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2007年12月05日(水) わが通る道はありけり(2/2)



 上高地から穂高の中継点の涸沢に行くまでの行程は、少しだけ政治家の気持ちが分かる。バスターミナルのあたりはそうでもないが、会う人会う人さすがに握手はしないが、軽く頭を下げつつ、「こんにちは」を繰り返す。夏場だと、数百人行き交う人と挨拶を交わす。正直うんざりするが向こうもおなじ、とにかく挨拶する。帰りなどは一挙に降りてくるのでへとへとだが、会えばもう声を出すのも面倒で、軽く頭を下げるだけになる。それでも挨拶をする。政治家だとこれに握手したり、抱擁(これは無いか)したりしなければならない。有権者にしたら、支持者の握手は嬉しいに決まっている。が、握手は一回である。政治家は来るものを拒めない。選挙の時などたぶん手は腫れ上がるのではないか。
山に入るときくらい、政治やイデオロギーはちょっと置いておきたいと思うが、今回唖然とするものを見た。写真を見てくれ。




徳澤に続く道から、徳本峠の分岐を少し入った山の中の登山路沿いの木に貼り付けてあった。

「なんやこれ!」

なんで「戦争」が突然出てくるのか。果てしない単細胞を感じた。
山と人命大切に? 何で「人命」なんだろうか「命」ではないのだろうか。
 
 美しい自然を壊すのは「戦争」ではなくて、この醜悪な看板そのものだ。
断定的に「戦争反対」といったその後半突然優しくなって、「空き缶、ゴミ、良心(??)は持ちかえろうね」と、まるで子供に向かっていうような文章。こういう文章は本当に気味が悪い。

自然が美しいなんてのは嘘で、確かに自然を美しいと感じる感性を持つ人もいるが、人工的な都市の夜景を美しいと感じる人もいる。
そして自然は美しいより何より、過酷で怖い。台風、落雷を平気だと言う人はいないだろう。美しいと思える森林や沢筋も、人間が環境を整え手を加えてきたのだ。猿や鹿は自然が美しいなんて露程も思ってないだろう。日々の糧を得るためにただ走り回る所なのだ。

 自然に「美」は存在しない。人の心にだけある。なぜか。それは人間の存在が不自然そのものだからである。

 これを書いた奴の頭の中では「戦争は絶対悪」との思いがあって、何にかこつけても、これを言いたいがために、書いたのだろう。別に山でなくても自然でなくてもいいのだ。「戦争」がいやなのだ。いくら戦争がいやでも、病気と同じで無くならない。地球から例へ消えたとしても、今度は宇宙間戦争としてまた、始まることだろう。
病気絶対反対と言っても詮無い事で、反対をいうより備えを考える。普通の人はそんな事くらいとっくに知っていて、健康保険に入って、もしもの時に備えている。

書き換えてやろうか。

「山と人命を大切に
自然を壊す元凶、全ての人間の入山に反対」

したらどうなるか。山は荒れ放題になる。美しくなくなる。









2007年11月30日(金) 南京事件映画、第一部試写会(撮影完了報告大会)



 この前、大阪地裁の沖縄集団自決、軍命令はあったか(より正確には梅澤もと隊長の名誉回復)で、大江健三郎出廷と聞き、前日から泊まり込んで(京都から午前中に出かけるのは朝五時頃寝る身にとっては不可能だから)早朝半覚醒状態で裁判所前で並び、抽選券をもらったが、落選した(終わってからの弁護士会館にての集まりには参加出来た)がこれとは違って早いもん勝ちらしいので予定は以下のように多少変更されたが早めに行けば確実に座れる。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 平成19年11月29日 ━━

 平素は映画「南京の真実」製作に、ご支援、ご鞭撻を賜り、まことに
有り難うございます。 

 皆様のご支援、ご協力のおかげで、映画「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」の撮影は、あと数日のロケーション撮影にて、完了する予定です。

