2004年08月16日(月)  伊豆高原のアンダティバリゾート

■13日から17日まで5連休取っていたので、後半は伊豆へ行くことに。こないだ美容院で読んだオズマガジンのリゾートホテル特集で目をつけたホテルのサイトを比べてみて、いちばんよさげだったアンダティバリゾートに14日夜電話すると、最後の1室。空いててよかった。ここが気に入った理由は、「宿泊料にフリードリンク、卓球、ビリヤード、カラオケ、貸し自転車などなどが含まれております」という料金システム。サイトのBBSを読むと、泊まった人の満足度も高そうなのが決め手になった。
■新幹線と踊り子を乗り継ぐと、東京駅から1時間40分で伊豆高原着。踊り子一本で行くよりずっと早い。荷物を預けて、かんかん照りの坂道を登り、グルメ厨房 生田で昼食。看板に「蕎麦とキャベツロール(ロールキャベツとは言わない)」とある。蕎麦が食べられないわたしは、野菜たっぷりのプロヴァンス風味キャベツロールを注文。これが期待以上においしく、驚く。豆腐半丁ぐらいの大きさのどっしりした塊にトマト味がしっかり染み込んで、至福。シェフの料理はフランス仕込みで、練馬でロールキャベツ専門店をやっていた時代もあるらしい。
■地図を見ると、さらに坂を上がったところにリフト乗り場がある。店のおかみさんに聞くと「車で10分ちょっとだから、歩くと40分はかかるかしら」。結局1時間以上かかって大室山登山リフトに到着。噴き出した汗に、売店のおばちゃんもびっくり。リフトで山頂に着いて、盆地のようになっているくぼみのまわりをぐるっと歩く。くぼみの底はアーチェリー場。帰りはタクシーでと思ったらそんなものはなくて、同じ距離をひた歩く。車道の脇で、景色はあんまり面白くない。約4時間歩いて、足はクタクタ。■ホテルに戻り、バリ風和室(なかなかいい感じ)の冷蔵庫を開けると、「この中のドリンクはフリーです」とビールとお茶とコーヒーとゼリーがお待ちかね。ひと風呂浴びて、さあ夕食。ダイニングバーとカラオケの会社がやっているホテルと聞いて、飲み放題コースの料理みたいなのが出てきちゃったら……という不安がよぎったけれど、焼きたてパンと一緒に出されるコース料理は、びっくりするメニューはないけれど、見た目にも楽しく満足。ディナーの飲み物はフリードリンク。さらに22時から1時間のバータイムはフリードリンクと夜食(今夜は冷麺)が出る。

■食事の後、もう一度お風呂に入り、ライブラリーに立ち寄ると、読みたかった本をいくつか発見。オレンジ色の光の下に高さを調節できるリクライニングの藤チェアと足を投げ出せる台が並び、さあ本を読みなさいという環境。結局、ビリヤードにも卓球にもカラオケにも目もくれず、ライブラリーに居座ることに。

2003年08月16日(土)  6人で400才
2002年08月16日(金)  持ち込み企画


2004年08月15日(日)  ハリケーン・チャーリーさん

■BSニュースを見ていたら、フロリダのハリケーン情報が流れていて、「ハリケーン・チャーリー」という名前が出てきた。「台風・雅子」みたいな感じで妙にフレンドリーだなと思っていたら、「ハリケーン・ダニエラ」「ハリケーン・アール」というのまで出てきた。これはどういうことかと探ってみれば、アメリカの太平洋の気候の研究機関のハリケーン研究部署に答えを発見。これによると、太平洋、メキシコ湾、カリブ海にやってくるハリケーンにはアルファベットのA,B,Cではじまる名前がつけられることになっていて、わたしがニュースで聞いたのは、Charlie、Daniella、Earlだったとわかる。名前は何年も先まであらかじめ決まっていて、男女平等の精神なのか男、女が交互になっている。ページをスクロールすると、他の地域のハリケーンにもそれぞれ名前がついている。日本で言う「台風1号2号3号……」が「ハリケーンA男、B子、C郎……」となっていたとは知らなかった。少なくとも1945年からは続いていて、78年までは女性の名前だけだったとのこと。へえー。

