2013年09月21日(土)  宮沢賢治記念館開館記念日講演で「おじゃる丸」の話

2003年の賢治祭で訪ねて以来、10年ぶりの花巻へ。
宮沢賢治が亡くなって80年の命日。
今も全国から賢治さんへの想いを分かち合う人々が賢治祭に集う。

そんな特別な日に、宮沢賢治記念館での開館記念日講演に呼んでいただいた。

「物語の種が降ってきた」と10年前の賢治祭で挨拶してから、「おじゃる丸が『銀河鉄道の夜』の世界を旅する話」を書くことになり、そのおじゃる丸スペシャル「銀河がマロを呼んでいる〜ふたりのねがい星〜」が昨年Eテレで放送された。

この作品が生まれるまでと、そこに込めた想いをお話しすることにした。
題して《石ころを宝石に おじゃる丸スペシャル「銀河がマロを呼んでいる〜ふたりのねがい星〜」が生まれるまで》。

会場は、記念館を入ってすぐのロビーホール。
わたしは窓いっぱいに広がる緑を眺めながら話し、お客さんには好きな椅子(館内から集めてきた色んな大きさや形の椅子やソファが並ぶ光景が、これまた素敵)でくつろぎながら聞いていただける。



今日から3日間、羽田空港で行われる「銀河〜」の特別展示を彩るパネルの出力も飾っていただいた。プラネタリム版「銀河〜」の上映が、今日から空港内スターリーカフェで始まっている。


講演の前に、敷地内にある注文の多い料理店「山猫軒」でお昼。


入口には「ことに肥ったお方や若いお方は歓迎」の札。若くない小肥りですが歓迎していただき、郷土色ゆたかなお料理をおいしくいただいた。


腹ごなしに、賢治さんデザインの花壇を抜けてイーハトーブ館へ。
道の途中には、『銀河鉄道の夜』の劇を立ち稽古する若者たち。

今日から始まった「宮沢清六展」を見て、兄の原稿を託された清六さんの愛と責任感に支えられた仕事ぶりに胸を熱くしてから、講演。

脚本家が思いついた話がそのまま世に出るのではなく、監督やプロデューサーとのやりとりを重ねて、石ころを磨くように、おじゃる丸と銀河鉄道という原石をスペシャル番組の形に磨いていった、その過程を披露した。

最初は「種」にとらわれて「花」を咲かせる話を一生懸命考えてしまったが、星の話と花の話がごっちゃになって、一時間弱の放送時間には納まらなくなってしまった。また、最後に銀河鉄道から花の種をまいて地上を元気にする、というのも「上から施す」印象がある。震災復興番組という位置づけではあったが、「復興は上からではなく、地に足つけて」するものではないかとハッとなった。

原点(原石)に立ち返って、おじゃる丸のアニメシリーズの始まりを見てみると、カズマが流れ星に「弟が欲しい!」と願ったら、空からおじゃる丸が降ってきた、という設定。もともと銀河鉄道とは相性が良かったのだ。

こうして「ねがいかなう星」へ願いをかなえに行くという動機を得て、おじゃる丸は銀河鉄道に乗り込む。カズマとともに危機を乗り越え、たどり着いた終点「ねがいかなう星」とは、どんな場所か……というところはDVDで見ていただくとして、2分程度にまとめたPR映像は観ていただいた。

人数は少なめながら、しきりとうなずいてくださる方あり、熱心にメモを取ってくださる方あり。たまたま記念館に来たら講演やってて聴いたんですけど、「てっぱん」ファンなんです!という方も。

何年ぶりか思い出せないほど久しぶりの友人夫妻が二人のお子さんとともに仙台から車で駆けつけてくれるサプライズもあった。

講演は、たまたま居合わせた人たちと作り上げるもの。
縁あって聴いてくださった方々に、何かしら持ち帰っていただけたらうれしい。

記念館からは味のある木製の賢治さん人形を記念にいただいた。
首を傾げられるようになっているのが愛らしい。


賢治さんの生家に立ち寄って、宮沢家の方々にご挨拶し、夜は賢治祭。


今年はお天気に恵まれ、夜空の下での開催。詩碑の前で松明をたいて、幻想的であたたかい時間。

10年前も感心した名司会者は、今宵も同じ女性。よく通る声と、チャーミングなアドリブと、あふれる賢治愛。終わってから紹介していただくと、プロの司会ではなく宮沢賢治記念会の職員さんだそう。「てっぱん」再放送を観てくださっていて、「今日は観られなくて残念」と言われ、ますます好感。

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