2003年12月13日(土)  加藤大治郎ジャズライブwith魔女田さん

■「『てるてる家族』の照子さん(浅野ゆうこさん演じるお母さん)のはちゃめちゃぶりを見ていると、あなたを思い出します」と言う人がいるが、もっと照子さんを彷彿させる人がいる。『風の絨毯』主婦プロデューサーの魔女田さんこと益田祐美子さん。ペルシャ絨毯の会社をはじめたり、日本イラン合作映画を作ったり、人並外れた好奇心と行動力と周囲を振り回す遠心力は、今の時代の照子さんそのもの。そんな益田さんから「土曜日ひま?」とお誘いがあった。榎木孝明さんの所属事務所オフィス・タカの新人、加藤大治郎さんのジャズライブがあるという。■行った先は赤坂ブリッツ。『いつかA列車に乗って』という映画にジャズマンを志す青年役で出演している大治郎さんが、劇中で演奏した曲を中心に披露するというものだった。あまり期待もせずに行ったのだが、これがなかなか聴かせる内容だった。音大で専攻したサックスは本格派で、選曲もセンスがいい。何より感心したのは、しゃべりのうまさ。流暢というよりは淡々とした語り口なのだが、味わいがあり、ユーモアがあり、曲への愛情や愛着を感じさせてくれる。父親の加藤剛氏譲りのルックスは、たたずまいにも華があり、役者としての姿も見てみたいと思わせた。映画は作詞家の荒木とよひさ氏の初監督作品で、音楽には三木たかし氏が関わっている。「この曲を作ったコンビです」と大治郎さんが『時の流れに身をまかせ』の出だしを奏でた。映画は今月20日から新宿トーアでレイトショー公開とのこと。■ライブが終わり、益田さんにくっついていると、オフィス・タカの社長さんに大治郎さんと、見に来ていらした加藤剛氏を紹介していただいた。「風の絨毯観ましたよ」と剛氏。この人が舞台の『剣客商売』で秋山大治郎役を演じたことを最近剣客の後書きで読んだばかり。それで加藤大治郎なのだろうか。■「荒木とよひささんって、うちの実家(飛騨高山の民宿『時代宿』)に泊まりに来たことあるのよ。囲炉裏端でギター弾いて歌ってくれたの」と言っていた益田さん、赤坂ブリッツを出るなり、魔女モードに。「荒木さんが向かいの喫茶店に入って行った気がする!」と言うなり、店の中へ消えてしまった。曇りガラス越しに中の様子をうかがっていると、三人連れの男性のテーブルに益田さんが現れ、何やらしゃべっているのが見えた。最初はのけぞるように引いていた男性たちの背中が背もたれを離れ、乗り出し、それぞれがポケットを探って名刺を取り出すまでに約2分。さっと出てきた益田さんが「さっき預けた風の絨毯のDVD、1本いい? 荒木さんに渡すわ」とDVDを受け取るや再び店内へ。後で報告を聞くと、男性の一人は映画プロデューサーで、益田さんを取材した 『おはよう日本』を見て、益田さんの本『私、映画のために1億5千万円集めました』まで買って読んでいたのだそう。「いやー、世の中何がどうなるかわからんけど面白いねえ」。そう言う益田さんこそ面白い。


2003年12月07日(日)  どうにも止まらぬ『剣客商売』

■今年は年初から時代小説をよく読んだ。FMシアター『夢の波間』が江戸時代と現代を行き来する話だったので、廻船問屋が出てくる話や物語の舞台となる元禄の頃の話を中心に、勉強させてもらった。時代ものといえば宮部みゆきの怪談ぐらいしか読んだことがなく、これまでは「わからない地名や単語ばかりだし」と敬遠していたのだが、今年読んだものはどれも心から楽しめた。時代小説を味わうだけの感性が熟したのかもしれない。川崎市から文京区に引っ越したせいか、今住んでいる辺りに近い「茗荷谷」や「根岸」といった地名が出てくるのも親しみが増す。■このところはまっているのが、池波正太郎の『剣客商売』。まわりの時代小説好きにおすすめを聞いたら必ず挙がる名前で、読みだしたら、これがもう止まらない。人物の置き方が絶妙で、あっという間に頭の中に登場人物が住みついてしまう。それぞれの個性が際立っているから、短い台詞に奥行きや深みが感じられ、脚本の勉強にもなる。どうしてこんな面白いものを今までほうっておいたのか、とも思うけれど、今だからこれほどのめりこめる気もする。文字が大きくて読みやすい新装の新潮文庫の解説は、作家の常盤新平さん。放送文化基金賞ラジオ部門の審査員として『雪だるまの詩』をほめてくれた上に、授賞式でお会いしたとき「こんなに若くてかわいい人が書いていたんですね」とめったに言われないお世辞を言ってくれた貴重な方なので、これまたオマケつきの気分。この勢いで全巻集めてしまいそうだが、まわりを見渡せば、「全巻持ってる!」人の何と多いこと。仲良しのT嬢にいたっては、「剣客商売に出てくる料理のレシピ本を買って、実際に作っている」という熱の入れよう。先日、ウエストでお茶をしていたら、隣のテーブルの老紳士が「剣客商売に出てくる店で、今もやっている店がけっこう出てくるんですよね」と話しているのが耳に入り、お、ここにも、とうれしくなった。ネットで検索すれば、やはりあるあるファンサイト。「ペンは剣より強し」なんて言葉があるけれど、これだけ読者を引きつける作品を書かれた池波氏の「ペン客商売」にも賞嘆が尽きない。


