カエルと、ナマコと、水銀と
n.446



 疲れ果てる

=疲れ果てる=

なしくずしになく。なし崩した後は化粧がこぼれて、目の下に滲んだ黒い沁み。際立って見えることはないが、年老いた跡が、刻まれて、目を逸らした先の窓ガラスが透かすのは、雨だ。雨が濡らしたアスファルトのように僕の心に溶け出したタールが浮くと、消し損ねた吸殻が燃え損ねて、異臭が君の鼻先をついたら、すべてを投げ出したくなってしまった。僕も、君も、二人して、泣くことも、笑うことも、忘れることも、できないから、伝票を持って僕は去る。靴の中に滴り続ける。傘を忘れてしまえば。薄い靴底は水溜りに沈んでしまったよ。僕の闇泥とした気持も惨憺。たんたんと、踏みつぶしていく。僕の靴下は疲れ果てる。なにもかも。
疲れ果てる。

2008年11月26日(水)



 パルモア

=パルモア=

 パルモアって名前を付けた私のあいつは、いつも私に見向きもしないから、私の放ったパルモアって単語はテレビに放心しているあいつをすり抜けて、下品な色したギターに吸い込まれていく。ねぇ パルモア あなた、ここから出て行く気なんかさらさらないのね。
 長いこと降り続いた細かい雨が、ふせぎようもなく、私たちの表面に空いた無数の穴から、私たちの寄り集まって凝縮し、枯れ果ててしまった汚泥のような内臓を濡らすのだ。永久凍土の大地で腐ることもなく堆積した枯れ葉がいつの間にか泥炭に置き換わってしまうように、いっそこのまま炭素化したい。そして鉛筆みたいに真っ黒けになった私たちは、郊外に建つ一軒家、ホワイトハウスを模造した、真っ白で、幾度も外壁だけを塗り直して、その腐敗した家族を襲う。私たちの炭素で真黒に塗りつぶしてあげたい。きっと、潔癖的に黒く塗りつぶしてしまうには二人の身体は丁度よいから、終わった後に残るのはほんの少しで、転がされて、雨に打たれて、多くの時が経つと、滅亡の大地震とともに地中深くに埋められ、大地の圧力でなんともないきっかけを機に、元素Cの配列が変わった。二つのダイヤモンドが二万年後のここ、地下三千メートルのところに並んだ。
 頭痛が治まってくると、料理をしようという気分になって、重なりに重なった洗い物の量に幻滅しながらも、冷蔵庫を開くと、三か月も前に買った野菜たちは溶けて、緑の染みをひろげてた。
 パルモアは、雨が苦手なの。パルモアは、冬が苦手なの。パルモアは、頭が痛いの。
 TV画面から流れ落ち続ける情報が、あなたの繊細な神経細胞の中で暴れる。神経と神経の間を、伝達する物質は、結晶みたいに綺麗な色のはずなのに、三日も溜めた精液のように黄色味がかって、半透明の球体。そんな物質があなたの脳みその中を蠢いているなんてことを考えてしまうと、私の脳みそもあなたの脳みそもきっと大した変りなんてないんだから、いっしょよ。私は発狂しそうになってテレビの電源を落とす。虚ろな目で見るあなたは、ようやく錆びついたギターを抱えて、全ての不足にくずれかけた身体を揺らしながら、止めようとした私を押しのけて、何か低い声で、つぶやく いや、歌う。
 私は止める気もなくて、かき鳴らされ始めたギターの調律は狂った音しか出ないのに。G minor 7 を押さえた指の間から、滲み出てくる音は不思議な調和をもって、あなたの呪文のような旋律をかろうじてつかみ、雨の降りしきる音が私の涙腺を、長いこと退化したと思い込んでいた涙腺を開く、きっと今では汗のように綺麗な涙は出ないけれど、温くて埃の浮いた液体。
 あいつは歌いながら、出て行ってしまって、開け放たれたドアからは雨音に交じってかすかな旋律が聞こえてきたけど、きっと、それは私の耳の中でしか鳴らない音だから、私はそれに名前を付ける。パルモア。



2008年11月03日(月)
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