2008年07月18日(金)  マタニティオレンジ312 『JUNO』を観て思い出した9か月

これは観なきゃと思っていた映画『JUNO』をついに観た。16才の女子高生がまさかの妊娠をして……という話。だけど、暗くも説教臭くもならず、おしゃれにかわいく作られている、とすでに観た人の評判はすこぶる良い。画面に登場したJUNOは、いきなりガロンサイズ(4リットル弱!)のジュースをグビグビ飲んでいる。妊娠の事実をなかなか受け入れられず、3本目の妊娠検査薬のために水分補給していたことが後でわかるけれど、「そうそう、妊娠初期は喉が渇くのよね〜」とわたしは勝手に勘違いして共感。2年前の今頃は8か月のおなかを揺すって、ペンギンみたいにペタペタ歩いて、せりだしたおなかの上に汗の水たまりを作っていたっけ。旅行したことのある土地の風景を懐かしむように、妊娠という旅の記憶をたどりながらの鑑賞となった。

ヒロインとわたしは妊娠時で二倍以上の年の差があり、片や未婚の高校生、片や既婚の仕事持ち。妊娠以外の共通項はないぐらいなのに、JUNOの気持ちがすっごくわかる。何者かが自分の中に芽生えて、日に日に大きくなることの神秘と畏れ。あの感覚はJUNOも初めてだったけど、わたしも初めてだった。結婚していて収入も貯金も十分あって年齢も十分熟していたくせに、妊娠がわかったとき、わたしは動揺した。産婦人科の先生に「今さらその年で『まさか』はないでしょう」と苦笑されたけれど、会社を辞めて脚本をバリバリ書こうという矢先だったから、「これからってときに……」と焦った。実際は、妊娠してむしろ調子づいたぐらいで、出産間際までバリバリ書けたし、妊娠・出産を体験することで書きたいものも広がったし、子育てしながら今も書き続けているけれど、そのときは失うものの大きさに気を取られていて、家族が一人ふえるということ以外に得るものがあるなんて想像していなかった。

主人公が決断を迫られる出来事に直面して、答えを出しながら成長していく、というのは、ストーリー作りの王道だけど、JUNOを見ていて、思い出した。妊娠から出産にかけては、人生最大の決断キャンペーン。「いつ、誰に、どんな風に告げる?」の迷いは、おなかが目立つまで知り合いの人数分続くし、「いつまで仕事を続ける?」「いつから再開する?」「どこで(病院? 助産院? 自宅?)産む?」とセットで「どんなスタイルで産む? (分娩台、水中出産、フリースタイルなど選択肢いろいろ)」に悩む。「家族を立ち会わせるか否か」「事前に性別を聞いておくのか」「犬帯を締めたり戌の日参りのようなことはやるのか」……披露宴みたいに招待客がいるわけでもないのに、決めることが山ほどある。しかも、子どもが出てくる9か月後までに決めなきゃいけない。実際には妊娠に気づいたときには残り時間は8か月ぐらいになっている。わたしは産む気持ちが揺らいだことはなかったけれど、大きくなっていくおなかを見ながら「もう引き返せない」と思ったことは何度もあった。こちらの心の準備が整っていようとなかろうと、おなかの中身は着々と外に出る準備を進める。
「時間の枷」もストーリーを盛り上げる大きな要素。妊娠期間は普通に過ごしているだけでも十分ドラマティック。

忙しい役所よりも決裁事項が山積みなのに、人の命、一生に関わることだから、安易には決断を下せない。羊水を採って先天性異常を調べる検査を受けるかどうかの選択は、産まれてきた子に障害があっても受け入れる覚悟があるかどうかを問われる。名前は、どんな人生を歩んで欲しいかの祈りでもある。答えをひとつ導き出すたびに、自分はまだ見ぬおなかの中の命とどう向き合おうとしているのか、態度が定まってくる。おなかが大きくなるにつれて妊婦の腹が据わってくるのは、おなかの中身について考え続ける(そうせざるを得ない)からだと思う。

「産むかどうか」悩んだ末に「産むけれど別の人に託す」選択をしたJUNOには、産むことへの迷いと戸惑いがつきまとい、思いっきり動揺する。だけど、流されない。壁にガンガンぶつかり、不安や苛立ちをぶちまけながらも、自分の直感を信じて、こっちだと思った方向へ突き進み、未来をひとつひとつ選んでいく。その真っすぐさが、観ていて気持ちよかった。怖いぐらいのスピードでおなかの中の命が育つ一方で、おなかの主もかつてないスピードで成長する。あの激動の9か月の興奮と手ごたえを思い出させてくれたJUNO。失ったものはたくさんあったはずなのに、出産を終えた彼女が不幸せに見えなかった。

2004年07月18日(日)  ニヤリヒヤリ本『ニッポンの誤植』
2000年07月18日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)

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