パラダイムチェンジ

2005年03月26日(土) お父さんの恋

今回は演劇ネタ。見てきたのはパルコ劇場の「お父さんの恋」
以前見た「ビューティフルサンデイ」 と同じ脚本・演出家コンビの
新作である。
出演者は前田吟、堺雅人、星野真理、七瀬なつみ、菊池麻衣子、
池田成志。

物語はタイトル通り、自分の世話をしてくれる若い介護ヘルパーさん
(星野真理)に恋をしてしまったお父さん(前田吟)の元に、母親の七回忌
にあわせて子供たち(堺雅人、七瀬なつみ、菊池麻衣子)が戻ってきて
ひと騒動、という話だと思っていたらそんなに単純な話ではなく。

その肝心のお父さんは、脳卒中で倒れて以来、意識不明の状態で、
という設定で、かといって前田吟はただ寝ているのではなく、心の中で
子供ら登場人物たちにいろいろと話しかけてはいるんだけど、その声は
彼らには届かない・・・というちょっとせつない設定で。

そして子供たち、お父さんを介護するヘルパーや主治医(池田成志)にも
それぞれ事情があり、という物語。

以前、演出の板垣恭一が脚本家の中谷まゆみを評したように、今回も
「地上5cmのハッピーエンド」というつくりになっている。いや、
今回は地上3cmくらいかな。

でも、それぞれどんなにつらい事情を背負っていたって、生きてさえ
いればいくらでもやり直せるし、また同じ状況であっても、気持ち
ひとつでガラッと前向きにとらえなおす事は、いくらでもできる。

この物語の登場人物たちは、今まで疎遠になっていた親子、家族関係
から対話を重ねていくことでそれを見つけたし、また介護士役の星野
真理は、1年間お父さんの介護をすることでそれを見つけ出したのかも
しれない。

やっぱり、人を癒すのは人との関係、それも継続的な関係によって、
人は変わっていけるのかもしれない、なんて事を思ったのである。

DVD出たら多分買うと思います。
今回は、以前見た「ビューティフルサンデイ」のDVDが売ってたので
ゲット。これから見るのがちょっと楽しみなのである。




2005年03月25日(金) 英語三昧の日々

3/21から25日までの5日間、父親のもとにアメリカから来た生徒さんの
ための講習会の手伝いをしていた。
昼休みなし、5時間ぶっ続けの超ハードな仕事である。

そこで私が何をするかといえば、さすがに正確に通訳をこなす能力は
ないので、通訳のアシスタントをつとめることになる。
すなわち、父親の話す日本語の内容と、通訳された内容にちょっとした
齟齬があった場合にはフォローを入れる役目をしているわけである。

一応、両方の内容(といっても、日本語の内容は問題ないのだが)を
理解しないとならないので、結構ハードな仕事なのである。
いやあ、久々に肉体よりも頭を使う仕事をしたって感じ。


で、だからというわけでもないが、今年に入ってから英語を本気に
なって取り組んでいたりする。
本気と書いてマジと読む。そう、真剣に取り組んでいるのである。
まあ、実際どんな感じで英語に取り組んでいるのかは、おいおい明らか
にしていくとして。

元々、ここまで真剣に取り組もうと思ったのは、以前撮りだめしていた
TV番組を見たのがきっかけだった。
それが「英語でしゃべらナイト」2004年7/12放送分
出演者は中尊寺ゆっこ。10年以上前におやじギャルブームで一世を風靡
した漫画家であり、しかも昨年末惜しくもガンでこの世を去った、あの
中尊寺ゆっこである。

この放送を見たのは、実は今年に入ってからなので、見つけたときは
そりゃもう驚いたのなんのって。
この番組が収録されたのは、亡くなる半年以上前だと思うんだけど、
番組を見ている限りでは、とても半年後に亡くなるとは思えないほど
元気そうだった。