2003年12月06日(土)  万歩計日和

■地下鉄待ちの間、意味もなくホームを徘徊したり、エスカレーターには目もくれず、長い階段をうれしそうに昇っていたり、最近のわたしの不審な挙動の原因は「万歩計」にある。会社の健康保険組合が毎年やっている「ウォーキングラリー」なるものに初参加し、四国一周をめざして歩け歩けの毎日。2年ほど前にも万歩計生活を試みたことはあったけれど、そのときは個人で勝手にやっていたので張り合いがなく、続かなかった。今回は1日平均1万歩を超えると四国の名産品をもらえるというニンジンがぶら下がっていて、参加者は毎日歩いた歩数とカロリー数を用紙に記録し、2月の終了時に提出する。成果が数字になって見えると張り切るもので、いつもは寒くなると出不精になるのに、このごろは外出が楽しくてしょうがない。トイレットペーパーを買い忘れてコンビニに舞い戻る足取りも軽い軽い。食欲の秋からクリスマス、忘年会にかけては、例年「増量シーズン」なのだが、今年は食べた分燃やしてやろうと思っている。平日はなかなか1万歩に届かないが、休日は趣味の散歩で歩数を稼ぐ。今日は師走の銀座をブラブラし、自宅と巣鴨を往復。2万歩突破し、体もポカポカ。


2003年11月30日(日)  小津安二郎生誕百年

「オズ映画」と聞くと1939年のアメリカ映画「The Wizard Of Oz」を想像してしまうほど、小津映画にはなじみがなかった。恥ずかしながら一度も見たことがなかったのだが、見なくてはと思っているうちに小津安二郎生誕100年の今年を迎えた。最近親しくしているご近所仲間の間で「小津を観る会」が企画されたので、渡りに船とばかりに参加表明。言い出し人は映画と鉄道が大好きというT氏。いちおしの「東京物語」とこれまたおすすめの「麦秋」を男女6人で観る。

国立近代美術館フィルムセンターにて、各回1300円。普段は500円で貴重な昔のフィルムを見せてくれる場所なので、企画上映とはいえ通常の2倍以上の鑑賞料金を取ることに不満の声も上がっていると聞くが、半世紀以上前の作品を上映してもらえるのはありがたい。今回はじめてコンビニでチケットを買ったが、コピー機にPコード入力すれば後は画面の指示に従ってスイスイ。存在は知っていたけど、これほど便利なものだったとは。使い方を教えてくれ、Pコードも調べておいてくれたT氏に感謝。時刻表マニアだけあって調べ物を厭わず、細かいとこまで気の回る人である。

「東京物語」は昭和28年、「麦秋」は26年の作品。ニ作品の出演者がかなりかぶっていて、最初は「東京物語で老いた父だった笠智衆が、麦秋では若い息子になっている!」とほんの2年で一世代も飛び越えてしまったことにびっくりしたが、すぐに慣れてしまったのは、役者の力量なのだろう。原節子はどちらの作品でもおいしい役どころで、かわいく、強く、よく食べていた。何ともいえない上目づかいと「〜なんですの」という言葉遣いが気に入った。真似してみたいが、周囲に心配されるだけだろう。