 映画製作にはよくあることではありますが、さまざまな要因で、当映画の
撮影日数が延びました。連日、朝早くから深夜まで、時には朝日を見るまで、と強行軍の撮影でした。疲労から照明スタッフの1人が脚立から落下し、手首を骨折するという事故も起こりましたが、何とかほぼ無事に撮影を終えられそうです。

 撮影は、緑山スタジオオープンセットでの実質6日間(セット建て込みと
バラシは別で10日間)を終え、日活撮影所でのスタジオ撮影は、1日の休日もなく、連続12日間(建て込みとバラシで別に1週間)の撮影を終えました。
月末数日間のロケーション撮影を終えますと、オールラッシュ、粗編集作業やCG編集、色彩調整、劇音楽録音、整音、サウンドエフェクト入れ、音ダビング作業、フィルムキネコ起こし等々の作業と続きます。

 これまで皆様に予告してまいりましたように、私たちはぎりぎりのスケジュールで、何とか12月14日に、完成披露試写をさせたいと努力してまいりましたが、諸部門の様々なトラブルや撮影の延長等によって、完成された映画作品として皆様に見ていただくには、時間的にもう少し余裕がほしいとの声が、監督からも、他のCG処理や編集、音楽担当からも上がりました。


 そこで、最も大切なのは、最良の状態の映画を作り上げ、皆様に観ていただくことだと判断し、12月14日の日程を変更させていただき、「1月完成披露試写」とさせていただこうと決断いたしました。

 なお、12月14日は、兼ねてより予定しております九段会館にて、昼の部・夜の部共に「南京の真実」撮影完了報告大会という形で、当映画予告編をお見せする他、「南京の真実」についてのイベントをと企画しています。

 南京陥落記念日の翌日の試写会を楽しみにしていた皆様には、まことに申し訳なく、お詫び申し上げますが、どうか、「南京の真実」の映画完成度を磨く時間をいただきたく、私たちの苦渋の決断をご理解をいただきますよう、何卒お願い申し上げます。

くらきより冥き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月 和泉式部


■映画 南京の真実 第一部「七人の『死刑囚』」撮影完了報告大会■

    日時: 平成19年12月14日(金)
       【昼の部】開演14時 (開場13時30分)
       【夜の部】開演18時30分 (開場18時)
    場所:九段会館
       102-0074東京都千代田区九段南1-6-5 電話03-3261-5521
       http://www.kudankaikan.or.jp/access/index.html

              株式会社チャンネル桜エンタテインメント
              映画「南京の真実」製作委員会          
   









2007年11月28日(水) アリマキとブフネラ (1/2)



 日台同盟推進訪問団(衆議院議員西村眞悟代議士を団長)にくっついて、台湾に行った。会員でも何でもないのに参加させてもらった。駄馬がどこへ行こうと駄馬であると誰かが言った。ライオンや虎と一緒に行くと、改めて自分が駄馬であると言うことが分かるが、同行して良かった。
 講演、宴席、いろいろな人達に終始圧倒された。李登輝元総統は、二時間近く立て板に水のごとくに話した。齢八十を超えてそのエネルギーはどこからくるのか。老台北、蔡焜燦氏は取って置きのCIA顔負け??のトップシークレット???を披露し、百数十名の我々の宴席代を支払った(奢ってもらった)!!
宴席では、団長西村代議士はフランス人ルルー作曲の軍歌、抜刀隊(扶桑歌)のあの長い歌詞の曲を音楽無し歌詞カード無しで音吐朗々と歌い上げた。歌詞を見ても文語調で書かれた詩はむづかしい。聞いていると勇気凛々となる。

 今回の台湾訪問で改めて思いを新たにしたのは結論から言えば、台湾と日本は共生関係でないと、明日はないと言うことだ。同じ共生といっても、クマノミ(魚)といそぎんちゃくではなく、アリマキとその細胞内で生きるブフネラの関係でないといけない。





 ←台湾国国旗


いそぎんちゃくは魚をその毒で麻痺させ補食するが、クマノミだけは毒が効かない。おかげでクマノミは、大型の魚から自分を守ることが出来る一方、クマノミがいそぎんちゃくに何を貢献しているのかはよくわかっていない。こういう共生の仕方は、片利共生と言って、今の日本で言えば、在日(主に朝鮮)が、参政権を得るようなものだ。

