un capodoglio d'avorio
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2003年08月07日(木) つか「売春捜査官 ギャランドゥ」(高野愛チーム)2

伝兵衛役の高野サン・・・、健闘、なんだけど。
致命的なことに、喉が、完全に、潰れてた。
会場に入って、席について、3秒でショックを受けたどか。
もう全然、声に張りが無い・・・。
稽古で頑張ったんだろうなあ、だあって、つか芝居のなかでも、
「飛龍伝」の神林美智子や「銀ちゃんが逝く」の小夏なみに、
かっこいいヒロイン役だもんなあ。
でも・・・つか芝居の金看板「熱海殺人事件」の、
まがいなりにも木村伝兵衛を襲名するにあたって、
声が枯れてるなんて、言語道断、釈明の余地無しだよ。
若手公演だろうが、チケ代千円だろうが、関係ないっしょ。

ただ、さすがに、それを抜きにすれば、
喉をカバーしようとしてるのだろうけれど、悲壮感漂うテンションは、
違う意味で見応えがあった。
あと、表現力が、以前見た「熱海・蛍」のころからかなり上がってた。
前は怒鳴るか黙るかしかなかったのに、
愛嬌や哀感を出せるようになって、ヒロインらしい幅の広さ。
ただ、色気はまだ出ないなー、惜しい。
それは芝居の「受け」が弱いからなんだよね、きっと。
しっかり相手の芝居を受けきって、辛さや切なさを全部乗り越えたところに、
魔力的な磁場を持つ吸引力が発動するという事実。
しかし、自分のアウトプットを鍛えることはできても、
インプットを鍛えることは困難である。
それを、あっけなくやってしまうことこそ、役者の才能。
金泰希という女優は、そういう地点に立っていて、
優れてヒロインの華を散らすことができるのだ。
高野サンはもう一歩、でもこの一歩が大変かも、「時々」はいいんだけどな。
じゃあ、その「時々」のシーン。


伝兵衛 えっ?

熊田  勘弁してください、私には、雪江のような女が丁度いいんです
    勘弁してください

伝兵衛 何を勘弁するんです
    うら若い女が身も心も差し出して好きにしてくれって言ってんのに、
    何を勘弁するんです

熊田  勘弁してください
    あなたは私には重すぎます

伝兵衛 重すぎる

熊田  勘弁してください(土下座する)

伝兵衛 だから、何を勘弁すりゃいいんです
    え、だから私は何を勘弁したらいいんです
    七十億とも八十億とも言われる人間がこの広い地球に生まれ、
    二人出会い、たかだか、六、七十年生きていくのに、
    死ぬほど愛してくれるか、殺すほど憎むかしてくれなきゃ、
    女はやってられないんだ!
    あたしゃ裸でも、何でも好きにしてくれって言ってんのに、
    何を勘弁すりゃいいんです・・・失せろっ!!

(つか「売春捜査官 ギャランドゥ」より)


ここの伝兵衛、格好良すぎ、ああ、泰希サンで観てみたいなあ
(というか、実は頭の中で泰希サンに置き換えて再現すること数度・・・)。
そして、この伝兵衛を、舞台を通してみてみれば完全に食ってしまった、
名優、岩崎雄一サン in桂万平刑事!!
万平が、浜辺のシーンで李大全に扮したここが、この舞台のハイライトだった。


万平  そんオイに対して島は、父ちゃんと母ちゃんを追い出し、
    オイに死ねというんか・・・よおし、分かった
    金太郎、村長サンたちに言うちょきない
    愛しても、愛しても、決して報われることの無かった、
    故郷五島への思い
    決して報われることの無かった大和魂
    そう李が血の涙を流しよったと村長に言うちょけ

大山  ちょっと待ってください

万平  (殴りつける)オイをなめたらいかんばい
    どんなにつらかったか分かるか
    オイが大和魂を持つことが
    名前を変えられ、女を抱かれた
    オイが大和魂を持つことがどんなに大変だったか
    オイは死ねち言われんでもいつでも死ぬ覚悟は出来ちょるばい
    こん李大全をなめちゃいかん(蹴り上げる)!!

