寺本写真館職員日報
寺本写真館



 理系。

気づけば大学3年目のシーズンもそろそろ佳境です。
ついに周りの奴等は就職活動を本格的にはじめだし、スーツでの登校もボチボチ珍しいものではなくなってきました。

そんななか。

相変わらず暇さえあれば寝に入る生活を今も続けています。
相変わらず休みの日は隠居です。
勉強なんて微塵もしません。
テストなんてしりません。(一つは逃げました。)
一応学校には行っていますが、何もせず帰ってきてます。

えぇ、無駄に定期を使っていますとも。
こうでもしないと元が取れないんです。

さて。
ワタクシの(一応)通う理学部地球惑星科学科では、4年次にそれぞれが各研究室に配属になって、研究活動をしながら卒業に備えたり大学院に向けて勉強したりするわけです。
で、昨日。
その研究室を決める日が訪れました。
4回生の一年間(院に進学する人にとってはさらに数年先まで)を決める重要な日です。
ワタクシの行くことになった研究室は「太陽系物理学研究室」
例年ならば定員をオーバーするために毎年じゃんけんがおこなわれるという人気研究室ですが、今年は見事にみんな牽制しあって、闘争は起きませんでした。

しかしまだまだ心配も尽きません。
この研究室、2003年度のCOE(国が決める優良研究機関)にも選ばれる、とても大きい研究室です。
そこに配属された、枚方代表の阿呆一匹。
「ちゃんと学校に行けるだろうか。」
と気にせずにはいられません。

まぁどうにかなるよ。
4回生になったら、あんまし学校に行かんでもいいらしいし。
(ダメ大学院生からの有力情報)
寺田が夢に向かっていくのなら、俺も這いつくばってやろうじゃないか。
あぁ、そうさ。
寺本はそろいもそろって人生の賭けにでたってことさ、ジョニー。(誰

ってなわけで、この春休みが大学生活最後の長期休暇になりそうです。
寺田、春季キャンプの準備だ。
写真とるぜ。

ほんだ

2004年01月30日(金)



 試験2時間前。

昨日、うちの大学の校舎の一つである、「以学館」地下と、
河原町にある「カメラのナニワ」の匂いが非常に似ていることに気づいた、ちょっと鼻の調子が悪いてらだです。

でもホンマに似てるわ。
R大学をご利用の際は、是非帰りにカメラのナニワに少し寄ってみるのもいいかもよ。

さて、世間一般の皆様は試験真っ最中だとか。
もう終わった人もいるみたいですけどね。
えぇ、僕も真っ最中ですよ。どうせそうですよ。
しかし、そこはご安心を。

希望とは、それなりに努力した人のみが、持つことのできる楽しみなのである。

OK謎は解けた。どうりで俺は何も持ってないんだ。

今回の試験は一瞬勉強した日もあるけど、何故か勉強をほとんど要しない試験が多いようで、
例えば、
講義の内容から、自分で質問を作って、それについて自分なりの回答を求められるレポートだとか(その回答は間違っていてもよい)、
しかもそれ、A4一枚で収めなければならない、ある意味
度胸試しのような課題もあったりするのよ。

まぁそれでさえ、友達のレポート内容の語尾を少しいじっただけのものを出してる俺は、人間としてどこか間違ってる気もするけど。

大学生の皆さん!あなたも
人から借りたプリントとかで勉強して単位が取れたり、95%インターネットからコピー&ペーストで作成したレポートで単位が取れたときの、あの何ともいい難い、非常に微妙な喜びを知ってるでしょ!

