■ 腰痛日記 ■
ケイの10年にわたる痛みの治療体験を少しずつ書いていきます

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2003年06月14日(土) いのちが、私している


::::::::::::::::::::::::: 『トランスパーソナル心理学入門』 より ::::::::::::::::::::::::::

”本当の生き方”を問い求める上昇の道。
そのプロセスで帰ってくるさまざまな答えを、それは違う、それでもない
とすべて否定し切り捨てながら、ギリギリまで問い詰めていき
その極限までその問いそのものが敗れた時に、私たちが出会うもの。

それは”空”と言ってもいいし”神”と言ってもいい。

”絶対無”
”究極の一者”
”存在”
”スピリット(精神/霊)”

何と言ってもかまわない。

あらゆる”形”から抜け出し、一切の”形”を取らず
けれどすべての基底をなそている、捉えことのできない
その、究極の”何か”。

”宇宙に偏在する生命エネルギー”
”大いなるいのち”
”いのちの働きそのもの”
などというよりほかない、その”何か”。

決して言葉にできない。言葉にしてはいけない。
言葉にすると、すぐに実体化され固定されてしまうから。
だからあえて、いろいろな言葉で言い換えずにはおれないその”何か”。
そして、死の瞬間に私たちがそこに戻っていく
その”何か”。

この時私たちが、あえて”ほんとうの自分”とは何かと問うならば
この”何か”こそそれであり、自分というものの正体であることを知る。
一切の形を拒む”いのちの働き”そのものこそ私の正体であり
自分のほんとうの姿である、ということを。

そして、この地点からみればもはや、私が生きている、のではない。

私が生きている、”私がいのちを持っている”のではない。

むしろ逆に”いのちが私している”。

ひとつの”いのちの働き”がまずあって
それがあちらでは”花”という形
こちらでは”草木”という形
あそこでは”鳥”という形をとっている。

その同じ”いのちの働き”の一部が
今・ここでは、”私”という形をとっている。

いのちが、私している。
魂が、私している。
空が、私している。

どういってもかまわない。

ようするに

”ほんとうの自分”

私の本体は、皮膚に包まれた内側の”この私”ではなく
私を超えてい働いているその

”何か”
”いのちの働き”

そのものであるということ。

そしてその”いのちの働き”が、今たまたまこの身体に宿り
”この私”として、”私という形”をとって生きているけど
それはしかし、仮の姿でしかないということ。

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おおざるんやベラさんが




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少〜しだけ、かわるような気もする(^-^;


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