15's eyes
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2004年01月30日(金) 占いと本心の関係について

実は、誕生日を迎えた後に、
偶然となりゆきで、ある人に占ってもらった。

占いはよいことも忘れるくらいの私だけれど、
その人は、もう怖いくらい私を
見透かしていたような気がする。
だから忘れられない。


これで路上の占い師なんかよりも
安いかもしれないんだから、
占いの相談料と的中率なんて比例してないんだね。


あー
なんかその
怖いくらいにあてられた過去と自分の本質と、
現状から想像された未来が、
私には少し抱えることが大きくて、
この1週間不安定だったのかもしれない。


予測なんて、
現状から推測するんだから、
確実じゃないんだけどね。


どうもこのまま何も考えずにいくと、
どんな道を通っても、
迷路のゴールは占い師が予言した
一つしかないみたいな
気がしてた。


ゴールはいくつもあるはずで、
それは自分がつくるものなんだけど、
言い当てられた私は怖かった。



未来が。


占いそのものになってゆくような気がして。


時に魔物だね
占いは。
未来を食べてしまうほどの勢いだね。



占いに振り回されるということは
こういう気分なのかなぁと思った。


やぁ
でも
よい経験になった。


人は、自分の考えを
どこかで客観的にみているところがあって、
実は自分の考えの良いところもいけないところも、
自分自身が一番よくわかっているのではないかと
思ってる。


でも、
そうは思っていても、
自分の心をいつもいつも客観的になんて
みることはできないから、
よくわからなくなる時がありすぎる。


はっきりと自分の思いや考えが
浮かび上がらない時が実はほとんどだったり
する。


これは占いに限らないけど、
自分がなんとなくわかっているようで、
わかっていないことを
やはり人から指摘されることって
とても大事なんだと思った。


他人に言葉にしてもらうという
ことは、大きいよ!


心の中だけで思っていることって、
それだけじゃぁ、眠ってる化石みたいな
ものなのかもしれない。


思いや考えは、
呼吸みたいに生きていくために
やっぱり外気を通して、
耳から再び取り入れることで、
力が宿るのかもね。

たとえば、力がやどった気持ちは、
このまんまじゃいけないから、
行動に移すことになるかもしれないね。

または、
違う考えはないかな考え直そうってことや、
やっぱり間違いないってことみたいに
思考が深まることになるかもしれないね。


私は、占い師にそんなことをされたみたい。


私が何を占ってもらったかって、
それは恋愛運ですよ。


告げられたとき、
あぁ。


どこかでわかってたの。




圧倒的に恋人が好きだけど、
恋人にも、私自身にも、
大きな大きな課題があることがわかった。



これって譲れないな。


今年は対決だな。
きっと。


2004年01月25日(日) アホな男からの投稿

まだ土曜日なんですが、
いきおいで日曜日の日記も書きます。

未来日記じゃないんだけどね。
なんだか最近自分の書いてる日記って
その日の出来事の日記ではない気がしている。
思いついてためてることを
書いてる気がする。

だから日にちってあんまり気にして書いていないんだよね。
これって日記じゃないか。
まぁいいか。

それでは土曜日の夜に思ったことを。


ネットサーフィンをしながら、
FMを聞いていると、
DJの人があたりまえのように投稿ハガキやFAXを
読んでいた。

2つ3つネタを聞いている間にムシズが走った。

それはこんなネタ。

ひとつめ
結婚する前から元彼女と続いている。
結婚式当日の夜中も実は元彼女と会っていた。
妻はしらないと思う。
そろそろ手はきらなくちゃいけないと思っているが…


ふたつめ
結婚して子どももいる。
でも実は社内でそれぞれ違う課の子2人とつきあっている。
それぞれ魅力的。
もちろん奥さんも魅力的。
なかなか刺激的な毎日。


ばかかてめーら。


こいつら
アホだよホントに。


失礼
言葉が悪すぎました。


しかし、
ひとつめの男にしても
なぜに結婚したのか?
なぜに手を切ろうとはおもっているんだけど
てんてんてんなのかわからない。
はっきりしろよはっきり!


そして反省のカケラもないふたつめの男。
こいつにはいつか天罰が下ってほしいと思った。
大丈夫。
間違いなくそのうち下ると思うけど。



私は決して浮気とか不倫が
死ぬほどよくないと思っていて
ムシズが走ってるわけじゃない。


これを世の中のみなさんに伝えようと
するキモチがヘンだと思わない?????


