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2006年08月27日(日)

出産祝とDS

24日(金)は観劇後、飲みに。
約束の時間まで3時間も持て余していたので、横浜で降りて8月に出産した友達の出産祝いを購入。

出産祝い


そごうに行ったんだけど、売り場案内を見てコムサに直行。
単に私の趣味で。友達の趣味とか考えてないとこがミソ。
男の子なので、あえて赤に。多分、男の子っぽい色は沢山もらってると思って。
見辛いけど、ミッキーの影絵みたいなプリントのシャツと、パンツと涎掛け。
あ、今はスタイとかって言うのん?けど、売り場のお姉さんが「涎掛け」と申してたので涎掛け。
パンツは裾を折って丈を調整できるから便利かなと思って。
本当は涎掛けもシャツと同じにしたかったんだけど、予算の関係上別物。
赤いやつはミッキー&ミニー柄(多分)のタオルハンカチで、1万円以上買うと、もれなく付いてくるそうだ。

生まれたての顔だと、どっちに似たのか分からなかったけど。
母親似なら、とても濃い顔だから赤は似合うと思うのさ。
父親似だと・・・いや。大丈夫。すっきりした顔立ちに赤が映えるさ。

と。話は変わって。
私が出産祝いを買っている頃、店に2号が来ていたらしい。
母上が少し前から何を思ったのか、脳トレーニングとかいうのが欲しいと言い出して。
そういうのは、2号一家が詳しいから頼めと言ったら本当に頼んでた。

DS Lite


母上の好み通りピンク。もちろん、「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」も。
旦那か息子に頼むんだとばかり思っていたら、なにやら自分で新宿に行って並んで買ったらしい。
流行り物を手に入れるって大変なのね。

一昨日受け取って、昨夜、私に設定してもらおうと思ってたらしいんだけど。
生憎、二日酔いで夕寝から起きられずに店を休んだ。
よって、本日設定してあげたんだけど。設定って言っても日付とかだけどさ。
2号も自分で持ってるんだから、少しは教えて上げれば良いのに丸投げして帰りやがった。
私はゲームをしない人間なので、こういうものを触るのは始めてなのさ。
まぁ、なんとか出来たけど。

PCの画面すらキツイと申して、あっという間に飽きてしまった母上だ。
それより小さな画面のDSは、もっとキツかろうと思うんだけど。
しかも、ちょこっとやった初歩トレーニングで躓いてたし。
いつまで持つかしらね。飽きたら私が貰いましょ。

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日記書きついでに、話を戻して観劇についても少し。
今回の公演で見納めだったんだけど、前から3列目の通路席という超良席。
あまり前だと見上げるから、逆に見づらいっていうのもあるんだけど。
やっぱ、違うさ。
4列目っていうのは結構あるんだけどサイドばっかりだったし。
今回は通路とは言ってもセンターだったし。
1つ前になるだけで、こんなに役者さんの顔が見えるもんなんだ?って感じ。

今回の舞台は客席通路を役者さんが通るので楽しいんだけど。
楽しいんだけど。オイシイ席だったとは思うんだけど。
昔の広がったドレスだの、マントだのなもんで、駆け抜ける度に私の左肩にバシバシと当たるのさ。
顔に当たらなくて良かったぁって思うぐらい、結構痛かった。
まぁ、それが嬉しいってこともあるんだろうけど。
痛さで現実に戻される感の方が大きくて残念。
ほぼ、出ずっぱりの若い役者さんなんて、飛び散る汗を私の手の甲に落としていったわさ。
これが凄いファンなら卒倒もんかも。

ああ。もう一回見たい。
でも、また観たいぐらいで抑えるぐらいが、私の場合は感動が残って良いのだな。
っていうか。
明日千秋楽だし。どう足掻いても見れないんだけどさ。



2006年08月20日(日)

土曜の昼間に寝すぎたせいで、あまり眠れず。
4時間睡眠ぐらいで9時に起きて観劇に行ってきた。
案の定。途中で睡魔に襲われて闘った闘った。
帰りは蒲田で途中下車して、Tやんと食事(食べたのは私だけだけど)した。

さて。
先日の大掃除の際に、入居した当時の契約書が出てきた。
今まで記憶が曖昧だったけど、どうやら私はココに11年も住んでるらしい。
もう、立派な主だ。
1階の隣は私が越してきた時には既にいたから、大主だ。

外出から帰宅して、すぐに私は台所で手を洗う。
洗面所なんていう物は無いからして、台所だ。
手を洗いながら、時々「今日の月は明るいな」などと思ったりする。

流しの前は出窓になっていて、そこの窓は曇りガラスなのだけど。
その窓越しに月明かりが見えるのだ。

その明かりは、時には薄暗く。時には眩しいくらい白く明るく。
そして、当然。見えない日もある。
いつから、そこから月が見えると気付いたのかは覚えていない。
もしかしたら、ここ2-3年かもしれないし。
引っ越してきた当初から時々思ってたかもしれないし。

今日も、いつものように手を洗いながら

「ああ、凄い明るい月だねー」

などと思って眺めていた。

すると、月の明かりを遮る何かが横切った。
虫とかそういう小さい物じゃなくて、月全体が隠れるほどの物体。
当然、窓の向こうに人が通ったとかじゃない。
その窓は裏の家の庭に面しているけれど、そこに例え人がいたとしても、月の位置の方が高いから竹馬でも乗らない限り隠れる事はない。
かと言って、風は強くなかったから雲じゃない。
雲だとしたら、物凄い勢いで塊が流れてることになる。
その物体は2-3回、月明かりの前を過ぎった。

あん?月の前を過ぎる?
幾ら遠くて小さく見えたとしても、月は月。
いくらなんでも、ちょっとやそっとの物体じゃぁ月明かりをすっかり隠す事など出来ないべ。

とか考えていたら、突然、月明かりが暗くなった。

あ。
もしかして。
いや、もしかしなくても。

これ、月じゃないじゃん・・・。


私が何年間か月と思い込んでいた、その時には明るく。時には暗く。時には見えなかった、その明かりの正体は。

裏の家の二階の窓明かりだった。

月明かりの前を何かが過ぎったと思ったのは、その家の住人が窓辺を往復したからだと思われる。

なーんで、そんな勘違いしてたのか。
二階の窓から確認してみると、雨戸を少しだけ開けてるんだな。
その開いてるところが丁度、部屋の中央で電気がぶら下ってるのが見えるんさ。
これが、雨戸が全部開いてる状態だったら勘違いはしなかったと思うのさ。
上手い具合に、月明かりっぽく見える幅で開いてるんだな。
月が見えないような雨の日は、これまた上手い具合に雨戸が閉まってたと思われる。

さらに、月っていうのは時間に寄って移動するわけで。
その移動に伴って、月がその位置に見えなくなる夜中には裏のご家庭は御就寝。
当然、電気が消されてる。
だから、夜中に見た時に月明かりが無くても何も不思議に思わないだな。

それでも、気付くチャンスはあるはずだったと思うんだけど。
家に入る前に月の位置を見たら、違う場合だってあったはずなんだけど。
我ながら物凄いボケだと思うわ。

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2006年08月19日(土)

