カエルと、ナマコと、水銀と
n.446



 永遠の孤独

=永遠の孤独=

その老人は、自分がかつて竜巻に飲まれ七時間ものあいだその中に閉じこめられていたことを詳しく語ってくれました。「その日はちょうど風のない乾いた日でした−この地方は、セントロレーナンス山脈を越えた風が一年中吹き下ろしてくるものですから風のない日というのは珍しいのです−じつは、その前の前の週にも無風の時間が一、二時間ほど合った後に大きな竜巻が発生して近くの農家の豚小屋が飛ばされてしまっていたので、その日も竜巻が起こるのではなかろうかと不安に思っていたのです。しかし、夜になっても竜巻は起こらないのでなかなか眠りにつけなかった私は外に出ました。今思いますと、少々不用心すぎたのかもしれませんが、風の強いこの地方では、風に月の光が流されてぼやけてしまうので、なかなかその夜のように綺麗な満月を見ることが出来ないのです。そうして私はその月の光に誘われて、庭の白い木のベンチに座り、ウイスキーを少しだけ飲んでいたのです。それはとても綺麗な月夜でした。しかし、私はウイスキーが効いてきたためなのか、眠たくなってきました。そうです、今考えると私はどれだけ不用心だったのでしょう!ひんやりとした木のベンチが心地よくて私はついに眠ってしまいました。次に目を覚ましたのは竜巻の中でしたが、実はこの地方で無風のあと竜巻が起こるというのは、この地方の地形の問題があるようなのです。この地方には山脈と平行して谷があるのですが、じつは、山から吹き下ろしてきた風がその谷に溜まっていくのです。谷はそう大きなものではないですから、ほんの一、二時間のうちに風でいっぱいになってあふれ出てしまうのですが、ほんの少しの確率で、吹き下ろす風が継続して一定の強さで谷に流れ込みますと風は圧縮されてしまいます。そうですね、地震が起きる原理と少し似ているかもしれません。圧縮された風は、少しでも吹き下ろす風の均衡が壊れると、一気に流れ出し、それはそれは大きな竜巻に変わります。そうです、その夜私を閉じこめた竜巻はその竜巻だったのです。そうして、眠りから覚めた私があたりを見渡しますと、そこは竜巻の中でした。竜巻の中は、暑くも寒くもなく、不思議なものですが物音さえもありませんでした。物音がないどころか、実は竜巻の中では時間は途方もなく引き延ばされていたのです。時間が極限まで引き延ばされると、もちろん音なんか聞こえることはありません。しかし、不思議なことにある程度の質量を持つものは動くことが出来ました。質量がないものとあるものとの間に働いていた力の違いなどは、学識のない私には全く分かりませんが、私は動くことができ、豚小屋の中の豚は普段通り互いのお尻の臭いを嗅ぎ合い、雁の群は羽を休めていたのです。ただ、私たちが動くことができたというのは、竜巻にとじ込まれたという不幸の中で一番の不幸でした。そうです、そうなのです。永遠です。永遠の孤独です。時間と行動の間で比例関係が崩れたがために、私は永遠の孤独を味わいました。何もありません。永遠の孤独です」息を一つ長く吐き出して、その老人は目を閉じました。ながく、ながく、死んでしまったように思えるほど目を閉じ、最後に涙が頬を流れました。

2005年06月05日(日)



 

=藍=

次第に暗くなっていく夏の七時過ぎを、友達の輪から四歩下がって通り過ぎると、俺の軌跡が線香花火色になってしばらくそこに残る。はらはらとその光は降りていき、夕暮れと同じ色したアスファルトに落ちると、少し、生物たちが息絶える最後の瞬間に見せる震えのように消えていく。たとえば、夏祭りの後、酔っぱらった仲間たちが肩を組み、叫び、笑いながら歩いていく姿を俺はいつもの通り四歩後ろから眺めていると、車の通り抜ける音につられて見た向かいの歩道を、浴衣を着た若い女性がずんずん先をゆく彼氏後ろ四歩で歩いている。彼女からは枝垂れ花火色の光が後を引き、地面につく前に空気に飲まれていくように失われ、俺の視線に気付き、光の軌道を見て、もう少しで思い出せそうな遠い記憶を探り出すように目を細めた。光たちは熱量を失い、虫の音が波を立てている凪いだ空気によってちりぢりになり、彦星と織り姫ほどに拡散され、氷を入れすぎた烏龍茶ほど希薄になったがゆえにやがては質量さえも失っていく。それでも、これは哀しみではない。





2005年06月04日(土)
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