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あるひうがちな御人好し
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2004年 桜とか
2005年 桜とか
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2002年11月29日(金)

失敬だっ

昨日、事務所行きが決定し、ヘコタレモードで仕事を続け、
ハッと気付いたら夜9時近くなっていた。
そう言えば。午前中に電話した見積がまだ来てないじゃないかぃっ!
相手は、そう。昨日書いた例の「会わず嫌い」の業者君である。

電話早々、彼の言い訳ビームが発射された。

「他の仕事でバタバタしちゃって」

こっちが喋ってるのに、割り込んで一生懸命に言い訳するおっちゃん。
「アンタが他の仕事で忙しいなんて、こっちの知ったこっちゃねーんだ」
と言いたかったが言わなかった。
仕事が遅れた言い訳に、「他の仕事で」を使うのは失敬だっ!
それじゃぁ、まるっきり「他の会社の仕事優先しました」って言ってるのと同じじゃないか?

っつーか、おっちゃん、午前中の電話で昼には社に戻るからって言ってたじゃねーか。

「やっぱり、内容が分からなかったので、前の担当とこれから会うんですよ」

ってなにさ?
だから、見積内容とか全部資料をメールで送っておいたんじゃんか?

「まだ、社に戻ってなくて、見てないんです」

だと?そりゃぁ、見てなきゃ分からないわよねぇ。
要は、他の仕事で私からの依頼を後回しにした訳だ。
こっちは、おっちゃんの「昼過ぎに」って言葉を真に受けて、客先に夕方に出しますって言っちゃったんだぞぃ。
戻れないんだったら、電話一本してきなさいな。
「遅れます」って電話くれてたら、私だって客先にメールなり入れられたでしょ?

私が怒ったのは、遅れたからじゃない。言い訳にツジツマが合ってないからだ。
「内容が分からなかったから」見積れなかったんじゃなくて、
「送った資料すら、まだ見てないから」見積れなかったんでしょうがっ

その前から、どうも返事が遅い業者だなぁとは思っていたけど、今回の言い訳で決定だ。
私は完璧にナメられてる。
おっちゃん自身にそんなつもりは無くとも、少なくても
「ちょっとぐらい待たしても平気な客」という認識だったに違いない。

私は、自分が客だからって威張る人間は嫌いだ。
だから、理由があって遅れるのなら考慮もするし。
だけど、理由がそんなんで、しかも事前に連絡も寄越さぬ態度は嫌いだ。
決して、プライドが高い訳では無く、これは常識的なことだ。礼儀だ。
それを欠いた人間は、年上だろうがなんだろうが失敬だっ!
さすがに声の笑顔を絶やさない私でも、ムっとするのさ。

しかもタイミングが悪い事に。
私は、女性毎月恒例行事が近いために、イライラモード突入期だ。
お相手の家に向かう車の中でも、おっさんに対してイライラしていた。
よって、事務所へは車はやめて電車で行こうと決めていた。

しかし。お相手の家に着いて事の次第を愚痴り、
「明日は電車にするよ」と言うと、
「車の方が近いじゃんか?高速乗ってすぐだろ?」とお相手に言われたのだが
「いや、高速乗れないから、下通って行くんだよ。」と答えると
「なんで、何年も車乗ってるのに、高速のれなんだ?」と言われた。

ここまでは良し。私だって、高速に乗れないことは無いと本当は思っている。
だけど、実際にのったことが無いから怖いのだ。一人で長距離運転するのに無理はしたくない。
だから、「だって、車線変更が苦手なんだもの」と答えた。
実際には、下で行ってもそこは3車線の道路で、80-100キロ出すような道でもある。
そこを平気で通れるぐらいに運転が上達しているのだが、高速はもっと怖いと思っているのだ。

すると、ヤツはただでさえムカついている私に言いやがった。


「お前、トロいもんなっ」


普段の余裕しゃくしゃくの私なら、なんか言ってら〜って流せたかもしれない。
でも、昨日の私は違った。かなりの率でムっとした。だから、言ってやった。

「アンタさぁ、失礼な事、あんまり言わない方がいいよ」

どうやら、お相手も機嫌が悪かったらしいく言い方がまた、嫌味バリバリだったのだ。

ったく。どいつもこいつも失敬だっ!

そして、今日。
私は結局、あまりにも天気が良いので車で行った。
いつもより早く事務所にも着いたし、絶好調なドライブだった。
して、先ほどお相手から電話があり「車で行った」と報告すると、

「すごいねぇ〜。ちゃんと道分かったんだぁ?」

まるで子供扱いだが、誉められたらしい。
鼻息荒く、「何回も通ってる道だもん」と答えると

「トロいなんて言ってごめんね。」

とお相手に謝罪された。
うほほほほほ。気分爽快。勝った気分。
業者のおっちゃんも、苦手な前のお客さんに顔は似てなかったし。
もう、昨日の失言は全て水に流そう。

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2002年11月28日(木)

会わず嫌い

うーーーーんっ
せっかく自動車税が2万も戻ってくるのに、還付期限切れてやんの。
でも、電話してみたら返信する手間はかかるけど口座に振り込んで貰えるそうだ。
手続きに1-2ヶ月も掛かるとは、さすがお役所仕事だけど、忘れた頃のお小遣いとして楽しみにしておこう。

さて。
私のお客様には、外人さんも居たりする。
彼はとてつもなく、せっかちだ。まず電話でそう思った。
「はいはい。はいはい。」
まるで、早く電話を切りたいんじゃっ!と脅迫されているような気分になる。
ついでに、メールも簡潔だ。すこぶる短い。
私が出した10数行の質問に対し、そのまま返信で「必殺一行質問返し」をしてくる。
そりゃ、相手は客さ。挨拶文が無くてもいいさ。でも、その一行に凝縮されたであろう意味がわからない。

まるで、電話の会話と一緒だ。
こっちが話した内容に、唐突に「それは、出来るの?」と口を挟んだあの状態。
そんなメールなので、困り果ててまたもや丁寧な文章で聞き返しメールを送るのだが。
返って来た答えは、もっと分からない。
2-3質問してるのに、「それでいいです」じゃ、なんの答えか分からないだろうがっ!
彼には、一度会ったが、それでも苦手意識が私に根付いたままだ。

そして、今朝。別の客先の女性からメールが着ていた。日本人だ。
大抵、メールの差出人のところには、自分の名前が入っているのが通常だが。
彼女は「メールアドレスそのまま表示」だった。
うっかり、迷惑メールとして捨ててやろうかと思った(いや、冗談だけど)

そのメールがこれまた。
私が数ヶ月前に出したメールをそのまま返信にしたらしい。
つまり、タイトル部分が「RE:○○○○」と数ヶ月前の私が出したタイトルのままなのである。
内容とはてんで関係無いとは言わないが、いや、ほぼ関係無い。
そして、内容はやはりコヤツも簡潔だ。
いきなり、「コストと納期を教えてくれ」ときた。

実はこの客先。
我社長と相性が悪かったらしく、担当と言い合いした事があるらしい。
だから、もう仕事が来ないものと勝手に思い込んでいたのだ。
突然きた彼女の依頼メールの内容では、情報が少なすぎるために、私は電話をかけた。
本当はメールの方が楽なのだが、仕事だ。見積は早めにしないと急いでいるらしいし。

電話に出た彼女は、やっぱり早口だった。
というのは、数ヶ月前にはじめて会話した時も感じていたから。
そして、彼女は2-3分程度の電話の最後にこう言った。

「電話じゃなくて、メールで返事ください。」

いやいや。勿論、見積だからFAXかメールで送るだよ。
彼女の言い方は、「電話はかけて来ないで。忙しいんだからっ」を含んでいるように感じた。
そうね。私も仕事立てこんでるもの。どこの会社も忙しいわよね。分かるわ。
でも、多分、その答え方からすると、年がら年中、貴女は忙しい人なのでしょうね。

私は、声だけではナメられる程に電話では低姿勢。
他の客先の担当が女性である場合、大抵、事務所にかけずに、直接私宛に電話をしてくる。
そいういう人は、丁寧な言葉遣いながらもフレンドリーな感じだ。
だから、私も土・日だろうと、夜中近くだろうと残業をする彼女達の要望に応えて仕事をしている。
客である彼女達にも上司がいて、困っている立場は理解できる。
だから、一緒に一つの製品を相談しながら作ってるという、親近感が沸くのだ。

でも、今日のメールの客である彼女にはそれは無理だろう。
例え、この先長く仕事を依頼されたとしても親しくなりようが無い雰囲気だ。
客だから別に友達になろうとは思っていない。
でも、客の好き度によって、多少、力の入れ具合が変わるのは誉められたことではないが。
まぁ、好きな上司と嫌いな上司で、お茶の入れ方が変わるのと同じ程度のことさ。
まさに、「会わず嫌い」とはこういう事だろうと思われる。

彼女との電話の後、
「文明の利器(メール)だけで仕事が出来るのはいいけどさぁ、どうかと思うわ」
と独り呟きつつ、印刷業者に見積依頼の電話を入れた。

すると。

「明日ですねぇ〜、ちょうど社長さまに電話して御挨拶に伺う予定になってるんですよ」

と言われた。
勿論、社長も大事だが、彼と直接仕事をするのは私だ。

「明日って、あるひさんは御自宅なんですよね?事務所へはいかれないのですか?」

さらに突っ込まれた。
いわゆる顔合わせである。普通は会うべきだろう。しかし、私は出不精なのだ。

「はい。あまり事務所は行かないんですよ。車で1時間ちょっと掛かるんで、できれば避けたいかと(笑)」

(笑)なんて状況では無い。普通なら行かねばならぬことだろう。
業者は続けた。

「では、今度また改めてお会い出来ると・・・」

どうしても、いつかは会わなければいけないらしい。
まぁ、取り合えず、明日事務所に行かずに済めばそれでいいのだ。

しかし、落とし穴はここにあった。
印刷の依頼が客から来たことを、我社長に電話をしたところ

「明日さぁ〜、業者が来るから事務所にアンタも来なさいな。」

どっかのオバちゃんが、お茶の誘いをするような口調であるが、これは絶対命令だ。
無駄な抵抗で「HP作りが梃子摺っててぇ・・・」と言っては見たが無駄だった。
「他の仕事は?沢山あったじゃん?」と聞いてみたが、まだ上がってこないとされ無駄だった。

私としては、
「いいじゃん。会わなくってもさ。電話とメールとFAXで事足りてるんだもんっ」
なのだが、我社長にぴしゃりと

「仕事としては、顔を一度は合わせておくべきだ」

と言われ、すっかりヘコタレムードになった。

どうやら、私も今朝のメールの女性と同じ穴のムジナだったようだ。
多少、反省はしているが、やっぱり出来れば行きたくないのが本音である。

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2002年11月26日(火)

陰口

何も隠していないが、この私。
陰口という類のものは、笑えないもの以外を受け付けない。

こんな性格だから、小さな会社ばかり転々とした私が喧嘩をする相手はいつも
最も敵にまわしてはいけない相手ばかり。
そう。社長相手だった・・・・・・
社長までの距離がちょっとある中企業の場合は、部長相手だった・・・

のらりくらりの係長も課長もすっ飛ばして、直接真髄である社長に飛び込んで行くわけだから、特攻隊長状態だ。
そんな私を、周りの同僚は拍手喝采パチパチパチと、『影』で喜んでくれていたが、矢面に立ったこっちは堪らん。
でも、どうしても、私は影でグダグダ愚痴ってばかりで、何も変わらない事の方が嫌だった。

でも、社長とて人間だ。
その会社に例え居辛くなろうとも、仕事に対してだけは強気な私は、ヘコタレなかった。
何も、社長に逆らったからって、とって食われる訳じゃない。
嫌なら、転職をすれば済む事だ。
仕事青年期の私は(今は老後のつもりらしい)怖いもの無しだった。

先日の日記で、私は密かに思っていることを投票ボタンに仕込んだ。
我姉妹1号の息子君のことだ。
あくまでも、ギャグだ。密かに心で思っても、息子君に言えるハズもない。
だって、相手は「カオナシ」だ。
何か言ったところで、「あ・・・・」しか言わず、会話のキャッチボールも出来ぬ。

ところが先日。この密かな想いを、1号が娘に言ったらしい。

「あるひ姉ちゃんはね、お兄ちゃんのことを「カオナシ」って密かに呼んでるんだよ」

私は、15歳しか歳が離れていない姪や甥に「あるひ姉ちゃん」と小さい頃から呼ばせていた。
今は、間違っても息子君が呼んでくれることは無いが、まぁそれは良い。
それを聞いた娘がすごい発見を口にした。

「(カオナシ)って、ことはさぁ〜


 気に入らなかったら・・・・・・



 食われちゃうんじゃないの!?







ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ


あるひ姉ちゃんは、こう見えても実は気が弱いんだよ。
もう、言わないから。
息子君が、う○ちしてた話とか、小さい頃の発言を、もう日記のネタにしたりしないから。
許しておくれぇぇぇぇぇぇぇっ

でもね。一つだけ伝えたい事があるのさ。
息子君は、「像は水色じゃねーだろ」って反論したけどさ、
あんたの妹は「像は水色だよ」って言ってたってよ。

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2002年11月24日(日)

笑い

前頁では怒りを書いたけど、実際は笑ってる事が結構多かった。
私たちは、「こんな時に笑うのは不謹慎だ。」とかなんとか言われるような家族。
どんな時でも誰かの毒舌とも言われそうな一言が笑いになった。
それは、「笑いが絶えない家族だ」と父上が自慢していたことの一つだった。

父上が手術を終え、ICUに入っている時。
その姿に、母上は泣きながら、ティッシュで涙を拭いていた。
まだ、喋る事が出来ない父上は、ジャスチャーで手を動かして何かを訴えた。
すると母上は「え?ティッシュ?」と言いながら父上の手にそのティッシュを持たせた。
父上は、物凄い不機嫌そうな顔をして、そのティッシュを振り払った。

だって、父上のその手はあきらかに、時計の方向を指差していたんだから。
「今、何時だ?」と聞いたのに、ティッシュを渡した母上。
あまりにも可笑しくて、ICUだというのに、皆が大声で笑った。
母上は、どこまでも父上の気持ちを見当違いするタイプなのだ。

意識が殆ど無い感じで眠りつづける父上は、それでも笑わしてくれた。
病室には、母上と私。2号が居た。
2号がふいに、父上のベッドの足元にある、荷物が沢山のった机でゴソゴソしはじめた。
すると。
それまで、いびきをかいていたハズの父上が、急に頭を上げて2号の方を見たのだ。
それはまるで、
「悪さするんじゃねーだろうなぁ?」
と、2号の気配で起きたとしか言い様が無かった。
私は可笑しくて笑いながら2号に
「お前がカバンごそごそするから、お父さん、財布とられると思ったんじゃないの?」
と言ったのだが、多分、その説はあってると思う。

2号はその後も、何かのたびに笑かしてくれた。
父上が家に戻った日。
私は、一旦自宅に戻り、着替えなどを用意して実家に戻ると、既に母上と1号。親戚が居間で父上と共に眠る体勢になっていた。
私が入るスペースが無さそうだと思い、台所で冷蔵庫を開けようとしていると

「一体、何時まで電話してるのっ!」

と母上が怒鳴った。
母上が怒るのは、大人になってから殆ど聞いた事が無いし。第一怒鳴られるようなことは、大人になったらそうそう滅多に無いものだ。
怒られたのは、まさしく2号だった。
午前1時にもなるのに、2階でコソコソ電話をしていて母上に怒鳴られたのである。
30過ぎて2児の母親でもある2号が、母上に怒られた。しかも父上が亡くなったその状況で怒鳴られていた。
可笑しくて可笑しくて、翌日1号と共にゲタゲタ笑った。

そんなことをしていた罰に違いない。
私はその晩、一人2階で眠っていた。
後から、1号が笑いながら報告してくれたところによると・・・
いつもは、寝ぼ助の1号もさすがにその日はさっさと起きたらしい。
ところが、2号は周りの皆が起きたにも関わらず、熟睡。皆は朝食の用意で台所へ。
その2号がハッっと目を覚ますと、

父上と二人きりだった・・・

多分、自分の父親とはいえ、怖かったんだろう。相当、2号は慌てた様子で起きてきたらしい。
「あいつ、電話してた罰が当たったんだぜ」と1号と腹を抱えてその慌てぶりを想像して笑った。

父上が実家に居る間、葬儀社の人に2回ほど来てもらわなければいけなかった。
それは、私のトラウマになるほどのことだったのだが、一号が
「お父さん、やってくれるよなぁ〜」
と言ったことによって、それは笑いに変わった。
亡くなっても、父上はいつもと同じように、私たちを驚かせてくれた。

通夜と告別式の間中、2号のおしゃべりは止まらなかった。
まるで、行事に張り切るおばちゃんのようなその姿。その発言の全てがワイドショーっぽくて、嫌だった。
多分、2号も実感が無く、他人事状態だったのだろうと心情は察するが。
火葬場へ行く時も、2号はベラベラベラベラ喋りつづけていた。1号は正反対に押し黙った状態だ。
2号のおしゃべりに辟易した私が、「少しは黙ってろ」と怒ると
「喋ってないといられないんだもん」と2号は言いつつも、それからは黙ってくれた。

斎場では、親戚の無神経さに3姉妹とも腹を立てていた。
そして、途中から2号が頭痛がする・・と言い出した。
その帰り道。
私は一人、他の親戚と同じタクシーで斎場に戻ったのだが、あまりの睡魔に負けて着くまで眠りコケタ。
ところが。1号と2号は同じタクシーだったのだが、2号が気持ち悪くなったらしい。

結局、これもまた「罰が当たったんだ」という結論になり、1号と笑った。

斎場に戻ってからは、初七日法要があった。
通常、お坊さんがお経を唱え、その後献杯となるのだが・・・
その厳かな席にいきなり、プシュッ と音が響いた。

見ると、すっかり、酔っ払った1号が、「飲まなきゃやってらんねぇ〜」とばかりに酒を開けてしまい、周りの皆が慌てふためいた。
1号は、テーブルの向かいに居り、私の隣は2号だったのだが、2号が「1号なんとかしろっ」と私を小突いた。
なんとかしろと言われても、向かいでは何ともできん。
それを抑えてくれたのは、父上の長兄の叔父だった。1号の酒のフタを抑えてくれた。
いつも気難しい叔父のその姿が、なんとも可笑しかった。
そして、さらにはお経を唱えている間中、1号は酔っ払い特有の笑いの神様に見舞われていた。
私たちはひたすら肩を震わせ、笑いを押し殺し続けた。

それから数日間。
実家で色々な事を集まって片付ける間中、私たちは笑いつづけていた。
記憶にある限り。残った4人で集まって、しんみりしたということは一度も無い。

今でも、父上ネタは笑いになる。
笑いの神様は、本当の笑いの神様になって今でも私たちを笑かしてくれる。


2002年11月23日(土)

勤労感謝の日

11月23日、勤労感謝の日。

2年前のこの日の朝。父上は会えない人になった。
勤労感謝の日に亡くなった事で、誰もが「お父さんらしい」と言った。
私は、勤労感謝の日に、「本当の意味で」働いて育ててくれた父に感謝をする日になった。
でも、父上にとってこの日は、全くもって勤労感謝のご褒美にはならなかっただろうに。そう思う。

数日間、雨が続いていた。
昼間は仕事をしに自宅に戻り、軽く仮眠をして夜中は父上を見ていた。
普通なら、怖くて嫌な真夜中の病院の廊下を、平然とした気持ちで私は歩いていた。
一服をしに玄関前に止めた車に戻り、雨だなぁ。嫌だなぁ。と毎日思っていた。
朝になると、大抵雨は止んだ。そして、コンビニへ朝食を母上の分と買いに出かけた。
何を食べたか、全部思い出せる。

父上が亡くなった後、自宅に父上の着るものを取りに戻る車中から、綺麗な青空が広がっていた。
私は、ショックと、やり切れなさと、全ての人の行為に怒りとあきれ果てた感と。
全てが入り混じる感情を持っていたが、それはどこか他人事だった。
母上も、他の姉妹も、それは同じだっただろうが、皆はそれをストレートに出しているように、私の目には見えた。
やっぱり、私は他の家族に比べ、感情が鈍いんだろうな・・・と訳の分からないことを一人で納得していた。
感情の周りに、透過70%の白い膜が張っている状態。
それは、今も続いている気がする。

自分の家族、父方母方親戚一同、全ての人間の無神経さが嫌だった。
父上が最初に危篤と言われた日。
病室で運ばれてきていた父上が食べられなかった夕飯を、私は代わりに食べていた。
父上の妹である叔母が言った。

「こんな時に・・・ 美味いかい?」

この一言で、私は誰にも自分の心情等伝わらないとつくずく思ったし、理解してもらおうとも思わないと思った。
その後も、分かった風な事ばかり言う、その叔母達親戚一同に対し、「何も分かっちゃいない癖に」と心で悪態を付き無視し続けた。
いちいち、それに対し反論することや怒る事は、何一つ父上の為にならないから。
誰に分かってもらえなくても、父上だけが知っていればそれでいい。

父上の闘病中に当時私が関わってた一人の男にも言われた。
弱っていく父上の発言に対し、それに答える私の言葉が

「酷すぎるね」

とヤツは言った。
だから、そいつにも、二度と話をしなかった。

私は、あくまでも「日常」で居たかった。「普通の日」で過ごしたかった。
怖がっている人間に対し、同調し、その気持ちと同じになることが思いやり?
同情することが思いやり?
「怖いんだ」と相手に言われて、「そうだね。怖いね。」と言うのが思いやり?
私には、父上がどれほどの恐怖感で毎日を過ごしているかが、嫌なくらいに分かった。
自分がそれを聞くたびに、その姿を見る度に、這い上がれなくなりそうなぐらい落ちていきそうになった。
逃げる事もできない。見ていなきゃいけない。会い続けなければいなけない。
だから、私は「何言ってんだよっ!」といつも笑った。
「そう言いながら、長生きするんだぜっ」と笑った。
黄疸になってますます怖がる父上に「元が色白だから、綺麗な黄色だね」と言った。
それが、酷い言葉だと言われた。
その言葉を口からひねり出すのに、その言葉を笑って言うのに、どれほどの気力が必要か知りもしないヤツから。

泣いてばかりいる母上が羨ましかったと同時に、疎ましかった。
何かあると、やっぱり泣く2号が疎ましかった。
止めて欲しかった。父上に意識はきっとあるのだから、知らせないで欲しかった。

現に。意識が殆ど無いされていた数日間の間。
1号と2号が喧嘩をした時に、父上は怒った。覗き込んだ私の目を、はっきりと見て怒った。
「お父さん」と耳元で呼んだら、私の方に首を捻り、ハッキリ見て
「お前はうるせーなっ」と怒った。
亡くなる前日も、先生の「がんばりましょうね」という呼びかけに
「はいっ」とハッキリ答えた。
看護婦さんが身体を動かそうとすると、
「ちょっと待って」と言ってベッドの柵をしっかりと掴んでいた。

だから。
父上が聞こえないもの。
意識が無いものとして為されるベッドサイドでの全ての会話が、私には聞くに堪えないものだった。
だけど、怒れなかった。
そこで家族を怒ったら、険悪なムードになるのは分かりきっている。
母上の機嫌を損ねる訳にはいかなかった。来てくれていた親戚に嫌な思いをさせる訳にはいかなかった。

みんな仲良く。
全てが普通の一日であるかのように。何も気付かないでいてくれるように。
私は、不自然に、自然さをずっと装っていた。

父上にとって、それが最善の環境だったとは、決して言えない。
もっと、快適な方法がいくつもあったけれど。
でも、それが私一人に出来る精一杯だった。

そして、あと一日。
同じ状態で一日があったとしたら。
私はそれまで守っていたものをぶち壊していただろう。
父上に、その意思は無いにしても。
父上は最期まで私の気持ちを守ってくれた。


2002年11月22日(金)