お土産

今日は、午前2時前に眠って朝9時に目が覚めた。
それから3時間後には再び眠ってた。
どっかで体力を奪われてたらしい。

さて。
先月末頃だったかに、我姉妹2号の旦那と義父と息子が台湾に行ってきた。
2号の旦那は私立の高校教師で。
記憶が間違ってなければ、勤続何年間だかの御褒美とかで海外旅行への旅費負担金が出たとかって話だ。
条件は家族であることだったらしい。

なぜに家族と言いつつ男3人になったかは説明しないでおこう。
男3人での海外選択が何故に台湾だったかも追求しても仕方あるまい。

そのお土産を持って、店に2号と娘&息子が来た。
早い時間だったので私は会って無い。
後から店に行くと、私宛のお土産が置いてあった。


何故に台湾土産が『ドラえもん』なのかは、あえて突っ込まないでおく。


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だからドラえもんを選択したって訳では無いと思うけど。


2006年08月18日(金)

御施餓鬼

16日は実家に行った。
新しい住職がいらしてお経を上げてもらって。
遅い昼食後に父上を送り出して帰宅。

本日は御施餓鬼の為にお寺へ。
車がいっぱいだっていうので、暑い中モノレール&徒歩。
なにも、お盆も過ぎたこんな暑い日にやらんでも・・・
って、天気予報まで知るわきゃないわな。
毎年、御施餓鬼の時は物凄く暑いかもしれない。

お寺にはエアコンがない。今時の大きなお寺はあるらしい。
新しい住職は、このお寺に住み込むつもりは無いそうだ。

「古いし、狭いし、虫天国だし」

だそうで。
いや、それは事実なんだけど。
本当は、ここの住職になるのが嫌なのか?

「檀家さんと揉めてるみたいで」

母上に乗せられて、いらない事まで口走る。
声がダミ声。
お坊さんは声命なのに。通る声命なのに。木魚に負けちゃダメなのに。
この宗派の木魚はポクポク系じゃなく、キンキンカンカン系。
だから、声が通らないと負けるのさ。

「彼は、11月に荒行に入ります」

と、今まで代理で来てくれてた他のお寺の住職さんの息子さんが仰ってた。
納得。
荒行から帰ってきたら、今のムサさに神々しさが加わるかもしれない。
山の神様っぽくなるかもしれない。
したら、余計なことを口走ったりしてくれなくなるかもしれない。
知りたがりの母上は残念がるだろうけど。

「声って、訓練したら変わるもの?」

と、母上に聞かれた。
今は修行段階で枯れてしまっているのかもしれない。
修行後は、きっと喉が鍛えられて前の代理住職さんのように耳が痛い程のバズーカに変わるんだ。
そうだ。そうだ。期待しよう。


さて。
今日は私の誕生日な訳で。
然しながら、午前0時過ぎに携帯にきたお祝いメールで気付いたくらい。
すっかり忘れており。
朝、起きて立ち上げたPCに届いたDMの「おめでとうございます」で、「あ。そうか」と思ったぐらい。
また、寝たらすっかり忘れ去っており。
仕事をして、お寺に行って、店の電話回線が故障したので業者に立ち会ってる時に、ふと思い出すまで。
またもや忘れ去っており。

去年までは、自分の誕生日を何日も前から意識してるような人間だったはず。
これは拒否か?
拒否なのか?

歳なんかとらねーんだよ。とってたまるかよ。

っていう、無意識の悪足掻きか?

実年齢じゃなくて見た目年齢でいこうぜ。
って、見た目ねぇ。
見た目も無理が生じてるわな。

じゃ、中身年齢で。
脳年齢は調べてないけど年齢より上だと思うし。身体も同じく。
うん。中身で。中身だけは変わらないのが自慢。
いや、中身も老けたか。
なんか、昔はショック受けてそうな出来事に動じなすぎる。

まぁ、結局。
人からどう見られてるかは知らないけれど。
どんだけ足掻いても。脳が誕生日を抹殺しようとしても。
多分、私は見た目も中身も脳も身体も確実に毎年歳をとり。
とどのつまり。それなりに歳相応だってことだ。

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2006年08月15日(火)

墓参り

なんか・・・Microsoftから来る自動更新ってやつを先日やって以来。
IEを開く時に勝手にAcrobat起動画面が出る現象が時々あるんですが。
起動画面が出るだけで立ち上がりゃしない不思議。
なんだべか?

さて。
本日は終戦記念日。
本当は、栃木に行った際に聞いた末オジさんの話を書く予定だったんだけど。
母上と話して戦後61年とはいえ、やっぱり微妙な話かもしれないってことで詳細は取り止め。

末オジさんは、M伯父ちゃんが私の腕を掴んでヒソヒソ言うには、偉い立場の人だったそうな。
だから、当時は気軽に話し掛ける事など出来ない遠い存在だったと。
末オジちゃんは旧満州にいた。
私は、そこでの話を聞いてきたのだけど。
やっぱ、そうさね。微妙さね。

お寿司を食べずに「これ、うまいよ」と私にクッキーを勧める末オジちゃんの顔は可愛らしく。
隣に立って、「おや、背が高いなぁ」という末オジちゃんは優しい穏やかなお爺ちゃんでしかなくて。
この顔が戦時中は違っていたんだろうなんて想像は出来なかったんだけど。
当時の全ての出来事を何年何月何日まで覚えていて語る末オジちゃん。
物覚えが良いという域を越えている感じがした。
ってか、私が頭悪いのか。
せっかく教えてくれても年月日は綺麗さっぱり忘れてしまったわ。
頭の悪い私の為に、何かに書いてくれないかな。
けど、今度は達筆すぎて読めない可能性が出てくるかもしれぬ。
勿体無いよなぁ。

ということで。(無理矢理話を墓参りに)
その末オジちゃんの10歳離れた姉である私の祖母のお墓参りに、母上と共に行って来た。

お盆なのに。
祖母は新盆なのに。
誰も来てくれてないんだね。

母上と二人して驚いてしまったさ。
花はカラスの悪戯か、外に出て干からびてるし。雑草も生え放題だし。水は汚く濁ってるし。墓石はコケだらけだし。
って、一説によるとコケは取らない方が良いとか。
でもさ。お水かけて軽く拭いたら取れちゃうから。
誰も長いこと掃除してあげてないって事だから。

昨日書いた日記に一つ間違えが。
お墓に眠ってるのは、伯母じゃなくて叔母。父上の妹さんだった。
全部覚えてくるのは無理だったけど。
祖父は享年37歳。K伯父さんは享年40歳。叔母さんは享年1歳。祖母は享年99歳。
祖母は、祖父の2倍以上を生きてきたのだな。
祖父は3月。K伯父さんは7月。
我姉妹達が小さい頃に誰かの葬儀に出たって言ってて。
それが祖父か伯父か分からないって言ってたけど、それは私が生まれた2年後に亡くなったK伯父さんの事なんだろう。

こんなに沢山身内が眠ってるお墓なのにな。
なんで誰も来てないんだろうな。
祖父母の子供の内2人は、徒歩5分以内のとこに住んでるのにな。
M伯父ちゃんだって、駅一つのところに住んでるのにな。
おせがきに来たって言ってたから、お盆は来なくて良いのかな。
周りのお墓は綺麗なお花があって。掃除もされていて。
なんかさ。逆に目立ってたさ。

父上は最初、このお墓に一緒に入れないか?ってM伯父ちゃんに言ったんだそうだ。
M伯父ちゃんには子供がいないから。
父上が入れば子供達が墓参りに来るからって。
けど、却下されて自分のお墓を作ったのさ。

父上のお墓には、今日は元従業員のおじさんも墓参りしてくれたそうだ。

なんか。なんつーか。
以降、愚痴。

祖母の葬儀の後の食事の時とかに、私たち家族はM伯父達と一緒に話して笑ってて。
それに対して父上兄弟の末っ子である叔母が非常識だと言わんばかりに憤慨してたっぽいんだけどさ。
そういう事に厳しいくらいの人なら、常識として墓参りとかするんじゃないの?
亡くなった時に棺に自分の不幸を一緒に持っててくれるからとかっていう、本当か嘘か迷信か知らないけど、自分と子供の髪の毛入れたり。
お寺代わりにお墓に毎日「息子どうにかして」みたいに拝んでるとか言ってたり。
なのに、なのに、なんでお盆に墓参りしてないの?

