2002年10月04日(金)  平日の休日

■このところ残業と休日出社続きだったので、昨日の午後と今日、代休を取った。昨日の夜から今朝にかけて『風の絨毯』の日本語字幕を仕上げ、昼前にディレクターにメールする。ペルシャ語を翻訳したものを簡潔な表現にする作業。同じ意味を伝えられるなら、短い日本語にしたほうがいい「1秒に読めるのは3文字まで」を目安に何度もビデオを巻き戻し、タイミングを計った。■いつも観れないテレビ番組、ふだん行けない店。平日の休みはトクした気分になる。そうだ、銀行に用があったと思い出し、三井信託銀行を目指して家から20分歩くと、そこは三井住友銀行だった。20分かけて引き返す道中、クイーンズシェフ伊勢丹のベーカリーで、カフェオレとパンの昼食。『理由』(宮部みゆき)を読み、ゆったり過ごす。その少し先にある園芸屋で「1鉢300円セール」をやっていた。卸業者なので原価で売れるとのこと。通常なら千円以上するという立派な花鉢がずらり。「買わな損!」とばかり6鉢持ち帰ったら腕が千切れそうだった。■鉢植えをベランダに落ち着かせたら、もう夕方。春にオープンした近所の『Platinum』という美容院にはじめて行く。椅子を倒さないシャンプー台を初体験してビックリしてたら、「最近は多いですよ」と言われた。少し首を後ろに傾けるだけでシャンプーできる。「みなさん、目を開けてますか」と聞くと、「だいたい開けてますね」。わたしはしっかり閉じていた。■ダンナの実家にごはんを食べに行き、戻って『ロッカーの華子さん』を観る。会社の人たちが面白い面白いと言っていたのに、やっと観れたのが最終週。それでも十分楽しめた。華子さんの部屋とファッションがとにかく素敵。あの部屋に住みたい、あの服を着たい、とすっかり目がハートに。70年代の古着を買いに行こうかな。

2000年10月04日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/03)


2002年10月01日(火)  Mr.少林サッカーからのプレゼント

シナリオを書くようになってから、面白いように世界が広がっているが、またユカイな出会いがあった。7月29日の日記に感想を書いた映画『レイズライン』の監督・福谷修さんより「レイズラインを検索したら、今井さんの日記にヒットしました」とメールが届いた。

福谷さんとは同僚の友人のダンナさんという縁でつながったのだが、まだお会いしたことはない。メールは「日記を拝見すると、少林サッカーに大変興味があることを知り、その関連グッズをプレゼントさせていただきます」と続いていた。

「『レイズライン』で古雑誌回収業者を演じた西冬彦さんは、ギャガのアジア・オセアニアループの営業チーフであり、『少林サッカー』を輸入した立役者」なのだという。「もともとアクション俳優志望で、自らも主演アクション映画『WILD NIGHTS』を自主制作、インディーズルートではなく、昨年BOX東中野で正式に劇場公開、さらにクロックワークスよりビデオも販売、レンタルしています。そんな彼が海外で発掘し、周囲の反対を押し切って、映画買い付け人生をかけて輸入したのが『少林サッカー』なのです」とは知らなかった。

『少林サッカー』の爆発的ヒットで、朝のワイドショーに「ミスター少林サッカー」として紹介されるなど有名人になってしまったため、『レイズライン』の宣伝上は俳優・西冬彦の面をあえて強調しているとのこと。会社員をしながら監督や役者として活躍されている西さん、かなり興味深い人物である。

福谷さんによると「ふだんはとてもダンディで、アクション映画系の二枚目主演俳優の風貌ですが、『レイズライン』ではあえて『新境地を開拓したい』と汚れ役(?)に挑戦」したとのこと。撮影中はほとんど数日間断食をして、駅周辺に寝泊りするなどして、リアルで強烈な存在感を出したらしい。そういう裏情報を知って見ると、より興味深いかも。『レイズライン』は10月21日(月)深夜5:00-7:00衛星劇場にて放送、11月15日(金)からTSUTAYAなどでビデオレンタル開始される。

楽しみにしていた少林サッカーグッズは先週末に届いた。Tシャツとピンバッチ。それから『WILD NIGHTS』のビデオと手紙が添えられていた。スクリーンの向こうの世界がまた少し身近になった。

2000年10月01日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2002年09月29日(日)  『パニックルーム』→餃子スタジアム→出社の長い日曜日

ダンナの妹とダンナの弟嫁と遊ぶために早起きする。池袋のサンシャイン劇場で『パニックルーム』を鑑賞。隠し部屋の中と外だけでどうやってスリリングな展開になるのかと興味半分に観てみたら、最後までドキドキさせられた。悪党を仲間割れさせたり、別れた夫を呼び出したり、助けを呼ぶ方法もあの手この手あり、なるほどこうやって話を転がしていくのかと勉強になる。さすが。

同じくサンシャインの中にあるナンジャタウンにこの夏出現した話題の『池袋餃子スタジアム』でお昼。長い列は1時間待ちの大盛況。「園内食べ歩き」で買った餃子を食べながら列に並ぶ。揚げ餃子、焼き餃子、蒸し餃子、水餃子、パイ風餃子……2時間で8種類を制す。9月末まで開催中の「アイスクリーム博覧会」もひやかす。うなぎアイス、手羽先アイス、そばアイス……。無難に抹茶アイスどら焼きにする。