営業マン君

歯医者の前は、飲み物食べ物に気をつけなければならぬ。
だから、コーヒーは、朝の一本で止めといた。
なのに・・・
なんで・・・

歯医者に行く30分前にトンコツラーメンなんて食べちゃったんだろう(TT)

特に本日は、待ち時間が長く、歯を磨いてから1時間も経っての診察。
自分で分かるほどに、お口がトンコツ化しとりました。
特に、型を4つも取るために付きっきりだった助手の方、どーもすみませんでしたっ

その長い待ち時間の間に、歯医者に出入りする業者の営業マン君が2名やってきた。
まず、最初にやってきたのは、眼鏡をかけたごく平凡なスーツ姿の営業マン君。

「こんにちわ〜」

蚊の鳴くような声で、受付から奥に向って言うも、誰も出て来ず。
そのまま、彼はそこに佇んだ。
私は、見るものも無く、暇人だった。
だから、目の前に立った営業マン君の足元を眺めていたのだが・・・・・
心なしか、その足が震えているように見える。

まさかねぇ・・・
そう思いつつ、視線を上に向けると、やはり肩も腕も小刻みな気がする。
こなると、気のせいではない。
あきらかに、彼は緊張によってか、ガンガンの暖房も効かないほどの冷え性なのか、震えていたのである。

その震えは、最初は小刻みに。時折、ビクッと大揺れだ。
彼は、受付の姉ちゃんが出てくるまでの5分以上もの間、ずっと
カタカタカタ ビクッ カタカタカタ ビクッ
を繰り返していた。

その営業マン君が呼ばれて中に入った後、今度は下がスーツのズボンで、上が業者らしく青いジャンパーを来た営業マン君がやってきた。
彼は両手に小さ目のポリタンクを持ち、さっきの営業マン君よりは元気な声で中に呼びかけた。
しかし、案の上。彼もまた待たされた。
待っている間、両手にポリタンクを持つその姿が、まるで廊下に立たされた中坊のようだと観察していた。

彼は呼ばれて中に入っていったが、そんなに時間を要せず出てきた。
今度は手にナイロンの袋を持っている。そして、戻ると満タンになったポリタンクを運び出し、外に持って出て行った。

戻ってきた彼は、営業カバンを持っていた。
カバンからファイルと伝票らしきものを取り出すと、両手が一杯になったらしい。
彼はどうやら、ボールペンを肩にあるポケットから取り出したいらしいのだ。
一体この不器用な青年は、どうなさるおつもりか?
観察していると彼は徐に ファイルを足の間に挟んだ。

まぁ、そこまでは良し。今時珍しいなとは思ったが、そういう方法もあるだろう。
でも、私だったらそのファイル。営業カバンに立てかけて床に置くがな・・・
彼の面白さは、ここからだった。
受け付け姉ちゃんに伝票を渡したい彼は、それはそれは器用に、
ファイルを足の間に挟んだまま、横移動したのだ。

一度なら、見なかったことにしてあげたいのだが、今度は自分のカバンから中身を取り出すために、
またもやファイルを足の間に挟んだまま、横移動したのだ。

それを、彼は私の目の前で2往復もやってくれた。
苦しかった。かなり、苦しかった。下を向いてニヤニヤしてしまったほどに可笑しかった。
その後、彼はやっと足の間のファイルも受け付け姉ちゃんに渡す事ができ、足の自由を得る事ができた。

そして、次に何をするかと思ったら、一度カバンから取り出したピンク色の長いものを、また元に戻した。
その少し前、彼は「これ、箸置きなんですけど」と言って手渡していたので、
(っつーか、本当に箸置きだったのかなぁ?粗品で箸置き?)
もしかしたら、渡したのを忘れてまた渡しそうになったのか?と思った。
しかし、違った。最後の最後。
サインを貰った彼は、また改めてカバンの中からピンクのものを取り出し、
「これ、カレンダーなんですけど、宜しかったら」
と言って手渡していた。
どうやら、粗品と一緒にカレンダーは渡してはいけなかったらしい。
サインをもらう前でもいかなかったんだと思われる。
そうじゃないと、彼の行動に説明がつかない。

友人の旦那が、病院に入っている製薬メーカーの営業マンをしている。
彼の話によると、接待だーの、お土産だーのが大変なのだそうだ。
時には、医者の引越しにまで休日に借り出されていたりもしてた。
きっと、今日あったあの営業マン君たちにも、様々な苦労があるに違いない。

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2002年11月20日(水)

ぐずらの不運

※今日はヘタ漫画つきです。

午前中、せっかく作ったHPに、デザインごと変えたろか?
と思うような修正を言われたので、すっかり仕事モードは解除されていた。
そこで、昨日の続きをせっせと漫画化していたら・・・

アプリケーションエラーです。プログラムを終了します。

と勝手にPCに反抗され、全てが消えた・・・
泣きながら、懲りずにまた最初から描いていたら、今度は仕事が鬼のようにやってきて、描けなくなった。

これは、グズラ2号の呪いかもしれぬ・・・描いてはならぬということか?

しかし、めげずに私は描いてやった。おほほほほ〜だっ

さて。本題に。
我姉妹1号から語り継がれる、2号の幼き日の事件である。

ある日、幼い姉妹1号と2号は仲良くお風呂に入っていた。
1号は頭を洗い、その背後で2号は身体を洗い。二人仲良く洗い場に居たそうな。
その頃、我家はシャワーなどなく、浴槽のお湯使って身体を流していた。

1号が、「お湯くんで」と2号に御願いをした。
「わかった。ねえちゃん」と言ったかどうかは定かではないが、2号は了承した。
しかし・・・なかなか2号がお湯を手渡してくれない。
っつーことで、漫画にしてみました(笑)



不信に思い、1号が振り返ると浴槽から2号の足だけが出ていたっ!

そう・・・・

2号は、風呂で溺れていたのである。


慌てて、1号が助けると、起き上がった2号は声も出さずに泣いた表情のまま、水面から出てきたそうな。
1号曰く。

「ヤツは、水中でも泣いていたに違いない。」

だそうで、しかしそこは水の中。例え泣き叫んだところで、1号の耳には届くまい。

しっかし・・まぁ、なんで溺れるかね?
身体「く」の字に溺れる人って見た事あるかね?
まるで映画の崖から落ちる人を助けている状態で溺れていた2号。

1号が謎を解いてくれた。

「あいつさぁ〜、お湯の重みで頭が沈んだらしいんだよね」

お湯の重みだけじゃあるまい。
きっと頭がデカかったことも一因だろうと密かに私は思っているが。
確かに、小さい子供にとって、お湯の入った洗面器は重い。
しかし、分からないのは、沈むほど重い洗面器から

なぜに、手を離さなかったんだい?

想像図



この疑問にも、1号は明快に答えてくれた。

「あいつはがめついから、いっぺんにお湯を沢山汲もうとしたんだよね。
 で、自分が沈んでくのに、根性で離さなかったんだろうね。」

・・・・・・
グズラ2号。
がめつい性格とドン臭さが災いして風呂で溺れる。

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注:2号のお尻が青いのは「モウコハン」です。結構大きくなるまでありました。


2002年11月19日(火)

ぐずら

仕事が急激に暇化した。
そんな私に課せられたのは、会社のHP作成。
既に、半年以上前に徹夜で完成させていたにも関わらず、今、その修正の仕方が分からない。
悲しい。

さて。本日は我姉妹2号の話。
今までの日記に「我姉妹」と出てきたのは「1号」のことだ。
1号はBBSにも出没しているし、主婦のクセに私よりはるかにHTMLを操れる憎いヤツだ。
っつーか、私はソフトを活用しまくるのでHTMLは知らない。
ダメじゃん。それ、仕事の中に含まれてるっつーのに。ごめんなさい。
しかし、2号はネットはしない。それどころか、多分、自宅のPCすら触れないと思われる。
だから、書き放題だ。ヤツが見ることが無いので何でも書ける。

2号は、子供の頃、父上にいつも

「おらぁ〜、グズラだどぉ〜〜ん」

と呼ばれていた。
グズラは多分、正義の味方の怪獣だと思われる。鉄をガシガシ食べるのだ。
父上が言ってたのは、決して「怪獣グズラ」そのものでは無く、2号がグズグズしてるからだと思われる。
しかし、描いてみて分かった事が一つある。
2号は、グズラ体型なのだっ!
要は、「でっ尻でっ腹」だと小さい頃から家族の誰もが思っていたはずである。

小さい頃、何かと人形が好きだった私は、小さな黒人(これも差別用語になる?)の人形を手に入れた。
その出っ張ったお尻を見る度に、「2号に似てる・・・」と密かに思っていたのだ。

2号がその人形に似ていると思ったのは、なにも体型だけでは無い。
ヤツは、何故か色黒だった。
1号の記憶に色黒がインプットされていない事実は悲しいが、確かに色黒だった。
だって、幼い頃の私は、母上に

「2号は、身体をちゃんと洗ってないから黒いんだよっ」

と言いつけていた記憶があるからだ。
母上は、キツイ人だった。身体をちゃんと洗わないだけでも怒る人だった。
元が色黒の2号にとっては、まさに、それは言いつけ。言いがかり。今思えば可愛そうな2号だった。

2号の悲劇はその体型にも及んだ。
子供のクセに尻と腹が出ているせいか、バランス感覚が悪かったようで。
運動会になると、必ずと言っていいほど 徒競走で転んでいた。

よく転ぶということは、考えたら分かることだが怪我もしやすくなるハズだ。
あれは、雪が降るような寒い頃のことだった。
ヤツは、何をしたのか膝のサラを割って帰って来た。

そう。松葉杖状態だ。
小学校までは、子供の足で徒歩15分くらいはかかりそうな距離にあった。
外は、雪が積もって非常に滑り易い。
そんな時に松葉杖無しでは歩けない子供を、普通の親はどうするだろうか?
休ませるだろう。もしくは、車で送迎してやるだろう。
でも、私たちの父上は 2号をおぶって学校へ連れて行った。

無理矢理連れて行かれた2号。父上とて、その体力は相当なものだったと思うが。
しかし、学校に行ったはいいものの。
2号が帰りをどうやって帰って来たのかは、1号の記憶にも無いらしい・・・
多分、松葉杖で一生懸命帰ってきたんだと思う。かわいそうだ。

2号のその体型のせいか、もしくはその「グズラ」な性格のせいか、トバッチリを受けることも多かった。
若い頃の父上は、それはそれは血の気が多く、余所様と喧嘩をおっぱじめるような人だった。
だから、夫婦喧嘩の際にも、母上に暴力は奮わなかったような気もするが、物が飛ぶ事もあった。
その被害者が、グズラ2号であった。
父上が、怒って投げた鍋のフタ
それが、ブーメランのように台所付近を飛び、何故か2号に命中したのだ。
2号の額には1cmぐらいの傷が今でも残っている。

あきらかに、グズラ2号はドン臭かった。
最も有名かつ、有り得ないネタとして1号から語り継がれる話がある。

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2002年11月16日(土)

三回忌法要

父上が亡くなって早2年。っつーか、まだ2年。
なんで、亡くなった時には数え歳とかで年齢が一歳上になり、その後の法事は1年先に行うんだろう?
納得いかないが、そういう宗教なのだろうということで三回忌だった。

先日の義兄の一周忌の時から母上に頼まれていた通り、法事が始まる30分前には、母上の店に祖母を迎えに行った。
父上の母親になる婆ちゃんは今年94歳。長男夫婦と同居しているのだが、嫁と仲が異常に悪い。
非常にじゃなくて異常にだ。ここまで毛嫌いし合ってて、よく一緒の屋根の下に住めるもんだと感心する。
ついでに言えば、父上の兄弟はケチが多い。まぁ年金暮らしはキツイのだろうけど、殆どバスでやってくる。
お寺の場所は、バス停から歩いて年寄りだと15分以上かかってしまうだろう距離だ。
っつーか、もう杖をついてもヨロヨロの年寄りをバスに乗せてくるのはどうかと思うのだが。