そもそも、祖母に可愛がられていたのは伯父ちゃんや叔母ちゃん達で。
孫にしたって、側にいて凄く可愛がられてたのは叔母ちゃんの子供達で。
父上は祖母を母親として近くに感じて育っておらず。
私たちも祖母という存在を身近に感じて育った訳でもない。
それでも、祖母は祖母だから。
祖母として慕っていたし。
父上も自分の出来る限りの親孝行をしてたと私は思うし。
何をしてもらったからじゃなく。
祖母だから。母親だから。兄弟だから。
そんだけなんだけどさ。

情がね。
無いのね。
情っていうか、仁義が欠けてるのね。

って、今回、父上の墓参りに行ってない私が偉そうな事は言えまへんな。

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2006年08月14日(月)

お盆

お盆ですな。
そこはかとなく体調が悪いような感じで。食欲も珍しくな無いような感じで。
これは所謂夏バテってやつなのかもしれぬ。
バテるほど暑い場所に出てないし、冷房も程々なのに不思議だわ。

と。
今、ベランダで物音がしたので見にいった。
干しておいた畳(部屋に敷く半畳ぐらいのやつ2枚)が倒れてたので直した。
直して、日記を数行書いたところで大きな雨の音。

雨が降るよってお知らせだったのかしらね。
なんて事を本気で思ってしまいそうになるのは、お盆だからってことで。

今朝、ゴミを出しに行くと原チャリが勢いよく走ってきたので除けたら、袈裟をなびかせたお坊さんでしたわ。
大忙しなのだね。

世にも奇妙な物語的な話について、私は「そういう事もあるかもね」的な考えで。
100%信じきる事は無いけれど、その人の語る事が妄想である可能性もあるかも。
ぐらいは考えたりもする。
でも、その人がそう言うんだから、そうなんだろう。で終る。

母上が、「お父さんが来る時は屋根の上がカラカラ行ったり、ドンドン音がしたりするのよ」と言うけれど。
それは、母上にだけ聞こえるものだと思っていて。
嘘は付かないだろうけど、妄想じゃないとは言い切れない。

ただ一つ。
これは前にも書いたと思うけど。
父上が最初の癌告知をされて手術した後、フラリとお坊さんが入って来たという話だけは信じている。
そこまでの妄想と作り話をする程の想像力が母上には無いと思うから。
そのお坊さんは、まさしくお坊さんという格好では無かったらしい。
母上の表現だと甚平みたいな。それでもお坊さんって分かる格好だったらしい。
フラリと父上の会社に入って来て、御札をくれたと。
あれは、何だったんだろう?って母上は今でも疑問らしい。
初めて見る人で、それから二度と会わない人。
夢じゃないのは、その御札が今も存在するから。

あ。今、気付いた。
その御札を見て何が書いてあるかを調べて見りゃ良いのかな。
何の御札か分かったら、少し謎が解けるかも。


さて。お盆と言えば墓参り。
土曜日に我姉妹2号が行ったらしい。日曜は母上が。
私は、さぼった。
16日にお坊さんが来るので実家に行くし。18日はお施餓鬼でお寺に行くしし。
という口実を見つけて。
本当の理由は体調不良と言う名の面倒臭がり病だ。
13日の朝、父上の位牌にお線香を上げつつ「おかえり」と言っただけの、親不孝な娘でごめん。

今年は祖母の新盆だ。
M伯父によると何も特に親類を呼んだりはしないらしいので、墓参りには15日に母上と行く予定。
祖母のお墓にいるのは、祖父と父上兄弟の次男であるK伯父と伯母。
伯母については、生前父上に生まれて間もなく亡くなったと聞いていた。
ところが。
父上の兄弟の末っ子である唯一の妹である叔母ちゃんによると、その人は父上のすぐ上の伯父の子供だとか。
どちらが本当なのか。多分、父上が言った事が正しいと勝手に思っているけど。

このお墓には、もう一つ謎があった。
お墓に入っている祖父が、本当に私の父上の父親なのかどうか。
考えてみりゃ、戒名が彫ってあるんだから明らかに祖父って分かるだろうに。
だけど、祖母が祖父が亡くなった後に再婚したとかしないとかいう話があって。
祖父に関しても、栃木の人がお骨を渡してくれなかったとかいう話もあって。
全て断片的に聞いている話なので、何が本当でどうのっていうのが分からずにいた。

今まで、そういう話を親類の誰かとする機会も無かったし。
ということで、先日、烏山に行った時に疑問を解消してきた。

結論から言うと、お墓に眠っているのは確かに祖父。
でも、お骨じゃなくて。土なのだそうだ。
M伯父に聞いたところによると、祖父の時代は土葬だったらしい。
だから、その土をいただいてきたそうだ。
ということは。本当のお墓は栃木なのかもしれない。
その辺の話は、なんだか突っ込めなくて聞けなかった。

祖父がどういう人かって話しは、祖母の弟である末おじさんに聞いた。
祖父は長男だった。
だけど、栃木が嫌でこっちに出てきたと。家出同然だったらしい。
腕の良い鍛冶屋だったけど、お酒が好きで。
戦時中は手に入らないから、医療用のアルコールを薄めて飲んでた程。
そんな物を飲んで、御飯も食べなかったから身体を壊してしまったそうだ。
父上の兄弟が全て飲兵衛なのは、祖父の遺伝だってのがよく分かる。

その祖父の本家は何年も前に無くなってしまったらしい。
誰かに乗っ取られたとか。
それが、祖母方の親戚だったか、祖父方の親戚だったかは、よく分からなかった。
とにかく。今は無いんだ。

あ、苗字にまつわる話も聞いた。
私の苗字の漢字は、同じ読みでも少ない方なんだけど。
実は、元々は違う漢字だったんだそうな。
どっかで変えたんだって。昔って簡単に変えられたんだね。
そういや、父上の名前の読みも勝手に父上が変えてたしな。

祖母との馴初めも聞いた気がするんだけど、どこかボーっとしてたのか余り覚えて無い。
祖母は女っぷりが良かったと祖母の妹さんが言っておった。
祖母の顔は、池田あきこさんっていう作家の描く猫のダヤンに似ている。

