15's eyes
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2003年10月30日(木) 授業って感動って

今日もやはり平日仕事モードなので
真っ先に仕事のことを書くよ。

つまらん文章になりそうですが、
私生活のこと読みたい人は
週末にでものぞきにきてくださいよ。

やー
でも週末も仕事してそうなんだけどさ。

それだけ、
仕事にはまってしまった。
なんでだろうなんでだろう。

やはり人生のタイミングなのかな。
恋人のことはすっかり
引き出しにしまって生活する平日。


で、仕事の話。


授業ってやっぱりエンターティメント


45分の中にやっぱり大げさに言えば、
こどもに感動がなくっちゃ


その感動の種がなかなかみつからないから、
正解は一つじゃないから、
授業研究がいろいろな人の手によって、
ずっとずっと以前から、
行われているんだろうな。

他人の授業研究に関わってみつけたことは、
きっとそれぞれの先生によって、
授業の流し方というものは個性があって、
10人いたら10人の授業というショーがある。

それでよいんだと思った。
その先生が伝えたい焦点がぶれなければ。
どういうアプローチだって決定的な間違いは
ないんじゃないかな。


ある先生の実践がすばらしいから、
その追試を行う。

時にはそれもよいだろう。

毎日毎日追試をしていくことで
授業の腕は上がると思う。


うん、でもね。
先生にも個性はあるからね。
自分という個性を生かした授業に
勝るものはないんじゃない?


知識も学び方も、
先生という媒体を通して子どもの中に入ってゆくからね。


その先生の色があってこそ
記憶に残るんじゃないかな?
って思った。


たとえば、40人のこどもがいたとして、
うぇその色はイヤだ
合わないという子どももいるかもしれないんだけどね。


社会にはいろんな人がいて
いろんな色があって、
影響されあって、
自分という色をつくっていくのだとしたら、
成長の過程に
時にはまずい色があったって、
良いと思うんだけどね。

自分の中にきれいな色ばっかりならべることなんて
ありえないじゃんか。


私は、
今持ってる子供たちに、
自分の色を伝えているんだろうか?


うー

私の場合は悲しいことにまだ自分の色は見えてない。
きっと客観的な判断に頼るしかないな。


あと一つ。

今日改めて思ったことを。


学校の授業はきっと考えのプロセスを
はっきりさせていく場所なんだろうと思う。

どんな子どももきっと「思い」というものは
持ってるんだろうけど、
不完全だから、点というすきまだらけの思考回路。
それを埋めてゆくのが
先生の役目であったり、
子ども同士の学び合いなんだろうなぁ。


すきまだらけの点の回路が線になったとき、
「あーそれなんだよ自分が言いたかったことは!」
「わけわかんなかったけどそういうことなんだ!」
「あいつの言ったことでイミわかった。」

っていうのが、きっと、
感動につながるんだろうなぁ。

それは、目にみえないおみやげで、
学校にくるイミを少しでも感じてくれる
要因になるんじゃないかなって思った。



しっかし、
日々5時間授業で計算すると
45分×5コマの授業があるわけじゃない?

毎日5コマ分の感動づくりなんて無理なんだよねー


いや、1日1個も難しいな

私の場合、1週間に1個も自信ないな…


弱気弱気…


厳しいな
まったく。



2003年10月27日(月) まだまだ未熟

MISIAのライブアルバムがとても良い。
ライブだというのに、なぜあんなに声に艶があるんだろう?
シングルとはまた違うアレンジもよくて、オススメです。

映画「恋は邪魔者」を観た。
レニーゼルウィガーを観たくて行ったんだけど、
展開にはやや難アリ。
ストーリーは、
私も見事にだまされたクチ
あの恋の駆け引きに引き込まれなかったのは、
たまたま今自分が恋の駆け引きというものに
興味が失せてるから?
それとも一般的に考えて
つまらない駆け引きだったの?
わからないなー
ファッションはいいっすよ。
ちょうど今60年代がきてるから。
それから、レニーの脚線美。
「シカゴ」の時にも思ったけれど、
顔はふっくらしてるのに、
なぜあんなにひきしまった脚してるんだろう?
私は、ああいう脚が好き。
鍛えなくちゃいけないな。