今回の法事には、どうやらその不仲の嫁は遅れてくるらしく、叔父と祖母だけが先にバスできた。
この叔父夫婦の家には子供が居ない。小さい頃は正月になると年賀に連れて行かれお年玉をもらっていたのだが、何歳になろうとも一定金額。千円だった。
ついでに、叔母が怖くて食べ物を少しでもこぼすと大変だったので緊張した。
その叔父と私が話せるようになったのは、父上の葬儀の時からだ。
皆に頑固で威張っているので嫌われているが、私は案外素直な面をその時に発見し、結構可愛いと感じたので、それ以来遠慮無い言葉をぶつけることにしている。

店には、我姉妹2号も先にきていたので、車の大きさを考え2号の方に乗ってもらうことにした。
「おじさん、もう行くからさ、車乗ってよ」
と言うと、何を思ったか叔父に「お前はもぉ〜」とほっぺたをピシピシされた。
あれは、多分、愛情表現だったのだろうと解釈する。

寺についてしばらくすると、父上の妹である叔母がタクシーで独りで来た。
大体、この兄弟は仲が悪すぎる。皆して至近距離に住んでいるのにも関わらず、連絡すら取り合わない。
一緒にタクシーに乗ってきたら、お婆ちゃんを私たちが迎えに行く必要も無いし、皆も楽なのに。
そんな仲の悪すぎる兄弟の間で、父上だけが誰にも同じようになついて接していた。
長兄である叔父の嫁はクセがありすぎ、他の兄弟と話すらしないし、挨拶してもつっけんどな人だ。
でも、そんな嫁にさえ、「そっぷりは悪いけど、人は悪くない」と父上は言ってなついていた。

寺に全員が集まり、始まるまでの間お茶呑んでいるとき、我姉妹1号が私に言った。
「この間(義兄の一周忌)は有難うね。あんなに包まなくて良かったのに」

法事になると、幾ら包むべきかを母上と相談する。その時に、母上の立場もあるので私は金額を下に設定するのだ。
ついでに、私は最近貧乏だ。今週は2回も法事が重なる。給料日まで大分ある。
だから今回「あんなに」と言われる数のお札は入れてない。
「へ?一万円しか入れてないけど?」
そう答える私に、衝撃の事実が我姉妹1号から告げられた。

「あんた、2万くれたよ?」

私は、確実に財布の残りも確認して「1万円」しか入れたつもりはなく、何度も「それは2号では?」とか1号に念をおしたが、間違い無いらしい。
困惑していると我姉妹1号に「やだぁ〜」とお金に対するずぼらさを指摘された。
それは、言い返せないぞ。確かに私は、あちこちに数万円をぽんっと置いて後日見つけるような人間だ。
しかしだ。今回、私は2号にも金額の相談をしておいた。しかし、それが2号と同額となったら・・・
2号の立場は台無し。うん。仕方なかろう。そんなもんだ。少ないよりはいい。

今回、1号の子供は来なかったが、問題のその2号の子供たちは来ていた。
御焼香の時、まずお兄ちゃん(息子)が先に行ったのだが、その後を横あるきで戸惑いながら、妹(娘)が歩き出した。
大体、2号の子供は、いつも挙動不審な動きが多く、毎回ネタになる。
その娘の様子がまるで、人の家に侵入した泥棒のようであり、それを、3姉妹揃って目にし、一斉に笑いを堪えた。
目の前にはお坊さんがお経を唱えている。
3姉妹揃って肩を震わせ、私は隣の2号を肩でドンドン押しながら
「どろぼうじゃねーんだから、あの動きはなんとかしろっ」
と囁いた。

なんとも、のどかに寺での供養は済んだ。
御塔婆を母上が持って行ったのはいいのだが、お坊さんが慌ててる。

「あの、位牌を・・・」

見ると、お坊さんの手には父上の位牌があり、私は笑いながら母上に
「お父さん忘れていくなよ」と言いつつ受け取って外に出た。

そう言えば、義兄の一周忌の時、迎えに行った私に我姉妹1号が「それは神様だから」と念を押した袋があり。
しかし、寺についてみると位牌だけしか置かれない。聞くと
「神様は、仏壇から出しちゃいけないんだって」とへらへら答える。
どうやら、1号は出してきちゃいけない仏様像を持ってきてしまったらしい。
どこの喪主も、うっかり屋が多すぎる。

外に出て御墓にそれぞれお線香を供えることとなり、必要以上に沢山のお線香に火をつけたらしい。
その余った線香の束を持っていたのは、これまた挙動不審問題児の2号の息子であった。
殆どの親戚が終った後、急にその息子の手の線香が勢いよく火を噴出した。
1号は「欲張ってたくさん持ってるからだ」と言い、
私は「お前、おじいちゃんにからかわれてるんだよ」と笑い飛ばす中、
彼なりに一生懸命火を消そうとしているらしいのだが、なんせその動きが変すぎる。
どうやら、線香の火は吹いてはいけないことを知ってるらしく、手をぶんぶんふって消そうとするのだが、彼はひじを曲げないのだ。
まるで、踊りに腰が入らない稲垣吾郎系の動きだ。

一通りの法事事を済ませ、母上の店で食事となった。
毎回のことだが、必ず食事が余る。
余るぐらいに用意する必要は無いと母上に言うのに、何故か知人に頼んでまでお弁当のほかに料理を作るのが母上だ。
今回は弁当の他にロールキャベツと豚汁が用意してあり、そのロールキャベツを大きなバケツ型のタッパに入れ、2号が持って帰るらしい。

そのタッパは問題の品だった。蓋がゴミ箱と同じく上に被せるだけの仕組みだ。
案の定、2号はうっかりして、ロールキャベツをこぼした。
すると、それを目の前で座って見ていた息子に背後に、妹である娘が近寄りこしょこしょ申す。

「子供はね、親に似るんだってぇ〜」

うふふふっと笑いながら兄である息子の肩に手をかける娘。
誰にも聞かれてないだろうと思っているようだが、浅はかだ。私はバッチリ聞いていた。
っつーか、お前もうっかり2号の娘だぞ?
この2号は、子供の頃父上に「ぐずら」と呼ばれていた。昔からグズグズしてドン臭かったのだろう。
その血を色濃く受け継いだ息子は、もっとドン臭い。6歳も離れた妹にからかわれるぐらいに。
親切な叔母である私は、勿論、この娘発言を2号に伝えた。
娘は少々困った表情をしていたが、運良く怒られずに済んだようだ。
子供のくせに内緒話なんてするからさ。いい教訓になったということで。うん。
ついでに、自宅に戻ってから仕事をする私は、コンビニに寄るのが面倒なので、その娘が口をつけなかったファンタグレープをもらった。
小学3年生になった娘にとって、1号もかなり興味ある生き物らしいのだが、私の行動といい、叔母二人はどんな存在に見えるのだろうか?
たま〜に気になるが、まぁいいか。

その食事の最中に、兄弟喧嘩に似た険悪ムードが少々あったが、まぁそれはいい。
とりあえず、私は一緒に帰りたくない長兄夫婦に代わり、お婆ちゃんと次兄夫婦を送ることにした。
これがまた、叔父がここぞとばかりにしこたま飲んだおかげで、デロデロだ。
土曜日でしかも紅葉の季節ということで、観光地に住む家までは混んでいた。
叔父は何度も酔っ払いらしく同じ事をお婆ちゃんに繰返し言う。

「孫がさ、送ってくれるんだよ。こんなに嬉しいことは無いだろ?」

その言葉は、送り届けるまでに5回は聞いた。そして、お婆ちゃんはさすがに母親だ。
5回とも丁寧に「本当にありがたいねぇ」と静かに答え、さらに絡んでくる酔っ払いの息子の都合の悪いことに関しては、聞こえないフリをしていた。
さすがは、クセ者の息子4人と娘1人を育てあげただけのことはある。
その他に、既にお兄さんが一人。赤ん坊で亡くした父上のお姉さんが一人いるそうな。
計7人の子供を産んだ母親は強しというところだな。

お婆ちゃんは、しきりに「一人がいいぞ」と未婚の私に言う。
今の長男夫婦との生活が、よっぽど苦痛なのだろう。
「毎日遊んでるのも楽じゃないよ」と言うのも口癖らしくお迎えを待っている。
長兄も、昔は優しかったのに嫁のせいで冷たくなったと愚痴っているし。
でも、私は長兄の叔父は、立場上大変なだけで、母親に対する想いは変わってないと感じる。
叔父は「お婆ちゃんを頼むよ」と、こっそり私にお駄賃をくれたのだ。
それを、お婆ちゃんに教えてあげたかったけれど、後ろにいる次兄夫婦とは仲が悪すぎるので止めておいた。

っつーか。私にお駄賃を2千円渡せるぐらいなら、お婆ちゃんに渡してタクシーを呼んでやってくれ。
同じ血の繋がった親子・兄弟なのに、なんでこんなに複雑かなぁ・・・
結局、我が強い年寄りは厄介者になるのだなぁ・・とちと寂しく思った。

途中、泥酔した叔父がくしゃみを始めた。酔っ払い特有の症状だ。
それが、ものすごい汚い音で、どうやら鼻水も出していたらしく、お婆ちゃんがティッシュを差し出していた。
渋滞の中、大勢の観光客に向って「なんで、こんなに居やがるんだっ!」と怒り出すし、大変だった。
妻である叔母は、嫌だ嫌だと言い続け、
「アンタの母親を目の前にして言っちゃ〜悪いけど。バカじゃないの?」
としきりに怒っていた。
そんな時もお婆ちゃんは知らんフリを決め、私は叔父の鼻水で新車のシートが汚れないかと気にしつつも、笑いつづけていた。

とにもかくにも、三回忌法要は無事に終った。
母上は暢気に、父上の妹である叔母とその後に健康ランドに行ったようだが。
せめて、誰かを車があるんだから送ってく気持ちぐらいは持って欲しいものだ。
いつでも自分の都合最優先する母上だけど、父上が恥をかかない程度の親切心は持って欲しいといつも思う。
次は4年後。もっと、今より歩けない人が増えるかもしんないのだぞ?
ちょっとばかし、先が思いやられる気がした。

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2002年11月15日(金)

像は何色

あまり、記憶を辿る作業はあえてしたくは無いのだが。
去年の今日は、義兄の通夜の日だった。翌日は告別式で。
今年は、その同じ日(明日)に父上の三回忌法要が行われる。
ついでに去年の10日は父上の一周忌法要で。その3日後に義兄が亡くなった。
バタバタバタと過ぎていく11月が恒例になりつつある。

我姉妹1号の息子君と久々に会ったのは、父上の病院でだった。
小さい頃の丸顔マルコメ君のイメージは一掃し、長い顔立ち無表情の青年がそこに立っていた。
何を誰が話し掛けても殆ど返事が無い。挨拶をしても、返って来ない。
何かを言えば、不機嫌な嫌そうな表情をする。
その無愛想さ加減に叔母である私としては、躾がなっとらんっ!と半ばあきれたものだ。

年頃の青年にとって、親兄弟もそうならば、親戚なんて存在はうざいだけなのだろう。
それを察知し、あえて彼は放置することが暗黙の了解状態になった。

義兄の通夜の日。
義兄と共に車に乗れるのは家族二人だけだったため、私が娘か息子を祭儀上まで送ることになった。
どう考えても、息子君はうざい叔母ちゃんである私の車は避けるだろうと予想していた。
ところが、何故か息子君が残ると言う。
思うに。複雑な年頃の彼にとっては、父親と一緒の車に乗る事の方が辛かったのだろう。
それに比べたら、うざい叔母ちゃんの方が彼にとっては気持ちの対処が出来た存在だったのだろう。

その日、夕方と言う事もあり道が混雑したため私は少々遅れ気味で息子君を迎えに行った。
遅くなってしまったと電話で言ったにも関わらず、階段を下りてくる息子君はマイペースだった。
息子君は、後部座席に乗ろうとしたが、生憎私の車は営業車のように荷物がいっぱいだった。
彼はもろに嫌そうな表情で、私の指示どおり助手席に乗った。

乗ってすぐ、近道になる駅までの道を知っているか?と私は尋ねた。
「あんま良く知らないんだけど・・・」
ぶつぶつ言いつつも、とりあえずこっちだと道を指示する息子君。
が、走ってすぐに一方通行になってしまうと、
「普段、自転車で通ってる道だから、合ってるかどうか分からない」
と、これまたぶつぶつ御丁寧に事情説明をしてくれた。