烏山で会った祖母方の私と同年代ぐらいの女性は、背が高くてスタイルが良くて綺麗な人だった。
その人の、ひいお婆ちゃんが背が高くてスタイルが良くて鼻筋がスっと通った顔で。その人によく似てたそうだ。
ってことは、祖母の母親になるのかな?
父上の一族は皆、背が低い。
けど、祖母は昔の女性にしては背が高いそうで。
私の背が高くなったのは、祖母の血筋かね。まぁ、産みの母親の血筋も大きいけど。
そういえば、末おじさんも背が高い方だったな。
顔は祖母に似てなくて、目が細くて薄い顔だったから、きっとひいお婆ちゃん似なんだろうな。

戦中戦後、祖父が亡くなった後の祖母の暮らしは大変だったと誰もが口を揃えて言っていた。
だから、長兄であるM伯父と亡くなったK伯父以外は皆、栃木にバラバラに預けられてたと。
物凄い意地悪をされた話し。食べ物がなくてひもじかった話し。
S叔父は、勝手に食べ物を食べて酷く叩かれた事を今でも恨んでるって話し。
烏山から宇都宮まで線路沿いに歩いて(今の電車で50分かかる距離)。宇都宮から貨車に忍び込んで祖母のところまで帰ったって話し。
帰って来たS叔父を引っ叩いて祖母が栃木に帰したって話し。
そんな苦労を祖母の側にいたM伯父は知らずにいたって話し。

S叔父が言ってた。
それぞれ、苦労はしたんだよ。皆がそれぞれ大変だったんだ。
だから、そんな昔の事は忘れて仲良くやりゃー良いのに。

なんだか、私の家族に通ずる話だ。
なんかさ。S叔父自体は余り良い人とは思ってないけど、言ってる事には同感。
けど、今回の不幸を父上のすぐ上の伯父にだけ誰も知らせてないっていう現実はどうなの。
まぁね。年金暮らしの借家暮らし。伯母は病気で通院している生活だからして。
知らない方がお金もかからずに良かったのかなって思うけど。

父上の兄弟は仲が良くない。
父上だけが、文句を言いつつも皆と繋がっていた。
父上が生きてたら、今回どうしただろうね。
「たられば」を考えても仕方無いけどさ。

祖母の葬儀でもそうだけど、今回の葬儀でも発覚したことがある。
父上の葬儀で、私たち姉妹の一人が栃木の人に物凄い印象を残していたらしい。
それは、「お父さんの葬式で泣いて大変だった子」と称されている。
その子供は、祖母の葬儀の時には「末っ子」だったと勘違いされていた事が発覚。
それが、今回の烏山での葬儀の時には「真ん中の子」と勘違いされている事が発覚。
目撃した其々が勝手に何番目の子供かを推測した結果なんだろうけど。
誰も長女だと思ってなかったとこがミソ。
つまり、誰も私を末っ子だと思ってなかったって事だ。

今回、母上と一緒にいたから父上の子供って思ってもらえただけの話で。
もしかしたら、父上の子供として覚えてもらって無かったのかも。
相当、印象の無い存在だったのかもしれないな。


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同感。


2006年08月11日(金)

検査結果

どうやら、お盆休みってものが私には無いらしい。
本来なら一昨日には終ってるはずの仕事の遅れのせいだと思っていたら。
夕方来たお客さんからメールに「来週頭に云々」って書いてるからして。
まぁ、お盆なんて日本以外は関係無いからね。
分かってたっちゃー分かってたけど。
けど、お盆は無くても夏休みはあるっしょ?それはいつなんだね?

さて。
先週の金曜日に血液&尿検査をしてきた結果が本日出た。
ってか。
うちの家族の誰も私の検査結果なんぞ気にならないらしいわ。
数日前まで「金曜日だっけ?」と申してた母上ですら、忘れ去ってた模様。
そんなもんさね。

結論から申すと。
リウマチではありまへんでした。
8年前の血液検査では(+)になってたけど、今回は出なかったらしい。
で。甲状腺の方は「確定できませんでした」だって。
その他、肝臓やら腎臓やらモロモロも異常なし。
尿検査でタンパクも出てなかったし。

ただ、何も問題が無いって訳じゃなく。
この甲状腺の「確定できませんでした」ってやつ。
この検査では、3種類の数値が出てたんだけど、その一つが基準値より低い。
8年前も同じく低かったらしい。
だけど、何か甲状腺の病名が付く状態の場合は、他の2つのどちらかも異常にならないとおかしいんだと。
これ一つだけが低いっつーのは、正常とは言えないし。
かと言って機能亢進でも機能低下でも無いと。
よって、「確定できませんでした」なのだそうだ。

これとは別に、もう一つ問題が。
「補体」ってやつが基準値より低い。
補体というのは、体内に異物として侵入した細菌とかウイルスと闘って破壊してくれる、生体防御に働く酵素系タンパクの総称だそうだ。
血中の免疫物質(の総称)らしい。
んで、その中に幾つかの分類があって、3種類調べたんだけど。
これまた、その一つの数値が基準より低い。
この補体ってやつも、これだけが低いっていうのでは病名が判断出来ないんだそうだ。

どっちがどうだか忘れてしまったけど、脳下垂体ってとこからの分泌が何らか(例えば腫瘍とか)によって阻まれている場合ってのもあるらしい。
けど、私には他に何も症状が無い訳で。
(聞かれたのは物がダブって見えるか?身体が重いか?汗が大量に出るか?等)
気になるならMRIだかで検査とか言われたけど、そこまではいらんでしょうみたいな雰囲気で。

とにかく何とも言えないので、またもや一年に一回ぐらい血液検査を受けてくださいっていう、8年前と同じ結果になった訳だ。

まぁ。要するに。
今の私の状態では病名も付かないし、何が原因とも言われないけれど。
免疫力に問題があることだけは確かなのね。
子供の時から20代半ばまで、やたら風邪ばかりひいてたりっていうのは。
まぁ、そういう要素が生まれつきあったという事なのかね。
すっかり健康優良児になったもんだわって思ってたのは勘違いだったのかなぁ。

ただ、最後に先生の触診で甲状腺はそこはかとなく腫れてると言われた。
微熱が続く(今日も37度だった)ことについては、体温調節が出来ない体質なのかな・・・と。
そしてボソッと、「甲状腺の専門科がここには無いし」と仰った。
なんか。ちと、頼りないぞな。

ってことで、お盆明けぐらいに甲状腺の専門医のとこに行こうと思う。
過去の血液検査の結果は全てコピって貰ってきたし。
ネットで検索したら車で15分ぐらいの場所の個人病院が見つかったし。
これが遠かったら1年様子見とか言いつつ、また何年も放置しちゃうとこなんだろうな。

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2006年08月07日(月)

烏山 2

月曜日に大家さんが雨樋を修理してくれたわ。
金曜日の昼間に言いに行って、土曜日来なかったから母上に
「大家さん、なかなか直してくれないんだよね。」と申したら、
「土日休みなんじゃない?」とのお答え。
いやぁ、本当に土日休みだとは思わなんだ。
旦那さん、働いてな・・・まぁ。いいや。

さて。烏山後編ってことで昨日の続き。
長くなるので、先に写真をば。

烏山を流れてる那珂川(なかがわ)にはヤナがある。
ヤナっていうのは、竹篭に石を入れてせき止め、その中にヤナ床を作って水流の勢いで鮎を竹篭の上で拾う仕掛けの事らしい。
行ったのは矢沢のヤナ。場所は那須郡烏山市滝田ってとこ。

ヤナ


那珂川最大規模のヤナなんだそうで。幅11m、奥行き18mあるんだって。
水が綺麗なのが分かるかなぁ?