女優さんたちはきれいで品があり、とくに「麦秋」の淡島千景の愛らしさに惚れ惚れした。杉村春子の存在感に目を見張り、昔は嫁に行くことを「片付く」と自然に言っていたことに衝撃を受けた。物語そのものは淡々としすぎているほど事件が起こらないのだが、なぜか最後まで引き付けられる。登場人物たちの心の動きを丹念に追っているからだろうか。昭和二十年代の日本の風景も興味深く、SLが煙を吐いて走り抜ける姿にはT氏ならずとも心が躍った。

近くのナイルレストランでインド料理を食べながら、余韻に浸る。最近は一人で映画を観ることが多いので、他の人がどう観たかを聞けるのは楽しかった。女性たちには「私、年は取らないことにしていますの」という東京物語の紀子(原節子)の台詞が印象に残り、男性たちは両作品のしめくくりに登場した「これでも幸せな方だよ。他の人よりもよっぽとマシだよ」」というしみじみした台詞に共感していた様子。ご近所仲間のみなさんはどんな話題にもついてくる好奇心旺盛なメンバーなので、「小津映画は人物の出入りに日本家屋の特長をうまく生かしているんです」「あのシーンに出ていた建物はお茶の水のニコライ堂だ」「十朱久雄さんは十朱幸代さんのお父さん」などと面白い指摘や話題が尽きなかった。

銀ブラしながらの帰り道、この辺も映画に出ていたなあと思う。昭和二十年代の和光の辺りは時代の最先端だったのだろう。当時すでに「地下鉄」の入口があったことに驚いたが、日本初の地下鉄は昭和2年に浅草〜上野間が開昭和14年には渋谷までの銀座線全線が開通していたらしい。

2002年11月30日(土)  大阪のおっちゃんはようしゃべる
2001年11月30日(金)  函館映画祭1 キーワード:ふたたび


2003年11月28日(金)  雪菓(ソルガ)

■会社でななめ後ろに座っているコピーライターのオオツカ君は、6年前に宣伝会議賞の授賞式で知り合い、数年前に同じ会社に移ってきた。その彼が韓国通であることをつい最近知った。外資系の広告代理店なので、海外の広告を訳したり、海外向けの広告を開発するにあたり、「イタリア語できる方いませんか」「中国語できる方、この文を訳してください」といった社内メールが飛び交うが、ある日わたしの関わっている得意先の仕事で「韓国のTVCFを訳してください」と呼びかけたら、手を挙げたのがオオツカ君だった。昔、韓国語がからむ仕事を担当したことがあり、独学でハングルを覚えたらしい。「一緒に勉強しようよ」と言ってくれているので、チョナン・カンの本を買って教えてもらおうかなと思っている。■「韓国の人もお茶するの好きなんだよ。紫陽花のお茶とか、面白いお茶もいっぱいあるよ」とオオツカ君。今日は友達が作っているという韓国伝統茶菓子「雪菓」を紹介してくれた。はちみつと麦芽糖と餅米粉を混ぜて煮込んで熟成させた「原糖」にとうもろこし、でんぷん、餅米粉を混ぜ、手で細く延ばして16384本の糸状にしたもので餡(アーモンド、くるみ、黒ごまなど)をくるむ。偶然、去年の年末、銀座の街頭で実演しているのを見かけたのだが、「あの人たちがオオツカ君の友達だったのかあ」。繭のような見た目の不思議な食感で、凍らせて食べてもパリッとしておいしいそう。去年は街頭だったけれど、今はプランタン銀座の地下で実演販売(森美-しんび- 03-5999-8260)している。

2000年11月28日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2003年11月23日(日)  通帳で伝える愛 『まばたき』『父帰る2003』

昨日と今日で舞台を2本観る。昨日は中野のテレプシコールで劇団フルーチョの『まばたき』。客演しているヤニーズの大蔵省君が招待してくれた。「役者になる」と上京したきり音信不通だった男が亡くなり、唯一の肉親である妹が通夜を執り行う。大蔵省君はその兄妹の幼馴染みという設定。先日のヤニーズ公演での秋田弁台詞が強烈だったので、今回はおとなしい印象を受けたけれど、重要な役どころを演じていた。死んだ兄は妹だけに見える幽霊となって現れるが、妹は心配ばかりかけていた兄を「何を今さら」となじる。だが、兄は帰りたくても帰れなかった、ということが通夜に駆け付けた役者仲間の話でわかる。その証拠に、家族のためにアルバイト代をためた預金通帳が遺されていた、という話だった。