 アリマキとブフネラは、とても強い関係にある。双方の命に関わる関係で、アリマキが摂取する食物には二つのアミノ酸(アスパラギン酸とグルタミン酸)しか含まれていない。他にも必須アミノ酸と言われるものが必要で、これだけでは生きていけない。ブフネラはこの二つのアミノ酸を合成して必須アミノ酸を作り出し、アリマキの生命を維持する。一方、ブフネラは自分の生命維持のための遺伝子の多くを失っていて、アリマキの中でしか分裂増殖が出来ない。これが二億年連綿と続いている。この命を互いに預ける関係が台湾と日本である。地政学的にもそうである。

              ー続くー

→2004年の今日のたん譚 お茶の講演会









2007年11月14日(水) 骨折り得の名誉市民



 十月中頃だったか、円山公園野外音楽堂で市民狂言会があった。その時、茂山家と仲のよい瀬戸内寂聴がゲストで「必要があって作家の遠藤周作の本を読んだ、あんまりの馬鹿馬鹿しさに、腹を抱えて笑ったら、そのはずみであばら骨を折ってしまった、お気をつけ遊ばせ」と冗談を言っていた。
そしたらなんと数日前の新聞に茂山千作氏、転んで肋骨折るのニュースを読んでまぁ仲の良いことだと笑ってしまった。

 先日,共に京都名誉市民になって目出度いが骨まで一緒に折る事はない。
ところで狂言の方は、ご高齢のためか腰が据わっていなく、足元覚束ず満足に立ったり座ったりが出来ない。見ていて痛々しい。 潔く引退をした方がいいと思った。いつまでも現役でという、アメリカ型思考は止めて、潔く引き際を知り舞台を去ることで、贔屓にしてきた人々に、何時までも往時の名演を心に留めさせておく事になるのだ。
夭折した映画俳優が記憶に長く残るのに似ている。引き際が肝心。

今日元気
曲舞う舞台
可なれども
所詮昨夜の
姿は舞へず

けふげん
きよくまうぶたい
かなれども
しよせんさくやの
すがたはまへず

瀬戸内寂聴 …作家、尼僧。タレント。この人の実家の仏壇屋の前の通りのもう一つ南の通りにたん譚が通っていた小学校があり、この仏壇屋が火事になって、家がお釈迦になってしまうのを見ていた記憶がある。


→2001年の今日のたん譚 酒(myrte)と薔薇をめぐって。









2007年11月01日(木) わが通る道はありけり(1/2)



 上高地に行ってきた。一晩にして穂高連峰は雪を頂き、冬の装備なしでは危ない状態になった。利用した山小屋も後十日ほどで小屋を閉じる。一人ではなかったし、装備も冬のものではなかったので、涸沢には行かなかった。
今回は槍沢と徳本峠をあたりを逍遙することとした。

 昔、上高地にはいるのは徳本峠(とくごうとうげ)から入った。ほとんどの人がもうこの峠を越えて上高地穂高には入らない。
寂れてしまったこの峠を、途中道草を食いながら、登っていった。上高地から徳沢へと続く登山路から一歩徳本峠への分岐にはいると、人足はぱったりと無くなる。
高度を稼ぎながら峠に行くまでの谷沿いの道から眺めるうっすら雪をかぶった明神岳が美しい。沢筋は本来なら、とっくに紅葉していておかしくないのだが全然と言っていいほど紅葉はない。唐松の林がどうにか黄色に色づき秋の気配が感じられる位で、沢をなぜて行く風は冷たくはない。

 温暖化が本当だとしたら、日本は亜熱帯性気候になる。歴史始まって以来の大事となる。四季に拠って立ってきた文化形態が変わってしまうだろう。新たな疾病も出現するにちがいない(後の勉強により、あってもこれから100年間の間に0.6度の温度上昇だと知りインチキだとわかる。2009/某月)。

