2008年04月02日(水)  マタニティオレンジ261 「お母さん、しっかりしてください」と歯医者さん

娘のたまが歯磨きをいやがる。激しくいやがる。その弱みにつけ込むような某幼児教材のDMが届くたびに心が傾く。同封されたお試しDVDを見せたところ、歯磨きのシーンに食いついたのはいいけれど、真似をしようとしない。見物だけしていても歯はきれいにならず、これでは目が悪くなる。

どうしたものかと思っているところに近所の歯科クリニックのパンフが郵便受けに入っていた。子どもの歯磨き指導もしますとのことで三月から週一回ペースで通うようになり、今日で四回目。最初は診察台に乗る(一人では座れないので、わたしがだっこする)だけでも泣き喚いていたけれど、やさしくてかわいいお姉さんに少しずつ慣れ、泣き出すまでに持ちこたえるようになってきた。お姉さんは歯茎の模型を磨かせたりして歯磨きに興味を持たせ、「じゃあ、たまちゃんもやってみる?」と口を開けさせ、まずは自分でやらせてから仕上げ磨きに取りかかる。「奥歯をまず磨いてください」などという説明をふむふむ聞きつつ、たまをなだめるのがわたしの役目。

三回目でずいぶん慣れたと思ったのだけど、今日は早いうちからぐずりだし、手足を振り回して暴れた。なだめても泣きやむ気配はなく、お姉さんと二人で「どうしましょう」となっているところに、「さっきから隣で聞いていたら、なんですか!」とパーテイションの向こうから、隣で診察していた院長女史が飛び込んできた。「お母さん、これが終わったら帰れるからねって、あれ、何ですか! 主導権はお母さんではなくこちらにあるんです。いつ帰るかはこちら決めることです」といきなりまくし立てられ、あっけに取られてしまった。そんなに叱られることをやった覚えがなかったのと、やさしいお姉さんとのギャップに、ぽかんとなった。ここの歯医者はアメとムチなのか。いやいや歯医者だからアメはマズイ。「診察が終わったら帰れるって言っただけなのに」とうらめしくもなったが、言い訳すると火に油を注ぎそうなので、はあ、と相槌を打って聞き役に徹する。

「お母さん、ふだん、家でどうやって磨いてますか」と院長女史の詰問がはじまる。「どうやってって、普通に」とわたし。「ちゃんと磨いてますか。ちゃんと磨いてたら、こんなにいやがるはずはありません」「いやがったら、やめてます」と答えると、「なんでですか!」と追及はさらに激しくなった。「虫歯になって困るのはこの子ですよ。子どもがかわいそうだからって甘やかして、もっと痛い思いをすることになるんですよ!」。その勢いに気押され、わたしは、はあ、としか言えない。「おさえつけてでも歯磨きすべき」という意見もある一方で、「歯磨きに恐怖心を抱かせないよう、楽しんでやることが大事」という声もあり、わたしは後者を採用して、気長にやっていた。でも、独力ではなかなか埒が明かないので、専門家の指導を仰ごうとクリニックに通っているわけである。ちゃんとできていたらここには来ない。「こちらは協力しているだけです。お母さんが主体性を持ってやらないと。それができるのはお母さんだけです」と今度は妙に持ち上げられ、主導権は譲りつつ主体性を持つって難しいなあ、となんだか面倒な気持ちになった。

わたしのようなのんきな母親には、これぐらいガツンと言わないと効かないのかもしれないけれど、あと10歳若かったら自信をなくし、あと10%血の気が多かったら「二度と来るか!」となるところだった。もう少しやる気が出る言い方はあるでしょうにと恨めしく思いつつも、そこまで言われたらやってやろうじゃないのという意地もあり、次回の予約を入れた。母親の負けず嫌いな性格を見通しての挑発だとしたら、さすがである。

それにしても、母親というのはよく叱られる。妊娠中にはじまり、「お母さんしっかりしなさい」と何度言われたことか。会社でも脚本の仕事でもこんなに叱られた覚えがない。年は食っても初心者なんだからしょうがないじゃないかと開き直りたくなるし、「お父さん、しっかりしなさい」はあまり聞かないのも不公平な気がする。そういえば、わたしの母も病院の先生によく叱られていた。わたしが喘息の注射をいやがったときも、視力が急に落ちたときも、声が急に出なくなったときも(結局、治りきらずに声変わりした)、「何やってたの!」と叱られるのはわたしではなく、母親だった。子どもがほめられて育つ陰には、叱られて、何くそと踏ん張る母がいる。

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