再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 おっとお(汗)

当たり前のことだが、こうして土曜日並びにたわ言をアップしていると、ほぼ四回で(たまに五回)一月が過ぎていく事になる。

うーん、改めて当たり前だな。

普段ルーティーン的、または「規則正しい」、または暦どおりに生活をしていないので、こんなことで正確に時間が経っていく事を感じている。
このまま「規則正しい」食生活や、「規則正しい」睡眠もこなしてしまおうかとも思うが、どうもそういうものは性にあっていないようだし(改め言う事でもない)、ましていわんや「規則正しい」人間にはなかなかなれないのである。この場合、別にそれを目指しているわけではないことは置いておく。

まさに「あっ」という間の日々である。
無論、芝居の本番を控えている時程ではないわけだが。あの、何時間、何日、何ヶ月あっても「時間が足りない」と戦々恐々としてしまう、異常な状態の事を言っているわけではない。振り返って、尚且つ、本番がなんとか成功を収めて初めて、「おー、結構充実してたやん」とどうしてか東京人なのに、方言を用いて表現してしまうそのことではなく、言う所の、普通の日々(語弊があったらごめんなさい)の事だ。

本年は通例の十二月の企画をR−viveは行わない。
来年に備え、これから先に備え、その為の良き時間になるはずなのである。
通年でいけば、まさに今この時期は三ヶ月を切った状態で、ずーっとPCの前で、あーでもないこーでもないを繰り返している、史上最も嫌な時間で、自分の無力と、向きあわなければならないとっても大事な(?)時間で、こと、題名は?稽古場は?装置は?お金は?などなど、まさに「すぐそこにある危機」的状態なわけである。そうでないから、時間はあまりあり、ゆっくりと、そして静かに過ぎていく。

のかと思ったら、とんでもないのだな、これは。

そりゃあ勿論、今現在は別口の本を書いているから、そういう事情も勿論あるのだが、感覚として、比較的「ゆっくり」に時間は過ぎていると思う。余裕が全くないわけでもない。なのにこうやって気が付くと、「あ」である。これを別の一文字で表現するならば

「あ”」

だな、どう発音するのかはわからんけど。

そんな日々をどう「規則正しく」生活すべきか。もちろんこれは早寝早起きとかそういう小学生の生活目標みたいなもんではない。上記とは別よ☆
比べても仕方ないじゃないかとは思いつつ―
ピアニスト、もしくはその辺りの楽器をしてる人たち曰く

一日練習しないと、三日遅れる。

誰が言ったのかはしらない。
だが、これをスポーツ選手と置き換えたらもっと分かりやすい。

では役者はじめ、われわれは一体何日遅れていくのだろうか。
元々揃って、「本番」に向けてのパワー集団みたいなところがある。
一年通してひっきりなしに出番があるのなら別だが。数少ない例外を除いて、もともと芝居なんて合理的なものでないのにもかかわらず(この時代におけるこれでもかというアナログさ)段々と、「合理的」に考えはじめてしまう。そして、なんだかんだ「動く事」をやめてしまっている。

これはもしかして由々しき事態じゃないか。

ピアニストでもスポーツ選手でもない私はそう思う。

よし、何はともあれ、一日を健全に過ごす事からはじめよう。
時間を有効に遣うためには…
早寝早起き
これだ。

「あ”」

別よ☆
とか言いながら…

ごう






2004年09月25日(土)



 土ならび!

うーん、八月からのたわ言、土曜並びだ、ここまでくると気持ちがいい。
またの名を、わたしの一週間を振り返って。

こうやって土曜日に書くことで、日曜から始まる暦通りの、新たな一週間を迎えるにあたっての心構えと、そんな心構えではじまった週がどんなであったか、自分などなどを振り返る、ありがたーい、たわ言。なのだろうか、どうなのだろうか、そうなんだろうか。多分、そんなことを露とも考えたことはないな。読んでる人がいるのか否かもわからぬまま、どうしてか、ここに向かうと、まんまるさんの言う所の、逃避行動という言葉を借りて、言葉が羅列されていく、そして、大概、というか、大体、いや、ほとんど、いや、全部、くだらない。