やるならひっそりやれよと思うんだけどなー


きっとひそやかな楽しみを
誰かにどうしても伝えたいという欲望にかられての
行動だと思うけれど。

実行に移すか移さないかで、
その男の価値が決まると思うんだけどね。

ホントによい男は不倫しない。
まぁ、間違って不倫したとしても、
ひっそりと完結させる。
そうじゃないと相手の女の人生も狂わせるのを知ってるから。

まぁ、どっちにしろこの二人は
たいしていい男ではないと思う。

不倫しちゃってるボクに
どっか酔ってるんだろう。


結末が見える前に責任をとる心構えはしときなさいよ。
と女の私は思った。





2004年01月24日(土) ドキュメントを観て

金曜日のテレビで
あの代理母出産をした
向井・高田夫妻のドキュメントを観た。
向井さんが癌になってからずーっと
テレビで新聞で
彼女の記事を私は読んできた。

癌って私の母もそれで死んでいるので、
治療の経過もなんとなくわかる。
現実に母と同じ病院で亡くなっている
人の中には向井さんと同じくらいで小さな我が子を残して
死んでいった患者さんを何人かみていたから
人ごととは思えなかった。


子どもを
授かって
産むって
ホントに楽じゃないと思った。


産む・産まないは人の選択だから、
代理母で出産しようと
誰もそれに意義を唱える必要はないんじゃないかと思うんだけど。

もちろん、自分が腹を痛めたくないから、
代理母を選ぶという人も世の中にはいるらしくて、
だから代理母制度が誤解をうけるっていう事実は知っている。

でもね
子どもがほしい。
その道がまだ完璧に閉ざされたわけじゃない。
という夫婦に誰が、
子どもを諦めろと言う権利があるのかな?

私はそう思うから、
向井・高田夫婦のチャレンジは、
夢を叶えるために努力する人々の中の
一つの形に過ぎないと思った。

癌の後って楽じゃない。
抗ガン剤でも放射線治療でも
それはそれは弱るのだ。
体が自由がきかなくなって
見た目にもはっきりと弱るのがわかる。

それなのに、
それなのに、
何度も渡米するだけの体力。
排卵誘発剤を打ち続ける努力。
いつ癌が再発するかわからないのに
前向きに生きる挑戦する心。

もう、小学生の感想みたいにただ「すごいや」
としか思えなかった。



子どもをほしがって授かった人たち
ほしがらなかったのに授かった人たち


私は、仕事柄もう何人も両者の親をみているけれど、
本当に考え方には隔たりがある。
でも、
ひとつだけかわらないことが。


それは、
子どもを産んだっていう事実
子どもがいるという事実
なんじゃないかと。


この事実を受け止めて
産む選択を選んだ自分を愛して
子どもを愛して
責任をもって育てようね
と思うんだけどね。


世の中はそんなに簡単じゃないのかもね…


2004年01月23日(金) 実は注入したいこと

ちょっとあいた日記だった。
元彼の話はなんとなく忘れようと思っていて、
もう気にしないようにしている。

私にとっては過去も大事だけど、
今も大事。
もっと大事。

また、
出会ったら、その時はその時でいい。
ようやくそう思えるようになったかな。


仕事は少しばかりのんびりムードになっている。
淡々と日常の業務をこなして
進級させるために、
つけておきたい力の残りを
注入しまっくている感じ。

いや、
「覚えておけよ漢字!」
みたいなこともやってるけど、
注入したいものはもっと抽象的なもの。


かっこよくいえば、
考える力みたいなものかなぁ。

考える力って、
教科書に「こうやって考えよう」なんて、
書いてないけど、
実は学年に応じて階層をなしていて、
きちんと指導していかないと、
取り返しがつかない。

たとえば、

人の話を聞くときはどうするか。

自分が話をするときは、どうするか。

人から質問されたらどうするか。

人に質問するときは何に気を付けたらよいか。

話し合うときに大切にすることは?

困ったときはどうするか?

ケンカしたときはどうするか?

自分の気持ちを話すときは?

迷ったときはどうするか?

というようなコミュニケーション系のものって
6歳は6歳なりに考える力必要だし、
12歳は12歳なりに考える力必要だと思う。
12歳のその子が6歳の時と同じ解決・思考回路ではいけない。
年齢を重ねるごとに
きちんと学ばなければいけないことだと思っている。

