2003年05月25日(日)  レトルトカレーの底なし沼

このところ家にこもってワープロを叩くことが多い。おしりに火のついた仕事なので、食事を作る暇も惜しい。という差し迫った状況で手を出してしまったレトルトカレー。各社からいろんな種類が出ていて、これがまたそれぞれおいしくて個性的。たちまち味比べにはまってしまった。

今のところのお気に入りはエム・シーシー食品のスパイシーチキンカレー、エスビー食品から出ている「パク森カレー」(パク森は市が谷にある「行列してでも食べたいカレー屋」らしい)、中村屋のインドカレー。ビーフよりはチキンが好き。欧風よりはスパイスの効いたインド風か好き。インド人を隣人に育った名残なのかも。パッケージ比較も面白くて、コンビニやスーパーのレトルトコーナーをのぞく楽しみができた。レトルトカレー研究を*いまいまさこカフェ*の目玉コンテンツにしようかという野望がふと湧き、「レトルトカレー」を検索してみたら、何百種類と食べ比べているツワモノがゾロゾロ。奥の深〜い世界なのだった。

2004年7月26日 『カレー五人衆、名人達のカレー』

2002年05月25日(土)  イージーオーダー
1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか


2003年05月18日(日)  風じゅーの風よ、吹け!

東京・横浜での「風の絨毯」の公開2日目。シネスイッチ銀座で榎木孝明さん、工藤夕貴さん、益田祐美子プロデューサー、柳生美結ちゃんの舞台挨拶があったので、かけつける。300人ほど入っていたのではと思われる大入り。いつもは黒などのシックな装いが多い工藤さんが、カラフルな幅広ボーダーのチューリップラインドレスで登場。思わず「ステキ!」とため息がこぼれた。美結ちゃんはウェスタンなあしらいのスリムジーンズ。身長は現在1センチ差でわたしが勝っているけど、足の長さは絶対負けてる。もちろん細さも。平成祭屋台の仕掛け人、中田金太さんにもお正月ぶりにお会いできた。日本で英語を教えているというニューヨーク出身のシアターフリークな女性が「英語字幕がついてなくて、内容がわからない部分があったんだけど」と話しかけてきた。東京国際映画祭のときには、全台詞に日本語字幕と英語字幕が対応していたけれど、今回の公開作品はペルシャ語の台詞にのみ日本語字幕が対応。「でも、すばらしい作品だから広めておくわ。英語つきDVDが出たら連絡して」と女性。

シネスイッチ銀座脇にあるレストラン「OLD MOVIE」に関係者が集い、軽い打ち上げ。乾杯のとき、隣にいた女性の名前は景山さん。どこかで聞いたことがある名前だと思ったら、魔女田本に登場する「人間宅急便となってテヘランから生フィルムを持ち帰った景山咲子さん」だった。現在、日本イラン文化交流協会の事務局長をされているという景山さん、以前勤めていた商社が中東と取引があり、そのとき身につけたペルシャ語(本人いわく、「ペルシャ語のペの字ぐらいしか話せないので、ぺ語」)を活かし、現在は日本イラン文化交流協会の事務局長をされている。初対面なのに、お互いのことは魔女田本「私、映画のために1億5千万円集めました!」で予習済み。「あの景山さん!」「あの今井さん!」と一瞬で打ち解け、一気に話がはずんだ。

本での情報では「一イラン通」の方だと理解していたのだが、なんとシネマジャーナルという「女がつくる映画誌」の発行に携わる映画通であることが発覚。最新号は風じゅー特集で、益田さんの独占インタビューも。おまけに景山さん、「NHKの朝ドラ『ロマンス』以来、榎木さんの大ファン!」だそうで、東京国際映画祭にぎりぎり間に合った生フィルムは、うってつけの人の手によって空輸されたとわかる。「これは運命です!ドラマになります!」と興奮してしまった。よくよく話を聞いてみると、「ほんとは私、フィルムを持ち帰れないはずだったんです。行きの機内で福岡映画祭に行っていたイランの映画関係者と知り合って、イスファハンでこども映画祭があるって聞いたので帰国日を延長したんです。そしたら益田さんからSOSの連絡が入って…」。その電話が入ったテヘランのイラン人宅というのが、日経新聞の記事を読んで益田さんに連絡を取ったイラン経済研究会の方が30年前に下宿されていた家だとか。つくづく事実は小説より奇なり。

その景山さんより、「イラン文化週間」の情報を入手。5/22-28(25日は休演)まで国際交流基金フォーラム(赤坂ツインタワー1階)にて、イラン映画の上映やイラン文化についての講演などが行われる。28(水)10:00-12:00、風じゅーのカマル・タブリーズィー監督の前作「テヘラン悪がき日記」上映+監督への質問が行われるとのこと。

先日、三越イベントで再会した「99年函館映画祭以来の知人」巌本さんとも同じテーブルで話がはずむ。風じゅーの応援とあわせて、加納周典監督の映画「ロデオドライブ」の宣伝にも関わっているそう。

