再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 生憎の雨ながら。

中間発表無事終了。
この詩的で実験的で、
普遍的で、
だからこそ難解で難儀なホン、
「ロングクリスマスディナー」

面子は今出来うる最大限に近く、
も少し肩の力が抜けると観やすかったかななぞと思いつつ。
私自身も、
この、やる世界観を「決めない」でいられることの有難さと難しさ、
をとても感じている昨今。

今日は打ち上げで、
明日、合評会。
外は生憎の雨。
その分、会場は涼しかったけど。

忙殺の本番連打が漸く終わる…。。。

2010年09月24日(金)



 体たらく

表へでろい!
観劇。
贅沢な大人の本気遊び、
楽しい。

こうゆうのはいいなぁなんて思いながら、
終演後、Kさんと
(確か昨日、鴻巣で呑んだ記憶がありながら)
7月にやはり行ったお店へ。←ここは美味し
単純によいものを観れるとその後の気分もよし(当たり前である)
焼き秋刀魚ご飯?(開いた秋刀魚の間にご飯をつめ、焼いたもの)絶品。

なんかメッセージ性の強いものは現在食傷気味につき、そんな身体にはご飯も芝居もよかった。

とはいえ、ダスから池袋に移動中に定期スイカを落とす体たらく。
たったの三駅…
地下鉄の駅員さんがとても気持ちのよい人で、よかった。
しかし社会生活はどうも支障をきたしている、わたし。
これである。
昨日、買ったのに…(もちろん、紛失届けを出して、あとで再発行してもらえるのだが=再発行料、事務手数料かかる)

2010年09月21日(火)



 修学旅行ゲネ

修学旅行G・P
in 鴻巣。

今旅は開始が早く、終りが早い。
「島」が終わってから、バタバタと一週間(とゆうか、無論、全員揃っての稽古のことで。八月から飛び飛びで稽古自体はしていたけど←なぜ二人いないのに「稽古なにするの?」、などの意見がまだあるらしい(笑)想像力の欠如である)つい先週は打ち上げしていたような記憶…の中、旅前ゲネプロである。
鴻巣、遠い、、、
…なんて、鴻巣にタタキ場や、倉庫のある劇団さんに怒られそうだが…
今日一本芝居としての筋が通ること、これ大目標。

東京でやる時は、なんだかんだ、わたしの生徒さんや関係者さんなんかも覗いてもらうのだが、流石に今回は少ない。。。
逆に、行田市在住の客演、たろうくんのしりあいだらけ(笑)
の、見る目温かいゲネプロ。

前回旅は早々に体育館があったりと、その辺りを意識した分、
今回は逆に「シンプルに」(ま、春の旅の終りからもそんなに時間が経っているわけではないので)、「がんばり・すぎ」の肩をちょっと下ろして、
しっかり「改めて舞台上での会話、エネルギーの交換」を大事に。
役の「行動線・目的」を明確に。
特に今回は、「前半戦」にこだわりながら。←まあ、なにしろ中盤から後半戦にかけては、物語がグッと動いてホンが運んでくれる部分も大きいし(もちろん、それを俳優さんは「隠す」、わけだけど)、中盤以降は実は、前半戦の居方で決まってくるのだし。
客席とのたて交流の中で、(そこも結局のところ、客席との対話・会話)立ち上げるべきか、落ち着いて進んでいくべきか、
それくらいのさじ加減ができるくらいまでには熟成されてきていると思うのだが。(しかしこれはなかなかに難しいよね)

温かい客席にも助けられながら(?)
「空間を」「相手役を」「自分の目的を」摑みながらのスタート。
大きく動く、ことで、やってる気、というのとはまた違うので(決して前回がそうだったというのではなくて←自分の行動線が目的あって、そこに他人が思いもかけず介入(相手にも夫々の行動線と目的があるから)してくることによって変化し、重層的になり、存在の浮き沈みがあり、物語が動いていくのだから)、相手役不在にならないように、のよきスタート。方向性に誰も疑いを持っていないので、動いた時、緊張感、集中度が高まった時のみなの存在力は頼もしい。

結果、勿論、細々と、この段になってもチェックはいっぱいあるのだが、
それは「細かなこと」であって、
「シンプルに」で一本通る。(とはいえ、特に何か違うことをしているわけではないけどね)