鮎が上がるとこ


周りが年寄り(失礼)ばっかりだったので、誰も側に行こうとしなくて岸からしか写真を撮れなかったのが残念。

矢沢のヤナ店内


外にも同じようなテーブルがあって、その場で鮎を炭火で焼いて食べられるのね。

お通し(鮎の甘露煮)


写真がボケてしまったけど。カボチャの煮付けと鮎の甘露煮。
私は頭だったけど、母上は尻尾だった。
残念ながら私の口には合いませんで。ってか、頭食べる勇気が無くてね。
一口食べてS叔父ちゃんにあげちゃった。
変わりに皆からカボチャが周ってきたので食べたさ。

炉端(鮎の塩焼き)


この量を6人で食えって。一人3匹ノルマだって。
頼みすぎだよ。
この写真では炭が少ないけど、後から足されたおかげで物凄い暑かった。
当然、エアコンなんてないしね。川の側っても、栃木は暑いんだわ。



さて。ヤナに行くまでの経緯とその後。

葬儀が始まるまでの間、座敷にて祖母の弟さん(88歳)と祖母の妹さんの息子さん、その息子さんの妹さんの旦那さん(もうね。叔父とか叔母とか関係性の名称分からんのよ)と会話。
進行表みたいのによると、葬儀と初七日までを済ませた後に火葬場に行き。
それから墓地にて、お墓に埋葬。その後に供養の為のなんだかがあり。
最後まで参列すると終るのは早くて17時予想だった。
ってか、49日を待たずに埋葬するのは地元の風習なのかなぁ。
宗派としては義兄と祖母と同じなんだと思う。お経が2人の時のと似てたし。

まぁ、ともかく。私達がどこまで参列すべきかっていうのが考え所になり。
祖母の妹さんの息子さんと義弟さんのお2人が車でいらしてて。
火葬場から納骨は参列せずに直接車で帰るので、私たちを駅まで送ってくれるという事になった。
それならば、15時台の電車に乗れるかなっていう雰囲気で。

ここで父上の長兄であるM伯父ちゃんの戯言が始まった。
実は、烏山の駅からすぐのところに鮎が売っていて。
帰りに御馳走するから鮎を食べて行こうとかって言ってたのだ。
帰宅時間が遅かったら無理っしょって雰囲気だったのに、運良く送ってくれるなんて言われたもんだから、是非とも鮎を食べて帰ろうと。
鮎鮎鮎鮎って・・・。そんなに鮎が食いたいかってな強情っぷり。

そんなこんなの内に葬儀が始まり。
父上の宗派と違って小声の丁寧なお経の中、不謹慎にも睡魔が。
それで、凄く思った。
父上の葬儀の時に参列してくださった方も、今の私と同じように他人事というか。なんというか。まぁ、そんな感じだったんだろうなって。
火葬場で待ってる間に母上の姪っ子が私を見て、「○○○○(芸能人の名前)に凄い似てるからビックリした」とか訳のわから無い事を話し掛けてきたんだけど。
父親が、今まさに火葬されてるっていう人間に、そんなトンチンカンな事を思っても言うかね?大体、似てねーし。ったく、このスットコドッコイが。
みたいに、その時は思ったんだけど。仕方無いのかなって。
悪気は無かったんだよね。

葬儀が無事終わって、火葬場に移動。
これがまた遠い。車で30分は走ったかと思われる。
待っている間は、祖母の弟さんと会話。(祖母の兄弟の末っ子だそうなので末オジさんとする)
88歳なのに、物凄く背筋が伸びてて記憶力抜群。
耳は遠いけど、鼻は良い。背も昔の人にしては高い。
私はタバコに、嘘か本当かニコチンをビタミンに変えるとかいう粉をつけて吸ってるのさ。
それがバニラの甘い香りなのさ。臭い対策の為にも使ってるんだけど。
その香りを「良い匂いのタバコだね」って言ったのは、この末オジさんだけ。
母上なんて、毎日店で嗅いでるのに変化に気付いてないぐらいだし。
この末オジさんは、母上に聞いてもよく分からなかった父上の家系の色んな疑問を教えてくれた。
戦争の話もしてくれた。
その内容は、また別の時に書きたいなと思う(私が忘れるので書いとかないと)。

そして、最後にご挨拶をして私たちは祖母の妹さんの息子さん達の車に乗り込み、駅へ出発。
のはずが。
いつのまにか、M伯父が矢沢のヤナに寄る約束を取り付けていた。
確かに私は疲れ果ててるしで、早く帰りたいという気持ちもあったけどね。
そんなとこに寄る時間があるならば、失礼しないで埋葬まで参列してもとか。
そんな風に思ったりもするのさ。
観光に来たんじゃないのに。
けど、M伯父は「せっかく栃木まで来たんだから」って、すっかり観光気分な訳で。
でもね。なんだか久しぶりに親戚に会ってか、久しぶりの遠出だからか、とにかく嬉しそうなM伯父を見てると仕方無いかなって気になったわ。

で。写真の通り矢沢のヤナで鮎を食べた訳。
結論としては、すごーーーーーーーく!美味しかった。
ノルマである3匹平らげたし。
途中であまりにも焼けないので、母上が言いにいったら
「お姉さんみたいな、せっかちな人は炭焼きに向いてないのよ」
って文句タラタラながらも色々教えてくれたわ。
ってか、炭が少なかったみたいなので足されたけどね。
その人曰く、よく真っ黒に焼いちゃう人がいるけど、それは頭まで食べたい時にやるだけのことで、半生でも大丈夫なんだそうだ。
ってか、その方が美味しいって。絶対に中る事は無いそうだ。

で、鮎鮎鮎鮎騒いでた当のM伯父ちゃんはと言うと。
一匹でリタイア。
オレは海の魚を食べてるから良いんだ。だそうで。
お前が食いたい言ったんだろーがー。だから、わざわざ遠回りして車で連れてきてくれたんだろーがー。
とか思ったけど、全てのお金を出したのはM伯父なので良いのかな。
いや、うーん・・・まぁ、良いか。

ともかく、伯父ちゃん御馳走様でした。
と、いうことで。やっと帰路へ。
こっからだと駅までどのくらいなのかなぁ?3時台は無理かもだけど、4時台の電車で帰れるね。ってな事を母上と話し、書いてきたメモをみつつ電車計画を立てていたら。
M伯父ちゃんが、栃木の人にどこまで帰るんだ?って聞き出した。
そして話が転がり出し・・・
一時間に一本しかない烏山線を待つぐらいなら、その人の家近くの本数が多い常磐線で帰った方が良いって訳の分からん結論に。
けどさ。その常磐線の駅から上野まで1時間かかるってんだから、どうなの。