宴会の席で



上司に謝られた。
こういうのは初めて。


なんかもう、
自分がみじめで、
つらくて振り返るのもイヤなんだけど。

見ている人は見ている。
そして、
やはり良識のある人は、
たとえ自分が考えて、
謝った判断を下したとしたら、
どんな地位でさえ、
詫びるということができるのだと思った。



私はそんな上司のところで働けて幸せだと思った。
同時に、
自分のために頭を下げさせてしまうなんて、と
自分の未熟さを感じた。




確かに自分が抱えていることは、
「つらい」「やだ」「たいへんだ」って
思ってたけど、
でも、働くということはそういうことだと
言い聞かせていたし、
言い換えてみれば、
これは幅を広げる、
チャンスなのかもしれないとも思ってきた。
だから、自分で思いつくだけできるだけの仕事をしてきた。



新しい要求をされたら、
自分なりに考えて精いっぱいやるというのは、
お金をもらってる以上当たり前だって思ってる。
だから、自分で思いつくだけできるだけの仕事をしてきた。


あぁ、
でも、
やはり。

結局、客観的にみて、
私に荷が重すぎるものを与えすぎたんだろうと
上司は判断したのだ。

そんな風にみられてしまっていたのは、
悔しかった。


やはり温室


学校は、
あたたかい社会の中の温室だと言われても仕方がない。


心優しい上司は、
叱咤もせずに、
私に負担をかけすぎていたと詫びた。



そんな…



あなたにすまないと言われて、
「悔しい」と思った私は、
かわいくない部下ですか?



2003年10月25日(土) やっと気づいた

ようやく休日。

今週は久しぶりに「まいったお手上げ」
というぐらいに忙しかった。

どうして私ばかり忙しくなるんだろう。

そんな思いは、被害妄想で、
勘違い甚だしい。

怒りを覚えるぐらいなら、
仕事なんて手抜きをすればいいのだった。

でも、それができない自分がいる。
どうせやるなら、
結果を出していきたいと、
今の自分は、猛烈に思っているから。
結果を出していくためには、
自分ができることをできるだけしたいって
思っているから。


そんなふうに頑張っていたわけで。

あーばかだ。
一人で旗を振って行進してたよ。私は。


それは、感情的に考えれば、
「忙しさに酔える私」と思っていれば
良かったわけだけど。



それじゃぁいけない。
そんな自分、やだ。


もっと落ち着いて考えていけば、
よりよい結果を出していくためには、
人を頼る、人に任せるということもまた、必要だった。



あぁ、大事なことを忘れるところだった。



それは、子どもの教育と同じ。

子どもは、はじめは何にもできない。
だから子どもにやらせるよりも
さっさと大人がやってしまった方が、
手際が良いし、間違いは少ない。

でも、そんなことばかりしていたら、
子どもはさっぱり成長せずに、
何一つできない、
人任せなヤツに育ってゆく。
いい年してから、
いろいろやらせようと思っても無駄なのだ。
「怠惰な快楽」を覚えている分、
倍の時間がかかるのだ。



大人だって同じだ。
一人でさっさとやってしまえば
楽な作業はいっぱいある。
でも、一人で頑張っていても、
自分がいなければ何一つ進まない、
逆に言えば相手を困らせる状況になってしまうこと
だってあるのだ。

自分が今していることに
どのくらい人を巻き込んで
関わり合っていきながらスムーズに仕事ができるか?


今の私に、課題だなぁ…



どうやら、自分も少しずつ成長してきたんだと思う。
前はそんなことでカケラも悩まなかった。
ううん。
そんな悩みがこの世に存在することさえ気づいていなかった。


ある意味、
何もできない私で、
人に頼らないと生きていけなかったんだと思う。

相手の足をひっぱらないように
追いつくことでいっぱいいっぱいだった。


それが、ちょっとばかり
自分でいろいろ気づけるようになって、
できることが増えてきた分、
さじ加減を間違えて
自分のペースで物事を進めすぎていたんだよ。


きっと、
「相手に頼っていく」大切さを今一度
みつめなおせっていう思し召しなんだ。


気づいたよ。
やっと。







2003年10月20日(月) 男友達と出会った時期

さいきん考えてること。


恋人と知り合う以前に知り合った男友達とは、
平気でメールもできる気がするし、
恋人にも言ってから、
ごはんにも出かけられるような気もする。

でも、
恋人よりも後に出会った男友達とは、
メールもしにくいし、
ごはんに出かけるのを躊躇している自分がいる。


この違いはなんなんだろう?