で、この番組の中で中尊寺ゆっこが言っていることは実にシンプルで
ある。

・小さい頃から始めなくたって、30過ぎてから始めたって全然遅くは
ない。むしろ母国語である日本語が使いこなせなければ、英語も満足に
は話せない。

・留学しなくても、本人にやる気さえあるならば、どこでも英語の勉強
をすることはできる。

・まずは文法が使いこなせない限り、満足に話すことはできない。
どんなに薄い文法の本でも一冊ちゃんと終えれば、自然と英語が口を
ついて出てくるようになる。

という事である。
そして何より大切なことは、本人が真剣に取り組んでいるかどうか、
という事らしい。

死んだ気になって2年間必死に英語に取り組めば誰でも話せるように
なるし、むしろ2年間やってもダメなら諦めた方がいいとまで言って
いたのである。


でも今回仕事の関係で英語を使っていても、そうだよなあ、と思うの
である。
結局どんなにボキャブラリーだけを増やしても、テスト対策にはなる
かもしれないけれど、言葉を話す根幹の文法が身についていなければ、
会話としてはなかなか成り立たないわけで。

また、どんなに中途半端にというか、遊び半分で英語が学べたらいい
なあ、位の気持ちでやっている限り、結局覚えたはしからどんどん忘れ
ていくだけなので、自分の英語力が飛躍的にアップする、って事もない
わけで。

だからというわけではないが、今年1年は真剣に英語に取り組んでみよう
と思っているのである。
今年1年頑張ってみて、果たして自分がどれだけ進歩していくのか、
自分の能力を見てみようと思ったのである。
そして、それは何も今年だけに限らず、できればずーっと英語とは
関わっていきたいと思っているのだ。
だって本来の自分の野望?には、ここまででいいや、なんて区切り
はなく、実はとても欲深いのだから。

なので果たして私の英語の実力が今年1年でどれだけ伸びていくのか、
このブログでも折にふれて書いていきたいと思っている。
こうご期待?



2005年03月24日(木) シャークテイル

今回は映画ネタ。見てきたのはシャークテイル
ドリームワークスによる海洋3Dアニメーションである。
この映画を一言でいうなら「声優を想像しながら見ると2倍楽しめる」
である。
なぜなら主要キャラクターをハリウッドの有名俳優たちがあてている
のだ。

主人公のオスカーはウィルスミスだし、恋人はレニーゼルウィガー、
アンジェリーナジョリー、そしてマフィアのドンリノ役がロバート
デニーロ(なんとほくろの位置まで一緒である)。
オスカーとドンリノの間に挟まれるハリセンボンにマーティン
スコセッシ監督。

なんといってもデニーロが主演した映画「タクシードライバー」の監督
だったマーティンスコセッシが、ドンリノに媚びへつらう役をやって
いるのがなんとも面白い。
また、ウィルスミスとレニーゼルウィガーの組み合わせの恋愛映画なん
て、実写ではありえないだろうし。

物語自体は、嫌なところ一つなく素直に最初から最後まで楽しめる
つくりになっている。
DVDでオリジナルキャストと、日本版キャストを聞き比べてみるのも
楽しいかもしれない。
スカッとしたいときにオススメの映画である。



2005年03月23日(水) 内田・釈対談

3/23の水曜日、池袋ジュンク堂書店に、内田樹と釈宗徹和尚とのトーク
ショーを見に行ってきた。このたび発売された「いきなりはじめる浄土真宗」
「はじめたばかりの浄土真宗」の販売促進、サイン会イベントである。

で、一言でいうなら、お二方ともとても愉快な方たちだった。
ウチダ先生は、Blogによれば死のロードの途中であったらしいが、
直前のジェンダー論を巡る攻防、そしてBlogでは触れていないライブ
ドア騒動や、両氏の細木○子に対する見解など、貴重な話が伺えたし、
釈和尚は関西人の軽妙洒脱さを持った方で、とてもチャーミングな方
であった。
あまつさえ、勢いでしてしまった質問に快く答えていただき、サインを
頂いた時にはお坊さんから感謝の言葉まで頂けるという誠にありがたい
機会であった。

ということで、本当ならばその内容について覚えていることをここに
書き留めるのが礼儀なのかもしれないが、何しろメモも取らず、ただ
うんうんと頷き、笑い転げていたのみであるので、実はまとめようが
ないのである(爆)。
まあ、ここで聞いた事が栄養としてちゃんと身体に吸収されているので
あれば、いつかひょっこり顔を出してくるのかもしれない。