その車を運転してくれてるのが、祖母の妹さんの義理の息子さんなんだけど。
物凄く良い人でね。疲れてる顔を見せないようにしてくれてたんだけど、私は時々こっそり見ちゃってたのさ。
だから、物凄く申し訳なくて早く私たちから解放してあげたい気分だったわ。
なのに、途中でドライブインにトイレ休憩入ったら。
M伯父がコーヒー飲もうとかって。
またもや、そこで30分以上道草食ったさ。
その時、アルコールを飲もうとするS叔父ちゃんをM伯父ちゃんが叩いた(笑
なのに、めげすにS叔父ちゃんはM伯父ちゃんが席を外してる隙に「レモンハイ」を注文。
M伯父ちゃんに、「お前は何飲んでんだ?」って突っ込まれて詰まってたので仕方なく、「レモンスカッシュだよ」って私が答えたけどね。

そして、やっとこさドライブインを出て駅へ。
と思いきや・・・また話が転がったわ。

「せっかく来たんだから、うち寄って婆ちゃん(祖母の妹さん)の顔見て行きなよ」

って・・・・。
マジすか?勘弁してくださいよ。というのを押し殺して、
突然お邪魔してもご迷惑でしょう。それに、運転だって疲れるでしょう?私たちも帰りがあまり遅くなると大変だし。
と、頑張ったものの。ダメでしたわ。

最初はM伯父ちゃんも行かないって言ってたのに、どうやら別の理由を思いついたらしく。
このお盆に、新盆である祖母にお線香をあげに行くからと栃木の人が言ったのだ。
祖母の妹さんも歳だから。行こうと思った時に行かないととかって。
お墓ではなく仏壇にお線香をってことは、M伯父ちゃんの家に来るってこと。
M伯父ちゃんは強行にそれを断ってた。1月に一周忌をやるからって。
けど、一周忌と新盆は別だからさ。って言われて、どうしても断りきれずにいた。
多分、伯母ちゃんが家に人が来るのを嫌がるんだと思われる。
これで今、祖母の妹さんに会っておけばお盆を免れるかもしれないって。
多分、M伯父ちゃんは考えたんだろうな。
M伯父ちゃんの都合と、なぜかレモンスカッシュで上機嫌になったノリノリのS叔父ちゃんのおかげで、結局祖母の妹さん宅にお邪魔することに。

ってか。
本数が多いからって理由で常磐線って理由をこじつけられた訳だけど。
「あと、どんぐらいかかるの?」「え?そんなにかかるの?」
みたいな事をM伯父が言い出すぐらい、祖母の妹さんの家は遠かったわ。
こうやって移動してる間に、とっくに宇都宮に行けたぐらいの勢いだった。
途中で余りにも遠い事に気付いてビックリしたっぽいけど。
最初にちゃんと聞いておきなさいな。どのぐらい遠いかってことをさ。
矢沢のヤナを出たのが14時半過ぎ。
そして、祖母の妹さん宅についたのが19時前。
15時台の電車に乗ってたら家に着いた時間に到着だわさ。

祖母の妹さんの家に30分ちょいお邪魔して、最寄駅まで送ってもらって帰宅。
いや、その帰宅もスムーズには行かず、東京駅で何か食べたいっていうM伯父ちゃんの我儘に付き合い。
我が家に着いたのは22時半過ぎ。

何が疲れたって。寝不足なのも、電車が長いのもそうなんだけど。
笑い疲れたってのもあり。
なんせ、みんな耳が遠いから話がバラバラ。
栃木の人が私に話し掛けてるのに、それが聞こえないもんだからM伯父ちゃんが話しに割って入ってきたり。
その話は終って別の話になってるってのに、それも聞こえてないもんだから話が戻ったり。
同じ事を何度も説明したり。
それが面白くて、その内、疲れて余計に笑うしかなくなったりで。
M伯父ちゃんの電車での奇行もあったり。
とにかく、笑ったせいで皺が刻まれたのかどうかわ分からないけど。
一気に5歳は老けたかもしれないと思うぐらい疲れた一日でしたわ。

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2006年08月06日(日)

烏山

予定通り栃木に行って来ました。
栃木県那須烏山市。
そして、無事戻りました。
予定より、かなーり遅くに・・・くぅっ

経緯は、ぼちぼち書くとして。
取り合えず宇都宮〜烏山まで行く電車の写真でも。
この時は滅多にない直通で行ける電車だったけど、大概は宇都宮から宝積寺まで行って、そこで乗り換えて烏山線になるらしい。
たった2両のワンマン電車なのね。
ワンマンバスなら知ってるけど、電車は初めてだわ。

後姿


乗車口のドア開閉ボタン


中にも同じくあって、自分で開け閉め出来るのだね。

整理券


途中で乗ってくる人がいなかったので、実際に今でも整理券が発券されてるかどうかは確認できず。

座席の間にゴミ箱


この後、そのゴミ箱の隣に若い姉ちゃんが乗ってきて食事を始めたんだけど。
食べる側からゴミ箱に捨ててて、あら。便利ね。とか思ったさ。
写真に入ってないけど、ゴミ箱の上には造花が飾ってあった。

いやぁ。江ノ電も古いのは古いし、レトロって感じなんだけど。
それを上回って、なんとも長閑な電車でしたわ。


と、いう事で。この電車に乗って斎場に着くまでの経緯を。

6日朝5時15分起床。
恐れていた通り、起きなきゃって思うと寝られない状態。
おまけに新しいエアコンの音やら温度調節やらに慣れてないせいもあり。
結局、2時間睡眠での出発。

予定より早い7時5分の電車に乗って東京駅へ。
サンドウィッチが買いたかったんだけど、地元の駅も改装で様変わりして買えず。
東京駅の乗り換え前の地下通路でも発見できず。
新幹線のホームの売店にて購入。
新幹線の改札くぐった途端に食べ物が高くなる不思議。何費が加算されてるんだろね。

前日の連絡によると。
電車の時間の関係上、結局叔父ちゃん達も同じ新幹線に乗るとか。
母上が一緒かもっていうので、こっちは指定席だけど叔父ちゃん達は自由席だから大丈夫だよって前の晩に話してた。
同じ新幹線だから、その辺にいるんじゃない?って母上が言った直後。
母上に思いっきり腕を叩かれて、なんだよって思ったら。
目の前に末っ子のS叔父ちゃんが。
案の定、自由席の列に並んでおられましたわ。

私:「あれ?M叔父ちゃん(父上の長兄)は?」
S叔父:「それが来てないんだよ」

あらまぁ。遅刻?
いや、どっちかっていうと先に行ってる可能性の方が高そう。
せっかちな人だからして、早くに家を出ていそうだし。

M叔父ちゃんと無事に会える事を祈りつつS叔父ちゃんと別れて、私たちは指定席のある車両の前へ移動。
たった50分程度。
最寄駅から東京までも50分ぐらいだし、新幹線で宇都宮までも50分ぐらい。
おまけに、その後の烏山線も50分ぐらい。
全部同じだけの時間がかかるけど、列車の速度がそれぞれ違うから距離は違うんだよねぇ。

新幹線の中では、取り合えず食事。
出る時に母上から電話があって、「凍らした麦茶持ったから」って。
「それ、溶けないし重いからやめなよ」って言ったのに2本も持参してきてた。
案の定、数口分程度しか溶けてないし。
食後、眠ろうと思いきや、母上がずっと話し掛けてくるし。
結局眠れぬまま宇都宮到着。
帰りに餃子でも買って帰るかね?などと話しながら乗り換え通路を歩いて行くと。

