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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2005年03月29日(火) --

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『第九軍団のワシ』

サトクリフの代表作ともいえる、ローマン・ブリテン三部作の一冊。

やっと、この世界に入ったという感じである。 舞台は、秩序と合理性を重んじるローマ帝国に占領されている 辺境の地ブリテン島。 ドルイド僧に導かれるケルト人の価値観とは相容れない、 民族どうしのあつれき。 さらにケルト以前からの土着の民族もそこに暮らしている。 ヨーロッパ西端の島は、湿気を帯びて美しい。 後に海運で世界の覇権を握る大英帝国も、いまだ未開の地と呼ばれ、 ローマ人たちに支配されていた時代。 そんな文化の違いが、武器に彫られた文様にも託して描かれている。

しかし、サトクリフは歌う。 文化は溶け合いにくいものでも、人間対人間の間には、 特別な交流が生まれ得るのだと。

物語の主人公、マーカスは20歳そこそこの前途洋々たるローマ人兵士。 故郷エトルリアへの思いを抱えながら、将来はエジプトで指揮を執りたいと 夢見ている。 ブリテン島で父と同じ百人隊長として任務に就くが、 抵抗する氏族と戦った傷がもとで、 職業軍人としての人生から、あっけなく退くことになる。

失意のマーカスが、なぜかブリテンに居着いている独身の叔父のもとに 身を寄せ、奴隷にされていた氏族の若者エスカや、 ブリテン人の少女コティア、愛犬となる狼の子と出会うたび、 彼自身の存在感が増してゆく。 マーカス本人はどちらかといえば鏡のようで、 誰かの炎を映して輝くかのようだ。 しかし、ローマ人で公平な性格の彼を主人公にすることで、 ローマ人とブリテン人、当時のカオス的な人種の交流を、 歴史にうとい私たちですらも、客観的に読むことができる。 願わくば、これほど男世界の物語に徹せず、 コティアや他の女性たちにも、もう少し活躍してほしいと 思ってしまうが。

それにしても、ローマの文化でブリテン人の熱狂したものが コロセウムでの闘技だったとは、意外だった。 肌の色もちがう、言葉もちがう人間たちが、 ブリテンという「妖精の気配」に満ちた緑の島で暮らすうち、 混ざり合いながら次の世代をつくってゆく。 そしていずれ、現在のイギリスへとつながってゆくのだ。 サトクリフのような名作家たちを生み出した文化へと。

サトクリフは、この作品をとりわけ愛していたという。 かつての時代、北方で行方不明になった第九軍団の存在と、 彼らの守護神であったワシが、はるか南の地で発掘されたという事実から サトクリフはこの物語を呼び起こした。 彼ら3人の主な登場人物は、まさに啓示のごとく降り立ったのだとか。 他の作品では、ときに計算しながら動かす創造物たちが、 ここでは、自分の足で動き回ったらしい。

英国で出版されたのは『指輪物語』と同じ1954年。 それを思うと、聖なる、と言っても良いほどの一致に打たれる。

亡き父の軍団だった第九軍団、地上から忽然と 消えてしまった幻の軍団の真実と、ローマ兵士達の守り神だった 黄金のワシを奪還するため、マーカスとエスカは北方へ、 ローマの守りが崩れている地へ、旅に出ることを宣言する。 ちょうど、フロドが従者を連れて、指輪を捨てる旅に赴くように。 妖精王の御前会議の場で、誇らしくも手を挙げたように。

そしてまたゲドの話題を持ち出さずにはおれないが、 マーカスの逃亡を助けてくれた霧、この物語のあちこちで 時の狭間を埋めるかのような白い霧は、 かのゲドが少年のころ、初めて使った大いなる魔法の象徴でもあった。

だから、考えずにはいられない。 もしも、サトクリフが彼らを、いや、彼らがサトクリフの 胸に飛び降りてこなかったなら、世界はどんな姿に なっていたものだろうか、と。 あの指輪にまつわる物語もなく、大魔法使いの人間的な姿をも 知ることのない世界には、住めそうにないから。

マーカスの旅をともに終えて、彼が選んだ人生を誇りに思う。 「良い狩りだった」と満足のため息をついて。 (マーズ)


『第九軍団のワシ』著者:ローズマリ・サトクリフ / 絵:C・ウォルター・ホッジズ / 訳:猪熊葉子 / 出版社:岩波書店1972

2004年03月29日(月) 『夜明けのフーガ』
2003年03月29日(土) 「いちばん美しいクモの巣」
2002年03月29日(金) 『グリーン・ノウのお客さま』
2001年03月29日(木) 『妖都』 

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