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JIROの独断的日記
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2008年12月02日(火) 「<山本五十六>「述志」2通発見、日米開戦の心情つづる」←山本さん、三国同盟にも開戦にも大反対だったのは、周知の事実。

◆記事:<山本五十六>「述志」2通発見、日米開戦の心情つづる(12月2日12時45分配信 毎日新聞)

旧日本海軍の山本五十六(いそろく)・連合艦隊司令長官(1884〜1943年)が、太平洋戦争が始まった

1941年(昭和16年)12月8日などに自らの心情をつづった直筆文書が見つかった。

親交のあった大分出身の海軍中将、堀悌吉(1883〜1959年)の孫宅(東京都)に保管されていた。

今月6〜14日に、大分市の大分県立先哲史料館で展示される。

文書は「述志」のタイトルで、1939年年5月31日付と41年12月8日付の2通。

 前者は日独伊三国同盟を結ぶ前、海軍次官の立場で

 「俗論を排し 斃(たお)れて後 已(や)むの難きを知らむ」と俗論(同盟締結論)を排除する困難さを言葉にした。

後者は真珠湾攻撃に臨まざるを得ない状況にあたり「己を潔くせむの私心ありてはとても此(この)大任は成し遂け得まし」

などと決意をつづっていた。山本長官は三国同盟締結や日米開戦に反対する立場だったことから、

史料館は両文書は遺書的な性格を帯びているとみている。

両文書は堀中将の記録集に掲載され、内容と存在は知られていた。調査・発見した史料館の安田晃子主幹研究員は

「本当に山本の言葉だったのかとこれまで疑う向きもあったが、真実だと裏付ける貴重な資料」と話している。


◆コメント:全然意外ではない。山本五十六、米内光政、井上成美は、開戦に徹頭徹尾反対だった。

私が、ゴチャゴチャ綴るよりも、皆さん、阿川弘之氏の三部作を読んで頂きたい。それは、

山本五十六(上)(下)

米内光政

井上成美

である。

戦前の海軍軍人である。海軍大将にまで、なった人たちだ。言うまでもなく戦前の日本は、「専守防衛」ではない。

「軍人」は戦をするかも知れない、という前提で教育を受けて来た、「戦争のプロ」の筈だが、

山本、米内、井上は、「海軍リベラル三羽ガラス」などと新聞記者たちの間でも有名なほど、柔軟で合理的で現実的な思想を持っていた。

日本が、ヒトラーのドイツ、ムッソリーニのイタリアと三国同盟を締結するときに、三人は大反対だった。

山本は、「戦争になる。こんな条約を締結したら、アメリカ、イギリスと戦争になる」(その通りになった)とカンカンに怒った。

この時期海軍次官だった、海軍省には、毎日の様に右翼やら何やら訳の分からない、頭の悪い奴らが来て、「三国同盟を締結しろ」と脅迫した。

あまりにもすさまじいので、山本五十六は死を覚悟し、「述志」と題する文章、要するに遺書を書いていることは、阿川弘之著、

山本五十六(上)の264ページに記されている。

今般その原本が見つかったということだが、内容自体は山本の思想からすれば当然であって、脅迫されたぐらいで「三国同盟反対」の意見を変えるつもりは無かった。

井上は、戦争が始まる年、昭和16年1月、中将で海軍の航空本部長だった。「新軍備計画論」という「論文」を上司である海軍次官、大臣に提出した。

自分が正しいと思ったら、上司であろうがだれであろうが、あくまで意見を曲げない人だった。この「論文」は先日の元自衛隊の誰かさんの「論文」とは

大違いである。
「日本が米英を破り彼を屈服する(引用者注:米英を屈服させる、という意味)事は不可能なり。その理由は極めて明白にして・・・・」

工業力の差が比べものにならない。その上、明治の頭で昭和の軍備をやっても意味がない。戦艦なんかより、航空機に力を置きなさい、

このまま対米戦争なんかに突入したら、アメリカは、
「1.日本国全土の占領が可能、2.首都の占領も可能、3,作戦軍の殲滅(せんめつ)も可能」

井上の予想は完全に的中したが、当時の日本では、この程度の常識的な判断も受け入れられず、この後、井上は暫く閑職に左遷される。

米内光政は、普段は寡黙な人だったが、平沼内閣の海軍大臣時代、1938(昭和13年)、

8月8日の五相会議(昭和時代前期の日本において、内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の5閣僚によって開催された会議)の席上、
石渡蔵相から、
「三国同盟を締結するのならば、日独伊三国が英仏米ソの四国を相手に戦争することを考えねばならず、その場合、