それに溺れてしまって、どうしようもない人もいるのです。

今回は5つ試験を受けるけど、その内3つが、あらかじめ問題でてるしね(1つは完全に持ち込み可)。

なんだ、余裕じゃないですか。
今日の試験も問題わかってるから、昨日家でちゃんと回答作ったしね〜。

失礼な、今回は100%自分の力。
インターネットで情報を収集したのも、それを全部ワードにコピペしたのも、できたものに若干の達成感を覚えたのも、全部自分の力ですよ。

それを今から覚えるんです。

では行ってきます。

細く補足:今回の日記はだいぶいい加減なことを書いてますが、全てが自分のことを書いているわけではないのです。
多少おもしろおかしく書いてみたい衝動にかられてしまっただけです。

では行ってきます。

2004年01月29日(木)



 試験勉強。

やっぱり色々と考えた結果、やっぱり大学は出ておいたほうがいいのかも、という結果に落ち着きそうなダメ大学生てらだです。

ん〜ほんとに色々と考えたけど、親にも迷惑をかけられへんしなぁ、というのが、一応休学を止めようと思った原因になるわけですが。

でもカメラの道を諦めたわけじゃないのでご安心を(誰に?)

むしろ、カメラで何十年も生きていこうと思ってる人間が、大学の4年間を過ごせずにどうするんだこらぁ!
と自分に言い聞かせてるだけやけどね。

やっぱりカメラ一本で頑張りたいけど、
そう甘くないと思う社会は。

本田も休学って言うてるし、旅とか出れたらおもしろいかなぁとか思ったけど。


さて、そうとなったら勉強勉強!
今は試験期間中やし、学生らしく勉強しなきゃ!

明日の試験は何々…
ほほぅ「近代政治思想史」ね。
これまた難しそうな。
ちなみに1回も講義出てません。ていうか学校にも行ってない不登校生徒でしたから。

何々…
さー、明日は休みだし、今日は徹夜で勉強するぞーっ!
えーっと、プリントもあるぞー!暗記は得意!何々……?


人間は自由である、という近代的な意識が強まり、それに基づく国家論は、先に見ましたJ.ロックの思想に代表されるように、それまでのプラトン以後に提唱されてきた国家論とは正反対のものとなりました。
かつては、人間は国家によって生きることができるのだから国家に従属するべきであり、国家的な権威は絶対的であり、それだけに、プラトンは国家のあり方を問題にしましたし、中世では、国家的権威は神聖視されました。
しかし、近代の人間の自由な権利(本性として自由であるという自然権)の意識は、国家を国民による契約によって成立するものという認識を生みだし、さらには、国家は人々の間に秩序を維持する責任はあるが、国家の個人への干渉は最低限のことに限られるべきだという主張を生み出しました。
こうして、国家論としての「自由放任(レッセ・フェール)」の思想が芽生えたのです。国家は、集団の安全を脅かされない限り、個人には不干渉であるべきで、国民はあらゆる点に置いて自分の自然権を行使できるという考えへと向かったのです。
近代的自我意識や自己意識は、こうした、社会的形態の変革の中で、自由国家の成立と不可分に発達しました。
経済分野での活動も、社会は最小限度の干渉しかすべきではないということが明確に打ち出されました。
一方、18世紀フランスを代表する啓蒙主義のヴォルテールは、3年間ほど渡英したこともあり、イギリスの自由思想の影響を受けましたが、人間の自由を全面的に養護することはありませんでした。
彼自身は、自由を大事にしましたが、それは啓蒙された知識人だけの自由であり、「無知な烏合の衆」は抑制が取り除かれると危険な存在になり、下層階級の人々には自治能力はないと考えていました。
だからこそ、彼は「啓蒙」ということを主張したのですが、彼の膨大な仕事には、そうした貴族趣味が漂っています。
これに対して、ルソーは真っ向から異議を唱えました。ルソー自身はヴォルテールのようには社会的境遇に恵まれなかったのですが、彼は、すべての人間の自由と平等を唱えました。
彼は、それまでの代表制による政治を廃して、すべての人民による直接民主制に基づく政府を創ろうとしました。彼は、ロックの民主政治の理念を受け止めて、特権階級によって支配されることを拒否し、社会的な事柄の付属物を取り去り、自然に帰ることを主張したのです。
自然社会の基礎は「社会契約」であり、その契約によって、個人の自由は法的に守られるべきで、主権は常に人民にあり、人民からそれを取り上げてはならないと論断しました。彼の『社会契約論』は、そうした主張の集成ですが、その中で、政府は単に人民の意志を実行するに過ぎず、人民はいつでも政府を解散して、別の政府を作る権利を持つ、と語ります。
このルソーに見られるように、近代の思想家の多くは、人間の真の自己は正しい社会集団の中で初めて実現されるのだから、社会は個人の人間の自己実現のために奉仕すべきであり、また、社会は人間が自己実現させるための最善の生活形態であると信じていました。
個人の自由を最も尊重しましたが、それによって非社会的になったり、反社会的になることはなかったのです。人間は仲間と共に生活をすることによってその個性を発揮させることができるのであり、他の人と共に生きることによって、初めて、その自由の意味を知り、他者との間の抑制によって、自由の意味を理解できると考えていました。
だからこそ、正しい社会集団を求め、自由が最も多い集団こそが最善のものだと考えたのです