そんなこんなで、やっと駅前についたものの、そこから目指す街道に出る道が分からない。
息子君に尋ねるが、知らないという。そして、
「じゃぁ、iモードで調べりゃいいじゃん」
と提案していただいたが、生憎あるひ叔母ちゃんはiモード契約をしていないのだ。
「残念。必要が無いので、iモードじゃないんだな。メールはパソコンで十分だから」
と、これまた私としても御丁寧な事情説明を息子君にしてあげると、意外な事に彼は納得した様子。
この時代にiモードじゃねーのかよ?とバカにされるかと思ったら、徐に自分の携帯をいぢりだした。
しかし、一体彼が本当に調べてくれるのかも分からないので、私は我姉妹2号に電話をした。
息子君に現在位置を尋ねると「これは○○高校だ」と教えてくれた。

道が分かり、「こっちに行けばいいんだってさっ」と独り言のように呟いて、その高校に差し掛かると息子君がいきなり口を開いた。

「相変わらず、変な色の学校だな」

相変わらずと申されても、その時初めて見た高校なので、私は分からない。
が、これは、彼にしては珍しく世間話を口にしたという現象ではあるまいか?
叔母ちゃんは、なんだかドギマギしたよ。だから、

「ああ、そうだね。象さん色だね。」

なんてトンチンカンな事を言ってしまったのだよ。
すると、息子君は、むすっとした声で言ったんだ。

「象色は違うだろ。」

叔母ちゃんは悲しかったよ。
同じ血の色をして、同じ血が流れていて、同じ水色の建物を見てるというのに。
息子君と叔母ちゃんは、同じ物を思い描く事が出来ないんだね(号泣)
でも、叔母ちゃんだからね。息子君が何色を想像したのかは分かったから、だから一生懸命言い訳したんだよ。


「だって、ダンボは水色じゃんかっ」



二人きりの車内の中で、この私の台詞はむなしかったよね。
せっかく、息子君が世間話をふってくれたのに、台無しにしちゃったね。
息子君が想像した象さんは、灰色なんだよね?リアリティーを追求してるんだね?
でも、叔母ちゃんは思うよ。

息子君。
もうすこし、夢のある考え方をしなさい。
情緒あるものの見方をしなさい。
遊び心を持ちなさい。

私は知ってるんだよ。
顔を真っ赤にしてキミはウンウン力んでたんだよ。そのおしめを変えたのは私なんだよ。
キミが夜泣きが酷くても、起きようとしない母親の変わりに、まだ高校生だった叔母ちゃんは一生懸命抱っこしてあやしてあげたんだよ。
それにね。小学生だったキミがお喋りだったことも知ってるよ。
おじいちゃんは、あんまり孫に愛想が良くなかったからね。気をつかったんだろうね。
おじいちゃんが庭いぢりしている後ろにくっついて歩いて気の効いた事を言いたかったんだよね?
おじいちゃんの趣味の盆栽である鉢植えの松を見て


「この松は、樹齢何歳?」


って聞いたんだってね?
その時、おじいちゃんは、耳が遠いのをいい事に返事をしなかったでしょう?
でもね。後で「あいつ、面白い事聞くんだよなーっ」って報告してたよ。
他にも、何やら小難しい事を言っては、おじいちゃんに聞こえないフリをされたでしょう?
決して、おじいちゃんは無視したわけじゃなくて、可笑しすぎて内心笑いを堪えてただけなんだよ。

そうだね。今でも、息子君は真面目だね。
小さい時から、その真面目君発言が逆に可笑しかったように、今も変わってないかもしれないね。
息子君の妹もお母さんも、キミがにやっとすると、相当可笑しいらしいよ。

だからね。きっと。
像は灰色だと頭の中で訂正しつつも、きっと「毛も生えてるんだぞ」って詳細なことまで考えていたんだろうなぁ・・・って。
叔母ちゃんは一人で想像して笑っておくことにするよ。

くすくすっ

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2002年11月14日(木)

みんなハッピー

朝から、バタバタと数本の電話をこなし、仕事をしている私。
私が、「仕事をしてるなぁ〜っ」ていう実感を一番感じるのは、客先と電話でやり取りをしている時だ。
それ以外の、地道なPCに向ってやる本来の仕事は、私にとっては趣味の延長だ。

通常、OLとして仕事をしていたら、私の仕事には「営業」「制作管理」などの担当が別に存在する。
よって、見積をすることも無いし、進行を管理することも無い。
印刷業者や客先と交渉する事も、上司や営業担当がやるので、殆ど無い。
でも、今の仕事は、雇い主である社長君が、元同僚というのもあって何でもかんでも、こっちに振ってくるのだ。

今朝も私は見積の件で、印刷業者と客先と金額や納期の調整に当たっていたのだ。
まるで、営業マン状態だ。
社長という立場からしたら、当然、見積の値段が気になる。
だったら、そういう銭の交渉は自分でやってくれたらいいようなものだが、自分の仕事以外に全くの無知をかもし出す彼は、全てを私に一任する。
客先にだって、担当のものが連絡しますと言ったからの一言で、私に連絡させる。

私の立場は、雇い主が居てのお客様だ。自分の客じゃないので、無礼があった場合、私の損害ではなく、社長の会社の損害になる。
印刷業者は、私からみたら下請けになり、私は客なのだけれど、私は印刷会社の苦労を知っているので、あまり強くは物を言いたくない。
それに、気持ち良く仕事をしてもらわないと、何かの時に融通を利かしてもらえなくなり、結局その損益は社長の損益になる。
とにかく、私の立場は微妙なのだ。

まるで、私の仕事は「ザ・交渉人」 ネゴシエーターみたいなもんだ。
皆が皆、いいようになる為の仲介役が、私の仕事の一部となっている。
よく、客先の都合で手間が必要以上にかかる仕事がきたりする。
見積った段階で、少々の手間は料金に含めるが、それを越したら追加見積を条件にしているのだ。
でも実際は、社長と私の話し合いで「この程度の料金なんて請求できないっしょ?」という私の一言で社長は良しとしている。
これによって、得をしている客先が、知ってか知らずか結構あるのだ。

今回の印刷は、元々の印刷営業マンくんが転職をしたために、別の会社に移行することになった。
その営業マン君が、前の会社を辞める際にフィルムを引き上げてきてくれてたので、何の支障も無く依頼できる事になった。
営業マン君は、自分の今の会社の仕事のほかに、個人で動いてくれたのだ。
この有り難い状況を社長に伝えると、何か彼にお礼をしなければと言い出した。
別に、仕事だからいいじゃないの?と私が言うと

「俺のポシリーは、皆ハッピーじゃん?」

と社長が言う。
一瞬の沈黙の後、意味を理解した私が「それは、ポリシーね」と冷たくあしらうと

「ポシリー岡田」

とこれまた、おかしな事を口走る社長。仕方が無いので、
「それは、イジリー。っつーか、イジリーだったらパシリの方がまだ近いから」
と投げ捨ててやると、言葉が出なくなったようだ。

そう。
YAZAWA大好き我社長のポリシーは【皆HARRY】だ。
客先の大半は、元同僚の紹介が多いこの仕事。
紹介してくれた人も、紹介された客先も、仕事を受けた自分も社員も皆がHAPPY。
はっきり申せば、皆が儲かるようにということだ。

私は私で、一つの製品ができるまでに関わる全ての担当者が、気分を害さない事が理想だ。
だから、その為に自分の作業時間が増える事については、殆ど目をつぶり、サービスだ。

そんな仕事の仕方をしていると、客先からわざわざお礼のメールを頂く事がある。
そのメールは社長宛にきてはいても、内容は私宛のお礼ばかりで、彼は羨ましがっていた。
そんな社長のところへ、新規の客先からメールが届いたらしく「今、送られたから見るといいよ」と電話の最中に転送されてきた。
どれどれ?と見てやると、女性担当者からのメールで「♪」までついたお礼メールだった。

よほど嬉しかったらしい社長は、私が良かったねと言うとますます絶好調になり、

「あっ!大変だっ!急がなきゃっお昼の時間になっちゃう

とこれまた、訳の分からないことで急に慌て出した。
確かに、時間は昼4分前だ。彼は、昼になると自宅へ戻って昼食を取るのが通常だ。
あまりにも、またもや下らないので
「何言ってんだよ。どうせ1時半までいつも戻ってこないくせに」
とキツく言い返してやると、沈黙された。
そして、わざと受話器を口元から離したのであろう、遠い声で
「もしも〜しっ!もしも〜しっ!あれ?変だなぁ・・・」
と聞こえないフリ猿芝居をかましていた。

私は思う。
社長のポシリーだかである【皆HAPPY】は、彼の力ではなく私の苦労の賜物では無かろうか?と。
ネゴシエーターが私であり、犯人が社長。客先がFBI。
全ての事件の解決の影には、ネゴシエーターの存在があるのである。
なんだか、社長が皆をハッピーにするというよりも、
周りが彼がハッピーなるよう、動いているような気がする今日の頃である。

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2002年11月13日(水)

一周忌

2-3日前から、何故か花粉症のような症状に悩まされ。
それが、昨日には風邪の症状だと発覚した。

昨夜、夜勤に行く前にお相手に電話で
「お前、明日何時に起きるんだ?」と聞かれ、
「う〜んと・・・8時半過ぎに出るから、8時かな」と答えたところ笑われた。
どうやら、出かける30分前起床では、女の用意として短すぎるらしい。

電話を切った後、ハタと気付いた。
違う違うって。8:30に我姉妹の家ってことは、7:30過ぎに出るんじゃん?
慌ててお相手に電話をし直し、夜勤から帰ってきたら起こすように時間を訂正した。
勿論、自分の携帯の目覚ましも、いつもより音量を大にし、7:05に合わせた。
それだけじゃ足りず、我姉妹2号にも電話を入れ、7:30に電話を入れるように頼んだ。
完璧だ。3重に目覚まし部隊を配置したのだから、寝坊は有り得ないだろう。

何故に、そこまでしたかと申せば。決して私が寝ぼ助だからだけではない。
一年前の告別式に寝坊をして間に合わなかった故の教訓だ。

そんな訳でそれでも、あまり早めに寝る事が出来ず、1時に就寝した。
そして、朝になったらしい。
「おいっ!目覚まし鳴ってるぞ」
と、夜勤から帰って来たお相手に言われ時計を見ると、既に予定より10分過ぎていた。
そして、お相手に「俺が帰ってこなかったらどうなってたか」と恩を着せられつつ、用意したのである。

久々に化粧をした。
が。下地をまず忘れていきなりリキッドファンデを塗った。
ついでに、その上から粉をはたくはずが、それも忘れ、きっちり口紅だけ塗った。
カサカサの少々の粗を隠す程度の化粧をし、急いで出かける事になった。

我姉妹1号の旦那である義兄が亡くなったのは、去年の今日。
病室に義兄の家族が入っている中、私は一人で病室の外にいた。
時々、我姉妹たちの義兄を呼ぶ声が響く中、ぼーっと飲み物を抱えて椅子に座っていた。
そして、なんとなく。そう。
なんとなく、一服してこようと思って駐車場の自分の車に行った。
10分ぐらいたったころ、病室に戻る廊下で、我姉妹1号と母上に会い、義兄が亡くなったと聞いた。
もしかしたら、私が一服しに病室を後にした時、「俺も行くよ」と義兄も付いて来ちゃったのかもしれない。
だとしたら、きっと病室に戻って本人が一番ビックリしただろう。

あれから、一年が経ち、我姉妹1号は二人の子供を抱えた未亡人となり・・・

お盆の時に、父上の所へ来たお坊さんに母上が
「この子(我姉妹1号)も、旦那を去年亡くして新盆なんですよ・・・」
と言うと、その若いお坊さんはつやつやした顔を曇らせ、神妙な面持ちになったそうだ。
しかし、次の瞬間、我姉妹1号が