うーん、万歳。

一歩間違えると、一週ごとに、プロ野球のストなどなんだの、結果と対策、それだけで終わってしまいそうなんだモノ。私が思う事、それは、単純。ロッテのオーナーはこの後、きっと、大変だ。それくらい。渡辺オーナー、策士。あの人は、こうなることを予想して、先に逃げたな。狸、嫌いじゃない。あ、二つ目だ。
そして古田敦也は昨日、励ましメールを読まれて、泣いていた。アツイ男だ。アツイのは、いい。特に、そうは見えない人の、内燃しているのだろうアツサに触れた時は(どこかの首相の外遊先でのパフォーマンス涙は除く、あれは涙を流す前の間に、別の感涙話を考えていた間だ。他に行かなければならんところがあるだろうに、何故、今、ブラジル? 田中真紀子はそれを評して、「方向音痴」と行っていた。つまり、南にいくなら、南米ではなく、沖縄とか、色々あんだろってことね、上手い、が、自分も相当方向音痴なのは置いておいて)。あ、三つ目だ。
このままいくと、野球のことばかりになりそうだ…、いや、しかしね、とやはりなるのか…、こういう言い方は失礼ですが、そして偏見先にたつになることを先刻承知で、高校、大学、社会人、ひいては中学から、野球三昧、白球を追い続けてることに秀でまくってプロになり、こと、交渉、とか、こと、話し合い(議論)。とか、やっていなかった所謂「たかが選手」。交渉事に秀で、話し合いのイニシアティブをどう取るべきかを熟知し、策略を張り巡らし、組織のトップに君臨している「プロ野球機構の偉い人たち(特に野球に興味はないらしい、野球というビジネスに興味がある。が、ここのところ経営の失敗が目立つ、が、それは自分達もしくは先人がつくったレール上にあることはこの際無視している)」←あの、正式「日本プロフェッショナル野球機構」という名前もどうかと思うが……、一体なにをどう話合えると言うのだろう。だからこそ、「たかが選手」に頑張っていただきたい気持ちはありあり。しかしせめて同じ土俵で話し合いにならないと、先週のように、微妙な、大人の言葉遣いにあれよあれよ、え、まさか、裏切られた!? となります。
こうなったら、微妙な判定とかではなく、しっかりとアウト、セーフをつけてもらいたいものです。ああ、長い四つ目。
かく言う私は、一リーグを見てみたい気もしている天邪鬼。

つまり長々文字を連ねて、問題はわたしだ、という結論にいきついた。←こういうことは、頭の中だけで十二分にやれることはしっている。というか、やらなくてもまず「前提」なのではないかという疑問が頭をもたげたが、「前」に「提出」することはわたしの得意分野とは異なるので、これでいいのだ。←天邪鬼

今週から、休み明け、また別のクラスの授業が始まった。
新しい出会いにはやはりドキドキする。が、やはり最初に見える壁はいつも同じ。
硬い。
これにつきる。
心も、体も、頭も。
これから半年かけて、その硬さと向き合って、柔らかさが一瞬でも見えた瞬間を捕まえ続けなければ…

そして、先月から書き続けている、某時代小説について。
ツイに、初稿にもならない(だめじゃん)稿を先方に渡す。
感想を待っている。やはりドキドキする。
そんなわたしの心と体と頭は、コチコチなのであった…

来週は、柔らかく! これで決まり。

ごう

2004年09月18日(土)



 九月十一日

「こんなことをしている場合なのか」

とこういう時期はよく思う。
本の締め切り間近だったりすると(あれ、今?)、特にそう思う。
家でずーっと「あーでもない。こーでもない。」するよりは、表に行って違う空気を吸う。息抜きに映画でも観る。違う小説なんかを読む。こういう時は、頭が動かないから体を動かして汗を流してみる。思い余って飲みに行き、悪酔いする。挙句、まだ出来てないのに、それを超え、次の仕事の打ち合わせ。などなど「こんなこと」をあげると、枚挙に遑が無い。

ふと思った、今日は9.11なんですねえ。

あの日から三年、ということですかあ。
ちょうど今くらいの時刻でしたか…

わたしは地方に仕事で行っていて、丁度その日から東京からのスタッフ勢が一時帰郷、本番までの一月余りをわたし一人残された記念すべき(?←不幸ともいう)日で、その頃のスケジュールと言えば…、午前、起きて喫茶店でモーニングを食べつつ、12月に迫っていたりばいぶの本を仕上げる時間。昼。なんだか適当に地の物を食べて、昼から夕方までその仕事の台本を読む。そして夕方から夜まで稽古。で、夜は夜飯と言いつつ、スタッフさんと飲む。