 最近は登山者も昔に比べたら減っている。中高年のにわか登山者が増えてはいるが、事故も多く起こっているようだ。この登山者たちにも、スポーツアルピニズムの悪しき弊害?がでているように感じる。
A点からB点に行くのに、 脇目もふらず行く。同じ所で溜まり、同じような行動形式をとる。結果へとへとに疲れて帰ってくる。それでもいいと言われれば何にも言えないが。

 山小屋では、イクラが食卓に出、ステーキがでる。茶碗蒸しに、カナダ産の松茸が入っているのは御愛嬌だが、沢筋にごまんと生えている、野生の三つ葉には目がいかないらしい。これを入れればいいのに。そのことを言うと、採ってはいけないことになっているという。たかだか、一晩二十人くらいの食卓の茶碗蒸しにあしらう野生の三つ葉が絶滅につながるはずもないし、適度に採ってやることで、刺激となり前にも増して増える。過剰保護は無関心につながり、今山小屋の従業員に「この茸食べられるの」ってきいてごらん。なーんにも知らない事、都会のホテルマンと同じだから。

 かって雪の残る南アルプス北岳の小屋で、夜、小屋を抜け出して、岩陰に腰掛け青い月をかすめて飛ぶように流れていく雲を震えながら見ていた事がある。山に出向くのは寂しさや静けさやまた無情と言う言葉をしみじみ味わうことにある。じっと青い月を見ているとこの世って何だろうという気持ちになる。冬山で負傷した同行の友を思い自分は無傷なのに、友と死を共にすることにし、遺書を残して逝ってしまった松濤明(まつなみあきら)を、その心情をいつも思う。

 翌日開けて朝飯の時、登山客が話題にしていたのは、夕べ夜半小屋を出て行った奴がいるということだった。団体行動なら同じように飯を食い、同じように寝なくてはならないが、個人で来ているのだ。夜半に星を見に行こうが何をしようがいいと思うのだが山小屋を利用するとこういう事になる。
だから、かってはテント食料を担いで行ってたが、年とともにそうも行かなくなった。

 上高地、宿泊客は各部屋で眠っている夜半、ベランダに出ると、梓川に黒々と影を落とす山々の上空、オリオンの三つ星は、まるでマグネシウムを焚いたように輝いていた。こんなに輝くのが見える日は少ない、そこで家人に声をかけたが、すでに夢の中であった。

 上高地から徒歩で3時間、山中で泊まった「氷壁の宿」とうたっている徳沢の小屋も、その意味するところを知っている人がいるどれだけいるだろう。
 
 帰りの上高地のバスターミナルで看板を見てたら、おばさん7人くらいに取り囲まれた。看板を見ている。全員が朝鮮語を喋っていた。噂は本当だったニダ。






   落葉松

   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。


   からまつの林を出でて、
   からまつの林に入りぬ。
   からまつの林に入りて、
   また細く道はつづけり。


   からまつの林の奥も、
   わが通る道はありけり。
   霧雨のかかる道なり。
   山風のかよふ道なり。


   からまつの林の道は、
   われのみか、ひともかよひぬ。
   ほそぼそと通ふ道なり。
   さびさびといそぐ道なり。


   からまつの林を過ぎて、
   ゆへしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり、
   からまつとささやきにけり。


   からまつの林を出でて、
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   からまつのまたそのうへに。


   からまつの林の雨は
   さびしいけどいよいよしづけし
   かんこ鳥鳴けるのみなる。
   からまつの濡るるのみなる。


   世の中よ、あはれなりけり。
   常なれどうれしかりけり。
   山川に山がはの音、
   からまつにからまつのかぜ。

            北原白秋



徳澤園。別名「氷壁の宿」…山岳事故を元に書かれた井上靖の小説「氷壁」の舞台になったことからつけられた。昭和30年(1955)切れないはずのナイロンザイルがいともあっさり切れ、登山者の命が奪われ、それをめぐって裁判で争われる。調査結果と違う証言がされたり、大きな話題となった。


