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2003年01月16日(木) つか「熱海殺人事件 蛍が帰ってくる日」(ひよこクラブ)

キャスティング(ひよこクラブ;1/14 16時〜観劇)

木村伝兵衛部長刑事:赤塚篤紀
熊田留吉刑事   :武智健二
水野朋子婦人警官 :高野愛
容疑者大山金太郎 :平岡陽祐
半蔵       :酒井隆之

このチームを見たかった理由はただ一つ。伝兵衛が赤塚クンだということ!確か二年前くらいにやった「蛍が帰ってくる日」で、彼は伝兵衛に挑戦していて、圧倒的な評価を得てたんだよね。どかはそんとき、珍しく観に行けずに(つか芝居を逃すのはホントに無かったんだけどな)、後から一人、若手ですごいのが出てきたと聞いてめっちゃ悔しかったんを覚えてる。後に外されてしまうものの、一時期は御大つか先生より直々に「七代目木村伝兵衛」に任命されるなど、その加速度たるや他の北区のメンバーとは比較にならないほどだったの。ずーっと見たかった、赤塚伝兵衛、ついにかなう!

むせかえるような色気、JAE(前JAC)の武智さんを、朴訥な影をせおうコンプレックスの固まりである留吉役にすえるのが、つかのキャスティングのウルトラC(古い?)。こんな色男がこの台詞を言うのだ、受ける伝兵衛は大変だよー・・・

  留吉 部長、オレらみたいな貧しい人間は必死に生きてるんです。
     必死にはい上がろうとしてるんですよ。一度手を握ったら、
     死ぬまで離さないんです。一度抱き合ったら骨が折れるまで、
     「好きだ、好きだ」と百万回でも言い続けるんです。
     そうじゃないと不安なんです。

  部長 不安。

  留吉 不安なんです。一度差し延べたこの手を離したら、
     もう二度とつかむことができないんじゃないかと思うんです。
     オレらの貧しい人生で、ただオレらは幸せだなと思う一瞬が
     欲しいだけなんです(つか「熱海殺人事件 蛍が帰ってくる日」)

つか常連のJAEの役者さんのなかでも随一のフェロモン男が、こんなしみったれた熱い台詞を言うことにめまいなどか、でも前回の川端くんよりも真っ直ぐ、この決めぜりふが決まってたよ。うまいなー武智さん、ちょっとビックリ、二代目はクリスチャンの時よか数段うまくなってる。しっかり芝居も受けられるし、動きは機敏だし、これでイイ意味の余裕が出てくれば、もう最高。

大山役の平岡さんと半蔵役の酒井さんは、この劇団の新人。でもとくに酒井さんは今回の他のチームで伝兵衛役に抜擢されたつか期待の星。でーもーねー・・・。どか、嫌い、この人。確かに顔はカッコイイと思う。この劇団では珍しくスタイルも良くて立ち姿が凛々しい。まだ薄いけどゲスな表情もできることはできる。台詞術が素晴らしい、新人離れしたうまさでつか節をしっかり言える。でも、この人、ぜんっぜん他のヒトの芝居、受けないの。自分の段取りで自分の台詞言うだけ。しょせん新人か、と思わせられちゃう。しかもこの人、多分自分が上手くてカッコイイと思ってらっしゃる。自分は新人では一番のスターで、伝兵衛もやってるもん。って思ってらっしゃる。だから、こんなに鼻白む思いなんだわ。伝兵衛や留吉がどれだけ感情の波動をぶつけてきても、この人は知らん顔で自分の段取りをこなしてる。だめでしょ。

それに比べると、平岡さん、新人っぽくいかにもまだまだ。でもね、酒井さんと違って、何とか芝居を受けようとしてるのが伝わる。そりゃあ、スタイル良くないし、発声も出来てないし、顔もそこそこだし、台詞術も洗練されてない。でもね、少なくともこの人は真っ直ぐだった、うぬぼれずに。そこが、大山金太郎役とばっちし合って、これからが楽しみ。小川さんみたいな「すごい大山」目指して欲しいな。

水野役の高野さん。この人も新人で、やっぱりまだまだなところたくさん。でもね、渋谷亜希と違って、この人もまっすぐだった。台詞もちょっとリズム悪いし渋谷亜希と比べるとスタイルも・・・だし。でも、しっかり相手の目を見て、全身で誠実に伝兵衛と留吉の気持ちを受け止めてた。大したもんだと思う。段取りじゃなかった。そこには、精一杯の感情のガチンコ勝負が、あった。そう、水野役がこれだけ舞台に尽くしてくれていると、留吉と、伝兵衛の哀しさが初めて疾走を開始する・・・。赤塚伝兵衛、すごかった!