風じゅー公式サイトを運営するシネマイマジカ、カフェグルーヴの皆さんとは、「風を起こそう」と盛り上がる。ネット上で絨毯を織る特別企画1000人の絨毯は250人で1枚の絨毯が織り上がるのだけど、1枚織り上がったときに感動的なことが起こるらしい。「この仕組みのために半月かけたんです!」とカフェグルーヴ社長の浜ちゃんこと浜田寿人。絨毯に登録した人だけにわかる、ささやかなサプライズもあるそうなので、ぜひぜひご登録を。ちなみに、登録時に書き込むメッセージをすぐに見られないのは、「絨毯に託した一人ひとりの願いや祈りは、絨毯が織り上がったとき、ひとつになる」からだそう。みんなの思いが結ばれる瞬間(250人目)まで、ただいま、あと189人。

2002年05月18日(土)  『パコダテ人』のかわいい絵の安井寿磨子さん
1979年05月18日(金)  4年2組日記 西佳先生好きょ


2003年05月17日(土)  脚本が届く日

■『風の絨毯』公開初日の朝、NHK-FMシアター『夢の波間』の脚本が届く。脚本家としてデビューしたきっかけはFMシアターだった。『タカラジマ』『雪だるまの詩』につづいて3年ぶりの3作目。今回のお話は大阪に帰省したときに、母と話していて思いついた。古文書(こもんじょ)の研究会に入っている母が取り組んでいたのが、廻船問屋(今でいう海運会社と商社がひとつになったようなもの)の記録で、「何月何日に何をどんだけ積んだ船がどこへ向かったか、きっちり記録してあるねん」と話しているのを聞いて、「一見単なる備忘録のような古文書から、当時の人々の思いを読み取れたら面白い」と思った。そういえば今年は江戸開府400年。かつて船模型をつくっていた現代の男が、江戸時代の廻船問屋の遺した古文書に出会う話にしよう。二人の男の接点は、海。海には夢があり、ロマンがある。そう思って飛びついたのだが、そこからが難航した。日本史の知識は悲しいほど乏しく、歴史小説もほとんど読んだことがない。昔の和船の構造と洋船との違い、年号や時間の呼称、鎖国について、神社について、船模型について、調べることは果てしない海のようにあった。物語の舞台である「佐野浦」は、現在の大阪府泉佐野の辺り。母と、古文書仲間のD氏が本や写真や新聞の縮刷版コピーなどをどっさり送ってくれ、船旅を助けてくれた。着想から脱稿まで5か月近く。寄り道したり漂流しかけたりの長い旅だったので、脚本完成のよろこびはひとしお。少しずつ島影が見えてきて、やっと船が着いたぞ、という感じ。印刷された脚本を見ると、いよいよ作品になるという実感が湧いてくる。この瞬間がたまらない。■現在開発中の脚本作品は、映画。午後4時半にはじまった打ち合わせは、翌朝18日の9時まで続いた。トイレに立った一回以外は椅子に座りっぱなし。机の上の食料をつまみ、お茶をとっかえひっかえしながら、話し合いと同時進行でキーボードをたたき、本を直していく。眠気と疲れで脳が酸欠状態になる中でのアイデア出し。しんどいけれど、集中してたたいた本が確実に良くなっているのが見えるのは楽しい。本が届く日まで、もうひとふんばり。

2002年05月17日(金)  人生最高の日〜『パコダテ人』最終日
1979年05月17日(木)  4年2組日記 今日から日記


2003年05月05日(月)  日本橋三越に「風じゅー」現る!


■日本橋三越で行われていた「風の絨毯」イベントに義母を誘って行ってきた。高山から運んできた祭屋台は高さもあり、存在感も注目度もバツグン。1時間2回のからくり上演には、ちょっとした人垣ができていた。劇中で祭屋台にかけられたペルシャ絨毯や、さくら役の柳生美結ちゃんが着ていた「イスファハンでのお祭りのときの衣装」や「子どもたちの描いた絨毯デザイン画コンクール入賞作品」など、盛りだくさんの展示で見ごたえ十分。大小さまざま色とりどりの「さるぼぼ」をはじめ、飛騨高山の名産品を売るコーナーも。魔女田本、「風の絨毯」絵本も平積みされていた。会場に詰めていたプロデューサーの益田さんによると、「作品に興味を持っていろいろ聞いてくる人が多くて、面白いよ」とのこと。この人はほんとに人に会うのが天職。ここで思いがけない再会があった。「おひさしぶりです、今井さん」と声をかけてきたスーツの男性、売り場の店員さんかと思ったら、4年前の函館の映画祭で知り合った巌本和道さん。イラン映画好きとは聞いていたけど、まさかこんなところで遭遇するとは。イラン大使館で益田さんに会った縁で風じゅーに最近巻き込まれたそう。三越でのイベント期間中は毎日お手伝いに通われていたそうで、前売チケットを熱心に売ってくれていた。

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