2002年08月15日(木)  川喜多記念映画文化財団


2004年08月14日(土)  シナリオ合宿は体育会ノリ

シナリオの仕事をはじめて5年経つけれど、まだやっていないことがあった。合宿である。映画やドラマはフリーの人間の集まりなので、全員の空いている時間を縫って打ち合わせを重ねていても、なかなか前に進まない。なので、いつもなら数時間しか集まれないところを、「合宿」と称して一晩(場合によっては数晩)缶詰になって、一気に煮詰めるのだ。これまでも「合宿しますか」の声はあったのだけど、わたしが会社勤めしていることもあって日程が合わず、実現しなかった。というわけで、昨日から今日にかけての初合宿は、はじめての遠足に心躍らせる小学生のような気分で出かけたのだった。

ホテルのロビーに3時集合。「和室スイート」という名の二間続きの和室が、監督、プロデューサー、脚本、制作、総勢8名のブレスト会場兼宿舎となる。窓を開ければ、そこはかつて日本庭園だったと思われる草むら。夜になるとライトアップされるのが痛々しい。草むらビューのお部屋で卓を囲み、ときどき脱線しながら、あーでもないこーでもない。紙にメモを取っていたわたしは途中からパソコンに切り替え、まとめながらアイデア出し。気がつくと8時を回り、「メシにしましょう」。酒も入って大宴会になるかと思いきや、レストランフロアをぞろぞろと連れ立ってひとめぐりした挙げ句、「外に出よう」とプロデューサー。予算オーバーということらしい。

地元の洋食屋さんという雰囲気の『ラクレット』というハンバーグが自慢の店に入ったら、これが大正解。野菜たっぷりのバターライスに感激する。栄養補給ができたら、ブレスト再開。世界観、キャラクター設定、出だし、出会いの場面……どうする、どうする、どうする? 話は進んでは戻るけど、タイムリミットがないのでとことん話して詰めていく。「そろそろアテネの開会式はじまりますよ」「じゃあ続きは明日の朝」で一日目は解散。大浴場でゆったりなんて余裕はなく、体育会の合宿さながらてきぱきと布団が敷かれ、寝る人、開会式を見る人に分かれる。

二日目は8時起床。コンビニで買い出しした朝ごはんを食べ、昨日のおさらい。チェックアウト時間を延長し、詰める詰める。「じゃあこんな感じで、脚本書いて」と宿題をもらって解散。広告の世界の得意先との合宿は懇親会がメインイベントだったりするけど、シナリオ合宿はひたすら勤勉でストイック。応援団の合宿に近かった。


2004年08月10日(火)  六本木ヒルズクラブでUFOディナー

幸運はどこに転がっているか、わからない。自分には縁がない場所だと思っていた六本木ヒルズクラブに足を踏み入れる機会を得たのは、友人ナカジ嬢の元上司の石井至氏と食事をすることになり、その石井氏が会員だったから。石井氏は釧路出身で、ナカジ嬢からわたしのことを聞いて、北海道関連の作品が多いことに興味を持ってくださったよう。エレベーター前でナカジと待ち合わせ、51階に上がるとカウンターがあり、「石井様のゲストの方ですね。ご案内します」とレストラン『アンダーカレント』に通される。大きな窓が広がる個室は、東京の夜景ひとり占め感覚。ミモザを飲んでいると、石井氏が到着し、はじめましてとなった。

金融コンサルティングと幼児教育という一見結びつかないものを手がける(会社名は石井兄弟社)石井氏は大学は医学部で罹患率や死亡率の計算をやっていたが、その計算能力を買われて金融の道に進んだ人。垣根を飛び越えるのは大の得意で、点字検定(今までなかったのが不思議)や美容師検定(これもなかったの!?)も立ち上げた。目をつけたものはとことん極めるそうで、点字の打ち方もヘアスタイルも頭に叩き込んだとか。並外れた集中力の持ち主のよう。持ち込まれた話についても、自分で徹底的に検証してから答えを出す。「SMの女王様の養成学校やりませんか」の依頼もかなり前向きに検討したそう。結局実現しなかったそうだが、「それ、映画の題材になりますよ」とわたし。

経営されている小学受験塾の話(今年二年目。一年目の去年、合格率90%を出して生徒が急増)、アキノ大統領が撃たれたときにすぐ後ろにいたという若宮さんの話(最近若宮さんが出した本をプロデュースしたのが石井さん)、UFOの話(三人とも「見たことある!」)、アイドルの話(かなり詳しい。しかもローカルからグローバルまで)、政治の話、ダイエットの話……石井氏の頭の回転に合わせ、話題も高速回転。「UFOに遭遇したとき、頭の中にチップを埋め込まれた」と半分本気で言うのも信じてしまいそう。アンテナを張っている人はたくさん会ってきたけれど、それをビジネスに結びつける力に圧倒される。最初から現在の成功があったわけでなく、ここに至るまでには苦労も失敗もあっただろうけど、自分を信じ抜く強さと何でも面白がる精神がリスクをチャンスを変えてこられたのではと勝手に想像。