なんてことを繰り返していて、
ただ一つ違ったのは、この日から呑みに行っていた人らが帰ってしまったことで。
三十人を抱えた稽古の初日を終えたわたしは、地元のうどん屋さんに入ったのでした。

特に混んでいるわけでもないのに、なぜか、テレビの前だけ、人が集まっていました。そこには二棟のビルが映ってました。わたしはうどん屋に入ったのに、邪道にも蕎麦を頼んで、店の人間に変な顔をされ(←じゃあ、品書きに「蕎麦」などと書かなければよいと思うのだが←その地方はうどんが有名←じゃあ、うどんを食え←なので、うどんを食べる機会が滅茶苦茶多い←偶には蕎麦を食べたくなる←じゃあ蕎麦屋にいけばいい←確かに…)「なんの映画かいねえ」なんて思って、店でわたしだけ遠くからテレビを見、すぐに二機目が突入…。まだ映画だと思ってたけど、周りが騒然→事態を把握(把握しきれるわけはないのだが)となったのでした。蕎麦はしばし出てきませんでした。

部屋に帰って、B学座のA野くんと電話で話す。
その頃、彼も商業演劇で地方まわりをしていた。
地方に来ちゃっているもの同士で、
「なんかえらいことになってるぞ!」
と、ウルトラマンの怪獣登場の台本にも書けない様などうしようもない言葉を言って、捉えがたい、大きすぎる現実を前に

「こんなことしてる場合なのか?」

という、誰にも答えられない質問を投げかけていた。
最近になって、この時、結構こういうことを話し合ってた人たちが多い事を知った。

「こんなことをしてる場合」

いや、そりゃわかっちゃいます。「こんなこと」をしないとして、その後一体なにができるというのか。でも、頭では、そういう一つ一つって大切なんだろうと。それについて実行とはなんなんだろうかと。

気が付くと、わたしは「こんなことをしてる場合なのか?」という人たちを描いていることが多い。
側面は色々、
イタイ時、イタクナイ時、内容によりそれぞれですが
色んな現実に直面した時、人はどうするのか?何を思うのか?
それを追求する事。

それがわたしにとって、ほんとに「こんなことをしてる場合」に陥らないタメの命題。

なんではないかと思う。

その先になにがあるのかはわからんが…


と、まともだなあ、書き直すか、なんて思いながら、「そんなことをしている場合」じゃない。と慌てふためいて―

本は二冊いただきました。目の前で、買ってくださいました。謝謝。

ごう

2004年09月11日(土)



 なんたることやさ。。。

オリンピックも終わり、気が付いたらゴタゴタしているプロ野球もさっぱりあーそうですか状態だし、メダリスト来る!なんて番組もなんかあとの祭りを地でいっているようで、寒い感じだし、こうなるとスポーツも、さあ!イチロー年間257安打なるか!!と、諸局の番組構成と同じようにしか、思えない今日この頃、いかがお過ごしですか。

そんなところに、連日連日のロシアのこと…
あえてこの場に書くのもいやなんで触れませんが…
感じる事多すぎてしばし思考停止。

あ〜、触れてるなあこれは。
わたしの夏休みもお終い。
依頼された脚色、脚本に向かう。
世紀の祭典を前に大分予定を狂わされ←別に直接私自身に関係がなかったことはよくわかっている。
思わず予定より長い永い長居をしてしまい、そのツケをもろに食らっている…
三日くらいパソコンの前に向かいっぱなし、睡眠時間はないも同然、ようやく少しながら光明が見える。←そして冷静になって三日後、また陥るのだ。毎度毎度の味の素、何時もの通り、進んでいる。

さて、問題は時代小説なわけである。

自慢ではないが、ワタクシ、時代小説を生まれてこの方、ほとんど読んだ事もなければ、さわったこともない、特に日本の。エクセプトフォー三国志。
鬼平犯科帳だろがなんだろが、基本的に、興味を覚えたこともなければ、読もうとか、借りようとか、ひいては買ってみようなどと思った事も無い。