乗り換えの改札にM叔父ちゃん発見。
叔父ちゃん!って声を掛けたら振り向いた。
なぜに東京駅にいなかったの?って聞いたら、早く着きすぎて珈琲飲んだりしてたら遅刻しそうになったのだと。
多分、横須賀線で来た為に地下についたんだろうね。
そっからウロウロしたんだろうと思われる。
しっかりしてるようで、どっか抜けてるらしい。
でも、どこか細かい。
座席の位置を「こっちは陽が当たるから、こっち側に座れ」と指示してみたり。
そして、とても無邪気で子供っぽい。
母上が渡したグミを美味い美味いと、あやうく一袋食べきるところだった。

電車の中からの景色は、ずっと田んぼ。
高い建物は勿論一つも無かったし、特に高い山も無く。
緑緑してて綺麗な絨毯みたいな田んぼがひたすら広がっていた。
途中で2本ぐらい川があって、名称を聞いた気がするけど覚えて無い。
着く駅は全て白い木材風。改札の建物付近にしか屋根もない。
それでもきっと、父上が知ってる昔とは違う景色になってるんだろうなぁ。

到着は10時5分。葬儀は11時半から。
電車が一時間に一本だからと早めに来た訳なんだけど。
時間が余るので喫茶店にでも入ろうよって話になってて、前夜ネットで一生懸命探して地図を作っておいた。
到着してビックラしたのは、叔父ちゃん達が「こっからどのくらいかかるんだ?」って言ったこと。
おーい。おいおいおいおいっ
2人して斎場の場所知らんで来たのかね?
私達が調べておかなかったら、どうなったのかいね?
こういう所は同じ兄弟でも父上と違う。父上は何事も用意周到だったし。
それを多分、私が受け継いだんだろうな。とか思った。

斎場までは、ネットの情報だと徒歩4-5分になってて。
でも、実際は10分以上歩いた。
なんせ、ネットでプリントした地図ではあるはずの駅の反対側へと続く道が無いんだもん。
駅員さんに聞くと、「すぐに左に行く道があるから、そこ曲がって線路渡って・・・」って言われ、歩き出したんだけど。
「すぐ」と言う割には道が無い。私の「すぐ」は1分も歩かない距離。
ところが、駅員さんの言った「すぐ」は5分は歩いた先の場所だった。
母上曰く「田舎と都会では時間の感覚が違うんでしょ」だって。
そうなのかね。じゃぁ、待ち合わせしたら遅刻するのが普通だったりするのかなぁ。

結局、前夜に遅くまでかかって調べた喫茶店情報は無駄になり。
直接斎場に行って、私はすぐにトイレで喪服(もどき)に着替えた。
着替えて戻り、喪主である祖母方の親戚の叔父ちゃんとご挨拶。
小さい時に会った記憶か、最近の祖母の葬儀の記憶か。
とにかく、この叔父ちゃんは見覚えがあって知ってる人だなと思った。
地元に住んでる父上の兄弟以外の親戚を私はよく知らないもんで。
どっかですれ違っても、お互いに知らない同士なんだろうね。

っていうか。
多分、誰の目にも私って存在は「あれは、何処の子かね?」って感じだったんだろうなぁ。

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2006年08月05日(土)

誤報

汗をかいたのでTシャツを着替えた。
頭をまとめて団子にしてたので、そっと気をつけて脱いでみた。
新しいTシャツを着る時には、すっかり忘れて団子が崩れた。

さて。
昨日の日記の通りの事情により、とにかく今は身体を休めようと土日はゆっくり計画を立てていたのだけど。
見事に阻まれ、昨夜は深夜までネット検索に勤しみ、今朝も10時前から起きだして駅前まで出かけてた。

ってのは、急遽明日、親戚の葬儀に行くことになったからさ。
急遽っていうのは変ね。
前もって葬儀が分かる訳ないだ。不幸というのは突然が当然なのだ。

昨夜、店について間もなく母上の携帯に叔母から電話が入った。
栃木の親戚が亡くなったという知らせだった。
亡くなったのはKさんという父上の従兄弟。
系統的には祖母方(祖母の兄弟の息子ってことかな)らしい。
お通夜は5日(土)で6日(日)が葬儀。
父上の葬儀にも来てもらってるし。母上は行かなきゃなんねーべ。ってなことで、バタバタ開始。
父上がいない事もあって近況を知る状況にない関係だったけど、突然どうして亡くなったのかって感じだった。

っていうか。
電話が要領を得ない。
斎場の名称のみで、場所も電話番号も分からないと言われ。
電車が一時間に一本しかない最寄の駅からも、更にどんだけ遠いか検討付かない状態。
しかも、斎場の名称もネットで検索して出て来ない。
そんな状況で他の親戚は辿り付けるのん?って感じ。

叔母からの電話の少し後に、今度は父上の長兄である叔父から電話。
母上が車で行く事を期待してたっぽいけど、生憎母上の車は当て逃げ修理の為に今は代車状態。
不慣れな車での長距離運転は危ないし。
ってか、夏休みなんぞに時間が決まってる場所に車移動は危険すぎるべ。
なので、みんな最寄駅が違うから、電車でそれぞれ行くということになった。
電車でそれぞれは良いけれど、母上は電車に殆ど乗った事が無い人だ。
なので、仕方ないので私がついていく事に。
例え叔父と一緒に行く事になったとしても、叔父と2人で母上が行くのを嫌がるので私が行くのは変わり無いだろうけどさ。

そうやって私が何かとやる事については、母上を甘やかし過ぎるという意見もチラホラだけど。
私自身が初めての事や、自信が無い事をするのを極端に不安がる人間なので、同じような人間は放置できない習性だし。
栃木には行ったのは物凄く小さい時で、殆ど記憶がなく。
だから、父上が子供の頃に育った土地を見るのも悪くないかなって。

まぁ、ともかく。
そんなんで通夜に行く場合は昼ぐらいに出て一泊。
一泊するにしても、どっかホテルをとらねばだよね。
葬儀だけなら朝一で出て日帰り出来るよね。
葬儀だけでも良いかね?どうしよう?
電車の都合とかで決めるか?みたいな雰囲気になってった。

そこへ、再び叔母から電話。
母上がトイレに行ってたので代わりに私が出てみると。

叔母:「誤報だったのよ!亡くなったのKさんじゃなくて奥さんだったの!」

・・・・・・。
どういう誤報よ。縁起でも無いっつーか・・・ええええええ?
伝言ゲームした訳じゃあるまいし、普通、間違えるか?
しかも、続いて叔母は言った。

叔母:「奥さんならね、私行かないの。」
私: 「え?行かないんですか?」
叔母:「あの人はね、凄い意地悪で嫌な人だったのよ。だから行かない。」

・・・・・・。
すげーな。
Kさんなら行くけど、奥さんは嫌いだから行かないんだって。
凄い理由だね。
ってか、それ何十年も前の話じゃない?
とにかく、色んな意味を込めて凄いすわ。

まぁ、いいや。
で、誤報の発端は長兄である叔父だったらしい。
耳が遠いからね。そういう事もあるのかもね。

って、納得できないけど。

叔母が理由はともかく、行かないで通用するのならばだ。
母上も行かなくて良いんじゃ?
だって、それこそ叔母より遠い間柄になる訳で。
父上の葬儀に、その奥さんはいらしてないし。
母上自身、会ったのが1回だっていう関係だし。
お香典だけじゃダメ?