………パサッ。(プリントを落とす)


(友達にもらったプリントが間違ってないか内容を確認)


(ため息)


(試験まで何時間か確認しようと時計に目をやる)


(涙目)



………。



とりあえず気分転換にワンピース全巻読破します(32巻)

2004年01月28日(水)



 その後。

しっかりと水分と栄養をとりましょう。
流行のインフルエンザから生還しました。
一日半で体温を40度→35度5分まで下げました。
えぇ、阿呆につける薬なんてありませんよ☆
もうぴんぴんしてます。

一昨日は寺田が
女性ファッション紙回収します
と申していました。
「そんなもの、年末に一斉処分したわよ!」
なんて声も多数ありましたが、彼はめげません。
女性のみなさま、ご協力よろしく。
(なお男性ファッション紙を送ってこられた場合、寺田氏が発狂するおそれがあり大変危険ですので、絶対におやめください。)

で。
わたくしですが、家庭教師の生徒も風邪、おいらも風邪だったということで一週間働いていません。
…お金ないねん。

寺田氏がいろいろと頑張っている間、ほんだも戦っていたのです。
(今度は金欠と。)

さぁ、レポート後あと3つ。
うち2つは今週が提出期限です。
…はいはい、やりますよ。

ほんだ

2004年01月25日(日)



 古本回収始めました。

昨日はツタヤの友人と軽く呑みに行って、その行き道にあった
簡易スケートリンク(水たまりが凍ってただけ)で
おおはしゃぎしてしまった心はいつまでも18才なてらだです。
(そろそろ苦しいか)

あんまりそのカメラマンになれるかも!て話をすると、
くどくなってしまうけど、今日は少しだけさせて下さーい。

昨日は初めてのカメラのレッスンでした。
(どうやら研修、セミナーとは言わないらしい)

自分の中の第1回が終わってみて、はっきり言えるのは
「めっちゃ不安になった」
ってことですわ。
やっぱりねぇ、3ヶ月遅く行ったわけやけど、やっぱりいきなり行って感覚をつかむのは難しいわ。

他にレッスン受けてたのは他に5人。
あっちはそこそこ仲良くなってるから入り込みにくいしね(こう見えて非っ常にシャイなんで)。

話をしてて、きっとカメラとかの知識(うんちく)は俺の方があるかもとは思うけど、その何ていうか「ここにあらず感」?みたいなのが今後の課題かも。

せやから昨日ヨドバシ行きながら考えた!
俺は写真で勝ったらいいやんって。(結構単純)

そこで、突然ですが、
女性ファッション誌、いらなくなったら、引き受けます!