(つか「売春捜査官 ギャランドゥ」より)


・・・すごい。
ここの岩崎サンは、本当にすごかった。
たかだか10秒ちょっとのセリフで、良い役者は世界を震動させてしまう。
どかは、この手前くらいから、岩崎サンのスパークを予知していて、
ヤバいなーと思っていたら、直撃食らってしまった。
身構える間もなく、涙腺、決壊。
この濃いいセリフを成立させてしまう岩崎サンの凄みは、
決してセリフ術、アクセントや声量、滑舌が優れているということで、
説明がつくものではない。
ゲイの刑事が、迫害され続けた在日朝鮮人に扮しているのだ。
岩崎サンは徹底的に弱者を演じ、そのいわれのない罵詈雑言を、
遮断して拒絶するのではなく、内に呼び込んで一身に受け止める、
強固な精神力。
かつ、周りの人物のルサンチマンをも、
全てすくいとって行こうとするその繊細な優しさ。
そういう芝居の「受け」がきちんと出来ているから、
あの魔力的な磁場ができあがり、その真ん中から発せられるセリフが、
圧倒的な光量で輝きを放ち始めるのである。
北区のエース、小川岳男を超えてしまったかもしれない。
岩崎サン、ほんとうに、すごい。
このセリフの中の「愛しても、愛しても」の繰り返しは、壮絶である。
壮絶、だったの、本当に。


・・・そう、「売春」は弱者が弱者を切って切って痛めつける芝居。
誰もが幸せになれず、伝兵衛はみなの弱さを一身に背負って、
最後は捜査室で果ててしまう。
そう言う意味ではハッピーエンドとは言えない、
つかの力量が、世相の悲惨においつけなかった敗北の戯曲とも言えるだろう。
どかが99年に観た前のバージョンでは、
伝兵衛は最後の緞帳が下りる瞬間までセンターで屹立して銃を掲げ、
また、五島の村長以下、村民たちまでも救うという強い包容力すら伝兵衛は見せた。
しかし、今回のバージョンは、伝兵衛は銀行員のストーカーの凶刃に果ててしまい、
かつ、五島への捜査網も、伝兵衛はついに、解かなかった。
もはや、包容力を発動させても、追いつかないほど、
時代の悲惨はその加速度を増してしまったということなのだろう。
このバージョンで上演せざるを得なかったつかの無念を思うと、
どかは胸が苦しくなる。
つかこうへいは、世界で一番、ハッピーエンドが好きな劇作家なのに。
つかこうへいは、世界で一番、弱者に厳しく、でも優しい劇作家なのに。

でも・・・、とどかは思う。
このラストシーンにいたるまでの4人の戦いは、やはり見事である。
弱者でも相手を打ちのめす、その「打ちのめし方」は極めてまっとうである。
そして、この「まっとう」さこそ、弱者が強者に対して唯一対等に対峙しうる、
ぎりぎりの赤房下なのだろうと思うのだ。
まっとうに、相手を罵り、まっとうに、相手に差別用語をたたきつけ、
まっとうに、相手のことを好きだといい、まっとうに、相手のことを蹴り上げる。
問題は「何を」するか、ではなく「いかに」するか、なのだ。
そしてこの「いかに」というところで、踏ん張ると言うことは、
全人に赦された唯一の塁土であり、ここでなら、
誰しもが舞台中央でピンを浴びられる。

つかは、このピンスポットを当てながら、きっと待っているのだ。
この脚本を、前の舞台のように、ハッピーエンドに持っていける、
強くて弱い、優しくて残酷な、そんな女優が現れるのを。
いまの高野愛では、無理だ、それは分かり切ってる。
じゃあ、そんな女優が、時代を背負いきれるような女優が現れるまで、
ハッピーエンドの「売春」は封印しよう。
つかはきっと、待っているのだ。

でも、もう、いるよ?

すぐ近くに、この悲惨な芝居をハッピーエンドにできる役者が。

つかさん、早く、早く気づいて。

金泰希の華に。


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