あ、一つだけ思い出したことと言えば、この本の特徴ともいえるのだ
けれど、禅の公案がダブルバインドであるということについて、僧侶
である釈和尚がそこにとどまり、ブレイクスルーを目指すのに対して、
ウチダ先生は巧妙にするするっとすり抜けて次を目指すという姿勢の
違いが感じられたことだろうか。

これはどちらがよりすぐれているという事ではなく、どちらも「簡単に
は解決しない問題」に対する対処法の違いなのかもしれない。
なんて手前勝手に納得しててもしょうがないんだけど。
ということでとても楽しい時間でした。



2005年03月20日(日) エターナルサンシャイン

今回は映画ネタ。今回見てきたのはエターナルサンシャイン
本当はシャークテイルを見に行こうと思っていたんだけど、なぜか
思っていた場所で上映しておらず、この映画を観ることに。
実は同じビルの反対側で上映していたことが後から判明。
っていうか頼むからもうちょっとわかりやすく表示してくれ、
有楽町マ○オン。

ということで急遽観たこの映画。
一言で言うなら、「うん、ちょっと難しかったけどいい映画だった」
である。
予告で見ていた感じだと、「記憶をなくしてしまった恋人との感動の
名作」って感じで、物語も簡単に言えばその通りなんだけどそんなに
単純ではなく。

物語はつきあっていた彼女(ケイト・ウィンスレット)に自分の記憶を
一切消されてしまった主人公(ジム・キャリー)がそのことを嘆き悲しみ
自分も彼女の記憶を消そうとする1日(というより深夜)を描いた映画
である。

そしてこの映画がちょっと難しく見えるのは、現実の自分と、記憶の
中の自分と意識下?の自分が存在するという多層のレイヤー構造に
なっているからであり。

もしもケイト・ウィンスレットの髪の色が変わらなければ、一体何が
なんだかわからなかっただろう。
で、個人的な感想はと言えば、たとえ自分の記憶が消せるとしても、
こんな奴らには消されたくはないな、と思うし、またもしも自分の
つきあっていた相手に自分の記憶を消されたとしても、相手の記憶は
消さないだろうな、と思う。

この物語では、お互いに相手の記憶を消してしまったジム・キャリーと
ケイト・ウィンスレットは再び出会う。
そして再び出会った二人がどんな物語をつむいでいくのかは、映画を
見てのお楽しみ、ということで。

でももしも、たとえすっぽり相手の記憶が抜け落ちていたとしても、
やっぱりお互いにひかれ合うものがある限り、私はまた相手と恋に
落ちるんだろうなと思うのだ。



2005年03月18日(金) ボーンスプレマシー

今回は映画ネタ。見てきたのはボーンスプレマシー
以前見た「ボーンアイデンティティー」が面白かったので、続編も
期待してみたんだけど期待を裏切ることなく楽しめた作品だった。

前回は、記憶喪失になり、偶然知り合った彼女と逃げ回っていたボーン
君であったが、今回は前回よりもたくましくなり、神出鬼没、八面六臂
の活躍ぶりである。
物語の冒頭、彼は濡れ衣の罪をかぶせられ、そして彼女を殺されてしま
う。そこから彼の謎の追求と反撃が始まるわけである。

このシリーズ、他のスパイアクションものと大きく異なるのは、物語が
進むにつれて、主人公ボーンも無傷ではいられないということである。
追っ手から逃げる間に足はびっこをひき、銃弾を身体に受けてもなお、
彼は黙々と自分の信じる道を進んでいく。

だけど今度ばかりはさすがに分が悪いと思える状況を、彼は一体どう
やって打破していくのか。
吉田秋生の漫画、「バナナフィッシュ」や「YASHA」あたりが好きな人
にはたまらない展開なのだ。

このシリーズ、原作は三部作らしいので、次回作が待ち遠しくなる
作品である。



2005年03月15日(火) 年齢は気にしない

最近、考えを改めたことに、自分の年齢については気にしない、という
のがある。
すなわち、もう35歳なんだから、とかそういうことを一切言わない、と
いうことである。