今日オペラシティの近江楽堂で観た『父帰る2003』にも預金通帳が登場。菊池寛の名作を現代版にアレンジしたもので、ひょっこり帰ってきた行方不明の父が、家族のことを片時も忘れなかった証に差し出したのが、通帳だった。刻まれた数字の履歴には生き様や愛情やいろんな思いを込められるのだと発見。NHKのオーディオドラマ関係者の集まりで知り合った脚本家・吉村ゆうさんの脚色・演出がすばらしく、父役の蛍雪次朗さんはじめ役者さんの体当たりの熱演もあいまって、ボロボロ泣けた。最前列で観たのだが、足を伸ばせば舞台に当たる距離で、喧嘩のシーンでは物やら人やら飛んできて、すごい迫力だった。

『父帰る2003』は同じく菊池寛の『温泉郷』との2本立てで、『J.THEATER 』という企画公演のプログラムのひとつ。吉村さんからの案内で公演を知ったのだが、先日ストレイドッグ公演の打ち上げで人柄に惚れた蛍さんの芝居を見られたのは、うれしい巡り合わせ。さらに今夜の打ち上げで、思いがけないオマケ。同席した女優さん、見覚えあるなと思ったら、一年前にSOUPという会社のパーティーで知り合ったきりごぶさただった鈴木薫さんだった。別プログラムの『トイレはこちら』に出演していたそう。舞台の面白さに目覚めた鈴木さんに「役者として一作品一作品をどう生きるかで10年後、20年後に差がつく」と吉村さん。作品の積み重ねが将来への預金になるのは、脚本家も同じ。吉村さんはいい預金をされてきたのでは、と大先輩の最新作を見て思う。

さて、通帳といえば、学生時代の仕送りを思い出す。しっかり者の大阪の母は「振り込み手数料がもったいないやん」と、わたしの口座の通帳を持ち、(わたしにはキャッシュカードだけ持たせた)、「口座入金」することで京都にいる娘に金を送る知恵を働かせた。自動送金にすれば楽だったろうに、毎月きっちり、4年間で約50回、銀行に足を運んだわけだ。当時は当たり前だと思っていたけれど、親でなければできないこと。まだ見ぬその通帳には、母からの月に一度の入金と、娘がちょこちょこ引き出した跡が文通のように残っているのだろう。通帳で母と娘はつながり、会話していたのだった。

2002年11月23日(土)  MAKOTO〜ゆく年くる年〜


2003年11月21日(金)  押忍!いくつになっても応援団

学生時代、応援団チアリーダー部というところにいた。応援団というのは、ハタから見ると野蛮で荒唐無稽な存在のようで、「何が面白くてやっているの」と4年の間に百回以上は聞かれた。母校のチームを応援するときも気合十分だが、それ以上に気合が入るのが他大学応援団との酒の席。試合では応援する身だが、飲み会では団員自ら選手となって戦う。先輩の注いだ酒を真っ先に飲み干し(頭の上で空のグラスをひっくり返して証明する)た下級生だけが名刺を頂戴できたり、サッポロソフトという酒というよりアルコール原液のようなものを石油ポンプで飲まされたり。そのまわりをビニール袋を張ったポリバケツが取り囲んでいた。わたしは好奇心が勝ってそれなりに修羅場を楽しんでいたけれど、「応援は好きだけど酒は嫌い」と去って行った仲間は数え切れない。

苦労を共にした者同士の結束は強まるようで、卒団してからもつきあいは続き、学校や学年の違いを超えて一緒に飲む。今夜はわたしの大学のひとつ上のリーダー部長だったI先輩が上京していて、のぞみの終電で大阪に帰るというので、東京駅近くに4大学からOBが集まった。8時過ぎに到着すると、全員が大声で一斉にしゃべり、すでにわけがわからない状態。社会人になって十年以上経つというのに、まるで飲み方が変わっていない。皆さん、職場で浮いていないだろうか。心配だ。T大リーダー部だったK先輩は「お前はーきっといいことあるぞぉー」とわたしの頭を木魚のようにたたき続けた。

9時過ぎ、I先輩を見送りに東京駅へ。切符売場で「ニューじゃんやろーぜ!」。負けた人が全員分のジュースを買う「ジューじゃん」の入場券版。N大のI先輩が8人分を買う羽目に。数分後、新幹線ホームは演舞会場となり、冷たい視線をものともせず、マーチやエールが繰り広げられた。酔っ払った応援団員ほど怖いもの知らずはいない。奇妙な光景を写真に撮りながら、中に入ってみない限り理解できない集団だろうなあと思う。熱くて、まっすぐで、情にもろくて、ちょっと不器用で……結局のところ、応援団を離れられない理由は「人」なのだ。明日は、わたしと同期で2年前に急逝したH大のI君の命日。関西にいる応援団関係者が集まって、霊前にお参りすることになっている。東京組からはラベルに寄せ書きをした焼酎をI先輩に託した。新幹線の中で口をつけてなければいいのだけど。