手首に赤い毛糸を巻いていた石井氏。ただの糸ではなく、アメリカのセレブで流行っているそうで、日本で売っていない雑誌でいち早く知り、早速取り寄せたとのこと。秋か冬頃には、赤い毛糸を手首に巻いた人が日本で激増するかも。食事もおいしく(左は前菜のクラブケーキ、右はデザートのベリーいっぱいプリン)、感動しっぱなしの夜になった。

2003年08月10日(日)  伊豆 is nice!
2002年08月10日(土)  こどもが選んだNO.1


2004年08月09日(月)  巨星 小林正樹の世界『怪談』

三百人劇場にて、1965年のカンヌ審査員特別賞受賞作品『怪談』を観る。15日まで開催中の『巨星 小林正樹の世界』の上映作品。昨日飲んだCMプロデューサー・山下治城さんのほめっぷりがすごくて、その勢いに「観ねば!」となった。「読むステージパフォーマンス」プチクリ発行人の山下さん、舞台はもちろん映画にかける情熱も並々ならぬものがある。そんな山下さんが企画上映のたびに通う三百人劇場は、うちから歩いて10分の距離にある。

「とにかく映像がすごいんです」と山下さんが連呼してしまうのも納得。オープニングの「水に墨汁を垂らすハイスピード映像」からド肝を抜かれる。なんて美しい色。なんて怪しい雰囲気。クレジットの入れ方も洒落ていて、物語が始まる前に「この絵はただものではない!」と興奮する。小泉八雲の原作を水木洋子さん(去年亡くなられた美しい方)が脚色した『黒髪』『雪女』『耳無し芳一』『茶碗の中』のオムニバス。四十年も前の作品だというのに、古さどころか新しさを感じさせ、斬新だと感じる。大きな目を見開いた『雪女』の空。平家の霊たちがうごめく『耳無し芳一』の世界。見事に怪しい舞台を作り上げている美術セットのディテールとスケールは半端じゃない。三國連太郎、仲代達矢、岸恵子をはじめとする豪華キャストの強烈な存在感、心の透き間につけ込むような音の巧みな使い方、それらすべてをまとめ、総合芸術に仕上げた監督の設計力に舌を巻く。DVDの特典映像に入っている色彩設計図を見てみたい。

「小林正樹ってすごい監督がいる!」といろんな人に興奮を伝えると、「知らなかったの!」と逆に驚かれた。映画関係者にとっても映画ファンにとっても常識の人であり、日本映画が誇る才能なのだった。『風の絨毯』以来、映画の世界に首と足を突っ込んでいる益田祐美子さんによると、「イランでは黒澤明の次に人気がある日本人監督」とのこと。

2002年08月09日(金)  二代目デジカメ
1999年08月09日(月)  カンヌレポート最終ページ


2004年08月08日(日)  ミヤケマイ展『お茶の時間』

個展のたびにファンと発注が増えている友人ミヤケマイ、ついに渋谷bunkamuraギャラリーから声がかかった。今回のテーマは『お茶の時間』(7〜18日 10:00〜19:30)。帰国子女なのに、いや帰国子女だからこそ、着物にも茶道にも日本の古典にも明るい彼女は、和のテイストをモダンに表現する天才。前回に引き続き、浴衣の新作を披露するとともに、器にも挑戦。砂を吹き付けて彫るサンドブラスト(だっけ)という方法でガラスに模様を刻んでいる。絵も茶室に合いそうなモチーフが中心。和菓子で四季を綴った作品は、月ごとに吟味されたお菓子にまじって蟻がちゃっかりいる茶目っけが彼女らしい。早速買い手がついていた。「絵を飾れる壁ができたら買う」と言っているわたしは、今回も絵葉書と便箋で我慢。ファッションにも続々進出中で、ユナイテッド・アローズのグリーンレーベル(子供服)とのコラボTシャツは150cmサイズまであるそう。来夏用のティンカーベルとのコラボ水着は「今井が着るとやばいと思う」(ミヤケ談)。