じゃないと急に大人になってから、
相手を受け入れよう
自分を表現しようなんて
ムリだから。


そういう意味でいくと、
このつけたい力っていうのは、きっと
他人と出会わないと身に付いていかないと思う。
人に出会ってはじめて磨かれてゆく力だと思う。


学校が、
つらくて
面倒くさくても
そこに学校の価値があると思ってる。

まー
こんなこと子どもに言っても
最初はさっぱりわかってもらえないんだけど。


でも、きっとなんで学校に通わなくちゃいけないの?って
学校の価値を聞かれたら、
私はきっとこう答えると思う。


自分で考える力をつけてこれから先を
生きてゆくためだとね。



2004年01月17日(土) 時間に勝ってない

ちょっとした偶然から、
以前つきあっていて、
遠距離恋愛になってしまって別れた恋人が、
再び戻ってきたことを知った。

そうか
ついに戻ってきたのか。

まぁ、いつかは戻ってくるもんだと
思っていたけど。


今は直接の接点がない私と彼だけど、
どうも歯切れが悪い感情の自分…


いやー
同業じゃないんだから、
住んでる場所だって、もうわからないんだし、
と思いつつも。


彼とは食べ物の趣味が恐ろしいほどに一致している
というのがネック


きっと二人でよく通ったパスタ屋や、
カフェでいつか出会うような気がする。
映画の趣味も似ているから、
出会うような気がする。


会ったからってどうなるわけでもないのにね。


ホントにもう考え過ぎなんだから!
と思うんだけど。


なんだか時間にまだ勝てないのかな…

私には、まだ、今の恋人と過ごした年月よりも、
ずっとあの彼と過ごした日々の方が長いのだ。


やーだー
こう考えてる自分が!

この思考回路が!


さっきからゼンゼン進歩してない。


長いからってなんだって思うんだけど、
時々ふとした瞬間にその彼が蘇ってくる時がある。
似た背中を時々街でみかけて思いだしてしまう。



好きだとかいう感情はもうないんだけど。
どうしてるかな?って考えていたことが
全くない3年間ではなかった。



私は私でも
もう前の私とは少し違うと思うし、
今の恋人とつきあっているのも、
前の恋人のことがあったからだと思っているし、
後悔とかそんなんじゃないんだけど、
ないんだけど…


できるならもう蓋をしめておきたい
鍵を3つくらいかけておきたいという
この感情はなんなんだろう。



なんだか結局、過去の自分を肯定してないのかな…
それとも私の現在も彼の現在も
見られる勇気も
見る勇気も
持っていないっていうことなのかな…


なんなんだろう
なんなんだろう


この感情の揺さぶりに落ち着かせようと
思っている真っ最中




2004年01月16日(金) 読んだ本の話

部屋の中がゼラニウムのよい香り…
やっぱりPMS関係のいらいらだとこの香りが
効くんだよね。


「世界の中心で愛を叫ぶ」を読んだ。
期待して読んでみたんだけど、
やっぱり売れてるっていう理由で本を選ぶのは良くないのかも。

私の感想はもう一度読む気はしなかった。
純粋な恋愛感覚を描いたモノかもしれないんだけど、
どうも涙が出るほど感動はしなかったな〜

きっとこんな風に人を好きでありたいと
これを読んで思う人はたくさんいるんだろうな。


あー
でも、
なんていうか
とても偉そうなんだけど。

きっと私が読んでて惹きつけられなかったのは、
きっともうどこかで学習してる感情だったり
何かで既に出会っている文章だったからなんだと思う。


とりあえず自分にとっては、
何か新鮮な感覚を覚えたり、
大切にとっておきたいフレーズがない限り、
おもしろい本って思えない。


少なくても自分自身にはこの本の文章からは
みつからなかった。


だけど、
きっと他の誰かは、
そんな文章をこの本から見つけて
いたりするんだろうな。
そうじゃなければ、
こんなに売れないはずだもんね。


映画もやるみたいだけどね
どうなんだろうなぁ。
せめて、
ただありきたりの恋人が死にゆく内容
だけで終わってはほしくない。
小説化の映画は駄作になることが多いと思うからね。