元々私は、今年の冒頭のエントリーでも書いたように○○歳までには
なんとか、とかそういう考えをしがちな人間である。
それは、私がいわゆるサラリーマンではないことも関係しているのかも
しれない。一般的な社会人ではないために、やっぱり○○歳になったら
こうしなきゃ、みたいな観念にしばられがちだったわけですね。
そうしないと、1人の社会人として認めてもらえないような気がして。

でも、そういう考え方はもうやめようと思うのだ。
今の社会は、別に○○歳ならこうでなきゃいけない、なんて縛りが
生きているわけでもないし、その人の成熟度が必ずしも社会的地位や
年齢と密接にリンクしているわけでもない。

だからたとえば10代でも考えのしっかりしている人もいれば、40、50に
なってもどうしようもない大人たちもいる。
で、自分を振り返ってみた場合、今まで生きてきた35年間というのは、
どう考えたって元には戻せないし、その結果として今、ここにいるわけ
で。

でもね、そう考えたとき、年をとるっていうのはそんなに悪いことなん
だろうか、と思うのだ。
確かに年をとれば、お肌は曲がり角になるかもしれないし、体力だって
トップアスリートたちの限界能力は落ちてくるかもしれない。

でもトップアスリートでもない私の場合、自分の身体の使い方を工夫
しはじめた今の方が10代の頃よりずっと効率がいいので体力は落ちて
いる気がしないし、また肌にしたっていくつになっても心が弾んでいる
人の肌はキレイさを保っている。
だから30代になったら黄色信号、みたいに一概に年齢で区切ること自体
ナンセンスなんじゃないか、と思うのである。

そしてもう一つ、年齢を重ねることが決して悪いことじゃないな、と
思うのは、年齢を重ねる=経験値が増えるということであり、その
経験値の増え方によっては、年をとればとるほど魅力的に変わっていく
という方向性だってあると思うのだ。

これがもし、毎日飲んで食って寝てTVをダラダラと見るだけの生活
だったら、何も変わらずただ年をとっていくだけなのかもしれない。

でも時間の使い方によっては、たとえ同じ時間でもどんどん魅力を
増していく生き方だってあると思うのである。
そして今、そう思っている自分は今よりもたとえ3ヶ月、半年後で
あっても、もっと魅力的な自分に変わっているという予感みたいな
ものがある。

結果としてどうなっているかは別としても、その方向で考えていけば、
確実に私の中のある部分は成長していくんだろうと思うのである。
だから一概に年をとることが悪いこととは言えないんじゃないかな、
と思うのだ。
だって、今から結果に縛られていたってどうしようもないわけだし。

それにね、年をとることに対してどんどん悲観的になってしまう人って
若いあの頃に戻ってやり直せれば、今よりももっといい人生だったって
思っている気がするんだよね。

でもそんな風に思っているその人が、そのままたとえば10代に戻った
ってその人自身が変わっていなければ、結局同じところにたどりつく
んじゃないのかな。

それだったら自分の失われた時間にばかり気をとられるより、これから
待っている自分の時間をいかに充実させるかに思いをはせている方が、
健康的だし、その人の将来も明るくなるんじゃないのかな、なんて
思うのである。



2005年03月13日(日) ミュージカル体験塾

日曜日、友達が出演するミュージカルの公演を見に行ってきた。
といっても友人はプロの役者ではなく、一般人で「ミュージカル体験
塾」
という1年間のレッスンを受けた後の発表会にお呼ばれして行って
きたわけである。
出演者は全員、生徒さんたちで老若男女あわせて90人位いるらしい。

で、結論からいうと、たった1年、週1回のレッスンでも結構それらしく
見えるんだなあ、と思ったのである。
もちろん、そこには参加している人たちのモチベーションの高さが欠か
せないわけだけど。
でも、歌にせよ、ダンスにせよこれがたった1年だとは思えないくらい、
結構仕上がっているのに驚いたわけである。

自分の仕事の関係上、私は人の身体の動きに興味があり、トッププロの
踊りや演技を見てはどうしたらあんなに動けるんだろう、と唸り、
またこういう一般の人の公演を見に行った時には、なるほど人の身体の
癖がこう影響するんだ、なんてことに着目してしまったりする。