松濤明…厳冬期の槍ヶ岳北鎌尾根において遭難。若くして無くなったのでほとんどなにもないのだが、「風雪のビバーク」「ピークハンティングに帰れ」などのエッセイ、著書がある。
    


 









2007年10月18日(木) 拝啓 P・クローデル様 賞賛返上



 先日、福田政権に替わり、俄に心情穏やかざる心地し、奈良での国民大行進(朝鮮からすべての拉致被害者を奪還する)に出かけた。近鉄奈良駅から、途中朝鮮総連の前を通り、JR奈良駅までを歩いた。運動が小さくなってしまうのではないかと心配で出かけたが杞憂に終わった。だから、大行進の話では無い。

 殆ど毎日、家に居て仕事をしているので、朝のラッシュ時電車バスの混雑時の人々の様子などはついぞ知らない。普段でかける時も、家に自家用車が無い代わりに、タクシーを利用するから出会う事が無い。
時たま、会合などで、大阪奈良などに出かけると、電車の中で大勢の人と一時を過ごす事になる。
 この日は土曜で、近鉄奈良線の停車駅からどやどやと男子高校生のグループが乗り込んで来た。学生の一人が横に座った。そして大きな手提げ鞄から、何やら取り出した。目の端に写るそれは、文庫本より少し大きめの鏡であった。その高校生は自分の頭をそれでじっと見ながら小一時間、毛繕いをしていた。隣の友達に、「眉毛これでいいかなぁ」と聞いている。
開いた口を閉めるのに一苦労した。嫌なものを見てしまったと思ったが、甘かった。

 次に、警察の先導の下に、病院近くでは声を落とし、遠慮がちに静かに通り過ぎるような、紳士淑女の大行進の人々に対して、中高年のばぁ様が、「もっと端を歩け!」とすれ違い様言ったのである。
確かにそこは狭い歩道であり、二列になって歩いていても一杯になる。もうちょっとものの言い方があると思うのだが、そう言い放って去った。あのばぁ様にとってこの行進は自分の邪魔になると言う迷惑行為としか映ってないのだろう。

 極めつけは、行進も終りJR奈良駅前広場で解散した後、電車の時間が少しあったので、近くを逍遙した。よくあるコンビニの前を通り過ぎようとしたその時である。薄暗くなった通りに明るい店内の光が歩道を照らしているその明かりの端に栄養の良さそうな生白い足が見えた。
絶句した。制服にしては妙に短いチェックのスカートをはいた女子高校生が二人、地べたに座り込んで、店の方に向かって半分膝を立て股を開き、足を投げ出して、なんと!どんぶり型のカップラーメンを食っていた。
まじまじと顔を見たが、何の羞恥心も持たないようであった。人の形をした獣を見た感じがした。駅のすぐ前には、先ほど解散した広場があり、ベンチも有る。
注意してどうにかなると言うレベルを超えている。
 衣食足りて礼節を知ると言うが今は、衣食足りすぎて礼節無し。どうしようもない精神の貧困の群れがいつの間にか存在している。
格差社会と言うが所得の格差より、精神の格差の方が日本人を滅ぼす。日本に大使(昭和18年頃)として駐在したフランスの大詩人ポール・クローデルは、親友のやはり大詩人のポール・ヴァレリーに「私が滅びないように願う一つの民族がある。それは日本民族(大和?)だ、これほど注目すべき太古からの文明を持てる民族を他に知らない。・・・彼らは貧乏だ。しかし高貴だ。
この賞賛は返上しなければならない。

「親の顔が見たい」という言葉が近頃、しみじみと理解出来る。










2007年10月12日(金) 主権より国連のお騒がせ



 国連決議を待とう、国連の査察を継続…、国連で戦争回避?…。

 これを見ていると、国連はまるで戦争をしないように働いている組織のような、平和団体のような錯覚がある。そうだろうか? 国連とは、第二次大戦中、日独伊(を枢軸国と言った)と戦った「連合国(The United Nations )」をいう。これからも解るように。「国連」は「連合国」という軍事同盟から生まれたものだ。世界連邦や恒久平和を目指しているというのは幻想である。