もう勉強するしかないやろと思って。
写真集は自分で買ってるけどいいねんけど、もしよければ。
昨日はコンビニで今月号の「JJ」を買ってしまったし。

個人的には「JJ」とか「CanCam」が好き。
っていうか山田優やばい。(CMもヤバイ)
年齢層っていうの?この2冊が自分の撮影の範囲(ジャンル)やとも思う。

もしよかったら下さい(短刀直入)。
あ、でも「400冊くらいあるから全部もらって!」はなしね(笑)
全部読みきる(研究やけど)前に悩殺されてしm…(殴)

頂ける方がいたら個人的にメール、またはこちらまで
メール下さーい。

どうぞよろしく。
あと、春休みに入ってから、写真のモデルしてもらえる方も大募集でございます。
重ね重ねよろしくお願いします。
全ての受付は上のアドレスまで。

あっ、本田とも写真撮りに行かんといけんなぁ。
鳥インフルエンザは治ったのかね。
ベトナムでも2人発見されたらしいしね。

今日は吉野家に行って卵かけて喰ってきましたよ。
次は豚キムチ丼を喰ってみたいですなぁ。

今日は色んなこと書きました。
とりあえず、慣れるまでは大変やと思うけど、あれだけ応援されて何もくらいつかないまま終わるのもいやなんで、できることやって結果を待つことにします。

ご協力お願いします。
てらだ。

鳥インフルエンザは、一日半で治しました。
人間って根性出せばなんとかなるもんなのですね。
(えぇ、近づくなとか言わないで下さい。)
もうぴんぴんしてます。
ほんだ

2004年01月23日(金)



 俺は鳥じゃない。

それでもかかるよ、インフルエンザ。

昨日は小学校以来の体温40度超え。
平熱が35度のおいらにとっては死活問題。
足はふらふら、意識朦朧、全身が痛い。
一日中死んでいました。

今日は元気です。
熱も37度8分。
ぴんぴんしてます。

寺田がいろいろと頑張ってる間に、おいらもいろいろと戦っていたのです。
(ウイルス相手に。)

しかし、今日の枚方市の最低気温、マイナス4度ってどういうこと?
明日は学校に行けるかな?
嗚呼、レポートかかんとなぁ。

ほんだ

2004年01月22日(木)



 明日はヨドバシに行こう

同じ大学の友達が試験やなんやで、てんやわんやしているであろうこの時期に、何の科目がいつ試験であることから確認しているてらだです。

まず、BBSとか、個人的にメールを送って下さった皆様、本当にありがとうございます。
その余りの多さに少々戸惑っておりますが、一言一言を重く受け止め、これからの糧にしていこうと思っています。

いやぁ、でもびっくりしましたよ。
日記書いた瞬間にたまたま見てくれて、瞬時にメールくれた人もいれば、電話くれた人もあり、はたまたBBSに熱く書き込んでくれたり…。

改めて、いい友達持ったなぁと感動しきりですよ。

で、例のそのセミナーに行って来ました。新人寺田です。
これまたすごい内容でねぇ、Photoshopの講義でした。

個人的に使ってるもんやから、まぁそこそこできるんかな?と思って行ったんやけど、何ていうか
「目からうろこ」

わかることも多いんやけど、俺みたいな「本の知識」ではない、まさしく「現場」で使うことを教えてくれるもんやから、2時間「へぇ〜」の連続。
そこで習った事をまたここで反映できたらなぁと思うね。

後、その講義は週2回あって、もう1つの方はよくわからんけど(内容は一緒)、一緒に受けてた人は、正直パソコン慣れてない?かなーと。俺はそこそこやってることわかるんやけど、「?」って顔してたしね。

木曜日はカメラの方なんで楽しみにして行ってきます。
終わったらヨドバシ行ってこよーっと。
ん?試験?みんな頑張れ!
今回は応援部隊。てらだでした。

2004年01月21日(水)



 実力主義。

昨晩7時からの会議に何故1人だけスーツだったのか、
みんな疑問に思っただろうが、1番不思議だったのが
俺であったのは間違いないと感じたてらだです。
違和感がありすぎる…。
成人式以降着た記憶が…。昨日?

