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2004年09月17日(金) わっはっはの尾形光琳



 最近、尾形光琳「紅白梅図屏風 (国宝)」に当然使っていると見られていた、金箔が使われていないと騒いでいる。先日、その一部始終の映像を見た。
 東大の権威ある評論家だか研究家が、科学のメスによって金の含有が無いに等しいと結論が出て、あわてふためいて、あらためて、伊豆の MOA美術館を訪ねて、目を白黒させ困惑しきって、挙げ句、「これは新技法でそれを研究するためのものだ」と新 (珍)解釈を開陳していた。
  これを見て、しばらく笑いが止まらなかった。 嗤ったわけは、それならば、その後の作品「燕子花図屏風」には、なぜちゃんと金箔がはられているのか、説明してみよ。どうだ、出来ねえだろう。
 研究や実験は、点ではなく線である。それだけポンと出て終わるたちのものではない。評論家、無自覚な日本画家、なぜそういうことになったか、多分永久に分からんだろうから、たん譚の解釈に耳を傾けよ。
  多分今の時点で誰も言っていない、一私見である。光琳の箔押しの痕が、京友禅に使われる渋紙を使った、型押しらしい事はわかっている。 光琳の生家は染物屋だった。
 
光琳のやった事は簡単にいうと、西洋の絵画でいうとトロンプルイユ (だまし絵)なのである。箔押ししたように光琳は型紙を使って描いたのである。





ここで、なぜだろうという疑問が出てくるのは当然で、そこから先は、口先だけの東大だか、へっぽこ研究所の先生には永久に分からない、にもかかわらず、たん譚センセーには、たちどころに光琳先生の冷や汗もののご苦労が手に取るようにわかったのであった。

 モーツァルトの未完の曲「魔笛」は、スポンサーに金をもらって書いていた。天才に多い後先考えずに金を使ってしまい、やむにやまれず仕事する。光琳もそうだったと確信する。「紅白梅図屏風」の注文を受けて当然金箔などの材料費としての準備金をもらったに相違ない。

 ところが使っちゃったんだなあ、そこでどうしたか、後は言わずもがなである。必死になって 「見せかけた」のである。
 
 なぜこのような事を言うかというと、かって無名とは言へ、同様な経験をしたからである。時代が変わっても人の考える事は変わらない。
 
 今は昔、ある縁で、大きな家を借りた事あり、持ち主は家族を伴ってイタリアに赴任していた。
家の一階最奥の部屋をトレーニングと鍛錬の部屋にあてて、バーベル、ベンチなどを置いていた。そのバーベルの鉄のおもり (プレート)を、それぞれ重ね合わせて畳の上に直に置いていた。
 梅雨の時期を挟んで三ヶ月ほど欧州に旅行に出かけて家を空けた。
帰国して、トレーニング再開しようとプレートを持ち上げたらなんと、プレートから出た錆がくっきり畳みについていた。十何カ所も。

 しばらくして、引っ越す事となった時、困ってしまった。畳は比較的新しく、丸替えするには、当時経済的に無理だった。
そこでどうしたか。思案の末、アクリル水彩にカゼインを混ぜたもので、錆びがついた部分に畳色をあわせ、一目一目そっくりに描いていった。プロにはともかく、素人目ではじっと凝視しない限り、絶対見破られないくらい色を合わせて描き込んだ。
 やがて引っ越しとなり、裏庭の松の木の虫食いを言われたが、畳はなんのクレームもつかなかった。
 …という経験から、きっとそうにちがいないと直感したわけである。
 これが真実! か?










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