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2003年09月23日(火)
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| 不調な中で |
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スマスマを見つつ食べたカレー。 半分以上残したというのに、今頃になって物凄い胸焼けだ。 食後のコーラもいけなかったのかもしれないが。
ということで、毎月恒例の体調が下降線週間に突入。 最近、借りまくってるビデオも、昨夜は睡魔に勝てずに観れなかった。 10時間寝ても眠かった今日は、仕事が暇だったのだが、知人にHP作成の指示書を書いてたら一日暮れてた。 頭もよく周らないし、なんせ、水道の水が温かく感じるほどに手が冷たい。
最近、マッサージ椅子だかのCMで 「好きなものは好き〜 ・・・素直に生きてると疲れちゃう」 っていうのがあるが、あの男性バージョンに今日は拒否反応。 少し前までは、「ゆるゆるしたい時」とかいうマネキンだけのCMシリーズ。 新しいバージョンになってもなっても拒否反応を起こす。 ゆるゆるどころか、イライラするのだ。なんでだろうね?
そうそう。レッド・ドラゴンを観た。 怖いので昼間に(笑) その中のレクター博士の言葉。
「豊かな想像力は大きな恐怖心を生む」
記憶が確かじゃないので検索したら、これが出てきた。 私の記憶では豊かな想像力の代償は恐怖だって感じだったんだけど。 意味合いは同じだな。 なるほどって思った。やけに納得。
先日の地震は、それはそれは怖かった。 夜道は、やっぱり慣れずに怖い。 夜のこの家もやっぱり怖い。 下の部屋から、パキっていうような何かを踏んだ音がたまにする。 想像力が無ければ、それは明かに誰かが居ると思える音。 想像力があっても、そうかもしれないと思える音。 でも、想像力があるおかげで、自然に何かが湿度の変化で鳴ったと思える。
ちらほらと書いたことがあるが、父亡き後、私が何より怖かったのは無意識に蘇る記憶。 それを誰に言えるはずもなく、具体的に誰かに口にしたら楽だったのかもしれないが、聞いた相手は溜まらないだろうと思うと相手が見付からなかった。 だけど、口にしたら余計にリアルになりそうな気もしたのだ。 それに、いちいちダメな事を人に言っているとキリが無いというのもあった。 言った所で、考えすぎだとか、そんな事は無いよ。って慰められてお終いだろう。 ヘタすると、そんな事を考えてたらお父さんが可愛そうとか言われかねない。 可愛そうなのは、私のこの脳みそだと反論したくなる自分が容易に想像付く。 だから具体的には言えなかった。
この映画の台詞で、私はやっと納得した。 母にたまに「お父さんどんだけ痛かったんだろうねぇ」と聞かれるが。 そう言う母に、私と同じ症状が出ない事が不思議でならなかった。 やっとそれも納得できた。 口に出せると言う事は、母は何も想像していないということだ。
そう。私は想像力が豊かだと、いつも自我自賛している人間だ。 今も時々ある、あの恐怖は想像力の賜物なんだ。 想像してしまうから、口に出せない言葉が増えてったんだ。
相手の気持ちになって想像してごらん?
よく、そう言うでしょ。
自分がそうされたら、どう感じる?嫌でしょう?想像してごらん?
今時の人間に足りないのがこの想像力だと言われるが。 私はその想像力を人より沢山持っている古い型の人間ってことか? ちょっと違うか。
ともかく、父を思い出させる言葉全般。仰向けで見る天井。首を逸らした状態。 腰痛。腰を回す運動。胸焼け。足のむくみ。特定のイビキ音。リアルな映画。 ・・・・などなど。 これらは今まで私が意識して、意識しないように注意を払って過ごしてきた事だ。 でも、その根本的原因が自分の想像力の賜物なのであれば。 誰よりも私が父を思っていたと。 そう、結論をつけられるような気がした。
そう思えば、それは私の長所であるから、もう怖がる必要は無いんだと。 そんな事を不調な中で考えた。
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