そんな訳で何故スーツだったか。
そう、おとといの日記で書いたように、昨日は例の事務所に
ほぼ面接の形で行ってまいりました。

先生と会って、簡単な自己紹介の後、改めて自分の写真達を見せて感想を頂きました。
感触は悪くなかった(のだろうか)と思う。

カメラの思いっきり専門的な話(マニアックすぎ)から、この仕事の話、今後の人生まで、様々なことを話した1時間半。

「えっ、もうこんな時間かいな!」と思うくらいあっという間の時間を過ごした。でも、すごい話しやすい方やったからそんなに話し込めたと感じた。


まずは肝心の結果から話した方がいい?


簡単にいうと「条件付採用」というのが正しいのかな?
それでも半分採用ってのがすごい。

どういうことかっていうと、新人はまず何ヶ月かセミナーを受けるっていうのは昨日の話でちょろっと触れたけど、もちろん寺田もそこに組み込まれる。

そこで習った事(カメラからグラフィックまで)を踏まえて、何回か実際に写真を撮って見て、最終的に数人をふるいにかけて、合格した人がバイトとして週2回仕事に行けるという形らしい。

山あり谷ありやね。

それだけならまだしも、何とこの私、もう現段階セミナーをずっと受けてる人より3ヶ月遅れてのスタート。

要するに、かなりの試練をいきなり負っちゃったのね。

でも何か「ドラマみたい!」と思った俺、どうか「M」ではありませんように…。

その面談でホンマ色んな話をして、すごい楽しかってんけど、1つ気になった話があるねん。

「寺田君は学生やけど、こっちの仕事にどれくらい割ける?」
「100%割くつもりでいます。学校も休学するつもりでしたし。」
「東京都とかに興味はあるの?」
「そういう仕事ならどこでも行きますよ。」

その人は結構有名な人で、もうすぐ東京に行くかもしれないとのこと。そこに同行できるかと聞いてきた。

はっきり言って、写真で仕事ができるなら大阪でも東京でも構わないと考えてたから、ちょっとびっくり。
まぁまだ全然決まってもない話なんやけど。

っていうか、まず俺が残らなあかんしね。

でもちょっとおもしろそうやわぁ。行けるものなら…。

そういう話もあったり、ちょっとシビアな話もあったり。
うれしかったのは「今のうちのカメラマンにロケ(外)で撮れる人が少ないから、ここまで寺田君が撮れるんやったらうれしいなぁ」的なことを言われた時。

少なくとも自分の写真を評価してくれたんだ、と。

週2回のセミナーをこれから受けていって、最終的にいつ決定するのかわからんけど、精一杯やっていこうと思う。

いきなり3ヶ月もの差を埋める事から始まるけど、これからこの世界で生きていこうと思ったら、それくらいは跳ね飛ばさなあかんのやろね。


やったろうじゃん。


こうなったらやるしかないんや。また経過などを書いていけたら書いていくし。

期待と不安が入り混じる中で、これからまた少し違った生活が始まる。

あ〜まずは親にこのことを説明せなあかんのね。
お許しが出るかなぁ…。

そして昨日は19時からの会議の後に本田と軽く酒を飲みに行ったり。また2人で盛り上がっちゃいましたよ。
今年も一波乱ある予感。

これからの寺本にもこうご期待!
てらだ。

2004年01月18日(日)



 風冴ゆる頃。

なぜ、バイト制服の左手の袖のボタンが
半分欠けたのか、全くもってわからない寺田です。
その現象が、靴の紐が切れるのか、茶柱が立つのか、
どっちに近いのか考えるとハラハラしてきたよ?