3時過ぎに出社。夕食は、なか卯の親子丼を買い出しに行く。帰宅すると11時過ぎ。長い日曜日だった。


2002年09月28日(土)  料理の腕前

■大阪に住むダンナの弟夫妻が上京してきたので、ダンナの実家に集まった。義弟の嫁は結婚当時からの献立を日記につけている良妻。台所で義母を手伝えるようエプロンを持ってやってくるけなげさが義父母を感激させている。「エプロン持ってくるのが次男の嫁。タッパー持ってくるのが長男の嫁」とキャラクターづけがハッキリできているのをいいことに、「料理はタコ焼きとお好み焼きしかできません」と開き直っていたら、なんと今回、弟夫妻は電気タコ焼き機持参で現れ、相当レベルの高いタコ焼きを作ってくれた。東京出身の義弟と山口出身の嫁にタコ焼きでも差をつけられてしまったのだ。わたしのダメ妻ぶりは周知の事実なので今さらジタバタする必要もないのだが、「君も見習いなさいよ」と言うダンナの視線と「少しは頑張ってほしいわね」と本音を漏らす義母の手前、「まったくやってないわけじゃないんですよ」と主張せずにはおれなくなった。昼に作ったアサリのパスタをダンナがおいしいおいしいと喜んで平らげたのを思い出し、そのことを報告すると、「あら、やればできるじゃないの」と義母。わたしに甘い義父は「お、やるじゃないか」と目を細め、ダンナの妹は「へーえ」と意外そうな声を上げ、わたしの株は一時的に上がったかに思われた。だが、「え?あれ、マズかったよ。全然味しなかったし」とダンナの裏切りに遭い、ダメ妻返上計画は失敗に終わった。■「わたしにはおいしいって言っといて、家族の前ではマズいって言うの、二枚舌じゃない?」。家に帰ってダンナをなじると、逆に居直られた。「作ってくれたから悪いかなと思って、おいしいフリしてたけど、マズいかどうかなんて自分の舌でわからないの?」。ギャフン。


2002年09月27日(金)  MONSTER FILMS

■前田監督に誘われて、MONSTER FILMS(モンスター・フィルムス)のオープニング・パーティーに顔を出す。「アオイの関係のパーティー」と聞いて、てっきり宮崎あおいちゃんかと思ったら、制作プロダクションの葵プロモーションのことだった。葵プロモーションと、同じく制作プロダクションのTYOの人達が初期メンバーとなって立ち上げた制作会社で、TYOのグループ会社らしい。葵プロもTYOも、わたしの勤めている広告代理店とはおつきあいが深い。行ってみると、パーティーには同僚やらCF制作でご一緒したプロデューサーやら見知った顔がたくさんいた。前田監督は映画を撮りながらCFの仕事もしている。一方、葵プロやTYOはCFだけでなく映画制作も手がけている。MONSTER FILMSもCFはもちろんショートフィルムなど映画をやっていく方針のようだ。■映画と広告は近いんだなあと偶然自分が置かれている二つの世界の共通項に感心していたら、前田監督に山本泰彦さんを紹介された。CF界では名の知れた演出家の方で名前は存じ上げていたが、『僕は勉強ができない』の監督さんでもあった。しかも「あなたの会社で一時期勤めていましたよ」。なんと先輩だった。山本さんの紹介でスタイリストの高橋靖子さん、キャスティングの百武恵美子さん、脚本家の藤田一朗さんとお話しする。脚本家の知り合いはほとんどいないので、ありがたい出会いだった。■映画と広告の両方に力を入れる会社が増えてきたら、映画界と広告界はもっと近くなるんだろうな。二つの世界の境界線があいまいになってくるのは、わたしにとってはうれしい傾向。


2002年09月26日(木)  ジャンバラヤ

■このところ夜遅くまで残業することが多く、ampmのとれたて弁当をちょくちょく利用している。冷凍のお弁当をレンジでチンして出す仕組みだが、解凍時間が異なる食材が同時に食べ頃になるのは不思議。和風、洋風、中華とメニュー豊富なのがうれしい。今日はジャンバラヤを選ぶ。ジャンバラヤは思い出深い食べ物。学生時代にニューオーリンズを訪ねたとき、地元のクレオール料理の店で出会った。口にしたのも名前を聞いたのもはじめてだった。トマトと香辛料の絶妙な組み合わせにやみつきになり、ジャンバラヤミックスを買って帰り、何度も作った。名前の力強い響きが好きで、「気合いを入れる日の料理」と勝手に決めつけ、就職活動の頃はとくによく作った。会社の英語の試験の自由作文に「縁起を担ぎたい日にはジャンバラヤを食べる。今朝も食べたので、試験に合格するはずだ」と書いたら入社できた。ジャンバラヤミックスが底をついて以来、遠い存在になってしまっていたが、いつの間にかコンビニで買える身近な存在になっていたとは。感慨にふけりながら味わう。味はチキンライスに近かった。■小泉首相の北朝鮮訪問以来、食事どきの話題はもっぱら拉致問題。同僚たちはそれぞれ思うところがあり、雑誌や新聞やネットで仕入れた情報を分け合い、意見を言い合っている。朝鮮人学校が攻撃に遭い、休校が相次いでいるという話に心を痛める。国と個人がごちゃまぜになってしまっている。開けてしまったパンドラの箱の中身をどう整理していくのか、近くて遠い国との関係はこれからどうなっていくのか。最近は新聞をくまなく読み、考えさせられている。