 1945年4月に国連憲章(連合国憲章)を作るために、連合国(米ソ英中)は各国に参加招請状を出した。参加条件は「1945年3月1日までに枢軸国(日独伊)に宣戦布告をした国」という条件が付けられていた。この時、枢軸国(政治的活動の中心国)の日独は戦っていた。だから、あわてて枢軸国に宣戦布告したりした国もあった。中立を国是としているスイスが対象外なのは当然だろう。

 だから国連は、枢軸国に宣戦布告した「国際連合国」というのが本来なのだが、それが解るのを嫌ってか、日本では「国連」とした。そうするとあら不思議!
平和のために世界が集まっているような錯覚に陥る。
多く日本人は思っているだろう。

 そこでさらに追い打ちの一撃。
 国連が平等でないことは、成り立ちから枢軸国に対してできた連合だからあきらかで、中心五大国(中ロ米英仏)は、拒否権を持つが、それに反して、当時の枢軸国(日伊独)に対しては国連憲章の「敵国条項」と呼ばれる第107条で縛っている。

 第107条…この憲章のいかなる規定も、第2次世界戦争 中に、この憲章の署名国の敵であった国(日本やドイツ)に 関する行動で、その行動について責任を有する政府がこの戦 争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排 除するものではない。


 また国連は平和裡に手を打つ組織ではない。ちゃんと、第42条に「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍、陸軍の行動をとること ができる。」と、武力行使を認めて、絶対戦争反対の平和組織ではない事がわかる。それに発足当初、独自軍隊を持つことも検討されていたが、米ソ冷戦中の事で、共同軍事行動など不可能であったことから見送られた。

 国連憲章は、各国の個別的自衛権(国家グループでの同盟関係…NATOや日米安保)と、集団的自衛権を認めている。 国連は、主権国家を認め、その間の調停を目的とした機関なのであって、何か世界連邦的なものの為の期間ではないのだ。

 我が国日本は、国連の、主要五カ国中二カ国、中・旧ソ(現ロシア)の多大な援助国である。自立できていない国が主要国に二国有り、経済大国で自立した国が国連の敵国である。

 この「敵国条項」を破棄しようとすれば、憲章を変えねばならない。そうすると各国が修正要求を次々出してきて、憲章自体が崩壊してしまう。だからいまだに、この107条を日本国政府が撤回せよという、要求をしているにも関わらず、国連は出来ないでいる。国連は矛盾の上に成り立っている組織で、それは当の米国が一番良く知っている。

イラク問題の後、米国は国連の主要国からフランスをはずし、日本とインドを入れようとする話も今でている。そうすると泣いて頼んで入れてもらったフランスはどうするのだろうか? 

どちらにしても今の国連は矛盾に満ちている。

 
 お騒がせ国連を、金科玉条とす一臘誤てり。


 2003年03月16日(日)国連てなんだ? より、再掲載









2007年10月09日(火) これは事件か?



 見たことも聞いたこともない、タレントの女の子が傲岸不遜だとか「謝罪」?したとか騒いで新聞も載せていた。何のことか分からなくて、やがて了解した。
いつだったか、町内で映画のロケがあった。「映画の名はクローズドノートといいます、ご迷惑かけます」と回覧板が来ていた。直接見たわけではないが、晴れの日に雨降らしたり撮影も大変だと思っていたら、主人公?も世間に迷惑かけたらしい。
何でこんな事が新聞に載るのか。スポーツ新聞か何かに載せてくれ。騒ぐほどのことか。インターネットで検索アクセス数が、第一位であるという、マスコミは乗せられたんじゃないか?