で、今回の場合、自分が予想していたよりもずっと高いレベルでまと
まっているのに驚いたわけですね。
何より、出演者全員が晴れ晴れと心から楽しんでいるのが伝わってきた
し。
技術うんぬんより、90人ものポジティブなエネルギーを受け取ってきた
だけでもよかった、って感じかもしれない。

ま、ただ一つ、ちょっと意地悪な?見方をすると、プロの役者とそうで
ない人の違いがどこにでるのかが、わかったような気がして。
それはセリフの発声に現れるんだ、と思ったのである。

たとえば声量に関わらず、プロの役者さんのセリフって、多分広い会場
の観客の一人一人にちゃんと届いてくると思うんだけど、今回の公演で
それができている人はあまりいなくて。

たとえ、どんなに大きな声でしゃべっても、そのセリフに方向性という
か、指向性がないと、ぐわんぐわんと会場の中で拡散してしまって、
観客の心には届かず、共感を持ちにくいんだと思うのだ。
でも、そこまでこのダンスあり歌ありのレッスンで、たった1年で求める
ことは酷なんだと思うけど。

ちなみに最後に出演者全員がロビーにいたので友達に挨拶して、
さあ帰ろうと思ったらなんとスポンサーからのレトルトパックのお土産
つきで。
それだけでもちょっと得したような、そんな公演でございました。



2005年03月11日(金) オペラ座の怪人

今回は映画ネタ。見てきたのは「オペラ座の怪人」
この映画、一言でいうなら、「まごうことなき1本のミュージカル」
である。

それもそのはず、製作総指揮、脚本はミュージカルを手がけた
アンドリュー・ロイド・ウェーバー。
私は残念ながら舞台版は見ていないんだけど、おそらくは舞台の魅力を
損なうことなく、映画化することに成功しているんじゃないかな、と
思う。

とにかくね、冒頭モノクロームの映像からはじまって、「Over Tune」
(劇団四季のオペラ座の怪人のCMで流れるあの曲)がかかった途端から
画面に釘付けになってしまったのである。

そしてファントム役のジェラルドバトラーの歌声がとにかくいい。
前半部分、ファントムがはじめてヒロインのクリスティーヌの前に
姿を現わし、彼女を自分の世界に引き込もうとする時などは、本当に
彼の歌のとりこになってしまいそうな危険な香りがプンプンと漂って
くるのである。

物語は、オペラ座の主役に抜擢されたクリスティーヌが、芸術と恋人
ラウルとの恋の狭間に、もしくは闇の力に取り込まれてしまいそうに
なる葛藤を描いているのだが、そのためには闇の力の象徴であるファン
トムが、たとえ姿形は醜くても魅力的な人物でなければならない。
その辺を、そしてその内面のもろさを今回のジェラルドバトラーは
うまく演じていると思うのだ。


でも、その一方でクリスティーヌを闇の力から取り戻し、遠ざけようと
する恋人ラウルの正義感や愛情も、そして彼女を愛し取り込もうとする
ファントムの闇の力、よこしまな心というのも、おそらくは誰の心の
中にも存在するのだと思う。

そして多くの場合、どちらかだけに傾きがちなのかもしれない。
だけど個人的にはそれだけだとちょっとつまんない?んじゃないかな、
と思う一面もあって。

複数の人格を持つといわれる多重人格障害に悩む人の場合でも、臨床
心理学者の河合隼雄によれば、無垢な人格と邪悪な人格が存在する場合
大抵の場合邪悪な人格は無垢な人格が存在していることを知っており、
何をどう考えているのかわかって行動をしているらしい。

かといって、そのどちらか一方の人格を無理矢理抹殺して統合を図った
としても、うまくいかないことも多いという。
曰く大切なのは統合ではなく、調和なんだと。
すなわち、誰の心の中にも心の闇、邪悪な一面が存在しているとする
ならば、それとどのようにうまくつきあっていくかが重要なのかも
しれない。

そして、この映画を見て私が感じたことというのは、

一方的な正義感で闇を否定するな
闇から目をそむけるな
そして、闇にとらわれるな

という事なのかもしれない。

もしも、ラウルがクリスティーヌが闇に心を惹かれていることに全く
気がつかなかったら彼女には二度と会えなくなっていたかもしれない
し、またもしも、ファントムの心が闇に囚われていなかったら、たとえ
姿形は醜くても、魂まで闇に侵されていなかったら、彼とクリスティー
ヌの関係性も、もっと違ったものになっていたのかもしれない、なんて
思うのである。