無意識に、
恋愛が生まれる確率を気にしてるのかなぁ


それとも恋人よりも後に男と知り合ってしまった
自分が悪い子だなーと思ってしまってるのかなぁ。



立場を置き換えてみれば、
自分は、
恋人が昔からの女友達と遊ぶのも
自分よりあとに知り合った女友達と遊ぶのも
あんまりおもしろい気分がしない。



…ということは恋人もそう思うってことなのかなぁ



うーん…



昔はなんの躊躇もしないでヘーキで男と会ってた
自分が確かにいたはずなんだけど。

おかしいなぁ…


いや。
今の感覚の方が道徳的には良いのかな?



どうも
私は今の恋人の前ではよい子でいたいようだ。



彼を傷つけたくないし、
つまらない嘘やごまかしはしたくない。



でも、
なー


ホントに浮気する気も起きないんだけど、
ただただ
会ってお茶だけ飲んで話したい男がいる。



その男は私に大好きな恋人がいることも知ってるし、
たぶん、その男も私になんのアベレージ以上の感情は持ってないはず。


私とその男にはこれっぽっちの
「まずい」「あやしい」「ただならぬ」
感情は漂っていない。


たとえかなり間違った展開になろうとして
その男にどう口説かれようとも
私は、サケのように裏切らずに恋人に
戻るとはっきり約束できる。



でも、それは、
あくまでも私やその男が理解していることであって、
私の恋人が理解してくれるかどうかは不明。



臆病な私は、
彼に尋ねることすらできない。



そして、なんとなく後ろめたくて、
私はその男とは
未だにご飯は食べてない。


あー

でも
なんだかねー


このまま
会って話したい人を放っておくのも、
自分の気持ちに間違ってるような気がする。


こんなふうに思ってる人って他にいないの?


2003年10月19日(日) 歌の歌詞から

柴田淳の「あなたとの日々」がよいです。
この曲との出会いは、仕事帰り。
車のキーをまわして、エンジンをかけたら、
ラジオからきこえてきたのがはじめて。

車をはしらせずに
きれいな月を眺めながら
自分の耳に妙に残った歌だった。

よくよく聴けば、
透き通る彼女の声とは結びつかせたくないほどに
重たい内容の歌詞なんですが。

特に私は、

もっともっとあなたを愛せるなら
ずっとずっとあなたを愛せるのに

きっときっと愛すべき人がいて
ずっとずっと愛せない人がいて
そっとそっと「幸せ」と笑いながら
続いてゆく毎日

っていう最後の歌詞が妙に
ひっかかる。



ずっとずっと愛せない人



あの人を大好きだったはずなのに、
彼が一番大切だと自分の気持ちを確信していたのに、
その気持ちが永遠ではないことを
改めて気づかされた瞬間って、
悲しすぎる。





それから、最後の

そっとそっと「幸せ」と笑いながら
続いてゆく毎日

なんてところは、
女の本心というものをついてるよなぁと思った。



いったい世の中の何人の女の人が、
一番大好きな人と一緒に過ごしているんだろうね?