「旦那が亡くなって、やつれるどころか太っちゃって」

と言うと一転、そのお坊さんは大笑いしたそうな。
だからして、今日の最大の心配事は、パンパンに太った1号の動きだった。

1号の娘の手によって辛うじて無理矢理閉められた喪服のチャック。
自ら申告していたように、パンパンの喪服によって動きがロボット系、もしくはギブスを嵌めた星飛雄馬系になるに違いない。
運悪く、その場でパパパンっっと、服が弾ける可能性もある。
でも、生憎、そんなことは起こらずに無事済んだ。

その代わりと言ってはなんだが。
料理を食べる時、母上が箸袋を取り出した際に、一緒に入っていた楊枝を勢いよく飛ばしていた。
私の車を運転していた我姉妹2号が、私が渡したシートベルト止めを分解しようとして、勢い余り、顔面に飛ばしてぶつけていた。
これは、相当痛かったらしい。
が、その後、飛んでしまった部品はシートの下に入ってしまい、装着する事は出来ず。
2号は結局ぶつかり損となった。

そんな事をワーキャー言ってる車の中で、後部座席に居た我姉妹1号の息子。
故人の息子であり、私の甥っ子である高校三年生の思春期青年は押し黙ったままだ。
ふいに、2号がチラッと息子に目を向けた。
どうやら、鼻炎で詰まった鼻息の音が、2号には寝息に聞こえたらしい。
相変わらず、2号はマヌケだ。
彼の性格を考えたら、自分の母親も居ない人の車で眠るような無邪気さは、彼にはもう無いのだ。

実は、私は本堂にて御焼香をする時に、息子君の足元に注目をしていた。
彼は、スニーカーソックスを履いていて、それにしてもその丈は短すぎだった。
大体、今はもう冬に近い季節なのだ。何故に靴を履くと素足に見えるソックスが必要なのだろうか?
お母さんが、ちゃんと洗濯をしてくれてなくて長いソックスが無かったのだろうか?
そして、もう一つ。
今日のその髪の毛は、やはり流行りの無造作ヘアーとしてセットされたものなのか?
それとも、単なる寝癖なのか?

数々の疑問はあれど、優しい叔母ちゃんは、あえて息子君には聞かない事にしているのだ。
難しい年頃だからね。
そんな無愛想で近寄り難い雰囲気の息子君は、私の
「ガム食べるかい?」
との私の問い掛けに、返事もしなかったね。
だけど、ちょっと前のめりになって、ひょいっと手を差し出したね。
この手の平に乗せてくれってことだったのだよね?
有難うの一言も言わずに食べてた息子君だけど。

まぁ、いいさ。
義兄が居なくなった後も、息子と娘は着々と育っているよ。
妻である我姉妹1号も、別の意味で着々と育っちゃってるよ。
みんな、相変わらずさ。

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2002年11月12日(火)

歯医者のはなし

昨日治療した歯が痛い。
痛さは、右側全体に響いてるらしく、しばしまともに物が食べれない模様。

っつーことで、ちと暇があったので昨日の日記に『フック船長』の絵をアップしときやした。
改めて実感。私に人物画の才能は無い。ふふっ(TT)

さて。今日は歯痛にしか頭がいかないので今まで出会った歯医者のはなし。

幼少の頃通っていた歯医者さんは、とても優しい眼鏡の先生だった。
腕も良いと評判で、今の実家の近くにあったのだが、その後儲かったらしく。
今現在は、私のアパートの近くの広い敷地にある。
しかしだ。隣のファミレスと同程度の敷地と思われるその駐車場はすっからかん。
噂によると、数年前に私が見てもらってた先生から、息子の代に変わったそうな。
ところが、麻酔事故を起こしてしまったらしく、多分、開店休業状態なのだろうと思う。
二代目って、どの世界でもイマイチなことを証明してくれてる気がする。

20代最初の頃。前歯が虫歯になった。
横浜の会社の目の前にあった、歯科医が数名いる、歯医者にしてはデカイところへ通った。
しかし、それから半年後。
転職をして蒲田の会社に通ってた私にある日突然、酷い歯痛が襲った。
普段から、頭痛でも腹痛でも鎮痛剤を飲まない私が、通常の量の倍を飲んでも効かない。
息をするのも痛い。しかもその会社。駅から徒歩30分ぐらいかかる。それも真冬。
口を閉じる事も出来ず、かといって風の冷たさも染みる状態で、口にタオルを当てて泣きながら地元の歯医者に行った。

そこの先生はとても怖くて評判だ。言い方の問題なんだろうけど。
でも、その先生が優しかった。先生は、あえて口には出さなかったけれど、多分横浜の歯医者の治療ミスだろう。
治療の仕方が悪くて、私の前歯の神経がやられてしまったいたみたいだ。
私の不注意では無いので、その先生はやさしかったに違いない。
でも、その後、仕事でキャンセルをした次の診察の日に
「次回はいつ?」と尋ねると
「だって、忙しくて来れないんでしょ?」と突き放された。
だから、それ以来、その歯医者には二度と行ってない。

それから、数年してまた転職をした私は、今度は桜木町の歯医者に通った。
その歯医者はデンタルエステという名目を掲げているだけあって、本当に高級エステサロンのようなつくりだった。
治療をする部屋も個室だし、歯以外にもエステ事業をしているようだった。
そして、確かに。そこの先生は、本当に腕が良かったのだと思う。
一番何よりも怖い麻酔。それすら、いつ打ったのか分からないくらいに上手かった。

だけど、仮歯の途中で嘘をついていくのを止めた。
そこは、一回事に大学病院だかに器具を出して消毒するという。
つまり、私専用の器具があるってわけだ。
確かに、他人の口の中に入ったものを入れられているのは良い気分ではない。
無いけれど、毎回その消毒代¥2,500を治療費の他に取られる。たまったもんじゃない。

そしてもう一つ。私がそこの歯医者で疑問に思いつづけた事があった。
それは、歯科医も助手も皆がみんなつむじ部分の毛が異常に薄かったのだ。

そんな理由で?と思うだろうか?
最初は私も、偶然だと思ってた。でも、そのデンタルエステ。
閉店間近になると、何やら他店舗の研修生だかが集まるらしく、ドヤドヤスタッフがやってくるのだ。
そのスタッフの教育もきっちりされているらしく、すごく御丁寧ににこやかに挨拶をしてくれる。
そして、そのご挨拶の際に下げられた頭が・・・・・・・

老若男女問わず、ALLつむじハゲ

そのサロンのような待合室には、その会社のお勧めであろうシャンプー類も置かれていた。
こんな偶然があって良いと、どうしても私は思えなかった。
あきらかに、そのシャンプーを使用していると思われる人のつむじハゲオンパレードは、恐怖に繋がった。

そして、私はそこでやってもらった仮歯のまま、地元の別の歯医者に通うことにした。
そこの先生は評判もよく、若く優しかった。
でも、歯科助手が顔はいいけれど性格が・・・・
毎回、助手や受付の態度がつっけんどで嫌だったので、大方の治療が済むと止めた。
そして、5-6年の歳月の間にまたもや歯は悪化し始め、今の歯医者に至るのである。

歯医者を選ぶ際に、例のHの旦那の同級生のやってる歯医者を勧められた。
でも、遠いことを理由に断った。
本音を言えば、「お前に治療されたくないんじゃぃ」なのだが。
一応、Hには「あの人の性格が嫌い」とは言わず
「知り合いに、この歯を見せるのが恥ずかしいから」
といったのだが、この話からますます、その同級生歯医者が嫌になった。

やはり、Hも歯が痛んだ際に、同級生のところへ来るように言われたらしい。
確かに、同級生同士なので、安く治療してくれるのだそうだがHも
「恥ずかしいから」という理由で断ったそうだ。
すると、その同級生歯医者はこう申したそうだ。

「俺に見られて恥ずかしいってことは、
俺を男として意識してる証拠だな。

私は、ア然とした。な〜んて、自意識過剰なとっちゃん坊やだろう?と。
だって、風貌がマッシュルームカットの松木(サッカー元ヴェルディの監督)なんだもの。
私は、Hに言った。
「は?例え知り合いが女であっても、知り合いに口の中を見せるのは嫌だよ」
と。しかしだ。彼女から返って来た言葉は
「あ、そう?私は女だったら平気だな」
だった。。。
自ら、そのとっちゃん坊やを「男として意識してる」と認めているらしい。

そうなのか?私が変か?
性別関係なく虫歯の口中を見せるのを恥ずかしいと思う私が変か?
どうせ見ず知らずの歯医者だったら、女性よりも男性の方が恥ずかしくないかなぁ・・・と思う私が変か?
いちいち、口の中を見せることに【異性を意識する】なんてものを盛り込むヤツ等の方が、いやらしくて嫌だって思うのは私だけなんだろうか?

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2002年11月11日(月)

フック船長

歯医者に行って来た。
今は、比較的気楽な気分で歯医者に通っていられる。
なぜかと申せば、神経が無い歯の根の治療だからだ。

どの歯かと言うと、右の下の糸切り歯の後ろになるのだと思う。
そう、平ったい歯から臼上の歯になる途中の形の歯だ。半端なヤツだ。
居る位置も半端なせいで、ちゃんと磨かれない事が多い不憫なヤツだ。
前に書いたかどうか記憶が定かじゃないので、同じ事を書くかもしれないが。
実はこの歯。もう、6年ぐらい前かもしれない。治療した歯だったのだ。
その際に、とても親切で優しい先生が、なるだけ本来の歯を残してはくれていたが、1/3は銀歯になっていた。

ある日、その半端な歯の部分に物が挟まっている感じがして、ムキになって楊枝でクリクリとっていた。
すると、一気に詰まっていたものがとれて、見事なスッキリ感。
歯にもやしが挟まって取れた時のような、便秘が出てスッキリしたような、妊婦が子供を産んですっぽんって・・・
それは知らないけど、とにかく「あ〜〜っすっきりぃ〜〜っ」と声に出したいくらいの気分だった。

そりゃそうだ。その開放感は当然だった。長年詰まっていたものが、取れたんだから。
歯がポッキリ折れて取れたんだからっ(号泣)

どこまでも、不憫な歯である。
そんな訳で、長年嫌がっていた歯医者に通うことを決心する事になったのである。
ところが。夏ごろになって、急激に仕事が忙しくなり、ついでに夏バテだかもあって体調が思わしくなくなり、その半端ものの根っこだけ残った治療をしてる途中で歯医者を中断していた。
そして、ある日。
またもや、「や〜〜〜んっ!スッキリしたでないかいなっ」感を味わったのである。

そう。
今度は、根の治療をして詰め詰めしていた仮詰めのものを、またもや楊枝でポコンと取ってしまったのだ。
それから数日間。歯医者の予約がとれるまで、私の口の中は薬品の味で一杯だった。
詰め詰めされてた脱脂綿だかなんだかが、徐々に溶けるという現象に悩まされた。

あれから今日は二回目の治療の日だった。
治療自体は痛くは無いのだが、なんせ、神経が無いとは言っても歯の根っこに金属をいれて、何やらクリクリギリギリされる。
もう、鳥肌が止まらないくらい、不快なものだ。
その治療を始める時に、必ずあるものが口に引っ掛けられるのだ。
そいつは私の空けた口の左側に、まるでハンガーをかけるかのように、徐に引っ掛けられる。
引っ掛けられたまま、治療が終るまで外してもらえない。
吸い取るバキュームかと思いきや、途中で活躍するシーンも無い。

横になっている私は、その代物がどんな形状であるかを確認したことが無いし、ましてや「それ、何ですか?」と聞くことも出来ない。
そいつが引っ掛けられると、金属のひんやり感がする。
最初は、「まるで釣られる魚になった気分だな。」などと思っていた。
でも、痛くは無い。釣り針だったら、さぞかし痛いことだろうと魚を思いやる。

そりゃぁ、歯医者の人はそんな物が引っかかってる患者を見慣れているかもしれない。
でも、想像してみたら、なんてマヌケな姿なんだろう?
人間が口をパカー開けて、フックをかけられている姿・・・
まるで、
ピーターパンの『フック船長』が口からぶら下ってるみたいじゃないの?


