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JIROの独断的日記
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2007年11月21日(水) 音楽評論:CD「ピエ・イエス〜祈りを込めて」(ソプラノ・森麻季、指揮・金聖響、管弦楽・オーケストラアンサンブル金沢)

◆音楽に抱きしめられる幸福

 人は音楽を、日常のあらゆる場面で聴く。聴く動機は様々でそれはそれで一向に構わない。

が、わたくし自信は、音楽を聴くときに最も大切な心境は

「音楽によって慰められたい」という魂からの祈るような気持ち、ではないか、と考えている。



本日、ソプラノの森麻季さんの新しいCD、「ピエ・イエス〜祈りを込めてを聴いた。

宗教曲ばかりのアルバムである。あっと言う間に時間が経って、全曲を聴いた。



森麻季さんがこのCDに録音した歌は、全てが私を慰めてくれた。

信仰心を持たない私ですら、「祈り」という言葉を思い出さずにはいられない、敬虔な音楽と演奏であった。

「音楽に抱きしめられる」とは我が敬愛する、アマチュア(もはや、アマチュアとは言い難いが)音楽家、

Kenさんが、過日、私のブログに残して下さったコメントで使っていた表現だが、

今日の私はまさに、森麻季さんのソプラノと金聖響氏指揮・オーケストラアンサンブル金沢の演奏に「抱きしめられ」たのである。


◆森麻季さんは忠実な音楽への奉仕者である。

 技術的なことも少し書こう。



悔しいが、ライナーノートで解説を担当している國土潤一氏に先に書かれてしまった言葉がある(後述)のだ。

以下の私の文章に、國土氏と同じような言葉があるかも知れないが、断じて、國土氏の真似をしている(盗作している)のではない。

これは、信じて頂くしかない。さて、このCDに収められているのは


  • モーツァルト:モテット「踊れ喜べ幸いなる魂よ」から四曲。

  • モーツァルト:ミサ曲 ハ短調 から二曲

  • ハイドン:オラトリオ「天地創造」から四曲

  • バッハ:「マタイ受難曲」から二曲

  • バッハ:「ヨハネ受難曲」から一曲

  • フォーレ:「レクイエム」から一曲

  • フランク」「天使の糧」一曲


の計15曲である(中にはレチタティーボといってごく短いトラックもあるが)。



前作のイタリア・オペラアリア集とは全く曲想を異にするが、いずれも演奏するには、高度な技術を要求される点は共通している。

森麻季さんの演奏を聴くと、「完璧」という言葉を想起せずにいられない。

無論これは録音だが、森さんは、リサイタルで完璧にこれらを歌うことが出来る声楽家である。



全曲解説すると、とてつもなく長くなるので、まずは一曲。最初のモーツァルト。

モーツァルトのモテット「踊れ喜べ幸いなる魂よ」だが、難しいので有名である。

終わりは、「アレルヤ」という有名な曲で、16分音符での音階的な細かい動きを歌わなければならない。



一般的に言うと、クラシック声楽の難しさの一つは、クラシック以外の歌では絶対にないのだが、

人間の声が器楽的(楽器のように)に扱われており、演奏者(歌手)はそれに耐えうるテクニックを身につけるために、

「職人的」な(これが、解説の國土さんに書かれてしまった言葉なのだが)研鑽を積まなければならない、ということである。



そして、その技術は、例えば自転車に乗るという「技術」のように、一度身につけたら、放っておいても大丈夫ということは絶対にない。

森麻季さんといえども、毎日の練習を続けなければ、これほど高度な演奏が出来るわけがないのだ。

今でも、森さんは絶えず訓練を続けているのである。



長くなったが、「踊れ喜べ幸いなる魂よ」第四曲、「アレルヤ」を聴くと、大抵の歌手は四苦八苦している様子がわかる。

ところが、森さんが歌うと、
「あれ、この歌、こんなに易しかったっけ?」

という錯覚に陥るほどである。私は何度となく、この曲が歌われるのを聴いたがこれほど完璧な演奏は、どう考えても記憶にない。



岩波文庫に「モーツァルトの手紙」という本がある。今、あいにく手許にないのだが、モーツァルトがあるバイオリニストを

絶賛している箇所がある。それには、父親に向けて次の様な趣旨の言葉が書かれている。
「技術は素晴らしく、音程も極めて正確、難しいパッセージを弾いていても、あたかも簡単そうに聞こえるのです。これこそ、本当に上手い演奏なのです」

というものである。

私は、この新しいCDにおける森麻季さんの演奏を聴いて、思わず、モーツァルトのこの言葉を思い出した。

モーツァルトがタイムマシンで今の世界にやってきて、森麻季さんの演奏を聴いたら、きっと同じ事を言うに違いない。
「貴女、上手い人だねえ・・・」

と。



 そのように、見事なソロを歌いながら、森さんのソプラノは、ソリストにありがちな「私が、私が」と出しゃばることをせずに、

抜群の伴奏をした、金聖響氏指揮・オーケストラアンサンブル金沢の楽器の音と美しいハーモニーを形成している。

ソリストも、伴奏者も完全に「心得ている」大人の演奏である。



森麻季さんは音楽に対する、最も忠実な奉仕者なのである。


◆森麻季さん自身の「祈り」が音楽を浄化している。

 私はCDを最初に聴くときは、先入観を抱かないために、ライナーノートを読まずに聴く。聴いた後に読む。

今回ほど、演奏者のセルフライナーノートが、録音された音楽の必然性を雄弁に物語っている例を私は知らない。

CDそのものと同じぐらい、森麻季さんのセルフ・ライナーノートの一読を強くお薦めしたい。



森麻季さんはセルフ・ライナーノートで、ご自身が信仰を持つに至る経緯を書かれているが、それも勿論素晴らしいが、

私が、胸を打たれたのは、森さんは、このCDの録音に際して、世にはびこる様々な理不尽なこと

--戦争、犯罪、自然災害、病気や事故等々--により不幸に陥った人々に、

救いがありますようにという「祈り」を込めて歌った、ということである。



音楽を聴いた後で、この文章を読むと深く得心がいくのである。

森さんの「祈り」が演奏を一層崇高なものに高めているのであることは疑うべくもない。

森麻季さんはまだまだ、ご自身が現役の演奏家だから、弟子を取ることは無いだろうが、将来、森麻季さんに

声楽を(単発のレッスンでも)習うことがある人がいるかも知れない。

そのとき、森さんは、勿論技巧的なことを教えるだろうが、教わる側は、音楽の演奏家としてもっと大事なことを

森さんに見出さなければならない。



森麻季さんは、私たちの想像を絶する研鑽を積み、獲得した高度な技術を用いて歌っているが、それは自らの技術、

声の美しさを誇示するためではない。聴き手の幸福を祈りながら、歌っている。

だから、森麻季さんの歌は、私どもの魂を震わせるのである。

【お知らせ】ベートーベン交響曲第二番第四楽章明日にします。

今日は、森麻季さんの宗教曲を聴いたあとなので、ベートーベンはあまりにも違うのです。

そう簡単に頭が切り換えられないので、明日が3連休前ですし、明日、第二番終楽章をお聴き頂きます。

勝手ながら、ご了承下さい。



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