておりまして
数百ドルをポンと出すなんて無理。
今月の家賃すら、まだ支払っておりません。
うーむ、どうしたものか?
どう足掻いても金が無いならしょーがない。
出展はキャンセルしかないな・・・。
と思っていたです。はい。

ところが世の中には【神】と呼ぶに相応しい人がいるんです。
こういう時に助けてくれる人を、オイラは神と崇めます。
画家・熊澤慎也
人は彼を神と呼ぶ---と、ナレーション付きで読みたいくらいです。
そうなんだよね、同じく出展予定だった慎也さんが
それを立て替えてくれることになった。
本当にありがたい。

今日の午後、慎也さんの自宅に出向き
ありがたくお借りした。
ちゃんと借用書も書きました。
しかし、慎也さんだって決して余裕があるわけじゃない。
子供も産まれて、家も買って
その絵筆に一家の生活が乗っかってるわけだから。
そのお金は、他の人から借りるよりも
ずっしりと重く感じました。

地下にあるアトリエを覗くと
描き掛けの巨大なキャンバスがたくさん。
奥さん曰く「彼は地下に住んでいる」。
ほんと多作だなぁ。
また刺激を受けました。

帰ってから、その刺激が消えないうちに
描き掛けの絵に着手。
そして完成!















去年、友達にモデルになってもらったやつだ。
一時、陰影をなるべく減らしたフラットな画面を追求してたけど
最近また、絵の中にある光と影のコントラストが強まっている。
これもギリギリのところで止めたけど
もっとコントラスト上げようと思ったくらい。

光と影

太陽と月

表と裏・・・

絵だけじゃなく、自分の中で再燃しているのが
こういった二面性の探求だ。
光れば光るほど、その影は濃くなるように
一方が強まれば、もう一方も強まるという原理を
様々なことに当てはめたりして
自然界と、そして生命の不思議なんかを考えちゃってるわけです。


2005年02月25日(金)
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