ダメみたい。
長兄と父上の弟である叔父2人に「○○さん(母上の名前)は行かないとダメだよ」と言われ。
2人共葬儀にだけ行くらしい。
そこで、叔父達から正確な情報が何も得られないので、斎場の場所を正確に知らねばならぬってことで栃木の祖父方系統の親戚に電話。
すぐに正しい名称と場所が分かった。
最初からそうすりゃ良かったよね。
って、事で。明日、私も母上のお供をするに至った訳だ。

実は数日前。本当に3-4日前だ。
母上にお婆ちゃんの新盆はどうするんだろ?って聞いていて。
新盆は特に呼ばれてないし、お墓参りで良いんじゃない?って話になってた。
その時に、「今まで葬儀は全部冬だったから、夏用の喪服になるもん持ってないんだよね。お寺さん行くなら夏用の何か買わないとって思ってたんだけど。」って言ってたのさ。
しかも、先週の木曜日に昔の会社の部長さんの奥様が亡くなられたとメールが来た。
もう、8年ぐらいはお会いしてない。
元々、直属の上司っていうんじゃなくて、飲み仲間だったという間柄。
なので、喪服も無いことだし。社長が気を利かして自分に来たメールを転送してきただけらしいので失礼させていただいてた。

なんだかねぇ。
結局、必要になったわさ。
って事で、一応昨夜は店の帰りに実家で色々喪服を試着してみたんだけど。
案の定、どれもブカブカで。
なので今日、新幹線の切符買いがてら喪服もどきを買いに出かけたのだな。

夏休みだね。みどりの窓口は長蛇の列だったわ。
係りのお姉さんが途中で声をかけてくれて、自動券売機で購入出来たので15分程度で出てこれたけど。
その後、喪服もどきを探している時に母上から電話が入ったさ。

母上:「もう、服買っちゃった?」
私: 「いや、これから」
母上:「やっぱさぁ、顔出す程度なら行かなくても良いんじゃない?」
私: 「もう、切符買っちゃったよ。」
母上:「あら」

あら。じゃないっつーの。
買物に出る前に電話で話したじゃんか。
その後に誰と話して考え変わったのさ?
親戚が行きなさいっていうんだから、赤の他人が行かなくて良いって言っても行かないとダメでべ。
切符のキャンセルは出来るかもしんないけど、義理は果たそうよ。
ということで、切符と喪服もどきを購入して帰宅。

明日は7時10分の電車に乗るのね。だから家を出るのは6時半過ぎなのね。
それは新幹線だからであって。叔父達は鈍行で行くから朝一らしいわ。
とにかく一時間に一本しか電車が無い場所だからさ。
長兄の叔父が電車の時間を調べられるとは思えないんだけど・・・
まぁ、無事にみんな着けると良いね。

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2006年08月04日(金)

予想外

昨日、無事にエアコン装着完了。
しかし、点けて数分でなんとなく臭いが・・・うー。
ネットで調べたところ同じ苦情で交換したっつー例があったのね。
ちょっとイヤンだわさ。

さて。
前の日記に片付けが全て終わったら、一気に疲れが出て寝込むことになりそうな気はするだな。なんて書いておったけど。
寝込みは今のところしてない。
でも、寝込むっつーか寝てた方が良いでそってな状態な気がする。

というのは。
昨日、起きたら手の指が浮腫んでた。
シモヤケになった人なら分かると思うんだけど、間接のシワシワが腫れ気味&指が曲げ難い状態に。
特に右手。左もそこはかとなく浮腫み気味。
原因として考えたのは、掃除の最中に指の間接部分を負傷したままマジックリンだのの入った水につけまくってた事。
雑巾を何十回も搾ったりして、普段の何倍も手を使った事。
もしかして、指とかも筋肉痛になったりすること有り?なんて考えてた。
昨日、その状態で母上とランチに行き。夜は夜で店に行き。
朝よりはマシになったけど、夜まで完璧に浮腫みが解消されることは無かった。

昨晩は、やっぱり疲れてたらしく0時前に寝て。
今朝は、9時間爆睡して目が覚めた。
昨夜よりは良いけれど、やっぱりちょいとシモヤケ初期症状な感じが残ってた。
明日治らなかったら病院に行こうとか思ってたら、母上から電話ですぐに行けと。
仕事も無いみたいだから、シャワーを浴びていく事にした。
っつか。シャワー浴びたら浮腫みが殆ど解消されちゃって。
こんなんで病院行ってもなぁ・・・と思ったけど、シャワー浴びたのが勿体無い(妙にケチ)ので行ってみた。

受付で何科にかかれば良いですか?と聞いたら、原因は分かりますか?と聞き返され。
指の傷が原因でバイキンかもしれませんと適当に答えた。
しばらく待たされた後、内科へ行くように言われ。
受付で問診表に記入しつつ熱を測った。
あらま。
37度もあるじゃないの。
平熱が35℃ちょいしか無いからして、これは立派な微熱状態。
既に、毎年夏恒例の微熱合戦が始まっていたとは知らなかったわ。

診察室に入って、どうされました?と聞かれ答えた。
先生:「あれ?(浮腫みは)1日だけ?」
私 :「そうなんですけど、もしかしてバイキンが入ったとか心配だったので」
先生:「おや、熱もあるね」
私 :「あー、それは毎年夏になると微熱が続くんで。一昨年だかにも微熱で来てるんですけど、身体に熱が篭る体質って言われたんですよね」
先生:「なんじゃ、そりゃ」

なんじゃそりゃって、なんじゃそりゃ。
なんじゃそりゃって言いたいのは私だ。
ってか、お前の病院の医者が言ったんだぞ。

先生:「あー、ほんとだ。(一昨年)来てるね。」

嘘付く訳ねーべ。

先生、さらにカルテを捲り。「あ!」と何かを発見した模様。

先生:「リウマチの気があるんだね」
私 :「へ?そうなんですか?」
先生:「カルテにそう書いてあるもん」
私 :「何年も前に甲状腺は言われましたけどリウマチは言われてないです」
先生:「んー。でも、書いてあるよ」

書いてあるならそうなんだろうなぁ。
ってか。私、聞き漏らした?
いや、そんなはずは無い。甲状腺云々言われるよりも、リウマチって言われた方がビックリするもん。
もし聞いてたなら大騒ぎしたはず。
(帰宅後2号に確認したら、やっぱり甲状腺しか言ってなかったってさ)

多分、もう10年近く前になるんだと思う。
やっぱり夏場の微熱と背中痛で同じ病院に行って、甲状腺の数値がギリギリだと診断され。
一年に一回検査に来てくださいねって言われて放置してたのだ。
その時の血液検査の結果にリウマチが出てたって事だ。
ありゃま。こりゃさ。全然ピンとこねーだ。
ピンとこねーだけど、取り合えず一晩寝ても疲れが抜けてないのだけは分かるので、ちょいとゆっくり横になる時間を多くしてみるさ。

まぁね。
半ば冗談で母上と替わりばんこに何かが起きるとは言ったけど。
その何かが、こんな病気と言われるとは予想外だったわ。

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あ。検査結果は来週の金曜日に出るそうな。
担当は前に甲状腺の時の担当医(女医)だってさ。