そう思ったら、ちっと可笑しく楽しくなった。
でも、よくよく考えたら、ますますマヌケで悲しくなる自分も居た。

そんなフック船長がぶら下った私に、歯医者さんが言った。

「ちょっと響きますよ。」

ちょっとなら、別にいいやと構えなかった。現に、ちょっとだったから。
次に、またもや歯医者さんは言った。

「今度は詰め物しますからね。痛くて我慢できなかったら左手上げてください

この言葉で、一瞬何をされるのか恐怖が走った。
でも、神経が無い歯だ。大したことではないだろうと鷹を括っていた。
次に歯医者さんが武器を持って口に近づいてきた所で、助手の人が言った。

我慢してください。我慢してください。

二度も言われた。
我慢してください。前置きをそんなにされたら、余計に怖くなるっつーに。
これは、確実に痛くなりますよ予告では無いかっ!
思わず、恐怖で口が勝手に閉じようとしたらしい。
が、それを「フック船長」の重みが「あんた、口動いたから」と教えてくれた。

途中でも、先生が「大丈夫ですか?」と聞く。
聞かれると「本当は痛いはずなの?」と怖くなる。
大体、聞かれたって返事は出来ない。声をだしたら治療の液体を飲んじまうし。
首を振ったら、先生の手の武器で他の場所を怪我しちまうかもしれないし。
仕方なく、小さくかすかに頷くと安心したのか、先生の武器に一気にぐぐっと力が入った。


イ゛デェェェッェェ


思わず、私の口から「ガゴッ」という意味不明な音が出た。
痛かったよ。確かに、予告通り痛かったよ。これを教えてくれてたんだね?先生。

実は、今日こそは「フック船長」の正体を見てやろうと心に決めていた。
だけど、治療が終った私は痛さの為に放心状態であり、レントゲンを撮るというので忘れてしまったのだ。

次回は、また一週間後。今度はやっと型を取るだけらしいので、楽勝のはずだ。
次こそは、フック船長の正体を確認したいと思う。

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2002年11月08日(金)

陽気のせい?

今朝の生ぬるい陽気のせいだろうか?
電話をしてくる約2名の様子がことごとくおかしい。

まず。
社長殿から、朝一に電話があった。
「もしもし?」と出たものの、いつもの如く聞こえてくるのは
カチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャ
頼むから、キーボード打ちながらハンズフリーで電話してくるなっつーの。
「おーいっ!電話でてるってっ!」
と呼びかけると、ガチャっと耳障りな音と共に社長が出て

「ぁ・・・ごちそうさまぁ〜」

と言われた。
「何もご馳走してないし」と、疲れた声で突っ込むと
「いやぁ〜、挨拶も、毎朝のことだからね。色々とね」
と、これまた訳の分からぬことで、煙に撒かれた。

その後、お相手が午後一に電話をしてきた。
ヤツは夜勤明けで、3-4時間しか眠ってないハズだ。
出た途端に
「もしもし。ワタシだ。」
とおもむろに無い貫禄をつけて威張っていた。
先週の電波少年のビデオがどこにあるか?というだけの下らない事を聞くために、ヤツは何故に威張っていたのかが気になる。
そして、またもや唐突に

「今晩は、秋じゃけのワカメ煮だからね。」

と言われ、一瞬、
「ワカメで煮た秋じゃけ?」はて。何じゃろ?
と頭の中で実は、さざえさん家のわかめちゃんを一人で想像し、
それじゃ「わかめが煮た秋じゃけ」だしと自分で突っ込んでみる。
大体、しゃけを煮るなんて不味そうだと、よくよく聞き返してみたら
「秋じゃけのワカメ蒸し」の間違えだったらしい。
どっちにしても、今夜の晩御飯はそれが出来ていて、私が食べるそうだ。

昨日は昨日で、ヤツは
「今晩の夕食は、お鍋だからね。お肉と野菜が冷蔵庫にあるからね」
と言い残して夜勤に行った。
遅くなって行ってみると、ちゃんと昆布で出汁を取った土鍋が置いてあった。
しかも、冷蔵庫には、ちゃんと刻んだ白菜とネギも皿に盛ってある。
ヤツの中で、一体全体、何が起きているのだろうか?不信だ。

まぁ、とにかく。今日の私は忙しかった。
途中で社長に、メールを送り「どう?」と電話をしたところ
「今、エコエコアザラク観てたんだよ」
と言われて、仕事をする気力が一瞬失せたが頑張った。
そう言えば、先週末も急ぎのはずの仕事があり電話した際に
「これ、週末じゃだめ?」と社長に聞かれ、それは何故だ?と問い詰めると
「さっき床屋に行ったんだけどさぁ、調子悪くてね」
と、髪型のせいで仕事が出来ないと言われた。甘えるなと一喝したところ
「だって、今日はゆっくりしたい気分なんだもんっ!」
と、駄々を捏ねられ、仕方なく了解してやった。

そんな社長を相手に私は、今週も多忙ながら、無事終えたことになる。
先ほど、本日最後の仕事だと言われ、見積を社長に送った。
印刷については、見本が無いので細かい値段は出ないと報告。
「とりあえず一番高い値段で送っとくよ?」
と言った私に社長から返って来た言葉は

「まぁ、これも縁起もんだからね」

わからん。見積に縁起担ぎしてどーすんだろ?この人・・・
下らない事を申すので、少々ツッコミを入れてやると
「俺は、今日、忙しいんだよっ」とのたまう。
「私は、これで本日の業務は終了です」と答えると、
「それは、俺も一緒だ」と威張られる。
「じゃ、なんで忙しいのさ?」と聞き返すと
「これからメシ食って、道場行って、それから、飲み会だっ!」と申される。
「ああ、それは大変だ。それは忙しいなぁ・・・」とあきれつつも同意してやると
「そうだろ?飲み会だよ?」と嬉しそうであった。

どうやら、今日一日の社長の変さ加減は、飲み会がある故のハイテンションだと思われる。
じゃぁ、お相手が料理をせっせと用意しておく理由はなんだろう?
昼間、家に居られるのがよっぽど嬉しいのかな?

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2002年11月07日(木)

誉め言葉

今日中だという仕事7点・・・・・・
客先の都合にて昨日から待っているのに届かず。
普通、今日中というのは終業時刻だろうが、私の仕事の場合は0時まででも今日中。
ちっ。徹夜かなぁ・・・・・

このところ、フリーダイヤルの着暦が頻繁に残っていた。
昨日も夕方まで仕事待ちでぬぼぬぼしていると、そのフリーダイヤルの番号で電話が鳴った。
「○○○スクールですが・・」いわゆる、セールスの一種だった。
最近、思うのだけれど。
学校やら企業やらに資料を請求する度に、この手の「その後どうですか?」電話が多くなった気がする。
以前は、資料が届いてもこちらから反応しない限り営業活動は無かったような。
これも、不況のせいかな。

特に、学校関係で営業の電話を貰うと、穿ちな私はすぐに嫌になる。
「金儲け主義かぁ?」とついつい思ってしまうので、そういう学校には通わない。
昨日の電話は、ハキハキ口調の姉ちゃんだった。
「あるひさんは、ご在宅でしょうか?」との問い掛けに
「私です」と答えると
「あ、ご本人様でしたか。失礼致しました。」と返って来た。
ここまでは良い。普通だ。

「あまりにも、声がお若いもので・・・」

なぜかしらんが、その姉ちゃん。言い訳開始。

「資料でお歳を確認してお電話したものですから・・・」

「妹さんかと思いましたっ」



・・・・・・


悪かったねっ!30代の声じゃなくてっ!


その姉ちゃんは、その後もひたすら
「声が、お若いんですねぇ・・・」と誉め言葉を連発しておった。
ひとしきり、褒めちぎり作戦が終ったところで「その後、如何ですか?」が始まった。
最初は何やら普通に丁寧な口調だったのだが、声の主が私と分かった途端に、馴れ馴れしく変わっていった。
問い掛け方が、一応は「です・ます」調を交えてはいるが、まるで先生と生徒のような感じなのだ。
暇を持て余していた私が、いつもよりも丁寧にお断りの言葉を述べる度に

「うん。うん。」「じゃぁ、〜なの?」

と、あきらかに。ああ、あきらかに、年下相手に喋ってる口調になっていた。
大体、普段から私は、私の話しにいちいち大袈裟に思える程に
「うん。うん。」「へ〜」「わかるわぁ」
などの反応するリアクション大の人間は好きでは無い。
お前、本当に聞いてる?本当に分かってる?と、返事をされているにも関わらず、疑いの眼を向けてしまう。

大体、いつもこういう事が多い。
声しか知らぬ相手にとって、私は「たやすく扱える相手」になるのだと思われる。
バカにされてるのか、ナメられてるのか、単に親しみを感じてくれてるのかは分からんが。
まぁ、声だけで怖がられるよりはマシだと思っておこう。
私は私で、声を聞いた途端に口調が変わる人間に対し、半ば楽しむ心境だ。

大体、30代の人間に対して「声がお若いですね」という誉め言葉って、びみょ〜だ。
50・60代になって言われたら、きっと私は喜ぶかもしれないが。
例えば。30代の女性に「28歳ぐらいかと・・・」って言うのは、○だと思う。
でも、「24-5歳ぐらいにしか見えないわぁ〜」と言われると、それは×だ。
人によるとは思うけど、28歳ぐらいであればそれなりに落ち着きがあり、且つ若いという印象を私は持っている。
でも、24-5歳に見えるなんて、要は私に落ち着きが無いっつーこと?と思えてしまう。
30代の私心は複雑なのだ。大袈裟に誉めたところで、返って不信感を持つだけだ。

そんな複雑な心模様の私が、最も楽しくなる誉め言葉がある。
これは、あきらかに【お世辞】としか思えないから、もう〜、ツッコミたくてウズウズする。

私の母は、夜だけ飲食店をやっている。飲み屋では無い。
そこへ来てくれるお客さんの中には、両親のちょっとした知り合いも多い。
そんなお客さんの時には、母上は、フルーツやらつまみやらとサービスも多くなる。
両親の知人だからして、厨房に入っている私も、出来る限り出て行ってご挨拶をすることにしている。
そこで、母上が、「娘なんですよ」とお客さんに教えると

「いやぁ〜、お母さんに似て、美人だねぇ」

と、今まで2-3名のお客さんが褒めちぎって下さったのだが・・・

それは、無理っ 無理すぎっ

母上は一重だ。もしかしたら奥二重かもしれないが、歳によって一重で細目だ。
私は、これでもかっ!というくらいに、くっきり二重で目もデカい方らしい。
母上の鼻はスッとしている。しかし、私の鼻はダンゴだ。丸い。
母上の唇は薄い。しかし、私はどちらかといえば、ぽってり唇だ。
顔のパーツだけでも、これだけ違うし、体型も正反対なのだ。
どこをどうひっくり返して考えても、これほど似ていない親子は居ないだろう。
だって、だって、だって。


DNAが違うんだからっ


この日記をずっと読んでらっしゃる方は御存知の通り。
私と母上は、血のつながりが無い。似ようにも、似れないっつーの。
一緒に暮らせば似てくるとは言えど、パーツが違いすぎる。
毎回毎回、この「お母さんに似て〜」を聞くたびに

「いえいえ〜・・・」と言葉尻を濁しつつ「ん〜〜〜っな訳ね〜だろがっ」という言葉を飲み込む私。

仕方なく、そのお客さんが帰えった後で母上に
「血が繋がってないのに、似てるわけね〜じゃんなぁ?」
とツッコミを入れ、母上と二人で笑っているのだけれど。
この時点で既に「美人」と言われたことは、スっ飛んでしまっているのだ。
せっかくの誉め言葉が台無し。

思うにね。
母上が娘だって言わなかったら、そのお客さんもツッコまれなくて済んだのにね。
いや、誉めてくれたんだから、これからもお客さん本人にツッコんだりはしないけどさ。

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2002年11月06日(水)

落し物

昨日、朝、我姉妹から「母上は旅行だ」と聞いたつもりだった。
つもりだったのに、午後になって実家に電話。出ないので、携帯へかけ
「おかん?どこにいんの?」と尋ね、
「どこって、旅行来てんのよ」と言われ、
ああ、そう言えば、そんな事を数時間前に聞いたばっかだったなぁと思い出した。