日常と愛を天秤にかけて、
ひっそりと思案する女の顔を私は想像してしまう。



うん。
でも、自分個人とこの歌をつなげるのなら、


何もかも満たされている私がいる
私がいるんだけど…

っていう部分かな。



響いた。
耳にぴーんと。
心にずきっと。


たとえ手を伸ばせば恋人に触れることができても、
たとえどんなに幸せだと感じていても
こんなぐるぐるとした想いを私も
抱き続けているんじゃないかと思った。
それは、きっといくら恋人に説明しようとしても
無理で、無駄な想い。

ぐるぐるといきつもどりつも気持ちを考えて
考えてる途中で一日が過ぎて、
毎日毎日が過ぎていく…

そんな今の私の気持ちに重なったから、
この歌が自分に響いたのかな…
と思う。





ああ。
職業病かもしれないけれど、
たとえ歌詞でさえ、
文章を読むといろいろ分析してしまう
自分のこの癖をなんとかしたい…


追伸;
この歌を歌ってる柴田淳さんの
ホームページでは、この曲の解釈について
柴田さん自身も少しコメントを残しているの。
そっちもよむと、
むむむなるほどって思った。


ホントに
文章の解釈は十人十色なんだよね。
だから、おもしろいんだけど。


2003年10月13日(月) その人がつづる言葉の魅力

昨日のつづき

彼からは帰宅後にメールがあって、
「温かくなったありがとう」というレスが届いた。


あぁ、うんありがとう。
そう思ってくれて、ありがとう。


でも、
何も期待していなかったので、
私からは特に返す言葉が思いつかなかった。


まったく
冷静に考えると、
レスを期待しないという手紙は、
一方通行みたいな感じな気がする。
手紙でつらつら自分の気持ちを書きつづって
勝手だよねー

いちおう昼間に書いた手紙だったので、
激しい手紙ではなかったと思うけど。


私はやっぱり恋人の前では少しわがままな人間で、
相手がどう考えるかは別として、
自分の感情のままに気持ちをつづった手紙を
渡したことで思いは満たされて、満足したらしい。


果たして彼はそんな私の心までお見通しなのかは、
甚だ疑問だけど。


少し話はずれるけど。


私はここ、最近、
そうだな、1,2年の間かな?


人に何かを伝えたい文章というものは、
自分らしい言葉や書き方があるはずだと
考えてる。

魅力的な文章とは、
きれいな流れるような文章だと答える人もいれば、
いや、簡潔でわかりやすい文章だと答える人もいると思う。

でも、私個人としては、
文章が上手、下手とは関係なく
なぜだか惹かれる文章というのは、
その人自身が伝わってくるような
言葉が詰まっている文章だと思ってる。


私は仕事もそうなんだけど、
書くことで表現するということが
とても多い。


たとえば通知票、
たとえば保護者への手紙、
たとえば研究関係の文書、

そしてプライベートではこの日記。


いつだったかまだ教師になりたての頃、
通知票の所見の下書きを母にみてもらったことがある。
高校教師だった母は、私が四苦八苦になりながら
書きつづった所見をざっと読んで、
一言私に伝えた。



「堅い文章ね〜」



ぐさぐさっときた。


そう。
私の文章は堅かった。
いや、
今でもそうなんだけどさ。
これでもずいぶん柔らかくなったほうなんだけどさ。


日記はずいぶんと書きたいようにかいてるはずなんだけど、
これでも堅い。


それじゃぁ、公文書は?



堅すぎに決まってんだろ
というぐらい、
私の文章は読む人に響かない、文章だったと思う。


自分があんまり好んで使わない表現
まわりくどい表現、
難しい言葉…
そういうものがあふれる、
文章だったんだよね。


言葉の中から
なかなか、私が見つけられない文章だったはず。


まったく何をやってたんだろうと思った。
誰かに何かを伝えたいから、
書いているというのにね。
一番伝えたいはずの自分の心を伝えにくくしてどうするの?
と思った。



自分が考えて、
一番その時の気持ちで使いたい言葉を選ばなくてどうする?

それは、決して上手な言い回しじゃなくてもいい。
それでいい。

だって、自分がもらってうれしい手紙も、
読んでいてもう一度読みたくなる本も、
誰かの日記も、
その人らしさであふれている、
心が伝わってくる
言葉を集めたものたちなんじゃない?