2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙


2002年09月25日(水)  宮崎・日高屋の「バタどら」

最近、ドラえもんの気持ちがよくわかる。どら焼きにはまってしまったのだ。宮崎で出会ってしまった日高屋の『バタどら』をどっさりお土産に買って帰ったのだが、配りきる前に賞味機嫌が迫って来て冷凍庫に入れることに。一旦凍らせたものを人様にあげるのも悪いというのを言い訳に、せっせと一人で消費しているうちに、バタどらなしでは生きられなくなってしまった。

自然解凍して、バターだけが凍った状態でかぶりついたり、電子レンジであっためて、溶け出たバターに生地を浸しながら味わったり、いろんな食べ方を開発中。しかし、あと2個でついにバタどらが底をついてしまう。半分にして4回、いや4分の1ずつにして8回楽しむか、しばらくバタどら断ちして一気に思いを遂げるか、悩むところ。

2001年09月25日(火)  『パコダテ人』ロケ3 キーワード:遭遇 


2002年09月24日(火)  アメリカ土産の「Targetスーパー」のカード

ピザハットの仕事で組んでいるデザイナーのチャチャキ君は、年に何度かアメリカへ行くたびにTargetのプラスティック製カードをお土産に持って帰ってくる。「Targetってスーパーがあってさ、レジのところにカードが山積みになっているんだよ」と言うそのカードは、店のトレードマークであるターゲット(標的)が遊び心いっぱいにデザインされていて、コレクション意欲をそそる顔つき。

「ねえねえ、裏にNO VALUE UNTIL PURCHASED(購入前は価値なし)って書いてあるけど、どういうこと?」と聞くと、知らないというのでtarget.comを訪ねてみたら、「カードは25$から千$までチャージできます」とある。どうやらこのカードはJRのSuicaのようにお金をデポジットして金券として使うものらしい。もっぱらギフト用に使われているようで、父の日や母の日、誕生日祝い、結婚祝いにどうぞとおススメしている。もちろんチャージされていないカードには金銭的価値はないのだけれど、カードそのものは無料なのだろうか。Suicaだって発行手数料に500円取っている。「何十枚も取って行っても何も言われなかったから、あれは取っていいはずだ」とチャチャキ君は言うけれど、さて真実は。

2001年09月24日(月)  『パコダテ人』ロケ2 キーワード:対決 


2002年09月21日(土)  アタックナンバーハーフ

■レンタルビデオの返却期限が迫っていたので、『古畑任三郎』と『アタックナンバーハーフ』を立て続けに見る。いろんな人に薦められていた『アタック〜』は、膨らみきった期待以上に楽しめた。タイの映画は初めてで予想がつかなったけど、起伏に富んだストーリーもテーマ曲Saturday Nightのアレンジも素晴らしかった。台詞も生き生きしていた。パコダテ人にも通じる個性の話で、共感できる台詞がたくさんあった。個性派ぞろいの役者陣が演じるオカマ選手は、それぞれ魅力的で愛せるキャラクターになっていた。クレジットロールのオマケ映像を観て、再度唸らされる。キャスティングの妙に感心しているうちに、「彼女たちになりきった役者はすごい。いや、映画みたいな人生を生きている彼女たちがすごい」と感動がこみあげ、涙がじわり。実話物には弱い。


2002年09月18日(水)  月刊ドラマ

■わたしにシナリオを書くスタイルを教えてくれたのが『公募ガイド』だとすると、実際にシナリオを書くお手本を示してくれたのが『月刊ドラマ』だった。掲載されたシナリオを見ながら「回想シーンの書き方」「人物の描写のし方」「時間経過の表し方」などを教わった。改行のし方、ト書きのリズム、台詞で状況を伝える方法、台詞を使わずに感情を表現する方法などを研究しながら、コンクールに応募するシナリオを見よう見まねで書いたのだった。だから、プロになったら公募ガイドと月刊ドラマに載れたらいいなあとひそかに思っていたのだが、公募ガイドに続いて月刊ドラマに登場する夢も現実となった。今日発売の10月号のライターズ・コーナーに寄稿文が掲載されている。諸先輩を差し置いて図々しく先頭を飾っているのは五十音順だからのようだ。写真入りとは聞いていなかったので、ページを開いて驚いた。『月刊シナリオ』に渡した写真がしっかり使われていた。それ以上にのけぞったのは、わたしが月刊ドラマを買いはじめた1997年、つまり5年前と同じ写真が使われている先輩方。どうやら写真はめったに更新されないらしい。わたしもしばらく年を取らない予定。

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