父上は、アウトドア派だった。
休みともなれば、家族で海へ釣りに行ったり、山へキャンプに行ったりしていた。
今の私からは誰も想像してくれないが、おかげで私は自然児状態の子供であった。
夏休みには、母上の田舎である気仙沼まで車で帰省していた。
あの頃は、まだ高速も今のようには繋がっておらず、十何時間かけて行った。

パーキングエリアでの忘れ物というと、何を思い浮かべるだろうか?
私の記憶の中では、駐車場に置かれた靴がNo.1だ。
しかも、大抵の置き去りにされた靴たちは、綺麗に駐車場のラインに垂直に並んでいる。
時には、片方だけが転がっている場合もある。
もしも、こんな靴↓を見たことがある方は御一報を。
      
それは、私が落として行った靴だから。

靴なら、無くしても可愛いものだ。
母上なんぞ、数年前。父上が買ってくれたダイヤの指輪を無くして来た。
母上の想像では、山からの湧き水で、愛犬の為に水を汲んだかタオルを洗ったかした際に、うっかり流してしまったとか。
ハッキリ申せば、「うっかり」などで済む金額の品じゃぁない。
拾った人が質屋に入れても、ん十万は確実に手に入っただろう。

そんな両親が、従業員の人たちを連れ、恒例の旅行へ行った時のことだ。
父上は、従業員のOさんと温泉へ行き、部屋へ戻る途中の廊下で落し物を発見した。
なんと、女物の下着。おパンツを

父上という人物は、出張に電車で遠出すると、必ずアメ横によってくる。
何を買ってくるかと申せば、母上へお土産を買うのである。
それは、口紅であったり、時にはネックレスの類であったり。
父上は、女性物売り場で買物をすることを、何とも思わない人なのだ。
よって下着なぞを見ても、「あらら。落ちてら〜」ぐらいの心境だったと思われる。

きっと、温泉に行く途中で落としたに違いない。
そう思ったか父上は、その【落としパンツ】を拾い上げ、更に親切な事に、階段の手摺にかけておいたそうだ。
そして、そのまま部屋へ戻り食事&宴会。
その夜か、翌日かは分からない。
母上が、父上に
「私ったらさぁ〜、ドジやっちゃって」
と毎回恒例のドジ暴露が始まった。母上のドジは、昔からなので慣れっこである。

「温泉から出てきたら、パンツが無かったのよ。

ん?パンツ?

「で、持って来たはずなのにさぁ、落としちゃったのかなぁ?って思ってね。」

ん?落とした?

「そしたら、部屋に戻る途中で見つけてね。
 それがね、階段の手摺にパンツがかかってたの。
 親切な人が、拾ってかけてくれたのかしらねぇ?




・・・・・・・




拾ったのは、俺だっ!




いやいや。なんとも、美しい話である。
旅行から帰って来た父上は、それはそれは、嬉々として
「あいつ、旅館でパンツ落として行きやがってよぉ〜」
と娘に報告しまくっていた。

そんな母上が、今回、父上が亡くなって以来の従業員さん達との旅行に出かけていたのである。
今度、パンツを落としても、拾ってくれるのは他人様だ。
娘としては、少々心配なのであった。

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2002年11月02日(土)

父上の誕生日

11月2日生まれ。さそり座のAB型。同じ誕生日の有名人:深田恭子。
父上のプロフィールである(笑)

ってことで、墓参りに夕方になって行って来た。
前日に、母上から電話はあったものの、一言も「明日墓参り行くの?」とは言われず。
本格的に、母上は父上の誕生日を忘れ去っている模様。
父上は、68歳になった。

前日に買っておいた花と好物のウーロンハイを持って墓につくと、どうやら誰かが来た模様。
おかしなもので、墓参りの仕方一つで、母上であるか他の誰かであるかが分かるものだ。
お線香の色がピンクだった。お酒は無い。先月の23日から、花は変わって無い。タバコも無い。
変わりに、父上が食べ無そうなお菓子が二つ。好きなココアがポツンと置いてあった。
母上では無い。じゃぁ、誰?
「おとん、誰来たの?」と、私は、母上が先月上げた菊の上に止まって動かぬバッタに話し掛けた。

どちらにしても、気の効かない人間が墓参りに来たことに変わりは無く。
私が先月上げた花はガーベラであり、それらは枯れて、水も腐ってしまった様子であるにも関わらず、変えて貰えなかったようだ。
一応、墓石の天辺が濡れているので、水をかけるということは知ってる人物らしい。

水組場を二往復して、水をかけ、お花を供え、線香に火をつけ、タバコに火をつけ、やっと落ち着いて父上に話し掛けようとしたところで、お寺の住人であるお婆ちゃんが現れた。
このお寺さんは、とても古く、お坊さんは今は居ない。
お寺さんの家には娘しか居なかったそうで、お婿さんに迎えたお坊さんが亡くなられてしまったそうだ。
ってことは、今、私の目の前に居るのは、お寺のお嫁さんの実の母親って事だろう。
「こんにちわ。お世話になってます」と挨拶をすると
「よく、いらっしゃるわねぇ」と言われた。
「今日は、誕生日なんですよ」と答えると、お婆ちゃんはヨレヨレしながら近寄ってきて、

「あたしゃなんて、なかなか逝けなくてねぇ・・・」

と呟いた。
これこれ。この台詞。年寄りからよく聞くのであるが、相手の立場を考えて言ってもらいたいものだと思う。
「な〜んで、こんなに早く居なくなっちゃうかなぁ。。。」と悲しむ遺族の前で
「早く逝きたいよ」と平気でほざくのは、普通に考えたらどうかと思うのだけど?(笑)
父上の母親は、もう90をとっくに超えている。その婆ちゃんがピンピンしている。
父上が亡くなってから、婆ちゃんの口癖は
「早く、迎えに来ておくれ」
だそうなのだが、きっと、父上は嫌がっているに違いない。
アンタがきたら、俺はゆっくり休めないとでも言ってると思う。

「そんな事おっしゃらないで。まだまだお元気で居てくださいよ」
お寺さんのお婆ちゃんだとなんとなく分かる程度の、はっきり言えば見ず知らずのお婆ちゃんに社交辞令を返す私。
話し掛けたことがいけなかったのか、お婆ちゃんは愚痴り始めた。

「稲刈りするって言ったって、こんなんじゃ、まだじゃないの」

稲?墓に稲?誰もが不思議に思って正解だ。
父上の墓の側に、発泡スチロールの四角い箱二つ置いてある。
確かに、そっからニョキンと生えているのは、稲に見えるっちゃ〜見える。
どうやら、それらしい。
っつーか、「稲刈り」などとそれは呼べないと思う。
刈るっつーのは、カマで刈るってことで、それの場合は、はさみでチョキる程度だろう?
とか無意味なツッコミを内心で入れつつ
「ああ、まだ早いみたいですねぇ・・・」
仕方なく、愛想を振り撒く私。

そして、更にお婆ちゃんの愚痴は続く。時刻は夕方16時半頃。夕暮れ時だ。

「まったく、こんな時間まで帰って来ないのよ」

唐突すぎて、何処の誰の文句だか、一瞬分からない。

「一体、どこで何して遊んでるんだか、ねぇ?」

同意を求められても、非常に困る。
どうやら、帰ってこない娘のことを愚痴り始めたらしい。
仕方が無いので、ハハハハハハと乾いた笑いを返すと、尚もお婆ちゃんの愚痴は続く。

「稲刈りするったって、これじゃぁ、刈れないじゃないの」

どうやら、振り出しに戻ってしまったらしい。
困り果て、張り付いたような笑顔を返す私を尻目に、移動しながらもお婆ちゃんは何やら文句をたれている。
どんどん歩きながら言うので、遠くに行ってしまうと何を言ってるのか分からない。
仕方ないから、姿が木陰に消えるまで、文句を聞いてるフリをしてお婆ちゃんを見送った後、
「これじゃぁ、タバコも吸った気しね〜よな」
と、もう一本タバコに火をつけ、父上に上げた。
すると、消えたハズのお婆ちゃんがひょっこり顔を木陰から出し

「まったく、こんな時間までどこ行ってるんだろ〜ねぇ〜」

と、また遠くから声を大にして話し掛けてきた。
仕方ないのでこちらも少々デカい声で
「ちょっと、遅いですよねぇ?」
と、まだ夕方だけど、まだ16:30だけどと思いながらも答えてあげた。
そして、父上に
「落ちつかね〜から、帰るよ。また、16日に来るからさ」
と言って手を合わせた。
きっと、困ってる私が相当おかしかったに違いない。
そんな私を、菊の上に乗ったバッタが、じっと動かずに見上げていた。

帰宅してから、母上に電話をすると、墓に来てたのはどうやら我姉妹2号らしい。
どうりで気が効かないハズだ。
2号は、今年に入って月命日は愚か、お盆にすら顔を出さなかった。
だからきっと、
「おいっ!珍しいヤツが来たぞっ!」
と、父上は言っていたに違いない。

そう。あのバッタはやっぱり、父上だったかもしれない。

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2002年11月01日(金)

待つ女

雨です。寒いです。
毎月のように訪れる2週間の絶不調週間に入っており。ロクな事を考えません。

先週だったか、カーラジオでガぜボの「I like shopan」が流れてからというもの、
私の頭から離れてくれず、思い出すたびに口ずさんでいます。
勿論、英語は歌えません。
そう、この曲。
小林麻美が『雨音はショパンの調べ』として歌った歌です。

♪耳をふさぐ 指をくぐり 心しびらす あまい調べ
 とめて あのショパン  
 彼にはもう 逢えないの ♪

まさに、今日にふさわしく。
ええ。ええ。今の心境にしっくり来過ぎて涙ぐむくらいです。
そう。あの方から「今日から中国へ遊びに行って来ます」というメールをいただき、返事を出してから、一ヶ月半も経ちました。
初めて出会ったのが高3の6月。あれも、雨が多い時期でしたね。
あれから、数年の音信不通を経て、ここ数年、よく飲みに誘って下さるようになりました。

あの日のあのメールを頂いた時、タイミング悪く、私は高校時代の友人と電話中で・・・
ついつい、その友人にそそのかされて、余計なメールを送ってしまったのです。

あれから・・・・・・・パッタリと、音信不通になりましたね。

・・・・・・・・

いやいや、この歌詞ほど恋焦がれて、その方に「恋」してる訳では無いのですがね。
ああ・・・でも、この方に、もう、会えないのでしょうかねぇ・・・残念です。

そう。私には、あのお方以外に。
いや、それ以上に、心を支配され、待ちわびている事があるのです。
ここ数日、周りが口々に慰めてくれるので、ついつい忘れたフリをして過ごしてしまいました。
でも、心の中のどこかでは、常に貴方のことを気にかけている自分に気付きます。

♪Rainydays 断ち切れず 窓をたたかないで   
  Rainydays 気休めは麻薬 Ah。。♪


・・・・・

忘れたフリなど、そういつまでも、続きません。
私は、いつでも、貴方の影を探して毎日を過ごしています。

♪Rainydays 断ち切れず 影に振り返れば
 Rainydays 黄昏の 部屋は Ah。。♪ 

・・・・・

貴方の為に、私は日曜日に新たな品を購入しました。
季節は秋。焚き火をしてキャンプしたり、バーベキューしたり。。。
アウトドアなハズの貴方には、もってこいでしょう?

だから、私は バーベキュートング を買ってきたんです。
このバーベキュートングは、400mm もあるんです。
400mm ってことは、40cm。30cm のものさしよりも、長いんです。

だって、貴方が御出でになっても、私は近くに寄る事も叶わないのですから・・・

でも、でも、今度は、絶対に逃がさない覚悟が出来ておりますっ!
近寄る必要は御座いません。遠くからでも、貴方を追い詰めて見せますともっ!

私は、心より、貴方が御出でになるのをお待ちしているのです。

バーベキュートング(400mm)と小型強力掃除機を用意して。


ええ。準備万端です。いつでも来いです。
バルサンも先延ばしにして待ちわびています。

だから、早く出てきてください。

大ムカデ様っ!

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