果たしてファントムは最後の場面で何を得て、何を手に入れられなかっ
たのか、もしかするとその答えがそこにあるのかもしれない。



2005年03月08日(火) 大人げない

前回のエントリーを書いた後、読み返してみて、
あー、も実はほりえもんの方がずっと大人で、それに絡んでクダを
まいている自分の方がよっぽど大人げないような気がしてきた。
切腹!である(いいかげん古いか)。

ま、それはさておき、個人的にはほりえもんをはじめとして、森前首相
日枝フジテレビ会長、そして林家こぶ平のような大人にはなりたくない
ってことである。
向こうもなってくれとも思ってないだろうけど。

でも、やっぱりほりえもんのバイタリティは見習って、爪の垢ぐらい
煎じて飲んだ方がいいのかもしれない。
小田嶋隆が、東京の土着民が地方出身者のスマートな都会人になぜ
勝てないのか、というのを書いているのだが、うん、そうかー、なる
ほど、と思うし。
そしてそんな事を思っている私自身も東京土着民なわけだ。

でも、日本というスケールで考えた場合、東京土着民は地方出身者に
しばしば遅れをとり負けるわけだが、これを世界というスケールで考え
たら、東京といえども辺境の一地方都市にすぎないわけで。

そこでは、東京土着民も大いなる地方出身者として、負けることなく
バイタリティあふれる行動がとれる余地がある気がするのである。
多分、その辺に自分の将来に関するヒントもあるのかもしれない。



2005年03月06日(日) ほりえもんはなぜ大人に見えないのか

相変わらず、ニッポン放送株式をめぐるフジテレビとライブドアの
攻防戦が連日報道をにぎわせている。
そして相変わらず私はといえば、どっちが勝つかなんてことには
あまり興味がない。
そんなものは時期が来ればおのずとわかることなんだろうし、余計な
ことを考えたってしょうがない。
私が興味を持つのは、ただひとり、ほりえもんについてである。

先日、友達とほりえもんの話になった時、自分自身があまりほりえもん
をこころよくは思っていないことに気がついた。
もちろんそこには、ほぼ同世代に対しての嫉妬、ジェラシーもあるの
かもしれない。

でも、どこがそんなに好きじゃないんだろう、と考えたとき、「考えの
底が浅そうに見える」からな気がしたのである。
そしてそれをもう少し突っ込んで考えてみると、彼がちっとも大人に
見えないことが原因のような気がするのである。


で、じゃあここでふと考えてみる。
じゃ、大人に見えるか見えないかの基準って一体どこにあるんだろう?

それは例えば彼の服装がカジュアルだから、という訳でもないだろう。
普段からカジュアルな格好をしていても、中味は十分大人な職人さん
なんてのは世の中に沢山いると思うし。
多分それは、彼の立ち居ふるまいや言動から感じるんだろうと思うの
だが、なんとなく「ガキが大金持っている」ような印象がついてまわ
るのである。
もちろん、それはメディアが植え付けたイメージなのかもしれないが。

でも今回のニッポン放送を口説き落とす文句にしたって、10代で彼女を
妊娠させてしまった彼氏が、彼女の両親の前で一生懸命いきがっている
構図にどうしても見えてしまうのだ。

田口ランディは ブログの中で、ほりえもんはコミュニケーション能力が
低いのでは、と書いていたが、もちろん彼も会社をしょって立っている
実業家である。おそらくビジネス的なコミュニケーション能力は、人一
倍持っているんだろうと思う。
事実、彼がビジネスについて語る口調は論理的で、(少々冷たく感じる
が)わかりやすく聞こえる。
でもなぜか、彼に大人の雰囲気はあまり感じないのである。

それは「反戦略的ビジネスのすすめ」を書いた平川克美が「最近のベン
チャー企業家たちの言葉遣いがなってない」と書いていたことに私が
影響を受けているのかもしれないんだけど。


でも、じゃあビジネスの世界に限らず、大人ってどういうのだろう?
と考えたとき、今回のライブドアに対してバッシングを繰り広げている
いわゆる守旧派とよばれている人たちが大人なのか?といわれると、
なんか違う気もする。