2002年11月21日(木)  ファミレスの誘惑


2003年11月13日(木)  SKAT.2@Wired Cafe

■渋谷のQフロントビル6階に10月25日にオープンしたWired Cafeは、お茶しながらネットができて、本も読める場所。置いてある本はかなり偏っていて、『ブレーン』『宣伝会議』など広告関係のものがほとんど。宣伝会議社とタイアップしているのだろうか。SKAT.2という冊子を手に取る。SENDEN KAIGI AWARD TEXTを略してSKAT。「第40回宣伝会議賞優秀作品一挙公開」の副題。宣伝会議賞はプロ・アマを問わないコピーライター選手権のようなもので、わたしも何度か応募していた。懐かしい気持ちでページをめくる。この賞は数十社ある協賛企業が課題を出し、それに応募者が挑戦する形になっているのだが、お題発表広告に各社の遊び心が効いている。板チョコが札束(金賞は賞金百万円)に化けていたり、「うちの商品を飲んで考えよう」といったキャッチがあったり。第40回は過去最高の応募数だったそうで、審査員は「最終ノミネートされた全部に賞をあげたいぐらい」だったとか。シナリオ新人コンクールの選評では最近「低調」の嘆きが目立つがコピー界の未来は明るいと見える。■激戦を勝ち抜いた金賞は「お母さん、そのお皿の洗い方はなに?」。課題商品はアルバイト発見マガジンan。「『そのお皿の洗い方は何ですか』だったら受賞しなかった」という審査員コメントに納得。ターゲットの気分がよく出ている。「ごちそうよりごちそうさまを大切にしています」という丸大食品の企業広告も印象に残る。「最終ノミネート」「2次審査通過作」も掲載されていて、読み比べると、賞を取るコツをつかむいい勉強になりそう。■感激したのは、第1回(1962年)からの金銀銅賞が特集されていたこと。第1回の金賞はサントリービールの商品広告で「最初のノドごしをお聞かせください」。第9回(1970年)は「8月37日。」。お題はジャルパックのJOYハワイ。全然古さを感じさせない。第16回(1978年)は「さらば視聴率、こんにちは録画率」。松下ホームビデオの広告。でも現代もまだ視聴率。第16回(1982年)の「愛しあっているのなら、0.03m/m離れなさい」(岡本理研ゴム)、第28回(1990年)の「明日の自分に借りるのだ」(アコムキャッシング)はやっぱり強い。第32回(1994年)の「女子トイレがとっても混雑しているのは落ちやすい口紅にも責任があると思います」(コーセーヴィゼ)にも時代が見える。わたしのお気に入りは第38回(2000年)の「精子だった頃の運をもう一度」(LOTO6)。生まれてきただけで大強運の持ち主。■受賞コピーと並んで、受賞者のコメントを読むのも好きだ。受賞にそれぞれの人が勇気や励ましをもらっていることが伝わってきて、コピー以上に心を動かされることもある。「もう少し頑張りたくなった」「書き続けていいよと言われた気がした」といった言葉に、自分が応募していた頃を思い出す。広告代理店のコピーライターになれたものの、なかなか戦力になれず、もどかしさを感じていた。宣伝会議賞は、全国にいるライバルの胸を借りる年に一度の機会だった。応募したコピーが1次審査2次審査と勝ち進んでいくのを見て、自分の力を確かめていた。入社2年目にリクルート社の「じゅげむ」のラジオCMが審査員特別賞に。授賞式で知り合ったコピーライターたちとは、励ましあう仲間になった。入社5年目に東ハトの「キャラメルコーン」のコピーで協賛企業賞をもらったのを最後に、応募は卒業した。今もコピーを書き続けていられるのは、宣伝会議賞があったからだし、これからもコピーを書く人は、この賞を目指し、卒業していくのだろう。ずっと続いて欲しい。


