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2003年07月04日(金)

生きる力

久々に、母上から電話があった。
昨夜の横殴りの雨のせいで汚れた「シャッター」を洗って汗だくとのこと。
母上のお掃除パワーだけには、一生かかっても勝てないだろう。

で。
先日、父上の母親であるお婆ちゃんの弟さんがやってきて。
要は、私の何になるんだ?お婆ちゃんの弟は何?
まぁ、いいか。ともかくやってきて。
どうやら、弟さんは最近、癌になってしまったそうで、会えるうちにとのことで来たらしい。
で、母上もその席に呼ばれ、久々にお婆ちゃんに会ったそうだ。

お婆ちゃんは、今年95歳。
5人の男の子を産み、2人の女の子を産んだ。
その内、次男に当たる方は若くして病気で亡くなられて。
長女に当たる方は、乳飲み子の時に亡くなられたらしい。
そして、一昨々年。私の父上である四男を見送ったという訳だ。

お婆ちゃんの背中は丸まっており、歩くときにはいつもリュックを背負っていた。
そのリュックの重さは、相当なもので、安易に受け取るとよろめきそうになるぐらいだ。
そのリュックを背負う事で、お婆ちゃんは丸まった前のめりになる体のバランスを取っていたらしい。
90歳過ぎても、病気もせず。
毎日、どっかの無料風呂にバスに乗って通い、若者だって歩くのに15分ほど掛かる道を、テコテコ歩いては実家に来ていた。

お婆ちゃんは、ずっと一人暮らしだったけど。
何年前か忘れたが、長男夫婦と同居しだした。
でも、長男の嫁がキツイ人で。
私も実は苦手なのだけど、気の強いお婆ちゃんと折り合いが悪く、今では口も聞かない状態だ。
きっと、家に居たくないから、余計に毎日出歩くのだと、私はお婆ちゃんを見ていて思っていた。

ところが。
バスから降りるときに、まだ降り切ってない状態でバスが動いた為に転び。
大腿骨骨折をして、お婆ちゃんは歩けなくなった。
母上がお見舞いに行った時も車椅子で。そのまま、退院したと聞いていた。
お婆ちゃんの部屋は2階だと聞いていたし。
仲の悪い嫁に、世話をしてもらえるのだろうか?と心配でもあった。
唯一の、お風呂の楽しみも奪われて、ボケちゃうんじゃないか?とも思っていた。

近所に、父上の妹であるお婆ちゃんの娘も居るが、長男夫妻はお婆ちゃんのことで口出しをすると、怒るという。
だから、誰もお婆ちゃんがどうしてるかを知ることが出来ずに居た。
母上によると、車で送迎してもらって、お風呂には週に一回ぐらい行ってるとか。
ヘルパーさんが来てるとか。そんな事を聞いていた。

お婆ちゃんの口癖は、「早く死にたいよ」「生きててもなんも楽しく無い」で。
父上が亡くなると「早く迎えに来ておくれ」に変った。
それが、歩けなくなったら、どんなに嫌だろうなと。想像するだけでも痛々しかった。

ところが。
先日、久々に会ったお婆ちゃんは。

なんと。なんと。

歩いていたっ!

のだそうで・・・・・・
松葉杖は使っているものの、一人で階段も降りれるぐらいになっているという。
その気になれば、一人で外に外出も可能な状態になっているという。

95歳だよ?大腿骨骨折だよ?車椅子のまんま退院させられてるんだよ?
家の人間がリハビリしてくれる訳も無いんだよ?
お婆ちゃんは、自力で歩けるようになっちまったっつー訳だ。

物凄い生命力っつーか、回復力っつーか・・・
まさに、生きる力が私なんかとは違うと思う。

きっと、そんだけ嫌だったんだろうな。
嫌だから、治しちゃったんだろうな。
嫁に世話になるのも、ずっと家にいるのも。
ほんとーーーーーーーにっ
嫌だったんだろうねぇ・・・・・・
イヤイヤパワーだ。根性が違うわ。

母上曰く。
「アンタも同じ干支だから、逞しく生きてくんじゃない?」
だと。

いやいや。
そこまで、強くはなれませんって。

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