そういうわけで、
私の書く文章たちは、
私の分身で、
いつもおりこうじゃない。

通知票はとりあえずのルールは守るものの、
日記なんかは、
学校の先生のくせに、
「、」だって「。」だって
ルールに則ってはいない。
時々あーとかうーとか
擬態語が入りまくるし、
思考がちがちでへんな文もたくさん出てくる。


あぁ、でもそれでいいやと思う。
それが、自分の言葉だし、
それが、自分だから。




…とかいいつつも、
国語では、しっかり「、」とか「。」
や段落に小うるさい先生になるんだよねー
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2003年10月11日(土) 恋人への手紙

世の中は、3連休なんだけど、
自分としては昨日仕事をしてきたので
2連休という感じ。

昨日の夜に彼がようやく帰ってきたので
今日は昼から一緒にお出かけ。


はー
髪は伸び放題で、
明日は再び仕事ですか。
大変だよねー君も。


帰りに手紙を渡した。
たいした内容ではなかったんだけれど、
ノルマではなく、
自分がただ、やってみたいという意欲のみで、
自分を追いつめるほど忙しく働いてみてわかってきたことがある。
働けば働くほど、今の私は結局は「働く」ということで
自分自身への自信がつくことがわかった。
それから、恋人の支えがどれほど
私の力になっていたかがわかった。


だから、ありがとうの手紙を書いた。


昨日書いたんだけど、
PCに保存しておいた文章を
読み返したときに、なぜだか泣けてきた。


自分で書いたくせに?


まったく
文章というものには、
不思議な力があって。


言葉で自分の思いをあらわしたことで、
私の心は解放されたようだ。


急に手紙を受け取った彼は、
びっくりした顔をしていた。

そりゃそうだろう。
私からの手紙なんて、
年賀状か誕生日カードぐらいしか
もらったことがないのだから。


読んで恋人がどう、
思うかはわからない。


特に何も期待していない。
ただ、最後まで読んでくれればそれでいい。
それでいいの。



2003年10月09日(木) 仕事のにおい

先週高校時代の友達の結婚式に出席してきた。

相変わらずの友達たちと
飲みっぷりで二日酔いコースをたどった。

友達からは、
「おまえも考え方がようやくしっかりしたよなぁ
先生っぽくなった。」と言われた。

成長を認めらたことは嬉しかった。
でも、
ほめられてるはずなんだけど、
あんまり素直に喜べなかったかな。


よくわからないけど、
私もとうとうプライベートでも「教師」
という臭いを出しているのか
オーラを放っているのか。
って思っちゃったから。


やなんだよなー
そういうの。


自分が、
前から見ても
横から見ても
後ろから見ても、
あるはずのない、
一面体というような気がして。


飲みに出かけても、
買い物に出かけても、
なんだかよくわからないけれど、
全然知らない相手でも、
「ああ、この人は教師だろうな。」
という人をみつける。


そういうことないですか?
と同僚に尋ねると、
「ああ、そうそうわかるわかる。
教師ってすぐわかるよねー」
と言われた。


やっぱりそうか。

つまんないな。


これは、「教師」っていう職業に限ったものなのかな?


建築家には建築家のにおいが、
店員には、店員のにおいが、
看護士には看護士のにおいが、
銀行員には銀行員のにおいが、
あるの?


どうなのどうなの??


何にしても、
仕事のにおいぷんぷんするのは、
私はやだなー
ちぇっ、つまんないなぁ
と自分自身にちょっとだけさびしくなるよ。


2003年10月08日(水) ちょっとしたわがままな嘆き

ヤフーの最新ニュース見た?
小学校教諭が子どもをいじめて提訴される。
異例の弁護士503人だって。


まったく…
とりあえず記事を読んだが、ありえない。
なんで先生がそういう言動にでるんだろ。
とりあえず
先生だって裁判官みたいに
いちおうパブリックな時は良心に従って行動しろよ。

こういうやつがいるから、
研修研修研修…
と文科省から定期的に脳みそをチェック
させられるんだよ。

は…
私も言動にいきすぎてる?

いかんいかん
スミマセン。

どうも現実の自分がこれから
こなす研修とだぶってしまって。


教師には、
経験年数に応じて研修制度(必修)がある。


学校間や個人間の研修の密度には差が
あるのは事実なんだから、
全体での研修の必要性なしとはいえないけど、
集中的に3日もクラスをあけて
研修するのはどうかと思うよ?