2003年11月11日(火)  空耳タイトル

「前田監督の映画、『キンチョー★ROCK』いうんやってね」と大阪の母より電話。「キンチョーやなくてガキンチョやけど」と言うと、「劇場に問い合わせたら、キンチョーて言われたよ」。劇場の言い間違いか母の聞き間違いか、キンチョーとは大阪らしい。前田監督に伝えたら「『ガチンコ★ROCK』と言う人もいる」とのこと。母は以前、『スリーパーズ』を「三人のパーの物語」と勘違いしていた。「ちょうど主人公の男の子が3人おってん」と言うが、「パー」に複数のSがつくかいな。父からは「黒川芽以ちゃんがラジオに出て、『屋根裏の野良猫』の話しとった」と電話があった。『路地裏の優しい猫』なんだけど。そんな両親の血を受け継いだわたしは、ショーンコネリー主演の『ザ・ロック』を伝説のギタリストの話だと決めつけて観に行った。ロック(アルカトラス島の別名)から脱走を図る囚人の話だとわかるのに20分かかった。最近は映画情報にも少し明るくなって間違いも減ったと思っていたら、電車の中吊り広告を見て、重大な思い違いに気づく。「ねえねえ『ファイティング・ニモ』じゃなくて「『ファインディング・ニモ』だったって知ってた?」と同僚たちに言うと、「ファイティングだと思ってた」という答え。「でしょでしょ、ニモの視点から見ると、ファイティングだよね」と同意を求めると、「っていうか、君がファイティング・ニモって連呼してたから」。ちなみにわたしの作品でいちばん間違われ率が高いのは、『パコダテ人』。聞きなれない造語のせいで、『ハコダテの人』と記憶されていることが多い。『箱だけ人』『パタゴニア人』『パンダゴテ人』……こうなると、もう別人。

2002年11月11日(月)  月刊デ・ビュー


2003年11月09日(日)  小選挙区制いかがなものか

■夜8時から朝3時まで延々と選挙報道を見る。今回は知人が立候補していて、当落が気にかかっていたのだが、結果が出ないうちに、ずるずると見てしまった。最初はダンナの実家で義母と二人で見ていた。「あら人相悪いわね」「やだ、まだいたの、この人」と義母は画面に向かって絶妙な突っ込みを入れる。そこに、ほろ酔いの義父が帰ってきて、「俺は投票用紙に『雅子』って書いたぞぉ」とふざけてのたまう。「それは大いに無効票ですねえ」などと笑いながら、義父の実況解説つきでワイワイと票の行方を見守る。■見ている間にむくむくと膨らんできたのが、小選挙区という制度への疑問。いちばんの人しか選ばれないって、面白くない。候補者も様々だけど、有権者も様々。1選挙区1人というのは、いろんな可能性をバッサリ切り捨てているように見える。メジャーなことは悪くないけど、メジャー=絶対という図式は少数派のチャンスを狭めてしまう。シナリオコンクールも「大賞1点のみ」より「優秀賞」や「特別賞」があるほうが応募意欲が湧くんだけど。自宅に戻り、一人で続きを見ているところに帰ってきたダンナをつかまえ、「小選挙区制いかがなものか」と息巻くと、「今回から始まったわけじゃないんだけど」と勉強不足をあきれられた。10年前から導入されていて、もう3度目の選挙だとか。今回小政党が大敗したのは、選挙制度が変わったからではなく、小選挙区はもちろん比例区でも議席を減らしたのだと。政党そのもののパワーの問題なのか。ただ今回は、マニュフェストというありがたそうだけど借り物に終わった概念が一人歩きし、「自民党と民主党、どっちのマニュフェストを選びますか」と突き付けられた印象があった。それに制度が絡んで「どっちかが勝つ」図式になったのかもしれない。■留学先で選択したアメリカ史の授業では、共和党と民主党が政権交代を繰り返してきた歴史を学んだ。「二大政党制のいいところは、主張の異なる二つの政党がそれぞれの方向に引っ張り合ってバランスが取れること。どちらかの党が行き過ぎたら、もうひとつの党がブレーキとして働くの」とMrs.Lee先生は言った。そのとき、教室から質問の声が飛んだ。「でも二つの政党が同じ方向を向いたら、どこまでも飛んで行ってしまって、誰も止められないんじゃない?」。先生は「いい質問ね」と褒め、「そこに二大政党以外の政党の意味があるの。たとえ少数でも議論のきっかけは起こせるし、議論するのが議会の仕事よ」と答えた。あなたが使う一票の先には、国を動かすストーリーがある。それを想像することも政治に参加すること、と教えてくれた。日本の政治はどこへ行くのか、ちゃんとお勉強して、想像力を働かせて見守らないと。

2002年11月09日(土)  大阪弁

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