この旅も、「祭り」や「静」や「大人」や「子ども」なんかに出会いながら変化し続けて、よい作品がしっかり渡っていってくれたらいいなと思う。
やっぱりこの作品は老若男女関わらず届けられる、しかも、一つじゃない、いろんなモノを渡せる、魅せる、いい芝居だなと改めて。
…しかし劇団員さんたちはあまり観に来ない、出かけている作品に興味なんてないのね、と思ってしまう。。。(汗)

終りで、
「島」で音響プラン補佐してくれたまやさん、「修学旅行」もプランナーKさんも来てくれていたので、
鴻巣で一杯。。。
俳優さんも何人か、バラシ後参加。

「ほんと、鴻巣で呑むんですね、どんだけ呑みたいんですか?」

…言うに事欠いて、
自分らも飲んでるじゃないか…

2010年09月20日(月)



 今週から

ダスの後期もスタート。
修学旅行のスタートと、
テクノの試演会と重なっているので、
ま、なにはともあれ慌てず。
必要に迫られ、戯曲探しでわらわらしている…

今旅短めの修学旅行の稽古、
絶対時間は足りないながらも、
改めて「シンプル」を念頭におきながら、
新しい出会いをちゃんと舞台上で。
「島」があったことで、俳優さんたちのやっていることに対する「確信」めいたものが一つ大きく違いを感じるところかも。
ゲネで全体の疎通が一本通れば、また面白い作品がちゃんと旅立ちそう。

テクノはワイルダーにやられている感。
技巧的な本、ながら、その「存在」が試される舞台。
しっかし、
「島」
「修学旅行」
「ロングクリスマスディナー」
と違うにもほどがある。
無論、基本としていることは全部同じながら…

通し終わりで、池袋へ。
燐光群のチェーホフ
後半は久方ぶり面白かった。
終りで出演のKさん(あちこちにKさんがいるな…)と一杯。
あーでもないこーでもないする。

さ、とりあえず来週までひとふんばり。

2010年09月18日(土)



 「島」パンフレット掲載文

終わったとこですが、
チラシ掲載文も載せたので、一応…

演出の戯言

この猛暑の中、島のことを考えながら、何の変哲もないとある住宅街を歩いていた。
フト目に入ってきたのは、

「ちょっとだけ」 離れるだけでも まず「施錠」

という看板。
要は、町の標語である、ちゃんと七五調だったりするところがニクイ。
出来上がった時点で、これはもう、近所の中華料理屋かなんかで乾杯しているにちがいない。
でも、とても違和感があった。わかるんだけど。これは町会の標語なのだ。
で、その違和感で立ち止まって、周りを眺めてみると―
まず目に飛び込んでくるのは壁に貼られた「犯罪!」の文字。続いて「ダメ!」の文字。
そのちょっと先には、「防犯カメラ稼動!」さらに先、「ひったくり注意!」
―なんだろうか、これは。ここは一体どんな犯罪地区だと言うのだろう…この暑さ以外は見た目長閑な地区には、昼の顔と夜の顔、全くの違いがある、とでも言うのだろうか、途端、この場にいるのが不安になり怖くなってみたりするじゃないか。人間だもの。

もちろん、「犯罪!」はそれ自体より小さく「不法投棄」、「ダメ!」にはその大きな字の中に「ポイ捨て」、「防犯カメラ」は病院の「安全確認のため、立入禁止 病院長」と書いてあるわけだが、
この恐怖と不安を煽る言葉たちは一体なんなのだろうか、自己責任論から生じる危機意識の高揚、とでも言うのだろうか、
確かに、ルールを破る行為者がいてのことなのだろうが…

そのゴミ集積所には「みんなで守ってキレイに」やら「綺麗な町」やらの文字も踊っている。そりゃあ、汚いよりキレイの方がいいのは勿論だし、ゴミだしのルールがキチンと守られていれば街角名物「ゴミ集積所おばちゃん」みたいな人の登場もないわけだし。
しかし、ゴミはなくなったとして、時間も守られたとして、その雑多なくせに整然と貼られているその紙たちを見て、これが町の「キレイ」と呼べるのだろうか、これで町の「キレイ」が守られたと言えるのだろうか、と突っ込みをいれてみる。そんな文字を子どもの頃から見せ付けられていると、どうなってしまうんだろう…。
この町あげての言葉の奥に見え隠れするのは「誰もルールは守らないから、そうそう人の事など信用しないで、甘い考えでいるとやられるよ。人の心はキタナイよ。でも、これを書いている私たちは大丈夫だけど」というメッセージである。自衛の為の、先制攻撃だ(実際はどちらが先だかはわからないのだが)、平和が乱されるから未然に防ごうとする。
これは是か非か、黒か白かの二元論に囚われた僕達の、学が白髪の老人といえる存在になっている頃の、日常東京の風景だ。これはとても小さなハナシだ、でもとても大きなハナシに繋がっている。恐怖と不安を煽るように、日々メディアから発せられる警句に、真偽を確かめる術もないままに、僕らは息をつまらせるしかないし、何せ、北京で蝶が飛べば、この際桶屋が儲かる、くらい言ってしまってもいいくらい、世の中は複雑で雑多に繋がっているのだから。