私のクラスとりあえず荒れてないけど、
3日も子どもを授業を誰かに預ける
っていうのは、
ちょっと憂鬱よ。

自分がねらいを持って進んでる授業を
3日あけてるとさぁ、
狂いかねない…

はい。
ただ、自分の学級経営のもろさ
があるのを認めてるんですよ。


その間にクラスの中で
何かトラブったらどうするんだよ…


自分が目の当たりにしてない
ハプニングをどうやって保護者に伝えることが
できるのかなー

はい。
そこで他の教師との連携がとられる
はずなんですがね。

わかってはいるんですが、
諸手をあげて研修には参加したくない。

どうせ、
私のこと。

大学の講義中のように
ねむねむ菌が襲ってきて
夢と現実とを行き来する瞬間が
きっと研修中にも起こりかねない。


よっぽど
自分としては現場にいる方が、
3倍速モードで公共の利益のために働いてると
思うんですが…


仕方ない。
公務員ですもの。


研修には参加しますよ。

でも、なー。

もうちょっと考えてもほしいよな、

とも思っちゃうんだよなー。

わがままなのはわかってるんだけどね。


2003年10月03日(金) 仕事の仕方であこがれる人

何度も書くけど、
やっぱり
先生の善し悪しは授業よ。


おもしろくない
参加できない授業なんて、
机にへばりついて聞いてる
子どもにとっては、拷問なのよ。

それじゃ、
おもしろい
参加できる授業ってなんだろう?
と考えると、
おそらくねらいがはっきりとしてる授業なんだろう。


うぇ、教育のディープな話になってきたな…
いや、
でも、授業に限らず、
日々の暮らしの中だって、
話題が盛り上がるときや、
何かに夢中になるときって、
自分の琴線にふれる話題であったり、
目標やゴールがはっきりしてるときじゃない?

あたりまえのことかもしれないけれど、
「ねらい」っていうか、
「今自分がすること」がはっきりしる・はっきりさせていくことって、
1分1秒が充実していくんだよね。

そういう意味でいくと、
先生という仕事は、
子どもたちの1分1秒の時間をもらって
授業をしてるわけじゃない?
ある意味エンターテイナーのように、
損はさせない授業をつくっていかないと
いけないんだよなーと
考えた。


こう考えたのも、
私よりも少し経験がある先生の授業をみることが
できたからだ。


先日授業研究を行った5年上の先輩は、
もう10年以上ものキャリアだというのに、
日々の授業実践に常に向上心を持っていて、
尊敬に値する。

家庭持ってるというのに、
いったいどこからその仕事の量を
片づけるエネルギーがあるわけ?

子どもたちに太陽みたいに
エネルギーを与えているのだ。


けれどその人は、
先生方同士で授業討議をしても、
全然経験を鼻にかけていないのだ。

やはりつくづく良い仕事人というのは、謙虚。
でも、自分の考えをもっていて、
やわらかな自己主張ができるんだよね。


はー

私もそんな人になりたい。

身近な先輩でそんなにすてきな人に
巡り会えて、
幸せだなと思った。


ところが。


実は聞くところによると
その先輩にもあこがれの先輩はいるそうだ。

あぁ、
あこがれに近づきたいと、
努力したら、
いつのまにか
誰かのあこがれになっちゃうくらいになれるのかな…


近づきたいと思うだけじゃ足りない。
努力が必要なんだよね…


日々精進
日々精進…


余談…

相変わらずばたばたと日々の仕事をこなしてるんだけど、
眠る前の癒し策として、
「アンパンマン大図鑑」を買った。
病んでるかなー
今さらアンパンマンとは。


こどものころに読んでいた
アンパンマンにはいつのまにか1600種類以上もの
キャラがいたとはオドロキ


くものもくちゃんとか
かわいいなぁ
毎日眠る前にたくさんのキャラクターを眺めてる。



恋人に
図鑑をiショットで送って、
「今度一緒にみようね」とメールで送ったら、
「ホントはものすごくみたいわけじゃない。」
とつれないメールが。

それが正常な成人男子の考えなんだろうけど、
返信の最後には「ジャムおじさんにもよろしくな」
と書いてあった。


こういうアホなのりにつきあってくれる
恋人がやっぱりスキ



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