2007年10月03日(水) 沖縄で十一万人? と法廷ライブ



 あの秋田の信じられない事件、我が子が魚を見たいと言うので、橋の上まで連れて行った際、欄干に腰掛けさせ、背中を押して川に突き落とし溺死させたあの事件、後日近所の子供に見られた?と思い、その子も殺した、新聞が書くところの「鈴香」容疑者の、法廷ライブを産經新聞のweb版でやっていた。
傍聴した記者が、速攻でネット上に証人、被告、裁判官弁護士のやり取りを書いていた。

 我が子我が家族に手をかけるという異常事態は、この前大阪地裁で傍聴した沖縄集団自決、軍が命令したかどうかの裁判、の出張裁判が先月沖縄(非公開)であったが、その時の証人、軍命令があったと主張する金城重明(当時、島民)という人の事を思い出した。この人の言い分では、軍から手榴弾が二個づつ配られ、一つは攻撃用、残りは自爆用だと言われたという。この人は、家族が死にきれないので、自ら家族に手をかけて殺した。
 戦後、人間の最も深刻な葛藤、結局自分は生き延びてしまった事へのどうしようもない苦しみからだろうか、確か牧師になっていた。昔読んだ本にはそう書かれていた。

 特攻隊として出て行った赤松隊が、現地の人達に指し図したり、まともな迎撃用の迫撃砲や、手持ちの銃さえない隊が、住民に手榴弾を与える事自体不自然だと思っていた。やはり、この前の沖縄での裁判で、この金城(重明)証言がかなり怪しいものだと解って来た。生き残った人で手榴弾を実際に受け取った人が見当たらないらしい。( 訂正10・4 →軍命令ではないと言い切る、集団自決で生き残ったもう一人の金城(武徳)さんによると、どこから持って来たか、手榴弾は二十人に一・二個もらったと言っている。手榴弾が島民の手に渡っていた事は事実のようである。ただし金城重明発言は微妙に違う)。
最後は「軍の命令」が、渡嘉敷島だけに降りたと主張したようで、普通は「手榴弾で自決せよの」命令が、渡嘉敷だけに限定されるなんて、軍のネットワークから見て、ありえないし、どちらにしても記録に残る。
さらに「天皇陛下万歳」を言って自決した事は、軍の命令と同じだと言っている。なんか滅茶苦茶な言い分である。

 気になるのは、、アメリカ軍は善で、日本軍は悪だという空気でものを言っている(戦後発刊の鉄の暴風の論調も)事だ。
 戦時、ろくに装備も持たない島に対して、硫黄島のごとく、島民が居るにもかかわらず無差別に砲弾を雨霰と落とした米国に対して文句を言わず、元々は特攻隊として命令を受け、ベニヤ板の船に爆弾を抱え、夜闇に乗じて島から米国船隊に体当たりの任務を負った赤松隊に対して、鬼畜のごとく糾弾するこの金城と言う人は、異常事態下において、自分のやった行為の責任転嫁の形で赤松隊長以下を糾弾しているとしか思えない。特殊状況下に置いての責任なんて誰にも追求出来ない。金城さんを誰も責めない。同じように赤松隊を名指しで特定し責める事も出来ない。自発的な死は尊厳死として島民の崇高な精神としてこちらに訴える事は氷雪の門と同じであるのに無理矢理命令でというのは事態として醜い。

 赤松隊特攻の夜は、隣の島から来た上官の沖縄本島への送還の命を受け、最後のチャンスの攻撃を断念し島に残る。後、降伏、敗戦。

 戦後、わずか二人の証言を元に、沖縄タイムスは集団自決を含んだ「鉄の暴風」というかなり怪しい本を出す。この二人は、実際その場に居た人ではなく、すべて聞き覚え、噂の域を出ない証言を元に鉄の暴風は編纂されている。おまけに内一人の証人はそういうインタビュウを受けた記憶が無いと否定している。これが、全ての始まりで、後はこの本(厳密には三冊ある)の孫引きで作られていると言ってもよい。  

現在沖縄で十一万人?が集まり、沖縄集団自決が教科書から消えた事に対して、反対している。間違えてはいけないのは、集団自決が「あった」事と、「軍命令があった」事とを混同してはいけない。
裁判の争点は、「軍命令有りや無しや」なのであって、集団自決有無の争いではない事だ。
いくら、何万人集まっても、例えば2+3=5なのであって6にはならない。人数は関係ない。この集められた人々は、自分で書物一つひもとく能力はないのだろうか。最近どんどん事実が分かって来て、軍命令はないと言う事が解り始めて、強制性(あの従軍慰安婦で強制はないと解った時点で出て来た)という概念をまたも持ち出そうとしている。