さて。
やっと日記に手が出ました。
いや、実際には何度も日記を書ききって、後は「登録」ボタンを
押すだけやのに、押せない日が続いてたっていうのが本音。
何でそうなったのかも不明。早12日が経ちましたか。


ちょっとしたチャンスに恵まれました。


ことの発端は昨年12月に写真を撮らせてもらったモデルさん。
その彼女、実は有名人。同じ大学に通ってるねんけどね。
(倉○麻衣じゃないよ)
今考えると、知り合ったことさえもがめっちゃ偶然の重なり。
テレビに出たり、撮影会のモデルに、1日警察署長…。
俺の人生の中では、1番の有名人でしょう。

その彼女を幸運ながらも撮影できて、写真をあげて…
また写真が好きになってしまった自分がいた。

それは、写真をあげた時に(学校の食堂の中やってんけど)、
すごい喜んでくれたんやわ。もう叫んでたね、あれは。
正直それを見てると、感激っていうか。

ちょっと話が脱線するけど、
自分が写真を始めて、今に至って、将来そういう仕事に就きたいとまで考えるようになって、
常々「自分は何で写真を撮るんやろか」ってことを何度か考えることがあった。
前々から誰かにはこんなこと言うてきたと思う。
「写真を撮って、それをあげて、自分の写真で喜んでくれてる顔を見るために写真を撮ってる」って。
いつからか、後輩の卒業式でも、最近では先日の成人式でも、はたまた旅先でも、自分がそういう場所で他人のカメラでも写真を撮ることにすごい喜びを感じるようになってた。
だって、そこで撮った写真・思い出は、少なからずその人の記憶からなくなるまで、思い出として残ってる。その思い出の写真を撮る事ができた。
それが嬉しいねんな。
じゃぁ、そういう人の笑顔を見るために写真撮ってたいなって思うようになった。そして今の自分がいる。

自分でも不思議やわ。いつからこうなったんやろか。

話は戻って、そのモデルさんに渡したその写真、
確かに自分で「これなら渡せるかな?」って思ったものを何点か渡したけど、まさかあんなに喜んでもらえるとは思わんかった。

そこからが問題。
昨日(14日)の夜、バイトの休憩で事務所に戻って携帯を開いたら、そのモデルさんからの着信が。
メール送るとすぐに電話がかかってきた。その声、実に神妙。

「大事な話があるから、よく聞いてな」

聞けば、そのモデルさんが撮ってもらったことのある、
プロのカメラマン(その人はメークアップアーティストなんやけど)に、前日あげた写真を見せたらしいのよ。
そこでそのカメラマンの方の批評を教えてくれるためにわざわざ電話をくれてたみたい。
さらに言うには、撮影の時とかにご飯食べながら(ほぼ一方的に)話した俺の夢とか、写真に対する想いとかに
モデルさんが共感してくれて、どうやらそのカメラマンさんに俺のことを紹介してくれたみたいなのよ。
んで、そのカメラマンさんの事務所の電話番号を教えてくれて、明日(15日)に電話してみたらどう?って。

もう正直嬉しすぎてバイトどころじゃなかったわ。

何がうれしいかって、そのカメラマンさんと話ができるのもそうやけど、
こんな人とは明らかに少し違った夢を持った俺のことを、こんなにも応援してくれる人がいるってことに感動した。
もちろん俺の周りにも応援してくれる人はいっぱいいるけど、今回の場合は、単に「カメラマンとモデル」の関係で終わってしまうと思ったその人が、こうやって俺の背中を押してくれてる事実。

何にも堪えがたい宝物がまた1つ増えました。

そして今日、かなり心臓高鳴る午後1時過ぎ、受話器を握る。
受付の人から代わってもらったそのカメラマンの方との15分間は、学校を休学して行こうと思っていた専門学校への幻想を根底から覆し、今後の写真家としての歩み方を教わるには十分な時間となったと思う。
そして自分の写真への批評を改めて聞いてみる。