いつもは会場であわただしく言葉を交わすだけなのだけど、今日は個展のあと、友人知人たちでミヤケマイと飲むことに。「ずっと家でこもってるから、人と飲むのひさしぶりやわー」と関西弁(関西人ではないけど好きらしい)モードの彼女は「ピカソはマティスに負けたくなくて、マティスに先回りしようしようと思ってどんどん作風変えてん。だからピカソを作ったのはマティスやと思う」といった美術談義をたっぷり聞かせてくれ、話は少女漫画論(くらもちふさこを絶賛)やコミケや画廊に及び、「魂を売らんと絵を売っていかんとあかん」と熱弁をふるう。

今井雅子作品の案内メールを流すと、いつもいちばん熱い激励の返事をくれるミヤケマイは、大胆なようで繊細で、器用なようで努力家で、五感も知識も記憶も手足もフル稼働させて作品を面白くするために心血を注ぐ職人。近いうちに日本を代表するイラストレーターになるはず、いや、もうなりつつあるので、要注目。

2002年08月08日(木)  War Game(ウォー・ゲーム)


2004年08月07日(土)  ご近所の会・一時帰国同窓会

■転勤でこの春ロンドンに引っ越したC君・ I 嬢夫妻が一時帰国したので、ご近所の会で集まる。お店は、C君が日本で三日と空けずに通っていた本郷のBECHA(べスナー)。ご近所の会は以前はメールでやりとりしていたのだけど、「日本とロンドンを近づけよう」と画像つき掲示板を借りて交流するようになり、時差も距離も感じさせないほど盛り上がっている。ロンドン在住の夫妻はもちろん、東京在住のメンバーとも数ヶ月ごぶさたしていたわたしにとっても、あまりブランクを感じずに済んだのは、ご近所掲示板のおかげ。掲示板で出た話題を、会って再確認。オフ会ってきっとこんな感じ!? 
BTT日英お酒■ロンドン土産のチーズを食べたり、今朝オーストラリア出張から戻ってきたK君のおみやげのワインを飲んだりしながら、話題は日本とロンドンを行ったり来たり。宴もたけなわとなったところで、取り出されたのは二本のウィスキーボトル。一本は日本で流通しているもの、もう一本はロンドンで買ってきたもの。グラスに注いでみると、色が違う。飲み比べてみると、味の違いも明らか。どちらも英国バージョンのほうが濃いのだが、好みは分かれた。「何が違うんだろう?」「何かが足されているのか?」「何かが足りないのか」と議論になる。■ダンナさんのC君の転勤が決まって、電撃入籍した二人は、11月に日本で披露宴の予定。今回の一時帰国で、ドレスから料理からお花からすべて決めてきたとか。かなりキツイ一週間だったそうだけど、ある意味効率的。あとはロンドンから遠隔準備するそう。新婚旅行は、披露宴ついでに日本国内をまわるのだとか。「このメンバーで行きたいなあ」と真顔で言うので、「さすがにそれは……」と一同。でも、入籍記念日にも下田へ旅行した仲なので、一泊ぐらいなら新婚旅行に便乗するのもありかもと話す。

2002年08月07日(水)  ティファニー


2004年08月06日(金)  シナリオ『父と暮らせば』

■シナリオを読んでいると、シンクロ二シティを感じることが多い。野沢尚さんの訃報を聞いたときは、読売テレビで放映されたドラマ『砦なき者』を読んでいた。原爆記念日の今朝、何気なく月刊シナリオのページを開くと、今夏公開の黒木和雄監督作品『父と暮らせば』(脚本:黒木和雄/池田眞也)があった。広島で被爆した父と娘の、原爆投下数年後の物語。原作は井上ひさしさんの戯曲で、今年は映画上映と舞台上演があり、新聞などでも度々取り上げられている作品。わたしは戯曲も舞台も未見なので、シナリオに最初に出会うことになった。映画脚本化にあたっては試行錯誤の後に原点の戯曲をなるべく生かす形に落ち着いたらしいが、映画にしてはシーン数がずいぶん少なく、登場人物も少なく(父と娘と後から広島入りした若い男性の学者。学者は映画化にあたって加わった)、その割りに台詞が長い。この台詞の力がとにかく強い。井上ひさしさんは何人もの原爆体験を読んで戯曲に凝縮されたそうだが、事実に裏打ちされた一言ひとことの重みや深みはただものではなく、突き刺さるように響いてくる。頭では書けない(思いつかない)台詞の連なり。最初は戯曲的過ぎる気もしたけれど、読んでいるうちに、この台詞がいちばん生きるよう計算された脚本なのだと思えてくる。7月31日より岩波ホール他で全国ロードショーのこと。■子どもの頃は毎年、親に連れられて原爆写真展を見に行った。千羽鶴の像のモデルになった佐々木禎子さんの物語など、原爆関係の本もよく読んだ。平和のありがたみを考える機会はずいぶん与えられたほうだと思う。そんなわたしでも、原爆記念日を経るごとに、記憶や危機感は薄れてしまってきている。原爆のことよりも考えなくてはいけないことが年々増えているせいもある。平和ボケのせいもあるかもしれない。だからこそ、8月6日と9日ぐらいは立ち止まって思いをめぐらせる時間を持つべきなのだ。偶然ページを開いた『父と暮らせば』はそんなメッセージだったのかもしれない。■原爆記念日になると、思い出す本がある。数年前、義父にすすめられた『絶後の記録』。原爆で失った妻への手紙という形で綴られた被爆体験の手記で、妻への思いにあふれた言葉があまりに優しく美しく恋文のようでもあり、原爆で引き裂かれた夫婦の悲恋が痛い。遺された夫である著者の小倉豊文氏は、被爆当時は広島市内の大学教師。原爆の正体を知らされないままに、悲しみに暮れる間もなく復興のために奔走し、その合間を縫って天国の妻にあてて地上の様子を書き綴っていた。1948年に出版され、海外でも版を重ね、1982年に中央公論社の文庫となり、今に読み継がれている。