最初に言われたとき、流石に自信まんまんのわたしが自信まんまんに、「一回読んでから返事をさせてください」と答えた。
それから一月半あまり。。。
わたしの手元には、現在、五冊の本がある。しかも先方と呑んで「いいですねえ」なんて言った三日後には、先方に買ってきていただいた、あり難い本なのだ。
いや、苦労しました、なんてったって、読み方がわからない。
無論、そんなに難しく書かれているわけではないことはこの際おいておいて。
実はそんなこと言っても、大衆小説なわけで…

そして特有の、漢字の読み方のルビが、普通の読み方と違うので、内容自体そんなにわかりずらいわけではないのに、あれ、あれ、この漢字読み方なんだっけ?と、五ページ進んでは、最初にルビがふってあったページに戻る。

一応、普段はわからない風な漢字とか、言葉とか、「自分なりの」解釈をして読むわけだが←どうしてこんなにえばっているのかはこの際無視。今回ばかりはそうもいかない、なぜなら、意味がわからなければ、書けないからなのだ。←当然である。

そんなシックハックを繰り返しながら、読むには読んで、一冊二冊と読後の本は増えるわけだが、これがまた、内容がすっかり明後日なのである。

そしてまた一冊目に戻る。
そんなことを繰り返し、三冊目になかなか進めないでいた八月の二週目あたり、

「読みました?」
と聞かれ、当然「まだ読んでいません」などとも言えず。
「ええと、どういう風にしたらいいのかなあなんて思いながら読んでます」
と苦し紛れに答える。
「そうですか、じゃあ、正式にお願いしたいのですが。初稿を九月の…」
と言われた。
あれよあれよあれよあれよ。
その小説的に言うと。

「あなや!」

とでもなるのだろうか。だいたいあなやってなによ。変換すると「穴や」だし、でもこれだと文字面的にも、「落っこちた」または「落とされた」ってところで逆に言葉遊びの真骨頂のようだし。まさに、わたしは「落とされた」のである。誰に?そんなの先方ではない。自分の掘った「穴に」、「穴や!」と落ちたのだ。

こうなったら自分でその穴より這い出るか、横に掘り進んでどうにかこうにか進むしかない。読む、読む、読む。とにかく、読む。背に腹はかえられないのである。だいたいがよく書いている事だが、追い詰められないと動き出せない、究極のM人間である。←或る人たちはこういう、おまえは究極のSだ!と、こうしてわたしの、自分からではない、世間体(狭い)につくられた多重人格が成立する。
追い詰められた時のパワーは凄い。ならきっと追い詰められない時のパワーも凄いに違いないのだが、その辺を突き詰めて、さらに「穴に」入り込む事は、よしではない。
今のわたし、気が付いたらすっかり「楽しく」なってます。
エクセプトフォー書くとき、ですが。読み方がわかると面白いんですわこれが。本を書いていて、或る役に人格がしっかり立ち上がった時の面白さによく似て、人物の性格なり、格好なり、しっかり想像の域までくると、これはなかなか楽しいのだ。

さて、当初の問題はむりやり解決された感があります。
しかしこうなるとこうなるで、また問題です。レベルが2にランクアップです。
「この元々・読・み・物・として面白いものを、どう芝居として面白くするのか」
いや、難題だ。きっとこれをクリアしても次の難題レベル3が現れることは自明の理。先は永い…
それと―
そのうちこの作品の題名は明かしますが。
この作品の魅力の一つに、人のものとは違う力が登場するというのがあります。
例えば、お尻からその鬼は入り、口から出て行った。
やら。
まじないを唱えると、藤の花が人になった。
やら。
その人間は人ではない、生霊であり、透けている。
やらやら。
その女の額が盛り上がり、角が出た。
出た。

素朴な疑問”饌罎任匹Δ笋譴弌

それから―
今はもう絶曲となっている琵琶の名曲を、これまた見事に奏し…云々カンヌン…
こんなのが、話のキーポイントに多く登場する。
だって、もうなくなっちゃった曲なでしょ?
琵琶は?弾ける人いるの?

素朴な疑問舞台でやるにはお金かかりすぎるんじゃないか?

上げていくとキリがない。
こういう時は、書き進めるに限る。
そう思って、しっかりやる気はあるのだが、筆は止まり、このページにはこれだけダラダラと書き続けられる程、現代語では言葉の洪水なのだが…

その八月の電話で、もう二冊、お渡ししたいと言われたまま。
まだ受け取ってません。
悪意はありません。

ごう

2004年09月04日(土)
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