今回の赤塚クン、まず、いままで指摘されてた欠点「声を張り上げるとダミ声になって通りが悪くなる」のが、かなり改善されてた。そしてきちんとつか節を、身体化できていた。だから見てても、劇半ばの展開部の説明シーンでもいっさい、長いなとは感じない。身長は低いのに、この人、タキシード着て伝兵衛になると大きく見えるから不思議だ。本当に、ああ木村伝兵衛がここにいるんだなと素直に納得した。

そりゃあ、甘え台詞があるんだから、甘えたりもするし、泣いたりもする。でもね、山本伝兵衛みたいに、それをタレ流しにはしないんだ。赤塚伝兵衛は、自らの孤独を内に宿して、体を張って台詞をしゃべる。そこにはシナをつけたナルシストの面影は微塵も無い。あくまで寂しさと哀しさはグッと押し込めたうえでのバカ台詞。その伝兵衛の深みを感じさせられるのだから、もうさっきのナルシストとは比べモノにならないね。かっこいいもん。強い、強いけれど弱い、でも強くあろうとするこの振幅の大きさにヒトは、希望を見るのだ。

たとえば、半蔵が抱えるニッセイとミキハウスと群青ホタルに関わる絶望、たとえば、留吉の阪神大震災とそのあとの少年A猟奇殺人事件に関わる絶望、たとえば、水野がむかし部長の父親に抱かれていたという事実が消せない絶望、たとえば、大山金太郎が自分の愛する女からこう言われたときの絶望。

  アイ子 あんたと一緒になるくらいなら、
      半蔵さんの愛人の方が幸せっちゅうとるとよ
      (「蛍が帰ってくる日」より)。

この芝居に出てくる登場人物は例外なく、病んでおり、絶望にまみれて、闇を生きている。その闇とは現代社会の病巣の縮図である。そんな深い深い闇を、劇中伝兵衛は剛速球でぶつけられる。ひたすらカラ元気でバカを繰り返すが、伝兵衛は決して逃げずに、彼と彼女の闇の狂気に、体を張って立ち向かっていく。全ての芝居を、まっこうから受けて立つのだ。そのりりしさ。けれども、忘れてはならないのは、他人の闇の狂気を受けて立つ唯一の支えとは、伝兵衛自身の「闇」だ。伝兵衛は自らの絶望を狂気に変え、その狂気を密かに自らの内で加速させていくことでのみ、彼と彼女の闇を受け止めてきたのだ。

その伝兵衛の「闇」とは、もちろん、愛する水野を留吉にとられてしまうというあらがえない事実だ。劇の中盤の部長の台詞。

  部長 水野君、私も東京警視庁の木村伝兵衛です。
     ただで女を手放すわけにはまいりません。
     水野君、愛とは、安らぎのことではありません。
     恋とは、優しさのことではありません。
     男と女が明日を切り開こうとする強い意志のことです。
     男と女が共に天を頂かんとする熱い志のことです。
     そして幸せとは、その絶望と孤独の果てに見る一瞬の幻のことなのです
    (「蛍が帰ってくる日」より)。

この台詞で僅かに自らの闇をかいま見せる伝兵衛、けれども、また自らの心の奥底に押し込めてしまう。この台詞のあとから、少しずつ赤塚くんの目が、異常な輝きを放ち始める。そして、彼の狂気が疾走を始めるのは、昨日の日記で引いた水野の台詞を受けているシーン。そして、パピヨンのあと、水野が去ってしまった瞬間についに爆発する。核融合並の加速度で、伝兵衛の闇が客席を埋めていく!どかは「哲とそのロッカーたち」の芝居では泣けなかったが、この瞬間は、文句なしに泣けた。台詞も全部知ってる同じ芝居なのに、役者でここまで変わるのだ。

すごい、もう、赤塚伝兵衛の目、なんと形容すればイイのか、破裂しそうな風船とかそんなんじゃなく、チェレンコフ光だ、これが。あの、東海村の事故のとき、被爆して後に身体の細胞の全てを腐らせて死んだあの被害者が、中性子シャワーを浴びた瞬間に彼らの目の水晶体で発生した「死の光」。ボォッと青く澄んだ美しい光を、赤塚くんの目に見たどか。水野が去ってからフィナーレまでの10分間は、闇を解放した伝兵衛の独壇場。

  部長 私はいま、あの北イングランドの嵐が丘に立つ、孤独のヒースクリフです。
     君を思う私の激情が、狂気をつくり、その狂気が嵐が丘の風をつくるのです。
     しかし、不毛のその丘にもヒースの花咲き乱れ、
     ナイチンゲールたちが愛のささやきを交わす春はやってくるのです。
     春の来ない冬はないのであります・・・(「蛍が帰ってくる日」より)

ラストの台詞、この台詞だけで、伝兵衛は一気にこの芝居をハッピーエンドに持って行かなくてはならない。この力業の台詞にリアリティを持たせられたのは、ひとえに赤塚くんが、これまでの2時間10分のあいだ、他のヒトの闇に身体を持って立ち向かい、それぞれの絶望をしっかり受け止めたという事実があったからだ。どんなに悲惨な世の中であろうとも「愛するものを失う以上の悲しさや惨めさは無い」というつかの信念が、伝兵衛に宿り、自分が引き受けた絶望に、自らの狂気を合わせて一気にそれを昇華させてしまう。

闇と狂気のバトルロイヤルこそ、つか劇の真骨頂。赤塚伝兵衛は、そして勝利し、最後をハッピーエンドにすることができた。前から三列目の席でこの奇跡を目の当たりにできたどかは、幸せものさ。


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