2002年08月06日(火)  『絶後の記録〜広島原子爆弾の手記』


2004年07月30日(金)  虹色のピースバンド

■職場の広告代理店で英語を教えているDavidが手首に七色のゴムを何重にも巻いていた。"What's this?"と聞くと、"It's peacebands"と言い、"I'm anti-actioning to Bush's reaction"と付け足す。ブッシュ大統領の動きに反対する意思表示なのだそう。何本も巻いているのは、shareするためだそうで、わたしにも一本くれる。これから友人に会う、と言うと、もう一本くれた。色んな考え方があるのは楽しいことじゃないか。かたいこと言わないで柔軟に行こうよ。そんなメッセージが込められているのだろうか、七色のゴム。

2003年07月30日(水)  脚本家ってもうかりますか?
2002年07月30日(火)  ペットの死〜その悲しみを超えて
2001年07月30日(月)  2001年7月のおきらくレシピ


2004年07月29日(木)  クリエイティブ進化論 by MTV JAPAN

■六本木のラフォーレミュージアムにて、MTV JAPANが『クリエイティブ進化論』と銘打ったクリエイティブ・カンファレンスを開催。MTVというからには未公開の映像や目からウロコの新戦略を見聞きできるのでは、と期待を膨らませ、同僚たちと連れ立って出かける。会場のホールは広告関係、音楽・映像関係、(タイアップ候補の)得意先関係と思われる人で埋まっていた。15分の休憩とMEYOU(「ミユ」と読ぶらしい)のヒップホップLIVEをはさんだ二部構成。前半は、2003年度マーケッター・オブ・ザ・イヤーに選ばれたsenior vice presidentのトッド・カニンガム氏が「MTVのブランド戦略」についてプレゼン。あっと驚く話はあまり聞けなかったが、「今の若者は成功することが当たり前と思われているので、そこからのエスケープ願望がある」というインサイト(洞察)は興味深かった。後半は、「最強のブランドとは」についてクリエイティブ戦略中心のプレゼン。プロモーションビデオのヒストリカルや世界各国でのCMは期待に応えて楽しませてくれたものの、肝心のブランディングについては、膝を打つタイミングがなかった。正論過ぎてハジケ足りない感じ。3月にアドフェストで聞いたプレゼンの内容がかなりエキサイティングで刺激的だったので、今回はそれ以上のニュースを期待しすぎたのかもしれない。個人的にはMTVの影響をかなり受けて育ったし、「音楽の似合う部屋」ということでお宅訪問取材を受けた縁もあるので、MTV JAPANにももっと伸びて欲しいしいのだが、一緒に行った同僚いわく、「日本は民放(の音楽番組)があるから、他の国よりも根付かせるのは難しそう」。携帯での新展開も企画しているようなので、今後にご注目。会社に戻る時間の都合で、笹本裕CEOからの「日本戦略」プレゼンを聞き終えたところで、パネルディスカッションとパーティーを残して退出。タオル、カップ、MEYOUのCDなどの詰まったおみやげ袋の中に、「music and more」パッケージに入ったm&mを見つけて、ヤッター! パッケージ写真はm&mギャラリーに加え、中身は胃袋に入れてパワー補給。

2002年07月29日(月)  中央線が舞台の不思議な映画『レイズライン』

<<<前の日記  次の日記>>>