「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」

ゴミの話ではない。先人の書いた、大いなる矛盾についての言葉を思う。
人という存在自体が矛盾そのものである、でも矛盾している存在だからこそ「考える」ことができ、「考える」ということは、可能性に向かって開いていくことと、同義だ。
特に、この情報過多の時代に、「鵜呑み」ではなく「自分の頭で考える」のは至難の業だし、
みんなどっかで傍観者だ。傍観者は静に物事を眺め、大勢に添うもの、わかりやすいもの、声の大きいものになびいてしまい、いつのまにか「自分が考えたこと」と「みんなが言ってること」が同意に捉えられ、気付くと思っていたのとは全然ちがう場所に来てしまっている。

だから、みんなの意見はコロコロと変わる。
「自分」と言う主語をなくしてはダメだ。自分で考えてみるのだ。一人ひとりの自分が「なぜ?」「どうして?」と問いかけ、面倒くさがらずに深く問い続けること、その一つの個の思いから、大きく動いていくこともあるんだから、

この「島」は決して、「過去の遺産」ではない。
今の日本、でもある。白でもなければ、黒でもない、間の地点である。
島で生きている人間達も、決して「ただの創造上の過去の人物たち」ではない。
今と繋がっているのだ。
全ては人の行為の上にあり、人は人同士の関係の中で動いている、蠢いている。
僕らは彼らにどんな風に出会えるだろう。
学とは? おきんとは? 邦夫とは? 清水とは? 諸々…


その「死」とか「傷」とか「記憶」とか「時代」とか、誰が悪い、ではなくて、現在生きている人間全てが、捧げる思い、祈り、誓いとして昇華させるべきもの。
「自分」として、決して忘れてはならないものがある。

島のことを考えながら、町を歩いている。
僕はほぼ毎日のように、島の人物たちと会う。
普段、意識しないものが意識される。それはきっと新しいなにかの始まりでもあるのだと思う。
そんな出会いが提供できたらうれしく思う。


2010年09月14日(火)



 千穐楽

千穐楽、
この後半にかけては満杯つづき。
なんだか、名残惜しいお芝居なのである。
現状の目一杯ながら、
もっと、お客さんとの縦交流をつづけながら、奇跡みたいな一瞬を沢山生み出せるのになぁ
なんと思いながら。

しかし、今回は殊更に早かったなあ、特に小屋入りして。
この間、新宿間タクシー移動を何度したことだろう…
仕込、場当たりは家帰りをもとより断念(?)して、新宿泊まり、だったりして。

なにはともあれ、会場に足を運んでくださった方々、思いを飛ばしてくださった方々、
そして、俳優さん、スタッフさん含め、この作品に関わってくださった全ての方々に感謝です。誰が欠けてもできないもの、これぞアナログ…

是非に、あまり遠くなぁいつかに、再演をのぞむのである。

特に、まだ芝居が立体化する前、最初の頃に、取材させていただいた方々が嬉しそうなのが、印象的なお芝居だった。
ありがとうございました。


とはいえ、当分この本の稽古はいいです(笑)

明日はうち上がって、しっかり切り替わって、修学旅行の
全員揃っての稽古、である。

2010年09月12日(日)



 中日あたり。

本当に、重厚なよい作品に携わさせてもらっている。
日々、欲求もつきないし。
しかし、本番間際になって、イラッとすることが多いのは気のせいか…
いやだなぁ、
自分も含めて。

この、繭のような、
繊細な、大切な時間を、色んな方に観て、そして直接身体で感じて欲しいと思う。
今回は、結構、りばいぶの時並みに発送させてもらいながら、
仲間的な人間達からは、全くといって良いほど、返信がないのだ(笑)