そういえば、活字大好きなくせに
我が家には文学全集の他に手元に残っている
本は少ないことに気づいた。

売るからなんだけど。


とっておいたらきりがないので、
もう1回読みたくなるぜと
思う本以外は頻繁に売るようにしている。

そうやってると
ホントに手元に残る本は少ない。

HPのリンクもそんな感じで。

これからリンクの作業しますが、
おそらく私の興味・関心周期は
短いと思われます。

リンクもまめに更新していきたいものだけど
無理だな…



2004年01月15日(木) どうしようもないお手上げな状況で

なんだか日にち、昨日間違えた気がする。

時々人と接するこの仕事について、
どうしようもないなぁ、お手上げという
状況に陥る。

なんだかね。
人の人生に首つっこんでいるようで、
寸前で切られるというか。
断たれるというか。

イミわかんない表現なんだけど。

親権はあくまでも親にあるので、
自分にはどうしようもできないことが
この仕事には、ある。


じゃぁ、仮に私が自由に決め手良いのよ、
と言われても、
きっと子どもの
全責任を負えるほど私は有能じゃない。
無理だ。

そんなのわかってるんだけど。

嘆いちゃうよ。


あぁ、ずっと引きずってるんだけど。


ホント、自分の人生を思うがまま、
自由に生きたいのなら、
ただ、それだけなら
子どもを安易に産まないで欲しい。


いや、
もう、
既に生まれてきてるんだからね。

仕方がないんだけど。

それに、
生まれてきた運命みたいなものを
背負ってしまった子どもには、
その環境の中で、
きっと何かしら生きてゆく
意味があるはずなんだけど。

そう、信じてるけれど、
その運命をまた、生み出すのも、
親だと思う。


人の運命を生み出すことってやっぱり大事だと
思ってほしいし、「責任」を感じてほしい。

私、
まだ自分の子を持ったことがないけどね。

親になれば、
それは行動にも思考にも
制限も出てくるかもしれないけれどね。

けれど、
それよりも代え難い、
宝ものじゃありませんか?
子どもって。


それよりも、
自分の道が
自分だけの道がほしいんですか?



わからないなー
わからないのよ。
ぜんぜんわからないのよ。

だから、
いらいらしてんのかな。








2004年01月14日(水) 徒然

リニュをした。
リンクまで進もうと思ったんだけど、
4つ貼ったところでソフトが強制終了になり、
やる気低下した。
やめた。
また今度。

年始に旅に出かけてきた。
今回は博多と長崎。
とてもよいところで、
住みたくなるほどだった。
食べ物うまい。

友人宅に泊まった以外は、
基本的に一人旅だったんだけど、
いろいろちびハプニングありで、
楽しい旅だった。
旅はこうじゃなくっちゃ。

トップの写真は、
長崎のグラバー園の近くの
電停。
この近くのモントレーに泊まったので、
記念にとったもの。

電車すきだわ。
あわてていない時には。


自宅から、
2,3分のところに、
うまいスコーンを焼いているカフェが
あることを知った。
今まで食べた中で一番おいしいスコーンだった。

私もあんなふうに作りたいと思った。
しかし、卵なし牛乳なしであんなに
おいしくつくれるとは。
驚き。


あぁ、
書きたいのは、
こんな事じゃないような気がする。


博多で再会したAちゃん(3月の日記参照)のことや、
おいしかった旅でのごはんのことや、
実習生くん(TEXT参照)から突然きたメールのことや、
とても素敵なネイルサロンのことや、
そのほかいろいろ書きたいことある気がするんだけど、
今、書く気がおきない。


よくわかんないんだけど。

きっと精神的なバイオリズムのせいだと
思うんだけどね。

うーん。
では、また明日。


2004年01月06日(火) あけました

えぇと
あけましておめでとうございます。

今年もゆっくりでいいから、
更新がんばろう

お正月の間に私は28歳になった。

このたびはちょっと嬉しかったりする。

私どうも28歳という響きが好きだった。
昔から。
なぜだかよくわかんないけど
ままごとでも28歳とか決めて演じてたし。←ぷ

はぁ
実際のところ
誕生日が過ぎたからってなんのかわりもないんだけどね。


あぁでも、
今年は彼がお休みをとってくれて、
ごはんを食べてきました。

私が急遽仕事が入って夕方から
会うことになってしまって
彼のめったにとれないせっかくのお休みが、
かなりもったいなかったけれど。

はぁー

まったく。

仕方ない。

先生は時には救急車、救急車。
いつでも どこでも 出動よ。


歌つくってる場合じゃないんですが。


まぁ、正月早々いろんな家庭があるものだ。

自分が年をとったのか、
なんなのかわからないけれど、
「常識」とか「モラル」とかって
いったい何だろうと再び思わされた。


生き方には、教科書があるわけじゃない。
そう!
生きていくために一番大切な
「生き方」の教科書ってないんだねぇ

きっとそれは、思想の自由を制限しちゃうことに
つながっちゃうから、ないんだろうけれど。


でも、世の中が荒れているこのごろ、

最低限の「生き方」みたいな教えって
共通化できないもの?


たとえば、
家族を大切にするとかね。

たとえば、
子どもを産む
産んだからには育てる責任を持つとかね。

食べていくために職を探す努力をするも大事だよね←「努力」がツボ

なんだか、
書いていてあたりまえすぎて
悲しくなったけれど。


家庭が「家庭」として機能せずに、
崩れてゆく現場にまたしても直視してしまって、
憂鬱…


そうだ。
旅の記録を書こうと思ったのに。

あーあー

いけない。
新年初の日記が憂鬱なものになってしまった。


いかんいかん。
こんなはずじゃなかった。

次は楽しく書くぞう



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15(ichigo)