 沖縄集団自決訴訟なども、記者がライブで法廷の様子を伝えてくれるとありがたい。先月、大阪地裁に傍聴に行った時も、午前中の赤松隊の知念副官証言はもとより、午後、用意してもらって居た席が一杯で、前半は図書館で過ごし、後半だけ傍聴出来たが、半日つぶれてしまった。ネットでやってくれると本当にありがたい。途中からの傍聴は、流れに追いつくのが大変だった。


本件で争われているのは、渡嘉敷島の赤松戦隊長と座間味島の梅澤戦隊長(原告梅澤)から自決命令が出たか否かであるという点。大阪地裁で被告側証人にたった宮城晴美さんは、自分の著書を書き直してまで(自分の母親が言った「軍命令はなかった」、座間味村史の中では、軍命は確認出来ず、と言う事に関して)「隊長命令」があったように持って行こうとしている、母は嘘をついていると言うのである。聞いていて自分の母親を信じていないのは、悲しく思った。

氷雪の門
北海道の北端、樺太の対岸に位置する稚内西側の小高い丘陵にある稚内公園「氷雪の門」の傍らに、昭和20年8月20日、樺太の真岡電話局で、9名の若い女性電話交換手が、迫りくる戦火の中、崇高な使命感のもとに職務をまっとうし、ついに青酸カリで自決した事実を知らせる慰霊碑「九人の乙女の碑」がある。

碑文

「戦いは終わった それから五日 昭和二十年八月二十日 ソ連軍が樺太真岡に上陸を開始しようとした その時突如日本軍との間に戦いが始まった 戦火と化した真岡の町 その中で交換台に向った九人の乙女らは 死を以って己の職場を守った 窓越しに見る砲弾の炸裂 刻々迫る身の危険 今はこれまでと死の交換台に向かい 「皆さんこれが最後ですさようなら さようなら」 の言葉を残して静かに青酸カリをのみ 夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。戦争はふたたびくりかえすまじ 平和の祈りをこめ尊き九人の乙女の霊を慰む」



→2001年の今日のたん譚 亡国の建築












2007年09月17日(月) 皆様 御首相?さま



次期首相濃厚、福田康夫氏の素晴らしいご経歴

□8/15靖国参拝を13日に前倒しさせれば中共は絶対に抗議しないから、とウソの助言を小泉に与える

□ 病気治療のため来日する李台湾総統のビザ発給に最後まで反対、欧米を唖然とさせる

□ 日本国憲法の改正は中韓におうかがいを立てる必要があるとの電波を講演会で発信

□ 靖国参拝は中韓の立場も考えねばならない、と発言

□ 上海日本総領事館の館員自殺問題をもみ消す

□ 蓮池薫さんらを北朝鮮に帰せと主張

□ 「 あいつら ( 地村、蓮池 ) 内心嬉しいのになぜ喜ばないんだ!」「 誰かあの髭 ( 蓮池兄 ) を黙らせろ!」

□ 撃沈した北朝鮮不審船事件の引き上げに反対

□ 中国原潜が侵入した時、首相官邸に報告上げず、原潜が逃げ出すまで中国大使と時間稼ぎ

■次期総理大臣候補、福田康夫の素晴らしいアジア外交戦略ー「心と心のふれあい」を重視

★中国と話すときには誠意を
持って相手の立場を考えて議論することが大事

★日本国憲法の改正には中国、韓国の理解が必要

★靖国参拝は中国、韓国への配慮が必要

★上海領事館員の自殺問題をもみ消したのもこの男

★蓮池薫さん達を北朝鮮にかえすべきと主張

★北朝鮮の不審船、引き上げに反対。

★中国の原潜の日本領海進入を小泉首相に
すぐに報告せず、時間稼ぎをする』

とまぁ、こういうことを言う人が次期日本のリーダーにな…っていいのか?。

*元自衛隊空将、佐藤守閣下のページコメント欄から転載。


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