森喜朗なんてほりえもん以上に子供でしかもバカに見えるし、フジテレ
ビの日枝会長にしても、対応は十分大人だと思うのだが、かといって
個人的にはああいう大人に憧れてなりたいともあまり思わない。
ま、その辺がこの問題に関してあまり興味がわかないのかもしれない
原因なのかもしれないけれど。

でもたとえば、日産のCEOのカルロスゴーンは魅力的な大人に見えるし、
たとえば年下でも中田英寿や、そして女子プロゴルファーの宮里藍
だって十分魅力的な大人に見える。


この前見た映画「ネバーランド」の中の1シーンで、ジョニーデップ
演じる主人公、ジェームスバリが親しくしてピーターパンを生む結果
になった家族との交流の中で、その中の長男が子供から大人へと変わる
シーンがある。

といっても外見が変わったわけではない。でも確実にその瞬間少年は
大人になり、そしてジョニーデップが「君は大人になったんだ」と目を
細めて喜ぶシーンがある。

ではその瞬間、何が変わったのか、と言われても言葉にすることは
できないのだが、確実にその瞬間に少年は大人になり、そして信用に
足る人間になったように見えたのだ。
そしてなぜだかわからないが、ほりえもんには同様の大人らしさという
ものをあまり感じないのである。
彼だって十分覚悟を決めて、肚も座っていると思うのに。


でも、日本って本当に若者が憧れる魅力的な大人というロールモデルが
少なすぎるんだろうと思うのだ。
だって、政治家にしても有名人、セレブにしても、あ、この人は大人だ
な、って思える日本人って少ないような気がする。

というよりは、それをTV画面やメディアを通して求めようと思う限り、
難しいのかもしれない。
だから同様の理由で、中村勘九郎が勘三郎になったことに関しては
賞賛を送りたいが、林家こぶ平が正蔵になることに関しては、ふーん、
そう、それで?って気になるのである。
それもなぜだかは、よくわからないのだが。



2005年03月03日(木) バードコート

あの、ほりえもんもお気に入りという噂のバードコートに行って
きました。
元々以前働いていた病院が足立区にあったこともあり、北千住はそこ
そこ馴染みのある街なんですけど、バードコートに入ったことはまだ
なく。
久々に友達と会うのでせっかくだからということで、予約をとって
いざ入店。

いやー、むちゃくちゃおいしかったっす。
あまりにおいしくて、写真を撮り忘れたくらい。
焼き鳥も火の通り具合も、塩加減も絶妙だし、鳥レバーもまったく
癖がなくておいしかったんですが、一番おいしかったのは、なんと
いっても親子丼。
これの割り下の味がむちゃくちゃおいしくて。
今まで食べた親子丼の中でもベストに入るのかも。

ま、値段もそこそこはりましたが(爆)、でもいい経験をさせて頂き
ましたって感じかも。また行きたいなあ。
あと一つ、焼酎があれば、何も文句のつけようがなかったんですが。

ということで、おいしいものを食べた後で久々に友達とビリヤードを
して帰ってきました。結果は・・・惨敗だったということで(泣)。



2005年03月01日(火) オーシャンズ12

今回は映画ネタ。今回見てきたのは「オーシャンズ12」
「オーシャンズ11」の続編である。
個人的には、1本の映画としても、そして「オーシャンズ11」の続編
としても、とてもよくできた面白い作品だった。

ちゃんと前作からの話の続きもあるし、あの11人が再び集まる理由付け
にもなっているし。
それに加えて新たに参加したキャサリンゼタジョーンズも、魅力たっぷ
りのおいしい役になっているし。

しかもジュリアロバーツと某超有名ハリウッド映画俳優の共演?という
予想外のハプニングもあって、すごく楽しめるつくりになっていると
思うのだ。
ただし、前作を見ているかどうか、前作を好きかどうかで評価がわかれ
てしまうのかも。

個人的にはこれだけ豪勢なキャストが集まって、しかも1本の映画作品
として面白いのであれば、十分元を取ってお釣りがきた気がするので
ある。
しかも映画の日で1000円だったし(もしかするとそれが大きい?)


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