O田島父さまが、
余りにも子どものような顔をされて
「ありがとう!」
と握手を求められたのは、驚き。。。

ありがたいお話です。
休憩含み、三時間半近くというのに…

修学旅行の稽古も始まった。
八月、ポッとしておいた養成所も。

全部、ちゃんと
「人と人とのぶつかりあい」
を誠実につくるのだ。

2010年09月07日(火)



 初日満員御礼。

前説で、上演時間は途中休憩を十五分はさんで、三時間二十五分を予定しています。
で、ざわつく会場がおかしい。
というか、わたしだって知らずにいったら、キットざわつく。

しかし、退屈な時間はなくつくられているので、
案外、いけるもんです(笑)

前半散らかした物事が、
後半にかけて一気に胸に迫ってきてしまう物語。
予想通りの部分と、
予想外の部分と、
でも、決して「死」の物語だけではない、「生」の物語が、
そこにあって、
きっとよいものを持ってかえっていただけると思います。

本番は、もっといけるなぁ、とは個人的に。
しかし、紀伊國屋くらいなら、
息の一息で会場全体を支配できるのだなと改めて。

5日・6日・
11日昼・12日昼

満席のようです。
間平日、特に夜はまだ余裕があります、
是非、寄ってみてください。


2010年09月04日(土)



 チラシ掲載文

「島」と「現在」   藤井ごう

 「わしらが白髪の爺さんになる頃には、この地球上も大分様子が変わっとるよの。それ迄一粒一粒、種を大事に蒔いて生きるんよの。―その時は、人類に貢献した言うんで」

 被爆者である学の劇中の台詞から約六十年、プラハでは核なき世界への「平和」メッセージが宣言され、兵器削減の条約が締結されつつある。だが一方「平和」を謳った戦争は、今もこの地球上で確実に行われている。―この矛盾。そしてその事に痛痒を感じなくなっている僕らは「想像力の欠如」が言われて久しい。戦争は特殊な出来事でも、過去のことでもない事を知りながら。―この違和感。

 僕らが学の言う「その頃」を生きる人間として、他人にしか残らない筈の「死」の記憶を前に茫然と立ち尽くすのか、何かを共有して普遍化するのか、どうするべきなのか、…きっと答えなんかない。

 ただ、この「島」に生きている人間たちの「現在(いま)」に何かヒントがあるように思われてならない。

あなた自身の為に 人間の未来の為に

という作者の願いと共に、「生」という事の意味を突きつけられている。




…というわけで、
詳細は
http://www.seinengekijo.co.jp/frame.html

このチラシ、いつもR−viveをやってくれているアトリエキノコにお願いしたもの、今回もとても良い、と思います。重ねて見てみてください。

2010年09月02日(木)



 青年劇場 島

第102回公演
「島」
堀田清美=作 藤井ごう=演出


交差する生命の彩。あれから六年、瀬戸内―

1951年、瀬戸内の小島。
広島で被爆し九死に一生を得た栗原学は、
教師の仕事を続けながら将来のことを思い悩む。
朝鮮戦争の軍需景気に支えられている島の生活。
同僚や、東京で働く同級生の言葉。
そして教え子の存在…。

1957年に劇団民藝で上演され大きな反響を呼んだ傑作を、
『修学旅行』でほとばしるエネルギーを吹き込んだ
藤井ごう氏が、現代(いま)、さわやかに描き出す!

◎第4回(1958年)岸田國士戯曲賞受賞作品


出  演

上甲まち子
渡辺尚彦
藤木久美子
吉村直

北直樹
崎山直子
清原達之
真喜志康壮

伊藤めぐみ
岡山豊明
鈴木匡史
矢野貴大
スタッフ

作=堀田清美
演出=藤井ごう

美術=石井強司
照明=和田東史子
音響効果=近藤達史
衣裳=宮岡増枝
方言指導=大原穣子
宣伝美術=atelierKINOcoinc.
舞台監督=青木幹友

製作=川田結子


2010年
9月4日〜12日 紀伊國屋サザンシアター
    JR新宿駅南口徒歩6分、新南口徒歩3分 JR代々木駅東口徒歩3分
     タカシマヤタイムズスクエア並び 

詳細は以下。
http://www.seinengekijo.co.jp/frame.html

五月から、ポツポツと事前稽古を重ね、
八月は、すっかりどっぷり地下にもぐって稽古稽古。。。
さわやかになるかどうかは別として(笑)

三時間超えの骨太作品、
結構、いいです。
こんな機会もなかなかないです。
どうぞお時間許しましたら、新宿まで足をお運びください。

2010年09月01日(水)
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