八割は海軍によって戦われると思います。ついては、海軍大臣のご意見を聞きたいが、日独伊の海軍が英仏米ソの海軍と戦って、

勝算はありますか?」

と、質問されたときには、極めて明確に、
「勝てる見込みはありません。大体日本の海軍は米英を向こうに回して戦争するように建造されておりません。独伊の海軍にいたっては問題になりません。」

と答えた。

少なくとも、海軍の山本五十六、米内光政、井上成美の3人の大将、中将には、アメリカと戦争をするなど、正気の沙汰とは思えなかった。

そして、命を賭して戦争を防ごうとしたが、大衆は愚かで、一度世論が「鬼畜米英」に傾きだしたらどうしようもなかったのである。


◆一番戦争に反対していた山本五十六が連合艦隊司令長官として、真珠湾攻撃を計画、実行しなければならなかった悲劇。

平沼内閣が総辞職して、米内光政が海軍大臣を辞することになり、山本五十六は引き続き後任大臣の次官を務めるつもりでいたが、

米内の配慮で、洋上に異動となった。連合艦隊司令長官だった。

本来なら、海軍軍人誰もが憧れる最も晴れがましいポストであるが、これが、山本五十六の悲劇の始まりだった。

三国同盟締結後、世の中は急激に右旋回し、日米戦争やむなし、の情勢となった。


山本は、若い頃は駐米日本大使館の駐在武官(大使館に常駐する軍人)としてワシントンに住み、

英語が堪能で、バクチ好きだから、アメリカ人のポーカー仲間も沢山いた。

また、暇を見つけては、自費でアメリカ各地を見学にいった。デトロイトの自動車産業も実際に見た。

だから、日本がアメリカと戦争をすることがいくら無茶苦茶なことか、一番分かっていた人なのである。

しかし、運悪く開戦時に連合艦隊司令長官だったから、戦略を考えなければならなかった。

山本が、いつから真珠湾攻撃を念頭に描いていたかは、定かではない。

どうしても、戦争をするなら、太平洋艦隊の基地に奇襲攻撃をかけて、出来れば米海軍の空母を沈めて、

戦局が日本に有利なうちに早期講和条約を締結して終戦させるしかない、と考えていたようだ。

しかし、決して喜んでいたのではない。開戦直前の昭和16年の10月に海軍大臣に当てた長い手紙の中で、山本五十六は、

「大局より考慮すれば日米衝突は避けられるものならば此を避け、この際隠忍自戒臥薪嘗胆すべきは勿論なるも

それには非常の勇気と力とを要し、今日の事態にまで追い込まれたる日本が果たして左様に転機し得べきか

申すも畏き事ながらただ残されたるは尊き聖断の一途のみと恐懼する次第に御座候」

つまり、ここまで来たら、最後の可能性は、天皇陛下が「戦争をしてはならぬ」と言って下さることを、

祈るだけだ、というのである。戦前だから、日本の軍隊は全員陛下の部下なのである。陛下が「絶対戦争したら、ダメだ」

と言ったら、その命令は絶対であり、日本は戦争するわけにはいかなかった。戦争しなくて済んだのである。


山本はまた、連合艦隊司令部で「真珠湾をやる」と宣言し、図上演習をおこなった、昭和16年10月11日付で堀悌吉宛に書いた手紙で、
「個人としての意見(引用者注:開戦反対ということ)と正確に正反対の決意を固めその方向に一途邁進の外(ほか)なき

現在の立場は、誠に変なもの也。これも命というものか」

と、書いている。阿川さんは、
「個人としての意見と正確に正反対の決意を固め」というような言葉は、彼は他の人には決して言わなかった。

山本は苦しく、本当にやりきれない思いであったろう。ある意味で、一番ハワイに行きたくなかったのは、山本五十六自身であった。」

と書いているが、正にその通りだと思われる。


◆「百年兵を養うは、ただただ、平和を守らんが為である。」

山本は11月13日に、各艦隊の司令長官、参謀長、先任参謀らを集め、真珠湾作戦の説明をした。

「但し」と彼は付け加えた。

「目下ワシントンで行われている日米交渉が成立した場合は、出動部隊に引揚を命ずるから、その命令をうけたときは、

たとえ攻撃隊が母艦発進後であっても直ちに反転、帰航してもらいたい」

それに対して、機動部隊の司令長が、「一旦、出てから戻ることなど無理だ」と反論した。

他にもそれに同意する指揮官がいた。山本は顔色を変えた。
「百年兵を養うは、何のためだと思っているか。ただただ、平和を守らんが為である。もしこの命令に従えないと思う指揮官があるなら、

ただいまから、出動を禁止する。即刻辞表を出せ」

と言った。言葉を返す者は一人もいなかったそうだ。

一番、戦争をしたくなかった軍人が、真珠湾の総責任者だったのである。

何という悲劇だろうか。

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