・ただでさえ、勇気のいる屋外ロケでここまで色んな場所で、色んなカットに挑戦するその精神はよい。
・21才という年齢でここまで撮れていれば、そこら辺の専門学校生よりよっぽどうまい。
・あの写真の構図は素晴らしいけど、この写真の構図はダメ。
・でも独学でやってきて、ここまで撮れるというのは、結構ちゃんと勉強してきた証拠だとわかる。

などなど、「プロ」の目から見た実に様々な角度から意見を頂けた。
ほんとに有意義な時間だったと思う。

電話での応対も佳境に差し掛かり、やはり今回の電話で1番聞きたかったことを聞くことにした。
いわば、今後の写真生命に関わることになるだろう。

「今そちらのスタジオでカメラマンのアシスタントは募集されてるのですか?」

答えは「yes」だった。週に1回スクールを開いていて、そこで少しの受講料を払ってスクールに参加するらしい。
しかし、興味本位ではなく、実際に1,2年そこで仕事をするのを前提に受けるスクールらしい。

「是非参加させて下さい」
何の迷いもなく、参加を申し込んだ。
すると、その前に一度お会いしてくれるという。
日時は16日のお昼となった。

しかし、当日になり、驚愕の事実が舞い込んできた。
「講義レポート締め切り」
講義に出ていなかった弊害がこんな所で出た。

事情を話し、翌17日に再度お会いすることができることに。

ということで明日行ってまいります。
はっきり言って、雇ってもらえるとか考えてないんで。

今日は色々長々と語りました。
こんなこと考えてる最近は何もする気が起こりません。
またアドバイス等あれば、お願いします。

今までは俺の「カメラマンになりたい」を冗談半分で
聞いていた人もいうかもしれへんけど、
冗談でそんなはんぱじゃない仕事を軽々と口にしません。
もちろん、ただ好きやからで言うてるだけでもない。
それをわかってもらえたらいいなぁと。

最近BBS滞ってるね。
まだ書き込んだことない人も何でも書き込んでみて下さい。
今日はバイトもないので家でゆっくりさせてもらいます。
ではでは。また明日。
てらだ

2004年01月15日(木)



 よし。

2004年勉強はじめ。

今日は約束どおりちゃんと登校しましたよ。

今年はちゃんと学校に行こうっと。(いまのうち

追記:
ただいま14日04時56分。
レポート一つ完成。
(所要時間、4時間。)
でもまた別のレポート一つ見つけたから、あと4つ。
ひー。

追記2:
寺田、生きてる?

ほんだ

2004年01月13日(火)



 痛い。

まだレポートが2つ残っているのに。
レポートがさらに2つあったことに今日気づきました。

あぁ、頭がガンガン痛い。

あぁ、おなかもゴロゴロ痛い。

さぁ、寝よう寝よう。(逃避

…以上。


あ、そうそう。

今日やっと定期買いました。

でもね。

10日も登校しないと元がとれないの。

行くかなぁ?
・・・行けって。

ほんだ

2004年01月11日(日)



 Hi!(ひー!)

木曜日に授業がないため、今日から登校です。

えぇ、みんなはね。

ばっちり寝過ごし。

もう最悪。

来週から頑張ります。

…あ、月曜日休みや。

ラッキー。

今のうちに宿題やっちゃお。

ほんだ

2004年01月09日(金)



 バーゲン

先日の3日に、神戸まで行きながら金欠によってその行く手を阻まれていたバーゲン行脚。

今日やっとリベンジ完了。
(梅田にて)

…。
そんなことしてたら、今年の手帳買い忘れてた…。

ひー、金欠。

ちょっとは頑張って働きますょ。
ちぇ。


追記:
寺田、生きてる?

ほんだ

2004年01月06日(火)



 不摂生

12月25日日没〜1月3日朝まで、一回も日光を浴びることがなかったです。
(実話)
そして、1月3日日没から、また日光を浴びていません。

だって、誰からも連絡こないんだもん。

いやぁ、隠居って恐ろしい。

寝るばっかし。ひたすら寝るばっかし。

動かないから、おなかもすかない。

一日の3/4は寝てました。
(実話)

そろそろ外に出ないとね。(リハビリ)

結局まだ初詣行ってないし。

今年の手帳もまだ買ってないし。

そういやバーゲンも佳境だし。

はやく行かねばな。

あ、お金がない。

ひー、レポートまだ手をつけてない。

うゎぁ、もうすぐ学校や。

ひゃぁ、定期も買わんとあかんやん。

…。

こうして、今日も日光を浴びないまま、一日はあっと言う間に過ぎていくのでした。

あ、明日こそは光合成を・・・。

ほんだ

2004年01月05日(月)



 遅ればせながら。

昨日バイト先(某ツ○ヤ)で「俺、学校の都合でここ(某ツ○ヤ)
辞めるかもしれへんわぁ」と、休憩中一緒になった女の子に
ちょろっと言ったら、「そうなったら、反対デモしますよっ!」
って笑いながら返してくれたから、
不覚ながらまた少しツタヤを好きになってしまいそうなテラダです。(もらい泣き歓迎)

一句。

「辞めないで」と
君が暗に言ったから
1月2日はツ○ヤ記念日
(若干の妄想と共に)
バイト始めて約1010日目に起こった奇跡。

そんなことがありましたね。
最近バイト先はおもしろいことが多いですよ。

あっ、
あけましておめでとうございます(額を床でゴリゴリしながら)

そうそう、おもしろいことが多いんですよ。
まず、2年連続3回目の出場を果たした成田山。
とりあえず、今の生活は去年のこの時期の日記を読んでもらえれば、ほとんど変わらんので、そちらを読み返して頂きたい(誰だ)

今年も高校生2人と3人で仕事してるけど、これまた独特な
メンバーが集まってるやわ。
・バイト(某ツ○ヤ)でお世話になった人の息子さん。
 高校2年生。バスケ部所属。初出場。
・覚醒したら女の子に「彼氏いる?」と聞く子。
 高校1年生。軽音部所属。初出場。
・お寺に勤めてる人と一緒に、常に下ネタに走る痛い子。
 21才。写真研究会所属。2年連続3回目の出場。
まぁこういうメンバーで頑張っておるんですよ。

高校生って…。16才って…。
はっきり言って、こっちが

若返るわ。妄想は最高潮へ
さすがに少し年は離れてるけど、
まだまだ負けません!何が?
またこのお仕事については続報を入れたいと思いまっす。
お楽しみに。
では、最近ホンマに寝てないので、今日は寝ます。
明日も9時から成田山です。


そんなこんなで明日は誰が着てくれるんだろう。
ではおやすみ。てらだ。


誰が着てくれるんだろう
てくれる
て…

お正月一発目から、小ネタ提供ありがとう、寺田君。
ほんだ

2004年01月03日(土)



 謹賀新年

みなさま
明けましておめでとうございます!


今年も寺田君は成田山不動尊でバイトをしながら年越し。
今年の本田君は一人、自室で座禅を組みながらの年越し。

以上、2003→2004の簡易レポートでした。

で。
今年は申年です。
「サル」か。
「悪運がサル。」か。
悪い物は早く去って欲しいもんですな。(誰)

さぁ
一年の計は元旦にあり。
というではありませんか。
ここで、今年の抱負を一つ。
ズバリ「いい男になる」ですな。
永遠の課題ですわい。

そんな元旦はおせちを食べ、ごろごろしていました。
・・・一年の計よ、ごめんなさい。
いやぁ〜、いい男になるって難しいなぁ。

さて、隠居暮らしも5日が過ぎました。
そろそろ飽きてきました。
誰か、初詣行こうぜ。

さぁ、今年も残すところあと364日。
みなさま、よいお年を。
ほんだ

2004年01月01日(木)
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